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新日本フィルハーモニー交響楽団「アドバンスクリエイトクリスマスコンサート『第九』特別演奏会2021」(東京オペラシティ・コンサートホール)(2021/12/20)

2021-12-22 00:27:27 | Weblog
指揮・鈴木秀美、ソプラノ:森谷真理、アルト:中島郁子、テノール:福井敬、バリトン:萩原潤、合唱:二期会合唱団
★ベートーヴェン「交響曲第9番」(1824)第4楽章の「歓喜」の主題は、欧州評議会において「欧州の歌」として採択されている。

★“An die Freude”(歓喜に寄せて)

O Freunde, nicht diese Töne!(おお友よ、このような旋律ではない!)
Sondern laßt uns angenehmere(そうでなく、より心地よい旋律を)
anstimmen und freudenvollere.(歌おう、そしてより歓喜に満ちた[旋律を歌おう]。)(ベートーベン作詞)

Freude, schöner Götterfunken,(歓喜よ、麗しい神々の閃光よ、)
Tochter aus Elysium,(天上の楽園の乙女よ。)
Wir betreten feuertrunken,(我々は火のように酔いしれて、)
Himmlische, dein Heiligtum!(崇高な、《汝=歓喜》の聖所に入る!)

Deine Zauber binden wieder,(《汝=歓喜》の魔術が再び結び合わせる、)
Was die Mode streng geteilt;(時流が厳しく切り離したものを。)
Alle Menschen werden Brüder,(すべての人々が兄弟となる、)
Wo dein sanfter Flügel weilt.(《汝=歓喜》の柔らかな翼が留まる所で。)

Wem der große Wurf gelungen, (ある友の友となるという)
Eines Freundes Freund zu sein, (大成功を勝ち得た者に、)
Wer ein holdes Weib errungen,(心優しき妻を得た者が)
Mische seinen Jubel ein!(歓声を合わせよ!)

Ja, wer auch nur eine Seele(そうだ、一つでも心を分かち合う魂が)
Sein nennt auf dem Erdenrund!(地上にあると言える者も[歓声を合わせよ]!)
Und wer's nie gekonnt, der stehle(そしてそれが不可能だった者、彼は)
Weinend sich aus diesem Bund!(この輪から泣きつつ立ち去る!)

Freude trinken alle Wesen(歓喜を全存在者は飲む)
An den Brüsten der Natur;(《自然=創造主》の乳房において;)
Alle Guten, alle Bösen(すべての善人とすべての悪人が)
Folgen ihrer Rosenspur.(《自然=創造主》の薔薇の踏み跡をたどる。)

Küsse gab sie uns und Reben,(口づけを《自然=創造主》は我々に与え、そして葡萄酒を与え、)
Einen Freund, geprüft im Tod;(また友を与える、ただし死すべき存在たる友;)
Wollust ward dem Wurm gegeben,(快楽が《虫=人間》に与えられる、)
und der Cherub steht vor Gott.(そして智天使ケルビムが神の御前に立つ。)

Froh, wie seine Sonnen fliegen(朗らかにあれ、天空の華麗な書割を通り抜けて)
Durch des Himmels prächt'gen Plan,(星々が飛び行くように、)
Laufet, Brüder, eure Bahn,(進め、兄弟たちよ、自らの道を、)
Freudig, wie ein Held zum Siegen.(喜ばしくあれ、勝利に至る英雄のように。)

Seid umschlungen, Millionen!(抱擁を受けよ、諸人よ!)
Diesen Kuss der ganzen Welt!(この口づけを全世界に!)
Brüder, über'm Sternenzelt(兄弟よ、この星空の上に)
Muß ein lieber Vater wohnen.(唯一の父なる神が必ず住まわれる。)

Ihr stürzt nieder, Millionen?(ひざまずいたか、諸人よ?)
Ahnest du den Schöpfer, Welt?(創造主を恐れ予感するか、世界よ?)
Such' ihn über'm Sternenzelt!(星空の上に創造主を求めよ!)
Über Sternen muß er wohnen.(星々の上に、創造主は必ず住みたもう。)


★ヨハン・シュテファン・デッカー Johann Stefen Decker によるベートーヴェン素描(1824)

タクフェス第9弾『天国』宅間孝行作・演出(サンシャイン劇場)2021/12/10:「天国」である日常の突然の消失の物語!実は「天国」である日常と、グラデーション的に「地獄」の日常がある!

2021-12-19 14:36:58 | Weblog
(1)
2010年春、宮城県石巻市にある昔ながらの映画館“山田劇場”の事務所に、高校生、島村龍太郎(原嘉孝)が忍び込んだ。かつては芝居小屋だったこの劇場、今は社長の本郷大(宅間孝行)が、妻の理香子(鈴木紗理奈)、父の穣(モト冬樹)と共に移動映画上映会や演歌の興行で生計を立てていた。盗みを働こうとした龍太郎には父も母もなく、それを知った社長の本郷大が、龍太郎を住み込みで雇う。
(2)
その日は「ヤマゲキ(山田劇場)がんばれ会」のイベントの開演直前で大忙しだった。龍太郎は開演中、バタバタと大慌ての舞台裏で、東北大学に通う大の娘、さゆり(入山杏奈)にバッタリ出会い、心奪われる。それから一年、興行に苦労し、怒涛の日々を過ごす山田劇場。龍太郎は、九州の山田劇場の分館の館主を任され奮闘していた。
(3)
やがて2011年の春を迎える。突然の2011/3/11東日本大震災の津波で山田劇場の建物は完全に破壊され・消失し、社長の本郷大、妻の理香子、父の穣が死去する。龍太郎は、かろうじて命を保った。彼は、消え去ったかつての何気ない日常の「天国」のような日々を、思い出し涙する。

《感想1》日常が「天国」だと、この舞台は述べるが、実際には、それも濃淡がある。様々な日常がある。「天国」のような日常から、「地獄」のような日常まで。
《感想1-2》舞台で演じられたのは「天国」のような日常だ。そこには、もちろん様々の苦労がある。しかし、それらは克服しうるし耐えうる苦労だ。
《感想2》「天国」である日常と、グラデーション的についに「地獄」の日常がある。今回の舞台は、「天国」である日常の突然の消失の物語だ。(東日本大震災の津波。)耐えがたい悲劇である。

《感想3》日常は残酷だから、「自ら生を終わらす者たち」も多数いる。日常は「天国」でなく「地獄」だ。Cf. 警察庁によれば、2020年の自殺者数21081人、1998-2011年は自殺者数3万人以上。(最多2003年34427人。)(1998年は前年より一挙に8472人増えた。)
Cf. 東日本大震災による津波と原発事故の2011年は、自殺者数3万人台の最後の年だ。
Cf. 自殺者数34427人と最多の2003年は人口1億2771万人。かくてこの年、3710人に1人が自殺している。彼らには日常は「地獄」だったのだ。

《参考》「1998年を節目とした日本経済の変貌~『失われた20年』以外の成長低迷とデフレの見方~」『大和総研調査季報』 2013年春季号(Vol.10)(抄)
バブル崩壊後の1991年を節目として「失われた20年」と言われることがあるが、家計部門の変化の節目は1998年であったと考えられる。正規雇用者の減少とその賃金の低下、一方で賃金水準は上昇しても格段に水準の低いままの非正規雇用者の増加、結果としてのトータルの雇用者報酬(SNAベース)の減少が生じた。さらに可処分所得の減少につながり、家計最終消費支出が頭打ちになるとともに、民間住宅投資もレベルダウンした。家計部門の現金・預金残高は頭打ちとなり増えなくなった。こうした中で、人々の収入に対する不安が高まった。