岩塩が
これの、小さい版に置かれている。
ネパール、インド、香港、上海、難波。
夕食の、やや後半に、この一品のみが出されていた。
一個の価値は、かなり高めと把握されており、追及すると七千三百円に落ち着く。
これを丸一個を、お一人にお出しし、毎度廃棄。
岩塩は客への喰らわし、を極大化する、とねおは見た模様。
これは、歯が立たぬ菓子とは違い、味蕾による味わいに仕える、味わいにとっての過去、丁寧化を本当に図ろうとしていた。
岩塩を舐める、かじろうとする、注視する、配剤が分からず悩む、無視に処す、無意味さに呆れる、いずれも自由。
ねおは分かっていた。
御客は必ず、何らかの試みの歯を、岩塩にお立てになる筈、と。
銀の皿は、御客、何も無実施のままながらの、無視を、許さない、と。
岩塩が岩肌に埋まり、鎮まっていた過去にとっての運命軌道を、一瞬で、変更議決せしは、人間側の都合。
かくなる俯瞰上指摘の連続の果てに、岩塩の周辺に、堆積せしは、美形量、岩塩大なる、取引への魅力や衝動。
この衝動を、岩塩を載せる皿に、籠める術がある。
そう、強固主張しゆく手筈がある。
岩塩を、人の、素肌に塗り付けてもまだ、平然であると強固主張する理性者とやらの、勝手な揮毫、筆でのほざき企画、が手筈とやらを、規定しゆく。
手筈とは、それが正解であると、当人の頭部の内にて、強固主張されいってしまう。
そう、強固主張しゆく手筈がある、との指摘とは、以下を知る者が、歌ってしまう、まだ宙を舞う習字紙への磔、絶命運命をのたまう、占い文字である。
それは、素肌への塗り付け、まだ平然と強固主張との、つまりは堅牢構造なる毛筆の柄と毛の境の勁さ、との自己や他者が、いつぞやかに、自己に教え込みたる結果ごとである。
勁さの、実相、真価は教え込み也。
教え込みにとって、岩塩と銀の皿の差異は、加工、純粋印象の有無である。
加工は、この場合、眼前の者に、覆い、覆われ、いずれ弁別の機を、理性に伝える・・・否・・・伝えるに非ず・・・理性の舌を経ず・・・機の味を咲かす。
何らかの味を、既に、舐めつつの、眼前、岩塩視野、解釈の時、味を想像する時は、必ず、破綻する。
想像により成立した結果を、必ず自己知性が、疑う事態に至る。
内心、違うと、疑っている、を意味する。
加工が、弁別の機の味を理性に咲かす。
そして数瞬の時が過ぎる。
これで良し。
一連の推移について、確信に等しい硬度にて、発生を信じ切りし者は、岩塩大なる、取引への魅力や衝動を、岩塩を載せる皿に、籠める、自己が在ると主張し得る。
その者は、岩肌に埋まる岩塩の運命軌道を襲いし、一瞬へ挑戦し得る。
客が、何らかの試みの歯を岩塩に立てようとした、との俯瞰上指摘を、その者は知的搾取の対象に選ぶに能う。
これは、容易にはかじれぬとの印象を露呈する万物を、知的咀嚼しいく人間は、俯瞰上必ず、岩塩、飴、いずれをも大量輸入に処しいき、物の通関手続き、運命軌道を、歯との一瞬で、襲い続ける事になる。
しかし、こたび、ねおで、かくなる成文筆記ご事態に、俯瞰上、ご協力頂きました。
とにかく、以降、当方は、御客の一瞬を挑戦の対象にお捉え致した上で、取り計らっていく所存ですが、一切についてはまだ、人の手に襲われる寸前の岩塩が如く、無言です。
ねおとの、何らかの信じ切りごとに仕える左脳を攻撃力と認める側が、相手である客を付き合わせてでも、丁寧に従うべきと見なしていた一作法がこの岩塩と銀の皿、進呈の時だった。
攻撃力の旅館、ねおはとにかく、岩塩を客の眼前に置くべし、と何者かに命ぜられていた模様。