ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

179日目 大隅半島から日南海岸へ向かう

2017-08-24 22:35:20 | 九州南部
平成29(2017)年5月2日(火)


5日間に及ぶ南九州旅のド真ん中3日目は、大隅半島を脱出して日南海岸を北上、宮崎市に宿泊します。
この日は通る道通る道に観光地が目白押し。

志布志(しぶし)・飫肥(おび)・油津の街を歩きたいし、
鵜戸・青島の両神社にも行きたいし、
鬼の洗濯板、都井岬では馬、サンメッセ日南にあるモアイ像も見たい。
一方で、これだけ全部をたった一日で嘗め尽くすのは到底ムリな事もがってん承知の助ではあるんですが、果たしてどこまでガメられるんでしょうか。

この日も夜の明けぬうちに起きて、5時半に出発。さようなら国分。
ですが、3年半ぶりに来た霧島市
折角なのでほんの少しだけ登場させましょ。
国分駅→

↓大隅国分城址(別名、国分御屋形・舞鶴城)の復元された「朱門」。

島津義久が日常生活をすべく築いた館造りのお城。

こんな程度の紹介で、これで本当にさよなら(もう一度くらいは列車で通るかも知れないけど)、そして一気に曽於(そお)市入り。

(656)鹿児島県曽於市役所
平成17年に曽於郡の3つの町が合併してできた市で、人口は約37,000人。
山林が市の面積の約6割、耕地が約3分の1が占め、基幹産業は畜産、畑作といった農牧業。
中でも和牛子牛・肉用牛の生産と頭数は全国でもトップレベル。
それを象徴する像が役所入口にあります→
「新春運だめしくじ」のような名前のこの「宝春」号は、鹿児島県の和牛改良に大きく貢献した牡牛で、2万頭を超える2世を誕生させたのだそう。
お勤め、楽しかった大変だったろうね。

外国人が見たら曽於市=スーシ、ですね→
日本人はどちらかというと「そーし」の方が言いやすいわね。

市役所があるのは合併前の旧・末吉町→
誰が見るのか、役所敷地内にある錆びた観光案内図。

地名の読み方は「すえきち」ではありません、「すえよし」です。
「末吉」でどうしても思い出すのは、私が高校2年の時の担任の先生。
ズバリこの苗字で、鹿児島県出身と言っていたから、ひょっとしたらこの町の出だったかも知れません。

その先生は、九州男児らしくかなりの熱血漢で、おまけに体育の担当だったから怖いのなんの。
私はいわゆる遅刻の常習犯だったので、罰として竹刀で思いっきり尻を叩かれる事しばしば。
今なら体罰だの何だので問題になりかねないのですが、当時は叩かれるのは当たり前(?)、親も「お前(私)が悪い」の一言であっさり終わり。

怖かったのは確かでしたが、同じ怒るにしても叩くにしても生徒に対する愛情のようなものが感じられたので、私はその先生は好きだったし、皆そうだったんじゃないかな。

今もお元気でしょうか?、そんな事を考えつつ末吉を歩いてみます。
旧・末吉駅(恐らく待合室)→
また出たか、大隅線。
もううんざりかもしれませんが、これは大隅線廃止から2週間後に廃止された国鉄・志布志線の駅。
写真右奥には「末吉鉄道記念館」が見えます。

↓どうにか辛うじて「都城・鹿児島方面のりば」の文字が残っています。

道路脇にはホームだったと思しき部分が、ほんのちょっぴり頭を出しています。

末吉鉄道記念館→ 
敷地脇には車輪やレール、信号機があったりします。

↓記念館前にある、スナックばかりが入っているボロッちい建物。

いい味を醸し出しているこの建物ですが、よく見ると1軒だけラーメン屋さんがありました。
酒の後の〆に良さげですが、気になったのが「鬼追いラーメン」。
ニンニクたっぷりの「お臭いラーメン」ではないよなあ。
学生ラーメンってのも激安すぎ。

カニのオブジェ→
ある洋食居酒屋さんの前にあるものです。

末吉の商店街→

こちらはお茶屋さん→
なかなかアピール熱心な末吉のお店たちでした。

↓こちらは完全にお休みモードだけど、思いっきり平日なんだよね。


↓次に、見渡す限り畑ばかりの長閑な所にやって来ました。

ここに一体ナニがあるんだろうね。

 



カッコしてあるのはこれまで行った所→


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