◎ジェイド・タブレット-12-11
◎ニルヴァーナ-11
◎人生、輪廻転生、運命とニルヴァーナ-1
◎リアリティーとは、永遠の対立であり久遠の統合である
『生きとし生けるものはすべて数えきれない回数、死しては生まれ変わってきている。彼らはこの名状しがたい光明を幾度となく体験しているにもかかわらず、無知の闇に妨げられて、無限の輪廻を果てしなく彷徨っている。』
(パドマサンバヴァ(仏教をチベットに伝えた人)(チベットの生と死の書/ソギャル・リンポチェ/講談社P427から引用))
※名状しがたい光明:ニルヴァーナあるいは母の光明、原初の光。
『霊界の中心太陽とは、
創造の光の発出源にすぎない。
個生命達は、
顕界と霊界とに交互に転生しながら、
果しない旅の途上のどこかで、
中心太陽へ飲み込まれていく。
リアリティーとは、対立の統合ではない。
この考え方は、人間的知性の限界の表明にすぎない。
リアリティーとは、
永遠の対立であり
久遠の統合である。 』
(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジP98-99から引用)
人間は、もともと全知全能にしてあらゆる空間と時間と物質を統べる神なのだが、それに気がついていないだけ。
それに気がつくためには、神にして人間であるそれぞれの人間、意識の限界的状況を通過しなければならない。
意識の限界的状況とは、悟りあるいはニルヴァーナという、もはや体験とはいえない体験のことである。