季節を描く

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“皇室の名宝、1期:永徳、若冲から大観、松園まで”展(東京国立博物館:2009.10.14)

2009-10-17 13:56:05 | Weblog

  秋の上野公園、午後3時、東京国立博物館を訪れる。平成館の前庭も夏とことなり照り返しの暑さはない。“皇室の名宝展”1期を見る。

                   
 第1章 近世絵画の名品
 「浜松図屏風」海北友松(カイホクユウショウ)(1、慶長10年)はあでやかで優雅。この絵はそれまで水墨画を描いていた友松が70歳すぎて描いた大和絵である。心をゆったりさせ落ち着かせる。

                 
 「萬国絵図屏風」(5、17世紀初期)がエキゾチックである。イエズス会が礼拝用の図像を描かせるため日本人に絵画を教えた。初期洋風画が誕生する。右隻にはペルシアの王、ローマ皇帝など複数の騎馬人物、また28都市が描かれる。左隻は世界全図であり、各国各地域が異なる色に区分けされ世界の大きさを思い起こさせる。
 「唐獅子図屏風」(4、右隻、狩野永徳、安土桃山時代、16世紀)が大迫力である。左隻、狩野常信(江戸時代、17世紀)の唐獅子がおとなしく小さめなのと対照的。永徳の唐獅子は秀吉の権力の強大さをアピールする。

                     
 「動植綵絵」(7、伊藤若沖(イトウジャクチュウ)、宝暦7年(1757)頃ー明和3年(1766)頃)はその30幅がすべて展示され圧巻である。これは釈迦の教えを聞きにあらゆる生き物が集まってきた様子を描く。動物も植物も集まる。蝶、アヒル、鶏、梅、紅葉、菊、たこ、魚など。池辺群虫図(チヘングンチュウズ)がすさまじい。若冲の正確無比な描写は“神と通じあっている”と評される。

                       
 「牡丹孔雀図」(9、円山応挙、安永5年(1776))は裏彩色の技法なども使い写生を目指す。写生とは外見を映すことではなく、生き物の気を描くことである。
 「旭日猛虎図」(10、円山応挙、天明7年(1787))は虎がどこかかわいらしい。

                                           
 「源氏四季図屏風」(8、円山応挙、18世紀)にあるのは穏やかで、すがすがしい庭である。
 「花鳥12ヶ月図」(17、酒井抱一、文政6年(1823))は琳派。派手であるが若冲と比較するとおとなしい絵である。菊は精緻である。
 「小栗判官絵巻」(11、岩佐又兵衛、江戸時代、17世紀)色鮮やかで生き生きした人物や鬼、閻魔大王などの絵が楽しい。浮世絵のようだといわれ浮世又兵衛と呼ばれた。小栗判官は謀殺されるが照手姫(テルテヒメ)の超越的力によって助けられ餓鬼姿でこの世に生還する。そして数々の苦難の後、二人は幸福に暮らす。恋物語である。絵は精密に出来事を追って描かれ、紙芝居を見るよう。

                   
 「西瓜図」(18、葛飾北斎、天保10年(1839))はメタファーである。半分に切られた西瓜、その上に置かれた包丁、薄く細長くむかれた西瓜の皮が干され垂れ下がる。奇妙な絵。
 第2章 近代の宮殿装飾と帝室技芸員
 「朝陽霊峰」(24、横山大観、昭和2年(1927))が大作。左隻が大きな金色の富士、右隻が山並みと太陽でおおらかである。

                  
 「夏冬山水図」(34、橋本雅邦、明治29年(1896))が品格を感じる作品ですがすがしい。「春秋山水図」(35、同前、明治34年(1901))は春のほのぼのした感じがよい。
 「菊蒔絵螺鈿棚」(51、川之邊一朝ほか、明治36年(1903))は製作に12年を要した。菊と鳥が高蒔絵と螺鈿で棚の隅々にまで描かれ裏面と言える部分がない。銀の金具が調和し美しい。

                     
 「七宝四季花鳥図花瓶」(49、並河靖之(ナミカワヤスユキ)、明治32年(1899))は黒い地が強烈である。それを背景に緑のモミジが美しい。山桜の花が華やかさを添える。金・銀の線で地と図を境界付ける有線七宝が端正さと意匠性を示す。1900年パリ万博出品作品。

                     
 「蘭陵王置物」(66、海野勝(ウンノショウミン)、明治23年(1890))が彫金の作品で精緻である。第3回内国勧業博覧会に出品され一等妙技賞を取る。

                     
 「雪月花」(76、上村松園(ウエムラショウエン)、昭和12年(1937))が丁寧でほっと落ち着く絵である。3幅が並ぶ。伊勢物語が冬、雪。源氏物語が秋、月。枕草子が春、桜である。

                    
 見終わって体は疲れてけだるい。外に出ればすでに午後5時、秋の風が冷たく日陰は暗い。


“古代ローマ帝国の遺産:栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ”展(国立西洋美術館、2009.10.8)

2009-10-08 21:06:27 | Weblog

 台風が通り過ぎたばかりの秋の午後、上野公園は樹から落ちた葉っぱでいっぱいである。その上を歩いて西洋美術館の“古代ローマ帝国の遺産展”へ行く。
 「アウグストゥスの胸像(オクタヴィアヌス・タイプ)」(1、後1世紀前半)はアレクサンダーに似たヘレニズム的王タイプの像であり若々しい。
 これに対して「皇帝座像(アウグストゥス)」(10、後1世紀中頃)が一目してゼウスを思わせる。ユピテル神(ゼウス)として神格化されたオクタヴィアヌスである。

                《皇帝座像(アウグストゥス)》
 「アグリッパの胸像」(6、前1世紀後半)は若き日の精悍なアグリッパの像である。彼はオクタヴィアヌスにとってのいわば“孔明”にあたる軍事的天才であった。

                             
 「アポロ像」(17、後1世紀)は不思議な感じがする。顔はアルカイック・スタイルで左右対称。ギリシア人がエジプトの様式を取り入れたもの。ところが体はクラシック・スタイルで左右非対称である。二つのスタイルの折衷。ローマ人があこがれたギリシャ文化を彼らが摂取する過程の一作品である。
 「イシスの儀式」(24、後1世紀半ば)がローマに入ったエジプトのイシス信仰を示唆する。イシス女神は夫であるオシリス神を救った。権威ある女神である。このフレスコ画には踊るエチオピア人神官、やしの樹などローマ人のエキゾチズムが見られる。

                                
 「骨壺」(39、後1世紀)は緑のガラス製の蓋付きアンフォラ(二つの取っ手がついた壺)である。ポンペイ出土。中には火葬された骨が入る。なおローマでは紀元後2世紀からは土葬が主流となる。
 「金のランプ」(69、後1世紀)は蓋が失われているが約1kgある。ネロがポンペイにあった神殿に捧げたものと言われる。

 「モレジネの銀器一式」(70、前40年ー後1世紀)のうち、皿4枚のセットに白鳥と貝殻の飾りがつく。この二つはアフロディーテの持ち物である。
 「双頭の蛇の指輪」(83、後1世紀)が金製で精巧。魔除でありまた豊饒を象徴する蛇がローマでは宝飾品にしばしばつかわれた。

                                       
 「ザクロ石の指輪」(84、後1世紀初頭)、「縞メノウの指輪」(84、前1世紀ー後1世紀)はともに台が金である。
 金・真珠の「真珠の耳飾り」(73、後1世紀)、金・エメラルドの「首飾り」(77、後1世紀)、また金・エメラルド・真珠母貝からなる「首飾り」(78、後1世紀)などもある。

                                          
 「アレッツオのミネルヴァ」(16、前3世紀)は、前2世紀にローマがギリシアを征服する以前のローマ人による作品である。端正で美しい。

             

 ポンペイのフレスコ画、「庭園の風景(南壁)」(111、ユリウス・クラディウス朝時代)は描かれたいわば人工の自然である。柱頭の首、その上のバッカスの巫女の絵、また劇の仮面が無気味。

                             

 「庭園の風景(東壁)」(112、同前)は夾竹桃がメインをなす。

                                  
 「モザイクの噴水」(113、同前)はポンペイの屋敷のなかにあった。モザイクの青が息を飲むほど美しい。
 「豹を抱くディオニュソス」(116、前1世紀ー後1世紀)が若い青年としてディオニュソスを描く。小さな子どもの豹が獰猛なのに彼はそれを愛おしそうに見る。印象的な彫像である。

                       
 美術館の外は夕方で風がやや冷たい。文化会館の前の石畳を上野駅へと向かう。