季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

劇団文化座 『貘さんがゆく 』於:俳優座劇場、2012.10.26

2012-10-27 20:40:56 | Weblog
           
 沖縄出身の詩人山之口貘(ヤマノグチバク)(1903-1963)の物語。
 
 彼は、若い頃、上京。父親が事業に失敗し一家離散したのが理由。
 
 彼は詩人を目指す。真面目な詩人。
 「精神の貴族」。貴族は働かない。
 彼は友人たちに金銭的にも支えられ生活して行く。ほとんどルンペン生活。
 
 戦争の時代、詩人など物書きは監視され、戦争への協力を要求される。
 貘さんを、詩壇の大御所、佐藤春夫が庇護してくれる。
 金子光晴が、貘さんの最もよい友人の一人。

 中原中也は喧嘩をふっかけてばかりいたという。
 
 アナーキスト的な蛙世界を描いたはずの草野心平も、戦争協力する。
 佐藤春夫も文学報国会のりーダーの一人となる。
 白人の支配に対するアジア人の連帯の思想が、彼らを捉えた。
 
 山之口貘は、非政治的である。
 彼は、戦争に興味を持たない。戦争は自然の猛威のようなもの。

 貘さんは、自分と詩との関係だけを見ていた。
 自分の心と、詩という言語シンボルの間に、親和性を打ち立てることだけに関心があった。
 だから彼は推敲を繰り返し行った。

 言語シンボルとのこの親和性の構築に関して、彼はまず自分の内面世界を対象とした。
 彼は、長生きすれば、対象をもっと広げて行ったろう。
 つまりもっと広い範囲を、詩の題材としたろう。

 詩が作り出すシンボル世界と、自分の内面世界が、どうしたら相似形になるかを追求することだけに、生活を捧げようとした孤高さにおいて、彼は、貴族である。

 彼が、お嫁さんを探したことは、貴族的でないが、これは彼の内面世界の形象の問題である。それは、詩と内面世界の親和性・相似化を追求する限りでの、彼の貴族性を、少しも傷つけない。

 舞台は、山之口貘がなぜ「精神の貴族」と呼ばれたかを、適切に描いていると思う。        
          

“シャルダン展 ― 静寂の巨匠 ―”2012.10.7 (三菱一号館美術館)

2012-10-07 19:43:09 | Weblog
 シャルダン(1669-1779)は18世紀フランスの画家。当時は享楽的なロココ様式が全盛だった。しかし、シャルダンは日常的・現実的な題材を写実的に描いた。17世紀、オランダ絵画の影響がある。
  
  第1部 多難な門出と初期静物画
 「ビリヤードの勝負」(1720年頃):シャルダンの父親はパリの家具職人。ビリヤード台も作った。ロココ様式の時代に反し、シャルダンは写実的な作品を製作。多難な門出である。
          
  
  第2部 「台所・家事の用具」と最初の注文制作
 「肉のない料理」(1731年):復活祭前の四旬節、40日間は、肉のない料理を食べる。
         
  
  第3部 風俗画ー日常生活の場面
 シャルダンは、風俗画に転向する。風俗画は、静物画より地位が高い。人を描くほうが難しいとされ、高価だった。王侯、貴族が好む。パリで流行し、版画にして売れば大金が入った。1734年から約20年間、シャルダンの大成功の時代。
 「羽根を持つ少女」(1737年):少女が、かわいい。柔らかな光が、軽やか。過剰を配する。すべてが円錐形に還元し、精緻な構成。
                      
 「買い物帰りの女中」(1739年):女中が買物を終え、屋敷にもどり、ほっとした一瞬。
          
 「食前の祈り」(1740年頃):ルイ15世に贈られた絵の私家版。多くの版がある。パリで大人気となり、版画が多数売れ、シャルダンは大儲け。手前の祈る子供は、当時の習慣で、女の子の服装をした男の子。
          
 「セりネット(鳥風琴)」(1751年):カナリアに曲を覚えさせるため、手風琴を回す中産階級の女性。スカートの柄は、たくさんのバラの花。
          
 「良き教育」(1753年頃):母親が娘に、聖書を暗唱させる。後の椅子の上には、彼女のもう一つの教育のため、裁縫箱がある。
                    
  
  第4部 静物画への回帰
 50歳代、成功したシャルダンは、ルイ15世からルーブル宮に、部屋を賜る。王立絵画彫刻アカデミーで、彼は要職を務める。しかし彼は、成功をもたらした風俗画をやめ、再び静物画に回帰する。
 「カーネーションの花瓶」(1754年頃):現存するシャルダンの唯一の花の絵。印象派ふうである。「絵は、色彩で描くのではない。色彩を使うが、感情で描く!」とシャルダンが言った。落ちた花は、かつて「この世のはかなさ」を示したが、やがて「摘んだばかり」を示すようになる。
                
 「すももの籠」(1759年頃):この絵にディドロが、感銘する。水の入ったガラスのコップ、すももの実在性が、絵にあまり近づけば消えるが、一定の距離で忽然と出現する奇跡。
                    
 「木いちごの籠」(1760年頃):晩年の静物画の最高傑作。
          
 「銀のゴブレットとりんご」(1768年頃):光と影の描写が近代的。印象派に通じるものがある。銀のゴブレットにりんごが映る。
              
 
 今回、“シャルダン展”を訪れ、心満ち、穏やかな体験ができた。