青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

Azores, Ilhéu da Vila アゾレス諸島ヴィラ島

2020年05月09日 00時00分00秒 | 投稿

光は何故こうも私を・・・ああ・・・罰だ・・・罰し給たま、う・・・。
無謬無欠の真理、雌雄との二者輪郭の荘厳は、非新世紀福音戦士系の企画まみれの人生の私を、いつか必ず、恐らくは、との推測言及品詞を瞬時に処刑し、いつ、必ず、選択逡巡の相を一切見せず、過去、現在、未来を統べる、人間存在観念、建立の柱文字として、罰し給う、のだ。
光は、如何にして、惟神かんながら、のまま罰を、私という闇に深く呑まれし頭部籠りをお与えになるのか。
ああ、闇の推手が、無手の頭部で勝手に始まる。
光へ自らすり寄りし私の頭部があるとして、光は分け隔ててはならぬ、神話、国生みを担う女神と男神の二柱、それぞれの胸と腕に抱く神具、創世への畏れ多き、言及憚られる惟神のお動き、事前予定との徒弟頭部緊張皆無の様へ、一瞬すら遅れず微笑並走続き。
光は、仕事の能率化を図るべく、惟神の神具のお動きが感光したる黒板を遂に、作為意思にて参照し、未来軌道を伝達する先との、行動予定自認との舞台の黒子朧を確保しゆく、力み命令を抱きいくか。
いや、一瞬すらそのような、奇形作為とは無縁の筈。
女神、男神、二柱、胸、腕、抱き、神具、惟神、創世営為、各々が孤高にまといし放電現象の集積は、星の淵にこだます、対異星人対決意識の人間の瞳を選んで降りる光、異星人打倒策を励起す異常、無限の知的興奮のように、人間知性による素手介入をお避けになる筈。
光とはただ、創世胎動をお選びになるが、黒板を昼食前の肉体生理を露呈して眺める癖のある人生軌道が、宇宙塵じん、回収へのベンチャー企業事業を紹介するプロジェクター大画面を、大学教授知性で分析したとして、プロジェクター大画面に許しいかない事は、ベンチャー企業が宇宙旅行参画済み企業との共同事業を着想しゆくべくの、宇宙塵は今や、クルードラゴン計画の宇宙船に、への視野の筈。
昼食前の人生軌道分際が、宇宙塵回収事業に参画しゆくとして、そんな奴は塵の喰い方を、同輩と知的口論しゆく能率を知的啓蒙されていくのみで、その下品さの周囲宣伝ぶりとは、宇宙旅行参画済み企業には無機的、無感情に嫌われてしまう筈。
昼食前の人生軌道が、星の淵での、宇宙塵回収事業に参画したとして、星々が放つ光とはただ、惟神に在るがまま。
叱責に向けての、一切の作為などとは、無縁。
しかし回収事業には、星々が放つ光、クルードラゴン計画の宇宙船の群れに潜む、一般人の瞳が周囲で眩しく映える。
しかし回収事業、同輩との知的口論の果ての、宇宙塵周辺の衒学知見、言動の手足が宇宙船の着脱型燃料槽のように重い。
星々の光を灯す一般人の瞳を映す、クルードラゴン旅行企業の映像広告を、昼食後のくつろぎ時や就寝前の悔し酒が自由に検分する。
光には近づけない、との慨嘆を認めゆく。
宇宙塵回収の能率に関し、長らく付け上がった思考の癖だ。
クルードラゴン企業には、近づけない、と教え諭してくる、辞書索引はこれだ。
そして、それを自己に推して来るのが、光を灯す一般人の瞳だ。
光はいずれ、人をいざないいく。
光はそして、黒板筆記喫食履歴との、着脱型燃料槽人生を嫌う。
星々の光を灯す瞳を映す映像広告は、参画する人種の構成に比したる感動拡散力を数値換算する分析に処してはならない。
宇宙塵回収事業に携わっての、利益指向、唯物史観思考性癖者を、クルードラゴン企業に、無機的に避けさせてく、または思考性癖者に慨嘆をもたらしいくのは、一貫として、創世胎動をおめとりにになりいく光。
而して、何故光は創世より、ただ在るのか、との問いによって、価値を概括牽引さる問い群や知的推論群とは、これらを知的衝動しゆく人生にとっては、頭上へ降る着脱型燃料槽の構成物質を分析せよ、という罰が実相。
人間との、着脱型燃料槽、大小無数利用思考生物は、何故光は創世より、ただ在るのか、との創成への精神、頭抜け飛翔を発射せしめる問いを、抱くべきではない、と自認すべき義務を認めゆくべき、と指摘可能。
人を内に抱き、光を、放つ、星を、ベンチャー企業勤めの人間が、利用しゆく際は、光、星、いずれを問わず、映像として記録媒体に焼き付ける、熱にしゆくが、それへの情熱を集める演説場は、証券取引所。
人の情愛を、無利益で間抜け表情の時間と、皮肉る恐れを、光、創世より、在る故への問いと、黒板筆記喫食履歴との間に、知性が感じる。
一貫として、光はただ、創世胎動と共に在るがままだ。
私は光へ憧れるも、頭部には闇の推手が満つ。
光を、粒子とまとい朧二者へ、分解して得る理解愉悦へ、高速で変えゆく、人間を溶かしいく力への、いざないが。
私は映像広告を見てはすぐさま、文明への感動拡散力を断定しては次々と、突入すべき、容易分析、掌握すべき他文明の映像公告を着想していく。
創世胎動と共に在る光は、罰の故を、故無き、切り裂く腕仕草推手、路上披露の日々に求める。
即ち、楽屋と正統舞台の間の廊下、芸徳皆無ながら無許可侵入中肉体重量を、恥で焼く。
他者に心理を告白せしめる俳優を真似し、切り裂く腕仕草推手、路上披露人、即ち、他者の威光を印契に集めては、独我思想や独欲の為にそれを結び、世を歩む、現実四肢の実働量、皆無判定なる、波動行為者を、光は罰し給う。
光との、眩き、頭抜けし視野色、結ばれし一印契は、創世胎動を証明するが、疑似創世を誇りしとの履歴者には、結びへの憧れの指を想像させゆき、罰しゆく。
その故とは、疑似創世知性には、攻略に向けての掌握が、出来ない。
出来ずの故も、創世への侮辱、パソコンでの指遊び履歴者には、掌握は出来ず続け。
光との、真の創世印契は、疑似創世者への平伏の成功を調べず、覚えず、ただ永久とわ、にご奔放。
決して、平伏履歴を誇らず、平定力を文字で知ろしめず、驕らず。
・・・感じる。
故に、人の一部は疑似創世へ走る。
知性、文字の暗記で、外界の光の成分を手前勝手に、頭部の内で、平定し、勝利の凱旋人生を続ける。
いずれ、罰を受けると、見る。
疑似創世者への平伏の成功を覚えず、明かさずとの、真の創世の証により。
罰への推移は、光へ群れ寄りいく光虫が如くの人間頭部が、憧れを想像しゆくとの、光、舞台での璽奥仕草が、文字を無視する、覚えずの様と相似。
疑似創世者は、璽奥紋様が均一の着物が詰まる箪笥人生。
光は、土方苦労知らずの、多弁な卸屋をいつぞやかに罰しゆく。
光は、こう在る。
人は、こうした自由を選び得る。
ところで、人がその自由を選んだのならば、こうした罰を光から受けていく。
その様は、作為を選びし人が、無作為そのものなる創世の光への、憧れを呼び覚まされゆくとの相。
一連の故を、疑似創世者は、掌握を出来ず。
そして、光、在るがままと、共に過ごした人ならば、掌握などを全く衝動せず立ち位置にある筈。
つまり、一連とは、首を、飾る、装飾品を、収める絵、が在るとして、装飾品を、飾る力と、見なしめゆく、首の素肌の繊細構造、は装飾品へ隷属したる、土台か、との問いへの答えへ至るべく、熟考する人間は、不可避的、非意図的に、一連全てに内在する、美的含意を収奪していき、政治的堅牢風体声帯を、宿しいくが、以上を分析、納得せし人間は、重量警鐘知見上陶酔人に、至っていくので、とにかく、かような問いを、繁茂せしめずべくの、業界視野、懸命広報人については、業界横断意思潜航疑惑濃厚人につき、首を、飾る、装飾品を、収める絵、とは分析してはならない、との一、非文言理解の周辺の相。
絵の周辺は、異常重力であり、全てが危険。
首を、装飾品で、抜け抜けと飾る、が根源だ。
人の一自由であるが、その自由は、頭部の下、唯一の食道の表面を、美化すべくの、装飾品を、装飾品業界から選別している。
選別との首が、装飾品の運命を下品に呑む際に、一度のみ、食道を認めている。
一連を、首を、装飾品で、飾る、との企画は、無作為多数の他者の、軽快歩行中倫理に、提案する。
すると、歩行中審美の目は、一度のみ機能との、使い捨て型食道を野放図に容認しゆくようになる。
首を、装飾品で、飾る、との企画は、文明総体に、刹那的欲望の大穴を、穿孔しゆく。
こうした危険を、文明俯瞰視野人が、ある時察知する。
ところで、この察知を明かすとなれば、装飾品業界にとっての、首回りが、水銀まみれ段階の、業界指標素材によって囲まれてしまう。
首を、装飾品で、飾る、の愚かさとは、人が言語を経て、学ぶ事ではなく、脊髄から頭部へ、呑ましめられゆく他は無い、との主張を専横する、人間、無言のままの啓示を受け、その主張と愚かさを同時に、無言完飲する他は無い。
これMalice Mizerの時。
装飾品業界が、使い捨て型食道を、備え歩く人間の目を浴びる文明とは、すべからく、重量、無言、悪意含意舞台へ、芸能が指向しゆく。
装飾品業界にて、懸命徒弟段階との技術者の運命、現在から未来にかけてを、使い捨て型食道常用人の豪奢政経視野が、幾度と無く、侮辱の視線を投げ掛けてくるからだ。
豪奢政経視野にとっての公園が、犯されて生む子息によって、占有されていく推移の起点がこれだ。
堂々なる創世の光を崇める、古代から現在、来歴とは正統なる結社の徒弟、装飾品業界の技術者の、現在、未来、過去を弁別、隔離認識せずとの人生脊髄、至高なる恒常時制主張力は、使い捨て型食道との、戦コル知略、闇の瞬間時制人の女を奪い、闘争手腕同士の衝突の機を誘う。
世界進化の光とは、人間は、見詰めてはならない。
首の回りの装飾品への眼力を、重くするのみだ。
脊髄を牽引する最中の、全力の姿勢を知性で笑う自己、世を認めゆくのみだ。
全力の内の脊髄こそが、光を、星から集め、まとう。
全力の脊髄のみが、侮辱知性人による知略を犯し、泣かせ得る。
一連とは、言語にての理解は、人には、臨床上有意を及ぼさない。
全力の脊髄がまとう光のみが、その光を、世に知ろしめゆく術を、当人に明かす。
光、世での成功度合いを分からない。
しかし、他人、光虫との群れ寄り具合が気になり、そして光の眩き、頭部への君臨力へ、奇怪な笑みを向ける。
こうした振る舞いを披露する人種が、過去既に周囲に晒している、覗き見利益を得る為の、肩への両手押し、頭部浮かせとの嫌がらせがある。
これは必ず、光の周囲の光虫に、統計的に、光の構成情報の寸評を、奇怪な笑みへ、伝えさせていく。
所属文明で、いつもうるさいこいつらの、内部衝動を、大人しくさせる、本能的察知ごとが、寸評との、一時的、奇怪な笑みとの頭部連結行為だが、これに、建国期の死後科効能及び、携帯便益が、街の大画面として光輝くとする。
頭部連結行為を、方々で、多様な形で、ひたすら推進しまくる。
当該人種は、光、世での成功度合いを、単独では分からない。
奇怪な笑みは、今や、光周囲の光虫の、顔や、姿勢を見るだけで、光の概要を、遮二無二、分かるらしい、顔の表面筋肉立ち位置に在る。
実相は、“他人を分析へ押し付けて、理解や、理解後の陶酔利益の概要を搾り取っている”、との自己分析通り。
光を察知しては、先に群れ寄っている他人の背中を押す、との風体を仄めかす言葉を発さずのまま、他人から、理解を搾り取り、一人では分からない、光の眩さの概要を、同類へ放言しまくっては、光を陳腐化しゆく。
同類と共に、単独人種では、光で世を照らせない、編めない。
ただ、光周囲でしつように濃き闇。
アトランティスを読み、そのような自覚に至っている。
“他人を分析へ押し付けて、理解や、理解後の陶酔利益の概要を搾り取る”、乱暴搾取の日々人は、平易理解可能性を他者へ、提供しない、出来ない、自らの指で編めない。
人権とやらを、備えている。
建国期の死後科に由来する、このエストロゲン内の凶悪構造は、コロナ菌の構造に相似す。
“懲罰的焼きごて受難の相を各種、無視しまくるつもりだった、無根拠判断と映像快楽疾走人をトゲ付き車輪で絡み取っての現実疾走企画”、をこの世界で、実施履歴として残しいく、との成文がかつて遠くの星で存在した。
死後科偏在であったそこの文明の人間の、特に人種衝動を、死後の懲罰成文関連法典が咎める事にする。
成文曰く、当該人種を、急いで消す、との効果を求めず、だった。
この世界で、履歴を、残す、が成文の、趣旨だった。
罰の存在や、視野快楽の所以を、一切無想像続きの当該人種に、この世界との、子宮筋の痛みを、俯瞰上、刻印してやるの儀、が翻訳。
死後科ではなく、人種衝動を、論難していた。
何故、故無き、視野疾走判断に明け暮れるのか、と。
ところで、懲罰成文関連法典は、論難の儀の果ての、私生児を一切無視していた。
私は考えるを、昔から、統べられている。
その主体を、一切問えず、が深みだ。
人間を、私はどう捉えいくのか。
・・・その答えは、人間を溶かす力が人間を都合良く統べる法文を、無垢に利用しゆく描写が、それだ。
私は、自然と群れ寄り行く先の光を通じ、勢いに選び、理解したと信じ込み、そしてまとう輝きを世に放射しては、私の考えに他者をいざないいく。
ああ・・・私に、明瞭、立方体なる意思はかつて備わった試しはあるのか。
ただ、群れ寄る光を、瞬時に、高速に、分解理解しての、光を効率的に理解する術を、他者に無償伝播しゆくとの、大気中の死後科イオン成分、音の克明化効能が生業だ。
人間は、どう考えるべきとの、頭部へ時と共に下降しゆく、時計の長針が如くの峻厳な問いへ、私が抱く答えは、正解とは程遠い筈だ。
然るに、問いに答えられない私は、人間を、非人間的分類に処しいく、動物図鑑索引への加筆力が、人間美称記憶に混入した属性を、いつぞやか何者ぞによって指摘され得る。
・・・どうすべきなのだ私は・・・。
・・・恐ろしい・・・。
両膝を地に着け、両手で側頭部を抱える、うなだれた背中は、自己が頭取と営業を務める、あらゆる倫理的取引の担保を担う銀行の経営破綻を恐れる。
精神的快楽視野の視神経、倫理的美称を大勢で唱和していた女子学生は取引で得た、文明的視野、人間の尊厳達筆への貢献役の硯すずり、品目だったが、これらは全て、私による虚偽取引、詭弁投資家しつらえの結果。
私は、このような、絶望の淵に他者を、至らしめず、の力を、大勢の頭部を連結する状態との、死後科イオン成分、大気中で映像を克明化効能で支援されたる夢を通じ、ただ、大勢を俯瞰上、忘我へいざなっていた。
夢からの目覚めが訪れし、偶然の方は、すぐさま、このような絶望の淵へ。
今の私には、分かる。
夢への没入、忘我の輪とは、いずこかよりの搾取を認めずのまま、卑怯に頼っていたのではなく、この輪を更に広く包む、人間を溶かす霧へ隷属しての、人間生態への穿孔現象、無限燃料運動に在った筈だ。
光に群れ寄る、人間生態を、侮蔑し、分解し、霧の増幅に資す、が軌道だ。
一連には、知的介在や、願望の作為形跡が見えない。
つまり、事故の相が強い。
いずこから、人間を溶かす霧が漏れ出した過去にとっての、未来が今の私との一例だ。
立ち上がり、わなないて震える両手を肩と頭部の間に咲かせる。
私は、何故この広間にいざなわれて来たのか。
私による、過去の、高品位文明視野や、それを支援する利器品目解釈、会話快楽に関する銘柄閲覧履歴が、強力な演算機によって計算され、霧の増幅をいざなう、ねずみ講の更なる大衆受けを画する、アニメ配色の増幅を担う、・・・それへの、への、へのの増幅を遂に、容易に担う、大土木企画への参画者とは私だ。
自らの意思で、のうのうと、ひらひらと、舞いいでし先、この広間で私が・・・閲覧済み銘柄をただ、抜け抜けと美称していくだけで、恐らくは大勢の他者が、夢への没入、忘我の輪に誘われていく筈だったのだ。
間違い無い。
仕事の報酬として私は、他者の頭部、懸命な営為の輝きを、より詳細に、より高品位に搾乳しゆく作務が、未来の毎秒おきに放物線軌道にて要しいく平然さを、漸進的に大気吸入確保しゆく奇怪な肺を、異空間手術されゆくであった、であろう。
文明や、他者の、頭部領域の、懸命な営為の輝きを、文明や他者の営為、効率的、輝度増幅に資すは、倫理的に公明、との論証を回避しながら、他者の頭部を、肉体生理呼吸と共に凝視すは、・・・倫理的瓦解姿勢選択か、との問いは何故・・・未来、文明によって・・・問いの記憶の想起を回避し続けられないのか。
現在、未来、人は、頭部、全身は、粒子とまといに、隔てられず、奔放に輝き続ける。
この恒常的不変事実が、いずれ罰していたであろう、闇に隠れ潜む人間の問答だったのだ。
私は、この広間での土木企画を通じた、・・・問いの記憶の想起を・・・回避し続けるべくの何らかの印契、真言詠唱との意識波動、増幅の時を・・・避ける・・・。
他者の頭部を、凝視せずのまま、文明や他者の営為、効率的、輝度増幅に資す・・・。
その意思を選びたい。
私がこの広間で至った気付きを以ってして、人間が溶けゆく闇の輪の寸前に、観念造形思考中人間を、確実に循環思考疲弊に至らしめる、緩衝領域との輪を構造化す。
人間、溶解の果てに関する、私の確信を、巧妙に文頭からして、既に子宮内妊娠したる、奇怪な間抜けさに満つ、人間観念、編纂例索引とは、これの閲覧権を有する人間の、観念造形意欲を、挫滅させゆく様、主観的論理性を、当人に輝かせつつ。
閲覧権、行使中の者とは、頭蓋に響く、成文読解上の絶望に弱い。
屋根裏部屋で夢の逢瀬の時に聞こえる、来週開催の運動会の予行演習の声は、明日には僕達の番。
・・・・・・、気付きが有る。
人間の、行為付随なる、溶媒、鈍重機能体重、梱包材、泥素材の台座との、理性では鋭敏統御、不可成分こそが、人間にとっての、自由な夢、毎秒生々しき純正の様を、保証するが、その精密さとは、食用孔雀の卵の表面紋様。
人間美学と、科学利器想像の獰猛度への、同時無視の様、他方が他方への美しき君臨収奪度、七対三、二対八、一対九との、人間美学と科学利器、共に想定不可能との茫然敗北、三観点連続の果ての、“野蛮さの奥座は神聖、是挑戦不可なる失明の光”。
人間美学、死後科学利器、共に卵の表面、純正印象なる二個目を、描画不可能。
そして、この卵の表面紋様を以ってして、文明の璽奥情報を収める倉への鍵穴として、閲覧候補者に資格を問う試みは、“紋様が湛える美学上の悲しみを拭おうとせずのまま、鍵穴に登用したる、己の至らなさ、文明の璽奥とやらを殻の内に守りゆけずである、己の至らなさ、閲覧候補者は間違い無く、悲しみに気付かず仕舞いに違いないと、決めつける己の至らなさ”が、空気中拡散しゆく様へ無言。
文明の璽奥情報との、奥座ごとを、倉に収めよう、適切利用に向けて、陳列確保しておこう、つまり文明にとっての、記憶され役兵士に、しつらえてしまおうとの、欲望がどこかに沸くとして、それを遂に、俯瞰上、実施せしと大喧伝したに等しきは、奥座ごとにふさわしい、獰猛具象なる帯留結び。
科学で判明している。
一連の推移とは、文明いずこの倉、パソコンにて要求さる暗号投入の画面、いや人間の懸命営為中頭部、いずれにとっても、貫目足りずの衛兵気取りへの、嘲笑増幅の時。
“野蛮さの奥座は神聖、是挑戦不可なる失明の光”の近くに陣取ろうとする、あらゆる営為への。
あまりに奥座の、文明の璽奥情報とは、すべからく、ふさわしき、獰猛なる帯留を戴冠するものだが、文明、情報管理機構、人間頭部、何者にとっても、記憶へは罰をもたらす。
許されなかった。
卵の紋様を複製する術の覚えだ。
野蛮、奔放なる、神聖紋様を、人間が掌握しゆく営為だ。
複製の術が備わるなら、必ず、俯瞰上、実施済み大喧伝が成功する。
とにかく、俯瞰上、奥座の文明の璽奥情報、記憶され役兵士しつらえ、との捉えが成立す。
そうすれば、そこら辺で運用さる死後科が、遮二無二璽奥情報を溶かし、人間への分配実績を記録していき、遂には、奥座情報、無套路発勁の人間を誕生させるであろう。
奥座なる文明の璽奥情報は例えば、戦争終結答弁、余裕確信中の政治家の、泰然精神構造だが、これの習得とは激烈に非倫理判定が常。
しかし、獰猛帯留が在らばその内、その政治家の読書傾向やらを踏襲するだけで、不動明王なる対人喝破力が備わりいくべくの、着想傾向を強要する利器を嗜好しゆくようになる。
私の周囲では、これが成っていったとの報は皆無であった。
然るに、“野蛮さの奥座は神聖、是挑戦不可なる失明の光”がまとう神聖紋様を察知し、遂に掌握しゆくとの着想衝動者が、さっさと鍛錬し始める推手の存在などは、許されず続けであった。
外界を鋭敏に警戒し続けた矢先、無思考突撃の体が致命なる一撃を加えるも、自己満足を諌める為、完遂表情とは無縁。
型、何らかを、本当に習熟している者なら、これ前後の、至らなさ、間抜けさへの、遭遇確率を、容易に指摘出来るというのに、アホは、警戒せず、他人を突き当てて、野蛮紋様周囲の、筆圧のみを、大喜びで、カーボン紙複写せしめていく。
自己の武徳と人生は、稀有なる筋肉断裂症例に至るのだが、どうしようかなお巡りさん、二百名以上は。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする