◎ここはニルヴァーナであってこの身は仏である
白隠禅師坐禅和讃の続き
『因果一如の門ひらけ
無二無三の道直し
無相の相を相として
行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として
謡うも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく
四智円明の月さえん
この時何をか求むべき
寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国
この身即ち仏なり』
『因果一如の門ひらけ
無二無三の道直し』
原因も結果も一つということは、時間のない世界であって、過去も現在も未来も合わせて一枚の動くイラストのような世界。これが二もなく三もなく純粋に無相だけがある。
『無相の相を相として
行くも帰るも余所ならず』
無相について、ダンテス・ダイジの冥想十字マップでは、有種子三昧に相当する有相三昧と、無種子三昧に相当する無相三昧とを空間的進化の横ラインに置き、第六身体の知恵と第七身体ニルヴァーナを時間的進化の縦ラインに置いている。
言葉にできないものが無相であって、「三昧」とは既に自分がない冥想。自分がある冥想を「定」とする。
『三昧無礙の空ひろく
四智円明の月さえん』
これは、一円相のことだが、なぜ月であって太陽ではないのだろうか。
※四智とは、
大円鏡智・・・すべてのものをありのままにとらえる知慧。
平等性智・・・すべてのものを平等に見る智慧。
妙観察智・・・思いのままに自由自在に観察する智慧。
成所作智・・・状況に応じてなすべきことをなす智慧。
『寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国
この身即ち仏なり』
寂滅とは、ニルヴァーナ。ここに蓮華国あるいは浄土が実現するが、それは、天国、極楽のことではなく、言葉にできない究極のことを便宜的に極楽っぽく言っている。
よってそうなれば、自分は仏である。
禅籍では、悟りの状態をこのようにストレートに述べるのは稀である。だからこそ白隠は何十人も悟った人を輩出できたのだろうか。
白隠-1(初期の悟り)
白隠-2(正受にしたたかに殴られる)
白隠-3(世界はどう変わるか)
白隠-4(生死はすなわち涅槃である)
白隠-5(白隠の最後の悟り)