楽家のボーリング大会

2001年10月22日 | スポーツ

すいません。
今夜もだめです。
いつもだったら、がんばれる状態ですが、
なにしろ今日は月曜日。
どう考えても、明日からの余裕を持っていたい。
でも、正直今でも限界を超えてます。

今日は、楽家のボーリング大会だった。
月曜日は楽家の定休日。
だから、春の花見でも、夏のバーべーキューでも
楽家のイベントは月曜日です。
楽しかった。しかし、私にとって、
ボーリングなんて4、5年ぶりのことです。
私は、なんと! 今日のボーリングの1回2回は
ストライクだった。
まわりにいたひとは驚いた。
いや、まわりのひとだけじゃない。
私だってビックリした。
でも、安心して下さい。それ以後は、スペアもとれなかった。
結果、1回目が110点。2回目が102点。
実に情けない点数です。
そのあとの飲み会が楽しかった。
以下省略。_●_

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乾燥肌

2001年10月21日 | 健康・病気

私はこの何年か、冬になると乾燥肌で悩んでいる。
手足や股間、それに頭が痒くなるのです。
はじめはなんで痒くなるか分からなかった。
股間のものが痒くなるのは、場所が場所だけに困った。
なんかへんな病気になったのかと、思い悩んだ。
しかし、そういう病気にうつる行為もしてない。

3、4年前、覚悟を決めて皮膚科に行くことにした。
電話帳で調べ、ある皮膚科専門のクリニックに行った。
車で7、8分のところにあるところだった。
小ぎれいなそこに入ると、
待合室には患者は誰もいなかった。
ピンクの白衣(というのもへんだな)を着た受付の女性に、
「手足が痒いので来ました」といったが、
本当は、股間の痒みが一番の心配事だった。
診察されるとき、パンツを脱がないといけないのかな、
なんて考えながら、待合室のかたい長椅子に坐っていた。
ほどなく、診察室に入るように、
桃衣(と書くのもへんだ)の女性にいわれた。
診察室のしっかりした扉を開け中にはいると、
そこには、ピンクの白衣(やっぱりへんだ)を着た
30前の女性がいた。
そのひとが医者だった。
私は正直あせった。
この女医に股間を見せなくてはならないのか。
それを想像しただけで、下半身が妙になった。
「どうなさいました?」と女医がいった。
「手足と頭が痒いのです」というと、
女医は私の腕と足を出すようにいった。
私はまず、上着を脱ぎ腕を見せ、
それから太ももを見せるために、ジーパンを下げた。
そこを女医はあっさり診て、「乾燥肌ですね」といった。
「あと…、ここも痒いんです」
と指さしていうと、
「同じですよ。薬とローションをあげますから、
 それで治りますよ」
と、なんてことない口振りでいった。
「乾燥肌っていうんですか、これは」
「そうです。これからは、体を洗うとき、
 石鹸やシャンプーを使わないで下さい」
「何で洗うのですか」
「水だけで洗って下さい。石鹸やシャンプーを使うと
 体の油脂成分がなくなってしまうのです。
 若いときはいいんですが、歳をとるとだめなんです。
 それで乾燥肌になってしまうのです」

私はそれからも、毎日ではないが、
石鹸やシャンプーを使っていた。
なんかそれらを使わないと洗った気がしなかった。
それで毎年乾燥肌になってしまった。
でも、今年はやめます。
夏は汗だらけで、水だけというわけにはいかなかったが、
10月からシャワーを浴びて、手で洗うだけにしている。
今年は、水だけにして、私の体の油脂成分を守ろう。
でも、1週間に1度は石鹸、シャンプーを使ってしまう。
これで今年も乾燥肌になったら、
来年は、ずーっと水だけで洗おう。
むかしは、誰も水というかお湯だけで洗っていた。
それが自然なのかもしれない。

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おんがく三昧

2001年10月20日 | 音楽

今日は午前中、蒲団に寝ていた。
といっても、昼前女房が出かけるというのを
見送って、そのあとビーシュを飲んでから
インスタントの焼きそばを食べ、
また蒲団に入って本を読んでいたら寝てしまった。
つまり昼間はほとんど蒲団の中にいた。

昨夜、楽家で飲んでいたら、
誰かの提案で「カラオケに行こう」ということになった。
4人で行った。
1時間の予約で入ったのに、結局2時間うたっていた。
それから、BROCKHEADSという飲み屋に行った。
そこではギターを弾くひとがいて盛り上がった。
「明日、ライブがあるから来て下さい」
とマスターがいった。
それで、今夜行った。
野澤享司という歳は50をちょっと超えたひとのライブだった。
ギターがよかった。
あれを見ていたら、おれのはギターを弾いているといえない。
ギターはああいうふうに弾くのかと勉強になった。
ライブには、たまに所沢で飲んだとき行く店
「ひょっとこ」のマスターがいた。
終わってから、楽家の常連6人で話してるうちに
「カラオケうたおう」ということになり、
近所のスナックに行った。
10ヶ月もカラオケやってないのに、
2日続けてうたってしまった。
楽しい2日間だった。
しかし、こんなことをしていてはいけない。
おれにはやらなくてはいけないことがある。

 

 

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さぶい

2001年10月19日 | 暮らし

さっき、せがれに起こされた。
さすがに朝5時は寒い。
このところ、金曜日は楽家だ。
それで、昨日もらくやだった。
ああ…、だめだ。ねむい。

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腰痛休暇

2001年10月18日 | 会社・仕事関係

今日は会社を休んだ。
腰が痛くて仕事にならないと判断した。

昨日は成形機の中で、ガラスが7枚われた。
畳の半分以上はあるワゴン車のリアガラスだ。
6トンの成形機が閉まり、
樹脂がガラスのまわりに流れ終わったころに、
ボンという音がする。ガラスのわれた音だ。
その音をきくと、私は情けない気分になる。
あの大量のガラスの破片の始末をしなければならない。
成形機を開いて、
金型一面にあるわれたガラスを処理するのは面倒くさい。
上型と下型の間で中腰になって、
ガラスの破片が完全になくなるまで掃除する。
それから金型のキズを修正したり、テープを張り替える。
一度のガラスのワレ処理で、30~40分かかる。
7枚もわれると、仕事にならない。
そのリアガラスは、1日の計画枚数は180枚。
それが昨日は24枚しかとれなかった。
日報はいつも私が記入するのだが、
稼働率が12%だった。
あれだけ続けてわれるということは、
ガラスの曲率が悪いのだろう。

女房が8時半仕事に行ってから、小説新潮を読む。
10時過ぎ、いつもの整形外科に行った。
器械と人間のマッサージのおかげで、
いくぶん腰が楽になった。
パルコの本屋に行く。
目当てのチャールズ・ブコウスキーの
「町でいちばんの美女」(新潮文庫)を買うためだ。
あるかなと不安だったが、それはあった。
会計はカードでした。今私は現金が少ない。
月末まで温存しなければならない。
会計をすまして雑誌棚のほうを見ると、
前に見たことのあるホームレスが立ち読みしていた。
私も隣に行って雑誌を立ち読みし、彼を観察した。
タンクトップに半ズボン。髪の毛は伸び放題。
紙袋の中にはなぜか、長ネギが刺さっていた。
独り言をいいながら雑誌を読んでいた彼は、
10分ほどで行ってしまった。

午後あまりの寒さに炬燵を出す。
ブコウスキーを読んだ。

 

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デジカメ

2001年10月17日 | テレビ

私がデジカメを買ったのはいつだったかな、
なんてことを思った。
趣味・中高年のためのパソコン「デジタルカメラI」
(NHK教育 午後9時35分)
を観ているときです。
どうせ知っていることやるんだから観ることない、
と思っていたが、ついつい観てしまった。
中高年の男女2人にデジカメの楽しみ方を
教えるという内容でしたが、
あの番組を観たひとは、
デジカメが欲しくなるだろうな、と思った。
フィルムがいらない。現像代がいらない。
お金を気にしないでどんどん撮れる。
撮った写真をすぐ見られる。
パソコンに取り込んで印刷すれば、
写真がすぐできる。
メールで送れる。ホームページに使える。
今はデータをDPEに持っていけば、
普通の写真にも焼いてくれる。
パソコンを持っているひとにとっては、
必需品といってもいいと思う。

私がデジカメを買ったのは、3年と8ヶ月前です。
山梨で単身赴任しているときでした。
35万画素だったが、嬉しくてうれしくて、
いろんなものを撮りました。
しかしそれは、飲み会に持っていって、
酔っぱらったあげくにどこかになくしてしまった。
「だから酔っぱらいはいやね」
女房にさんざん嫌味をいわれた。
あのときは落ち込んだ。
しばらく我慢していたが、
飲むときは持っていかない、という約束を女房にして、
(約束は守れないですね、私ですから)
2台目を買った。109万画素です。
お金があったら、もっといいのが欲しい。

私はもともと写真が好きで、
24歳のとき、ペンタックスの一眼レフを買った。
今もありますが、ほとんど使わない。
息子たちが小さい頃は、ほとんどこれで撮っていた。
あの頃、パソコンとデジカメがあったら、
もっと写真を撮ったんだろうな。

 

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深夜の空爆

2001年10月16日 | 小説 エッセイ

昨夜、九想庵も更新し、
ASAHIネットの「かしの木亭談話室」に九想話をUPしたとき、
それはあった。
すごいミサイルが、おれのこころ目指して飛んできた。

>  九想さんの最大の欠点は、ものを書きながら、自分で照れている。
>  せっかく感情移入したいのに、書き手が照れていては、読者は少し白ける。

ありがたいミサイルでした。
どこかの国の、ある組織とは違って、
この空爆には、涙が出そうになりました。

>  九想さんは、せっかく、ふしだらな自分を可愛いと思って慈しんでいるの
> に、その自分に自信がない。だから、読者も、いいなあ、と思いながら、こ
> いつ、いくつになっても、自分を飾ろうとしている、もっと裸になれば、い
> っそ清々しいのに、と読みながら九想さんの筆のあとに何かしら酔えない。

この2発目のミサイルには、九想の対空設備が粉々に吹っ飛んだ。
蒲団にもぐってグダグダ考えた。
ラジオをつけるとラジオ深夜便で、
山口百恵の「しなやかに歌って」がかかっていた。。
それを聴きながら…、寝てしまった。

………………………………………………………………………………………………

上の文章では何のことか分からないですね。
「かしの木亭」に参加している
文芸編集者を35年やっていたあるひとが、
私の小説を読んで感想をくれたのです。
うれしかった。
これを機会に、こころを入れ替えて、
〝裸になって〟小説を書く決意をしました。

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出社拒否?

2001年10月15日 | 会社・仕事関係

私は毎日“出社拒否”状態で会社に行っている。

現在の職場は、先週派遣社員が辞めさせられたので、
3人になった。
そのひとりが、今朝会社に来なかった。
仕方がないので、別の職場から応援に来てもらった。
2人では、成型機が動かせないのです。
子どもを病院に連れていく、というのが理由だった。
先週の3連休のあとも休んだ。
風邪をひいた、ということだった。
その前の週にも2日休んだ。
彼は、毎月1日か2日休む。
だいたい休み明けが多い。
そんなに有給休暇があるのかと不思議なんですが休む。
奥さんには何といっているのだろう。
残った3人の中では、
一番のベテランで仕事が出来る男です。
ただ、職場ではほとんど口をきかない。
一部の人とは話すのですが、
私なんかには声もかけない。

明日も私は、“出社拒否”状態で会社に行きます。

 

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「フーテンの寅」in 楽家

2001年10月14日 | 映画

女房が夜7時前になっても帰ってこない。
息子は腹がへったという。
「何時に帰る? メシはいつ頃?」
ケータイでメールを打った。
しばらくして、家の電話が鳴った。
「今、終わったのよ。これから帰る」という。
今日彼女は東京の美容院に行った。
あの、演歌をうたう美容師のいるところだ。
しかたないので、私はパルコに行き、
息子たちにヒレかつ弁当を買ってきた。
1日誰とも話しもせず、テレビを観たり、
本を読んでいた私は、
人恋しくて楽家に行くことにした。
しかし、財布に千円札が4枚しかない。
ま、いいかと家を出た。
楽家のカウンターには5人坐っていた。
私はテレビの下の席に坐った。
マスターがテレビをつけると、
「男はつらいよ フーテンの寅」をやっていた。
それまで、みんな話していたのが、
一瞬静かになった。
それから大変だった。
「寅が若いな」「いやみんな若い」
「先週は、都喋々が出ていた」
「あれは寅の母親なんだ」
「お、新珠三千代がキレイだな」
「おれは、浅丘ルミ子がよかったな」
みんな、それぞれの「男はつらいよ」に酔っていた。

私は、高校2年のときに、
テレビの「男はつらいよ」を観た。
それ以来のファンだ。
23歳で死んだ、
プロボクサーになった友人も好きだった。
ボクサーをやめ、会社を辞め、
フーテンの寅に憧れて旅をはじめた龍彦。
あいつは、ほんとうにバカなやつだった。
でも、こうしてあいつのことを書いてるだけで
涙がにじんでくる。
あいつは1年に1度ぐらい東京に戻ってきた。
そしてひと騒動起こして、また旅に出た。
まるで寅のように。
私も一度、神戸にいたあいつを訪ねたことがあった。
龍彦は、新聞配達所にいた。
私が行った翌朝、彼はそこを辞めた。
「おいおい、そんなに簡単に辞めていいのか」
「いいんだよ。しばられてちゃ、いい人生送れないよ」
それから2人で、龍彦のふるさとの山口に行った。
錦帯橋の上で飛び跳ねていた脳天気なあいつ。
寅さんを観ると、いつもあいつを想ってしまう。

 

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久しぶりの投稿

2001年10月13日 | 小説 エッセイ

今週、以前書いた小説を推敲して、
小説新潮の「公募体験小説」に投稿した。
毎日「九想話」を書きながら、
そのあいまにやっていた。
作品は、かなり長い「九想話」という感じです。
書き直しながらつくづく思ったことは、
私には小説の才能がないな、ということです。
この歳でそれが分かると辛いです。
それなのにまだ小説を書く気持ちは残っている。
あせらず、のんびり書いていきます。

 

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