詠里庵ぶろぐ

詠里庵

ロシア音楽続き

2007-10-07 01:56:04 | 日々のこと(音楽)
に戻りますが、ハチャトゥリアンについてもう少し。この作曲家の最も知られた曲といえば「剣の舞」あるいはそれを含む組曲「ガヤーネ」(ガイーヌ)でしょう。クラシックファンにはさらにヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲、交響曲第2番、仮面舞踏会、スパルタカス、といった順で人気があるでしょう。

ヴァイオリン協奏曲と交響曲第2番、最近でこそいろいろな演奏のCDがありますが、ひところは決定盤的レコードの他はあまりないといった感じでした。ヴァイオリン協奏曲はオイストラフ、モスクワ放送交響楽団、指揮は作曲者自身。交響曲第2番も作曲者指揮のウィーン交響楽団。オイストラフのヴァイオリンはこの協奏曲の躍動感と叙情性を余すところなく表現しています。録音的には、オケに対してヴァイオリンの音が大きすぎる感じもしますが、レコード芸術だと思えばそれもよし。

交響曲第2番の方は憂いを湛えた素晴らしい演奏。「鐘」と呼ばれる交響曲にあってチューブラーベルが聞き取りにくいCDもあるのに対し、この録音ははっきり聞こえていいですね。このレコード、30年ほど前廃盤になっていた頃借りてオープンリールテープに落としたあと、テープが見あたらなくなってしまいました。その後もレコードは廃盤のままだったので、長いこと幻の名盤渇望状態にありました。今ではこの演奏も含めいくつかの演奏が簡単に手に入るので、「ああ、生きている間にあれをもう一度聴きたい」という渇望感情が起きません。モノというのはあまり簡単に手に入るのも考えものですね。この曲、ひところはショスタコーヴィッチの5番と同様、社会主義リアリズムの勝利の音楽として聴かれることもあったかもしれませんが、今はそんなことはなく「いい音楽はいい音楽」と聴かれているでしょう。
 雄大かつ悲劇的な導入部に続く悲愴感漂う静かな第一主題の素晴らしさ。第二楽章の延々と躍動感が続くスケルツォ。大規模な葬送行進曲の第三楽章で効果的に使われる「怒りの日」。映画音楽のような第四楽章の実にカッコイイこと。特に長7の分散和音に乗るファンファーレ風主題の開放感。そして最後に第一楽章冒頭に戻るところの絶妙な処理。最後は長和音に変わって雄大に終わる満足感。バイオリン協奏曲の方が有名ですが、これもハチャトゥリアンの代表傑作と私は思います。

 ピアノ協奏曲。雄大にして不思議なところもある曲です。他の曲と同様アルメニア民族音楽の要素がふんだんに入っていますが、他の曲より不協和音が随所に見られます。傑作群の中で最も若い時期の作品に入りますが、最も現代的かもしれません。その不協和音、たいていワケのわかる不協和音ですが、意図が(私にとって、ハチャトゥリアンにしては)わからない箇所も(特にカデンツァの中間などに)あります。その辺ピアニストによって印象が異なりますが、それは後日。冒頭はプロコフィエフ若書きの第一協奏曲と同じ調で雄大なところは似ています。オケ序奏後のピアノ主旋律は明るく力強い。第二主題は民族音楽。いろいろな要素を含んだ、堂々たる楽章です。
 第二楽章の主題は私は非常に好きです。バイオリン協奏曲の第二楽章と似ていて、それも好きですが、こちらの旋律の方が「よく思いついたな」と思います。最初の呈示は音が薄めで、プロコフィエフに「あなたのピアニストはハエを掴むだろう」と言われて少し音符を足したらしいのですが、それでも音符が少なめ。しかし私は好きです。繰り返されるときフレクサトーンという楽器が添えられるのが有名ですが、ちょっとオンド・マルトノ的でこの旋律にピッタリ。後年のバイオリン協奏曲の第二楽章旋律もフレクサトーン向き楽想だと思いますが、使わなかったのは何故か?もしかしたらヴィブラート旋律楽器というところがカブるからかもしれません。(あるいは奏者を調達しにくいなどの理由かもわかりません。)
 ポルカを激しく躍動的にしたような第三楽章は、前の二つの楽章に比べると少々定型的フィナーレ。これは速く弾かないと魅力が出ない楽章でしょう。中間からは色めき立ち、最後は第二交響曲さながら第一楽章冒頭が再現され雄大に終わります。

ハチャトゥリアン、もう少し続けます。
コメント
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