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ベートーヴェン

2007-11-07 07:29:55 | 日々のこと(一般)
没後180年を記念するコンサートやCD発売が行われています。

 ところで、ものさしの感覚がどうも感覚に合わないことがあります。
たとえば砂粒の大きさは大体1mmですが、その1000倍は1m。歩いて一歩強です。そのまた1000倍が1km。あそこまで歩いて10分ちょい、という距離です。ここまでは感覚があります。ところがその1000倍となると、東京博多間です。一気に遠くになったような気がしませんか? さらにその1000倍は地球と月の距離の3倍弱。光で3.3秒かかります。(ひかりは一年くらい)
 どうも目で見積もれるかどうかがポイントのような気がします。想像するしかない距離は感覚的にわかりません。1mmの千分の一、これはμm(マイクロメートル、ミクロン)でそのまた千分の一はnm (ナノメートル)。どれくらい小さいか感覚的にわかりませんよね。ところが顕微鏡や電子顕微鏡でいろいろな倍率の像を見たり実験したりしていると、なんだかわかったような気にならないでもないです。金銭も似たようなものです。1億円(そんな買い物しませんが)くらいまでなら「これは無駄遣い、これは正しい投資」という感覚が持てる気がしますが、百億、千億円、一兆円となると、それがどの程度の影響をもたらすかすぐにはわからないでしょう。仕事で扱うとかいろんな統計を見たとかの経験が必要でしょう。経験してないことへの想像が感覚を持てない原因のようです。

 ものさしの感覚が狂ってしまうのは長さだけでなく時間にもあります。ベートーヴェン没後180年。もちろん知ってはいたわけですが、あらためて聞くと、えっベートーヴェンって没後まだ180年しか経っていないの?と思います。親戚に100才近い人もめずらしくないのに。
 特に西洋音楽史と日本政治史の時間のものさしが私の中ではどうも合わないのです。徳川家康とバッハはどっちが古い?と問われれば、年号から徳川家康が古いに決まっているでしょうと頭では答えられますが、よく考えると150年古いのです。ベートーヴェンと我々くらいの時間差です。徳川家康と同世代はジョバンニ・ガブリエルやスウェーリンク、あるいは先日紹介したCDのようなルネサンス後期です。バッハはというと8代将軍吉宗、ベートーヴェンはというと第11代将軍家斎と同世代です。
 明治維新といえば、日本はやっと滝廉太郎が出て来たところで、その頃西洋音楽はずっと進んでいたでしょう、となんとなく思います。いえいえ、よく考えてみると、明治維新は1867年。ロマン派も後期が始まってそんなに経っていない頃ですよね。滝廉太郎は西洋最先端の音楽によく肉薄したものだ、と言ったら過言でしょうか? 西洋で音楽が近現代への急展開を見せ始めるのは大正時代からです。ラヴェルが没したのは昭和11年。ラフマニノフが没したのは私が生まれるン年前。私はどうも感覚が合いません。
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