季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

“金銀の系譜-宗達・光琳・抱一をめぐる美の世界-”展、静嘉堂文庫美術館(2015/11/19)

2015-11-21 21:28:16 | Weblog
国宝「源氏物語関屋・澪標(ミオツクシ)図屏風」俵屋宗達、六曲一双、江戸・17世紀

「澪標図」(左隻):船には、明石の君が乗る。源氏は、牛車に乗る。場所は住吉明神。すでに明石の君は、源氏の子、明石の姫君を出産。しかし偶然に再開した明石の君は、自分の低い身分を恥じ、海上で引き返す。(なお、その後、姫君は紫の上に養女として引きとられ、やがて中宮となる。源氏は、明石の君を気位の高かった六条御息所に似ると述懐。)


「関屋図」(右隻):光源氏17歳の時、空蝉(ウツセミ)が一度だけ、源氏に身を許す。(彼女は上流貴族の出だが、父が死んで後ろ盾を失い、当時、受領の後妻だった。)源氏は、その後、何度も彼女を口説くが、聡明な彼女は、身分が釣り合わないことから、最後まで、拒絶し続けた。左側は、二人が、たまたま逢坂の関ですれ違った時の空蝉の牛車。29歳の源氏は石山寺参詣の大行列。空蝉は常陸国から都へ戻る途中。右側は、しばらくしてから、空蝉へ「ずっと偲んでいた」との文を贈った時の源氏の牛車。


『通し狂言 神霊矢口渡(シンレイヤグチノワタシ)』国立劇場(2015/11/18)

2015-11-21 17:48:53 | Weblog

 南北朝時代が舞台。新田義貞・足利尊氏らが、鎌倉幕府を倒す。しかし後醍醐天皇の建武新政は、武士たちに不評。この状況を見て、足利尊氏が離反。北朝を建て、南朝方の後醍醐天皇と対立し内乱となる。新田義貞は、南朝方につくが、敗死。その子、新田義興(ニッタヨシオキ)も、武蔵国矢口渡で船底に穴をあけられ、謀殺される。義興の家老由良兵庫助(ユラヒョウゴノスケ)は、新田家を見限り、城を明け渡し尊氏方につく。さらに足利尊氏は、新田義興の嫡子徳寿丸を殺そうと狙う。
《感想》兵庫助が、新田家を見限ったのは、時代を見る目があると言える。由良家の安堵のためには正しい選択。だがそれでは、物語が成立しない。すでに江戸時代の観客にとっては、遠い昔の話。波乱が起きなければ話が詰まらない。

 序幕「東海道焼餅坂(ヤキモチザカ)の場」: 義興の奥方筑波御前(ツクバゴゼン)が、行方知れずの我が子徳寿丸を捜す。兵庫助の妻湊(ミナト)が、夫と異なり、新田に忠義を尽くし、筑波御前に付き添う。新田の遺臣南瀬六郎(ミナセノロクロウ)が六部(巡礼)に身をやつし、背負う笈(オイ)に徳寿丸を隠し、尊氏方の追っ手から逃げる。
《感想》笈が小さいので、その中に徳寿丸が、本当に入れるのか心配。
 
 二幕目「由良兵庫之助新邸(シンヤシキ)の場」:兵庫助は尊氏方から恩賞を受け、新邸を構え大出世。尊氏の信任の厚い江田判官(エダノハンガン)が、兵庫助に、義興の弟義岑(ヨシミネ)の詮議を依頼。兵庫助は従う。この新邸に六部姿の南瀬六郎と徳寿丸がやって来る。兵庫助は、時代の流れに疎い六郎をあざ笑うが、かくまう。そこへ足利の重臣竹沢監物(タケザワケンモツ)が追ってきて、「徳寿丸の首を渡せ」と命じる。兵庫助は、六郎を殺し、徳寿丸の首を監物に渡す。
《感想》いくら時の流れとはいえ、「なんという新田への裏切り!」と兵庫助が、憎々しい。
 二幕目(続):この場に、筑波御前と湊が来る。徳寿丸の遺骸を見て筑波御前は気を失い、湊は、夫兵庫助に斬りかかる。すると兵庫助が「徳寿君、御安泰にてましますぞ」と徳寿丸を抱いて現れる。実は、兵庫助は、新田家再興を六郎とともに計略していた。監物に渡した首は、兵庫助と湊の子友千代だった。足利側を欺くため、友千代を徳寿丸に仕立て上げていた。六郎は、計略を完全にするため、兵庫助に討たれた。
《感想》兵庫助の忠義がすごい。敵を欺くため、筑波御前も湊も、だましていた。しかも我が子を主君のために犠牲にした。六郎の忠義も見事。二人とも、武家道徳の鏡である。

 三幕目「生麦村道念庵室の場」:新田義興の弟義岑と傾城うてなが、尊氏方の追っ手を逃れ、新田家の元旗持ちだった道念の庵に、たどり着く。道念は、稲荷明神に成りすますという計略で、二人を守る。
《感想》「江戸時代には、稲荷明神は霊験あらたかなのだ!」と一瞬、驚いた。しかし、ここは滑稽な場面。当時の人々も、「稲荷明神が現実に出現する」とは思うまい。あくまで、コメディ的設定。

 大詰「頓兵衛(トンベエ)住家(スミカ)の場」:頓兵衛は、矢口渡で新田義興の船底に穴をあけた張本人。大枚の褒美の金を、足利方より受け取り大儲けした。その家に義岑(ヨシミネ)とうてなが、今、一夜の宿を頼む。頓兵衛の娘お舟が、義岑に一目ぼれ。頓兵衛は、また褒美の金を得るため、義岑を殺そうとする。ところが、義岑に惚れたお舟が身代わりとなり、頓兵衛の刃を受け深手を負い、結局、死ぬ。頓兵衛は、お舟の死を何とも思わず強欲の権化。そして逃げた義岑を船で追う。そこに新田義興の神霊が出現、矢を放つ。頓兵衛は、射殺される。
《感想》義岑に惚れたお舟の一途さが、哀れ。このような激情がリアルなのかどうか、疑問もある。虚構なので、許されるという事だろう。

 作者は、福内鬼外(フクウチキガイ)、すなわち平賀源内。矢口の新田神社の依頼で、祭神である新田義興の霊験を広めるため執筆された。軍記物語『太平記』に描かれた義興の最期を題材とする。家臣由良兵庫助は実在だが、ストーリーは創作。頓兵衛とお舟は、架空の人物。
《感想》新田神社近くに「頓兵衞地蔵」がある。頓兵衞が前非を悔いて建立したという。架空の人物が伝説になった。つまりこの義興の神霊の物語は、すっかり有名になったわけで、執筆者の意図は、実現されたと言える。

“マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展”東京都美術館(2015/11/10)

2015-11-11 15:13:00 | Weblog
 本展では、クロード・モネ(1840-1926)の10代から80代までの作品が展示されている。
《劇作家フランソワ・ニコライ、通称クレルヴィル》1858年:モネ18歳の作品。パリへの留学費用を稼ぐために書いたカリカチュア。


《印象、日の出》1872年:モネ32歳。軽蔑と悪意が込められた「印象派」の名前の由来となった作品。


《ヨーロッパ橋、サン・ラザール駅》1877年:モネ37歳。サン=ラザール駅はパリで最初に建設された駅。当時、鉄道や駅は最も近代的だった。


《オランダのチューリップ畑》1886年:モネ46歳。風車、川の水面、川より低い干拓地のチューリップ畑。オランダらしい風景。


《睡蓮》1903年:モネ63歳。睡蓮の池があるモネの家は、パリ北部ジヴェルニーに保存されている。睡蓮の作品は200点以上ある。


《バラの小道、ジヴェルニー》1920-22年:モネ80-82歳。晩年、目を患い衰えた視力で描いたモネの渾身の一枚。モネは86歳で死去する。

“黄金伝説展 古代地中海世界の秘宝” 国立西洋美術館(2015/11/08)

2015-11-09 22:18:33 | Weblog
《ヴァルナ銅石器時代墓地第43号墓》紀元前5千年紀、ブルガリア、ヴァルナ出土、ヴァルナ歴史博物館:世界的に最古の金の工芸品をまとった遺骨。今から6000年以上前である。


《ヴァルチトラン遺宝》紀元前14世紀後半―13世紀初頭、金、ブルガリア、ヴァルチトラン出土、ソフィア国立考古学研究所・博物館:今から3300年前頃のトラキア人の遺宝。1925年、プレヴェン市近郊のヴァルチトラン村で発見。総重量12.5キロの13の容器からなる。土の中から掘り出され、金の容器とは思われず豚のエサ入れにされた。豚が舐めてきれいになり、金とわかった。なお『イリアス』に、トラキア人がトロイアを支援して戦ったとの話がある。


《装飾留め金》紀元前7世紀、金、イタリア、パレストリーナ、ベルナルディーニの墓出土、ヴィラ・ジュリア国立考古学博物館:今から2700-2600年前頃のエトルリア人の金の工芸品。粒金(グレニュレーション)技法。エトルリアは、紀元前4世紀から少しずつローマに併合・同化された。


《腕輪》紀元前675-650年、イタリア、チェルヴェテリ、ソルボ墓地、レゴリーニ・ガラシの墓出土、ヴァチカン国立考古学博物館:同じくエトルリア人の粒金の技法による工芸品。


デボラ・コルカー・カンパニー『ベル』神奈川芸術劇場(2015/11/1)

2015-11-02 16:18:43 | Weblog
身体は、見える心、触れる心である。
心が隠されることなく、身体において露出する。

これが、身体の本来的性格!

上流階級の若妻セヴリーヌは、同時に、実は、「昼顔」Belle の名で娼婦の顔を持つ。
一人の特異な女性が持つ、世間的常識的には分裂した心。

だが、それはセヴリーヌにとっては、彼女の一つの心。
その心が、語られる言葉なしに、舞台上で、身体のみによって表現される。

身体の持つ本来的性格は、普通、語られる言葉によって隠される。
これと正反対に、今回の舞台『ベル』では、言葉が、一切語られない。

「身体だけが、本来の心そのものであること」、それが、今や、あらためて主張され、明らかにされる。
言葉によって、隠されてきた「身体が心そのものである」という神秘が、姿をあらわす。

訓練されたダンサーたちの肉体と、振付家デボラ・コルカーの身体についての深い洞察。
それらが、この身体の神秘を明らかにする。

すごい舞台だった。
身体の神秘の荘厳な顕現である。

“プラド美術館展”三菱一号館美術館(2015/10/29)

2015-10-29 21:22:32 | Weblog
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《アルバ女公爵とラ・ベアタ》1795年:ラ・ベアタは篤信の女性。後ろ姿のアルバ女公爵が、サンゴの魔除けで、篤信の召使を脅かす。キリスト教と呪術の対決。ペルセウスに殺されたメデューサの首から、地中海に滴り落ちた血が珊瑚になった。


ヒエロニムス・ボス《愚者の石の除去》1500-10年頃:当時、頭の中の小石が大きく成長すると愚かになるとされた。その石を切除するのが愚者の治療であるとは、なんという愚行。ボスは辛辣である。

“アート・オブ・ブルガリ、130年にわたるイタリアの美の至宝”展 東京国立博物館(2015.10.2)

2015-10-02 20:39:55 | Weblog
「『セルペンティ』ブレスレットウォッチ」ゴールド、エメラルド、ダイヤモンド、1970年頃:セルペンティはイタリア語で蛇。英語では“serpent”。蛇は、生命・英知・永遠のシンボル。綺麗な白蛇の時計。


「ネックレス」ゴールド、エメラルド、アメシスト(紫水晶)、ターコイズ(トルコ石)、ダイヤモンド、1965年:緑、紫、水色でおとなしい感じ。抑えられた金とダイヤモンドが華麗さを加える。

“うらめしや~ 冥途のみやげ展” 東京芸術大学大学美術館(2015.9.2)

2015-09-04 08:07:39 | Weblog
 鰭崎英朋(ヒレザキエイホウ)「蚊帳の前の幽霊」(1906):三遊亭円朝作『牡丹灯籠』のお露を描いたと言われる。楚々として奥ゆかしい美人。手前の行灯が牡丹灯籠だとよかったと思う。

 上村松園「焔(ホノオ)」(1917):大臣の娘であり東宮妃であった美しい六条御息所を描く。自分自身が知らないうちに嫉妬心が生霊となり、源氏の正妻葵上や姫君たちを取り殺す。また死後も成仏できず、死霊として紫の上や源氏の愛人たちにとりつく。抑圧された自己の嫉妬心の浅ましさに、気位の高い六条御息所は自分を持て余す。




 伝円山応挙「幽霊図」江戸時代(18世紀):「足のない幽霊」を初めて描いたという円山応挙。 落語『応挙の幽霊』では、幽霊は明るく、お酒を骨董屋の主人と一緒に飲んだりする。この絵の幽霊も怖さより、美しさがまさる。

“ミュージカル『100万回生きたねこ』” 出演:成河(ソンハ)/深田恭子(東京芸術劇場)2015/8/26

2015-08-27 10:26:51 | Weblog


100万回生まれ変わる猫の物語。
あるいは100万回死んで、1回だけ生きた猫の物語!

最初は、女の子に飼われた猫。
猫は、ヒモでグルグル巻かれて、死んでしまった。

この猫は、女の子に関心がなかった。

次に生まれ変わって、一国の国王に飼われた猫。
国王は、猫をかわいがる。

戦争で、猫は殺される。
国王が大泣きする。

でも猫は、国王が好きだったわけでない。

猫は次に生まれ変わって、船乗りの猫となる。
船乗りは、猫をかわいがる。
猫は、船乗りが愛妻家だとあきれるが、船乗りに対し何の興味もない。
猫は、海に落ちて死ぬ。

その後も猫は、次々と生まれ変わり、サーカスの手品師の猫、どろぼうの猫、ひとりぼっちのお婆さんの猫となる。
しかし、猫は、飼い主に関心がないし、飼い主を好きになることもない。

ある時、その猫が、飼い主を持たない野良猫となる。
そして「自分のことしか考えなかった」その猫が、なんと、一匹の白猫(深田恭子)に恋をする。

時がたち、年老い、やがて白猫が死ぬ。
100万回生きた猫が、その時、初めて悲しんで泣き、泣き続ける。

そしてその猫も、白猫の隣で死ぬ。
これ以後、その猫は、生まれ変わることがなかった

劇の全体が、童話の絵本そのもののよう
台詞が、脚韻を一生懸命踏んでいて、「頑張っているんだな!」と注目して聴いた。

びっくり箱から飛び出す人形に、びっくりした。
上にいる女優さん(深田恭子)は怖くないのかと心配。

しばしば出てくる歩く魚が、不思議な感じで、印象的。
カメレオンのような大きな怪獣も、愉快。
海の怪魚も、異世界の雰囲気でよかった。

王様が戦争をする理由が、政治的にシニカルで、鋭い観察!
戦争をするのは、目を国外に向け、自分の権力を守るため。
子供向け童話風の王様でなく、現実の王様の行為!

ひとりぼっちのお婆さんの死の描写も、リアル。
眠ること、夢見ること、死んで意識がなくなること、現実が夢かもしれないこと、これらが意味的に行き交う。

船乗りが、愛妻家でなくてもよいのに、あんなに激しく愛妻家なのが、文脈的に予想がつかない意外性。
ベッドの下から、大きな怪獣が出てきて、ビックリ。
猫が怪獣に食べられるれて、また「あれまあ」と思う。

異世界的詩的で印象的な舞台だった。
また歌われる歌詞が、日本語的に違和感なく、素直に受け取ることが出来た。

“クレオパトラとエジプトの王妃展” 東京国立博物館(2015.8.19)

2015-08-20 12:08:58 | Weblog
「王妃ハトシェプスト」前1492-1458頃、ボストン美術館:若い日の王妃ハトシェプスト。まだトトメス2世の王妃であった頃の像とされる。可憐な雰囲気がある。のちに「男装の女王」として独裁者となる。


「アメンホテプ3世王妃ティイのレリーフ」前1388-1350頃、王立美術歴史博物館(ベルギー、ブリュッセル):きりりとして聡明な顔立ち。精巧で美しいレリーフ。


「クレオパトラ」前1世紀中頃、トリノ古代博物館(イタリア):美しい声が魅力で7か国語に堪能だったという。「絶世の美女」を思わせる像。