季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

“手塚治虫のブッダ展” 東京国立博物館(2011.5.7)

2011-05-11 22:32:25 | Weblog
 展示は「仏伝図『兜率天浄土』」(パキスタン・ガンダーラ、クシャーン朝2-3世紀)から始まる。これはブッダの前世を描く。兜率天は須弥山の頂上にある天部で菩薩が住む。初め釈迦がここに住み修行した。今は、釈迦入滅後56億7千万年後に如来となる弥勒が住む。

 「仏伝図『托胎霊夢』」(パキスタン・ガンダーラ、クシャーン朝2-3世紀):6本の牙の白象が夢に出てマーヤー夫人の周りをまわり彼女の身体に入る。釈迦を受胎する。

 「摩耶夫人と天人像(ブッダの誕生)」(飛鳥時代7世紀、法隆寺献納宝物):摩耶夫人の着物の右の袖から礼拝する姿の小さな釈迦像が現れ出る。3人の天女が晴れやかさを演出する。喜ばしい場面。
              

 「誕生仏立像」(鎌倉時代13世紀、京都・大報恩寺):誕生した釈迦が7歩あゆみ、天上天下唯我独尊と言う。その瞬間。威厳に満ちる。花祭りにはこの像に甘茶がかけられる。

 「菩薩立像」(パキスタン・ガンダーラ、クシャーン朝2-3世紀):出家した釈迦(29歳)。王子時代の服装。ブラフマンが王子シッダールタに老病死を見せる。そして彼が出家する。
                    

 「出山釈迦立像」(南北朝時代14世紀、奈良国立博物館):頬がこけ、あばら骨が出た釈迦。釈迦は悟りを得られず苦行をやめ山を降りる。
                      

 「仏立像」(パキスタン・ペシャワール周辺、クシャーン朝2-3世紀):ブッダガヤのヒッパラの樹(菩提樹)の下で釈迦は瞑想し悟りに至り、ブッダとなる。菩薩と異なりシンプルな衣服。ブッダの顔は穏やかである。
                     

 「伝釈迦仏倚像」(飛鳥時代7世紀、東京・深大寺):ブッダが座った姿。白鳳仏。表情が明るい。
              

 「仏涅槃像」(鎌倉時代13世紀、奈良・岡寺):ブッダはきのこを食べ体調を崩し亡くなる。80歳。「生きる者が死ぬことは定めである。みな精進せよ。我は今、涅槃(欲望の炎が吹き消された状態)に入る。」とブッダが言い亡くなる。
              

“写楽”展 東京国立博物館(2011.5.5)

2011-05-07 23:25:54 | Weblog
 東洲斎写楽は、寛政6年(1794)5月、豪華な雲母摺りの役者大首絵28枚を出版し浮世絵界に華やかに突然デヴューする。140図をこえる浮世絵版画を制作。しかし翌年1月に忽然と姿を消す。写楽は「謎の絵師」である。今回の“写楽”展はそのほとんどすべてを網羅する。

 「三世瀬川菊之丞の田辺文蔵女房おしづ 」
都座の「花菖蒲文禄曽我」で田辺文蔵は石井兄弟の仇討ちを助け暮らしの困窮にたえる役。その妻おしづも夫とともに苦難に沈む役で、病身であるために鉢巻をしている。
               
 「三世大谷鬼次の江戸兵衛」
 写楽=「鬼次」というくらい良く知られ人気のある作品。河原崎座「恋女房染分手綱」での四条河原において金子を奪う役を描く。これは威嚇するシーン。江戸兵衛は(乞食であり盗賊でもある)の頭で臨時に頼まれて人を襲う。
                     
 「市川鰕蔵の竹村定之進 」
 写楽の代表的傑作。河原崎座の「恋女房染分手綱」に登場する役。当時、市川鰕蔵は歌舞伎界一のスター。主君から暇を賜り、お能師であった彼はその別れに「道成寺」の鐘入の奥義を伝授する。妻桜木に舞わせ、自分は鐘の中で切腹して死ぬ。
                           

 「三代目大谷鬼次の川島治部五郎 」
 河原崎座の「二本松陸奥生長」に登場する敵役、川島治部五郎を描く。彼が富田介太夫を殺し立ち去ろうとするところへ、介太夫の子兵太郎が来合わせ怪しんで提灯を差し出す。 治部五郎は袖を上げて顔を隠す。すさまじい場面である。
                      
 「三代目市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と初代中山富三郎の新町のけいせい梅川」
 「傾城恋飛脚」(近松門左衛門の「冥途の飛脚」の改作)の一場面。忠兵衛は梅川を身請けしたい一心。そのためには大金が必要。夜更けに江戸から荷物が届く。それは、ある御屋敷に届けなくてはならない三百両。それを懐に忠兵衛はふらふらと梅川の居る廓に向かって歩き出す。梅川は新町の廓で忠兵衛を待っていた。忠兵衛が請け出してくれなかったら彼女は自分が嫌いな客に請け出される。忠兵衛は為替の金の封印を切り公金に手を付け梅川を請け出す。何も知らず夫婦になれると喜ぶ梅川。やがて忠兵衛から封印切りの事実を知らされ驚き嘆く。二人は追手から逃れるため廓町を抜け出す。
                 
 
 「大童山文五郎(ダイドウザン ブンゴロウ)の土俵入り(中)」 
 寛政六年十一月(1794)江戸場所に「張出前頭」としてデビューしたのが当時七才の怪力大童山文五郎。 身長三尺九寸七分(120センチ)、体重十九貫(71キロ)、腹三尺六寸(109センチ)と錦絵にある。当時、大童山はたちまちに話題となった。
        

 「三代目沢村宗十郎の大岸蔵人」
 都座の「花菖蒲文禄曽我」に登場する義人の役柄。絵は開いた扇をもっている侍の半身像。色彩も単純で濃紫、金そして背色の黒雲母の三色。それでいて「人品男振よく」と評された宗十郎の風貌がそのままに表現され佳作である。