◎ジェイド・タブレット-06-40
◎青春期の垂直の道-40
◎もはや何も起こらない
OSHOバグワンの第七身体ニルヴァーナの説明は多数あるが、彼がその前提としているような部分がある。それは、第七身体については、第六身体と第七身体との第六身体側のボーダーに立って、第七身体ニルヴァーナとはこういうものだと説明するか、何もない無だとか、非存在などとも呼ぶのだというもの。
いずれにしても、第六身体からのみ語り得るのであって、他の第五身体以下の視点からは描写できないものなのだろうと思う。また極めて稀だが、第七身体から帰還し得た者も語り得る。
『ニルヴァーナ NIRVANA
仏陀はアナッタ―――無我、究極の空(くう)、自我の絶対的な死についてのみ語る。あなたが消えうせてしまったら、もはや何ごとも起こらない。誰に起こるというのか? あなたがいなくなったら、すべては起こってしまっている。すべての出来事が消えてしまう。このもはや何も起こらない状態が「ニルヴァーナ(涅槃)」と呼ばれる。
ニルヴァーナは美しい言葉だ。それは「完全な停止」を意味する。文字どおりの意味は「ロウソクを吹き消す」ということだ。ロウソクを吹き消すと、その炎がいずこともなく消えうせてしまうように、深い瞑想のなかで自我の炎が消えてなくなる。それを吹き消すと、あとには完全な無が残される。体験する者はいないし、体験されるものもない。それがニルヴァーナだ。もはや何もなく、それを超えたものも何もない。
THE GUEST』
(英知の辞典/和尚/メルクマールP448から引用)
これぞ体験とは言えない体験である。
禅の公案に徳山大悟の段があり、わかりやすい。