◎臨死体験の再現
(2018-04-08)
側頭葉にあるシルヴィウス溝を電気刺激すると、臨死体験が起きるなどと、メルヴィン・モースが言っている(NHKの立花隆の「臨死体験」という番組でそうしゃべっているシーンがある)。
臨死体験というのは厄介なもので、生還してこそ臨死体験であり、戻らなければ逝去である。臨死が生還になるための条件は厳しく、迅速な予後が必須である。
脳を物理刺激していろいろやってみるのは昔からある。ペンフィールドは、意識がある患者の頭蓋骨を開けて脳のいろいろな部位を刺激して何が起こるか見てみたし、スタニスラフ・グロフはLSDを与えて実験したりした(それが合法だった国でやりました)。
臨死体験あるいは、死の体験がキーポイントになることはチベット密教に限らず宗教シーンでは知られている。
チベット密教では、アジナー・チャクラの重要性に神経質になるあまり、額の中央の何センチか奥を金属器具で刺激するという技もあった。
脳のどこかを刺激する。それは電気あるいは物理刺激かもしれないし、ソーマなどの薬物刺激かもしれないが、臨死は起こせるものかもしれないし、起きないかもしれない。
呼吸停止、脈拍停止、脳死は起きるかもしれないが、脳刺激からそこに至るまでの仔細を意識清明のまま隈なく感知できていれば何が起こったかを理解できるだろう。
だがその感受性と冷静さ、そして生還できるという運がなければ、臨死体験において体外離脱した、トンネルを抜けた、天国の花園を抜けたなどというレポートを出してくることは叶わない。まして大悟覚醒をや。
臨死体験というと低俗心霊ネタに分類されることが多いのかもしれないが、道教の慧命経では、イラスト入りで人が体外離脱し、中心太陽に飛び込む様が描かれている。臨死体験は、競泳に例えればプールの縁に腰かけただけだが、腰かけるのは、物理刺激でできるかも知れないが、完走できるかどうかとは全く別物なのである。
泳ぎだしたが、ゴールとは全く違った方向に行ったり、プールの底に沈んでしまったり、スタート地点から動かなかったり。
これについて証明、証明というが、人が臨死を試せるのは、その肉体と脳に与えるダメージを考えるとせいぜい一回。証明は再現して初めて証明なので、再現などできないから一人の人間で証明することなどできない。
六度死んだ出口王仁三郎など例外中の例外である。
それは危険極まりないが、人間最奥の秘密もその先にしかないのだと思う。