2月で日曜日が5つあることはめずらしい。
まず普通の年ではありえない。
閏年で1日が日曜日のときに実現する。
今年がそうです。
昨日のNHKの天気予報でおしえられた。
28年前にあり、
こんどそうなるのは28年後だそうです。
久しぶりに日曜日が休みになった。
昨夜は飲み過ぎてつぶれてしまった。
朝、九想話を書きテレビを観ていた。
〔課外授業ようこそ先輩〕「作ろう恋歌」宇崎竜童。
小学6年生がそれぞれ自分の“ラブソング”を作っていた。
それを観ていて涙が流れてきた。
〔題名のない音楽会21〕「アジア音楽癒やしの源流」
シタール、二胡もいいが、
インドネシアの竹の笛(名前を失念)がよかった。
初めて見る笛だった。
私は、世界中の笛を集めたいと思っています。
サンデープロジェクトの田中康夫と田原総一朗の
話を聴いていると、女房が起きてきて、
「フラメンコの練習しに行かない」という。
11時頃、私たちはカホンをぶらさげて、
家から5分ほどの中央公園に行った。
ジョギングやウォーキングをやっている人、
キャッチボール、サッカーをやる人、
ぼーっとベンチに坐っているいる人。
「ちょっと恥ずかしいね」女房がいう。
私だって恥ずかしい。
公民館よりの公園の隅でやることにした。
新聞紙の上に置いたカホンにまたがる私。
女房はフラメンコシューズを履いてきた。
ブレリアのコンパスを練習。
女房が足と手でリズムを刻み、私はカホンを叩く。
私の12拍のリズムに合わせて、女房が地面を蹴る。
そのうち、私にフラメンコのステップをやれというので、
やってみるが、これが難しい。
女房は、よく30代後半で、
こんなものを始めたなと感心した。
今も、自分の子どもの年齢ぐらいの人たちとやっている。
わが女房ながらちょっと感動です。
しかし、私だってこの歳でカホンなんか買っている。
実際、これをどう叩くか分からない。
考えれば、似たもの夫婦なのかな。
彼女はある踊りの“裏打ち”ができないからと、
その練習をした。
何度やっても私のカホンの音の“裏打ち”にならなくて、
一緒になってしまう。
でもあのリズムを足でやるのは難しいと思う。
何人かの人がそれとなく私たちを眺めているのが分かる。
木の箱に坐ってその箱を叩く男と、
手拍子をしながら足でリズムを刻む女。
へんなことしているな、と思っていただろう。
今日は暖かく4月のような天気だった。
気がつくと、時計は午後2時近くになっていた。
これから、木の箱にまたがっている男と、
手拍子をしながら足を踏みならしている女が、
シントコの中央公園にいたら、私たちです。
声をかけて下さい。
土曜日映画館に行って、
「ラブ・アクチャリー」という映画を観た。
テレビやラジオで評判がよかったので、
ぜひ観たいと思っていた。
私の好きな映画評論家や映画好きが、
“お薦め”していたのだ。
土曜日の午後5時35分から始まるのに行った。
さすがにお客が沢山いた。
なにしろバレンタインデーということもあって、
かなりのカップルがいた。
あれだけ客がいるといろんな人がいる。
映画が始まって3分の1ぐらいまで、
話し続けている女の子の声が聞こえた。
私は気になって気になって、映画に入り込めなかった。
家でビデオを仲のいい友だちと観ているんじゃない。
何考えているのかな。
でも、映画のおかげか途中から話し声は聞こえず、
私も映画の世界に溶け込んでいった。
いい映画だった。
複数の人の愛にまつわるエピソードが、
モンタージュ的に描かれていき、
それぞれ素晴らしいエンディングをむかえる。
久しぶりに、心が上昇して心地よい開放感を味わった。
こういう映画もあるんだと感心した。
この映画を観て損はない。
ぜひみなさんも観て下さい。
ハッピーな気持ちになれますよ。
陸上自衛隊のイラク派遣部隊の先遣隊約30人が、
クウェートからイラク領内に入った。
とうとう行ってしまった。
なんていったらいいか。
ニッポンは、少しづつ、少しづつ、………。
昨日は久しぶりに楽家に行った。
仕事が8時に終わり、駐車場に着いたのが9時前だった。
女房がいない日なので帰っても家に飯はない。
家に寄らずにそのままの足で行った。
カウンターはほぼ埋まっていた。
Sさんと奥さんがいた。
読書好きなご夫婦です。
いつもは本の話で盛り上がるが、
昨日は日本シリーズの話になった。
Sさんは、九想話「ジーパンを繕いながら」
には笑わせられた、といった。
彼はジャイアンツのファンなのだが、
やっぱりきちんと応援していると負ける、らしい。
みんな同じような気持ちで野球を観ているようだ。
「最近の九想話の行間はいい」Sさんがいう。
「『行間はない』とこの前書いたんだけど」
「いや、私は九想話の行間を感じて読んでるよ」
「それは、Sさんが生身のおれという男を知ってるから、
そういうふうに感じるんじゃない」
「ともかく、この頃の九想話は明るくなったよ。
前は暗かったな。
青空の見える暮らしをしているからなんじゃない」
「青空の見える?」
「そう、私は『青空が見える人生』が夢なんです」
確かに、前の会社にいたときはとがって生きていた。
余裕がなく、いつも心がうつむいていた。
昨日は飲みました。
Sさん夫婦が帰ってからも飲んでいて、
結局閉店(AM1:00)までいて、
それからママたちと近くのもんじゃ焼きに行き、
家に帰ったのが…、覚えていない。
そういうわけで九想話は書けませんでした。
私は、北野武の「座頭市」を認めない。
10日前に観てから、
あの映画のことをずーっと考えてきた。
それなりによく出来ているとは思うが、
私としては、「座頭市」をいい映画とは思わない。
なんであの映画が、ベネチア国際映画祭の
「監督賞」を受賞したのだろう。
ビートたけしは大好きなのだが、
なんかマスコミが彼を、
“大”監督のように祭り上げているのがイヤだ。
たんに私の感性が北野武の映画に合わないだけなのか。
あの終了間際はなんなんだ。
あれでは「“座頭”市」ではなくなってしまう。
ジーパンを買った。
最近、私が買うジーパンはユニクロのものです。
2,900円というプライスがありがたい。
私は、20代の頃からジーパンしかはかない。
それ以外のズボンは持ってないのです。
あの頃、ジーパンを買うのはアメ横だった。
会社が本郷三丁目にあったから、
15分も歩けばアメ横に着いた。
ベルボトムをはいてました。
あの裾が広がってるやつです。
その頃私は痩せていたので、
なかなかかっこよかった(と思ってる)。
身長170センチで、体重60キロにウエスト76センチ。
それが今では、体重73キロにウエスト85センチはある。
買ったジーパンはウエスト32インチのストレート。
ほんとは33インチがよかったが、ちょっと無理をした。
いや、ジーパンは最初はきつめのほうがいい。
はいていくうちに伸びるから。
でも、ウエストも育っていくのが悲しい。
はけなくなったジーパンが、
何本ダンボールに眠っているだろう。
私は、ジーパンの左のポケットにハンカチ。
右のポケットには車と家の鍵のついたキーホルダー。
尻の右ポケットに財布を突っ込み、
左ポケットには携帯灰皿を入れている。
この状態でないといけない。
ちなみに、電車に乗るとき買った切符は、
右の小さなポケットに入れている。
女房もジーパンをはくが、最近はいろいろだ。
20代のときはほとんどジーパンだったと思う。
最初に会ったときもジーパンだった。
顔はおいといて、スタイルはよかった。
私の人生においてジーパンははずせない。
これ以外のズボンをはく気がしない。
冠婚葬祭のときは別です。
先日、熊本に行ったときもジーパンにジャケットだった。
ジーパンというものを作ってくれた
アメリカ“には”感謝しよう。
所沢の空には雲が広がっていて、なかなか月が見えません。
ときどき雲のあいまに、もったいぶった月が顔を出します。
かなり離れてしまった火星のまわりには雲がなく、
これ見よがしにキラキラ光っています。
私が子どもの頃、十五夜には母が縁側に、
ススキと実をつけた柿の枝を差した一升瓶と、
団子、栗ご飯、けんちん汁などを載せた小さな卓袱台を置いた。
夕方、うす暗くなり始めた頃、
庭に子どもたちがやってくる。
だいたい2、3人のグループだ。
ススキなどを飾った縁側の前に来てひざまずき、
手に持った「ぼうじぼ」を地面に打ってうたいだす。
「ぼうじぼ」のことは、1999年10月4日の九想話に書きました。
子どもたちの「ぼうじぼの唄」が終わると、
母は、卓袱台の下に置いてある缶から小銭を出してあげた。
この日のために母は、小銭を1年間ためておいたのだ。
私も友だちと“稼ぎ”のために家を出た。
かなうものならあのときに戻って、
満月の下で「ぼうじぼの唄」をうたいたい。
といって、あの頃の毎日が楽しかったというわけじゃない。
私をはじめ誰もが貧しく、うす汚い身なりをしてた。
それでも今の子どもより、豊かな気がします。
いや、そう私だけが情緒的に思ってるだけで、
やっぱり今のほうが“豊か”かな。
こわい。
なんでいまになって戦争なんだ。
20せいきまで、さんざんやってきたじゃないか。
21せいきになったんだから、もうやめようよ。
しぬのは、ふつうのひとなんだ。
せいじかだけで戦争するのなら、かってにやれよ。
いっぱんのこくみんをまきこまないでくれ。
おら、やだよ。