季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

“マグリット展” 国立新美術館(2015.3.30)

2015-04-01 12:16:35 | Weblog
「恋人たち」1928年:布に顔が覆われた恋人同士が、キスをする。不吉な愛。もちろん日常生活で多くの者にとって死は、ほとんど意識されない、あるいは現実的でない。この絵は、多くの者に、死を思い起こさせる


「人間の条件」1933年:窓の外の「現実」の風景。キャンバスに描かれた風景の「絵」。二つの風景が全く同一に見える。この場面では、一見、現実と絵が区別できない。しかしよく見れば、絵は現実と異なる。「現実」のカーテンが、一部「絵」に描かれていない。絵をカーテンまたは壁の前に運べば、絵が現実でないことが一目瞭然となる。人間の条件は何か?絵と現実との差異によって、絵は絵となり、現実は現実となる。事物の差異が、事物を他の事物から区別し、その事物とする。差異の出現が、人間の思考・行為等、生存の一切を可能にする規定された世界を存在させる。差異の出現が、秩序の出現である。差異のない世界は、ひたすら混沌である。無規定なカオスはそもそも草も木も雲も何物も存在させない。現実の風景自身さえ、溶解しカオスとなり存在不能である。


「凌辱」1934年:女性の顔に、女性の裸の乳房・腰・陰毛・太腿だけを見る。確かに女性は、目によって「凌辱」される。


「光の帝国Ⅱ」1950年:光が、この世の最高支配者で、光の帝国が建設されれば、光にかかわる一切の規定が、自由に設定される。今、光の新たな秩序が、命令された。空は昼であること。木々と木々の下の風景は夜であること。この絵は、光の帝国の新たな秩序を描く。


「大家族」1965年:“題名、描かれた諸形象、これらは相互に「ファミリアー」(家族的)である”と画家は主張する。鳥、昼の空、地上の夜、「大家族」の語、これらが相互の連想連関によって、非日常的、時に神秘的関係を出現させる。


「白紙委任状」1965年:人間の視覚認識は極めて柔軟。風景(現実)の規定が、人間に白紙委任される。現実が人間によって、自由に視覚認識される。背景が前景となり、あるいは背景の物体が同時に前景となる等々。

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