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お正月京都旅行〜祇園料亭旅館編

2022-01-11 | お出かけ


MKの自粛期間は1月1日まででした。
1月2日なった途端、文字通り自粛明けましておめでとうございましたとばかりに、
三ヶ日を外して京都へ家族旅行に行ってまいりました。

つい最近紅葉を見に京都に行ったことをここでご報告したばかりなのですが、
関東在住の関西出身者にとって、京都というのは実に不思議な街で、
行かなければ行かないで平気なのに、一度行くと、なぜかすぐ来たくなるのです。

特にコロナ以降、すっかり外国人観光客がいなくなったため、
街が記憶に残る昔の姿に戻ったようで、京都愛は募るばかり。

今回お正月旅行に京都を選んだ理由はそれだけではありません。

この冬、わたしたちは、コロナで大学が閉鎖になった時に
カリフォルニアの豪邸にMKを1ヶ月も避難させてくれたクラスメートを、
日本に招待しようとしていました。

結局、コロナ新型株の蔓延でそれも計画だけに終わってしまったのですが、
彼に日本を存分に満喫してもらうつもりで、京都の宿を取ってあったので、
せっかくだから家族で泊まりに行こうということになったのです。

一泊めは前回と同じ、祇園の料理旅館の別館です。


こう見えて暗証番号解除式(木の札の下がタッチパネル)

今回は公共交通機関での移動を避けて、車で行くことにしました。
うちで免許を持っているのは他にいないので、運転はもちろんわたしです。

関東関西間の長距離ドライブは結婚して関東に引っ越ししたとき以来ですが、
その時とは違い、今では新東名、新名神が開通していて、
6時間もあれば京都に着くことを、いつも京都に車で帰省している知人に聞いて、
そんな早いなら、と思い切って車で出かけてみました。

道はまっすぐで制限時速が120キロと走りやすいし、混雑も全くなく、
何より途中のPAがどこに止まっても綺麗で施設が充実していて、
とても快適なドライブ旅行を楽しむことができました。

世の中っていつの間にかどんどん不便がなくなり便利に変わってるんだなあ。


余録というか、ついでに驚いたのは、自分の車の恐ろしいほどの燃費の良さでした。
愛車はクリーンを謳ったディーゼルエンジン搭載型なのですが、
ほぼ満タンで出発し、京都に着いた時にはまだ半分残っていました。
つまりその気になれば無給油で往復できたことになります。

しかも軽油なので、ガソリン代は往復してもせいぜい6,000円くらいという計算。





さて、今回もお世話になる祇園の料理旅館Sさん。
昔から続く老舗なので、こういうのも平安時代ものだったりするかもしれません。

ちなみにこの川にかかる橋は、現女将のお婆ちゃまが独断で設置したそうです。
一応橋というのは民間人が勝手にかけたり外したりしちゃいけないんですが、
そこはそれ、戦中のどさくさに、そら橋があった方が便利やし、ということで。

戦後、お役人が条例違反摘発の見回りに来て、いつから橋があるのか聞かれたとき、
お婆ちゃま、当時の当家女将は、

「そうどすなあ〜」

だけでケムに撒いて乗り切ったそうです。
これ、何も答えになったはらしませんやん。
言う方も言う方やけど、これで納得して帰る役人も役人やわ。


別館の玄関に飾られたお鏡は、なんと餅ではなくザボンでした。
確かにお餅と違い、松の内ずっと飾っていてもこれならカビが生えません。

ってそう言う理由かどうかは知りませんが。



料理旅館の床間のしつらえは季節毎に変わります。
今回は見た目もめでたい大徳寺の坊様の書いた書、松飾り、
そして炭を俵のように積み重ねて稲穂をかけたお飾りでした。


着いて最初にお茶菓子をいただきました。

お菓子は京都の人なら誰でも知っている、銘菓花びら餅。
中のピンク色の餡が透けて見える可愛らしいお餅で、
必ずゴボウが挟んであるのが標準仕様でございます。



荷物を置いた後、長時間の運転ですっかり硬くなってしまった足腰を動かすため、
MKと一緒に鴨川の河原を歩きに行きました。



上流に向かって歩いていくと、向こうまで渡れる飛石があったので、
向こう岸まで渡って河原を折り返して戻ろうと思ったのですが、
如何せん、わたしの履いていたスカートの裾幅が思っていたより狭く、
飛石を飛ぶのに十分なほど足が広げられないことが最初の跳躍でわかりました。

かろうじて最初の石に飛び移ったものの固まっているわたしに、MKは

「やめた方がいいよ。俺だけで行く」

と言い、さっさと向こう岸に渡ってしまったので、諦めて戻り、
川を挟んで反対側の河原を歩き、四条の橋の袂で落ち合いました。


部屋でPCのレイアウトをしたり、作業をしているうちに夕食時刻になり、
わたしたちは本館に向かいました。

玄関の右側が食事をいただくカウンターとなっています。
他のお座敷と違い、カウンターは掘り炬燵形式で床暖房が入っているので、
正座の苦手な外国人宿泊客にも優しい気遣いです。


お正月ということでまずは竹のお猪口で日本酒が出されました。


雛飾りのミニチュアでしか見たことがないようなお膳。
この会席膳を「八寸」と言い、これに乗って出されるお料理も八寸と呼びます。

ちなみに八寸を運んでいるのが当家の女将さんです。
CA出身の別嬪さんなので、その筋では有名人なのではないかと思っていましたが、
たまたま人から、彼女が関西放映のあるCMに出演していると聞いて、
やはりと納得しました。(空気清浄機か何かだそうです)

着物の模様に合わせた薄紅色のマスクをしておられますが、
今回彼女のマスクから出た目が必要以上に「笑っている」ことに気がつきました。

接客業の方は意識しているかもしれませんが、単なる愛想笑いだと
口元が歪むだけなので、マスクで隠されると笑っていることがわかりません。
客に心から笑っていると認識されるためには、彼女のように
全身全霊目で笑わなければ伝わらないのかもしれません。

京都のお客商売、プロの中のプロの真髄を垣間見た気がしました。



手前、松の葉にお菓子のように彩り良く色んなものが刺してありますが、
黒豆、千社唐、そして千呂木なるもので、これは「チョロギ」と読み、
ソフトクリームみたいな形の、生姜みたいな味のする物体です。
シソ科植物の根っこなのだそうですが、赤は染めてありオリジナルは白です。


向付(むこうづけ)は懐石料理の刺身,酢の物などのことです。
この日の向付は伊勢海老、モンゴウイカ、ヒラメのお造りでした。


鍋で出てくるわけではありませんが、「鍋物」です。
魚のメインで、河豚煮に聖護院大根と高菜があしらわれています。


この日の焼き物は鹿肉のロースステーキでした。
フランス料理以外で鹿肉を食べたのは初めてかもしれません。
和食料亭のステーキなので、ソースはバルサミコ酢ではなく黒酢です。
付け合わせは普通にリンゴのコンポートでした。


デザートは柚子に入ったゆずシャーベット、紅白イチゴ。
驚きの美味しさだったのはクリームチーズとナッツを乗せた干し柿でした。

この夜、MKは父親に連れて行ってもらって祇園のバーを初体験しました。
祇園には古い町屋の内部は思いっきりモダンなインテリアの
お洒落なバーがたくさんあるのです。


次の朝の朝食です。
わたしは日頃朝食抜きの生活をしていますが、今回だけは特別。
京都の料亭旅館のお雑煮が食べられる滅多にない機会なので、
わたしもTOも迷わずお雑煮付きの和食を選び、MKだけが洋食にしました。

箸袋にはちゃんと名前が書かれ、お膳に添えられた和紙には
女将が前日の会話などからヒントを得たメッセージが
毛筆で認められていて、食事の席に話題を提供します。

何気ない会話の時も、女将は頭脳をフル回転させているらしく、
このメッセージに頓珍漢なことが書かれることはまずありません。
記憶力も大したもので、夕食の会話の中で次の日の朝食について
メモも取らずに客のオーダーを聞くのですが、
(和食か洋食か、餅が何個だとか、コーヒー紅茶どちらにするかとか)
それが間違えて出てきたことは一度もありません。


そもそもわたしは雑煮というものを好きでも嫌いでもないのですが、
京都の白味噌仕立ての雑煮だけはなかなかいいものだと思っています。

お餅を焼いて入れる地方もあるようですが、京都では丸餅は
湯通しするだけで煮るので、あくまでもとろけるような柔らかさ。

この旅館がそうしているのかどうかは聞きませんでしたが、
京都では毎年、をけら参りで頂いたおくどさんの火を、
雑煮を作るために縄に点して持って帰るという慣習があります。

なぜに京都のお雑煮は白味噌かというと、それは神様が白色がお好きだから。
なぜ丸餅かというと、角がなく円満でありますようにという意味があります。

さらに京都の歳神様は生臭いものがお嫌いのようなので、
出汁も昆布で取ると決まっているのだとか。

同じ神様と言っても地方とご利益によってお好みも色々のようで、
西宮戎の神様は生臭いもんどころか、マグロ一体奉納されてますが。



ところでこの旅館は、海外にも多くのファンを持っていることで有名です。

女将によると、あるドイツのお客様は、毎年必ずやってきて
この旅館に泊まり、夜は舞妓ちゃん芸妓ちゃんを引き連れて、
彼女らにご馳走するのが生きがいだという、ある意味ディープな日本通でしたが、
コロナ禍以降、その無上の喜びがどんどん後回しになっていき、
半年先を予約してはそれがダメになってガックリ、を何度も繰り返しておられ、
女将もお断りしなければならないのがとても辛い、と言っておられました。

日本人なら何とか規制の間隙を縫って「京都欲」を満たすことができますが、
海外のファンは全くその道が閉ざされ、随分寂しい思いをしているようです。
せめて今年は海外からの客を受け入れられるようになってほしいものです。

もしそうなったら、MKは3月にクラスメートを招待したいと言っていますが、
こちらもどうなりますことやら。


さて、女将がわたしの朝食膳のメッセージに書いてくれた言葉とは、

「京都の奥座敷のアマンまでお気をつけて運転なさって下さいませ」

その時の女将の言葉はこうでした。

「外に出るのは勿体無い、ずっと中を楽しむのがええ思います」

我々の京都旅の二日目は、現代の京都の(ある意味)秘境、アマン京都でした。