ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

30日目 駿河湾・遠州灘沿岸ドライブ その2

2012-11-29 22:52:21 | 東海
2012年11月24日(土)


清水区役所を後にしまして、まずは同じ清水区内にある三保の松原へ行きます。

三保の松原は新日本三景と日本三大松原の一つに数えられ、これで私はその両方とも全部行ったことになります。
ちなみに、新日本三景は他に大沼(北海道)・耶馬渓(やばけい・大分県)、日本三大松原は気比の松原(福井県)・虹の松原(佐賀県)です。

三保の松原・羽衣の松の駐車場(7時40分頃着)→

神の道→

入口→

↓羽衣の松


天女が羽衣をかけていたという松。ずいぶん長い療養です。
なお、その近くに新しい羽衣の松ができたみたいですが、気がつきませんでした・・・

海岸に出てみます→
木の残骸が一面に散らばっています。一瞬、北海道・野付半島のトドワラの残骸のように見えました。

↓波打ち際を歩いてみます。



晴れていれば緑の松原、青い海と空、白い砂浜、雄大な富士山の、暴れん坊将軍が馬で颯爽と駆け抜けるに相応しい美しい風景が堪能できるのでしょうが、今日はあいにくの曇天で新日本三景と呼ばれるようなものにはほど遠く、これはいつかは再訪しないといけない・・・
それにしても、かくも出かけるたび富士山の全容が見えません。ひょっとして富士山に嫌われているんだろうか・・・

松林の中→

近くにあったあばら家→


三保の松原を出て、次にこれも清水区の日本平という眺めのいいらしい丘陵地へ行きます。

行く途中→

日本平山頂の駐車場(8時50分頃着)→

日本平は、正式には有度丘陵(うどきゅうりょう)というらしいです。
ロープウェイに乗れば徳川家康を祀る久能山東照宮があり、近辺では動物園などのレジャー施設、果物狩り・茶摘みも楽しめます。

↓近くの展望台に登ってみます(目の前はさっき行った三保半島)。


晴れていれば、富士山も見えていい眺めのはず・・・なんだけどな。
風が強く、ムチャクチャ寒いのですぐに退散・・・

トラックの荷台にいたネコ→
私には頭を低く腰は高く眼光鋭くしての要警戒の体勢でした(苦笑)。
が、他の大勢の観光客には愛嬌を振りまいていました・・・(ナゼだ!)

お腹が空いたのでレストハウスに入ります。
桜えび玉子とじ丼(\1000)→

ご飯を食べたらロープウェイで久能山東照宮に行こうと思っていましたが、急に行く気が萎えたので、10時頃別の目的地に向かって車を走らせ始めます。


にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

30日目 駿河湾・遠州灘沿岸ドライブ その1

2012-11-27 22:38:59 | 東海
2012年11月24日(土)


今日明日の2日間で本格的に自家用車での市区町村の訪問をしたいと思います。
今回は静岡県中西部の沿岸部・山間部と長野県南部の山間部を巡ります。

それと今までは一日か半日分の行動をダラダラと一回のブログで投稿しており、本当は私はそういう投稿の方が好きなのですが、読み手側の事も考えましてブツ切りにチビチビと載せていく方法でしばらくはやっていきたいと思います。


さて、稲毛を深夜3時15分頃出発します。

出発前→

幕張ICから京葉道路に入り、そのまま首都高速7号小松川線→6号向島線→江戸橋JCT→都心環状線と進んで皇居西側まで行くのは前回と同様です。

都心環状線の千代田トンネル内での新宿と霞が関方向との分岐を霞が関方向へ、そして谷町JCT→3号渋谷線→第一東海自動車道(東名高速)を進み、清水ICで降りる予定です。

中井PA(5時前)→

↓由比(ゆい)PA(6時20分頃)トイレ・自販機のみのPAです。


←伊豆半島が見えます。

崖の手前をJRの貨物列車が通過しています。
高速道とJR東海道線の間に国道1号線が通っています。
高速道と国道の両方が通行止めになると周辺で大渋滞になるそうです。
ただ、第二東海自動車道(第二東名)ができましたので、少しは改善されたんでしょうか?
崖と海とに挟まれたこの狭いところを3本の大動脈が集中しているので、ここは「東海道のアキレス腱」と呼ばれているようです。

清水ICを降りて、JR清水駅前を通り清水区役所近くの駐車場に止めます。

清水駅正面(停車中に撮影)→

↓〔6〕静岡県静岡市清水区役所

清水と言えば、三保松原や日本平といった観光地や「清水次郎長」「ちびまる子ちゃん」でしょうかね。

今日は役所巡りもするのですが、どちらかと言えば観光がメインです。
三保松原や日本平はずっと前から行きたかった所で、今日やっと念願が叶います。
次回にその三保松原・日本平観光をお届けします。

JR清水駅近くまで歩いてみます。

静岡鉄道・新清水駅→

↓清水駅前銀座のアーケード



まだ7時なので、ほとんど人がいません。



にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

29日目 新屋山神社奥宮参拝 1年目 

2012-11-14 22:15:54 | 甲信越
2012年10月27日(土)


今回は今までの旅とはガラリと趣向が変わります。


まず、これまでは徒歩・鉄道・バス・船が移動手段でしたが、初めて自家用車を使います。ずっとこの出番を窺っていたわけですが、ようやく満を持しての登場です。

次に、ある所への行き帰りの途中で役所の近くを通ったら、立ち寄ること。
そのある所がタイトルにある「新屋山神社奥宮」なのです。
ただ、結果的に役所に寄れましたので、こうしてブログに投稿できたのですが、そうでなかったら投稿しないつもりでした。

そして、にほんブログ村のカテゴリーは「国内一人旅」にもかかわらず、オキテ破りの同伴者がいるということです。


さて、この「新屋山神社奥宮」は俗に「金運神社」とも呼ばれ、山梨県富士吉田市(1ヶ月前に行ったばかりですが)の富士山2合目に鎮座しています。
私のブログの熱心な?読者でいて下さっているmatsuさんが、この神社についてのブログを投稿していまして、「あー、こういうパワースポットがあるのかぁ」とその時初めてこれを知リ、行ってみたいなと思ったのがそもそものきっかけです。

matsuさんのブログ「マツの一人旅の風景」

インターネットで調べてみますと、船井総研創業者の船井幸雄氏が「お金に困りたくなかったら富士山のこの神社に行くと良い」とお話しされたようで、この旅をしている私にとって、軍資金に困るようなことがあっては一大事なので、是が非でも行かなければいけないと考えるに至った次第です。
そして、1回行っただけで御利益を受けようというのも虫のいい話しなので、これから毎年1回は参拝することに決めました。

今回、お伴してもらう人は実は女性です(以降、K嬢とします)。
千葉県佐倉市在住のK嬢は、最近転職して懐具合に不安を覚えているようなので誘ってみました。


長い前置きはこれまで、朝9時自宅にK嬢が来ましたので、すぐに出発します。
今日の行程は、国道14号線を東京方面に向かい、幕張ICから京葉道路に入りまして、そのまま首都高速道路・中央自動車道を進み河口湖ICで降りて、一般道で富士山を登るつもりでいます。

私の愛車(マーク2)→
かなり古いですが、まだ元気そのもの!


さっそく京葉道路がノロノロ運転で、首都高速7号小松川線に入ってからも、今度は両国あたりでまた渋滞にひっかかります。
ここは片側2車線が1車線に減り、6号向島線に合流するためにいつも渋滞しています。

東京スカイツリー→

隅田川→
間近に見える橋は「新大橋」、右の高架道は6号向島線

日本橋付近から流れはスムーズになり、半蔵門の分岐で4号新宿線へ。

日本銀行→
東京・神田間のJRの線路を跨ぐ手前の右側に見えます。
江戸時代は金座役所でした。つまり金貨の鋳造所で、貨幣の鋳造所としまして他に、銀座・銅座・銭座の各役所がありました。
銀座という地名だけが繁華街の象徴として今現在威光を放っています。


いつもより空いている感じでいい事だと思っていたのも束の間、好事魔多し。
ラジオや首都高の渋滞情報の電光掲示板によると、中央道の上野原あたりで事故により渋滞しているらしい。
それが中央道の電光掲示板では「国立府中から上野原まで渋滞、所要時間110分」となっている。
国立府中~上野原は僅か30数キロです。それが2時間!なんてこった・・・

中央道に入っても、BGMに「中央フリーウェイ」でもあれば最高なくらいの疾走ぶりだったのですが、とうとう八王子市の石川PA手前でハマってしまいました。
なので石川PAにて休憩します。

石川PA→

覚悟を決めて、11時40分頃出発します。
最初は少し速度を出して進んでいましたが、すぐにノロノロ走ったり、止まったりを繰り返すようになります。
その状態が延々と続き、K嬢も苛立っているのか、「これって、金持ちになるなってことだよー」とつぶやく(うん、そうかもね・・・)。

渋滞停車中→

30キロも満たない距離を2時間費やしてやっとの思いで脱出し、ようやく藤野PAあたりから普通に走れるようになりました。
結局、どういう事故だったか、どこで起こったのか、すっかり跡形もなく消えていました。

谷村(やむら)PAでの休憩を挟み、富士急ハイランドを横目に河口湖ICを14時40分頃降ります。

谷村PA→

国道138・139号線を少し走り、「北口本宮冨士浅間神社」近くの交差点で県道に入りますが、この道はいわゆる吉田口登山道です。

その吉田口登山道の途中に「中の茶屋」というのがありまして、車を降りてあたりを見てみます。

↓中の茶屋→

休業中ですが、1750年代にはすでに営業していたらしいです。

左が滝沢林道、右が吉田口登山道→

ギョッ!→
富士山はツキノワグマの生息域で、40~50頭ほどいるようです。

この後、滝沢林道を登っていきます。
この道は11月から3月まで閉鎖されます。だから、私達は閉鎖目前ギリギリに駆け込むようにやって来たんですね。
ちなみに1合目はまだ先です。

それから15分程で、やっと目的地の「新屋山神社奥宮」に15時半に着きました(本当にやっとだよ・・・)。
千葉を出る時には13時くらいには着けるかなと思っていたんですけどねー

「新屋山神社奥宮」の看板→

駐車場→

遠くから神社を写す→
畏れ多くて、祠正面を写せませんでした(とっても臆病な私)。
思っていたよりこじんまりとした神社でした。

他に誰も来ていないだろうと思いきや、そこそこ来ていました(道路閉鎖前の駆け込み客か、やはりここはそれなりに知名度があるそうです)。
各々想い想いの願いを込めての参拝を済ませて、16時にそこを後にします。
また、来年参拝しに来ますね~

もっと早く来られれば、遊び所が充実しているこの近辺なので、どこかに遊びに行けるのですが、この時間ではもはやどうすることもできません。
K嬢は「お腹空いた~」と言うので、食堂がある感じの「道の駅なるさわ」に行ってみる事にします。

その途中に鳴沢村役場がありました。

↓(165)山梨県南都留郡鳴沢村役場


↓道の駅なるさわ


地元で採れる野菜の売店があり、富士桜ソフトクリーム(\300)というのが道の駅の名物です。

富士山の頭が見えました→

富士山資料館&鉱石ミュージアム→

不尽の名水・水汲み場→
タダで持ち帰ってよろし(取水できる量は制限あり)。

ここの食堂は軽食しかないのでやめて、道の駅へ行く途中でも見た白く変な形をした建物のほうとう屋さんへ行きます。

ほうとう屋さん→

店内→
地元では有名店なのか、大勢の人が来ていました。左下はK嬢の手。

ほうとう(\1050)→
泣く子も黙る山梨の名物中の名物。むちゃくちゃ器がデカく、量も多いです。
K嬢は悪戦苦闘しつつも食べ切ったようでしたが・・・

さて、お腹いっぱいになり満足して帰宅の途につきます。
一方的な展開になった日本シリーズ第一戦を聞きながら、しばらくは一般道を進み、相模湖ICから中央道に入り、東京タワーやお台場の夜景を見るために首都高を少々大廻りして、K嬢を佐倉の自宅まで送って稲毛に帰って来ました。

小仏トンネルに突入→

東京タワー→

レインボーブリッジ→

晴海ふ頭→

葛西臨海公園の観覧車→

東京ディズニーランド→

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

↓参考・カッコ内はこれまでに行ったところ

28日目 東海道 東下り

2012-11-06 23:31:35 | 北陸・東海・近畿(滋賀・京都)
2012年10月9日(火)


ホテルのチェックアウトは10時までです。

それまでに2箇所行ってこようと思います。
まずは、早朝の散歩も兼ねまして、敦賀市役所へ。

(158)福井県敦賀市役所

役所の敷地にある銅像→

敦賀市には、日本三大松原の一つ「気比松原」や日本三大鳥居の一つ「氣比神宮」、敦賀港のいろいろな施設など、非常に見所の多く、私はとても好きな町です。
私が敦賀駅に来ると買う事の多い「角鹿(つぬが)弁当」という幕の内弁当には敦賀の由来が書かれています。
要約しますと、朝鮮から気比の浦に来た都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)という王子の名前からだそうです。

また、原発もあります。このへんは原発の多い所であるのは、みなさんもご存知だと思います。

ここも5月に来ていまして、今回はただ泊まるというだけで、すぐに去ります。
また何年後かに必ずや来ますので、観光面はそちらに譲ります。

↓笙の川(しょうのかわ)

三島橋より(上流方向)

↓早朝のアーケード街

正面まっすぐ行くと氣比神宮、これを右に視線を向けると下のようになります(奥は敦賀駅)。


敦賀駅正面→
バリアフリー化工事中、手前の銅像は「都怒我阿羅斯等」の像
敦賀駅は私の好きな駅の一つですが、特に冬の雪に覆われた敦賀駅は格別です。

↓敦賀駅からJR小浜(おばま)線に乗ります


小浜線は若狭湾沿いを走り、敦賀と京都府の舞鶴を結んでいます。
途中には「Yes We Can」で一世を風靡した大統領と読み方が同じというだけで沸いた小浜市があります。
あれから今年はもう再選の選挙になっているとは、時の流れは速いものです。選挙は(投稿した)今日始まりました。
もう熱は冷めたのでしょうか、「オバマを勝手に応援する会公式サイト」は去年の7月26日を最後に更新されていません。

美浜駅で下車します。

駅前の農協の倉庫?→

↓役場近くの通りと古びた建物





↓(159)福井県三方郡美浜町役場


この町にも関西電力の美浜原発があります。

震災以降、脱原発だの再稼働反対だのが声高に叫ばれておりますが、この地域に限ってみると(多分よその地域もそうだとは思いますが)、地域経済の原発に対する依存度は極めて高いので、仮に原発がなくなったら恐らくこの地域は漁業以外にこれといった産業も観光もないので、この地域は危機に瀕すると思います。
なので、事故が起こったら救いようのない状況になるのですが、かと言って原発ゼロというのもどうなのかなと思っています。

若狭湾→

ホテルをチェックアウトし、昨日泊まった彦根市の東隣の米原に行きます。

↓琵琶湖


米原までに長浜という観光地があるのですが、ここは後日にゆっくりと見て廻る事にします。

(160)滋賀県米原市役所

↓市役所横の公民館にあるラッセル車


米原駅でうどんをかきこむ→
ついついなんですけどねぇ、実はあまりお腹は空いていないのですが・・・
朝、ホテルの朝食をしっかり食べてきましたから。
でも、別腹なんでしょうね、駅でうどんそばのスタンドを見ると食べたくなります。
特に西のうどんは薄口なので、愛媛出身の私の舌に合います。


これから東海道線で、道草しながら東京を目指します。
古戦場で有名な関ヶ原は飛ばして、まずは垂井(たるい)という駅で降ります。

↓街中→ 


↓なかなか立派なレンガ造りの建物

中を覗くと車庫として使われているようです。
何台かあるうちで一番奥にある車が気になる。

↓もの凄くホコリを被った「難波」ナンバーの車

いつから、なんで、ここにあるのかな?


↓(161)岐阜県不破郡垂井町役場


次に大垣を無視して垂井の隣の隣、穂積(ほづみ)駅に行きます。

穂積駅→ 

↓植物に覆い尽くされそうな建物

ある意味、芸術的なものになりつつあります。

(162)岐阜県瑞穂市役所


さて、しばらく電車に揺られ一気に愛知県の三河地方の幸田駅に飛びます。

↓(163)愛知県額田郡幸田町役場


↓駅前通りのシャッター街




駅前のビル→ 
昔は賑やかであったろう事は充分に感じとれます。が、しかしこれがどうしようもない現実です。
その一方でその駅前ビルの反対側には「幸田駅前銀座」という小規模モールがあります。
入っているお店は少ないのですが、何とか地域活性のために頑張ろうという意気込みは痛いほど伝わってきます。

↓幸田駅前銀座

こういうのを見ると、何か買いたくなるのが私の性です。

パン屋があるので、何か買おうと思いました。
↓ついてないのぉ・・・

他には喫茶店っぽいのしかない・・・
ゆっくりお茶なんて時間をかけられないので、断念。
いつか、きっと!それまでずっと頑張って欲しいと思いつつこの町を後にし、蒲郡(がまごおり)駅へ。

蒲郡駅→

↓駅前の雑居ビル



温泉やテーマパークなどを抱えた蒲郡という観光地ですらも苦戦しているようです。
 
(164)愛知県蒲郡市役所  

蒲郡は明治11年に「蒲形村」と「西之郡村」が合併してできた合成地名です。
全国にはこのような合成地名が多いです。
私は地名は無形の文化財だと思っていますので、このように軽々しく言葉遊びのような事をしたり、昔からの地名を「○○台」とか「○○ヶ丘」とかといった今風の地名にあっさり変えてしまうことには絶対反対です。
そういう意味で古い地名を頑固なまでに残す京都市や、古い地名を復活させている金沢市には敬意を表します。

↓市役所横の公園内の「ニュートンのリンゴの木」




これより後は帰宅するだけになります。

三河湾→

豊川→

~途中略~

↓熱海駅からグリーン車でいつもの宴


一枚のグリーン券で東海道線からそのまま横須賀線・総武線快速に通しでグリーン車に乗れるので、実にありがたいです。
いつもならこれで終わりにしてしまっているのですが、たまにはその途中で撮った写真も載せます。

横浜駅→

品川駅→

↓東京駅

向こうに見えるは「ホームライナー千葉」

↓馬喰町駅

青函トンネルの駅ができる以前は長らく一番深くにあった駅

やっと着いた→

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

↓参考・カッコ内はこれまで行った所
 

 

27日目 関西には魅惑がいっぱい その2 

2012-11-01 23:47:16 | 近畿
2012年10月8日(月)


草津駅で電車に乗り、大津市・京都市といった府県庁所在地は無視して、京都府の長岡京駅に行きます。

↓京都の鴨川

タイミングよく?、JRの職員さんが入ってしまった・・・


長岡京駅西口→

この駅の近くを歩いていますと、神足(こうたり)と言う地名の看板をよく見ます。
そう言えば、前に神足駅というのがあったな・・・今の長岡京駅がそれです。

長岡「京」とありますとおり、昔それも奈良時代という大昔にちょっとだけ首都になったことがあります。
奈良時代は政情不安が渦巻いてまして、さらには飢饉や天変地異も多く、そのせいでちょっちゅう都が変わってました。

710年 平城京(奈良市) を皮切りに、
740年 恭仁京(くにきょう・京都府木津川市)
743年 紫香楽宮(しがらきのみや・滋賀県甲賀市)
744年 難波宮(大阪市)
745年 再び平城京
784年 長岡京
794年 ご存知、平安京(京都市) といった具合です。

↓「長岡京発見之地」の碑



(154)京都府長岡京市役所

次に行ったのは隣の山崎駅です。

山崎駅→

↓駅前にある妙喜庵(みょうきあん)

この庵には国宝の茶室「待庵(たいあん)」があります。千利休が残した唯一の茶室と言われています。

↓山崎駅の京都寄りにある踏み切りを渡ります


↓渡った目の前は天王山登り口


天王山、どこかで聞いた事のある言葉だと思います。
よく使われるのが、プロ野球のペナントレースの終盤で、1位と2位チームが戦う場合でしょうか。
意味としましては、勝負を決するための最大のヤマ場、大一番です。

1582(天正10)年、織田信長を本能寺で討った明智光秀と中国征伐から急遽引き返してきた羽柴秀吉が争った、ここ「山崎の戦い」では、秀吉の勝利に終わりました。
秀吉の勝因はこの天王山を占拠できたからで、高いところにいたお蔭で相手の動きがよく見えたのです。
「天王山を制する者は天下を制す」、それが「天下分け目の天王山」と言われるようになりました。

ちなみにその天王山の南約5キロに「洞ヶ峠(ほらがとうげ)」という峠があります。
光秀に加勢すると約束した筒井順慶(つついじゅんけい)は、この峠まで兵を進めました(順慶は兵を進めていないという説もあります)が、結局戦うことなく日和見をしていたという故事から「洞ヶ峠を決め込む」という諺が出来ました。
形勢を見て、いつでも有利な方につけるような大勢をとるという意味ですね。今の政界にぴったりな言葉だと感じるのは私だけでしょうか?

↓山の麓から大山崎町の市街地を見る


↓(155)京都府乙訓(おとくに)郡大山崎町役場


↓彼はこの町が活動拠点のフェンシングクラブに入っていたとの事です

後ろにある高架は中央自動車道(名神高速)です。

↓役場から見る天王山(標高270.4メートル)


↓阪急電鉄の大山崎駅(右)

左は東海道新幹線です。
新幹線開業前の一時期、この大山崎駅から大阪方面に向かって約3キロの左の新幹線の高架線を阪急電鉄の電車が走っていたのは知る人ぞ知るところのちょっとしたウンチクです。

山崎駅を出ますと大阪府に入ります。
その最初の駅、島本駅で早速降ります。

島本駅(西口)からの歩道→

↓(156)大阪府三島郡島本町役場

この町には、サントリー山崎蒸溜所があります。

東口には桜井駅跡というのもあります。

↓桜井駅跡



駅といっても今の列車の駅ではなく、古代の駅家(うまや)の事です。
都と全国を結ぶ道に駅家を約16キロごとに置いて、駅鈴(えきれい)と呼ばれるものを持った役人(駅使・えきし)が駅家に置かれた駅馬を乗り継いで情報を伝えていました。これを「駅制・伝馬制」といいます。
時代が流れるとともに物資輸送でも使われ、江戸時代までこうした伝馬制が続きます。
陸上競技の駅伝はここから付けられたんですね。

また、ここは「楠公父子訣別の所」としても知られています。
1336年(建武3年)、南朝の後醍醐天皇は楠木正成(くすのきまさしげ)に足利尊氏を討つよう命じましたが、負けを悟った正成は、出陣前に息子の正行(まさつら)と、この桜井駅で今生の別れをしたといいます。
結局、正成は湊川の戦い(今の神戸市)で破れ、「七たび人と生まれて、逆賊を滅ぼし、国に報いん」との言葉を残し弟の正季(まさすえ)と差し違えて自害しました。
この話しは、戦前は天皇への忠誠を伝えるものとして、必ず教科書に載っていたらしいです。

↓左は「父子別れの像」、右は「楠公父子訣別之所」碑


大阪府に来たのも束の間、逆辿り、京都駅の一つ前の西大路駅で下車します。
ここから京都市の南区役所へ歩きます。

「遠いなぁ」(約1.6キロ位)と思いつつ歩いていましたところ、思わぬものを見つけました。

↓羅城門(らじょうもん)遺址



私が高校生の時の国語の教科書に出てきましたが、芥川龍之介の小説「羅生門( こちらは、らしょうもん )」の題材となった平安京の南側中央にあった門です。
この門から北に朱雀大路が伸び、大内裏に通じていました。
大内裏とは、平安京での天皇の居所で、今のJR二条駅の北側です。
意外なところで意外なものを見つけ、歩いた甲斐がありました。

〔5〕京都府京都市南区役所
役所は下の部分。上は居宅部分のようです。

↓東寺→

でかくて枠に収まらない・・・

そのまま歩いて京都駅に行きました。

京都駅西側→
一番上は新幹線、その下は近鉄、一番下は東海道線。

↓京都駅八条口(新幹線口)


↓京都駅構内の週末のお馴染みの光景

ほとんどが首都圏からの人と思われます。帰宅ラッシュになっています。

京都からは、JR湖西(こせい)線という文字通り琵琶湖の西側を走る電車に乗り、再び滋賀県に突入。

↓琵琶湖



本日の最後の訪問地は新旭駅が最寄り。

(157)滋賀県高島市役所
高島市は平成の大合併で成立した市で滋賀県の西北部を占めています。
京都から電車で1時間ほどの所ですが、ここから京都へ通勤している人がかなりいると、駅員さんは話してくれました。
実はここに降り立った時、駅周辺には新しく立派な家が多いので、この町にはこれといった産業も、大きな工場もなさそうだし、はて?ここの住民はどうやって収入を得ているのだろうと疑問に思ったんですが、駅員さんとの話しで氷解しました。


真っ暗になった中、今日最後にやってきた駅は、私がとてもお気に入りの福井県敦賀(つるが)駅、今日はとても好きな敦賀市に泊まります。

敦賀駅前→

↓晩は地元で捕れた日本海の幸(サンマを除く)を堪能


にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

↓参考までに地図を載せてみました(カッコ内はこれまでに行った所)