昨日の朝、出勤する車の中で聴いてるラジオ局を、
TBS から文化放送に変えたとき、
いきなり三橋三智也の浪々とうたう歌声が流れてきた。
「怪傑ハリマオ」だった。
いつも土曜日は8時から、
TBSで歴史家加来耕三の番組を聴いている。
今日は、乃木大将で、なかなか興味深い話だった。
それが終わって文化放送にダイアルを変え、
「大竹まこと少年ラジオ」という番組にしたときだ。
懐かしかった。ネットで調べたら、
昭和35年から翌36年まで放映されたと書いてあるから、
私が8歳から9歳までのときです。
そのころ私の家にはテレビがなかった。
隣の家に見に行っていた。
よく友だちと“怪傑ハリマオごっこ”をやった。
頭に白っぽい風呂敷を巻き、
おもちゃのサングラスをかけハリマオになる。
そのとき集まった者全員がそのかっこうをしていた。
(サングラスがないやつ(私)は風呂敷だけだ)
悪者は誰もいない。
ハリマオとハリマオが闘ってどうする?
すぐ終わってしまうかな、と思っていたら、
フルコーラス流れた。
♪ まーかな たいよ~ も~えーているー
は途中からだったので聴けなかったが、
その他は全部聴いた。
沈んでいた心はハイになっていた。
昨夜、女房から、帰りが遅くなるので
「冬のソナタをビデオで録っておいて」といわれた。
録画し忘れたらどういう仕打ちが待っているか分からない。
私はとりあえず録画予約をし、
念のためにビデオデッキがドラマが始まるときに
ちゃんと作動するかどうか見ていた。
11時10分、「冬ソナ」は始まりビデオも動いた。
昨日は、第16話「父の影」 だった。
私はこれまで「冬のソナタ」をちゃんと観たことがない。
去年の秋、BSでやっているのをちょっと観たことがある。
しかし、どうも“甘ったらしい”イメージを受けて、
そのあと観続ける気がしなかった。
いろいろな情報でだいたいのあらすじは知っている。
そのいい加減に知っているストーリーのせいもあって、
観る気がしなかった。
女房が観るようになってからも、
私は脇でパソコンに向かっていてテレビは観なかった。
ちょっと観て、なんだかんだいうと、
「観ないで!」と女房に叱られた。
「冬のソナタ」をじっくり観ていて引き込まれた。
ストーリーの展開が早く分かりやすい。
登場人物が少ない。極端なぐらいに少ない。
ジュンサンの会社には上司1人しかいない。
街中にも“その他大勢”がいない。
次はどうなるんだろう?という興味を途切れさせない。
しかし、観終わって考えると、
あまりにもストーリーが安易だ。
高校でクラスメイトの登場人物の親たちも
高校のとき同級生だなんて。
こういうことをいうと、また女房に怒られてしまうな。
goo のサイトの「韓国ドラマ」というところをクリックすると、
「冬のソナタ」20話全部のあらすじが読める。
読んでみて、確かにこれは面白い物語だと思う。
それにしてもこういうもので、日本の女性たちが、
韓国という国に親しみを感じ理解することはいいことだ。
外交とか工業製品などより、
こういう“文化”でお互いに興味を持つことが
いいことだと思う。
来週から女房と並んで一緒に観てみようかな。
女房が嫌がるだろうな。
昨日の夜10時半からBS2で、
「今朝の秋」というドラマが再放送された。
山田太一のシナリオです。
前に放送されたのが1987年だから、
16年前ということになる。
その間に何度か再放送されたのだろうか。
ストーリーは、
蓼科でひとり暮らしている鉱造(笠智衆)に、
息子隆一(杉浦直樹)の
妻悦子(倍賞美津子)が訪ねてくる。
息子の命が、ガンであと3ヶ月の命と知る。
タキ(杉村春子)は鉱造の離婚した妻で、
一方的な鉱造の生き方に愛想をつかし、
男をつくって家を出た。
その男が死に営んでいる居酒屋が危くなって、
隆一に金を借りたのが縁で、
行き来するようになっていた。
鉱造は、隆一と悦子に離婚の話があることを知る。
息子の病気を知ってタキも病院に来るようになる。
鉱造は息子にせめて死ぬまで
充実した幸せな時間をもたせたいと思う。
ある日、鉱造が帰るとき、
息子が「蓼科に行ってみたいな」という。
病室を出てエレベーターの中で鉱造は考える。
エレベーターを出て立ち止まり、
彼はまたエレベーターに乗る。
病室に戻った鉱造は「蓼科に行こう」と息子にいう。
「病院が許しませんよ」と隆一。
「抜け出せばいい」と笑う鉱造。
このシーンが好きだ。
ある秋の日、蓼科にみんなが集まる。
「錯覚しそうだな、家族はいいもんだと」
布団に寝ている隆一がつぶやく。
哀しいセリフだ。
隆一が「恋の季節」をうたう。
タキが家を出て行ってから、
鉱造がよくうたっていた歌だ。
みんなでうたう。
♪こ~いは、わたしのこ~いは、
そらをそーめて、もえたよー
葬式が終わり、タキが東京に帰る。
ひとりになった鉱造が洗濯物を取り込む。
私は今回も涙があふれてしょうがなかった。
最後までストーリーを知っているのに、
涙が止まらないのです。
笠智衆がいい。
杉浦直樹を観ているだけで哀しかった。
私は80過ぎた親父の最後の1週間に付き合った。
排泄物も始末した。
しかし、それが逆だったら。
私が年老いて、息子の死を看取るとしたら…。
武満徹の音楽がよかった。
古尾谷雅人が25日に自殺した。
45歳だった。
テレビのドラマなどをあまり観ないので、
最近の彼を私は知らない。
むかし、日活ロマンポルノの
「女教師」という映画を観て彼が好きになった。
毎日新聞のHPには、
「1月の仕事を最後に休業。
その前後に身内の不幸があり、
悩んでいる様子だったという。」
と書いてあり、
スポニチのHPには、
「今月上旬までドラマの撮影に臨み、
この日はオフだった。
出演したドラマ、映画が
4月初旬から続々と公開予定だった。
仕事上で悩みがあったようには見えなかった」
と書いてある。
取材した相手によって、ずいぶん違うようだ。
それにしても、なんで死んだんだ。
好きなひとが自殺するのはさびしい。
昨日と今日、「北の国から 2002遺言」を観た。
倉本聰の相変わらずの臭さの中で
ストーリーは展開する。
私は、倉本聰のこの“臭さ”が好きなのだが、
女房はキライで「北の国から」を観ない。
今回の「北の国から 2002遺言」では、
唐十郎がよかった。
むかし観た状況劇場での演技を思い出させてくれた。
ちょっとやりすぎという感じもしたが…。
私はこの番組を、
'81年に放送されたときから観てる。
息子たちが1歳で、
これからどのように息子たちを育てよう、
と希望に燃えていたときに観ていた。
純と蛍を育てる黒板五郎の考え方が好きだった。
ふたりの成長を、
息子たちの成長と比べながら観ていた。
世の中の底辺で暮らす五郎の家族のドラマは、
同じく底辺で生きてる私にありがたかった。
もう、同じスタッフとキャストでやる
「北の国から」は終わりだという。
長い間楽しませてくれてありがとう。