ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

172日目 2年前の夏のリベンジを果たしに

2017-05-27 23:56:01 | 近畿(奈良・和歌山)
平成28(2016)年12月31日(土)


大晦日、つまり平成28年の最終日です。
そんでもって関西も最終日にして、千葉への帰路につきます。
尤も2日間をかけての「のんびりゆっくり」したものですが。

この日の出立は新大阪駅から→
天王寺駅へ向かい、JR関西線に乗り換えて奈良県入り。

8時すぎに三郷駅にて下車→
関東の人なら「みさと」と呼びそうな駅ですが、さんごう駅。

これより三郷町(さんごうちょう)と王寺町(おうじちょう)をウロウロするつもりですが、これらは2年前に訪問しようとしていたところ、大雨で関西線が麻痺した煽りを受け断念した町
敢えて早々と再チャレンジの機会を設定しました。

駅ホームの立て看板にもある「龍田大社」へ行きます→
ま、言わば1年のお礼参りですな。

朝廷からも深く信仰された由緒ある神社で風の神様。
でもまだ神様はお眠りになられていたのか無風。
時期も時期ですし早朝ですから元気元気していたらとても困っていたわ。

「ぼけけ大祭」かと一瞬思ってしまう→
みんな一斉にすっとぼけた事をやるお祭りかと。私の方こそかなりぼけていました(苦笑)。
「いつまでも健やかに心楽しく過ごしていただけるようにと祈願するお祭り(神社HP)」なんだそう。
お祭り当日は大根料理が振舞われるそうなんですが、なぜか絵はカボチャ。

初詣でに向けて用意は万端のよう→

拝殿→
今年(平成28年)もありがとうございました。全く冴えない年ではありましたが。

大和川のほとりに来ました→
一頃「日本一汚い川」として名を馳せていましたが、近年は汚名返上とばかりだいぶ改善してきているようです。
恐らく汚いのは大阪府の方で、奈良県側は見た目全くそんな風に感じません。
向こう岸は王寺町。

視線を左にやると近鉄生駒(いこま)線→
鉄橋の上を轟音を響かせて走る列車姿はいいな。

(638)奈良県生駒郡三郷町役場
明治22(1889)年に3つの村が合併したので「三郷村」となる。
でも元々は「みさと」だったらしく、町になった時に今の呼び方になったようですが、「みさと」の方が言い易くない?
約23,000人が暮らす町。

↓役場とは目と鼻の先にある、近鉄・信貴山下(しぎさんした)駅。


大和川の明治橋より→
信貴山はどれかな?と適当に写してみましたが、2つコブがあるのがそれでしょうか?

関西の信仰を集める朝護孫子寺があり、大学1年の奈良でのサークル合宿の時に、先輩に拉致られ車でそこへ連れて行かされた事があります。
でも何を見たのか全く覚えておらず、当然阪神タイガースの選手が必勝祈願するという有名な虎も・・・。

橋を渡れば王寺町。商店街を抜けて王寺駅へ→
昭和57(1982)年8月1日、台風10号によって葛下川(かつげがわ)が氾濫して王寺駅周辺が水没し大災害となったようです。
この日、当時住んでいた仙台から姫路の親戚の家に遊びに行くため、特急「ひばり」と新幹線と乗り継いで移動していたのですが、確かに雨降りでした。
でもすぐ近くでこんな大事があったなんて全然覚えていません。
姫路で合流した愛媛のいとことの山陰旅行をこの後に控えていましたし、よっぽど浮かれていたのだな。
この年には長崎でも大水害があったし、よくよく雨に祟られた年だったんですね。

町のわりにそんじょそこらの市よりも遥かに都会の王寺駅周辺→

南口側の出入り口へ→

↓今の教育現場風に言えば厩戸皇子と、一匹のワンが描かれたパネルが迎えてくれます。

まずはこのワンですが、「雪丸」という王寺町公式マスコットキャラクターで、ゆるキャラにはあまり興味のない私にとって数少ないお気に入りの一つ(単に私がイヌ好きだからか?)。
イヌだけあって、翌日(1月1日)になれば1つ年齢を重ねます。
かつては「ゆるキャラグランプリ」でも全国11位に入った事のある実力派?で、地上だけでは飽き足らず最近ではドローンの世界にも進出して「雪丸ドローン」として空をも闊歩するようになったんだとか。

その「雪丸」ですが、パネルにもあるように厩戸皇子=聖徳太子の愛犬で、日本最古の犬のペットとされていて、雪のように白くとても賢い犬だったらしいです。
足跡がありますが、王寺駅から達磨寺までの約1kmのウォーキングコース「雪丸ロード」を示すもの。
そして王寺町と聖徳太子との関わりですが、それは後ほど。

では、足跡を辿ってみましょう。
(639)奈良県北葛城郡王寺町役場
大阪市のベッドタウンですが、正直、市になっていないのが意外で、人口は三郷町と同じくらい。
地名は、葛下郡品治(ほむち)郷の地から転訛されたものだという。

間には葛下川が流れてます。
左は平成元年に設置された「和(やわらぎ)の鐘」。
十七条憲法の「以和為貴(和を以て貴しと為す)」の精神に由来した鐘との事ですが、もうちょっと見栄えのするものを造っても良かった気がする。
町のキャッチフレーズも南口階段にもあり、文字が小さくて見にくいですが役場建物に書かれているとおり「和の鐘が鳴るまち王寺」。

いたずらされないようにね→

足跡の終わりはこの達磨寺→
ここは聖徳太子が飢人伝説に基づいて開かれたとされるお寺さん。
そしてその伝説とは何ぞや?ですが、それについては寺のHPにはマンガが掲載されていますので、興味のある方はそちらをご覧下さい。

本堂→
達磨大師のお墓と伝えられる古墳の上に築かれているそうです。
お寺さんには、木造達磨坐像・木造聖徳太子坐像などの重要文化財があるのですが、恐らく本堂の中にあるのでしょう、見ることができませんでした。

でも雪丸クンはしっかりといましたよ→

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

171日目 紀州路での様々な発祥地巡りを終える

2017-05-23 23:53:00 | 近畿(奈良・和歌山)
平成28(2016)年12月30日(金)


↓湯浅駅から電車に揺られること10分程、紀伊由良駅に到着。

この駅のある由良町(ゆらちょう)の名所の一つとして、寺院の形をした赤錆びた立て看板の興国寺(こうこくじ)。元々は鎌倉3代将軍源実朝の菩提を弔うために建てられたお寺さん。

開山として迎えられた法燈国師が宋で習得した金山寺味噌の製法を伝え、その製造過程から醤油を生み出されたといいます。
また虚無僧の総本山でもあり、法燈国師が宋からの帰国の折に虚無僧を伴い、そのうちの一人が尺八の元祖とされているようです。
おまけに長さ2.4m、幅2.7mのでっかい天狗のお面が見られるようです。

そんな由緒ある興国寺ですが、午前中に有田(ありだ)市訪問ができていれば駅からそう遠くない所にあるなので恐らく行けたのでしょうけど、この日のうちに何が何でも有田市をクリアしたかったので、お寺さんへの大いなる未練を抱えつつもアッサリ切り捨てます。

「日本のエーゲ海」とも呼ばれる白崎海岸という風光明媚な場所もあるようですが、そもそも駅から遠いので端っから眼中になし。

駅前の道を海の方へ向かって歩きます→

(636)和歌山県日高郡由良町役場
人口は6000人程。手前の川は由良川。
町のキャッチフレーズは「“生き活きと暮らせる幸せ”を求めて」で、名物は温州みかん等の柑橘類や美味で知られるクエといったところ。

由良港に架かる由良港橋へ→

↓由良港と漁港。
 
広川町同様、海のド真ん前で高く架橋されているので見晴らしがよく、おまけに晴れているのでなおよろし。
沖に浮かぶ小さい島は蟻島。形は蟻というよりクジラっぽいけど。

↓海に向かって左手には「海上自衛隊由良基地分遣隊」が覗き見できます。
 
天然の良港である由良、ここに帝国海軍の紀伊防備隊が設けられた流れを継いでいるようです。

↓由良川北側・網代地区には集落・商店街が広がっています。
 
区画がきっちりなされていて、およそ漁村らしくない漁村。

確かに「家」なのだけど(笑)→
空き家なのか、売り家なのか、あばら家なのか。車庫・倉庫っぽいけどね。

↓次は大阪方向に引き返して、午前中に降り損ねた箕島(みのしま)駅とその駅前。
 
既に16時半頃なので、駅周辺をうろつくしかする事がありません、残念ですが。

箕島高校→
高校野球で超有名な学校。
よく知られるのは、昭和54(1979)年の星稜高校との激戦ですが、夕飯を食べ終えてテレビのチャンネルをガチャガチャ回すと(懐かしい笑)、真っ暗になってもまだやってるよ!と驚いた記憶が微かにあります。
ですが、私自身にとっては、今年の選抜にも出ていましたが、その2年前の選抜での中村高校との決勝戦ですかねー。

箕島の真ん中を貫く有田川→

(637)和歌山県有田市役所
昭和29(1954)年に箕島町・保田村・宮原村・糸我村が合併して有田町となり、その翌々年に市制施行。
人口は約29,000人。
佐賀県にも焼き物で知られる有田がありますが、あちらは「あり」。
こちらは「あり」で、広川町もそうですが、どうもここらは濁点を付けるのがお好きな土地柄のようです。

昭和28年に県内最悪の気象災害と言われる紀州大洪水の氾濫原となった水田はことごとく果樹園となりました。
というワケでこの町の特産は何と言っても「有田みかん」。
ところがドッコイ、有田市の名物はこれだけに留まりません。
ここは市役所近くの「有田市文化福祉センター」の花壇→
除虫菊とやらが植えられているやに聞いていたのですが、これなんでしょうか?

明治18(1885)年にアメリカから輸入された防虫菊が日本で初めて栽培されたのがここ有田市。
そして有田市出身の上山英一郎氏がその菊を使って発明したのが「日本の夏」に欠かすことのできない、何とも懐かしい匂いのする、グルグルと渦巻いたアレ。
つまり有田市は「蚊取り線香発祥の地」で、和歌山県は蚊取り線香の生産高国内第一位。
因みに上山氏は大日本除虫菊株式会社の創業者です。そんな会社知らないよ、って方が多いとは思いますが、「金鳥」ならご存知でしょう。その会社です。

以前から原料は外国産ばかりを使っていたのを「石井除虫菊工業所」さんが、平成23年から国内で唯一、国産(地元産)の防虫菊を使って蚊取り線香を製造し始めたのですが、残念な事に3年前にその製造をやめてしまったようです。

↓有田大橋を渡って左岸へ行きます。
 
一日の〆に相応しい美しい光景ですなあ。

この橋南詰にある「たちうおのモニュメント」タッチーです→
沿岸漁業での水揚げ量は県内一位の有田市です。

↓どっぷりと暮れて真っ暗となって気味悪くなった「有田市本町商店街」を通って箕島駅に向かいます。


↓せっかく太刀魚の漁獲高日本一の町に来たのだからと、駅前の食堂にて「たちうお丼(¥690)」を戴きます。

ま、普通に白身魚のから揚げでしたね。

やっぱりがっついてしまった和歌山駅の丸美商店「中華そば(¥680)」→
たちうお丼が祟って?、ラーメンスープで煮込んだ「おでん」にまたしてもありつけんかったなぁ

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

171日目 「稲むらの火」の舞台となった防災意識の高い町

2017-05-16 23:56:04 | 近畿(奈良・和歌山)
平成28(2016)年12月30日(金)


この広川に架かる広橋を渡ったのであっさり広川町に→
紛らわしいのですが、川の名前は「ひろわ」なのに、町名は「ひろわちょう」。
尤も昭和25(1950)年に発足して以降、平成8年までは「ひろかわちょう」だったようですが、どちらかと言えばその方が言い易いとは思うんですけどね。

広橋を河口方向を見る→
なぎ大橋が架かっており、上に行けばさぞ見晴らしがよかろう。

というワケですぐさま行ってみます→
うん、なかなか眺め良し。ただ、いつの間にか曇ってしまったのが実に恨めしい。

養源寺堀→
写っていませんが、堀の右には養源寺というお寺さんがありましてそれが由来のようです。

なぎ大橋の山側を背にして左側は役場。
(635)和歌山県有田郡広川町役場
町の産業としては、漁業はシロウオ漁が名物で、農業はご多分に漏れず蜜柑栽培が中心ですが、他の種類の果物や花卉の栽培も盛んなようで、紀州三大窯の一つ・南紀男山焼の産地。
人口は約7,200人。

さて、役場の前からこのような土手が伸びています。

無論イヌが立ち小便するために作られたワケでもないし、石田三成が忍城攻めの如く築いたのでもありませんし、向こう側に川や海があるワケでもありません(海は右側)。

では何か?
ここからさらに歩くと説明板があります→
「広川村堤防」じゃないのか?
ですが、これができた当時は広村で、広町となった後に2つの村と合併して広川町となります。
高さ5m、根幅20m、長さ640mで、安政2(1855)年に着工し安政5年に完成。

前編でも触れました旧暦の嘉永7(1854)年11月5日に発生した安政南海地震で、広村は大津波によって大きな被害を受け、それを目の当たりにした濱口梧陵(はまぐちごりょう)さんという方が私財を投げ打って築いた堤。
彼は『こんこん昆布つゆ昆布をぎょうさんつこてるの♪』のCMで有名なヤマサ醤油の7代目に当たります。

近くには防潮扉→

こちらの防潮扉は赤門と呼ばれてます→

土手から海を見る→
築堤後、いくたびかの押し寄せる魔の手から町を守ることに成功しています。

GoogleMapでは「名も無き神社」と表示されている神さま→
そういう神社名なのか、本当に無名の神社なのかどっちなのだろう?

土手の隙間から耐久中学校が覗けます→
ちらりと古臭い建物が写っていますが、それは「耐久社」。
濱口梧陵らが江戸時代末期に開設し剣術と漢字を教えていた私塾で、その後身が現在の耐久高校・中学校。

この先で土手は終わります→

↓湯浅町ほどのインパクトはないのですが、ここらへんの街並みもなかなかどうして、見応えあります。
 

↓そんな住宅街の中にあるのが、開いちゃあいませんが「稲むらの火の館」。

ここのHPの言葉を拝借すれば、先に触れた地震津波の折、濱口梧陵が村民の命を救ったその偉業と精神、教訓を学び受け継いでゆくために建設された施設で、平成19年にオープン。
濱口梧陵記念館と津波防災教育センターから成っています。

そして濱口梧陵が村民の命を救った物語が「稲むらの火」。
これは、かの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が英語での作品を出し、その後、耐久中学校卒業生である中井常蔵によって書き改められもの。
昭和12(1937)年から10年間、国語の教材として採用されていたそうです。

私がこのお話しを知ったのは、情けないのですが、あの東北地方太平洋沖地震直後。
今でもこれを学校の題材に使っていれば、あの時助かった人もいたんじゃないかと思ったくらい、価値のある物語に思いました。
ところで、実際あったことと物語とは違うようで、それについてはコチラをどうぞ。

「世界津波の日」と定められた津波のあった11月5日は、広川町では濱口梧陵さんの功績を讃え、町の安全を祈願するため「津浪祭」が行われるそうです。

このように常日頃から防災意識の高い広川町ですが、肝心要の役場は海に近いし低地にあるしで大丈夫なの?

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

171日目 素晴らしすぎる街並みが残る醤油発祥の地

2017-05-14 00:16:11 | 近畿(奈良・和歌山)
平成28(2016)年12月30日(金)


↓ややもすると終点の御坊(ごぼう)駅まで「お逝きなさい」状態だったのを、黄泉の国の入口で寸止めできた湯浅駅。

初めから下車する予定の駅ではありましたし、この日の町巡りで一番の楽しみにしていたのが、何を隠そうここ有田(ありだ)郡湯浅町(ちょう)なのです。

さて、湯浅と言ったら何といっても「湯浅醤油」で全国に知られているように醤油の町、どころかその発祥の地
そして醤油・味噌醸造の建物や土蔵、瓦葺きの町家が見られる国指定重要伝統的建造物群保存地区が最大の見所の町。

一早くその街並みを拝見したところですが、まずはルーティーンをこなさなければなりません。
↓戦前っぽい長屋を尻目に駅東側に伸びる熊野古道を歩きます。


(634)和歌山県有田郡湯浅町役場
つい最近まで駅近くの街中にあった役場ですが、今では新しい場所に引っ越してしまっていて、お蔭でここまでの行って戻ってのおよそ2.5km程余分な労力を費やすことハメに(怒)。

地名は「海が今よりずっと中まで入り込み、水(ゆ)が浅く広がっていたことから、或いは、古名「温笠(ゆかさ)」から転じた(町のHP)」ようです。
古くから熊野詣での宿所で、江戸時代に紀伊徳川氏が支配するようになってから有田地方の中心地として賑わいを見せるようになる。

手前には、たわわに実るミカンの木がありますが、この辺りはイヤでも柑橘類畑が目に入ってきます。
和歌山に来た事を実感できる風景。

どちらかというと、かまぼこ板なんだけど・・・→
この踏切を越えると、いよいよ待ちに待った街並みです。

↓古民家や商家たち。
      
古い街並み好きにとっては天国のような、実に心地よい楽しい場所。
広い通り(といっても車がすれ違うので精一杯)でも細い路地(現地では「小路小路(しょうじこうじ)」というそうです)でも肩を寄せ合いひしめき合う建物の姿がとても素敵。

江戸後期の町家を改修した休憩所・お休処立石茶屋→

旗があまり似つかわしくない感のある深専寺→

↓この門前(左側)には「大地震津なミ心え之記(ママ)」の石碑があります。

嘉永7(1854)年、安政東海地震とその僅か32時間後に起こった安政南海地震と、マグニチュード8.5近くの大地震が連チャンし激しい揺れが和歌山を見舞い、この地域周辺が大津波に襲われて大きな被害となったことを受け建立された石碑。
この碑には地震と津波の様子や被害、津波が起こったときの避難経路なんかが書かれています。
もし、湯浅観光なんかで来ていて津波に襲われそうな状況になったら、このお寺さんの前を東へ通って山に向かえ!だそうです(お寺さんから遠くにいた場合は知らん)。
こうした先人の教えは大事にしないといけませんね。なお、この地震に伴う津波については次編でも扱うつもりです。

おもちゃ博物館→ 
入りたかったけどお休みじゃ・・・。

↓甚風呂(じんぶろ)
 
幕末から昭和60(1985)年まで営業していた銭湯。勿論お休み。
ここも入りたかった・・・(入浴じゃなく見学)。

せいろミュージアム→
蒸籠の中に湯浅ゆかりの古民具などを入れて、各家々の軒下に飾られています。

↓ハイライトはこの「北町通り」。
 

↓江戸後期築・太田久助吟製(おおたきゅうすけぎんせい)

江戸末期から戦前までは醤油醸造業を営み、現在は金山寺味噌を製造し、販売中。

角長(かどちょう)→
天保12(1841)年創業の醤油醸造業者で、当時は新参者でも今となっては老舗どころか、湯浅ではたった一軒しか残っていない貴重な醸造業者。

↓角長の職人蔵(慶応2(1866)年築)
 
昔の道具が展示されてますが、この価値観皆無なアホな私には我楽多にしか見えません(スミマセン)。
因みに醤油の起源ですが、ここは敬意を表する意味で角長さんのHPを載せますので、そこをご覧下さい。

大仙堀→
「醤油堀」とも呼ばれたかつての醤油の積み出し埠頭。
因みに私が立っている場所は以前の積荷輸送を担った有田鉄道線路跡の道路。

それにしても北町通り周辺には独特の匂い(もちろん醤油の)が漂ってます。
私にとっては慣れないせいか、あまり「いい匂い」ではなかったのですが、すれ違った現地の小学生達の会話「あ~、湯浅の匂いがする」を聞くに、やっぱり湯浅は醤油の町であることを実感する。

いいなあ、湯浅。
夕暮れになると街が吊行灯の灯りに包まれるというので、その時間までブラついていたいくらい。
でもそういうワケにもいかず、次に電車に乗らずとも行ける隣町・広川(ひろがわ)町へ。
↓その途中、湯浅町観光地図に載っていた広川町との境をなす広川の「弁天財堀」にも寄ってみる。

ここには平安時代の石垣積みの波止や紀文丸像があるというのですが・・・。

↓上の写真の右にある、ぱっと見、成れの果て感あるこれがその像なんだと。

うーん、何とも言えません・・・。おまけに案内板は何書いているのかサッパリ読めんし。
石垣はこの背後にあるヤツでしょうか? わざわざ来てみましたが、ここはよう分かりません。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

95日目 台風11号接近中の関西(1)~奈良

2014-10-08 23:48:47 | 近畿(奈良・和歌山)
2014年8月9日(土)


「今年最強」と謳われた台風18号が去って、ホッとしたのも束の間、はたまた今度は「猛烈な」台風19号が日本上陸を窺っているようで、目下、頭を抱えている私であります。
フィリピン沖で900ヘクトパスカルというから、今度は本当にヤバくないかい?
いや~困った困った、せっかくの3連休にやって来るとは・・・。


さてさて、話しは今年8月初旬の関西旅行へ戻します。
旅行中の懸念でありましたそれまで亀のようにノンビリ進んでいた台風11号が、いよいよ日本列島間近という所まで来まして、そのせいでこの9日は全国的に大雨に見舞われた日でありました。

私が泊まったここ奈良市では、起きた時から既に風は強く、雨もかなり降っていましたので、恒例の早朝散歩をどうしようか迷っておりました。

この日は奈良市で観光するつもりは元々なかったのですが、たった一つだけ絶対に見ておきたい場所がありました。
なので、やめておけばいいのにノコノコと出かけてしまいます。

↓早朝6時の国道369号線(大宮通り)



この通りを西へ。

(423)奈良県奈良市役所
言わずと知れた奈良県の県庁所在地。市のHPを見ると人口は約36万人。

イトーヨーカドー奈良店→

↓ここは昔、「長屋王」の屋敷があったとする案内がありました。

長屋王? ああ左大臣長屋王の事か・・・。謀反有りとの理由で藤原氏に邸宅を囲まれ・・・などと、昔、高校日本史で習った事を思い出してみる。
そして、ここでお亡くなりになったのね。

さて、見ておきたかったものとは・・・?

これ、平城宮跡→
和銅3(710)年から延暦3(784)年までの日本の都とされた平城京(その間あちこち遷都したことはあったけど)。東西4.2キロ、南北4.7キロという広さ。
その中にあって平城宮は天皇のお住まい、役人が執務を行っていた場所。

朱雀門(すざくもん)→
幅75メートルの朱雀大路の北方に建つ高さ22メートル、間口25メートルの南側の正門。
平成10年に復原。

ホテルを出た時もかなりの雨降りでしたが、ここに来るまでにさらに強さを増しておりまして・・・。

小川のようになっています→
とてもとても中に入れたものじゃないわ・・・。
平城宮跡内を見て廻りたかったのですけど、仕方ない、これを見てホテルに引き返します。

↓国道24号線との「二条大路南一丁目」交差点

水しぶきが凄まじい。水上カーレースを見ているようです(笑)。

いやはや大失敗でした。ガイドブックは濡れて紙がくっついて捲れなくなり、ズボンはベタベタ、靴はグッチョグチョ・・・。
ガイドブックやズボンはどうでもいいのですが、靴は当然すぐ乾くはずもなく、結局この日はこの気持ち悪い状態のままで行動するハメとなってしまう。

天候が天候なのでチェックアウトする気も失せ、ホテルで時間の限りグダグダするも、当然いつまでもここにいられるハズもなく、意を決してJR奈良駅へ。
前の2日間は「青春18きっぷ」を使っていましたが、この日は大阪経由千葉までの乗車券を買い、王寺駅へ向かいます。

奈良駅9時53分で出発!→
の予定が発車間際になって、大和川の水位が上がったとのことで、急な運転見合わせ。

10時ちょうどに電車は億劫そうに動き出しまして、最初の駅・郡山に停車。

郡山到着15分後→
動きません
風もかなり強く、駅名標もユラユラ揺れています。
川増水によるしばらくの様子見で、運転再開の見通しが全く立たないという。
さあ、どうする?!

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参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→

94日目 2日がかりの和歌山線走破(6)~紀の川市・岩出

2014-10-06 23:51:59 | 近畿(奈良・和歌山)
2014年8月8日(金)


「紀ノ川沿いにはそれほど見たい行きたい所もない」というくだりで前編をスタートさせました。
が、特に興味があるわけではないですが、話しのネタとして関西では比較的知られているらしい紀の川市・粉河寺(こかわでら)へ行ってみます。

15時、粉河駅に到着→

駅前→
可愛らしい坊主がお出迎え。童男大士(童男行者)像。
以下、wikipediaにると、
「紀伊国の猟師・大伴孔子古は宝亀元年(770年)のある日、山中に不思議な光を発する場所を見つけて、そこに小さな庵を営んだ。これが粉河寺の始まりという。
その後のある日、孔子古の家に一人の童子(童男行者)が訪ねて来て、一晩泊めてくれと言う。童子は宿を借りたお礼にと言って、7日かけて千手観音の像を刻んだ。
8日目の朝、孔子古が見てみると童子の姿はなく、金色の千手観音の像だけがあった。孔子古は殺生をやめて観音を信仰するようになったとのことである。」
つまりは、この童は千住千眼観世音が御姿を変えられたものということです。

粉河とんまか通り→
お寺さんへ続く門前町の雰囲気が漂う参道。
ただ、道路の拡張によって古い建物はずいぶんなくなったという。

宝永4年(1707)建立の「大門」→

大門の前にある「大神宮」→
ここには樹齢1000年余の御神木があります(右の木)。
「御神木に触れてパワーを頂いて下さい」との立札があり、ならばとしばらく触れてみる。
たちまち蚊の大群に襲われ、寧ろパワーを吸い取られてしまった(笑)。

中門→

本堂→
粉河寺は西国三十三箇所観音霊場第三番札所。
現在あるものは享保5(1720)年に再建されたもの。
近くで作業をしていた坊主に「ここは何宗か」聞いてみたら、聞いたことのない「粉河なんとか宗」だと。どうやら天台宗から独立したものであるらしい。

↓その古い伝統のある建物に全く不釣合いな幟だこと。


こんなもんかな、とお寺さんを出ましたが、結局話しのネタになるようなものはなかったなぁ・・・。

(421)和歌山県紀の川市役所
最寄駅は粉河駅の2つ隣、打田駅。

さて、次にこの日のラスト、岩出市へ。

↓岩出駅と駅前通り




(422)和歌山県岩出市役所
平成18年に市制を敷いたばかり。
市のHPの人口統計を見ると53000余人で、しかも少しずつ増加している和歌山県では珍しい自治体。

岩出駅から一つ和歌山寄りの船戸駅まで歩いて行きます。

紀ノ川のほとりにある「大宮神社」→
和銅5(712)年創建。
毎年10月の第1土曜日に行われる(つまり、おととい!)「よみさし祭」は多くの人で賑わうらしいです。

↓紀ノ川(岩出橋より)
←上流方向

←下流方向

船戸駅からは17時50分発の電車に乗りましたが、かなり暗くなってきました。
この日の和歌山市の日没は18時54分。
それまでにかなり時間があるので、普通は明るいはずなのですが。
そう、近年の夏の夕方の恒例になりつつあるアノ魔の手が忍び寄る気配・・・。

そんなこんなで18時すぎに和歌山駅に→
やっと、王寺からの87.5キロを乗り切りましたよ・・・。疲れたわい。
やっぱり雨が降り出しました。この時はさほどでもなかったのですが、30分もするとバケツをひっくり返したような雨に進化。

和歌山と言えば、やっぱりラーメンでしょ→
駅ビル「MIO」の地下街にある「丸美商店」の中華そば(\680)。
豚骨と鶏ガラでじっくり20時間煮込んだ、このお店ご自慢の一品。
確かに旨い
ラーメンのスープで煮込んだという「おでん」も気になったけど、それは今度和歌山に来た時の楽しみに取っておこう。

連泊で予約していたホテルへ戻るため、天王寺経由で奈良へ。

参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→
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94日目 2日がかりの和歌山線走破(5)~橋本・かつらぎ

2014-10-04 23:58:57 | 近畿(奈良・和歌山)
2014年8月8日(金)


丸2年ぶりに和歌山県にやってまいりました。
ですが、この紀ノ川沿いにはそれほど見たい行きたい所もないので、町を適当に散策して予定していた残り4つを締めくくる事にします。
まずは橋本市へ。

橋本駅、12時すぎ着→

↓これを見た瞬間、この両方のギャップに思わず吹き出してしまう。

万葉の歌碑という高尚なものの価値がガタ落ちしているような気がするんだけど。
それに楳図かずお氏は五條市育ちらしいけど、隣町だから構わんということか。
どうも橋本市は細かいことはあまり気にしない自治体のようです。

駅前の廃れた商店街→

↓低地に降りると、さらに酷い商店街が現れるのも五條市と同じ(笑)。


この橋本市、高台に駅があり、川沿いの低地に国道が通っていて、そちらの方は現代的な町の様子であるのは、五條市と似た感構造。
県は違えど、そこはやっぱりお隣さん同士だけのことはある。

国道24号線→

紀ノ川→
大台ケ原から発して、和歌山市で海に注ぐ全長約140キロの川。

(419)和歌山県橋本市役所
昔から交通の要衝で、近世初期に応其(おうご)上人がここに橋を架けたからここは、橋本。
極めて単純明快(笑)。

役所敷地にはこういう記念碑があります→
右のレリーフは橋本出身の前畑秀子氏。「前畑、がんばれ、がんばれ」のあのお方。
今年は彼女の生誕100周年というので、記念展だの何だの催してくれているそうな。
金メダリストとなると、いつまでたっても世間からの待遇が格別ですねえ。やっぱり2位じゃダメなんです!
因みに左のお方も橋本出身の水泳金メダリストの古川勝氏。この方は前畑氏によって完全に隠れた存在となっている感があり、ちとお気の毒。

↓内陸部の旧・大和街道を通って駅に戻ります。



確かに古道の雰囲気は充分に感じ取れた道でした。

続いて、橋本から5つ目の大谷駅へ→

ここはさらに輪をかけて田舎→
手前の信号は旧大和街道との交差点、さらに奥では国道24号線とのT字路。

↓(420)和歌山県伊都(いと)郡かつらぎ町(ちょう)役場

フルーツが特産。町名は和泉(いずみ)山脈の葛城山から。
前日にも奈良県葛城市に行きましたが、すぐ近くではあるものの、その「葛城」とは違う意味の和歌山「葛城」。
大阪と奈良の境の金剛山地にも葛城山があり、奈良のはそちらが由来なんでしょう、でも紛らわしい。

ここからは降りた大谷駅に戻らず、橋本方向の妙寺(みょうじ)駅まで歩くことにします。

↓紀ノ川のほとりにある「かつらぎ公園」に来ました。


上流方向→
橋は「三谷橋」。

↓かつらぎ公園の横の公園にはでっかい仏様がいらっしゃいます。

平和祈念像。高さ18メートル、昭和59(1984)年に完成。

妙寺駅→
この駅は、かつらぎ町にある世界遺産「丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)」の下車駅として盛んに宣伝していましたが、そもそもこの町に世界遺産があったとは全く知りませんでした、不覚。

参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→

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94日目 2日がかりの和歌山線走破(4)~五條

2014-10-02 22:31:50 | 近畿(奈良・和歌山)
2014年8月8日(金)


前日に続きまして、ひたすら和歌山線沿線の市と町を訪問します。

↓五条駅と駅前の通り



駅は五ですが、この駅があるのは五市。
音は同じでも、市町村名と駅名の漢字表記が違うのを紹介するのはこれで一体いくつ目だろう。

まだこの日は夏の甲子園は始まっていません。台風接近のため次の日の開幕が2日順延したんでしたな。
強豪校で有名な智辯学園が五條市にあったとはこの日初めて知ったわ。てっきり奈良市にあるのかと思ってました。8月15日に登場し、これまた強豪校の高知・明徳義塾と対戦し、4-10で完敗。

↓駅前の通りを少し進んだところから、見下ろす。

坂下の横切る道路は国道24号線。
2年前のGW、日が暮れ真っ暗な中を自家用車で五条駅に立ち寄りましたが、うん、確かにこの坂を登りました、すっかり忘れていたなあ。

この通りの脇に伸びる「商栄会商店街」→
ちっとも「栄」えていないね・・・。
さあ、地方再生なるか、安倍さん!

この商店街は「商励会通り商店街」に繋がり、国道方向に下って行きます。
そして、国道を挟んでさらに商店街は伸びています。

かつてはここはアーケードになっていたらしい→
察するに、さぞ近寄りがたい薄気味悪い商店街だったことだろう。

(418)奈良県五條市役所
平成の大合併で全国でも指折りのイビツな形となった市。
江戸時代、五條は天領で、市役所のあるこの場所に代官所があったといいます。
文久3(1863)年、朝廷内の尊皇攘夷派集団・天誅組は倒幕のため代官所を急襲、天領を奪い朝廷に差し出すつもりでいたところ、朝廷内で尊皇攘夷派が一掃されてしまい、天誅組は一転「反乱軍」にされてしまう。
その後天誅組は何とか抵抗していたものの、結局壊滅。ただ、尊皇攘夷派による初の反幕府武装蜂起が五條で起こったことで、五條市は「明治維新発祥の地」として吹聴しております。
近くには櫻井寺というお寺さんがありまして、そこは天誅組の本陣があったところ。

栗山家住宅→
慶長12(1607)年!築の建築年代がはっきりしている民家では日本最古。しかも人が住んでいるという。
築年がはっきりしないものでは、神戸市の箱木家住宅というのが日本最古の民家らしいです(室町時代築と推定)。

さあ、いよいよ五條観光の主菜です。

↓五條新町



平成22年に伝統的建造物群保存地区に選定された、かつての紀州街道の宿場町。
ならば、電線電柱をのけちまえ!と思うんですが。

大正時代築というやたら目立つお店→
ばあさま一人でのんびりと商売していたお餅屋さん。

売り物はこれだけ→
でも笑うなかれ!全部手作りの、添加物を一切使わない心のこもった一品。
左から普通のお餅、あん餅、揚げ餅だったか?(忘れた)
私は、あん餅を2つ(合計\200)を購入(油は控えないといけない年頃なので・・・汗)。

↓ネコは客が来ても横たわっていてピクリとも動こうともしないし(苦笑)。


↓さらに歩いて行くと、この界隈に相応しくない巨大なコンクリートの高架線が見えてくる。


五新線鉄道跡→
五条駅と和歌山県・新宮駅を結ぶ鉄道で、昭和14(1939)年に建設が開始され、日の目を見ることなく昭和57(1982)年に工事は中止。
というか、こんな地方でそんな頃まで工事が為されていたこと自体が驚きである。

高い所から、これまで歩いてきた道を写す→

大和二見駅から電車でガタゴト開始→

駅前のしもた屋→
♪どなたか買って(借りて)下さいナ(涙)

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93日目 2日がかりの和歌山線走破(3)~葛城・御所

2014-09-28 00:10:00 | 近畿(奈良・和歌山)
2014年8月7日(木)


続きましては、大和新庄駅へ→

この駅前の通りをまっすぐ歩きます→

近鉄新庄駅前を通ります→

(416)奈良県葛城市役所
平成16年に新庄町(しんじょうちょう)・當麻町(たいまちょう)が合併して成立した市。
暑さしのぎに、しばし涼しい庁舎の中で休ませてもらいます・・・。
「変な人が入ってきたわよ」という表情で役所の人たちは私を見ていた(ような)。

↓これを見に来たんだよ、と言い訳に都合良すぎる展示物。


次の訪問地、御所(ごせ)市はそんなにも離れていないので(とはいえ、3キロくらいある)、無謀にも歩いて行こうと思います。

↓飯豊天皇埴口丘陵(いいとよてんのう・はにくちのおかのみささぎ)

飯豊天皇? 「天皇」とあるし、何代目の天皇かしら? 初代から見てみると・・・。
神武、綏靖(すいぜい)、安寧(あんねい)・・・明治、大正、昭和、今上。あれっ出てこないよ・・・。
最初の女性天皇は推古天皇であるのが一般的な常識ですが、実はそれは常識ではないのかも知れません。
第22代清寧(せいねい)天皇が崩御した後、顕宗(けんぞう)天皇が即位するまでの約10ヶ月間、つなぎとして政治を執り行ったとされているのが、女性のこの飯豊天皇。

国道24号線「下街道」の交差点を右へ→
古代の奈良盆地には、上ツ道(かみつみち)・中ツ道(なかつみち)下ツ道(しもつみち)という3本の縦貫道路がありましたが、じゃあ、この国道は下ツ道?と思いきや、さにあらず。

御所中央公園に来ました→
急に空が暗くなってゴロゴロ言い始めた。ほんの2~3分前にはカンカン照りの暑さで辟易していたのに・・・。マズイな。

(417)奈良県御所市役所
御所とは何とも高貴な市名。大昔は政治の中心地だったか?もっとも読みは「ごせ」ですが。
製薬や江戸時代に考案された「大和がすり」の伝統を継いだメリヤス工業などが盛んな所。

さて、市役所周辺には古い町並みが残っています。
役所前には葛城川が流れていまして、その東側はお寺さんを中心にして作られた町。

↓「学ビ橋」より。東の方向にある山では局地的な雷雨が暴れまくっている。

落雷の瞬間を写してやろうとしばらくシャッターチャンスを狙っていたけど、一瞬の出来事なので難しいね。

「東御所」の町並み→

東があれば当然西もあります。

↓「西御所」の様子





こちらは商業が発達していたので、商家が立ち並んでいます。

古い町を脱して、新地商店街へ→
ひっそり。空が怪しいから皆家に引き籠ってしまったかな?

御所駅→
明治29(1896)年の開業以来頑張っている古い駅舎。

駅といい、町並みといい、いにしえを偲ぶのには持って来いの、素晴らしい観光資源のある御所ですが、知名度は全国的にはないに等しく、実にもったいないことである。

次に五條市に行こうと思っていたのですが、列車が相当待たないとやってこないし、空もあんなだし、心が完全に折れました。
まだ17時前と早いですが、予約していたホテルのある奈良へ戻ろう。

やっぱり正解→
高田を過ぎて、嵐となりました。
列車に入ってきた人、皆ずぶ濡れ。お気の毒としか言い様がない。

でも奈良市はパラパラ雨→
虹が私を迎えてくれたような、そんな気分。

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93日目 2日がかりの和歌山線走破(2)~香芝・大和高田

2014-09-27 00:13:57 | 近畿(奈良・和歌山)
2014年8月7日(木)


さて、街ブラを進めていきましょう。

志都美(しずみ)駅の隣駅、香芝(かしば)→

香芝駅前の細道→
関西には駅前から通じる小さな道がやたら多いような気がします。
古くから開けている地ならではですが、駅前の再開発には大いに支障をきたしそう。

鹿島神社→
「鹿島」とあるので、茨城県の鹿島神宮と何か関連があるのかと思いきや、それはそれは大ありで、源義朝の家臣が常陸国鹿島神宮の御分霊をここに勧請したのが始まりといいます。
さて、ここで早速旅の安全祈願。

(414)奈良県香芝市役所
人口は8万人に少し足りない程度ですが、増加率は高い数値で維持していて地方から見たらヨダレが出てきそうな位羨ましい市。

↓近鉄線の跨線橋を越えて、国道168号線と中和幹線との交差点にあるこれ。

「きつねの井戸」と「わるさ豆狸」、香芝の民話らしいですが、あまり知られたお話しではないらしい。
というか、他の地方でもありそうだなというような、いかにも典型的な?昔ばなしっぽい題名。

第23代顕宗天皇陵→
仁徳天皇陵とはそれはそれは比べるべくもない小さな御陵ですが、厳かさは同じ。
因みに顕宗天皇は仁徳天皇のひ孫。

続いて高田駅へ。
7月に新潟県に行った時も登場しましたが、またしても「高田駅」です。
この駅名、実に多く、全国で6つもありまして、さらに旧国名を被せた駅も同じく6つあります。これだけあると「高田駅サミット」でもできそう。

↓高田駅と駅前




高田川に架かる交差点にて→
薄っぺらい信号機(笑)。初めて見ました、こういうタイプ。
ま、チャチでも立派なのでも、見やすくてしっかり役目を果たしてくれれば文句はないです、ハイ。

(415)奈良県大和高田市役所
市制の当時は、高田のボス的な「新潟県高田市」があったので、旧国名をくっつけました。
こうした「××高田市」は全国にいくつかあるのですが、高田市消滅後も「高田市」を名乗ろうとする自治体がないのは、遠慮深い日本人の美徳の現れ?

役所横の「わったーらんど」→
奈良県は昔は木綿の一大産地で、大和高田には紡績工場が開業し、それにより繊維産業が発達したらしいです。

↓天神橋西商店街、天神橋中商店街、天神橋筋商店街と続くアーケードを歩くけど。
 
歩いているのは高校生ばかりで、活気も今一つ。
暑いもんね、しかも平日だしね。

↓本郷通り商店街をくぐり抜け、ちょっと気になった「高田城趾」へ。


行ってみて、・・・。→
こういうオチだったか・・・。

高燈籠(たかとうろう)→
これが備えてある伊勢街道の道しるべであり、交通安全のために設置されたもの。
今も明かりを付けてくれればいいのにね。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ


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92日・93日目 2日がかりの和歌山線走破(1)~上牧町

2014-09-20 23:52:24 | 近畿(奈良・和歌山)
2014年8月6日(水)・7日(木)


8月6日夜から9日まで、日本各地に被害をもたらした強い台風11号が接近間近の関西に行ってまいりました。

元からこの時期に関西へ行くと決めて列車・ホテルの予約をしていましたが、台風接近は偶然であったものの、やはり出る前は躊躇しました。
でもヤツはまだ沖縄付近でのんびりしているし、9日なら何らかの影響はあるかも知れないけど、まだ直撃しないだろう。もしいよいよまずくなったら、中止して急いで東京に帰るという条件付きで出掛ける事にしました。

旅立ちはこの時期恒例の「ムーンライトながら」。

↓東京駅に早く着きすぎたので、東北新幹線のホームで電車を眺める。


ん?いつもと電車が違う・・・→

夜中1時頃になっても、車の後ろに陣取っていた学生の集団が大声出してトランプに興じている。
駅に停車中やその前後なら多少騒がしくなるのは仕方ないとして、さすがにこれは非常識。
いい加減耳障りになって、苛立ってきましたが、他の人達は聞こえないふりをしているのか、あまり気にしていないのか分からないけど、だ~れも注意しようとする人はいない。
仕方ないので、飲み干したビールの空き缶を捨てに行く時に注意する。
やれやれだよ、全く・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

電車を乗り継いで京都へ行き、これまた昨年夏・暮れに続いて恒例となりつつあるJR奈良線に。
そして奈良駅でJR関西線に乗り換えて王寺駅へ。

王寺駅→
この駅から和歌山駅まで、JR和歌山線という路線で結ばれていますが、この沿線には多くの市と町が並んでいまして、今回の旅はここを潰そうというのが主な目的です。

志都美(しずみ)駅には9時46分着。

↓駅東口とその駅前



立秋のこの日、これまでの涼しい電車内からいきなり暑い中に放り出されたので、一気にヤル気を喪失する。
志都美駅は香芝(かしば)市という所にあるのですが、隣接している上牧町(かんまきちょう)という町の玄関口的な役割も果たしており、まずはトップバッターとしてその町巡りから。
さ、気を取り直して歩くか・・・。

葛下川(かつげがわ)→
川が市と町の境界。右岸(写真の左側)が上牧町。

川沿いにある水辺公園→
午前中なのでクマゼミだらけの蝉時雨が一層暑さを増幅させる。
今はまだ関東では聞けませんが、温暖化に伴う生息域拡大で、関東がクマゼミに席巻されるのも時間の問題か?現に神奈川では相当いるようですし。

丘っぽい山へ向かいます→

↓木陰が涼しそうな落ち着いた感じのお寺さん


秩父池→
田んぼにお百姓さんと、日本的な風景。
夏の緑に囲まれた池もいいけど、紅葉の秋の方が映えるような気がする。

庚申塚を囲む一際目立つ大木→

「滝川」という川にて→
最近、池沼・川などでよく見られる、元はアメリカ産のミドリガメ。
コヤツは見かけによらず?、生命力に溢れ、案外獰猛らしい。
ようやく最近になって輸入や販売、飼育は禁止となったようですが、今更手遅れの感、無きにしもあらず・・・。
亀には罪はないのですが、おっとり性格らしい日本の亀は食料の奪い合いに負けやしないか甚だ心配。
異国に飲み込まれようとしてる我が日本!!(亀の世界ですが)、どこか暗示的。

五軒屋集落→
古い街並みの残る集落。ただ、規模は小さいですが。

(413)奈良県北葛城郡上牧町役場
面積は僅か6キロ平米とちっぽけ。そもそもこの付近には小さな自治体が密集しています。
大都市圏にこういうのはよく見られますが、そうなるとロクに休む間もなく電車・バスに乗っては降り、乗っては降りを短時間のうちに繰り返さねばならず、大変そのもの。

参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→

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68日目 2013年四度目の関西(2)~法隆寺

2014-02-03 01:34:02 | 近畿(奈良・和歌山)
2013年12月28日(土)


続いて、郡山駅から2つ隣の法隆寺駅へ。
ここ法隆寺駅は安堵(あんど)町、斑鳩(いかるが)町の2つの町を両脇に抱えたような駅、私のような旅をしている者にとっては誠においしい所。
まずは先に安堵町に行きます。

↓駅ではパゴちゃん(斑鳩町のマスコットキャラクター)と、せんとくんがお出迎え。

せんとくんを初めて見た時はとても不気味に思ったものでしたが、次第に慣れてきた感があり。あばたもえくぼ、という事か(そこまでかわいいとは全然思っていないけど)。

法隆寺駅南口→
駅もがっちりお寺風。

富雄(とみお)川を渡る→
かつては「富小川(とみのおがわ)」と呼ばれ、安堵町内で大和川に注ぎます。

↓川を背に田んぼの中を歩くと、その先には住宅街が広がります。


↓その住宅街の一角に「極楽寺」というお寺さんがあります。

587年、聖徳太子によって建立されたという名刹で、水子供養で有名らしいです。

境内をちょっと覗いてみましょう(私には水子はいない筈?なので、本来は大して用事はないのだけれど・・・)。

↓仏様が晒し首にされているようで、あまり気分のいいものではない。


広島大仏→
元々は原爆の犠牲者を弔うために、原爆ドーム近くのお寺さんに安置されていたものが、昭和30(1955)年に現在の広島市佐伯区のお寺さんに移転されて以降何故か行方不明になり、それから何と50余年後!の平成23年5月になってこれがその仏様と分かったという摩訶不思議なお話し。
こういう事もあるんだね~。
今の住職さんのじいさまが古美術商より譲り受けたみたいですが、そもそも由緒ある仏様を売り買いする自体罰当りな事に感じるんですが・・・。その業界では至って普通の事なんでしょうか?

このお寺さんにはこれ以外にも貴重な仏像・書物が多いようです。

極楽寺の近くにある「富本憲吉記念館」→
富本憲吉氏とは人間国宝に認定された陶芸家で、この町出身のお方。

一見これ神社?というような八王子神社→
あるサイトには、ここは「心霊スポット」として載っていましたが、そう思われても不思議ではない、雰囲気はいいとはお世辞にも言えない場所。

(334)奈良県生駒(いこま)郡安堵町(ちょう)役場

↓役場前の道路を西に進むと斑鳩町に入ります。

ところが斑鳩町に来たとたん、それまで晴れていたのが急に曇ってきて、寒風ビュービュー吹きつけ始め、それまでの穏やかで暖かい天候がウソのような状態になる。
さすがはとっても安堵できた安堵町!、名は体をあらわすとはよく言ったものだ。

さてさて、一転厳しい状況に見舞われた斑鳩町、ここには駅名にもなっている超有名な法隆寺があります。
その法隆寺は法起寺とともに、その建造物から構成されている「法隆寺地域の仏教建造物」が、世界文化遺産として登録されています(しかも、姫路城とともに日本最初の登録というオマケつき)。
学校でさんざん習いましたが、飛鳥時代の姿を今に伝える世界最古の木造建築物。
ですが、これまで私は法隆寺を見た記憶が無く(もしかしたら高校の修学旅行で来ているかも知れないのですが)、この場にせっかく来ていながら、世界遺産のキモとなる法隆寺を見ずに去るのは失礼かと思い、それだけ見ることにします。

向かう途中にあった田んぼ→
ここのお百姓さんは、かなり色好きなようです。
やっぱりお好みの顔しか使っていないのかな?
でも「へのへのもへじ」ばかりでなく、たまにはこういう案山子もいいね。
そのセンスたるや、あなよろし!

安堵町役場から40分かかってようやく法隆寺に着きました。やれやれ・・・。

南大門→

こちら「西院伽藍(さいいんがらん)」→
目の前は「中門」、背後にあるのは「五重塔」で、中に入るにはお金を払わないといけません。東院伽藍の分も合わせて\1000。

以下、国宝級の建物を適当にピックアップ。

左は「金堂(こんどう)」→
金堂にはお寺さんのご本尊を安置されています。

大講堂→
中は写真撮影ダメなり・・・。

次に「東院伽藍」へ。

夢殿(ゆめどの)→

伝法堂(でんぽうどう)→

鐘楼(しょうろう)→
一々解説は面倒になってきたので、詳しい事は皆様でお調べ下さい(手抜きも手抜き、いい加減だよな~)。

後は「大宝蔵院(だいほうぞういん)」で、これまた大学受験で渋々覚えるハメになった「百済観音像(くだらかんのんぞう)」や「玉虫厨子(たまむしのずし)」などの実物を見てお寺を後にします。

(335)奈良県生駒郡斑鳩町(ちょう)役場
役場もどことなく寺務所っぽい。

役場前の商店街を抜けて駅に戻ります。→

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68日目 2013年四度目の関西(1)~大和郡山

2014-01-31 23:59:37 | 近畿(奈良・和歌山)
2013年12月28日(土)

今日は親知らずを抜いて貰いました。
その歯医者は中学高校と同級生だったヤツで、抜歯自体は全く痛くかったので、お手柔らかにやってくれたと思いきや、麻酔が切れ始めるとやっぱり痛い。
以前抜いた時は難儀も難儀な親知らずで、抜こうとすると麻酔をしたにもかかわらず激痛が走り、挙句には歯茎を切り開き骨を削るなどしてやっとこさ抜けたものの、その後ももんどりを打つような痛みが続きました。
それに比べれば今回のは屁の河童の如きですが、かと言って処方してくれた鎮痛剤は極力飲みたくないので(薬はなるたけ飲まない主義です)、気を紛らわす為にブログでも作る事にしますよ。


そんなこんなで、最後の休憩地・土山SA(滋賀県甲賀市)に到着、「現在7時20分(だったと思う)です。」というアナウンス。そんなに遅れていたのかというのが最初の感想。

やっと京都市内へ。

鴨川→

京都タワーも姿を見せる→

京都駅には8時37分頃到着→
実に定時から1時間20分もの遅れです。
これだからバスは時間面で全く信用できないのですが、休暇の前の渋滞はある程度予測できたところなので、寧ろこの程度でよく済んだというべきか・・・。

さてさて、京都からは夏と同じく奈良線に乗ります。
あの暑さの中辟易しながら歩いた町を懐かしく眺めながら、今回は優雅にそのまま終点の奈良駅へ。この旅を始めて初の奈良県上陸。
でも、奈良市には見向きもせず、そのまま関西線の電車に。

大和郡山市の郡山駅に10時頃到着し下車→

駅前から通じる細い道を歩きます。

外堀緑地→
後で行きますが、郡山城の外堀を埋め立てた遊歩道のよう。

箱本館「紺屋」」(はこもとかん・こんや)→
箱本とは自治組織の事で、紺屋とは藍染め屋さん、建物は江戸時代からのもの。
ここでは藍染めをじかに学ぶ事ができるようです。

箱本十三町観光案内所→
石像は金魚すくい大会のマスコットキャラクター「きんとっとくん」。
「金魚が泳ぐ城下町」とあるので金魚(目がでかいから出目金?)だと分かりますが、最初これを見た時、カエルかと思いましたね。
そう、ここ大和郡山市は金魚の一大養殖地なのであります。

(333)奈良県大和郡山市役所
福島県にも郡山市があるため、混同しないよう市名には「大和」を被せていますが、駅名には付かず。住民は「大和」を載せるのに、必死で抵抗したらしいです。

役所前の柳町商店街→
右の古い建物は、和菓子の「菊屋本店」。
お店のHPを見ると、何と天正年間(1573~1593年)から営業している老舗の中の超老舗。
名物は豊臣秀吉が「鶯餅」と命名したという「御城之口餅(おしろのくちもち)」。

本日は業務はもう終わり?、な訳ない→

無駄に体力を消耗している鯉たち→
ずっと休庁だけど、誰かしら休み返上で餌はあげているんだろうね、多分。
それと、金魚の町を標榜するなら、この池に金魚を放すべきなんじゃないかな?

↓郡山城跡へ



豊臣秀吉の弟・豊臣秀長が居たお城。突き出ている部分が本丸跡らしい。

お城の中にある柳澤神社の入口→
この神社から本丸跡に入れそう。だが・・・。

は、入れん→
付いていないのぉ。

お正月に向けて準備に余念なし→

こちら少し離れて大納言塚→
大納言とは豊臣秀長で、彼のお墓。
彼は「学問の智将」と言われ、この地ではとても尊敬されているお方のよう。
ここでお参りの謝意を述べ、「自分の名前」「願い事」を言いながら、「お願いの砂」という砂を塚の門入口にある石箱に3回通すと願い事を聞いてくれる(叶うとは書いていない事に注意)と案内板にはある。
秀長公は大和郡山では「学問の神様」の如き存在みたいです。なので、受験生はいざここへ行かん。

↓新木山(にきやま)古墳を通り過ぎると、金魚の養殖池が一面にギョギョッと広がります。


 

お、いるよいるよ!→

平城京の市場であった「西市跡」も見てみたかったのですが、ちと遠くにありすぎるので、行くのを断念、残念。

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15日目 紀伊半島西部

2012-08-07 23:40:13 | 近畿(奈良・和歌山)
2012年8月4日(土)


紀伊勝浦駅からスタートです。
昨日と打って変わって今日は曇天で、風が強いです。台風の影響でしょうか?

←朝の勝浦港

↓紀伊勝浦駅そばにある足湯・滝乃湯



ちょっとだけ普通列車に乗って太地(たいじ)駅で降り、「太地町町営じゅんかんバス」で町役場へ行きます。

↓(68)和歌山県東牟婁郡太地町役場



この太地町はとにかく鯨ずくめの町で、日本の古式捕鯨発祥の地といわれ、もうすぐ8月15日には、くじら踊りというお祭りがあります。
反面、ここは大掛かりなイルカの追い込み漁が行われることで、反捕鯨団体から非難を浴びている町でもあります(よその国の食文化にまで口出しするなと言いたい)。
そもそもは和田氏という一族がこの場所で捕鯨を始めたらしいのですが、千葉県の南房総市に和田地区というのがありまして、そこも捕鯨の町です。この両者、関係あるのか分かりませんが、とても興味深いです。
落合博満野球記念館というものもこの町にあります。

開館していなくて残念なのですが、「くじらの博物館」の前を通って、海沿いをぐるっと歩こうと思ってましたら、雨が降ってきました。
雨はそこそこ強く元々風は強かったので、あたかも台風の中にいるような状態になってしまいました。

↓こんな状態(雨粒は写ってませんが・・・)



雨宿りして一箇所にずっと留まっていますと今度乗る予定の電車に乗りはぐれて(ここら辺はあまり電車の便がよくない)、今日一日の予定がパーになるので、風で傘をさすどころではなく、それでもさしていたら芯が曲がってしまったのですが、頑張って歩きを進めます(今度からカッパも持って来よう・・・)。

くじらの博物館→

↓くじらのシッポのモニュメント


くじらのモニュメント→

↓いるかもあります


ずぶ濡れになって駅に戻ってきました。
太地からは特別急行電車で次の停車駅の古座駅に行きます。


古座駅は本州最南端の潮岬のある串本町にある駅ですが、行こうとしているのは古座川町です。
次の電車が来る一時間で役場へ行きます。
雨は上がったとは言え往復4キロありますので、急いで歩きます。
役場に行く途中においしい(らしい)鰻屋さんがあるのですが残念です。

↓去年の台風でここまで浸水したみたいです(高さ7~80センチくらいか)。

近くに古座川という川がありますが、その普段の水面から結構高さがある地点でのこれですから相当の雨量だったことが窺えます。

(69)和歌山県東牟婁郡古座川町役場

古座を後にしてからは、御坊までしばらく電車に揺られます。
晴れてきましたので、また車窓を楽しみます。

↓眺めは最高です



←橋杭岩と紀伊大島

↓白浜のアドベンチャーワールド(電線が入ってしまいました、撮影失敗・・・)


↓紀伊田辺駅で

どうもこの電車、ウルトラセブンに登場したスペル星人に見えて仕方ない・・・


御坊駅で日本で2番目に短い路線の紀州鉄道に乗り換えます。
紀州鉄道の気動車→

終点の一つ手前の市役所前駅まで乗ったのですが、その間一言の車内アナウンスなくただただ黙々と走ることにビックリしました。

(70)和歌山県御坊(ごぼう)市役所

さらに2キロほど西の所に美浜町役場がありますので、これは歩いていきます。

(71)和歌山県日高郡美浜町役場

↓ん?和歌山で浜松まで?

なんとこの国道、和歌山から紀伊半島をぐるっと廻って、志摩半島の鳥羽から海を渡って渥美半島を経由して浜松に行くルートです。

↓ん~、牛蒡の病気に効く薬を売っていそうな・・・



紀州鉄道の終点の西御坊駅に来ました。
西御坊駅→

↓以前はこれより先も営業していたようで・・・




再び御坊駅に戻ります。帰りは貸切状態でした。
私が写真を撮っていると運転手さんが、「お客さん一人しかおらんから好きにしたらええで。昼間は2~3人しか乗らんのですわ。ご覧のとおり線路は草ボーボーで近所から苦情が来るし、国土交通省のお叱りを受けに行く役目もさせられているし。社員7人しかおらんから、車の手入れも自分達でせなあかんし、草むしりに手が回らん。厳しいですわ・・・」というボヤキ?を聞きながら御坊に戻ってきました。
是非皆さん、和歌山へ行く事あれば、この鉄道に乗って下さい!

↓枕木が消えようとしている・・・




次に御坊のお隣の駅に行きます。

↓(72)和歌山県日高郡日高町役場



今日の和歌山県巡りはこの日高町で終わりにします。
次回来るのはいつの日になることか・・・

そして一気に大阪へ飛びます。
ただ一箇所、大阪駅の東隣の天満駅で下車します。天満駅からすぐの所に区役所があるからです。

↓〔4〕大阪府大阪市北区役所

天満橋筋商店街→

↓知らん間に大阪駅に屋根がついてる!



今日の任務はこれで完了、新大阪から新幹線で帰ります。

心地よきかな・・・→



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