お詫びと訂正がございます。
昨日のログで「気がついたら観閲部隊が」といいつつ、受観閲部隊の艦の写真を掲載してしまいました。
昨日のシルエットクイズ、正解は425「ましゅう」だったわけですが、
「ましゅう」は受観閲部隊でかつ、訓練展示隊であるため、観閲部隊と同じ方向から航行してきて、
このあと前方でUターンするために、このとき猛スピードで観閲部隊を追い抜かすところだったのです。
このクイズには、艦名こそ違ったものの「洋上補給の訓練展示に参加した補給艦では?」
という答えを下さった方、「満州に似た名前」と限りなくニアピン賞のさくらさん、
そして、ある意味当てて当然の元自衛官鷲さんの「ましゅう型補給艦」というほぼ正解、
三人が三人ともそれなりに正解という素晴らしい成績で、予想通り、
このブログ読者のレベルの高さが証明されたわけですが・・・
え?エリス中尉はなぜわかったのかって?
そりゃあなた、パンフレットに参加補給艦は「ましゅう」って書いてるんですもの。
シルエットさえ確認できれば誰にでもわかるって(爆)
「ましゅう」は、この後の訓練展示で「はるゆき」と「せとぎり」に、洋上で餌やり、
じゃなくて給油を見せてくれます。
本日はしかし、わが艦「ひゅうが」の連なる「観閲部隊」の写真を中心にお送りします。
冒頭の「嗚呼堂々の大艦隊」は、画面右から
403 潜水艦救難艦ちはや 176 護衛艦ちょうかい 129 護衛艦やまゆき
4203 訓練支援艦てんりゅう 177 護衛艦あたご
「ちはや」「やまゆき」は横浜新港から、「あすか」「ちょうかい」は木更津公共埠頭、
そしてこれには写っていませんが、残りの観閲部隊のうち
105 護衛艦いなづま 103 護衛艦ゆうだち
は横須賀から出航してきています。
関東圏4つの港から、それぞれ別々に出航した10隻の艦船が、いつの間にかこうやって、
隊伍を組んで今や艦列をなし、観閲海面へと向かっていたのでした。
観閲部隊の先頭には103 護衛艦ゆうだち(4,550t)が立ちます。
103 護衛艦ゆうだち
「ゆうだち」は我が「ひゅうが」の三分の一強の大きさ。
エリス中尉、艦上でO氏の防大の先輩、護衛艦の艦長から定年時は内幕勤めだった、
という元自衛官のA氏に非常に長時間(胸元が日焼けで炎症を起こすくらいの時間)
お話を伺っていたのですが、A氏のお話によると、この観艦式、
全てが秒刻み単位でプログラムされ、それを制御し、実行するということが
「艦隊の力の見せ所」でもあるわけで、全艦気の抜けるところなど一瞬もない、
と言うほどの緊張を強いられるのですが、その中で
「おそらく最も責任重大で重圧を感じる」
艦が、この「先導艦」。つまりこの「ゆうだち」であるということです。
先導艦の指揮によって観閲部隊は航行するわけですから、つまり「ゆうだち」の航海長、
あるいはタイムキーパーを務める航海士などは
「生きた心地がしない」
というくらいのプレッシャーを感じているはず、なのだとか。
甲板にいる人の数を見れば、「ひゅうが」がいかに大きな艦であるかが分かりますね。
きっと結構揺れたのではないでしょうか。
ところでなぜ「ひゅうが」の二つ先を航行していたフネが、このとき艦首を左にして見えているかというと、
これは艦船観閲が終わった後、相模湾沖でUターンし、「ひゅうが」とすれ違った瞬間だからです。
144 護衛艦くらま (5.200t)
これもA氏のお話によると、旗艦、とくに観艦式本番の旗艦はやはり一国の総理が乗るわけですから、
一般人にはあまりにも行動制限が多く、ストレスフルな乗艦となるでしょうとのこと。
と言うことは、この日(10月8日)「くらま」に乗った方々は確実に本番の参加者よりラッキーだったと。
詳しい方、教えていただきたいのですが、本番に観閲官たる内閣総理大臣が洋上で乗艦するとき、
ヘリはこの「くらま」の二階か下甲板どちらに着艦するのでしょうか?
そして、航行中の、風もあるであろう洋上で、首相を乗せるヘリ、さぞかし緊張することでしょうが、
こういうのも「技倆ナンバーワン」みたいなパイロットが特に指名されて選ばれるんでしょうか。
読者のある方の報告によると、観艦式本番の様子は自衛隊のHPで生中継されていたそうです。
後日ビデオでも公開されると思うので、見てみることにしましょう。
余談ですが、この方の報告によるとこの日野田総理は、その訓示で
「領土や主権を巡る様々な出来事が起きている。
新たな時代を迎え自衛隊の任命は重要性を増している。
諸君が一層奮励努力することを切に望む」
そして、海軍五省を読み上げたそうです。
選挙が近いからって日頃の行いに倣わず保守に媚びるのもどうかなと言う気はしますが、
さっそく新聞が
「旧軍を意識した首相の訓示は論議を呼びそうだ」
と、さも中立ぶって実は「その筋の方々」を煽っているので笑いました。
・・・・もうさ、マスゴミ、この世から滅びていいから。
ところで、観艦式に先立ち、関東の各港では集結してきた護衛艦の一般公開が行われていました。
指定の時間にそこに行けば簡単に中を見学できたわけですが、
この「くらま」だけは、公開は勿論、どこに停泊しているかも明らかにされていませんでした。
皆さんは勿論この意味がおわかりですね?
観艦式当日、首相の乗る艦に、前もって見学者を装い忍び込んで爆発物を取り付け、
「40ノット以下に速度を落とすと爆発する」
なんて脅迫をするテロリストがいないとも限らないからです。(たぶん)
さて、「ゆうだち」「くらま」「ひゅうが」に続く観閲部隊の四番艦は・・・
176 護衛艦ちょうかい(7,250t)
この「ちょうかい」というと、やはり旧軍時代の重巡洋艦「鳥海」を想起します。
「重巡洋艦鳥海の見た零戦」
というタイトルで、零戦乗り坂井三郎がガダルカナルから傷ついて帰ってくる途中、
傷ついた目に認めた重巡がこの「鳥海」ではなかったか、と書いたことがあります。
坂井自身は戦後「このときの重巡は青葉だった」とはっきり書いているのですが、
一方で作家の丹羽文雄がその著書「海戦」において「ふらふら低空で滑空する飛行機」
(零戦とは書かれていない)を見たという話を書いており、これが坂井機の可能性もある、
という、単なる「推測話」をしてみたわけです。
しかしながら小説「海戦」で表現されている当時の周りの状況と、
坂井がラバウル帰投直後に撮られた写真の時間的整合が取れないないため、
このことは、もはや検証することの出来ない「歴史のちょっとした謎」で終わりそうです。
(この項を読んだ皆さん、くれぐれもこれは『推測』ですので本気にしないようにね)
「鳥海」はレイテ沖海戦で被弾、駆逐艦「藤波」の魚雷で処分されますが、その後、
「藤波」は敵空襲により撃沈、藤波乗員共に総員一人の生存者もなく戦死しました。
閑話休題、
その名を次ぐ艦としては四代目になるのが、この「こんごう型四番艦」の「ちょうかい」です。
177 護衛艦 あたご
それにしても、gooブログの「フォトブログ」申し込みをしていて
今回ほど良かったと思ったことはありません。
護衛艦の写真、縮小してしまうと、実につまらなくなってしまうので、
出来るだけ最大のサイズでお見せしておりますが、
こういうことができるのもどうやら「フォトチャンネル」に登録しているかららしい、
と今日になって実感しているわけです。
この「あたご」は、観閲部隊の五番艦、しんがりを務める艦で、
実は「ちょうかい」より少しだけ大型です。
しかし、たかだか250トンの違いは、並んで航行していてもわかりません。
前述の坂井三郎が「(見たのは)青葉だった」と言った件ですが、
「青葉」(9千t)と「鳥海」(1万2千t)は同じ重巡でも大きさはかなり違うので、
見間違う可能性はないのではないか、とも思うわけですが、
洋上で比較するものがない場合、正確な大きさを把握するのはまた至難の業だと思いました。
我われは何度も言うように「観閲する側」ですから、受観閲艦はもれなく見ることが出来ましたし、
同じ観閲部隊の艦も周りの海を後になり先になりして(必ずしも艦隊の隊形は固定ではない)
その姿を見る機会がありましたが、意外とちゃんと観ることが出来なかったのが、
「観閲付属部隊」の五艦の後方のフネです。
付属部隊は、艦隊の外側を航行しており、受観閲部隊がその真ん中を航行するので、
こちら側からは盲点になってしまっていたのです。
それでも何とか全艦影を確認することが出来ました。
105 護衛艦いなづま(4,550t)
夏前に呉で見学した106「さみだれ」とは同型艦で、そのときも隣に仲良く停泊していました。
また会えたね!
6102 試験艦あすか(4,250t)
この「試験艦」というのは何かと言いますと、各艦に搭載する装備を、
「取りあえず積んで試験してみる艦」ということのようです。
搭載武器は勿論、誘導装置、ソナー、塗料に至るまで、何でもかんでも、
この「あすか」で運用前のお試しがされます。
さらに、有事にはいきなり駆逐艦に変身することもできるのです。
「身体張ってる」漢(艦ではなく)です。
少し画面をスクロールして「ちょうかい」の艦影と見比べてみて下さい。
艦首の形が、この「あすか」はぐっと前方に突きだしているでしょう?
これは、艦底にバウソナーOQQ-21試作型を付けているため、
投錨したときに錨がソナーに当たらないような配慮なのです。
そして興味深いのがこの「あすか」という艦名。
勿論奈良県の明日香村に史跡のある大和朝廷「飛鳥」から取られています。
これは、試験艦の命名が
「名所・旧跡の文明・ 文化に関する地名」という基準から来ているのだとか。
403 潜水艦救難艦ちはや(5,450t)
潜水艦の事故の際出動する深海救難艇を搭載しています。
この救難艇もまた潜水艦です。
潜水艦事故は、旧軍時代「未帰還の潜水艦のうち半数は戦没では無く事故だった」
と言われるほど多く、またひとたびこと起これば生存の可能性の低いものでしたが、
科学の進歩と共に深海救難のノウハウが出来てきて、現代においては
このようなフネもまた運用されることになったということです。
あの「えひめ丸」事件の時は、愛媛県の要請で事故海面で遺体の収容に当たりました。
129 護衛艦やまゆき (3.050t)
もうこのあたりになってくると、艦隊の写真からトリミングしたものしかありません。
かろうじて、受観閲部隊がこの「やまゆき」と我々「ひゅうが」の間を航行しているとき、
「いせ」の向こうにその姿を認めることが出来ました。
そして、観閲付属部隊後尾のこのフネに至っては
4203 訓練支援艦 てんりゅう (2,450t) (左側)
全写真を目を皿のようにして見ても、これしか見つかりませんでした。
この訓練支援艦、というのは、世界的にも珍しい存在で、自衛隊独特のもののようです。
つまり、護衛艦が対空ミサイルなどの訓練をするときに、その標的を打ち上げる係。
なんと、それ専用艦艇です。
これも元掃海艇艦長A氏のお話によると、その「デコイ・ミサイル」、勿論それを狙って訓練艦は
ミサイル発射するわけですが、当たったら当たったで後片付けが面倒?なのと、やはりエコなのか、
「当てたことにして当てない」のが、「皆様の自衛隊」の基本方針なのだそうです。
しかし、狙わせておいて当てるな、とはご無体な注文ではあります。
実際にも「当たっちゃう」ことが多いそうですが、
わりとマジで狙いに来て、見事命中させ、内心
「やったったった!」と快哉を叫んでいても、口では
「うっわー当てるなって言われてたけどうっかり当たっちゃったwやべーやべー」
などと言っているのではないか、と邪推する心の汚れたエリス中尉。
反論受け付け・・・・・ません。
まっすぐ並んで進む「ちょうかい」「あたご」、そして・・・・・・・・
・・・・・・・あれ?
「あきづき」?
うーむ、いつの間に、受観閲部隊の旗艦「あきづき」が後ろに来ていたのだ。
フネの航行速度は遅いようで速く、見えていたと思ったらすぐに見えなくなり、
それは今後展開される観閲や訓練展示の予定に添って、
各艦が緻密に動いていると言うことでもあるのですが、
このようにあとからチェックしてみると「あれ?なんでこんなところにこの艦が」
ということがいくつかありました。
「あきづき」は、もしかしたら観閲部隊の後ろにくっついたまま観閲されたのかしら。
というわけで、受観閲部隊の観閲記は、次回。
いつものことながら、いつになったら終わるのか、うっすら不安になりつつ、明日に
続く!
各艦の大きく鮮明な画像、素晴しいですね。
坂井さんの見た巡洋艦の件、護衛艦「ちょうかい」クラスの艦橋形状は、「高雄」級の巨大といわれた艦橋を彷彿させるものが有り、それにもちなんでのこの級の艦名選定と聞いた覚えがあります。「青葉」とその特徴的艦橋を持つ「鳥海」ではやはり鷲さんのように、海軍のパイロットだったら見間違う事は無かったのかもなぁ、と鮮明な画像見ながらふと、思いました。
補給艦から護衛艦への「エサやり」・・・・・・・・・・・・・・。
萌えました(^^)。
とても良く撮れています^^
3年後、もしチャンスがあれば、ぜひ行ってみたいです。
「青葉である」というのも、そのときの認識では無く、当確海域に二隻で航行していた重巡クラスのフネ、と言う絞り込みを戦後行って、青葉だと判断しただけのようです。
「鳥海」の丹羽氏がふらふら飛ぶ飛行機を見た頃、丹羽氏によるとあたりは真っ暗だったそうなので、もしこれが坂井機なら鳥海の艦橋の形状を見分けることはさらに不可能だったかと。
どちらにしても、こういう理由でわたし個人は「鳥海が見たのは坂井機ではなかった」と考えています。
さくらさん
弘法筆を選ばずといいますが、こと最近のカメラに関してはその技術進歩は凄まじいものだということが、この一連の写真で確認できた気がします。
ひとえにこれは「カール」のおかげであるといえましょう。
ぜひ、三年後はトライしてみて下さい。
本当に素晴らしいですから。
今回、このブログで観艦式の魅力を少し伝えることが出来たのなら、前幕僚長はじめチケットを取って下さった関係者に少しは恩返しできたのかもしれません。