平成28(2016)年7月17日(日)
千曲市でやや時間を浪費してしまったので、予定していた長野市散策はあえなくボツ。
そこで、そのまま「雪国の小京都」だとか「信州の小京都」だとかの異名を持つ飯山市へ行って締めくくりたいと思います。
↓長野駅からは、千曲川に沿って田園風景の中を走っている、車窓が風光明媚だとの評判の飯山線に乗って飯山駅に17時すぎに到着。


↓駅舎は北陸新幹線延伸によって、以前あった場所から数百メートル南に移動して新築された真新しい立派な建物。

↓さて、ここで信州いいやま観光局というサイトのいいやまマップ(市街地)をご覧に入れたいと思います。

「小京都」を名乗っているとおり、街中にはお寺さんがたくさん。
ただ飯山市も急速な人口減に喘いでいて、もうすぐ大台割れ必至の現在約2万人。
檀家の争奪戦が激しくないのか、いずれ廃寺なんかがポツポツとでてくるのではと、余計な事も一方では考えてしまうのです。
お寺が多いという理由で飯山市は漠然と素朴な町のイメージを持っていたのですが、駅に降りるやいきなりお迎えしてくれたものに驚く。
駅を出て市街地に向かって左手、堂々、女神様ですよ!→
↓これはどういう感じでお立ちになられているかというと・・・。

リバティ島ならぬ、リバティ丘?の上にいらっしゃいます。
三菱っぽいロゴがあるので、建物はそれ系列の会社のとも思ったけど、よーく見ると下の二つが溶けているし(笑)。
では老人ホームかな?と思いつつも、千葉に帰って調べてみると、それは何と、本社を飯山市に置くスワロースキー(三菱とは関係ないらしい)というウインタースポーツ用品のメーカーの寮で、そんで、そのロゴはまさに燕だったんですな。
ふっ、なかなか味な事をやるわい・・・。
以前飯山駅があった所→
その面影なく一掃されております。
かなり目立っていた「飯山シャンツェ」→
よくこんな恐ろしい所を飛んでいるもんだよ・・・。
飯山城址らしき丘(違っていたらスマヌ)→
上杉謙信が築いた信州攻めの根城で、今では桜の名所。
信濃地方の伝統工芸品等の展示販売を行っている、展示試作館「奥信濃」に来てまたしても驚く。
なんじゃこりゃ?→
これも実際調べてみたら、本当に掛け値なしのド金ぴか雪隠らしい。
ただ、残念ながらここは17時までで、お目に掛かれなかったのみならず、使う事ができなかったのは非常に残念。
愛宕町雁木(がんぎ)通り、別名・仏壇通り→
雪国でよく見られる雁木(雪よけ屋根)が連なる通り。見ての通り仏壇屋さんの多い事多い事。
人口が減っているとは言うけど、そんなにこのお店の供給を賄えるほどお呼ばれになる数が多いのか?
そうそう、一応「寺の町」なのでいくつかお寺さんも載せておかないと・・・。
正受庵(しょうじゅあん)→
真田信繁(幸村)の兄である真田信之の子・道鏡慧端(どうきょうえたん)が終生を過ごした庵で、禅道場でもあったらしい。彼は臨済宗の再興者なんだとか。
↓後はこんな感じで載せるだけにしとく。

一番左の妙専寺、ここは明治45(1912)年に長野県で初めてスキー滑りがされたという。
高橋まゆみ人形館→
創作人形作家である高橋まゆみさんの作品が展示されているのですが、ここも17時まで。
↓日没も迫ってきましたので、後はうら寂しい商店街をゆっくり歩いて駅に戻ります。

(609)長野県飯山市役所→
信濃と日本海を結ぶ北国街道の要所で、古くから海産物の集散地として栄える。
平成の大合併の頃、お隣の野沢温泉村と一緒になるつもりでいたようで、市名も長ったらしい「飯山野沢温泉市」と決まっていたらしいのですが・・・。
飯山は豪雪地帯でもあります。今月下旬から来月下旬まで「かまくら」が造られ、そこで名物の「のろし鍋」とやらを味わえるんだそうな。
幻想的な中で暖かい食事、いいじゃありませんか!
飯山駅からは19時25分発「はくたか574号」→
初めて乗る北陸新幹線。
以前の長野新幹線と呼ばれていた区間もこれまで乗ったことはなかったので、まさしく初乗車。
長野から乗ってきた学生は、荷物だけで3席まるまるがっつく→
空いていたからいいようなものの・・・。
↓東京駅に着いてしばらく新幹線を眺めていたら、レアな北海道新幹線車両がやってきましたよ。


参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
千曲市でやや時間を浪費してしまったので、予定していた長野市散策はあえなくボツ。
そこで、そのまま「雪国の小京都」だとか「信州の小京都」だとかの異名を持つ飯山市へ行って締めくくりたいと思います。
↓長野駅からは、千曲川に沿って田園風景の中を走っている、車窓が風光明媚だとの評判の飯山線に乗って飯山駅に17時すぎに到着。



↓駅舎は北陸新幹線延伸によって、以前あった場所から数百メートル南に移動して新築された真新しい立派な建物。

↓さて、ここで信州いいやま観光局というサイトのいいやまマップ(市街地)をご覧に入れたいと思います。

「小京都」を名乗っているとおり、街中にはお寺さんがたくさん。
ただ飯山市も急速な人口減に喘いでいて、もうすぐ大台割れ必至の現在約2万人。
檀家の争奪戦が激しくないのか、いずれ廃寺なんかがポツポツとでてくるのではと、余計な事も一方では考えてしまうのです。
お寺が多いという理由で飯山市は漠然と素朴な町のイメージを持っていたのですが、駅に降りるやいきなりお迎えしてくれたものに驚く。
駅を出て市街地に向かって左手、堂々、女神様ですよ!→

↓これはどういう感じでお立ちになられているかというと・・・。

リバティ島ならぬ、リバティ丘?の上にいらっしゃいます。
三菱っぽいロゴがあるので、建物はそれ系列の会社のとも思ったけど、よーく見ると下の二つが溶けているし(笑)。
では老人ホームかな?と思いつつも、千葉に帰って調べてみると、それは何と、本社を飯山市に置くスワロースキー(三菱とは関係ないらしい)というウインタースポーツ用品のメーカーの寮で、そんで、そのロゴはまさに燕だったんですな。
ふっ、なかなか味な事をやるわい・・・。
以前飯山駅があった所→

その面影なく一掃されております。
かなり目立っていた「飯山シャンツェ」→

よくこんな恐ろしい所を飛んでいるもんだよ・・・。
飯山城址らしき丘(違っていたらスマヌ)→

上杉謙信が築いた信州攻めの根城で、今では桜の名所。
信濃地方の伝統工芸品等の展示販売を行っている、展示試作館「奥信濃」に来てまたしても驚く。
なんじゃこりゃ?→

これも実際調べてみたら、本当に掛け値なしのド金ぴか雪隠らしい。
ただ、残念ながらここは17時までで、お目に掛かれなかったのみならず、使う事ができなかったのは非常に残念。
愛宕町雁木(がんぎ)通り、別名・仏壇通り→

雪国でよく見られる雁木(雪よけ屋根)が連なる通り。見ての通り仏壇屋さんの多い事多い事。
そうそう、一応「寺の町」なのでいくつかお寺さんも載せておかないと・・・。
正受庵(しょうじゅあん)→

真田信繁(幸村)の兄である真田信之の子・道鏡慧端(どうきょうえたん)が終生を過ごした庵で、禅道場でもあったらしい。彼は臨済宗の再興者なんだとか。
↓後はこんな感じで載せるだけにしとく。



一番左の妙専寺、ここは明治45(1912)年に長野県で初めてスキー滑りがされたという。
高橋まゆみ人形館→

創作人形作家である高橋まゆみさんの作品が展示されているのですが、ここも17時まで。
↓日没も迫ってきましたので、後はうら寂しい商店街をゆっくり歩いて駅に戻ります。

(609)長野県飯山市役所→

信濃と日本海を結ぶ北国街道の要所で、古くから海産物の集散地として栄える。
平成の大合併の頃、お隣の野沢温泉村と一緒になるつもりでいたようで、市名も長ったらしい「飯山野沢温泉市」と決まっていたらしいのですが・・・。
飯山は豪雪地帯でもあります。今月下旬から来月下旬まで「かまくら」が造られ、そこで名物の「のろし鍋」とやらを味わえるんだそうな。
幻想的な中で暖かい食事、いいじゃありませんか!
飯山駅からは19時25分発「はくたか574号」→

初めて乗る北陸新幹線。
以前の長野新幹線と呼ばれていた区間もこれまで乗ったことはなかったので、まさしく初乗車。
長野から乗ってきた学生は、荷物だけで3席まるまるがっつく→

空いていたからいいようなものの・・・。
↓東京駅に着いてしばらく新幹線を眺めていたら、レアな北海道新幹線車両がやってきましたよ。



参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
