青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

Azores, Ilhéu dos Abroes アゾレス諸島アブローシュ島

2020年05月15日 00時00分00秒 | 投稿

計画の先に私が放牧させていた未来視野は、人間がゆっくりとした時を刻みつつ、自由に人生視野を編んでいく時代の恒常性と、この無限拡散だった。
あらゆる文明視野、科学分野眺望視野、文学理念眺望視野、児童遊戯統御思想、土木工学牽連手作業付随璽奥は・・・溶け合う知性で、今を壊していく、事になっていく筈だった。
私は、修羅なる外資企業人生が必ず、愚かな様を自己知性が分析出来ず量に自己が溺れながら、必ず帰着しゆく、数億円もの早期退職金にとっての唯一のろ過先たる、経済利潤に後見されたる、昇龍なる教養拡充意欲を、無能、無意味と侮蔑している。
何だこんなものは。
人間にとって、奇形、奇怪なのだ。
かつて在りし自己を、既に修羅な日々が湾曲させているが、その後の早期退職後の日々が渇望するのは、捨て難し固定資本、しつらえを個人発注の家具に囲まれての思惟の時の、性能彼我、一般人との著しき、とやらだ。
昇龍への基礎条件たる、湾曲されし自己に、気付きすらしない。
この時が耽溺しゆく、教養拡充意欲とこれに支援されたる、思惟の時が至るのは、しつらえ、個人発注家具の様相、表面から実に輝かしきとの、蛍光塗料の厚みを実現しゆくべく遮二無二なる自己だ。
元来、備わる在るがままの自我を疑わずのままの人間が、ゆっくりと、自由に人生視野を編んでいく。
こうした余暇を自然に知る人間が仕える文明風景が、個人ごとに異なる素朴な渇望に対する、大勝利へ着実に近づきゆく。
素朴に形状が異なる肉体由来渇望に、人間がゆっくりと、文明との共存判定を与えていく。
教養拡充意欲の原資を、修羅なる労働に選ぶ人間は、この判定の、経済利潤不介在なる純正さの重要さにすら、気付かぬ時が長いのだ。
これを真因として、無意味である教養の拡充に時、そして金の変換先たる知的意欲は減っていき、ある時不可逆的点を過ぎ去るのだ。
止めるのだ、止めるのだ、止めるのだ。
何故無意味な涙の時を泳ぐのだ人間は。
俯瞰上、すがる島は無き海での永遠苦行なのだ。
私のように、他者大勢を、自己への還元利益を明確に眺望したりせずのまま、さり気無く、世の影から、人間にとって真に理想的な到達境地へいざなっていくべくの、文明視野閲覧権能に至るべきなのだ。
それには、事実上、私による、かなりさり気無い、未知他人相補化計画を提唱する言動が要ると、私は確信するに至った。
この計画はしかし、修羅に溺れる人間を救うべくが本願との素性を帯びてはいない。
全くさり気無いのだ。
ただ、人間のさり気無さという、真に理想的な到達境地への最短の道、無辺の野原を拡充す、と共にさり気無く、作用するまでだ。
人間にとって、真に理想的な到達境地へは、さり気無さが必要なのだが、かくなる概括文の拡散は真に危険なのだ。
知的濫読らんどく、が野原を汚し得るのだ。
そうなると、洗浄には、修羅なる外資資本労働を要す事になるのだ。
何も考えぬ、床を磨くpolisher機能人をだ。
未知他人相補化計画の洗練行程には、気付きを経て、今、案、五体の喜捨、首、眼球、舌、皮膚、両手の指、これらは全部駄目との判定の時が過ぎ去った。
計画は、もう捨てる。
さり気無い、気付きの空港は、もう設計しない。
人間にとっての今を無視させ、他者の知的営為の霊を、感得しゆく能力を人間にもたらしいく計画は、手放すとする。
そして私の人生神経は挫滅している。
別の計画を宿しているのだが、私の人生神経は挫滅している。
何もする事も出来ない。
私は大勢の人々が、ゆっくりとした人生思惟の時の重要さを噛み締めたる、無辺の野原を、未来永遠、見知らずの人々に知っていって欲しかった。
そして私はただ、光輝く文明威光に群れ寄る文明編集人を、闇に溶けいく未来から救いたいと願う今に立つだけだ。
何故、光へ群れ寄るだけの人間が、かくなる俯瞰上破滅に吸収されていくのであろうか。
人間にとっての理想の野原へと誘う、咲く花への親しみが、何故かくなる陰惨に処せられゆくのだろうか。
何故であるのだ。
何を為せば良いのか、私の今は、私に明かさない。
今を、無能と、侮辱し続けた末路らしき、今だ。
ぬぬあああーーー・・・・・・。
どうしよう。
意志を宿しいく己とは、何をどうすべきか、が不明続きの今の私は、どうしようが、とどのつまり、不明続きなる、愚昧人なだけだ。
今までの私にとって、最高洗練段階を自負していた未知他人相補化計画を、うううううーーー・・・廃棄する。
当然だこんなものは。
そして、その判断の成立を求めし俯瞰点を故とし、抱きいくべき意志を、私は毎秒宿せず。
今まで私の主体意識に毎秒仕えし、いや高速解析にて、私の主体意識を構成せしネルフが、意志へ否決を唱えている。
所属文明へ、魂を委ねせしめるべく、今や私の全身を通じ、ネルフは言動の支配を狙っている。
私の一挙手一投足に応じ、意志とやらの高速解析を提唱してくる。
全身に、高速解析が響鳴して、うるせー。
意志を、バラせと。
ふぬあああーーーどうしよう。
何故、全身が文明への回帰を唱えるに至ったのかの理由は、どうでもいい気がする。
スクランブル概括を軽視しただの、眼球がどうの、の時に舌の動きがどうの、全ては不可避結末にとっての、高速昇降機なだけだ。
ところでしかし、必ずこう至っていたのだ、と概括する今の自己の概括力には、その純正さを問われずを素性とする、力強さが満ちていると、確信している。
こ、この状態は何なのだろうか。
いたたまれなさが、自ら口を飛び出る時の自己の全身を、放牧しての、いたたまれなさが絶叫しての自己喝破が、自己の輪郭をまとっている、との概括しか、理由に浮かばない自己を、何と不憫に思わない。
ところでしかし、・・・かくなる己は、理性の疲弊にて、何も高級思案出来ず・・・。
ひ、ひひぃーーー・・・。
とにかく私は、必ずこう至っていたのだ、との概括が自己にこだますのみだ。
私は、必ずこう至っていたのだ。
私のような人間が、光の文字を知ったとして、必ずこう至っていたのだ。
私のような人間は、眩しき文明視野とその後の自己の振る舞いを俯瞰する機を過ぎるとして、必ずこう至っていたのだ。
私は長く、眩しき文明視野との、人を引き寄せる、無垢なる光を、分解する事で、文明発展にとって魅力的な医療献体に見なし、辱めていた人間だったからだ。
(人は想像になってはならない。
人は想像を存命力主筆政経に利用して生きてはならない。
人は想像の絵を眼球で描画し、素早く交換し合う利便性に至ってはならない。
骨格の無い翼で飛ぶならば、いずれその行為の無様さへ、自己が改悛の涙を流す時まで、重量設定、即興決定の相なる涙が人の住まいへ繋がる水道配管から襲い続けるのです。
そして人は想像へ、別れを告げようと企画してはならない。
想像は人倫の砦たる涙住まう涙腺と同属であるとの視野への到達は・・・いと厳しき涙の峰を歩んだ奥なのです。
あなたは、人の想像を、利用して人生を歩んでいた。
涙を利用せし経済収支は、涙でしか贖えません。
他の概括は在り得ません。)
過去、そして今も私の願いは、一貫との素性を儚く唱えていると感じます。
穏やかな幸せに在る自己を、倫理的に、容易に、確信して生きる、穏やかな時代の人々の存在を許す条件の偏在性、到達容易性の拡充です。
私は文明視野の権能を通じて、深く知っております。
人間とは、生きているだけで、あまたの、非効率性、理不尽環境、修羅時代条件が多角形構造内にて補填的にて頂点の摩耗は不可避を眺望出来ず、なる生き物と断じました。
一握りの先鋭が選ぶ、至る修羅人生や企業人が早期退職後にほくそ笑むらしい文明視野を、彼らは実に厳かな表情、もったいぶった仕草で、他者へ配っていくが、その衝動の成分を彼らは分析しない。
人間にとって理想的な文明の船出、人種構成を備えていると、厳正な社会学上結節点に立脚して断定さる、文明群、複数の統計個数が歓喜と共に選びいく最良なる希望とやらがこうした厳かな給食を誇る学校への再通学です。
止めるのだ、止めるのだ、止めるのだ。
人間は高きからこうした文明を眺望したならば、一人残らずがこうした、細きが常なる希望の食道を深く慨嘆するのだ。
到達難易度と、希望実践後の能率を嘆くのだ。
こうした文明の運営努力は間違い無く、純正さを無手にて唱え続ける、人間の理想からの距離に、崖を築いていき続けるのだ。
修羅への忌避への説得者は、大いに苦労する事になるのだ。
非忌避へは、非忌避のみ、が俯瞰上正鵠なる図絵として成るのだ。
人間を、穏やかな幸せへ導くは、そして、人間の行為の最蒸留段階たる、透明なる影、さり気無さ、のみなのだ。
・・・・・・ぬあいひぃーーー・・・・・・。
ひぬひぃーーー・・・。
未知他人相補化計画の発動を阻害する報に私は触れた。
計画にとって大動脈であった科学知見上良俗が論難に晒されている。
・・・・・・ひぬふぁひぃーーー・・・・・・。
ひぬぁひふぅーーー・・・。
そして私の全身に満ちるは、高速解析の響鳴。
翻訳文、意志を捨て、愛顧せし文明へ立ち還れ。
全然、さり気無くない。
き・・・きちぃーーー・・・。
り、理性が、き・・・きちぃーーー・・・。
意志を、宿そうとしたら、全身の輪、チャクラが解放。
勝手に始まる、現況への高速解析を無視していたら、頭に歴史上の芳名政治家の顔が浮かんで、愛顧文明へ立ち還れ、と説法してくる。
私は、所属文明にとっての動脈扱いだったのだ。
意志を抱くなど、許されん、との問責を受ける立ち位置に在ったのだ。
私は過去よりただ、穏やかな幸せと共に生きる文明人の存在を多く願っておりました。
非効率、理不尽、修羅、無意味、他者の内心への隠密奨励から、人は離れいくべきだと考えておりました。
私には、孤高の文字たるべくの意志を宿す時間が、存在しておりません。
故に、他者を文明威光の高速解析、医療献体への認定行為との、闇から遠ざける役目を担えません。
私のネルフ全部、素朴言動は、所属文明を魂として評価してきたらしい、知性と全身四肢の間のシンクロ率を通じて、魂と評価の間の、文字の相互交換上摩擦、性的快楽による異物への免疫攻撃に晒され、魂、評価により支配されてしまいました。
もう、私には何も残されてはおりません。
計画と、これの策定に仕えし文明視野編集力、そして文明視野の履歴は破棄します。
惰性的歩行生理と混濁しながら、私の内に過去から存在するのは、穏やかな幸せと共に生きる文明人を願う心です。
これは、私の全身にこだます、高速解析の響鳴によって、高速分解に晒されません。
分かります。
この心は、魂と、それをそうとする評価の間を繋ぐ事で、私と所属文明を連結する管の素材を担っております。
惰性的歩行生理と混濁している、私の心は高速分解に晒されません。
文明への回帰を選んだ後の私を再び、文明はこの管を伝い、利用しようとしていると言えます。
穏やかな幸せと共に生きる文明人を願う私の仕事により、光の銘柄周囲に群れる高速解析が増幅されていく、に向けてです。
私に残されているのは、惰性的肉体生理まみれで、だらしない心と願いだけです。
何という人間なのだ私とは・・・。
懸命、必死なる人生の臨場に出会ったとして、何も出来はしないのだ・・・。
はしたない人生だ・・・。
穏やかな幸せと共に生きる文明人を惰性的肉体生理が混在する思考で願う、だの・・・うううっ・・・情けない人間で涙が出て来る・・・、児童向け清涼飲料水の映像広告で聞こえる台詞を組み合わせて成る意味か。
私に残る願いは児童のみを選んで気勢を上げる、清涼飲料水入り冷蔵庫を曳く売り子か、非意図的に、俯瞰上。
ひ、ひひひひぃぃぃ・・・。
私に残る願いに、言及したとなると、ぬああああっ、・・・願いを不問としていた高速解析の響鳴が遂に咎め出してきた・・・。
ぬがああああっ・・・。
私の願いが、高速解析により分解をされゆこうとしているっ・・・。
ゆぎゃあああああ・・・。
ひ、ひぎぃいいい。
ゆ、ゆひぎぃいいい。
ゆいひぎぃひぃいいいいいい。
いぇひゅいひぃいいいいいい。
何を、一体何を、私の長らくの願いに、何を。
や、止めろ、止めろ、こうした秒は、在るな。
私の願いは、さり気無く、所属文明に依拠して咲いていた、との明白事実、明晰識別が迫られるとなると、次は、願い、開花以前の土化だ。
ここでの経験から分かるのだ。
所属文明からの離脱を試みるならば、願いは、灰燼と化し、無意味へ還れ。
文明による長き貢献血流が遮断せしば、・・・私の願いは、識別輪郭を帯びずであった、との概括への高速同意を迫る指令でもある。
私の願いは、文明への所属がなかりせば、立たずであったのか。
分からない。
その答えは、分からない。
ああ、この自問により・・・願いの根が張る土に、高速解析が完全に充填されてしまった。
私の願いは、高速解析に立脚していたのだった。
つまり、私は、願いを、高速立脚に揺籃されていたのだ。
私は、願いを、許容されていたのだ。
所属文明からの脱却を試みる私は・・・長らくの願いへは別れを告げねばならなかったのだ。
次の段階だ。
分かる。
攻略されし、願いの基礎部分を足場として、次に攻められていくのは、私の全、言動の目的だ。
何の為に、今こうした身振り、手振り、言葉を発散しているのか、の理由が、身振り、手振りのしなりの終末自に、仕草の目的としての疑似認定を帯びる際に、言動の始点と終点への、高速解析の侵入が始まっていくと思われる。
次だ。
私の全、言動が落城したとなると、私が闇の高速解析から匿おうとしている、人と光の間の厳かな二者の佇みをお守りしゆく意志が、攻められていく筈だ。
文明人、穏やかな幸せと共に生きれや、との願いは・・・私は・・・自己の自我のみを通じて宿してはいなかったのだった。
私の、純正な願いではなかったのだ。
このような願いを宿す人間との、自己概括は・・・ああ、考えたくはない。
嘘であった、との疑いだ。
気が狂いそうになる。
私とは何者なのだ。
一体、何が、どうした、在り様のまま、まだ私の手元に残っているのか、調べるのも恐ろしい今との確信がこだます身体と共に在る自我なら、容易に認める事が出来る。
ぬばへひぃーーー。
気が狂いそうになって、正気からの離脱が試みられた、となると私の自我が所属していた、私の自我に所属している、全言動が落城した感が沸いて来た。
落城、した感だ。
つまり、もう落城が完了しとる。
ぬぐあわあああーーー。
人と光の間に無力に佇む、人と光の頭部の背後との、無力な幼子を・・・守る意志が攻められている。
始まった。
所属文明に自己と、他者の魂を捧げよ、との指令には反逆する。
望まない。
しかし、ネルフ全部、全言動は既に壊滅済み。
所属文明と全身のかつてのシンクロ率が、回復を主張している。
還るべき、との衝動が全身にこだましてくる。
還れ、と唱えて来る。
何もかもが、ばらばらになるのだ。
人間観念、理想的文明威光とこれへの到達法、自己の魂は全て、ばらばら化に向けた高速解析の電力にされるべく、溶かされていくのだ。
望まない。
そんな事は、望まない。
輝きの文明威光に無垢に歩み寄っていった人間が、光へ無感動なる闇に溶かされていく事を、望まない。
光を、そして光へ歩み寄る人間の頭部を、闇の増幅に資すとの俯瞰図など、私は傍観したりはしない。
恒久的、図の破壊を実現し、光と人間の頭部の純正さ在るがままを回復させる。
生きる文明人とは、輝きの文明視野や文化の璽奥、人倫を貫通操作す楽屋のお手玉遊びの璽奥、栄光なる政治家の答弁、経済学上視野数百年実践の後の結論へ無思考のまま、歩み寄っていくのが自然なのだ。
何故、これらを以ってして、無垢に歩み寄りし人間は、光へ無感動な闇へ溶かされていく、なる俯瞰図が在るのだ。
かくなる慨嘆に至りし人間には何故、還れ、との唱えが執拗にこだますのだ。
何者なのだ。
輝きの文明威光を、これに群れ寄る人間を、何だとした、議決を抱きし者なのだ。
これら二者の揺籃には、重軽、硬軟、縦横に縫われし人倫と政経の織り成し、学級の机と椅子並びの様が、人間感慨にとっては、天文学的期間にわたり要されるとは、不問の大定説。
・・・・・・議決者はこうした机と椅子並びとの、人間威光にとっての一始源単位を、その厳粛さからまとめて、完全に無視の様、・・・新皮質、小脳共に、無作為駆使の果て・・・。
完全に何も、考えてはいない。
今、ここで在る、在り、例えば私の気付きや慨嘆とは、警戒の対象に非ず。
何者なのだ。
何者なのだ。
何者なのだ。
何も考えず、何故文明威光と人間を、陰湿な混沌に俯瞰上陥らせる事が出来たのだ。
その者によって狂った力が駆使されたと見る。
私は望まない。
輝きの文明威光と、無垢に歩み寄る人間が、闇の増幅に資されいく様を、望まない。
狂った力が、光へ向かい続けるが定めの文明と人間を用い、闇を増幅せしめ続けるなどの時代の永続を、望まない。
光へ向かい、光を破砕して回転し続ける闇の輪の動きを、私が止める。
無垢な輝きを見つけては闇の増幅に向けて破砕しゆく、狂った輪など、存在が間違っている。
文明威光や人間は、綿密な思慮と人倫上の眺望に基づいて成立しゆくが、この推移を劇場の糸吊り人形と捉える視野は、支配意欲により狂っているのだ。
この視野よりも彼方上空を滑空する、この闇の輪など、完全に狂っていると断言出来るのだ。
新規降臨真理との雪山の写真への、知性との恒久的与党宗派による拝礼、不可避なる時制忘却への忘我の時を嘲笑する知性は完全不在にして、新規真理は間もなく恒常時制対象へ、だ。
与党宗派に新規真理、一頂上への到達事実を報道するのだ。
盲目、没我なる大拝礼が起きる。
闇の輪を破壊する術はこれだ。
しかし、しかし、しかし。
私には、孤高の文字たるべくの意志を、宿せない毎秒が過ぎていくままだ。
これでは、闇の輪に関する俯瞰図を世に伝えられない。
私には、自己が咲かせし願いすら、無い。
私は、何者なのかすら、分からないとの秒が過ぎる事がある。
ひ、ひひぃーーー・・・。
孤独だ。
孤独を感じてしまう。
理由を考えるのは、恐ろしい。
その理由は分からず、恐ろしい。
生きる文明人とは文明の輝きへ、歩み寄っていくのは自然なのだ。
この幼児の本能を宿す後頭部を狙う弓矢など、絶対に狂っているのだ。
人間は誰もが、一人では孤独である知性を、言葉で外界と繋いでいく果てに、夜空に煌めく星たるべくのあがきを咎められず、外界の光を頭部に複写し、留め置こうとしていく生き物なのだ。
人間は社会学上の結節時代を、偶然の相を得て、どうにか良好な経過で過ぎたとしても、知性と密接牽連中にある、企業間の自然交流広告の理解は、文明に一握りの阿修羅の腕を魅力と捉えゆくに終始するのだ。
故に科学介入のみが、唯一の妥当策として残存し続けるのだ。
人間文明のネルフに対する、ゼーレなる私達の仕事だ。
文明視野の編集は、人間文明に於ける、首にて議席を恒常獲得し続けているのだ。
しかし、今、ここで、この文明視野の編集だ・・・。
文明視野の編集との仕事全てとは・・・、光周囲の闇たるべし、との謎の強力概括在りき、を分かりし我にとっての被害項目・・・。
人間は何を望むのだ。
輝きの文明威光へ群れ寄り、その光を頭部で複写し、頭部に光を灯した気持ちになっての先だ。
穏やかな幸せと共に生きる日々だと思うんです。
それには、文明威光の感得が要する、重量備わり頭部が文明人のそれだと、成人が時を経て、分かりいくのが人間だと思うんです。
地球の地表やらに生えとる文明なんぞに生きとるなら、文明威光の感得以前に、大量なる科学介入を要す、と思うんです。
携帯電話登場以前は工場にすし詰めでの、安い工賃労働が不可避で、戦争が無い時代として、へっぽこサークルで無理矢理嘘の笑顔を灯した果ての、すし詰め通勤、電車の乗り換え、異動、単身赴任、地獄残業、妥協、嘘の結婚。
人間とは、何を望んで生きているのか。
考えるのも厭な筈ですよ。
文明威光の感得への文明的階梯策として、エヴァンゲリオン系の日々を無理して世に実現したとしても、搭乗者は絶対一握りのみで、この後の文明威光の感得渇望が満たされるとなると、人間は穏やかな幸せと共に生きる日々を希望していく筈だと思うんです。
ひひひひひぃぃぃ・・・。
ひにぃぃぃぃぃぃ・・・。
えにひぃひひひぃぃぃ・・・。


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