部長の巡察

2008年12月17日 | 健康・病気
昨日午後3時過ぎ、EAST棟を巡回して戻ると本社の部長と会った。
「なに…、おぎさん辞めるんだって?」
私に会うなりいきなり訊いてきた。
「ええ…、いろいろありまして」
「なんだよ、おぎさん。頼りにしてたんだよ」
「人間関係ですよ。もう私は限界です」
「そんなにかたく考えなくてもいいんじゃないの。
 そういうことはどこでもあるんだよな。
 その人と勤務を別にしてもらうとかやり方あるよ」
「いやァ。もういいんですよ」
「おぎさんはよくてもこっちは困るよ。
 別な現場に行ってもらってもいいんだよ」
「11月にK課長が来たとき、所沢からここは遠いので
 もっと近い勤務地にかえてもらえないでしょうか、
 とお願いしたんですが、『それはできない』といわれました」
「そりゃ、そういうだろうな。このタワーマンションは
 みんなから仕事がきついと嫌われている。
 ここの人間が抜けたら補充が大変なんだよ。
 おれからK課長にはいっとくから他の現場に行けよ。
 行くところは他にいっぱいあるんだよ」
そういわれて私は迷った。

九想話にも書いてなかったことですが、
私は来年4月から長野県の会社に就職することになっています。
「実は、私は4月から長野のある会社に就職が決まってまして、
 3月には長野に引っ越さなくてはならないのです。
 もし職場をかえてもらってもすぐに辞めなくてはなりません」
「ほう、それはいいことじゃないか。だったら2月までうちにいなよ。
 そうものごとかたく考えることないよ。
 おれが、池袋あたりの現場探すよ。どこも人がいなくて困ってんのよ。
 あまり世の中かたく考えないほうがいいよ。
 もっとずるくうまく生きなけりゃな」
「なんかそれじゃ悪いですよ。退職届出して、ここで会社に残って
 また2月に辞めるなんて中途半端で悪いです。ここは男らしくさっぱり…」
「こういう業界は人間の数なんだよ。警備員がいないと金にならないんだ。
 2月までやってくれ、頼むよ。けじめとか男らしくなんてつまんないよ。
 人間、ときにはずるくしたたかに、だよ」
そういって部長はタワーマンションから去っていった。

おそらく今日の巡察は、復帰した隊長に会いに来たのが目的だろうが、
私のこともそのひとつだったと思う。
部長は、警視庁を定年退職した人です。
これまでは巡察に来ると、
「どうだ、ちゃんと仕事はやってるか。服装は乱れてないか。
 モニター監視で居眠りなんかしてはだめだぞ」
と原則的なことしかいわなかった。
それが昨日は、
「あまり世の中かたく考えないほうがいいよ。
 もっとずるくうまく生きなけりゃな」なんていう。
こういうことを前からいってくれていたら、
私は部長を好きになっていたのにな。

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桑田はエライ

2008年12月17日 | 健康・病気
桑田氏 来年1月早大大学院受験へ!(スポーツニッポン) - goo ニュース

桑田真澄が来年1月早大大学院受験をするという。
すばらしいですね。
このことで彼がますます好きになりました。
小学6年生のときの夢を実現させようとしている。

私は、大学にいきたいと思いながら挫折しました。
高校を出て、手工品ギターの工房に弟子入りしてギターつくりに夢破れ、
3ヶ月でふるさとに帰り、金物屋で働いた。
そこで金を貯めて翌年上京し、お茶の水の駿台予備校の夜間部に入りました。
昼間は、本郷三丁目の試薬品会社で働き、夜は予備校に通った。
本郷三丁目からお茶の水まで歩いて20分ほどなんです。
アパートは、駒込の三畳間だった。家賃が5500円。
駒込、本郷三丁目、お茶の水は、都営バスで一直線だった。
しかし、秋になったらほとんど予備校には行かず、酒ばかり飲んでいた。
酒の相手は、プロボクサーを夢見る龍彦と
一級建築士を目指す高校の同級生のKだった。
このKは、大学を出ないで勉強して一級建築士になり、
現在建設会社の社長になっている。
私だけ、夢を実現していない。

私は、意志が脆弱なんですね。
そのあとに入った桑沢デザイン研究所もやめた。
まったく人間としてみっともないです。

その点、桑田はエライ!!
プロ野球選手として一流だったのに、これからまた大学院に入って勉強するという。
おれはなにやってんだ、という気にさせられますね。
しかし、大学を卒業してない桑田が、
“大学卒業と同等の資格を得て”というのが納得できない。
それじゃ、4年間勉強して大学を卒業した人、
卒業できなかった人の立場はどうなるの?

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