知る楽選 「探究この世界・原武史・鉄道から見える日本」
ー私鉄沿線に現れた住宅ーという番組を観た。(NHK総合10:05~)
これは再放送ですね。
(私は、夜勤のためにこの時間テレビを観ていられる)
西武鉄道のことをやっていたので興味深かった。
昔、西武池袋線は武蔵野鉄道という会社だった。
今の西武新宿線にあたる西武鉄道を吸収合併して、
現在の西武鉄道になったそうだ。
(今、ウィキペディアを見たら、1945年(昭和20年)9月22日 -
武蔵野鉄道は西武鉄道(旧)と食糧増産を吸収合併して西武農業鉄道に改称)
と書いてある。
ま、西武農業鉄道から西武鉄道になったと書いてあるから間違ってはいない。
それにしても、西武鉄道の歴史は複雑ですね。
ぼーっと観ていたので、あまり確信を持ってここに書けない。
私としては、息子たちが幼稚園の年中組のときの11月に、所沢に引っ越した。
それまで富士見市(鶴瀬)というところの2DKに住んでいて、
同じ公団住宅の3Kテラスハウスに住みたくて
住宅変更という手続きをして、所沢に引っ越してきた。
女房の両親が西武池袋線の富士見台駅に住んでいたということもあった。
息子たちが小学生になってから、
女房の母親が家に来てくれて息子たちを夕方まで面倒みてくれた。
おかげで女房は、ファミリーレストランのパートに行けるようになった。
テラスハウスは1・2階が1つの家でそれが10軒ほどつながっていた。
ですから庭があったのです。
そこに引っ越せたときは幸せでした。
庭に花壇なんか造って、チューリップなど植えました。
今日の番組では、ひばりヶ丘と大泉学園に造った公団住宅のことを紹介していた。
やはり昭和30年代に造られたこの公団住宅は大人気だったという。
しかし、今では、それらの団地は高齢者が多い住宅になってしまった。
この番組を進行している原武史(明治学院大学教授)は、
東久留米駅から行く滝山団地に子どものとき暮らしていた。
今、女房が住む清瀬の団地は、昭和46年に造られたが同じ運命をたどっている。
私は、西武新宿線の新所沢駅近くの団地で、息子たちを育ててきたので、
今日の番組には感情移入が激しかった。
今の私は所沢に対してただ“望郷”の想いだけです。
それが、死ぬ間際には所沢で暮らしたいというささやかな“夢”になっている。
ふるさと茨城よりも所沢です。
ああ…、所沢で死にたいな。