楽家のNちゃん

2001年09月10日 | 家族

昨日は所沢も台風15号の影響で、
断続的にすごい雨が降ったり、
小雨になったり、やんだりだった。
Uは今日からのグリーンクラブの
合宿の準備をしていた。
Kはいつものように寝ていた。
あいつの夏休みは、夜昼逆転している。
深夜に、やっと九想話を書き終えてUPしようとすると、
電話を誰かが使ってたりする。
息子たちの部屋を見ると、Kの部屋が明るい。
「ちょっと、インターネットいい?
 5分間だけ。それでおれ寝るから」
部屋の外からそんなことを、
おれはお願いしなければならない。
女房は寝ている。
じつによく寝ている。
よくあれだけ眠れると思う。
午前中に1度、友人から電話が来て起きた。
そのまま起きてるかな、と思うと甘い。
台所の換気扇のところで煙草を吸ってまた寝た。
やっとホンカクテキに起きてきたのが午後2時頃だ。
「よく寝れるな」というと、
「自分でもイヤになる」とすましていう。
そういうわけで、わが家の休日の朝飯は、
めいめいかってに自分で食べなければならない。
いつもそうだっていうことではありません。
女房の名誉のために書きますが、
(だったら、こんなこと書かなければいい)
月に1、2度は、ちゃんとした朝食があるときはある。
おれはというと、9時頃起きて、
レトルトのカレーで朝食を食べ、
そのあと、図書館で借りてある
小説新潮や小説現代を読んでいた。
(いやに長い前ふりだ。お客さん帰っちゃうよ)

(こっから、本題)
女房が、「晩ご飯の買い物に行こう」という。
外はすごい雨が降っていた。
車で10分ほどのスーパーオザムに行った。
歩いて5分の駅に西友もあるが、オザムのほうが安い。
なんとか駐車場の空きを見つけ停める。
鎮痛剤が切れていたので、
ドラッグストアにおれは買いに行った。
女房はまっすぐスーパーに。
このドラッグストアも同じ会社が経営していて安い。
薬を買っておれもスーパーに入る。
10メートルほど先の肉売場にいる女房を確認して、
刺身などを眺めていたら、
「O***さん」と呼ばれた。
振り返ると、
スーパーの制服を着た小柄な女性が笑っている。
2、3秒して、その女性が、
楽家で金曜日にバイトをしているN子さんだと分かった。
いつもカウンター越しに見ている彼女とは、
ずいぶん雰囲気が違って見えた。
背が低いんだ、と思った。
そうか楽家でおれは坐って見ているんだ。
化粧なんかも変えているんだろう。
楽家で見るN子さんは可愛くて魅力的なんです。
歳は、まッいいか。
以前話したとき、書道の塾をやっているといっていた。
高校のときブラスバンドでフルートを吹いていたことで、
おれとブラスバンドの話で盛り上がったことがあった。
最近、おれは金曜日に楽家に行ってないので、
N子さんに会うのは久しぶりだった。
「ここで働いてんだ」
「そう。金曜日以外はね」
「それじゃ、1週間働きっぱなしだ。大変だね」
「食べなくちゃならないから。それじゃ、また」
明るく笑ってN子さんは、従業員出入り口に消えた。
8月だったかな、楽家のマスターがいっていた。

「Nちゃん、離婚したんだよ」と。
私は、晩飯何にしようかと悩んでる
女房のところに歩いていった。

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東由多加

2001年09月09日 | テレビ

知ってるつもり!?(日本テレビ)
「命!!魂!!生きる!!作家・柳美里と東由多加
 愛と死の闘い330日涙の告白録」(長いなァ)
という番組を、
私は、東由多加の晩年に興味があり観た。

私は、東由多加と会ったことがある。
21歳のとき、私はある劇団のメンバーだった。
そのリーダーが、
以前「東京キッドブラザーズ」にいた関係で、
なにかとつながりがあった。
公演後の舞台の片づけをやったり、
俳優と飲んだりした。
あるとき、原宿の劇団の事務所(6畳のアパート)に
東京キッドのスタッフから電話があった。
「舞台稽古にフルートを吹く者がいないので、
 誰かいないか」
というものだった。
なぜか、いつもリコーダーやケーナを吹いていた
私が行くことになってしまった。
「フルートの代わりにリコーダーじゃしょうがない」
と私はいったのだが、
東京キッドのスタッフはそれでいいというので、
舞台稽古に興味があった私は、
どうにでもなれ、という気持ちで稽古場に行った。
そこで私は、東由多加に紹介され、
「ご苦労様です」なんていわれた。
稽古は惨憺たるものだった。
私がです。
なにしろ渡されたフルートの楽譜を、
ソプラノリコーダーで吹くのです。
焦ったけど、必死で吹きました。
けっこう音も出ていたはずです。
でも、ブラスとエレキギターの中では
ゴミみたいなものでした。
冷や汗たらたらだった。
あのときの稽古での東由多加は静かだった。

テレビを観て、
東由多加はあのような暮らしをして、
死んでいったのか、と思っただけだった。

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山田太一スペシャル

2001年09月08日 | テレビ

今日の午後2時から、
「再会」(TBS)というドラマを観た。
制作は東海地方のテレビ局で、舞台は浜松だった。
主人公は、
自衛隊を辞めて浜松の警備会社で指導員をしている。
長女は近くに住んでいて、ときどき孫を連れてくる。
長男は一緒に暮らしていたが、
名古屋の会社に就職が決まり家を出る。
それなりに暮らしていた3人の前に、
6年前、好きな男ができて、
離婚して家を出た元妻が現れる。
元妻の再婚した相手は、2年前に病死した。
子どもを捨てた母親と、娘、息子の葛藤。
夫から別な男に向かった妻の心理。
妻に逃げられた夫のこころ。
久しぶりに、
山田太一のシナリオのうまさを堪能した。

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ひとり旅

2001年09月07日 | 旅行

私は若いとき、日本中を旅した。
会社の夏休みを利用して長い旅をしたのです。
20歳のとき、初めて旅をしたのが東北だった。
リュックに着替えを詰め、秋田に行く夜行列車に乗った。
次の日、秋田に着いて、男鹿半島などを見て、
夜はオールナイトの映画館に泊まった。
青森では、合浦公園の海水浴場の脱衣場に泊まった。
電車で知り合った男と2人で泊まったのだが、
そいつの顔は翌日腫れていた。
寝てるとき蜂に刺されたらしい。
太宰治の小説「津軽」に憧れ、津軽半島に行ったときは、
太宰治ゆかりの旅館と書いてあったところに泊まり、
ひとり熱燗を飲んだりした。
津軽半島の先端から見た日本海に沈む夕日はよかった。
俳句のようなものをつくり、
看板の裏側に落書きしてきたが、
今もあるかな。あるわけないよな。
青函トンネルを掘っている人たちの宿舎があったな。
十和田湖にも行った。
奥入瀬渓流の流れの音を聴きながら、
ケーナを吹いた。気持ちよかったなァ。
下北半島は、水上勉の「飢餓海峡」に出てくる、
ああ…、名前が出てこない。
そこが見たくて行った。
盛岡で下車して城跡に行って、啄木の歌碑を見た。
仙台では、なぜか楽器屋で、
今も吹いている木製のリコーダーを買った。
福島が最後で、猪苗代湖にある
「野口英世記念館」に行った。
生家がそれになっているんだけど、
便所の粗末さが、私の実家のものと一緒なので
親しみがわいた。

東北、四国、山陰、木曽飛騨富山、九州、北海道
と25までひとり旅をした。
次は、四国の旅を書きます。

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息子についての訂正

2001年09月06日 | 家族

9月3日の「九想話 息子がいない」で、
Uのことを大雑把と書いたが、
それを訂正します。

4日に帰ってきたUに、
夕食のときゼミ合宿のことをきいた。
茨城には何百という遺跡があり、
古墳も多いという。
そのかなりの数を観光バスに乗って
毎日回っていたという。
それじゃ、「あっちこっち」としかいえないな、
と思った。
宿泊するところに帰ると、
その日行ってきたところについて
勉強をする。
「もう毎日、目が回る忙しさだった」という。
そしてこれから、
レポートを書かなくてはならないそうだ。

茨城にそんなに遺跡があるとは、
私は、知らなかった。
「岩瀬町(私の生まれた町)に遺跡はあるのか」
ときくと、
「高校の裏山にあるよ」いった。
そういえば、高校の頃聞いた気がする。
ちょっぴり、息子が頼もしく思えた夜でした。

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本日休業

2001年09月05日 | 友人

今夜、7時半頃楽家に行った。
いろいろあって、
いろんな話を、いろんな人として、
流れで、Sさんの事務所に行った。
ブルースのギターの弾き方を教わっていると、
店を閉めた楽家のマスターとママがきた。
それから4人で、近くの飲み屋に行った。
それで、今(2時)家に帰ってきた。

もう、今日はだめです。
寝ます。

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酒びたり

2001年09月04日 | テレビ

おれも酒は好きだが、
あそこまでは飲めない。

今夜のETV2001(NHK教育10時)
「中島らものアルコール格闘記」
酒びたりの日々・うつ・死の際で
を、10時15分頃から焼酎を飲みながら観た。
(ここで、グラスに日本酒を入れるおれ)
35歳で肝臓を悪くし、禁酒した。
うんちが白くなり、尿が黒くなって、
驚いて病院に行った。
病院に入る前に、酒屋でカップの日本酒を買い、
これで最後だと公園の鳩の中で飲んだという。

でも、奥さんが、「ときどき酒に水をまぜる」
といっていたから、今は飲んでいるのか。
中島らもは、「そうだったのか」と笑っていた。
現在、自分では書けないようで、
口述筆記で奥さんが書いていた。
中島らもの本は、少ししか読んでいないが、
彼のエッセイが好きだ。

今夜のおれは、7時頃から飲み始めている。
いつものようにメシのときの晩酌は、
なんとビールです。ビーシュじゃない。
「一番搾り」です。
そのあと、焼酎のウーロン茶割りを2杯飲み。
水で割った焼酎に、レモンの果汁を入れたのを1杯。
そして今は安い日本酒を飲んでいる。

酔っていたい。
酔ってなくては、生きていけない。
こういう自分をバカだと思ってます。
でも、こんな世の中、
素面じゃ生きられない。
酒のおかげで、今日まで生きてこられました。

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息子がいない

2001年09月03日 | 家族

息子たちがいない。
Uは、ゼミの合宿で茨城に行っている。
「茨城のどこだ?」
と訊くと、
「あっちこっち」
といいやがった。
ほんとにあいつは大雑把だ。
土曜日出かけ、明日帰ってくる。
Kは、今日沖縄に行った。
“遊び系”サークルだ。
今朝6時半、家を出るとき、
「おみやげ、泡盛でいい?」
とおれの弱点をつく。
蒲団にくるまっておれは、
「ああ…」
と答えた。
(ほんとはおれ、三線が欲しい)

息子2人がいないときはあるが、
どっちかが深夜には帰ってくる。
2人がいないということは、めったにない。
そんなこといってるうちに、
あと何年かしたら、
息子たちがいない日々がくる。
それは自然なことなのだろうが、
やっぱりさびしいな。
女房はフラメンコやなにかであっちこっちに出かけ。
おれはパソコンに向かい、
暗い「九想話」を書いているのかな。

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映画「大河の一滴」

2001年09月02日 | 映画

この映画を観るかどうか、私は悩みました。
私は、五木寛之の人生観に共感している人間です。
彼の小説は、初期の頃から読んでいます。
エッセイも何冊か読んでいる。
「大河の一滴」も読んでます。
3年前、山梨に単身赴任しているときに読みました。
この本は、
そのとき勤めていた会社のリストラに腹が立ち、
退職したときに山梨で一緒に仕事をしていた女性に
あげてしまった。(モッテイレバヨカッタ。マタ、ヨンデミタイ)
この女性は、美しくていい娘だった。
オフィスでは課長と部下という立場で、
言葉少なに資材部の仕事をしていたのですが、
部品の置いてある外の倉庫の前では、
(テーブルとイスが置いてあった)
煙草を吸いながらいろいろ話した。
おもに、彼女の恋の相談だった。
彼女はそのとき恋人がいて、彼との恋に悩んでいた。
リストラのとき彼女も辞めて、
現在、看護学校に行って、看護婦を目指している。
あッ、こんなことは、今日の九想話に関係ないですね。
話を、五木寛之に戻します。

さっきも聴いていたのですが、
TBSラジオの日曜11時半から、
「五木寛之の夜」という番組をやっている。
これはそうとうな長寿番組で、
TBS系列のラジオ局で全国にも放送されていると思う。
この放送で五木寛之を聴いていると、
なんか鼻につくんです。
話すことは納得がいくのですが(いかないときもある)、
なんか〝かっこよくて〟ダメなんです。
私は、彼がそばにいたら、
絶対友だちにはならないんじゃないかと思う。
それでも、毎週このラジオを聴いている。
五木の本を読む。
やっぱり彼が好きなんですね。

映画のシナリオは、新藤兼人が書いている。
先週の日曜日の「いつもても波瀾万丈」(日本テレビ)は、
新藤兼人だった。
乙羽信子との恋の話はよかった。
充実した仕事をしてきた彼がいっていた。
「誰もいない夜、しみじみ孤独だなと思う」
というようなことを。
私にもいつかそういうときがくるのだろう。
その孤独の中で、あの歳でもシナリオを書いている。
どんなものかな、という興味もあって映画を観た。
五木のエッセイの要点を、
うまくストーリーにしているなと思った。
全体として、物足りないところがあったが、
私は泣きました。
いえ、ストーリーに泣いたのではなく、
ずーっと、友人Hの人生を考えてです。
Hの〝大河の一滴すぎる〟人生を想って泣きました。

あのロシア人のトランペットはよかった。

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太る週末

2001年09月01日 | 健康・病気

夕方、シャワーを浴びる前に、
いつものように体重を計った。
なんと、70.2kgあった。
これはショックでした。
ここ2年ほど、70kgを越えたことがなかった。
金曜日の夜が、68.8kgだった。
今日は、昼間、
映画「大河の一滴」を観に行っただけで、
あとは家で寝ていた。
どうしても休みの日は、
体が疲れていていくらでも眠れる。
だから、週末に太ってしまう。
まして昨日は、
長い九想話を4時間ほどかかって書いたから
せんべいやピーナッツを沢山食べてしまった。
酒は、夕方7時頃から深夜の5時近くまで飲み続けた。
これが、70kgを越えた原因だろう。
少し、週末の過ごし方を考えなくては…。

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