今朝7時20分、ウォーキングを終えてダイニングにいた女房に「ただいま」という。
「食事する?」
「うん」
汗かいて濡れたTシャツを洗濯機のある部屋で着替えて、ダイニングに戻った。
トースターの中を見ると真っ黒に焦げた食パンがあった。
「私、トースターの時間間違えちゃったかな?」
「大丈夫、おれ焦げたの好きだから」
「私、前にいったことあるけど、お焦げって嫌いなんだな」
「おれは、焦げたごはんが好きだったな」
「私は嫌い」
女房は子どものときから、焦げたごはんが嫌いだったという。
私が子どもの頃は、竈に釜を載せて薪を燃やしてごはんを炊いていた。
たいがい炊き上がったごはんには、焦げがあった。
それを私たちきょうだいは、奪い合って醤油をかけて食べていた。
茨城の百姓の家のごはんのおかずは、少なかった。
畑でとれた白菜やキュウリのお新香ぐらいしかなかった。
私の家では鶏を飼って卵を産ませていたが、
それはよそのうちに売っていたので、私たちは食べられなかった。
たまに卵1コを兄と分けて、卵かけごはんを食べられるときがあった。
そんな私たちに、ごはんのお焦げは嬉しかった。
そういうことを女房に話しても、理解できないと思う。
といって東京の都営住宅の女房の家も、けっして豊かではなかったようだ。
それと比べても私の家は貧しかった。
私はいつも、ごはんに醤油をかけて食べていた。
そのせいか栄養が足りないためか、よく身体の具合が悪くなった。
学校には海苔の佃煮の瓶詰めを置いておいて、毎日それで弁当を食べていた。
弁当にはごはんだけしか入っていなかった。
それも麦飯でした。
子どもの頃、白いごはんが食べたかった。
それを思うと今は幸せです。
毎日、女房が作ってくれる料理を食べています。