ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

143日目 コトコトことでんに乗って、まんでがん讃岐に触れる 

2016-01-30 14:00:29 | 北四国
2015年12月30日(水)


この日は高松琴平電気鉄道(通称「ことでん」)に乗って、その沿線の町巡りをすることにします。

瓦町駅からスタート→
地方私鉄にしては、やたらでっかい駅ビル。
かつては「コトデンそごう」「高松天満屋」が入っていた「ことでん瓦町ビル」で、昨年10月から「瓦町FLAG」としてリニューアルオープン。

ことでんのマスコットキャラクター→
青いのが「ことちゃん」、その右「ことみちゃん」。
ことでんは、明治44(1911)年11月18日に今の志度線の開業したのが事の始め。
記念すべき満100才の日には、こんぴらさんで二つのキャラの結婚式があったばかりか、昨年には「ことのちゃん」という子供も生まれたことになったという。
たかだかマスコットキャラクターでここまでストーリーが展開されると、かえって下らない気がしないでもないけど。

ところでこれらは何がモチーフとなっているのでしょうか?
私にはペンギンにしか見えないのですが・・・。

あるサイトにはキャラ採用の経緯が載っておりました。
平成13年の「コトデンそごう」倒産に伴って、ことでんは経営破綻に陥り、民事再生法を申請。
この時、地元に経営再建の支援を得るべく、ことでんは必要か問いかけたところ、「鉄道は要るけど、
ことでんは要らない」とけんもほろろな回答ばかりだったという。お世辞にも接客態度がよろしくなかったらしい。
地元との信頼関係が希薄なのを痛感した会社は、「ことでんは要るか?」の問いかけを忘れないようにと採り入れたのだとか。なのでモチーフは「イルカ」。

ま、ことでんの宣伝をする義理もないので、これで切り上げて本題へ。
因みにこの日使う切符は「ことでんフリーきっぷ(\1230)」。

↓長尾線に乗り、三木町(みきちょう)の池戸(いけのべ)駅で下車。


池戸駅出入り口の東側→
昔の駅周辺の写真を見ると、全蓋式のアーケードがずっと連なっていたのですが・・・。
それでも一部蓋が残っていたり、お店の前に棒が取り残されているなど、このハンパさは不可解。
そもそもこんな長閑な場所でアーケードがあった自体違和感あるけど、それがかえっていい味出していたんだろうけどね。

↓鉄道に沿って伸びる長尾街道旧道を東へ。

学園通り駅までの2km程を歩くことにします。

↓門は空いているのですが、建物には入れず。

この郡役所が置かれたのは大正8(1919)年ですが、当時1町18村あった木田(きた)郡も仲間をどんどん減らし、今では三木町だけ。

香川大学農学部→

池戸駅の2つ隣・平木駅→

駅前→
ここも以前はアーケードが連なっていましたが、老朽化が理由で撤去。
通りが明るくなったはいいけど、人がいないのでどっちにしたって廃れた印象を持たれてるに違いない。

↓アーケードは新川に架かる平木橋手前まで300~400m程ありました。


新川の下流方向→

(560)香川県木田郡三木町役場
高松市のベッドタウンで約28,000人が暮らす町ですが、ここ数年は微減。

近年は「希少糖の里 みき 」として売り出し中。きっかけは、希少糖を大量生産できる酵素が三木町で発見されたから。
希少糖とは、自然界に極めて僅かしか存在しない単糖のことで、またの名を「太らない砂糖」。
特に研究の進んでいる希少糖「D-プシコース」は、砂糖の7割程度の甘味がありながら、カロリーはほぼゼロで、「ズイナ」という植物の中にそれが多く含まれているのだとか。
そして香川大学農学部でこの研究が進められています。

もう一つの最近の町の売り出しものへ→
学園通り駅の南にあって、平成25年にできた「三木まんで願鏡(がんきょう)」という高さ約8mの巨大な万華鏡。

↓下から覗くと、こういうふうに次々に色や模様が変わっていきます。
  
一度見たらもういいやって感じのモニュメント。「まんでがん」とは讃岐弁で全部とか目一杯とか意味。

町のシンボル「白山」→
「はくさん」ではなく、「しらやま」。讃岐七富士の一つで標高203m。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 
街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

142日目 夜の高松を徘徊する

2016-01-27 23:31:15 | 北四国
2015年12月29日(火)


日が落ちればもはやホテルに戻るだけなのですが、総延長2.7kmで日本一の長さを誇るアーケード街・高松中央商店街を無視するのは大変失礼かと思い、長さを体感してみます。

↓その前に、高松自慢(?)でシンボルの、四国一高い(地上151.3m)名前もまさに「高松シンボルタワー」も載せておかないと。

そうしないと高松市民に怒られそうだから(笑)。

↓暗くなったらJR高松駅前が眩いばかりのキラキライルミネーションに包まれる。
 
でもなあ、「四国=野暮ったい」といった、昔から引きずっているイメージで洗脳されてしまっている私にとっては、こんな煌びやかな光景はどうも似合わない気がしてなりませぬ。

↓アーケード街ほっつき歩きのスタートは、江戸時代に高松藩の武器庫があったことに由来する「兵庫町商店街」から。


↓まっすぐ東に歩くと、「片原町西部商店街」と「高松丸亀町商店街」との接点となる「高松丸亀町壱番街前ドーム広場」へ。
 
遥か頭上には平成19年に完成したアーケード街のシンボルというべきクリスタルのドームがあって、その高さ実に32mで直径26m。この北側には三越百貨店があります。

↓そのまま「片原町西部商店街」をまっすぐ。


↓途中で南北を貫く「ライオン通商店街」が分岐。

パッと見た目、飲食店が多そうな感じ。
何でライオンなのかと思ったら、この通りには「ライオンカン」という映画館があったかららしい。

↓ドームに戻り、「ライオン通商店街」の西側に平行して伸びる「高松丸亀町商店街」へ。

屋根、高すぎ・・・
高松築城と頃を同じくしてできた400余年の歴史を持つ街。
同じ香川県にこれまたお城で有名な丸亀という市があるのですが、当時の殿様が丸亀の商人をこの地に移したからなんだとか。
写真左奥にチラリと写っている昔ながらのブロック造りの建物は「百十四銀行高松支店(昭和元(1926)年築)」で、戦時中の空襲時は決死の消火作業で被害を免れたという。

丸亀町グリーン→
この奥を出ると四国の大動脈・国道11号線が通り、続いて「南新町商店街」となります。

ところで、すれ違いざまに「今日は妙に人が多いわね~」という会話をよく耳にする。
4年前の大晦日夜にこの商店街を歩いた時は、ほとんど人がおらず気持ち悪いほどガラ~~ンとしていたものですが(大晦日だったからか?)、それが嘘のようなこの日の賑わい。
帰省で帰ってきた人達が街に繰り出してきたのかな? それにしても日が落ちてもこんなに人がいるなんて、地方都市ではそうはないぞ・・・。

人通りが絶えてシャッターばかりが並ぶ他の都市の商店街店主達は、万策尽きて高松丸亀町商店街のこの姿をヨダレを垂らさんばかりに見つめるしか術はなくなったかも知れませんが、この商店街はここなりに、こうなるまでは相当の苦難があったという。
私は見ていないのですが、2年前に「カンブリア宮殿」という番組でここが取り上げられたようですが、ピーク時に比べ売り上げは6割、通行量も7割それぞれ減ってしまいジリ貧状態だったのを、商店街に人が定住してもらうような作戦に打って出て盛り返したという。結果、商店街再生のモデルケースとして年間13,000もの人が視察に訪れる程に。

南新町商店街→

因みにアーケード街を離れた姿はどうなのか?
↓高松琴平電鉄・片原町駅近くのウラ通り
 
やっぱりありました、うらぶれた昭和の枯れすすきのような、廃墟好きにはたまらなくゾクゾクするような通り。
何故かラーメン屋数軒が固まっている。「うどん県」に喧嘩を売っているんか、オラ!

↓丸亀町商店街・南新町商店街に交差する通り
 
綺麗な姉ちゃんがいそうなお店もいっぱいないとね、街は盛り上がりませんわな。

↓「田町商店街」と続いて、ここでようやく蓋が途切れました。

さすがに人もおらんようになりましたわ。あまりにゆるすぎるキャラを見て疲れがどっと出る。
ドームから1.2kmくらいかな?ゆっくり歩いたので結構長く感じたなあ・・・。
他にもアーケード街はあるのだけど、もういいや、途中寄ったスーパーで大量に調達した酒とつまみで、翌日に向けての英気を養うことにします。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

142日目 高松で在りし日の宇高連絡船を憶う

2016-01-23 23:59:45 | 北四国
2015年12月29日(火)

志度を出れば後はひたすら千葉に戻るだけなのですが、もちろんそのまま真っしぐらに帰るはずもありません。

栗林(りつりん)公園北口駅で下車→
ここで降りたら日本に関する旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で星みっつ!に格付けされた(「わざわざ旅行する価値がある」という意味)特別名勝・栗林公園はすぐなので絶対に行くべきなのですが、志度寺での一件で時間がなくなってしまいました。あのBB(略)め・・・。
というか無理すれば廻れなくもなかったんですが、せっかくの三星は是非時間をかけて見たいので・・・。

とりあえずホテルにて荷物を置いて一休みしてから街へ。
香川県庁
今や全国的に知られるようになった「うどん県」、100万人をやや下回る人口。
全都道府県で一番面積が小さく、しかも自治体で一番広い岐阜県・高山市以下。

明治4(1871)年にできた香川県は、明治6年に今の徳島県に当たる名東(みょうどう)県に呑み込まれるも、香川と徳島は反りが合わなかったようで、明治8年にまた香川県として独立する。
ただ今度は県令と県役人との対立がきっかけとなり、明治9年に愛媛県に吸収合併させられ、明治21年にようやく全国で最後に誕生した県として晴れて再び分県する。
くっついたり離れたりどこぞの芸能人を見ているよう。

高松出身の文豪で、芥川賞や直木賞を創設した菊池寛に因んだまさに「菊池寛通り」を進むと、中央公園があります。
菊池寛の生家跡の碑→
せっかくの碑なのに後ろには公衆便所。もう少しレイアウトの面は何とかならなかったのかねえ。

(559)香川県高松市役所
四国の企業の本社や、大企業の支店、四国を管轄する国の出先機関などが集まる四国の中心拠点。
ただ人口は四国では松山市に次いで2位の約42万人。
中央公園では様々なイベントが行われ、園内には香川県出身の偉人の銅像が見られます。もちろん菊池寛も。

中央通りを北へ→

↓高松市のアーケード街の総延長2.7kmは日本一。

後でブラブラするつもりでおります。

↓栗林公園を諦めたので、せめて高松城跡である玉藻公園を・・・。

と思って行ったのですが、想定通り休園。
約230年間にもわたって高松を治めた松平氏の居城。堀に海水が引き込まれた水城で、ここと今治城(愛媛県今治市)・中津城(大分県中津市)とで日本三大水城という。一応全て見てはいるけど、どれもお城の中には入ったことなし。

高松琴平電鉄の「高松築港駅」→
お城の石垣にベッタリ身を寄せている珍しい駅。

↓高松築港駅の目と鼻の先にあるのがJR高松駅。

正直言ってJR四国本社のお膝元の駅舎としてはかなりちっぽけ。昔の方が貫禄あったような。
県も小さいからこうなのか、経営が苦しい(との噂される)JR四国の懐事情のせいなのか・・・。

↓駅前とそこにある像→
 
高松を訪れた人にはニッコリ笑った鬼がお出迎えしてくれます。
怖いハズの鬼にもっと癒されたい(?)という方は、高松沖にある女木島(めぎじま)という島へ是非!
そこはむかーし昔、イヌ・サル・キジを率いた桃太郎が鬼をやっつけたとされる鬼ヶ島でございまして、「鬼ヶ島大洞窟」なる観光スポットがあります。

ところで、女があれば男もある、というワケで男木島(おぎじま)という島もあります。
どちらの島にも古い集落が残っており、集落町並み散策好きな方には超オススメなんだそうです。

高松港→

港を眺めるうちにハテ?、帰省時に幾度も乗った国鉄宇高連絡船の桟橋はどこだろう? 見回してみたのですが、それらしきはちっともない。
そこで客待ちしていたタクシーのおっちゃんに聞いてみると「あそこらへんだよ」と教えてくれる。
それが「高松港旅客ターミナルビル」→

↓早速行ってみると、モニュメントがあるではないか。




↓当時(黄色の線)と今(緑の線)の海岸線がひと目で分かります。

左下の緑の塊が今の高松駅で、その斜め上が私がいる所、黄色く細長いのはその頃の高松駅。
ちょうど今いる場所が桟橋、というか海だったのか。信じられないな。

↓下船後、帰省客でごった返す中を掻き分けて通路を歩いて階段を降り、この横にあったディーゼル音が鳴り響くホームへ・・・とセンチになる。


↓ついでに連絡船の思い出と言えばコレ。

船に乗ったら必ず甲板に行って、そこで潮風に当たって海と島々を眺めながら食べた「讃岐うどん」はとっても美味しかった。
その味を知っている人は皆が皆そう言っているのだから、本当に美味しかったんだろうなあ。

↓駅で営業している「連絡船うどん」に入って、その頃の思い出に浸るとするか。

地元の人は、駅前や繁華街・幹線道路沿いにあるお店で満足しているのはシロウトだと言うけれど、でもいいのだ。
よそから来た人は、香川県で「讃岐うどん」を食べられればそれで満たされるのだから。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

142日目 日本のダ・ヴィンチと墓守り婆さん

2016-01-20 23:46:45 | 北四国
2015年12月29日(火)


↓香川県庁所在地の高松市をすっ飛ばして、さぬき市・志度(しど)駅へ。

志度は市の中心的地区。
ところで千葉からの往復切符片道分はここでおしまい。有効日数は片道の倍の12日ですが、千葉を出て24時間経たないうちに半分を使い切ってしまったと思うと何だか虚し。

駅右手にあるお店→
屋号を見て、炊き込みご飯屋さんか? と思い覗き込むけど・・・。
先ほどまでウロウロしていた坂出に本社がある和菓子屋さんでした。
お腹が空いていたんだけど、そういう事なら用なし!

↓讃岐(さぬき)国の「さぬき市」に来たのだから(?)、やっぱりこれでしょ!

駅の左側すぐの所にある牟礼製麺さんで「卵とじうどん」を注文。
やっぱりうどんは(私が四国生まれだけあって)これに限りますわ(誤解を招くとマズイので念のため言っておきますが、この「さぬき市」が「讃岐うどん」の本場というワケでは必ずしもありません)。旨いし、しかも\270と安い!
このお店は、うどんは勿論、日本・支那そばまでも作っているそうな。お昼時とあって、客の入れ替り立ち替りが激しく大繁盛。

満足して、早速街の散策を。
↓駅前通りを海に向かって歩くと、左側に高松琴平電気鉄道の終点・琴電志度駅。


↓海に辿り着く前に、昔の雰囲気漂う道と交差する。

この道は、「日本のダ・ヴィンチ」と呼ばれる大天才の名前が付いた通りだったりする。

先に高松寄りの西側から。
玉浦川のほとりにある「新町自然石灯籠」→
石鎚神社の信仰と玉浦川河口に係留する漁船のしるべの役割。

横を見ると・・・。悲しい扱いの文化財→

↓もうちょい歩くと、通りの名前が付けられた大天才、現われたでござる。
 これじゃ顔が分からんね・・・。

これならどうかな?→

↓銅像の横には大天才の旧邸があって、さらに隣が遺品館(でも休館)。

平賀源内って誰?、という人もいるかも知れませんが、夏になったら必ず目にするあれを考えたお方。
その時期に食べるものと言ったら? いろいろあるけど、やっぱりアレでしょ、夏バテ防止のアレ

売上不振に悩む鰻屋さんに相談を受けた彼が、「今日は土用の丑の日」と書いた張り紙を出して宣伝し、お蔭で鰻屋さんは繁盛したそうです。
今で言うキャッチコピー、その日本で最初が「土用の丑の日」なんだそうです。

源内は暴れん坊将軍・吉宗の頃の人で、教科書にも出てきた「エレキテル」を復元したり、近年悪者扱いの石綿(アスベスト)を発見したりで有名なのですが、実に多才な人であり、肩書きを見ればそれが分かります。
発明家・陶芸家・画家・本草家・起業家・鉱山家・地質学者・医者・戯作者・浄瑠璃作者・俳人などなど・・・一体いくつ持てば気が済むんだ! というか呆れる位。
ですが、あまりに才ありすぎたせいか、強烈キャラ(?)すぎたのか、男好き(肖像画を見ればどことなくソレっぽい)だったためか、周りの人々にはなかなか理解されず、山師呼ばわりされる始末。惜しいかな、生まれてくるのが早すぎた!

↓でも「源内通り」にはこんな感じのものがそこらに貼られ、郷土の誇りの程が窺い知れる。 


海岸線に沿った通りを歩く。
玉浦川河口→
左のぽっこり突き出ているの山は「五剣山」(標高375m)。この山は危険箇所が多くあって入山禁止らしいですが・・・。登山ブログも結構あるし、登ろうと思えば登れるらしい。
奥の陸地は「小豆島」。「あずき島」じゃないですよ! でも昔は本当に「あずき島」と呼ばれていたらしいですけど。

(558)香川県さぬき市役所
平成14年に旧大川郡の5つの町が合併した市。
大川郡は元々、大内郡+寒川郡からなる郡名で、さぬき市はほぼ旧寒川郡に相当する地域らしいので、ならば大川市や寒川市でいいじゃないかと思うんですが、大川市は福岡県に既にあるので名乗れないのは仕方ないとしても、どうもお偉い方は(ここに限らず全国的に)古来由緒ある地名が大キライみたいです。
結果、安易に旧国名を使い、おまけに近年流行りの平仮名都市名にしてしまったばかりに「たぬき」に見えてしまってます。実に嘆かわしい・・・。

駅前通りの東側へ。

平賀源内記念館→
ここもお休みです。

↓四国八十八箇所霊場第86番札所・志度寺の門。


↓上の写真右側の自性院には源内さんのお墓があります。

東京都台東区にもお墓があります。左の石像は源内さんじゃないと思うけど(多分)。

志度寺境内→

海女の墓→
このお墓にまつわる悲しい伝説があるのですが、それは「さぬき市観光ガイド・海女の玉取り物語」にお任せするとして、墓前で供養・掃除していた婆さま(写真には微かに写っている)に手招きで呼ばれ、まんまと話し相手にさせられてしまう。
最初は10分くらいで逃げようと思ってましたが、なかなか許してくれず延々40分も話しの相手にされてしまったので、予定していた列車を一本ずらすハメに。
ところでこの婆さま、地元でもちょっとした有名人らしく、10年以上もずっと毎日手弁当で墓守りしていて、草ボーボーだったお墓の前を一人でキレイにしたのだと。畏れ入りました。

こちらは翌日(12月30日)に行った、さぬき市・長尾地区。
第87番札所・長尾寺→
正月に向けて(?)、準備万端手ぬかりなし。
因みに、四国には札所のない市町村はザラにあるのに、さぬき市には札所が3つもあったりする。
欲張りすぎだわ(笑)。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

142日目 苦戦する瀬戸大橋の袂の町

2016-01-18 20:46:41 | 北四国
2015年12月29日(火)


↓快速「マリンライナー15号」は瀬戸大橋を渡ります。

眺めは抜群で最高でございます。旅先では雨に祟られる事の多い私ですが、昔から四国への行き来は晴れが多く(しまなみ海道を通った時のような例外もたまにはある)、ここでありったけの天晴れ運を使ってしまっているんだろうか?

↓浅瀬であった「番の州(ばんのす)」を埋め立てて造成された工業群を見ながら四国に上陸。

埋め立て前の沿岸部一帯は塩田で、瀬戸大橋の四国の玄関口である坂出(さかいで)市は全国の3分の1を生産していた程の塩の町。ただ、昭和40年代には姿を消してしまったという。

今は亡き私の爺さまは「橋ができたら坂出は栄えるぞ」と、ダジャレかマジメにか分かりませんが言っていましたけど、臨海部を見る限りそれは当たっているように見える・・・。
でも、平成25年の工業製造品出荷額等を見ると、坂出市はそれまで県内で断トツの数字を叩きだしていたのが、前年比較で腰砕け的な約70%減(約6,800億円減)の3,100億円で県内3位に大失速。何があった?、坂出市。

↓近代的な装いに変貌した坂出駅(北口)。

私が小さい頃に愛媛へ帰省していた頃は、当時は特急「しおかぜ」はあまり本数がなかったので滅多に乗る機会はなく、宇高連絡船を降りた高松からはほとんどが急行列車であったのですがその最初の停車駅が坂出。
なのでその頃の駅や駅周辺の様子は何となく覚えています。いかにも四国的な野暮ったい感じのね。

坂出市公認のゆるキャラ→

まだ1ヶ月くらい先ですけど→
ただ、何をやるんだかよく分からんので、詳しくは市のサイトへ。

手始めにまずは駅の西側へ。
香風園(こうふうえん)→
坂出の実業家・鎌田勝太郎氏が作った庭園で入園無料。

鎌田共済会郷土博物館→
大正11(1922)年に図書館として建てられ、平成10年に国の登録有形文化財となる。
発明家・測量士など様々な肩書きを持ち、塩田を築いた久米通賢(くめみちたか)に関係する資料等を展示。
知らなかったけど久米通賢とは、かの有名な伊能忠敬に先んじて讃岐国の実測地図を作ったとってもお偉い方なんだそうです。

近くには大正8年築の旧県立坂出商業学校校舎というレトロ建物があるのですがうっかり見損ねる。大失敗。

↓高台からではなく、平地から見るビュースポット

奥に見える山は標高約422mの飯野山(いいのやま)で別名・讃岐富士。
香川県には「讃岐七富士」なる富士があってその一つ。

↓これまた駅西側にある「仕舞屋旅館」と「元町栄筋商店街」



昔、車窓から見えた旅館とそこそこ賑わっていた(と記憶している)商店街の今の姿。
これらで坂出市街地の今がニオっている感じなのだけど・・・。

引き続き全蓋式アーケードが連なる駅周辺の商店街を歩いてみる。
↓本通り商店街・本町商店街



下の写真右の古めかしい建物は「讃岐醤油画資料館」。ここの館長さんがナント、醤油で描いたという作品を展示。
色のある液体なら何でも絵にできるんじゃないか?、とは私のようなド素人の発想ですが、実は醤油は調味料として言うに及ばず、画材としても優れているんだとか。

↓本町商店街のアーケードが途切れた所の左手。

車道も含めて全蓋式のアーケードで覆っている珍しいタイプ。

サンロード港町商店街→
年末なので昔ならお正月に備えての買い物で賑わっていたであろう。
どこもかしこもシャッター、そして歩いている人はじいさま・ばあさまばかり。年末という特殊時期なので普段の姿は分からないけど、恐らく大苦戦必至。ウチの爺さま予想、大外れ!

↓サンロード港町商店街を抜けてさらに北へ行くと坂出港。

「四国の空は低いわね~」とは、帰省するたびに母が口にしていた言葉。確かにそんな気がするなあ。

↓港近くの道路を歩いていたら、基地のような遊園地のような奇抜なお店を見つける。

食事処・米屋・民芸店の「讃岐民芸社」。ちょびっとしか写っていませんが、右に食事処があって、お昼には引きも切らずお客さんが来る超人気店らしいです。ただ、この時は営業していたか全く覚えておらんけど・・・。

↓坂出人工土地



埋め立てて人工的に作った土地、という意味ではなく・・・。
建築家・大高正人氏が昭和43(1968)年から18年かけて完成させた鉄筋コンクリートによる「土地の有効利用」を目指した人工地盤。
下には商店街や駐車場、上は団地や公園などとなっていて、建築を学んでいる人が多く見学に来るという。

(557)香川県坂出市役所
瀬戸大橋ができてから30年近く経ちましたが、開通した時から約1万人以上も人口が減って今では約53,000人となってしまい、近隣の宇多津町・丸亀市と比較しても取り残された感あり。
恐らくほとんどの人が予想したであろう、開通後の坂出の大発展。なので、爺さま一人が恥をかいたワケでもないと思いますが、不振の原因は大橋関連整備事業を優先にお金を注ぎ込んだため、駅周辺の再開発が後回しになってしまったかららしい。橋の袂にあって、恩恵を一番に受けられそうな町が独り負けとは何とも皮肉。

因みに左側には郵便局なのですが、車はそこに左折しようとしているのではありません。
コレ、路上駐車中。いくら車の量が少ないからっていい加減すぎ。でもそこは四国人っぽいおおらかな気質丸出し。

そう、大橋のなかったあの頃ね→

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

141・142日目 年末年始旅第四弾、スタート!

2016-01-14 23:59:28 | 山陽
2015年12月28日(月)・29日(火)


まだ2週間あまりしか経っていないのですが、もうかなり昔の事にしか思えないこの間の年末年始のお話しです。
そしてそれは前年と同様に寝台特急「サンライズ」で幕が開けます。

日取りは元日までの4泊5日(28日を含む)と、当ブログでの年末年始旅にしては短めの設定。
今回は普通に6連休なので仕方がない・・・。

乗ったのは「瀬戸」→
ちょっぴり見てみたい気がする、たまに走っている「琴平行き」の表示。
発券日(11月28日)の早朝から駅に行って「10時打ち」に持ち込んで手にしたノビノビ座席指定券(名も知らぬ若い女性1人に寝台を譲ったつもり)でしたが、朝は非常に弱い私にとって、かなり辛い戦いでございました。

さて、「サンライズ」に乗るくらいなので、当然行き先は西なのですが、具体的には当初は山陰を廻る計画でした。
ですが、待てよ、冬だしなあ、日本海側は雪が降るし街歩きには厄介だな、ならば無難に太平洋側にしようかと気が変わり、ホテルの手配等も済ませてしまったところ、蓋を開けてみれば超が付くほどの暖冬。恐らく雪なんぞ積もってなかろうに、しくじったわ。

↓これまた前年と同じく岡山で下車し、宇野線の快速「マリンライナー」に乗り換え。

切り離し作業の見物に群がる様子を遠くから(冷静に)見ると、当事者は必死なんだろうけど結構滑稽。
てなワケで浮気相手に選んでしまった行き先は、岡山県と香川県の備讃地域でございます。

↓10分あまりで、うすら明るい早島町(はやしまちょう)の早島駅(写真は瀬戸内海方向)に到着。

右は住宅密集地ですが、左は田んぼだらけと実に対照的。

私が小さい頃、両親の故郷に帰省する時に必ず通った宇野線。
瀬戸大橋開通以前の事で、岡山で新幹線を降りた後は快速電車で宇野まで行き、連絡船で高松へ渡っていたのですが、朧げな当時の記憶では、宇野までず~~っとひたすらひたすら写真左のような田んぼの中を走っていた感じのローカル線。
今回の早島駅に至っては快速通過駅だったので、全く印象なし。
そして当時は全線単線も、今では一部ですが複線になっていたり、近代的な駅があったりと、隔世の感ありあり。随分立派になったもんです。

駅前→

↓駅前に飾ってあった「昔洪水があった時の絵図」

この辺一帯は昔は海。つまりは干拓地という事。駅西側は丘陵地なのですが、それは早島の名が示す通り「早島」という島だったそうな。
今から約400年前に、この地を治めていた戦国大名・宇喜多秀家は海の干拓を思い立って、潮止めの堤を築かせたのが始まりといいます。

↓写真を撮りながら歩きますが、それに夢中になっていると・・・。

柵がないんだけど・・・。しかも車は多いし。怖すぎるぞ、早島町!
酔っ払いがフラフラ千鳥足で歩いていたら、下手すると土左衛門になりはしないか? 歩きスマホもかなり怪しい。
でも柵がないってことはそんなマヌケは未だかつていなかったらしい。

(556)岡山県都窪(つくぼ)郡早島町役場
岡山市・倉敷市などの一部も範囲だった都窪郡も、その所属の仲間達がどんどん消えて、今では早島町一人ぼっち。
イグサや畳表の一大生産地であったのですが、平成12年をもって450年続いたイグサ栽培もなくなってしまう。

↓この道を歩くと「老いない」というワケではありません、もちろん。

全長約10kmある歴史散策道。毎日歩けば浅ましく老いを少しでも後回しできる(可能性のある)この道で、町の歴史にちょっとだけ触れてみる事にします。

↓おひさま昇りたてほやほやを久しぶり見た気がする。

清々しい気分になるなあ。もっとも私の後ろにはお墓が並んでいるのだけど。

↓厳島神社→


お社の後ろには岩がゴロゴロ。
これは昔の波打ち際であった証しのようなもので、「弁財天」という名の港だったらしいです。

干拓前は島だった丘陵地へ→
左の「鶴崎神社東参道常夜灯(右側にもある)」は、江戸と早島の畳問屋が船の航海の無事を願って安政3(1865)年に奉納したもの。

「天満宮」へ→
早島町のビュースポットというんだけど・・・。大昔だったら間違いなくきっとそうだったろうね。
天神さま・菅原道真が大宰府に流される途中にここに寄って水浴びしたという謂れのある神社。

古い街道へ。
いかしの舎→
畳表・経糸(たていと)問屋(明治末期~大正築)を改修した建物で、落ち着いた佇まいの中で法事・宴会・結婚式はもちろん、お茶しながらの駄弁でも与太話でもどうぞの多目的スペース。

戸川家記念館→
関ヶ原の合戦以前は宇喜多家の重鎮であり、江戸時代以降は旗本だった戸川さんちの陣屋。
でも開いておりませぬ。

清澄家住宅→
元眼科医で町内に残る唯一の明治洋風住宅。明治41(1908)年築。

早島町はこれくらいに切り上げて、再び快速「マリンライナー」に乗って、平成27年2度目の四国上陸を目論みます。

因みに買った切符は「千葉⇔志度(しど)」の往復乗車券。
ところで、よそ様の旅ブログを見る事も多い私ですが、長距離の切符(601km以上)を往復で買うと、行き帰りそれぞれ1割引きになるのを知らないお方が実に多い。駅弁2つは最低でも買えるのにね。
切符の写真を見たり、文章を読んだりするたび、コメントして教えてあげるのは親切なのかもしれないけど、反面、知識をひけらかすようでイヤミったらしいしで、どっちがいいのか(ムダに)悩ましく思っております。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

140日目 伊豆半島の果てに来たけれど・・・

2016-01-10 23:49:53 | 東海
2015年10月11日(日)


松崎町の岩科学校を見学した後は、脇目も振らず国道136号線を南に進むだけ。

ところが南伊豆町(みなみいずちょう)に入って、奇妙な看板に遭遇。
↓この看板の行き着く先は承知してはいるんだけど、「歓迎」とあるので呼ばれてみる。


↓そしてここが道路の終着点・波勝(はがち)海岸の波勝崎苑

この海岸には高さ260mの赤壁や千貫門があるなどの奇勝地でもあるのですが、波勝崎苑のある大窪浜は野猿が多く戯れる、いわば「サルの楽園」となっております。
肥田与平さんという人が昭和20年代後半から苦労して餌付けを始めたのが発端らしい。

どれどれ今年の主役はいるかな?→

いたいた!→
でもじっとしてくれないので、なかなかカメラに捉えにくい、憎いヤツら。

結局、私はこれを見ただけで波勝崎苑には入らず、全く歓迎せ「ザル」客だったワケです。

「夕日ヶ丘休憩所」からの眺め→
よ~く見ると眼下に集落があります。「伊浜」という集落ですが、遥か下にあるものですから周りの人々は口々に「あそこへはどうやって行くんだろうね?」と不思議がっている。実は私もそうでしたが。
そこは全国でも有数のマーガレットの産地であるため、国道136号線は別名「マーガレットライン」と呼ばれております。

子浦集落→

妻良(めら)集落の港→
いわゆる天然の良港で、帆船時代は風待ち港として賑わった集落。
良い妻か・・・、そんな人が多そうな(気がする)素晴らしい地名ですが、それはともかく、たった2文字のしごく平凡な感じの「めら」、実は論文の題材にもなりそうな奥深い地名でもあります。
和歌山県田辺市にも千葉県館山市にも「めら」という集落がありまして(田辺市・目良、館山市・布良)、元は紀伊の人が伊豆・安房に流れ着いて住み着いたという説があり、離れていても四国・徳島を含めた紀伊半島・伊豆半島・房総半島との目に見えぬ繋がりを改めて感じるのです。

↓伊豆半島最南端・石廊崎(いろうざき)に程近い、奥石廊の「アイアイ(愛逢)岬」。

伊豆半島が「ジオパーク」である事を実感できる断崖絶壁は壮観。
目のいい人なら大根島という島にいる野生のサルを見ることができるらしい。
♪ アイアイ(アイアイ)アイアイ(アイアイ) おさるさんだよ~
でも見えるのはアイアイではなく、普通のおサルさんね。

さて、今回是が非でも行きたかったの場所の一つとして石廊崎があったのですが、来てみて驚愕の事実が判明する(単に私がよく調べていなかっただけなのだが)。

車で行けるのはこの漁港まで→
実は私はてっきり車でいわゆる「最南端」に行けると思っていたのだ。
その「最南端」にあるのが灯台や縁結びに効果があるという「石室(いろう)神社」などですが、ここから山を登って片道30分程度歩かなければならないらしい。往復すると優に1時間か・・・。

見所の多い伊豆の事、あちこちウロついているうちにかなり時間を浪費してしまい、ここに着いたのが16時半すぎ。
灯台を往復して戻ってきたら18時近くで、その頃には日もどっぷり落ちているだろう。
そうなると南伊豆町のクリアもできなくなるな・・・(真っ暗になってからの庁舎撮影はその市区町村をクリアした事にしない自己ルールのため)。

↓山登りしながら思案投げ首した末、南伊豆町クリア>最南端到達とする。


最南端は早晩再び来るであろう伊豆半島再訪問の際の楽しみとするしかない。
選択はどうであれ、日没が近づいているのは事実で急ぎ町中心部へ。

(555)静岡県賀茂郡南伊豆町役場
昭和30(1955)年に6つの村が合併してできた、約8,700人が暮らす町。
役場は町の中心集落である賀茂地区にあり、この近辺には下賀茂温泉があります。

役場近くの商店街→

↓これまた役所近くの、温泉熱を利用した「下賀茂熱帯植物園」。

かつては観光バスが列をなし、押すな押すなの大盛況の時代もあったというのですが、一昨年9月21日で52年の歴史にピリオドを打ち閉園。
と思いきや、その後は無料で開放しているようです。閉園したんじゃないの?と思ったら、植物販売・リース以外の観光分野が終了という意味らしいです。

青野川(上流方向)→
河畔の至る所から温泉が湧き出るという「下賀茂温泉」。
向こうに見える橋の袂には、薬草の露天風呂を楽しめる「下賀茂温泉 銀の湯会館(橋の左側に写っている屋根がそれらしい)」があるのですが、今年3月まで改修のためお休み中。

さすが掘れば温泉の場所だけあります→
蒸気の沸き出る音だけが虚しく鳴り響く「温泉付き売地」。

道の駅「下賀茂温泉 湯の花」→
足湯・手湯があるので明るければきっと賑わっているのでしょうが、この時間でこの暗さ、最早ほとんど人がおらず薄気味悪い空間と化しております。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

140日目 堂ヶ島洞くつめぐり遊覧船

2016-01-07 23:53:20 | 東海
2015年10月11日(日)


このブログでも幾度か取り上げたことのある「ジオパーク」(例、室戸)。
そして伊豆半島全体が「日本ジオパーク」に認定されているのはご存知でしょうか?
そもそも「ジオパーク」とは何ぞや?ですが、地層・岩石・火山・断層などの自然遺産と人間との関わりを学べる公園で、「世界ジオパーク」と「日本ジオパーク」の2種類があります(因みに室戸は世界ジオパーク)。

約2000万年前に、今の硫黄島付近のフィリピン海プレートの上にできた海底火山群が北へ移動し、本州とぶつかってできた半島が当の伊豆半島。
そして両者が接して盛り上がった部分がいわゆる「天下の険」の箱根で、ちょうど、インドがユーラシア大陸にぶつかってヒマラヤ山脈ができたのと同じ構図。

さて、私が行った西伊豆町・堂ヶ島は、波・風の浸食で露出した海底火山の噴出物による地層が見られ、「伊豆半島ジオパーク」のセールポイントの一つ。

↓曇っていても3連休の威力はバツグンで、満車状態の無料駐車場。

右の建物は堂ヶ島を「こよなく愛する」という加山雄三氏のミュージアム。

↓それは1階がレストラン、2階はショッピングゾーンで3階はミュージアム。

1階・2階はそこそこの人の入りも、若大将肝いり(?)のミュージアムは有料のためか、あまり人が入って行った印象はなし・・・。寂しからずや。

↓お昼時なので「海鮮しらすまん(\350)」でちょっぴり腹を満たす。

具にしらすは不向きな気が。かなりあっさりなので、しらすに醤油を少し垂らして食べた方がいいかも。
しかも生地がやたらブ厚いし・・・。

↓せっかくここに来たのだからこれに乗らんと!


というワケで乗り込みます→
連れがなくたった一人で乗船するは私だけでしたが、ナニか?

↓コースはこれだけの種類があります。

私が乗ったのは緑色のお手軽コース(\1200)。
実はこの日は沖がそこそこ荒れておりまして、運行されていたのは「洞くつめぐり」と「堂ヶ島クルーズ」だけ(だったと思う)。

↓リアス式海岸の岩肌と、本家・松島には遥かに島の数は及ばないけど、点在する島々を楽しめる「伊豆の松島」。






このコースのハイライトは、昭和10(1935)年に国の天然記念物に指定された天窓洞(てんそうどう)。
いよいよ入るでござる!→

↓天井がすっぽりと抜け落ちた穴から射し込む光の加減によって海の色が変わってくるらしい。

そしてその光が降り注ぐ様は「天使が降りてくるような美しさ」と表現されるよう。まあ、上の写真はガイドブックに載っているような「神秘的な青色」の海や「天使」の陽射しのものとは程遠いけど、撮影した人が下手クソ天候が曇りだったからと言い訳しときます。

下船後は岬を巡る遊歩道へ行ってみる→
人がたくさん乗っかっている向こうのツルツル肌の岩は「亀岩」。しかもかなり大きな声でワーワー騒いでいる。
昔はそういう連中と言ったらセイガクで鉄板だったのだけど、最近は大陸からの人たちも要素の一部として加わりました。
果たしてこの岩に乗っかっていたのは、ありがたい事に爆発的な量の家電などを買い漁って、日本経済に大貢献して下さってくれている方々でございます。

↓左は「三四郎島」といい、見る角度によって三つにも四つにも見える事から名付けられた島。

干潮時に海が割れて地続きになる現象を「トンボロ」といい、ちょっと筋っぽくなっているのがそれ。

アップしてみましょう→
ただし、「10月から2月の日中は、瀬が現れるほどに潮は引きませんので、渡ることはできません」(西伊豆観光ガイドより)」なのだと。どのみち渡れなかったワケです。

天窓洞を上から眺める→
船を待っていましたが、穴からエンジンの轟音が聞こえるだけで姿を現さず。つまらん。
何か投げつけてやろうと思って、手ぐすね引いて待っていたのに・・・(ウソです)。

↓しらすまん程度では当然腹は満たされないので、お昼を戴く。

西伊豆町の市街地でご当地グルメメニューを見て(前編参照)食べたいと思っていたのがコレ、「塩かつおうどん(\650)」。すすってビックリ! これは美味すぎ!! ヤバイです、ドつぼにハマったわ。

そんなこんなしているうちに、沖の波がさらに高くなったようで遊覧船は運行見合わせとなる。
もっとも、この日この後にここを訪れた人達は、天窓洞を下から見上げられたかどうかなんて知ったこっちゃないけど。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

140日目 伊豆で最古の小学校と心地よい潮騒の音

2016-01-05 22:20:31 | 東海
2015年10月11日(日)


明けましておめでとうございます。

年末年始は仕事納めの28日夜に旅立ち、元日に帰ってまいりました。
残り2日間の正月休みは、食べて飲んで食べて食べて飲んで食べて寝て食べて飲んで食べて・・・(以下、延々続く)。
本当はそうしていたかったのですが、誰がくれたかは知りませんが、風邪なるお年玉をどこかで頂戴してしまったようで暴飲暴食・食っちゃ寝に耐えうる体ではなくなってしまいました。
というワケで、出だしは良くはない新年となりましたが、どうぞよろしくお願いします。
早速ですが、昨年の積み残しをさっさと始末したいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

松崎町中心街のなまこを堪能(食べたワケではないですよ)した後の動きは、西伊豆町(にしいずちょう)の中心街→「伊豆の松島」と呼ばれる堂ヶ島(西伊豆町)と行って、再び松崎町へ戻って国指定重要文化財・岩科(いわしな)学校を見学、そしてさらに南の突先へgoあるのみでした。
ですが、前回の松崎ブラブラの流れを引き継いで、今回はまずは岩科学校をはじめとする松崎町の残り、そして西伊豆町中心部、次回に堂ヶ島と話しを進めていきます。

岩科学校→
甲府・睦沢学校、松本・開智学校などに次ぐ明治13(1880)年に完成した古い学校。
しっかりきっちりなまこ壁を取り入れた社寺風建築とバルコニーなどの洋風建築が融合した校舎が特徴。入場料は300円。

↓旧小学校には鉄板の校長室と授業風景再現



そしてお決まりの、偉そうな感じの威厳のある校長先生と子守する児童。

↓2階には何と学校のくせに立派な日本間の客室があったりする。

漆喰鏝絵の名工・入江長八によって施された「千羽鶴」が美しい・・・。ハズなのですが実際は部屋の中は暗くてよう分からんでした。

学校周辺をウロつく。
松崎町は用水路が避難地らしい→
そんなワケないけど、竜巻が来た場合には、もしかしたらここが避難場所になりうるかも?

↓国道136号線の松崎中心部から南側には、彫刻21体が並んでいます。

最初はそれなりに見て運転するも(チラ見程度ですが)、そのうちにどうでもよくなり路傍の石と化す。

雲見温泉→
私がここを通った翌日、「海賊料理まつり」という催しがあったのをNHKの夜7時のニュースを見て知りました。やはり一日ずらすべきでした。しかも思いっきり晴れていたし。

松崎町はこれでおしまい、次は西伊豆にある西伊豆という町です。

(554)静岡県賀茂郡西伊豆町役場
賀茂村とそれまで存在していた西伊豆町が平成17年に合併して新しい西伊豆町となり、今では8,600人程が住んでおります。
先に触れました堂ヶ島や、夕日を浴びると黄金色に染まるという黄金崎(前日は曇りだったので見に行っても意味なかったので行かなかった)などの観光名所があり、さらには「夕陽日本一宣言」をしたほど夕陽の美しさを売りにする町。

お決まりの街散策→

西伊豆のご当地グルメの品々→
ほぉ、美味そうだなと見ていたら、タイミング悪くよく店の旦那が出てきて「入りな」と言う。
ところがまだ10時すぎで正直あまりお腹が空いていない。
「お昼になったら来ますよ」と言ったものの、結局この店に入りませんでした。ウソ言ってゴメン、旦那。

↓海岸近い集落には松がたくさん生えていて、しかもどれもこれもやたら背の高い。


↓大浜海水浴場
 
ザバーン、ザバーンと鳴り響く潮騒の音をいつまでも聞いていたくなる砂浜。
右の写真は「な」で切れていますが、「なぎさの湯」という浴場。

↓ちょうどお掃除真っ最中。
 
お疲れ様です。そして、ありがとう。

↓海水浴場の北側に歩を進めると「安城(あじょう)岬公園遊歩道」というのがありまして。



全長3キロもあり、しかも山を登っていく非常に難儀な遊歩道。ただ、堂ヶ島と富士山の絶景が見られるというご褒美が付いてくるそうな(晴れという条件も必要と考えられるが)。

足湯のご褒美もあります→
遊歩道を歩かなくても足湯には入れますけどね。

安城岬の先端にある「亀甲岩」→

ではでは、「伊豆の松島」とやらを見に行きましょうか!

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→