ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

151日目 朝来の「鉱石の道」(1)

2016-05-31 23:51:01 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月4日(水)


多可町をオサラバした後は山を越えてJR播但線沿線に向かい、今は朝来(あさご)市の旧生野町(いくのちょう)にやって参りました。

ステージは北播磨地域から但馬(たじま)地域へ移ります。
但馬とは旧国名の事で兵庫県北部一帯を指しますが、今回廻るのはその一部だけ。
そして、この日の残りは市町村訪問というより、どちらかと言うと観光に精を出します。

というワケで、平成19年に近代化産業遺産群に認定された「鉱石の道」へ。
↓話しを分かりやすくすべく、「鉱石の道」のサイトから引っ張ってきた地図。


↓ルートマップ(同サイトより)。というより寧ろ土地断面図。

有体に言えば、生野鉱山、神子畑(みこばた)鉱山、明延(あけのべ)鉱山の3鉱山とそれらに関する産業遺産群の事(詳細はサイトをご参照あれ)。

↓まずは「鉱石の道」の中でも一番の呼び物と思われる「史跡生野銀山」へ。



大同2(807)年から昭和48(1973)まで1,000年以上も金・銀・銅・亜鉛・スズなどを採掘し続けてきた鉱山。
信長・秀吉、そして江戸幕府が直轄し、明治政府が継承した後に三菱に払い下げられる。

とにかく来場者多し→
ここの知名度が高いのか、近くに超有名なお城2城もあるのでそのついでに来てみたのか分からないけど。
と思ったら、私は見ていなかったけどあの「びっくりぽん」に出てきたという実業家・五代友厚が生野銀山に関わっていたというらしい。ミイハアが多い?

こちらは右手にある出口→

鉱山資料館内にて→
蟻の巣のよう。何だか気色悪い。
実は坑道を見てからこの資料館に入ったのですが、最初にここを見てからの方が良いかもしれません。

坑道内のお決まりの人形→
顔がコワイ真剣。

削って持って帰りたかった。

「慶寿の堀切り」と呼ばれる江戸時代の露頭採掘跡→

鉱山を降りてきて、下界の口銀谷(くちがなや)へ。
そこは「銀山まち回廊」と売り出していて、鉱山町の佇まいを残す地域。

町の佇まいはこんな感じ→

  

↓現存している社宅では日本最古の「旧生野鉱山職員宿舎」。

閉館間際だったにも関わらず、中に入れてくれました。
応対してくれた案内係のおっちゃんは、「これが建てられたのが明治9(1876)年」などと閉館過ぎたにもかかわらず、サービス残業になってまでも(元々ボランティアかもしれないけど)親切にもガイドを買って出てくれる。

↓「今はないけど、俳優の志村喬さんが住んでいた家があってな。ホレ、あのマツの所。」

「寅さん」に出てた(後で「七人の侍」にも出演していたのを思い出したけど)程度しか覚えのない(私にとっては)馴染みの薄い俳優さん。
ですが、彼は生野の誇りらしく、ここは「志村喬記念館」にもなってます。

寺町通り→
その名前のとおり、お寺さんがズラズラと並んでいる通り。

姫宮神社入口→

↓神社への橋からの眺め。



市川という川沿いにはトロッコの軌道跡があります。

生野代官所跡にある「生野義挙碑」→
文久3(1863)年、尊皇攘夷の一派が農民層に働きかけて代官所を襲撃したいわゆる「生野の変」ですが、僅か3日で敗走する。
それより、愛想よく写させてくれた置き去りのワンがかわいい。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

151日目 北播磨地域はこれにてクリア

2016-05-29 23:53:25 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月4日(水)


前編で先に西脇市から触れましたが、この日最初の訪問地は、平成18年に社(やしろ)町・滝野町・東条町とが合併してできた加東市。

↓(585)兵庫県加東市役所
 
市をアピールするためのマスコットキャラクターとしては地味な印象の「加東伝の助」のモチーフは、加東に釣り針を伝えたとされる「小寺彦兵衛」というお人。
全然知らないけどね・・・。
それに、立派なキャッチフレーズとは裏腹に住民は思うようには増えないようで、ここ最近は4万人あたりをウロウロしています。

↓市役所庁舎横にある、ツツジが取り囲む状ヶ池。

赤穂藩ゆかりの池であるようで、きっと今頃は役所周辺で「つつじまつり」が開催されていて大いに賑わっている(ハズ)。

加東市散策は市役所庁舎がある旧社町だけにします。
まずは千鳥川のほとりへ→
風薫る5月の早朝。目にも鮮やかな新緑、心地よい鳥のさえずり。とても気持ちが良い。我が家の近所にもこういう川があったらな、とかなり羨ましい。

↓川沿いの「新宮神社」で、遅まきながら旅の安全祈願。


「やしろ商店街」の入口手前→
写真には収まりませんでしたが、左側に「←赤穂四十七士の墓(観音寺)」という看板があります。

↓ドレドレ、どんなものかと見てみたけど、草が伸び放題で手入れされていなさそう。

夜になると人魂が飛び交っていそうな一見無縁墓地のようで、四十七士のものにしては貧相すぎる。
後で知ったのですが、観音寺は浅野家の祈願所だったため、江戸時代後期に四十七士の供養墓碑が建立される。どうやらそれは奥の立派なお寺さんにあるのかも。

商店街→

この商店街にあった自販機→
だいたいこの手の自販機で売られているのは、エ○本だったり、20年前の雑誌だったりで、しかもお金を入れてもモノが出てこないとか・・・。
でも普通の大衆週刊誌が売られ、しかも新刊。それなりにここで買う人がいる模様。でも、コイン投入口が塞がれているし、どうやって買えというのだろう?

銀座通りの「やしろ商店街」→
整然と並ぶ街灯・垂れ幕が美しい。

佐保神社→
北播磨第一の大社。故に「社」という地名になったという。

明治館→
旧加東郡の公会所で、平成4~5年に復元修理した建物。

間に西脇市を挟んで、多可町(たかちょう)へ。
(587)兵庫県多可郡多可町役場
ここも平成17年に中町・加美町・八千代町が合併してできた町で、役所があるのは旧中町。
シワジワ人口が減っていて、合併時25,000人ほどいたのが今では22,000人を少し下回っていて、早晩2万人を割り込むんだろうな。

↓多可町は「日本一の酒米・山田錦発祥のまち」でアピールする町。

「敬老の日」発祥の地でもあり、昭和22(1947)年、旧八千代町で初めて村主催の敬老会を開催したのがきっかけに、9月15日を「としよりの日」として祝日とすることにし、昭和41年に「敬老の日」として国民の祝日になる。
他には、「日本一の手漉き(てすき)和紙・杉原紙」が町の自慢。

↓平成2年まで走っていたJR鍛冶屋線の駅跡地の「あかね坂公園」。




↓ついでに鍛冶屋線の終着駅・旧鍛冶屋駅へ。



鉄道資料館(鍛冶屋線記念館)となっております。

西脇市訪問の際に触れませんでしたが、かつてあった市原駅舎(大正10(1921)年築)も同様に「鍛冶屋線市原駅資料館」として保存されています。

鍛冶屋地区の街並み→
鍛冶屋という地名だけあって鍛冶屋さんが多かったのだろうと容易に想像できるけど、実際近くにあった牧野鉱山から採掘された鉄をここで加工していたのだという。

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151日目 日本列島のド真ん中に立つ

2016-05-25 23:59:35 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月4日(水)


今日5月25日は平成になって10,000日目なんだとか。
もうそんなに経ったのかあ、道理で歳取ったワケだ(苦笑)
昭和最後の日・平成最初の日は何をしたのか覚えているけど、10,000日目はこれといって記憶に残るような事はなかったな・・・。

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↓ガマの大合唱がBGMの「道の駅北はりまエコミュージアム(西脇市)」を7時頃発ちます。

夜は時折風雨が激しかったものの、何事もなかったような晴れの爽やかな朝。

まず先に加東市に向かったのですが、また西脇市に舞い戻ってきたので、本編では西脇市の事について触れます。
最初に訪れたのは「日本へそ公園」→
看板には、北・宗谷海峡の北緯46度、南・波照間島の北緯24度、東・択捉島で東経147度、西・与那国島で東経123度をそれぞれ東西南北の端とすると、その中心にあたる北緯35度と東経135度が交差する場所、つまり「日本のへそ」にあるのが西脇市だとの説明がある。

敢えてツッコミを入れるなら、日本の北端は択捉島(北緯45度)だし、東は南鳥島(東経153度)、南はドコゾの国が岩だと難癖つける(というか、客観的に見ても岩にしか見えないんだけど)沖ノ鳥島(北緯20度)なので、それに基づけば、本当の「日本のへそ」は遠州灘の遥か南洋上。
寧ろそんな事よりも、東と南の端が東京都というのが驚きかも。

さて、「日本のへそ」を標榜する都市は西脇市以外にもあります。
他には人口の重心で考える場合もあって、その場合は岐阜県関市辺りらしいです。

↓ここは大正12(1923)年に旧陸軍によって計測された北緯35度と東経135度の交点。

いわゆる「大正のへそ」ですが、加古川の河川敷にあって、鬱蒼とした中、埋もれて忘れ去られた感ある石碑。
碑は道路橋(その名も経度橋という)の袂下にあります。
その橋に上がってみる(上流側)→
奥は黒田庄といい、あの軍師の出身地とされる場所。

JR加古川線・日本へそ公園駅→
つまり日本のド真ん中にある駅で、後ろの丘が公園。
駅前の建物は今もご健在という西脇市出身の世界的な画家・横尾忠則氏の作品を展示保存している岡之山美術館。
でも美術に全く興味ないのでパス。

↓国土地理院がGPSで測量した「平成のへそ」。
 
こちらは大正のとは違って、目立つように4本のモニュメントが立ってます。
あたかもこっちが正しいものと言わんばかり。
せっかくなんで、記念に交点にシッコでもひっかけてやろうと思ったけど(ウソです。良い子はそんな事しないように)。

「平成のへそ」からの眺め→

↓にしわき経緯度地球科学館(テラ・ドーム)、入場料は\510(JAF会員は\410)。

プラネタリウムがあり、気象・自然現象などを学べます。
が、外見が子供向けだし、実際入ってみたらやっぱり子供向け。
多くの子供の中に大人がポツンと見物している様は何となく恥ずかしい。なのでさっさと出てしまう。

(586)兵庫県西脇市役所
西脇は市内を流れる加古川支流の杉原川(写っていないけど写真左に流れています)の水質の良さを背景として播州織が発展したので、比較的第2次産業従事者の比率の高い町。
平成17年に黒田庄町を合併し、現在の人口は約42,000人。

後は市内を軽く散策。
↓古い建物が佇む街並み。




ギザギザ屋根が特徴の織物工場→

仕舞屋となったらしき料亭→

横尾忠則氏「Y字路」の原点・椿坂→
「原点」の意味がその時には分からなかったけど、横尾氏のライフワークとしてY字路の風景を描いているようで、そのシリーズの最初に登場する場所がここらしい。

豊川町交差点→

ここの商店街も苦戦しているよう→

↓交差点近くの国登録有形文化財「旧来住家(きゅうきしけ)住宅」。

大正時代に地元名士によって建てられ、犬養首相らのお偉い方が泊まったことのある邸宅で、米価比較で現在の価格で2億4千万円を費やしたという。

頃はちょうどお昼。
そこで、ご当地グルメ「播州ラーメン」を味わいに、その元祖とされる「西脇大橋ラーメン」へ。
するとどうだ・・・→
諦めようかと思ったけど折角来たのだし、私にしては珍しく食い意地が勝つ(食べ物屋で並ぶ事は滅多にない)。

小一時間後、ようやく・・・→
見た目醤油ラーメン、ですが一番の特徴は甘い感じの汁。そしてこれが実に旨い!
さすが長蛇の列ができるだけあるわ。西脇に行ったなら是非ご賞味あれ!

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150日目 ドでかい算盤と寺院と地球儀

2016-05-23 00:51:54 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月3日(火)


「おの恋ホルモン焼きそば」でちょっぴり充電(寧ろ放電したかも)して、約5万人が暮らす小野市の中心部へ。

(583)兵庫県小野市役所
好古館(こうこかん)という歴史博物館が市街地にあるのですが、そこがかつての陣屋。つまり小野は陣屋町って事。

↓役所駐車場にある、西暦9億9,999万9,999年まで使えるオブジェ。


小学生の時、とってもイヤだったそろばんの授業。それも「1+5」とか「4-2」とかしかできないお粗末ぶり。電卓が当たり前の時代に生まれたヨカッター!

調べてみたら小野市だけで年間7万丁も作っているらしく、それは全国生産の70%を占めて日本一。
でも寧ろ、昨今のデジタル時代にそれだけの需要があるのにびっくりぽんだわ。
他に有名なものとして「雲州そろばん(島根)」があります。

↓予想はしていたけど、やっぱり存在した特産を拝借した食べ物。

現物を見ずとも形は容易に想像できるし。

役所そばの池「大池」→

↓神戸電鉄粟生(あお)線の小野駅へ行ってみる。
 
立ち込めだした黒い雨雲も相俟って、寒々しい印象が否でも増す駅前。
三木市もそうでしたが、この地域は神戸にそこそこ近いので、来る前は大都市近郊としての賑わいのある所だと思ってました。
何でも粟生線は赤字を垂れ流し続け、存続の危うい路線らしい。電車でなく車でやって来た事に少し罪悪感。

↓駅近くの商店街。
 
気の毒すぎるくらい大苦戦しているよう。
左の建物の看板は上書きされすぎだけど、それがかえって歴史を感じさせるというか、味なものに化けている。
このお店にあるとおり、小野のもう一つの特産として草刈り鎌を主とした家庭用刃物があったりします。

↓どこの廃れた商店街でも、どういう訳だか繁盛していそうで綺麗な店構えをした和菓子屋さんが一軒や二軒あったりする。


↓心配した雨が降り出した中、国史跡・広渡廃寺(こうどはいじ)跡歴史公園へ。

7世紀末頃に建立された寺院。基礎が残っているだけの広っぱで特に面白い所ではない。

実はこれが見たかったのだ→
縮尺20分の1の伽藍模型を見て、気の遠くなるような遥か昔の姿を想像してみる。
ところで「日本一の模型」とパンフレットにはあったけど、どういう点が日本一なのか全くの不明。

↓県道23号線で加西(かさい)市に向かうも、途中で迂回を余儀なくされる。

ここにあった加古川に架かる粟田橋は、3年前9月の台風18号で川底が洗われてしまって沈下してしまったようです。

(584)兵庫県加西市役所
人口は約45,000人。昭和42(1967)年に北条・加西・泉の3町が合併して市制。

市役所のある旧北条町の中心部を歩いてこの日の街巡りは終わりにします。
丸山総合公園の世界一地球儀時計→
直径5mで、重さ14tであるという。

これはオブジェではありません→
北条鉄道の北条町駅。

北条地区は姫路・丹波・但馬・京などの街道が集中する宿場町で、今でも多くの寺院や昔の街並みが残っています。

五百羅漢→
北榮山(ほくえいざん) 羅漢寺にある450体の石仏。
それぞれには異なる表情の顔が彫られているけど、これだけいっぱい並んでいるとかえって気味が悪い。

↓江戸初期築の多宝塔がある酒見(さがみ)寺。


↓虫籠窓、卯建、格子戸などが見られる横尾街道(旧丹波街道)。




さて、疲れを癒しに行くか! それなら温泉が一番。
↓という訳で、西脇市の「官兵衛(かんぺ)の湯」へ。


そして同じ西脇市の「道の駅北はりまエコミュージアム」で車中泊。
この日の走行距離161km、千葉を出てから704km。

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150日目 両兵衛ゆかりの地・三木市を歩く

2016-05-20 23:59:49 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月3日(火)


稲美町(いなみちょう)の後は、5市1町からなるいわゆる北播磨と呼ばれる地域を潰していきます。

ところで、最近は復権著しい大相撲に「きたはりま(一部漢字表記ができないので、平仮名にしておきます)」という力士がおり、彼はてっきり北播磨出身かと思いきや、兵庫は兵庫でも西播磨と呼ばれる地域の出身。名に偽りあり。

それはさておき、訪問地のトップバッターは三木市。
トイレ休憩に寄った「道の駅みき」→
連休中につき、いろいろな催しが行われているせいでかなりの激混み、止める場所探しの車がウロウロしている(私は入ったら幸運にも一区画ポッカリ空いていた)。
人もウジャウジャで、あたかも味噌も糞も一緒状態。

(582)兵庫県三木市役所
神戸のベッドタウンで人口は約8万人。
一方で、観光案内所で奪ってきたパンフレットによると、「日本標準時東経135度線の通る町・名所旧跡が多く古い歴史文化の薫る町・色々な特産品がある町・多彩なレジャー施設がいっぱいある町」とまあ、要約すればこういう様々な顔がある都市で、目標は大きく「日本一美しいまち」。

ここから徒歩で町を歩きます。
三木市立金物資料館・金物神社→
市役所もそうですが、ここはかつての三木城内に建つ施設。
金物で有名な町と言えば、燕市・三条市(新潟)がありますが、三木市も同じで、毎年11月には「金物まつり」という町をあげてのイベントが開催されます。
金物が何故三木市の伝統産業になったのかは後程。

三木城本丸跡→
織田信長の家臣であった城主・別所長治は天正6(1578)年に毛利側に翻意したので羽柴秀吉に攻められ、約2年にわたり大軍に包囲され干乾しにされてしまう。
俗に言う「三木の干殺し」で、「鳥取の渇(かつ)え殺し」と共に秀吉の代名詞的兵糧攻め。
終いには土塀の藁をも食べていたほどの飢餓状態となったので、長治は城兵・領民の助命と引き換えに一族とともに自刃する。

その長治さん→

因みにこの合戦は、竹中半兵衛と黒田官兵衛の軍師二兵衛が顔をそろえた唯一の戦さであったのですが、半兵衛は合戦中途で死亡(三木市に半兵衛のお墓もあります)、官兵衛は荒木村重に囚われの身となる(2年前の「大河ドラマ」を見ていた人のための復習です)。

戦さでボロボロとなった三木のため、秀吉は復興策として免税をした事で町には大工職人や鍛冶屋が集まり、以来、金物産業が栄えたのだという。

知名度は決して高いとは言えず、城跡もちっぽけですが、いざ来てみると戦国時代のロマンをふんだんに感じ取れてやまないお城でございました。

お城から眺めた市街地→ 
川は美嚢(みのう)川。

神戸電鉄・三木上の丸駅(東側)→
三木城の最寄駅。

↓半兵衛が病気療養のため通ったとされる「湯の山街道」を散策。



昔ながらの街並みが見られるこの街道は、有馬温泉に通じているのでこう呼ばれ、合戦中には秀吉は湯を運んでこさせ負傷兵の療養をさせたりしたのだという。

↓三木上の丸駅・西側の高架線をくぐると「ナメラ商店街」に。

「ナメラ」とカタカナで表記されているので何語で、どういう意味だろ?と思ったのですが、かつては「滑原(ナメラ)町」という地名(今は本町2丁目)だったのだと。

↓連休中だからなのか分からんけど、見事なシャッター商店街と化しております。

商店街が兵糧攻めを食らっているかの如く。

旧玉置家住宅(国登録有形文化財)→
文政9(1826)年築の切手会所(いわゆる銀行)で、その頃の三木は何の因果か、今の群馬県の館林藩の領地であって、藩財政の立て直しを目的に建てられたらしい。
秀吉に散々な目にあったけど、その頃には税を吸い上げられる程に豊かな所になっていたと思われ。

ひめぢ道→
ここも古い建物多し。

↓三木鉄道記念公園





平成20年まで走っていた三木鉄道・三木駅で、駅舎は当時の場所から15m移築されているという。
三木市訪問の事前の下調べで「こんな鉄道が最近まであったのか!」とようやく知った程の、私にとっては存在感の薄かった三木鉄道。

次はお隣り小野市へ突撃!
神戸電鉄・樫山駅→

↓駅に隣接するレストラン「ゆうゆうの里」で、ご当地グルメ「おの恋ホルモン焼きそば(\600)」を戴く。

こんなメニューを注文したのだから当たり前なんだけど、よりによって私が非常に不得意な玉ネギがたっぷりでホトホト参りました。俺ってバカすぎだわ・・・。

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150日目 田舎の神戸と稲美のまつりと

2016-05-15 15:51:32 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月3日(火)


淡河(おうご)PAで寝て(というよりほとんど仮眠)、5時前に起床。
この日は朝からやたら風が強く、おまけに午後から雨が降るという。
旅に出ると毎度訪れる試練。いい加減にしてくれ。

↓6時頃PAを出て、布施畑(ふせはた)ICで長かった高速道路とのお付き合いを解消し、近くの神戸総合運動公園(神戸市須磨区)に何となく行ってみる。

初めて目にするオリックス・バファローズ準本拠地・生の「ほっともっとフィールド神戸」。
でも、「グリーンスタジアム神戸」のイメージが抜け切れません、私が古い人間だからか・・・(苦笑)。
それにしても、プロ球団の球場の場所にしては辺鄙すぎ。

手持ちの地図を見ると、私の立っている所は須磨区と西区の境界で、地下には山陽新幹線が通っております。

次に、これまた割と近い所の神戸市唯一の国宝を抱える太山寺(たいさんじ)というお寺さんへ。
参道→

本堂が国宝→
弘安8(1285)年に焼失後、1300年頃に再建されたと、案内板に書かれておりました。

江戸時代初期に建立された三重塔→

神戸のイメージを覆す大自然、鶯の鳴き声以外は一切何も聞こえない静寂。心洗われるなあ。
秋には秋ならではの風景となって、それもきっと美しいんでしょう。
温泉がそばにあるので、ブラブラした後に湯に浸かるのもまた一興。

グリコピア神戸
お菓子や食文化について楽しく学んでいただける施設。
但し対象は「お子さま」なので、私はお呼びでなし。

↓ずっとこんな田んぼだらけの中ばかりを走っております。

一応、神戸なんだけど・・・。

〔46〕兵庫県神戸市西区役所
昭和57(1982)年、垂水(たるみ)区から分区。
区役所のある場所は、第二神明道路の玉津ICの真ん前なのですが駅はありません。
鉄道が走っている明石市にとても近く、そこまで行くバスが多いようです。
ところで、「六甲のおいしい水」の取水地があまり六甲のイメージが沸かないここ西区であると、以前のラベルに書いてあったけど、今はどうなっているんだろ?

↓再び田園風景の広がる中を走って、お隣・稲美町(いなみちょう)へ。

左の池は溜め池。
稲美町に限った話しではありませんが、東播磨・北播磨と呼ばれる地域には360度見廻すと、必ず溜め池を目にするくらいの、あたかも「溜め池銀座」の様相。
実は兵庫県の溜め池数約4万はダントツで日本一、ただその半分以上は淡路島にあるようですが。
ま、それだけ干からびた地域であるのが分かる一方、先人達の知恵と苦労が偲ばれます。

↓播州葡萄園跡という国の史跡があるというので行ってみる。そしてガッカリ。
  
広っぱの中、ポツンと看板があるだけ。しかも、元からこうなのか錆てこうなってしまったのか分からないけど、とても読みにくい。

明治13(1880)年に国の殖産興業政策の一環として開設された国営ワイナリー。
ところが、虫・台風などの被害により頓挫、民間に払い下げられた後、1896年(明治29年)には廃園状態となり跡形もなく消え去ってしまう。
近年になって遺構が見つかったので、発掘調査が行われたという。
それにしても国史跡なのにこの冷たい扱われ方

↓強風の中、体勢を崩しながらも踏ん張ってひたすら国史跡を汚す(?)黒ワン。


葡萄が植えられております→
葡萄園を復活させるつもりの公園らしき。

(581)兵庫県加古郡稲美町役場
昭和30(1955)年に3つの村が合併して誕生、現在3万人余りが住む町。
古来、この地域が「稲日野(イナビ野)」「印南野(イナミ野)」と呼ばれていた事に因んでの命名。

ところで、何かのイベントがあるらしく、その目的らしき車で道は溢れて進みが悪くなっている。
役場にいたガードマンに聞いてみると、稲美中央公園で「稲美ふれあいまつり」というのがこの日の10時から15時まで開催されるという。

ちょっとだけ御呼ばれになってみよう!→
「地域の連帯と活力あるまちづくりを推進するため、住民、町内の各種団体、企業が一丸となり、ふれあいの場をつくる」のがお祭りの目的。よそ者の私に参加資格ないじゃんという声が聞こえてきそうですが。

↓屋外イベント会場にて。風が強いので、時折砂埃が舞います。


↓そんな悪天候でも食欲は萎えません。朝食をロクにとっていないので・・・。
 
姫路駅名物「えきそば」と姫路のご当地グルメ「姫路おでん」。
と言いたいけど、生姜醤油がないので普通の「おでん」か・・・。

↓こういうイベントでは必ずお目見え、ゆるキャラ。
 
稲美町特産品である米がモチーフの「いなっち」(左)に、自衛隊兵庫地方協力本部「ひょうちん」。
「ひょうちん」は迷彩服を着ているのは当たり前と思いきや、中に入っているのが背の高い人の時だけに羽織るようです。
着ぐるみの間から足が出てしまうので、それを隠すためなんだとか。

↓しきりにスカートの裾を気にしていた司会のお姉さん。


米が特産の稲美町ですが、麦畑もよく目にします。
風に揺れる麦穂がまたいい→
黄金色に染まりし麦秋を迎えるまであと僅かでございます。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

149日目 ゴールデンウイークは愛車で西へ

2016-05-13 23:59:29 | 目的地へ(から)移動
2016年5月2日(月)


この日、3ヶ月間の(私にしては)長~~い旅絶ち(?)を打ち破って、ようやく重い腰を上げてのこの時期恒例・ドライブ旅をスタートさせました。
そして目的地は、「ゆっくりのんびり~」旅でもクリア数があまり芳しくない兵庫県とし、その中でも個人的にも過去ほぼ手付かずで未体験ゾーンである内陸部をターゲットにします。

今年のゴールデンウイークは平日を休めば最大10連休となり、実際私もフルに行かないまでもそこそこ長い旅を楽しもうかと思ってましたが、出発した2日にどうしても外せない仕事が・・・。
仕方がないので、午前中だけ千葉県松戸市で仕事を済ませて半ドンにし、戻って急いで旅支度をして14時半頃出発でございます。因みに帰宅は6日の予定。

走行ルートは、長距離運転ゆえ心身ともに極力負担のかからぬよう、京葉道路→首都高速→東名高速→第二東名高速→伊勢湾岸道→東名阪道→新名神高速→名神高速→中国道→山陽道と、至極平凡そのもの。
そして、いつものように休憩したサービスエリア・パーキングエリアを紹介して今編は終わります。

↓足柄SA(静岡県駿東郡小山町)・出発して134km(以下同じ)。16時38分着、17時6分発。

富士山の眺めがいいのですが、この日は残念ながら全く見えず。
その他セールスポイントとしては、9箇所あるお風呂に浸かれるサービスエリアの一つ。

↓「エヴァンゲリオン」とのコラボイベント開催中。

当初は昨年12月23日に終了だったはずが延長されるも、この8日に本当に終了してしまったようです。

「エヴァンゲリオン初号機」というらしい→
6mを超える世界最大の立像なんだとか。でも、どれもこれも私は全く興味はないし。

↓長篠設楽原(ながしのしたらがはら)PA(愛知県新城(しんしろ)市)・303km。18時56分着、19時53発。

今年2月13日に開通した浜松いなさJCT・豊田東JCT間にある、出来立てホヤホヤのパーキングエリア。

ところで、新東名高速は御殿場JCT・浜松いなさJCT間はとっても道幅が広く快適そのものが、浜松いなさJCTから先しばらくは一転、普通の高速道路に成り下がっている上に圧迫感もあってお世辞にも走りやすいとは言えない。どうせなら同じ規格にして欲しかったところ。

PA建物横には櫓があります。
そこからの眺め→

「長篠」とくれば、「長篠の戦い」。
「長篠の戦い」とくれば、これですな→

ここへ歩いて行けます→

晩は「陣屋そば」(\680)→
「陣屋」などと洒落た名前が付けていたけど、至って普通のラーメン。しかも麺の量はかなり少なく、汁は脂っこいし。注文して失敗した一品。

↓草津PA(滋賀県草津市)・475km。21時52分着、22時26分発。

これより先の大山崎JCT付近にて事故渋滞が発生しているので、渋滞解消を待つべく小休止。
周りからイヤでも聞こえてくる関西弁が、関西に来た事を実感させる。

↓淡河(おうご)PA(兵庫県神戸市北区)・563km。23時41分着。

日の出まで5時間ほどこのパーキングエリアで一眠りでございますzzz。
全てのトラックが揃いも揃ってエンジンをかけたままで休憩しているので、うるさくてかなわんが。

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