ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

159日目 雪国の小京都を歩く

2017-01-09 14:01:18 | 甲信越
平成28(2016)年7月17日(日)


千曲市でやや時間を浪費してしまったので、予定していた長野市散策はあえなくボツ。
そこで、そのまま「雪国の小京都」だとか「信州の小京都」だとかの異名を持つ飯山市へ行って締めくくりたいと思います。

↓長野駅からは、千曲川に沿って田園風景の中を走っている、車窓が風光明媚だとの評判の飯山線に乗って飯山駅に17時すぎに到着。
  



↓駅舎は北陸新幹線延伸によって、以前あった場所から数百メートル南に移動して新築された真新しい立派な建物。


↓さて、ここで信州いいやま観光局というサイトのいいやまマップ(市街地)をご覧に入れたいと思います。

「小京都」を名乗っているとおり、街中にはお寺さんがたくさん。
ただ飯山市も急速な人口減に喘いでいて、もうすぐ大台割れ必至の現在約2万人。
檀家の争奪戦が激しくないのか、いずれ廃寺なんかがポツポツとでてくるのではと、余計な事も一方では考えてしまうのです。

お寺が多いという理由で飯山市は漠然と素朴な町のイメージを持っていたのですが、駅に降りるやいきなりお迎えしてくれたものに驚く。

駅を出て市街地に向かって左手、堂々、女神様ですよ!→

↓これはどういう感じでお立ちになられているかというと・・・。

リバティ島ならぬ、リバティ丘?の上にいらっしゃいます。

三菱っぽいロゴがあるので、建物はそれ系列の会社のとも思ったけど、よーく見ると下の二つが溶けているし(笑)。
では老人ホームかな?と思いつつも、千葉に帰って調べてみると、それは何と、本社を飯山市に置くスワロースキー(三菱とは関係ないらしい)というウインタースポーツ用品のメーカーの寮で、そんで、そのロゴはまさに燕だったんですな。
ふっ、なかなか味な事をやるわい・・・。

以前飯山駅があった所→
その面影なく一掃されております。

かなり目立っていた「飯山シャンツェ」→
よくこんな恐ろしい所を飛んでいるもんだよ・・・。

飯山城址らしき丘(違っていたらスマヌ)→
上杉謙信が築いた信州攻めの根城で、今では桜の名所。

信濃地方の伝統工芸品等の展示販売を行っている、展示試作館「奥信濃」に来てまたしても驚く。
なんじゃこりゃ?→
これも実際調べてみたら、本当に掛け値なしのド金ぴか雪隠らしい。
ただ、残念ながらここは17時までで、お目に掛かれなかったのみならず、使う事ができなかったのは非常に残念。

愛宕町雁木(がんぎ)通り、別名・仏壇通り→
雪国でよく見られる雁木(雪よけ屋根)が連なる通り。見ての通り仏壇屋さんの多い事多い事。
人口が減っているとは言うけど、そんなにこのお店の供給を賄えるほどお呼ばれになる数が多いのか?

そうそう、一応「寺の町」なのでいくつかお寺さんも載せておかないと・・・。
正受庵(しょうじゅあん)→
真田信繁(幸村)の兄である真田信之の子・道鏡慧端(どうきょうえたん)が終生を過ごした庵で、禅道場でもあったらしい。彼は臨済宗の再興者なんだとか。

↓後はこんな感じで載せるだけにしとく。
  
一番左の妙専寺、ここは明治45(1912)年に長野県で初めてスキー滑りがされたという。

高橋まゆみ人形館→
創作人形作家である高橋まゆみさんの作品が展示されているのですが、ここも17時まで。

↓日没も迫ってきましたので、後はうら寂しい商店街をゆっくり歩いて駅に戻ります。


(609)長野県飯山市役所
信濃と日本海を結ぶ北国街道の要所で、古くから海産物の集散地として栄える。
平成の大合併の頃、お隣の野沢温泉村と一緒になるつもりでいたようで、市名も長ったらしい「飯山野沢温泉市」と決まっていたらしいのですが・・・。

飯山は豪雪地帯でもあります。今月下旬から来月下旬まで「かまくら」が造られ、そこで名物の「のろし鍋」とやらを味わえるんだそうな。
幻想的な中で暖かい食事、いいじゃありませんか!


飯山駅からは19時25分発「はくたか574号」→
初めて乗る北陸新幹線。
以前の長野新幹線と呼ばれていた区間もこれまで乗ったことはなかったので、まさしく初乗車。

長野から乗ってきた学生は、荷物だけで3席まるまるがっつく→
空いていたからいいようなものの・・・。

↓東京駅に着いてしばらく新幹線を眺めていたら、レアな北海道新幹線車両がやってきましたよ。


 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

159日目 古代ロマンと蔵と温泉の町&杏と名月の里

2017-01-06 23:49:39 | 甲信越
平成28(2016)年7月17日(日)


↓屋代駅からレンタサイクルをシャカシャカ言わせてやってきたのは、駅から直線にして7、800m程の真東にありながら、その間に居座る山が邪魔をしてムダに大廻りさせられるハメとなる、森将軍塚古墳館と長野県立歴史館の二つの施設がある所。

元々ここは自転車を借りずとも這ってでも来る予定だった場所。

まずは古墳館の方から。
と思いきや、ハナっからここへは入るつもりはなく、ただただ古墳そのものを見に来ただけ。

森将軍塚古墳は今から約1600年前に造られた全長約100mの前方後円墳で、その規模は東日本最大級なんだとか。
その大きさに相応しく、「科野のクニ」を治めていた豪族の墓らしい。
どなたとは言いませんが、政界をウラから牛耳っている印象の某政党の闇将軍のような古墳名ですが、由来は「森地籍」にある「偉い人のお墓」という意味のようです。

ところがどうしたことか、古墳は標高500mの山に築かれております。
勿論、自力で登っていく甲斐性など持ち合わせておりませぬ。
↓よって、往復400円を投じて上まで運んでもらいます。


極めてキレイに整備されている古墳→
お察しのとおり復元物ですんで・・・。

高所だけに眺めは抜群。
長野市の方向→

↓真下には「あんずの里アグリパーク」と「あんずの里物産館」。

アグリパークでは、12~6月に苺狩りができるという。
それはいいとして、時期によっては長野県にしては違和感のある蜜柑狩りもできるとな。

ここをさらに東へ行くと「あんずの里」と呼ばれる一帯があって、4月には花見、6月下旬から7月中旬まで杏狩りが楽しめるそうです。

これは古墳館裏にある「科野のムラ」→
青々とした田畑に茅葺きの家と倉庫、日本ですなあ。

↓歴史館(¥500)では、長野県の歴史を学べます。


屋内で豪快に象も飼ってたり・・・→
勿論そんなハズもなく、頭をぎこちなく動かすだけのナウマンゾウ(長野県上水内郡信濃町にある野尻湖で骨が発見されましたからね)の模型。

↓駅へ戻り、今度は駅から西に伸びる駅前通りを走らせる。


(608)長野県千曲市役所
平成15年9月に更埴(こうしょく)市・戸倉町(とぐら)町・上山田町が合併してできた約6万人が住む町ですが、その数は年々ジリ貧傾向。

さらにさらに西へ行くと千曲橋→

鉄ファンでは超有名な姨捨(おばすて)の方向→
今まで上から見下ろすばかりだったけど、下から見上げるのもなかなかオツ。
「さらしな・姨捨名月の里」と呼ばれ棚田が広がっているそこは、松尾芭蕉らの多くの文人が訪れた月の名所。
是非一度、その棚田に映る月を見てみたいものです。

↓さてさて橋を渡ると、平成26年に重要伝統的建造物群保存地区として選定された稲荷山の集落があり、ここもお祭りのよう。



稲荷山は善光寺平最大の宿場町で、明治以降は生糸と絹織物によって北信濃最大の商いの町として栄える。

↓重厚感のある漆喰の白壁、なまこ壁、土蔵造りの商家が見られるので「蔵の町」を名乗っているのですが・・・。


↓格子戸のある町家や仕舞屋、さらには崩れそうな建物もあったりするなど実に多彩で、集落好きには楽しめる場所。






兎にも角にも、杏が名産、名所旧跡には古墳や集落、姨捨の棚田、心身を癒すと共に歓楽面も充実の大温泉地・戸倉上山田温泉(真田信繁の最初の領地らしい)があったりと、観光やお遊びは非常に充実の千曲市。
来ればきっとお気に召して戴けるんじゃないかな?

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

159日目 千曲川の流れに身をまかせ

2017-01-04 23:54:54 | 甲信越
平成28(2016)年7月17日(日)


明けましておめでとうございます。


何の前触れもなく突然の蒸発から5か月ほど。
すみません、私は何とか生きております・・・。

いやいや、それどころか9月14日~18日にはカープ優勝で沸き返る広島県を中心にふらついておりました。
そんでもって10月9日~11日には東北、年末年始は関西をほっつき歩いておりました。
ですんで一応、旅もしぶとく生存しております。

実はブログを書くのが億劫になり、パソコンのやり過ぎによる慢性的な左手首の腱鞘炎が酷く悪化し(私は左利きなのでマウスも左)、左肩も痛くなったしで(原因は加齢かもしれないけど)、ちょっとだけサボろうと休養しようと思っていたところ、ブログから解放された(訳ではないのだけど)居心地の良さにウットリしてしまい放置プレイライフを満喫していた次第。

でも中途半端なまま状態を維持している訳にもいかないので、せめて信州旅の続きくらいは昨年中に終わらせようと思いましたが、ついぞ新年になってしまいました。

そんなこんなで重い腰をようやく上げますたです、ハイ。
随分前の事なので記憶がかなり薄れているのが心配ではありますが・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓10時頃、坂城(さかき)駅。




↓一応事前に町の観光名所を下調べしたものの、改めて観光案内を見てみる。



が、食指が動く新たな発見はない。

↓駅そばの、昔よく見た懐かしい塗装の電車の静態保存。

169系ってヤツらしいけど、私は車両の××系だとかには全く興味がないので、この手の話しは全然出ませんのであしからず。

↓(607)長野県埴科(はにしな)郡坂城町(まち)役場

人口15,000人程の、「刀匠の町」を標榜する町。

↓坂木宿ふるさと歴史館



かつては北国街道の宿場で、あの武田信玄を2度も負かした事のある武将・村上義清の居城地でもあります。
2度もやっつけた武将は彼だけ!というので、町の大英雄で、ささやかな自慢なんだそうな(未確認情報)。
でも中には入らず外から眺めるだけ。

鉄の展示館→
昔は「たたら製鉄炉」があったり、最近では有名な刀匠がいたり、鉄関連の企業が多く集まっていたりと、「鉄の町」とも言える坂城。
ここでは日本刀などが展示され、製鉄や鉄の加工技術の勉強もできます。

話しは変わりますが、私のじい様(故人)は徳川家康が使っていた刀を持っていたのですが、それを国に売るためにわざわざ愛媛の田舎から当時私が住んでいた埼玉に出てきた事がありました。
でも、何故かそれを一度も目の当たりにすることなく国の手に落ちてしまったので、今思うと非常に残念なことでござる。

↓町はお祭り?





実はこの日、お隣り千曲市の、温泉で有名な戸倉上山田温泉街で盛大なお祭りがあり、それに乗じたように見えるし、それに負けじとオラが街でも、というふうにも見える。
ただ、せっかくの晴れの舞台に見物人が誰一人もいない(町の人はこぞって戸倉上山田に出掛けてしまったのか?)のは実に寂しいものです。

↓さてさて、足の指にできた水膨れがあまりに痛くて全然歩く気にならないので、小一時間で坂城町を切り上げ、お祭りにも乱入することなく千曲市の屋代駅へ。


坂城駅でもしていましたが、屋代駅舎の中のベンチに座って安全ピンで水膨れの膿をせっせと出していた情けない姿を晒していたのは他でもない私でございます。

↓絆創膏を貼っての応急処置でも痛みはなかなか取れないので、秘密兵器の出番を仰ぎます。

駅に備えてあった有料レンタサイクル。
ただ、これのお蔭で行く予定のなかった稲荷山集落を廻れたのは不幸中の幸いでした。

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159日目 真田氏ゆかりの信州上田巡り(2)

2016-08-21 11:28:29 | 甲信越
2016年7月17日(日)


前日は日焼け止めを塗ったにもかかわらず、塗り方が下手っぴだったためか、思いっきり真っ赤に変化した部分があってとてもヒリヒリしていて、お湯を浴びたり着替えたりするたび、悲鳴を上げたいくらいの苦痛。
おまけに旅に出れば毎度の事なのですが、足裏に数箇所水膨れができてしまい、一歩踏み出すたびに激痛が走る。
こんなズタボロの状態の中、この日の上田観光はほぼ城攻めに終始。

県立上田高校→
よく城跡なんかには学校があったりするけど、ここは「上田藩主居館跡」。
関ケ原の合戦後に上田城が破却され、再建も許されなかったので、真田信之はここでしぶしぶ(?)上田を統治することとなる。

(606)長野県上田市役所
上田藩主居館跡のお堀越しのアングル。
古くは国府が置かれた信濃国の中心地で、明治~大正期は製紙業が地域経済を牽引したものの衰退し、今では輸送関連機器や精密電気機器などの機械金属製造にとってかわる。
平成18年に上田市・丸子町・真田町・武石村が新設合併をし、新しい上田市が成立。
人口は約16万人。

↓市役所に面した道を西に行くと、上田の一大観光地・上田城があります。


二の丸橋から下を覗く→
二の丸堀跡である「けやき並木遊歩道」で、かつて電車が走っていた所。

↓中へ入ると、用意よろしく「信州上田真田丸大河ドラマ館」があります。


まだ開館時間前なのだけど、この行列→
なので、先にお城から見ることにします。

上田城は天正11(1583)年に真田昌幸によって築かれ、少しの兵力の昌幸が徳川の大軍勢を撃退すること2度。
壊わされた後は小諸から入封した仙石氏によって再興され、宝永3(1706)年からは兵庫の出石(いずし)から松平氏がやって来る。

この日は7月17日です→
観光客は大勢来ているのだから、さっさと直さんと。記念撮影できんじゃないか(?)。

↓東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)と北櫓(右)。

門は平成6年に復元。門の左にも南櫓があるのだけど、二つの櫓は別の場所に移築されていたものが昭和18(1943)年から24年にかけて再移築される。

門の右にあるのが「真田石」→
高さ約2.5m、幅約3m。

2度目の上田城での合戦で「にっくき真田」の思いをたぎらせた徳川秀忠の嫌がらせで真田信之が松代(長野市)に移封となり、それに激怒した信之は藩政に関する書類を全部焼き払い、城の灯篭・植木を持って行ったとされるのですが、ついでにこの石も、と思いきや、ビクともしなかったらしい。

門をくぐると眞田神社があります→
歴代の城主を合祀しています。

真田井戸→
神社境内に残る直径2m・深さ16.5mの井戸。
この井戸は抜け穴になっており、城北の山麓や上田藩主居館につながっているという伝説があります。
いくら何でもそれはどうだろうねえ。

西櫓→
寛永5(1628)年に仙石氏によって建てられ、上田城で江戸時代から現存している唯一の建物との事。
ここに入るには有料で、それ自体いいのですが、結構な数の人が吸い込まれていくので、いつかまた来た時に落ち着いて見ればいいかと思い、入らずじまいであったところ、何と解放されるのは今年だけみたい。大失敗。

櫓手前からの眺め→
築城当時の眼下には千曲川が流れていたので天然の堀と化していました。
そしてここを「尼ヶ淵」と称していたので、上田城は別名「尼ヶ淵城」と呼ばれるようになったようです。

特に何もない本丸跡→

↓お堀は素掘りで、掘り出した土で盛っていった部分が城を取り囲んでいる土塁。


ようやく人が引けた「ドラマ館」→

かわいいお姉さんが記念撮影してくれます→
勿論兜を被って写してもらい・・・。んなワケないし。

↓撮影が許されるのは、張りぼての「真田丸」のある所だけ。




まあ当然なのですが、ドラマ撮影の小道具や衣装の展示なんかがメインで、はっきり言ってつまらん。
おまけに中は狭い上に芋を洗うような激混みでかなり息苦しい。
耐え切れなくなって、わずか10分程で出てきてしまう。
それに対する対価は¥480。ちと高価だったな・・・。

真田の郷・旧真田町や「信州の鎌倉」の異名を持つ別所温泉・塩田平周辺も行きたいところですが、今回は泣く泣くパスして、これにて観光客で活況を呈する上田を去ります。

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158日目 真田氏ゆかりの信州上田巡り(1)

2016-08-18 23:00:29 | 甲信越
2016年7月16日(土)


大河ドラマ効果で願ってもないお金儲け観光客誘致の超絶好機を迎えている上田市がこの日最後の訪問地。というか宿泊地。

↓しなの鉄道で上田駅には17時22分に到着。

因みに使っている切符はJR東日本が出している「週末パス(¥8,730)」。
これは「しなの鉄道」も乗れるので特段の出費はなし。


駅舎壁面のブツブツは何を意味するか、説明するまでもないですね。
夜になるとライトアップされます。

↓当然ですが、駅ナカと言わず駅前と言わず、至る所「真田丸」だらけ。
   

ホテルに入り、やっと休める、一安心。
と思いきや、日没まで1時間半もあるのでボーッとしているのは勿体ない。
なのですぐに再び出動。

↓駅近くの天神商店街に面したこのホテル(私の宿泊場所ではない)は、今や全国バリバリ展開中のルートインホテルズ栄えある第1号店。


これより緑色の道を中心に歩いてみます→

駅前から真っすぐ伸びる坂道の商店街→
左に辛うじて写っている石造りの建物は、趣きのあるいい洋館なのですが、100年の歴史を誇る信州銘菓「みすゞ飴本舗」の本店。

↓昭和60(1985)年から1年間放送されたNHK新大型時代劇・真田太平記の記念館が右手にあります。


↓これって、ブラタモリに出てきてませんでしたっけ・・・?


↓柳町地区





上田市が出している「信州上田観光情報」というサイトによれば、「旧北国街道沿いの家並みが残る通りです。柳の木が多かったこの通りに旅籠屋や商家が軒を連ね、呉服屋だけでも25軒あったといいます。面影を残す街並みは白い土塀に格子戸のある家、古道具屋、杉玉のある造り酒屋などがあります。」

↓引き返して、市中心部にあたる「海野町(うんのまち)商店街」へ。

海野町とは、天正11(1583)年に真田昌幸が上田城を築いた際に作った城下町の元町。

↓思いがけず見つけた小じんまりと佇む「海野町高市(たかいち)神社」。

町を作った時に商売の守護神として請願されたと伝えられている神社。

海野にあるからか?、祠の左に「運の石」というのがあって、右から左へ撫でると悪運を払い、その逆に撫でれば良運が開けるという。
勿論やってみました。が、未だご利益あった感なし。お賽銭100円ぽっちじゃ全く足らんかったらしい。

↓この商店街から細い路地を入ると、飲み屋が所狭しと軒を連ねています。
 袋町という界隈。

旧北国街道沿いの常田地区→
城下町の入口付近のこの辺りは、時代を偲ぶような旧家の古い格子や土蔵が立ち並びます。ここから踏入を過ぎ宿場町へと続きます(信州上田観光情報)。

常田地区にある科野大宮社→
いつだったか、ドラマの終わりに流される「真田丸紀行」でも紹介された神社です。
上田城築城以来、城の鎮守となる。
やたらでっかい木と鮮やかな赤が印象的。

↓平成24年に国の重要文化財に指定された「旧常田館製糸場」。

明治33(1900)年創業の機械製糸工場。
製糸業界の資料が保存・展示されているようです。

暗くなってきましたので、散策は終わり。ようやくゆっくりできますわ。
やっぱりいつ来てもいいな、信州は。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

158日目 遊子は城下町小諸で諸々見物

2016-08-16 00:50:05 | 甲信越
2016年7月16日(土)


↓脇目も振らず乗り通せば、小淵沢から2時間半程度で着く小海線の終点・小諸(こもろ)駅に9時間あまりかけてようやく到着。


小諸駅のあるここ小諸市は名所旧跡がとても多いので、それらを無視して去る訳にはまいりませんが、かなり疲れていますし、この後もう一か所町巡りするつもりでもありますので観光は最低限に留めます。

まずは、駅の中→ 
小諸周辺が舞台だったというこの「あの夏で待ってる」というアニメに関するものが飾られております。
人も呆れる位アニメ音痴中の音痴の私には、どういう内容で、いつ放送されたか全く知りませんが、一応紹介しときます。
右の桃色の変なぬいぐるみ(?)は「りのん」といってアニメに出てくるキャラらしい。

↓一番上の駅前写真の右側にある「停車場ガーデン」。

まったりカフェでお茶しながら、色とりどりの花を愛でられる所(ついでに行き交う電車も)。

↓小諸観光の拠点たる、その名もまさに「小諸観光交流館」。

明治後期~大正時代に建てられた、かつては繭問屋だった建物。
一応下調べはしてあるので用はないけど。

小諸城の正門である大手門→
白鶴城や酔月城とも呼ばれたお城。
佐久を手中に収めた武田信玄は、山本勘助らに築城を命じ、天文23(1554)年に完成。
天正19(1591)年には仙石秀久が入り、慶長17(1612)年にこの大手門が築く。
8年前に解体復原の修理がなされたとの事。

くどいけど、また大手門→
ではなかった・・・。これは駅の西側にある「三の門」。因みに大手門が「四の門」。
元和元(1615)年に創建されるも洪水によって流失、今あるのは明和2(1765)年に再建されたもの。

明治になると廃城となり、荒れ果てていく姿を憂えた旧藩士たちはお金を集めて公園として整備し、掲げられた額にあるように「懐古園」と命名する。
額は徳川家第16代当主が書いたもの。

ここでは懐古園散策・動物園に入れる券(¥300)を買います。
先に左側の動物園から→
動物園は大正15(1926)年にでき、長野県では一番、国内でも4番目に古いようです。

↓浅間山の南に広がる小諸ならではの有効活用。

小諸城は城下町より低い位置に築かれた珍しい穴城で、浅間山の火山灰でできているため水堀がなく、その代わりに崩れやすい断崖を守りとした点が特徴。

↓さてさて、園内。
  
門番・川上犬のさくらさんは恥ずかしがって引き籠っているし、外に解放されたペンギンは大勢の人に取り囲まれていて触れられないし、ライオンは色気よりも食い気に走っているし。
ま、これと言って珍しい動物はおりませなんだ。

富士見台→
その名のとおり、富士山が見える展望台。辛うじてかすかにしか見えなかったけど。

旧馬場→

懐古神社→

鏡石→
神社と鏡石のある所あたりが本丸跡。

二の丸跡→
近々大河ドラマで登場すると思いますけど、関ケ原に向かう途中の徳川秀忠が真田昌幸・信繁親子の術中に嵌って足止めを食らったのですが、ここは秀忠が逗留していた場所。

次は北国街道を歩いてみます。
小諸は中山道や北国街道、甲州街道の交わる要衝地だったので、あちこちの物産品が集散・流通したので商業で大いに栄え、さらには宿場町だった一面もあります。

↓旧本陣と旧脇本陣、古いポスト。
  

↓この通りには昔ながらの商家が建ち並んでます。





美しい町並みだけど、現代造りの建物が目障り。

そんな中、私が気に入った建物がこれ→
昭和初期に建てられた「ミルクホール」。
ただ戦後まもない昭和25(1950)~26年頃に閉店したらしく、その後ずっと仕舞屋?。
勿体ないのぉ。

(605)長野県小諸市役所
面積約100km2の、約43,000人が暮らす町。
ところで、小諸と言えば島崎藤村の「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」の「千曲川旅情のうた」なのですが、夏だしお城には観光客もそこそこいたしで、歌のもの悲しさをあまり感じられなかったのですが、寧ろ寂れ感溢れる駅前商店街の方に歌はマッチしていたような気がするんですわ・・・。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

158日目 サクッと佐久歩き・ぴんころ詣で

2016-08-13 23:42:37 | 甲信越
2016年7月16日(土)


中込駅近くも相変わらず千曲(ちくま)川が寄り添っております。
野沢橋(下流方向)→
ずっと眺めていたい景色。ただし日差しがきつくなければ。

↓夏の川の風物詩、釣りに勤しむ太公望多数。

ここらは鮎釣りの絶好ポイントであるみたい。
でも、間近にある堰に上がって歩かぬよう・・・。
その堰、足を滑らせ落っこちたら最後、もはや自力で這い上がれないくらいの吸い込み力があるらしい蟻地獄のような恐ろしい場所なんだとか。ヒエ~。

橋を渡りきるとこの集落→
ここは長野県ではあるのですが、漬物や温泉で有名なあの野沢ではありませぬ。

↓さらにその先はというと、商店が軒を並べています。

野沢はかつては街道が交わる宿場で、物資が行き交って商いが盛んだったようです。

↓やがて右手にこのような門が現れます。

野沢成田山薬師寺への参道入口です。
門をくぐるとお店が連なっていて、毎月第2土曜日には「のざわ山門市」が開催され多くの人で賑わうそうです。

参道を進むとここへ→

↓この左には、小首を傾げたかわいらしいこの方がいらっしゃいます。

見ていると、微笑ましいというかほっこりするというか心癒されるわ。
厚労省が平成25年に発表した都道府県別の平均寿命ランキングで男女とも堂々1位が長野県。とりわけ佐久は「長寿の里」を売りとしている地方で、その象徴とも言えるお地蔵さん。
平成15年に地元商店街によって建てられました。

お地蔵さんの由来はこう→
私もかくありたい、「のんびりゆっくり旅」を完遂するために。
そして資金面は新屋山神社にお願いする。

横の井戸水は飲めます→
ありがたく佐久の水を戴きます。
ちとぬるかったけど。

なお、お地蔵さんや野沢商店街などについては、のざわ商店街振興組合のHPをどうぞ。

さらに奥は成田山不動堂→
本堂だと思っていたけど、そうでなかったことを後で知る。

再び川を渡ります。
中込交差点近く→
ふと目を向けた自販機。
暑いし、普段愛飲しているキリン一番搾りだし、飲みたいなあと思ってよ~く見ると、500ml缶よりでかい缶(上段右から3番目、700~800mlくらいだったかな?、よく覚えていない)があったり、水筒のような形をした缶(下段の一番左)があったりする。
長野仕様か?、初めて見たわ! 

↓市役所へ行く途中に重要文化財・国史跡旧中込学校があるので寄ってみます(観覧料¥250)。


 
何といっても、日本に現存する洋風学校でも一番古い学校建築物。
同じ長野県にある有名な松本市の「開智学校」よりも若干早い明治8(1875)年に創建。

建設当時にはガラスを窓に使用したことから「ギヤマン学校」といったよう。
ギヤマン? 初めて聞いた単語なのですが、ガラスの古い言い方なのだと。

(604)長野県佐久市役所
まあ、いろいろ宣言している都市だこと(笑)。
平成17年にそれまであった佐久市と臼田町などの3町村が合併、人口約10万人。
前編で紹介した五稜郭や日本で一番海から遠い地点、さらには日本一のパラボラアンテナが見られる臼田宇宙観測所、お地蔵さん・中込学校など見所は多くあるのに、いずれも知名度が低いので甘んじているのは甚だ残念。

↓北中込駅から15時3分発の列車に乗ります。


佐久平駅→
在来線が新幹線を跨ぐ珍しい駅。
新幹線がやってくる前は民家が数軒しかなかったという駅周辺は、今では市内でも屈指の繁華街に変貌。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

158日目 サクッと佐久歩き・信州にもある五稜郭

2016-08-09 23:39:46 | 甲信越
2016年7月16日(土)


夏の日差しが全力フルモードに入りつつある頃、寄りによって列車を降りなければいけません。しかも八千穂からたったの10分。休むヒマもありませぬ。

11時38分、佐久市の臼田駅到着→

ずっと木陰に隠れていたい駅前→

いざ覚悟を決めて外に出たものの、やはり直射日光は寝不足の体に厳しすぎ。
↓フラつきながら駅北側にある踏切を渡って、東方向に歩きます。


しばらく歩くと・・・→

どれどれ→
一番目立つ看板が「日本で海から1番遠い地点」。
ホンネを言えば、ここへこそ行きたい。ですが、あと10kmあるし・・・。
歩いて行ったら確実に行き倒れになります。

長野県魅力発信ブログ」というものにこれが詳しく出ていたので、せめてそれを見て行った気分になりましょう。

場所 → 北緯36度10分36秒、東経138度34分49秒、標高1200m

海までの距離(海岸線までの球面距離)
1.静岡県富士市田子の浦港まで  114.853km
2.新潟県上越市直江津まで    114.854km
3.神奈川県小田原市国府津まで  114.861km
4.新潟県糸魚川市梶屋敷まで   114.866km

なんだとか。ここへ行くと佐久市観光協会から「認定書」が貰えるとの事。

因みにこういう所だそうな→
鬱蒼とした感じが海から遠く離れた奥地である事を一層感じさせる。

日本唯一の場所に行けなくても、二つしかないものの一つを見るだけでも十分じゃないか、というワケで龍岡城へ。
五稜郭公園→

 
あたかも函館に来たかのような錯覚
日本に二つしかない星型稜堡の西洋式城郭の一つがここ龍岡城。
松平乗謨(のりかた)が三河から信州への本領移転許可が下りたことにより築城を開始し、3年かけて慶応3(1867)年に完成するも、その5年後には解体の憂き目に遭う。哀れなるかな。
佐久市出身の彫刻家・川村吾蔵氏の作品と資料を展示されている「川村吾蔵記念館」も園内にあります。

ではでは、肝心の城跡へ。
城北側の黒門から見るお堀→

↓大手門前にはこういう建物があって、中ではお城についての資料が見られます。


上空写真→
確かに星型ですよ、五稜郭ですよ!
写真真ん中下の凹部分が大手門、その右斜め上が黒門。

↓大手門から中に入ってみましょう。ご心配なく、人は入れますので。

果たして写真に載っている建物は何でしょう?、ワクワクします。

と思いきや、学校だし・・・→

↓築城時の建物遺構はこれ、お台所のみ。


函館のよりも小振りだし、お城を覗き見る展望台もないし(近くの山から全容は見られるらしいけど)、何よりマイナーだし、だけど貴重な遺構には変わりありませんし、何しろ首都圏から(函館に比べれば)ムチャクチャ近い。
それに落ち着いてのんびり手軽に見られますので、多くの人にここを知って欲しいと思ってます。

満足して駅に戻って再び列車に乗るも、またもしてもすぐに降りる。
↓中込(なかごみ)駅→



↓なかなか小洒落た印象の駅前商店街です。


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158日目 高原列車に乗って海へ(?)その2

2016-08-06 23:58:31 | 甲信越
2016年7月16日(土)


眠い目をこすり、多少フラつきながら小海町の散策開始。
小海駅舎→

駅前→
モニュメント下にある、顔を描いた丸太は街中至る所で見られました。
はて、これらの正体は?

↓一応町のゆるキャラらしいです、伝説の森の妖精プティリッツア。

豊かな自然環境と全ての生命を大切にする温かい心のある土地にしか住めないと言われている妖精なんだそうですが、じい様の妖精なんて初めて見たわ。寧ろ仙人って感じ。
それにスボン(?)の色が戴けない。露出○の怪しい爺さんにしか見えんし。

駅前商店街北側→

↓千曲(ちくま)川に架かる「清流ふれあい橋」の下流方向。

最初に訪れた町が自然溢れる小海町で良かった。
寝不足のままコンクリートばかりの中を歩くのはさすがに滅入るのでね。

(602)長野県南佐久郡小海町役場
地名に「小」がついているだけあって、人口5千人を下回る小ぶりな町。名は体を表すという事か。役場の標高は855mだそうです。

駅の南東側へ。
小海駅の構内→

実に長ったらしい学校名(笑)→
ゴミ処理場やら上下水道なんかでは特別地方公共団体としての組合は見たことありますが、学校は初めて。
でも過疎地なんかでは案外多いのかも知れない。

↓学校近くにある土村公園の小高い山より町を一望。


近くにはこういうものもあります→
力強く実にリアル!
男があれば当然女のもあるのですが、そこは歩いていくには遠すぎるのでパス。
こうみ=子産み、というワケで、町には「子宝」「安産」「子育て」に関する史跡も多いようです。

↓2時間ほど滞在した小海町を去って、次に向かいしはまたしても「海」が付いた佐久穂町の「海瀬(かいぜ)駅」。


↓海瀬駅付近集落と商店街。




そして千曲川(下流側)→

(603)長野県南佐久郡佐久穂町役場
平成17年に佐久町と八千穂村が合併してできた町。なので、新町名の由来は至極分かりやすい。
さらに突っ込むと、八千穂村は畑八+千代里+穂積で、畑八は畑+八郡だそうだから、今となっては古えの元の地名は何が何だかわからん状態。
キャッチフレーズは「水と緑のうるおい 人の営みが奏でる未来のふるさと」という、11,600人が住む町。
因みにこの役場庁舎は旧佐久町にあります。

↓町の西側には小高い丘があるので、ここでも登って一望。

キャッチフレーズどおりの景色に見えますか?

ここを登ってきたのにはもう一つ理由がありまして・・・。
こんな田舎町でも堂々日本一のものがあるというので、見ないワケにはいかないじゃないですか!

ところが、それの在りかが全く分からん。
ここら辺である、とだけの大雑把な情報だけで行こうとしていたのですが、スマホなど持っていないので、やはり案の定辿り着けません。

↓ノラ仕事をしていたおっちゃんに聞いて、どうにか目的物をようやく発見!


申し訳ないけど、畦道を使わせてもらって接近。
北沢大石棒→
またしても張形です(笑)。
横にある案内板によると、縄文時代(!)に動植物の豊穣と人間の甦りを祈願するために作られた、高さ2.23m・太さ約25cmの日本一の大石棒。ですが、力感は断然小海町の方に軍配が上がる。

長野県は全国でも有数の教育県で名を馳せていますが、そっちの方の教育も抜かりないようです

多少時間があったので、海瀬駅から南2.5kmの八千穂駅まで歩いてみます。
八千穂は昔ながらの落ち着いた町並み。
黒澤酒造酒の資料館・ギャラリーくろさわ→
こうした酒蔵はあちこちにあっても、酒を嗜む時間を確保できないのは悩ましい。

奥村土牛(とぎゅう)記念美術館→
現代日本画壇の最高峰の画伯なんだとか。知らなんだ・・・。

八千穂駅11時27分発の列車に乗ります→

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155日目 5回目金運神社参拝と山梨の横浜村

2016-07-19 23:48:44 | 甲信越
2016年6月11日(土)


以前も予告しましたが、毎度お馴染み・新屋山神社参拝へ今年は日帰りで行ってまいりました。これまでの参拝→1年前2年前3年前4年前

5時半に出れば渋滞にハマらずに済むだろうと思いましたが、そうは問屋が卸さず(?)、恒例行事の中央自動車道の渋滞に飲み込まれてしまう。
↓渋滞の巻き添えを食らって、合体してしまったお気の毒な車もあったし。


↓千葉から100kmの藤野PA(神奈川県相模原市緑区)で小休止。

2時間半もかかりました。中央道イヤすぎる。

「緑のラブレター」がPA目前にあります→

尻隠して頭隠さざる富士山→
手探りで適当にデジカメをいじって写したら、奇跡的にうまい事撮れておりました。
この後富士山は、ガスを全身に覆っての隠遁術で二度とお目にかかれず・・・。

↓9時にやっとこさ河口湖ICを降りて、まずは新屋山神社本宮へ。

昨年から祝詞台にも入れなくなったばかりか、お祓いすらもしてくれずにけんもほろろな扱いだった神様でしたが、今年はお祓いして戴けました。
でも一方で、富士山型の羊羹やお菓子のお配りはなくなった模様。

次に奥宮へ。
↓一週間前の6月5日に起こった、マイクロバスとワゴン車との衝突事故現場。

危ないんだよな~、ここらへんの交差点。
実際、別の場所ですが、以前、脇から出てきた車にヒヤリとしたことがあったし。

新屋山神社奥宮→
超霊力たっぷりの環状列石(ストーンサークル)が今年の5月31日に撤去されてしまっていました。
それでもがめつく、跡地でグルグル3度廻って拝んできましたが(ご利益あるよね?)。

参拝後にはイギリスの例の件があってイヤ~な感じでしたが、この間の参院選で与党が圧勝したし、近いうちに金融緩和しそうだし、秋になれば経済対策と称してお金を蒔いてくれそうだしで、何となく気分的に上げ潮の雰囲気。
経済に詳しい知り合いの会社社長は、これから株が上がると言って、せっせと漁り始めたので、我も一丁、乗ってみるか!
もし儲かったら、神様、スゲーぞ。

↓山中湖の北側を走って、国道413号線で道志村(どうしむら)入り。


↓国道沿いにある「道の駅どうし」に立ち寄ります。





道志川っぺりにある道の駅。鮎釣りにしている人がチラホラ。

↓ちょうどお昼だし、食いもん食いもん・・・。




↓いろいろ目移りしたけど、選んだのはやっぱり鮎。

ところで、これって、天然だよね?、天然のハズ・・・。

↓和出村(わでむら)地区





通りかかった際に景色が気になったので車を停めました。
春は桜、秋は紅葉でキレイらしく、道志川に架かる橋がいい味を出しております。

(597)山梨県南都留郡道志村役場
1700人あまりが住む自然豊かな村。
ローマ字表記「どし」がちょっと笑える。

↓村の全容はこんな感じ(道の駅にあった案内板)。

左下から右上に向かう一本のスジが国道413号線で、別名・道志七里。

明治30(1897)年から横浜市が道志川の水を取り始めて以来、道志村と横浜市とは友好な関係が続いていて、村のキャンプ場や公衆浴場などを横浜市民が使うと割引サービスがあったりするほどの仲の良さ。
両自治体の関係については村のHPにも詳しく載っております。

横浜と言わず、首都圏の骨休め場所としてもいいと思いますよ、道志村。
温泉もありますし。
是非お越しあれ!

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100日目 金運神社参拝3回目(4)

2014-12-06 23:59:27 | 甲信越
2014年9月13日(土)

山中湖に来ました。
この湖はいわゆる富士五湖の中では最も東に位置し、面積も一番でかい反面最も浅い、首都圏に住む人間にとってはお馴染みの湖。

そんな山中湖をすっぽりと覆っているのが、その名もまさに山中湖村。
という訳で、まずはこちらへ。

(439)山梨県南都留郡山中湖村役場

↓役場近くの湖畔からの眺め


↓水戸岡鋭治氏がデザインしたという、遊覧船「白鳥の湖」号

山中湖は日本最南端の白鳥越冬地でもあります。

富士吉田方向へ少し戻り、湖の最西端部へ。

↓水陸両用バス・KABA号が目の前を通り過ぎていく。

平成23年に運行が開始され、これまた水戸岡氏がデザインしたバス。
私と言えば、この存在を全く知らず、「(動物の)カバの運搬車かな? アレ?ここら辺に水族館なんてあったっけ?」なんて、思ってしまいました、恥ずかしながら。
知ったからには、一度は乗ってみたい・・・。来年以降の神社参拝する際の楽しみが一つが増えました、\(^o^)/。

↓こっちの眺め
←南東方向

←北方向
上の写真の左側の山の上に小さく見える建物は、ホテルマウント富士。
ずいぶん昔から1月だけに限って、宿泊して富士山が見えなかったら代金がロハになるだったか、無料宿泊券を貰えるだったかの企画をやっているホテルです。それを狙ってみようという方、是非!(恐らく来年もやると思いますが)

↓奉納鯉の碑の横にあるモニュメント



山中湖村のHPによれば、
「富士山信仰が盛んだった頃、各地から富士講と呼ばれる信者達が、苦しい修行の果てに富士山頂を目指しました。この碑は1801年、現在の埼玉県寄居町の富士講の一派・丸正鐘講の人々が、八海巡りと呼ばれる厳しい修行のためにこの地を訪れ、捕らえられた生き物を放してやる放生会というしきたりにより鯉を放した記念に建てられたものと思われます。」とあります。
それよりも、胸びれを目いっぱい広げている鯉の姿が何ともユーモラスというか、かわいらしい。

さて、時刻にしてまだ18時前ですが、夜ご飯を食べることに。
んで、山梨へ行けば、どうしてもこれになる。

甲州ほうとう小作・山中湖店→
やっぱり首都圏ナンバーが多いのですが、東海・関西もそれなりにあり、地名は実にバラエティに富んでいます。
それより、観光地にあるお店だし、時間的にも仕方ないですが、大混雑。

30分程度待って、ようやく空きました→

打ち上げには一杯ないと・・・→
でもノンアルコールで我慢するしかありません。
一方のK嬢はというと、運転しないことをいい事に大酒を食らっていました(ウソです)。

ホテルとほうとう屋さんの2箇所、宣伝したから宣伝料くれないかな?

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100日目 金運神社参拝3回目(3)

2014-11-29 01:54:09 | 甲信越
2014年9月13日(土)


いよいよこの日のメインデッシュです。
今回はこれまで詣でたことのなかった「本宮」も併せて参拝する事にしました。

新屋山神社のついては→コチラ

入口→

鬱蒼とした中を進み、→

後光が差した?階段を登ると、→

↓煌びやかな本宮へ。



同じ目的?の人が結構来ています。さすがは名高き金運神社の本宮であります。

数人纏めて宮司さんから有り難きお祓いを受けてから、玉串拝礼をします。
この神社では通常一般人が座れない祝詞台に座ってお参りできるのですが、ハテ?この時座ってしたかどうか全く記憶にない。
そして、願いを込めた後に軽く持ち上がれば願いが叶うという「お伺いの石」をあっさりと持ち上げて、いくつかお菓子を戴きました。

その一つ、富士山型の羊羹→

今回は人が多くて落ち着いて参拝できなかったので、やっぱりこういうのは一人でやる方がいいかなあ。

↓エンジンを唸らせて、2合目にある「奥宮」へは15時半頃到着。

朝、石川PAで、バスで巡る「開運ツアー」の御一行を見まして、K嬢と「あれきっと、金運神社に行くんだよ」と話ししておりましたが、そのとおり、それらしき(上の写真右のマイクロバス)がやっててきました。念のため運転手さんらしきに聞いてみたらやはりそうでした。
こんな遅くになったのは、恐らく山梨側の富士山麓で一番有名なパワースポット「北口本宮冨士浅間神社」に寄っていた為との事。

欲の皮の突っ張った連中の車が列をなして止まっている。

>えっ?オマエもその連中と同じ穴のムジナじゃないかって?
ハイ、仰っしゃる通りです・・・。

奥宮の様子→

てっぺんがはっきり見えん→
2回来て未だ見ること能わざる可哀想なK嬢。

今年は今月24日で閉社されてしまったので、行きたくなった方、是非来年GWまでお待ち下さいな!

↓舗装された林道を逸れ、登山道である砂利道を降りてくる。

中ノ茶屋。江戸時代から営業していたものの、近年は休業、再開を繰り返していました。
そこで富士吉田市が休業中のこの建物を買い取って、昨年4月から再び営業開始。

↓土砂降りに見舞われた中、山中湖の方へ行きます。


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100日目 金運神社参拝3回目(2)

2014-11-26 23:26:38 | 甲信越
2014年9月13日(土)


↓「山梨県立リニア見学センター」に入館




↓いきなり東海道新幹線のようなリニア試験車両がデンと構えています。

張りぼてではなく、実際に走っていたものらしい。

さて、この中身は?→
新幹線とほとんど変わらない、面白味の全くない無機質な車内。
実際に開業して走る列車も、こんな感じの、ただ運ばれるだけに終始するつまらないものとなるんだろうなあ。

2階から→

↓この奥では何やら実験が始まるよ!

オイオイ、麗しきおねえさまが実験をするでねえか!

↓-196度に冷やした白い物体(磁石だったかな?)が超電導コースターの上に浮きます。


押すとかなりのスピードで進みます→
超電導の特徴とそれを利用したリニアモーターカーを、目に見える形で理解してもらうための実験。
ですが、おねえさまが折角詳しく解説してくれたのにね、今やすっかり忘れてしまいました。なんせもう2か月以上の事なので・・・(汗)。

↓これに至っては、この実験の趣旨すら全く覚えていないです(苦笑)。


3階から→
この日は走行試験はありません。残念。
しかも付いていないことに、翌週からほぼ毎日のように走行するスケジュールだったりする・・・。
因みに、この11月から始まったリニア抽選公募試乗会、その申し込みは見学しに行ったこの2日前からスタートしておりました。

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100日目 金運神社参拝3回目(1)

2014-11-25 23:56:56 | 甲信越
2014年9月13日(土)


恒例となっている、日本一の金運神社との呼び声の高い「新屋山神社奥宮(山梨県富士吉田市)」に今年は9月に参拝してまいりました。

過去2回分はコチラ→一昨年去年

昨年の参拝後は金運は全く振るわず、神様に見放されたかと思いきや、今年になって多少マシになりまして、結果的にはプラスマイナスゼロという感じ。
さて、今年は前述のとおり9月に行った後に起こったのが、急激な円安株高
どうせおいしい思いをしたのだろうと皆様はお思いでしょう。ですが、情けないことにこれに乗りっぱぐれてしまいまして、この絶好のチャンスに指を咥えて傍観していた有り様。
ま、要は投資した途端、急に下がるのを極度に恐れてしまった訳なのです(←単に度胸がなかっただけ、まさかこんなに上がるとは思わなかった)。それがしばらくは鰻上りですよ。
せっかくの天のお恵み(と思う)が、ああああ・・・。
2年分くらいの懐を痛ませない程度の旅の軍資金は余裕で稼げたよなぁ、何のために神社に行ったんだか・・・。
やっぱり棚ぼたのような金運は滅多になく、多少はそれなりの努力的?な事ををしないといけないようです。

さて、今回も私の自家用車で行き、ルートもいつも通りですが、一昨年に一緒に行ったK嬢、再びの登場です。
一昨年は9時に出発して、超絶渋滞にハマってしまい現地に着いたのは15時半であったことを踏まえ、今回は7時半頃にしてみました。しかし、それは超大甘でした。

↓出発して僅か30分ほどの錦糸町料金所付近で渋滞にハマってしまう・・・。



この後は多少スピード出して進む箇所はあっても、ほとんどが超ノロノロと牛歩並みといった有り様。この日は行楽日和、出足は凄まじい。

10時頃→
中央道のどこか。ここから渋滞って、とっくに渋滞にハマっているんだけど(苦笑)・・・。

やがて、腰が痛くなる。と言っても休める所までまだ遠く、泣きが入りました。

10時半、石川PAに→
稲毛からたかだか80キロの地点ですが、3時間も費す・・・。凄まじきかな、車の量。

30分休んで、出発。

11時15分頃、八王子料金所突入→
石川PAから2キロほどなんですけど、酷いもんです。
もう、どうにでもなれ、といった半ば自棄っぱち。

上野原IC付近だったかな?→
何だ?あの黒い炎は?事故?

↓バイクが丸焼け大炎上・・・(上の写真とともにK嬢激写)。

その横で運転していた人は携帯電話で話しをしていましたが、その姿哀しげ。
何でこうなったのだろう?

↓そんなこんなで、まずはK嬢が是非行きたいと切望していた「山梨県立リニア見学センター(山梨県都留市)」に12時半頃到着。



心ウキウキ、後ろ姿のK嬢です。

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91日目 梅雨明け目前の信越路へ(10)~燕・出雲崎

2014-09-19 23:55:31 | 甲信越
2014年7月20日(日)


この日のメインデッシュの彌彦神社参拝を終えれば、後は適当に街巡りするだけ。

燕市の吉田駅へ→
栄えているのは駅の西側ですが、東側を歩きます。

駅東側→

国道116号線→
相変わらず暑い暑い、焼け死にしそう・・・。

↓ご当地銘菓を売っているっぽいお店を見つける。

お土産を買って帰ろうとお店に入ったはいいけど、店員さんに汗まみれの小汚い胡散臭そうな訳のわからん輩が入ってきた如きの目で見られたのが痛かった・・・。
しかも、ロクに応対してくれないし(苦笑)。
米納津屋・お店のHP
黄身あんの入ったマシュマロのような「雲がくれ」というのが目玉商品らしい。
彌彦神社の近くにもお店があったようですが、気がつきませんでした・・・。

緑が鮮やかな田園地帯に来ると→
げっ、ゲリラ豪雨のヤツが・・・。

拡大する→
遭遇してはたまらんので、必然速足に。

(411)新潟県燕市役所
燕市は金属洋食器の製造が盛んな所。国内生産の90パーセント超を占めています。
勿論、燕三条駅にも陳列されておりました。
市名が「燕」だからといって、由来は鳥から来ているわけではなく、ましてやシナ三大珍味の「燕の巣」が採れることもない。川の港を意味する 「津波目」が由来だといいます。

JR越後線の線路沿いにやってくる→
おや?ここで架線が一般に見るハシゴを横にしたようなものから、ヒモ1本に変わっている。
チンチン電車ではこのようなのは見たことはありますが、JRでもあるのね。

焦って南吉田駅にたどり着いたものの、ついぞ一滴の雨も降られず、今度は何にもない無人駅で電車待ちの時間潰しに苦しむ。

さて、お次はラスト、出雲崎町(いずもざきまち)へ。

出雲崎駅→

バスに乗って山を越えれば、夕日で有名な出雲崎の海へ行けるのですが、すぐにとんぼ返りしないといけません。
そもそも沿岸部の出雲崎は結構な観光地なので、どうせ行くなら時間を多く確保すべきですし、しかも気力がとっくに萎えてしまっていることもあり、30分程度ブラついて、さっさと家に帰ることにします。

↓役場までの途中








↓(412)新潟県三島(さんとう)郡出雲崎町役場

ある黒人演歌歌手が歌っていた「海雪」に出てくる町であり、僧侶・良寛さまの出身地。
平成の大合併の際、周りの町と合併して「良寛町」などと意表を突いた?名前の町にしようと企んでいたらしいけど未遂となりました(めでたしめでたし)
実は「良寛」に限らないけど、合併の時に候補に挙がった考えられた、アホらしい馬鹿げた或いは思わず笑っちゃう地名(例、あっぷる市・天草シオマネキ市)の数といったら「珍自治体名集」ができるほど枚挙に暇がない。
これはその自治体に行った際に逐一ご紹介できればなと思いますが、やっぱり地名は品格のあるものじゃないといけませんよね。

高台にある役場から見る市街地→

↓Maxとき348号・燕三条19時37分発で帰ろ。


↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ


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