アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

オカルティズムと真正の覚醒の違い-2

2022-12-21 06:33:32 | アヴァターラ神のまにまに
◎超能力、霊能力と悟り

思春期から青年期にかけては、受験や就活もあるので、超能力、霊能力に関心が向く人も多い。超能力、霊能力とは、オカルティズムの実質的別名でもあるが、超能力、霊能力への興味、関心を越えて行かないと真正の悟りはないので、改めてまとめ的に「超能力、霊能力と悟り」を書いてみる。と同時に、今後は、超能力、霊能力関連記事も復刻していこうと思う。

1.人間には、もともとある程度超能力が万人に備わっている。それは背後からの視線を感じるというもの。

2.超能力・霊能力の種類は、おおまかには六神通で分類される。天眼通(千里眼:遠くのものが見える)、天耳通(地獄耳:遠くの音が聞こえる)、他心通(他人の心の中が判ること)、宿命通(自分や他人の過去・現在・未来が分かる)、神足通(どこへでも自由に行くことができる=アストラル・トリップ)、漏尽通(煩悩がない)の通力とされる。
この中で、漏尽通は、いわゆる超能力とは言えない。漏尽通は解脱であり、究極=ニルヴァーナに至らないと煩悩がなくなることはない(自分と世界全体の逆転)。また携帯電話の発達により、ほとんどの人が天耳通は実現しているので、神通力としての天耳通のありがたみはあまりない。

3.真正の悟りとは、身心脱落とか神人合一なのだが、
その場合、フルスペックでの超能力・霊能力が使用可能になる。だが、その濫用は神仏が許し給わない。また彼らが自分の超能力を見せびらかしたりすることはない。

4.おおまかに言って10人に一人程度は霊が見えるのだろうと思う。それに加えて最近は薬物によって、霊道が開いてしまうケースも増え、厄介なことである。その点では、よい意味ではないが欧米は先進国である。

5.冥想修行の途中の段階で、霊能力・超能力に拘泥してしまうと、冥想修行の向上は止まる。

6.一方で霊能力者・超能力者は、彼らを中心としたカルトを構成しがちであり、これまた周辺の弊害は大きい。

7.伝統的に神下ろしというものがあるが、これはもともと正しい大神をわが身に憑依させた場合のみ、神仏へのコンタクト成功と見られる正統的手法である。だが、『わが身』の清浄度合に応じて降臨する神仏が変わることから、往々にしてろくな神霊が出てこないということになりがちである。

8.七つの身体と超能力・霊能力ということで言えば、
第二身体エーテル体以上が微細身であるから、それ以上を操作するのが霊能力となる。第六身体アートマン、第七身体ニルヴァーナは、個人と世界全体が逆転するので、そもそも霊能力とは別の話になる。

9.真正の悟りとは、第六身体アートマン、第七身体ニルヴァーナのことなので、霊能力者は、見ている自分を棄てないものだから、真正の悟りに届きにくいということはある。

10.次の至福千年の時代は、霊的文明と言われる。それは、万人が少なくとも中途半端に霊能が開けているということではなくて、万人が少なくとも見神見仏をしていて、霊を見たり感じたりするのが当たり前になる時代。力点は、霊能を開く方ではなくて、見神見仏の方にある。
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