演劇青年になれなかった私

2021年06月29日 | 暮らし

今夜の九想話に、私が演劇をしていた頃のことを書こうかなと思った。
しかし、老人になってしまった私はその頃のことをあまりよく覚えていないことに気づいた。
なにしろ私が22歳で今から47年前のことです。
このブログ「九想話」内を、「演劇」で検索したら下記の九想話があった。

演劇をしていた頃-1
演劇をしていた頃-2
演劇をしていた頃-3
演劇をしていた頃-4
演劇をしていた頃-5

あのとき私は苦しかった。
東京の中野にある劇団の芝居の稽古に行くことが辛かった。
「やめよう、やめよう」と日々暮らしていた。
芝居の稽古中、ほとんど演出の人に怒られていた。
演劇のことではなく茨城訛りを指摘されていた。
そのときの役は、アメリカ人の若いセールスマンだった。
「アメリカ人は、茨城弁しゃべらねえぞ」と演出家に怒鳴られていた。
私は22歳でした。
19歳で茨城から出てきて東京で暮らすようになった。
3年で茨城のイントネーションをとることは不可能です。
69歳になった今でも茨城のイントネーションは抜けていない。
私は、その芝居の公演までは役者をやったが、終わってからすぐその劇団を抜けた。
そのときの経験で私は、演劇を仕事にするという夢は捨てました。
21歳のとき勤めていた薬品会社を、演劇をやるためにと私は退職した。
それから2年ほどで私はそういう気持ちになりました。
ダメな情けない私です。
しかし、それからある縁がきっかけで埼玉にある劇団に入り、5回ぐらい芝居に出た。
清水邦夫の芝居が多かった。
26歳で結婚した私は、女房と一緒にその劇団に参加したこともありました。
しかし、しだいに生活が苦しくなり劇団から離れた。
それから私の生活は、演劇とは縁遠くなってしまいました。

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