アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-4

2024-08-24 03:33:08 | 達磨の片方の草履

◎ここはニルヴァーナであってこの身は仏である

 

白隠禅師坐禅和讃の続き

『因果一如の門ひらけ

無二無三の道直し

 

無相の相を相として

行くも帰るも余所ならず

無念の念を念として

謡うも舞うも法の声

 

三昧無礙の空ひろく

四智円明の月さえん

 

この時何をか求むべき

寂滅現前するゆえに

当所即ち蓮華国

この身即ち仏なり』

 

『因果一如の門ひらけ

無二無三の道直し』

原因も結果も一つということは、時間のない世界であって、過去も現在も未来も合わせて一枚の動くイラストのような世界。これが二もなく三もなく純粋に無相だけがある。

 

『無相の相を相として

行くも帰るも余所ならず』

無相について、ダンテス・ダイジの冥想十字マップでは、有種子三昧に相当する有相三昧と、無種子三昧に相当する無相三昧とを空間的進化の横ラインに置き、第六身体の知恵と第七身体ニルヴァーナを時間的進化の縦ラインに置いている。

言葉にできないものが無相であって、「三昧」とは既に自分がない冥想。自分がある冥想を「定」とする。

 

『三昧無礙の空ひろく

四智円明の月さえん』

これは、一円相のことだが、なぜ月であって太陽ではないのだろうか。

※四智とは、
大円鏡智・・・すべてのものをありのままにとらえる知慧。
平等性智・・・すべてのものを平等に見る智慧。
妙観察智・・・思いのままに自由自在に観察する智慧。
成所作智・・・状況に応じてなすべきことをなす智慧。

 

『寂滅現前するゆえに

当所即ち蓮華国

この身即ち仏なり』

寂滅とは、ニルヴァーナ。ここに蓮華国あるいは浄土が実現するが、それは、天国、極楽のことではなく、言葉にできない究極のことを便宜的に極楽っぽく言っている。

よってそうなれば、自分は仏である。

 

禅籍では、悟りの状態をこのようにストレートに述べるのは稀である。だからこそ白隠は何十人も悟った人を輩出できたのだろうか。

 

白隠-1(初期の悟り)
 白隠-2(正受にしたたかに殴られる)
 白隠-3(世界はどう変わるか)
 白隠-4(生死はすなわち涅槃である)
 白隠-5(白隠の最後の悟り)
 

コメント
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