2016年5月4日(水)
多可町をオサラバした後は山を越えてJR播但線沿線に向かい、今は朝来(あさご)市の旧生野町(いくのちょう)にやって参りました。
ステージは北播磨地域から但馬(たじま)地域へ移ります。
但馬とは旧国名の事で兵庫県北部一帯を指しますが、今回廻るのはその一部だけ。
そして、この日の残りは市町村訪問というより、どちらかと言うと観光に精を出します。
というワケで、平成19年に近代化産業遺産群に認定された「鉱石の道」へ。
↓話しを分かりやすくすべく、「鉱石の道」のサイトから引っ張ってきた地図。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ab/6cbb8d5be7ccca6f67db12813519bd93.jpg)
↓ルートマップ(同サイトより)。というより寧ろ土地断面図。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/38/7b85c105cc67a0f617a2b55f128fdb38.jpg)
有体に言えば、生野鉱山、神子畑(みこばた)鉱山、明延(あけのべ)鉱山の3鉱山とそれらに関する産業遺産群の事(詳細はサイトをご参照あれ)。
↓まずは「鉱石の道」の中でも一番の呼び物と思われる「史跡生野銀山」へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/91/558092322e0ca3d0b05d586fbb1aa9f6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/83/b2d28f3825c4993cf5623be1d74115af.jpg)
大同2(807)年から昭和48(1973)まで1,000年以上も金・銀・銅・亜鉛・スズなどを採掘し続けてきた鉱山。
信長・秀吉、そして江戸幕府が直轄し、明治政府が継承した後に三菱に払い下げられる。
とにかく来場者多し→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/50/a85657111057c82c236a06e0bde25669.jpg)
ここの知名度が高いのか、近くに超有名なお城2城もあるのでそのついでに来てみたのか分からないけど。
と思ったら、私は見ていなかったけどあの「びっくりぽん」に出てきたという実業家・五代友厚が生野銀山に関わっていたというらしい。ミイハアが多い?
こちらは右手にある出口→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/ed/e4431492b1e14a7333b51e320b525f2d.jpg)
鉱山資料館内にて→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/19/3788fe8a7f6900e1e968116e1223afaa.jpg)
蟻の巣のよう。何だか気色悪い。
実は坑道を見てからこの資料館に入ったのですが、最初にここを見てからの方が良いかもしれません。
坑道内のお決まりの人形→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/d7/8b2c2e85e8de392b00eb603ba8d4b633.jpg)
顔がコワイ真剣。
削って持って帰りたかった。→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/ab/598d5d3ee8e60ceae531cd1d8f241cb1.jpg)
「慶寿の堀切り」と呼ばれる江戸時代の露頭採掘跡→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/ac/7b5b15feb3b9b936c56ab6e2d47f87b6.jpg)
鉱山を降りてきて、下界の口銀谷(くちがなや)へ。
そこは「銀山まち回廊」と売り出していて、鉱山町の佇まいを残す地域。
町の佇まいはこんな感じ→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/f0/100b2fb074d6531ef11c5cebad2bf814.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/74/48a37f7d3a5e75215dff56929f6ec181.jpg)
↓現存している社宅では日本最古の「旧生野鉱山職員宿舎」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/01/1e31566f1ed8562e167c927a31dc0a50.jpg)
閉館間際だったにも関わらず、中に入れてくれました。
応対してくれた案内係のおっちゃんは、「これが建てられたのが明治9(1876)年」などと閉館過ぎたにもかかわらず、サービス残業になってまでも(元々ボランティアかもしれないけど)親切にもガイドを買って出てくれる。
↓「今はないけど、俳優の志村喬さんが住んでいた家があってな。ホレ、あのマツの所。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/ad/abab62673be94a0ddacf0726cc8a6888.jpg)
「寅さん」に出てた(後で「七人の侍」にも出演していたのを思い出したけど)程度しか覚えのない(私にとっては)馴染みの薄い俳優さん。
ですが、彼は生野の誇りらしく、ここは「志村喬記念館」にもなってます。
寺町通り→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/80/de3902a834ac193682bf427c0cf997e5.jpg)
その名前のとおり、お寺さんがズラズラと並んでいる通り。
姫宮神社入口→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/d5/25b17832e54abc55807224ad6700f2b1.jpg)
↓神社への橋からの眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/28/1be9fa0f3bbe0af6a18cbe7bc5abd3cb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/0b/082aeeec406be618f4240b91ae89a47b.jpg)
市川という川沿いにはトロッコの軌道跡があります。
生野代官所跡にある「生野義挙碑」→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/5c/4f1e1a2f32e3508f589689ca2144d1b9.jpg)
文久3(1863)年、尊皇攘夷の一派が農民層に働きかけて代官所を襲撃したいわゆる「生野の変」ですが、僅か3日で敗走する。
それより、愛想よく写させてくれた置き去りのワンがかわいい。
![](http://blog.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_2049_1.gif)
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
多可町をオサラバした後は山を越えてJR播但線沿線に向かい、今は朝来(あさご)市の旧生野町(いくのちょう)にやって参りました。
ステージは北播磨地域から但馬(たじま)地域へ移ります。
但馬とは旧国名の事で兵庫県北部一帯を指しますが、今回廻るのはその一部だけ。
そして、この日の残りは市町村訪問というより、どちらかと言うと観光に精を出します。
というワケで、平成19年に近代化産業遺産群に認定された「鉱石の道」へ。
↓話しを分かりやすくすべく、「鉱石の道」のサイトから引っ張ってきた地図。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ab/6cbb8d5be7ccca6f67db12813519bd93.jpg)
↓ルートマップ(同サイトより)。というより寧ろ土地断面図。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/38/7b85c105cc67a0f617a2b55f128fdb38.jpg)
有体に言えば、生野鉱山、神子畑(みこばた)鉱山、明延(あけのべ)鉱山の3鉱山とそれらに関する産業遺産群の事(詳細はサイトをご参照あれ)。
↓まずは「鉱石の道」の中でも一番の呼び物と思われる「史跡生野銀山」へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/91/558092322e0ca3d0b05d586fbb1aa9f6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/83/b2d28f3825c4993cf5623be1d74115af.jpg)
大同2(807)年から昭和48(1973)まで1,000年以上も金・銀・銅・亜鉛・スズなどを採掘し続けてきた鉱山。
信長・秀吉、そして江戸幕府が直轄し、明治政府が継承した後に三菱に払い下げられる。
とにかく来場者多し→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/50/a85657111057c82c236a06e0bde25669.jpg)
ここの知名度が高いのか、近くに超有名なお城2城もあるのでそのついでに来てみたのか分からないけど。
と思ったら、私は見ていなかったけどあの「びっくりぽん」に出てきたという実業家・五代友厚が生野銀山に関わっていたというらしい。
こちらは右手にある出口→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/ed/e4431492b1e14a7333b51e320b525f2d.jpg)
鉱山資料館内にて→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/19/3788fe8a7f6900e1e968116e1223afaa.jpg)
蟻の巣のよう。何だか気色悪い。
実は坑道を見てからこの資料館に入ったのですが、最初にここを見てからの方が良いかもしれません。
坑道内のお決まりの人形→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/d7/8b2c2e85e8de392b00eb603ba8d4b633.jpg)
顔が
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/ab/598d5d3ee8e60ceae531cd1d8f241cb1.jpg)
「慶寿の堀切り」と呼ばれる江戸時代の露頭採掘跡→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/ac/7b5b15feb3b9b936c56ab6e2d47f87b6.jpg)
鉱山を降りてきて、下界の口銀谷(くちがなや)へ。
そこは「銀山まち回廊」と売り出していて、鉱山町の佇まいを残す地域。
町の佇まいはこんな感じ→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/f0/100b2fb074d6531ef11c5cebad2bf814.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a0/d23e16d023e1dff023691b34976694a9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ea/c6dcce25b0044817462d6777c79fbc86.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/74/48a37f7d3a5e75215dff56929f6ec181.jpg)
↓現存している社宅では日本最古の「旧生野鉱山職員宿舎」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/01/1e31566f1ed8562e167c927a31dc0a50.jpg)
閉館間際だったにも関わらず、中に入れてくれました。
応対してくれた案内係のおっちゃんは、「これが建てられたのが明治9(1876)年」などと閉館過ぎたにもかかわらず、サービス残業になってまでも(元々ボランティアかもしれないけど)親切にもガイドを買って出てくれる。
↓「今はないけど、俳優の志村喬さんが住んでいた家があってな。ホレ、あのマツの所。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/ad/abab62673be94a0ddacf0726cc8a6888.jpg)
「寅さん」に出てた(後で「七人の侍」にも出演していたのを思い出したけど)程度しか覚えのない(私にとっては)馴染みの薄い俳優さん。
ですが、彼は生野の誇りらしく、ここは「志村喬記念館」にもなってます。
寺町通り→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/80/de3902a834ac193682bf427c0cf997e5.jpg)
その名前のとおり、お寺さんがズラズラと並んでいる通り。
姫宮神社入口→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/d5/25b17832e54abc55807224ad6700f2b1.jpg)
↓神社への橋からの眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/28/1be9fa0f3bbe0af6a18cbe7bc5abd3cb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/0b/082aeeec406be618f4240b91ae89a47b.jpg)
市川という川沿いにはトロッコの軌道跡があります。
生野代官所跡にある「生野義挙碑」→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/5c/4f1e1a2f32e3508f589689ca2144d1b9.jpg)
文久3(1863)年、尊皇攘夷の一派が農民層に働きかけて代官所を襲撃したいわゆる「生野の変」ですが、僅か3日で敗走する。
それより、愛想よく写させてくれた
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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/9c/a89371534fefa2e4be119352c3e54aba.jpg)