ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

151日目 朝来の「鉱石の道」(1)

2016-05-31 23:51:01 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月4日(水)


多可町をオサラバした後は山を越えてJR播但線沿線に向かい、今は朝来(あさご)市の旧生野町(いくのちょう)にやって参りました。

ステージは北播磨地域から但馬(たじま)地域へ移ります。
但馬とは旧国名の事で兵庫県北部一帯を指しますが、今回廻るのはその一部だけ。
そして、この日の残りは市町村訪問というより、どちらかと言うと観光に精を出します。

というワケで、平成19年に近代化産業遺産群に認定された「鉱石の道」へ。
↓話しを分かりやすくすべく、「鉱石の道」のサイトから引っ張ってきた地図。


↓ルートマップ(同サイトより)。というより寧ろ土地断面図。

有体に言えば、生野鉱山、神子畑(みこばた)鉱山、明延(あけのべ)鉱山の3鉱山とそれらに関する産業遺産群の事(詳細はサイトをご参照あれ)。

↓まずは「鉱石の道」の中でも一番の呼び物と思われる「史跡生野銀山」へ。



大同2(807)年から昭和48(1973)まで1,000年以上も金・銀・銅・亜鉛・スズなどを採掘し続けてきた鉱山。
信長・秀吉、そして江戸幕府が直轄し、明治政府が継承した後に三菱に払い下げられる。

とにかく来場者多し→
ここの知名度が高いのか、近くに超有名なお城2城もあるのでそのついでに来てみたのか分からないけど。
と思ったら、私は見ていなかったけどあの「びっくりぽん」に出てきたという実業家・五代友厚が生野銀山に関わっていたというらしい。ミイハアが多い?

こちらは右手にある出口→

鉱山資料館内にて→
蟻の巣のよう。何だか気色悪い。
実は坑道を見てからこの資料館に入ったのですが、最初にここを見てからの方が良いかもしれません。

坑道内のお決まりの人形→
顔がコワイ真剣。

削って持って帰りたかった。

「慶寿の堀切り」と呼ばれる江戸時代の露頭採掘跡→

鉱山を降りてきて、下界の口銀谷(くちがなや)へ。
そこは「銀山まち回廊」と売り出していて、鉱山町の佇まいを残す地域。

町の佇まいはこんな感じ→

  

↓現存している社宅では日本最古の「旧生野鉱山職員宿舎」。

閉館間際だったにも関わらず、中に入れてくれました。
応対してくれた案内係のおっちゃんは、「これが建てられたのが明治9(1876)年」などと閉館過ぎたにもかかわらず、サービス残業になってまでも(元々ボランティアかもしれないけど)親切にもガイドを買って出てくれる。

↓「今はないけど、俳優の志村喬さんが住んでいた家があってな。ホレ、あのマツの所。」

「寅さん」に出てた(後で「七人の侍」にも出演していたのを思い出したけど)程度しか覚えのない(私にとっては)馴染みの薄い俳優さん。
ですが、彼は生野の誇りらしく、ここは「志村喬記念館」にもなってます。

寺町通り→
その名前のとおり、お寺さんがズラズラと並んでいる通り。

姫宮神社入口→

↓神社への橋からの眺め。



市川という川沿いにはトロッコの軌道跡があります。

生野代官所跡にある「生野義挙碑」→
文久3(1863)年、尊皇攘夷の一派が農民層に働きかけて代官所を襲撃したいわゆる「生野の変」ですが、僅か3日で敗走する。
それより、愛想よく写させてくれた置き去りのワンがかわいい。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→


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