将棋のこと

2001年10月09日 | 将棋・囲碁など

日曜日(10/7)、久しぶりに、
NHK杯将棋トーナメントを観た。
「羽生善治×高橋道雄」で
なかなかの名勝負だった。
解説が、島朗でこれもよかった。
めずらしく羽生が「飛車」を振り、穴熊に囲った。
高橋は、いつものようにがっちり金銀4枚で玉を囲い、
私のようなド素人には、
いったいどこから戦いがはじまるのか、
けんとうもつかなかった。
高橋の端ぜめを羽生は「香車」で守り、
4筋の攻防となった。
中盤の羽生の「継ぎ桂」がきれいだった。
終盤、羽生はあっさり「龍」を切った。
別な寄せを予想していた九想は驚いた。
羽生は、鮮やかに高橋の「玉」を寄せ切ってしまった。
ふたりの、せめたり、引いたり、手を渡したり、
の駆け引きが面白かった。

私は、子どもの頃将棋をしていたが、
本格的にやりだしたのは、22、3歳の頃でした。
そのときの職場(大学生協)に、
将棋の好きな者がいたからです。
最初は負け続けました。
くやしいので、定跡の本を買って勉強した。
そのうちなんとか対等に打てるようになった。
その頃になると、
私も三寸の将棋盤と一万円もする駒を買った。
よく駒込のアパートで友人と酒を飲みながら、
“迷勝負”をしました。

息子たちに、幼稚園の頃から将棋を教えた。
小学生の3年だったかな、
息子が地域の将棋大会で優勝したことがあった。
私は、所沢出身の羽生に続け、と期待したが、
ふたりとも将棋から離れて行ってしまった。
よくUとKで将棋をしていて、
負けそうなほうが、涙を流しながらやっていた。
あの「きつさ」に耐えられなかったのでしょう。
将棋より、テレビゲームに行ってしまった。

私は、将棋を知ってよかったと思っている。
将棋の攻防を、人間関係に応用しています。
ときには「せめ」、ときには「引き」、
あるときは「手を待つ」、そして「手を遊ぶ」。
まったく人と人との付き合いと同じです。
会社で人を管理するときにも役に立った。
「香車」のような一途な人、
「桂馬」のような動きをする人、
シャープな「銀」、安定感のある「金」、
いつか「と金」になる人、などなど。
その駒の能力をまうく使えばいい。
「香車」に「銀」の働きは出来ない。
しかし、現在私は平社員だから、
人を管理することもなくなってしまった。

コメント
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