加藤和彦が死んだ

2009年10月17日 | 健康・病気

加藤和彦は、私が中学生の頃から憧れていた人でした。
中学3年のときからザ・フォーク・クルセダーズが好きだった。
私が、ラジオの深夜放送を聴き始めたのは、中学3年の晩秋だった。
その頃はおもに、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」だった。
初めて溶け込んだ深夜放送の世界、毎日が新鮮だった。
いろんな意見、考え方、そして音楽がラジオから飛び込んできた。
「帰ってきたヨッパライ」が毎日流れた。
「受験生ブルース」もかなりかけられたが、
「帰ってきたヨッパライ」がダントツだった。
そのうち「ケメコの唄」なんてのも聴こえてきましたね。
「帰ってきたヨッパライ」の次はどんな歌だろう?と素朴に考え待っていた。

 それが「イムジン河」だった。
私は感動しました。
あのコミックソングのあとにこの歌か!!!と思ったのです。
ところがその歌がレコード発売禁止になった。
そのあとに発売されたのが「悲しくてやりきれない」でした。
サトウハチロウー作詞の歌だった。
また、私はまいっちまった。
そのときの私にはかなりこたえた歌だった。

「何のために」「青年は荒野をめざす」「花の香りに」
「戦争は知らない」「コブのないラクダ」etc
フォークルの歌った歌は沢山ある。
その中で加藤和彦が作った曲、選んだ(プロデュースした)曲が素晴らしい。
私は、高校生の頃、加藤和彦に憧れギターを弾いていた。

それにしてもなんで加藤和彦は、私の住む軽井沢なんぞに来て死んだんだ。
おれンとこから数キロしか離れていないではないか。
おれは悲しい。涙が流れてきてしかたがない。
 

コメント
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