ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

117日目 真岡鐵道沿線を巡る旅も終わり 

2015-04-27 23:58:38 | 北関東
2015年4月18日(土)


下車駅・市塙(いちはな)駅ではSLとの行き違い→
動画を撮るのに一所懸命で、大きな汽笛を上げて煙を吹き上げる瞬間を写真としては収め仕損じてしまう。失敬失敬。

駅舎と駅前→

駅前通り→
奥に見える展望台のある山は昔お城があって、今では町民の記念樹として植えられた桜の木約1,000本。
咲いていたらさぞ壮観でござろう。

↓ここもやっぱりガマ、というか滑らかな感じなのでアマガエルぽい。


(487)栃木県芳賀(はが)郡市貝町(いちかいまち)役場
1万2千人程が暮らす町。
それはそうと「いちかい」なんて地名の響きに違和感を覚えるんですけどねぇ(私だけかもしれないけど)。市塙村+赤羽村(他4村あったけどかわいそうに名前を引き継げず)で市羽(いちはね)となり、さらに小貝(こかい)村を加えて市貝なんて無理に地名を作ったからかなぁ? この日通った下館駅のある市は筑西(ちくせい)市ですが、これは変な響きの地名として最たるもの。
昔からある地名はそれなりに自然な響きを持っているし、今の日本人は奇をてらいすぎだと思う。

役場近くの「道の駅サシバの里いちかい」→
昨年4月20日に開業してめでたく一周年を迎えた道の駅。

甘~いイチゴをやたら食べてここの住民は虫歯となり、差し歯にする人が多いようです。

じゃなく、サシバとはタカの一種。

市貝町では特に見るものがないので、次行こ、次!

真岡鐵道の終点・茂木(もてぎ)駅→

駅前→
信号の所で国道123号線が交差しております。

↓交差点を左に見る商店街「もてぎショッピングストリート」

市貝町では商店街と言える程の商店街を全く見なかったので、妙に都会に感じる(笑)。

(488)栃木県芳賀郡茂木町(まち)役場
人口1万3千人あまりの、のんびりとしてほのぼのした雰囲気の漂う山の中の町。

逆川 (さかがわ)という川が市街を流れていて、その川沿いをブラブラ歩いていると・・・。

崩れた喫茶店っぽい建物→
きっと4年前の地震でこうなったんでしょうが、撤去するにも金がかかるし、放置する訳にもいかないし、悩ましい問題ですねえ。後ろの家の人にとってはさぞ気が気じゃないだろうね。

↓こうした古い建物が所々で見られ、いい雰囲気を醸し出しております。




↓国道123号線を南に向かい、桜が綺麗な逆川に沿う遊歩道を歩きます。


↓行き着いた先は「道の駅もてぎ」




また麺モノです→
道の駅内にある十石屋の看板メニュー「ゆず塩らーめん」(\620)。ゆず酢をかけて戴くのが通らしいですが、私はそのまますすります。ちと塩辛かったかな、でもおいしかったです。
因みに私は左利き。左利きでいい思いをした記憶はあまりないけど、左に箸を持ちながら右でカメラ撮影しやすいのが数少ない得した事かな・・・。ま、右でも普通に箸は使えますけどね。

さて、いよいよ大型連休に突入ですね! 世間は浮かれモードになりつつあります。
私と言えば30日から出かけますので、当ブログはやや長めの臨時休業に。
では、みなさま良いゴールデンウィークを!

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117日目 伝統産業の息づく町をおかわり

2015-04-25 23:59:13 | 北関東
2015年4月18日(土)


北真岡駅から乗ること10分程度で益子駅へ。

駅舎の中にはドデカい壺→
ここは全国的にも名の知れた焼き物の町。

↓巨大な機械仕掛けのカラクリ時計台の大きな歯車がゆっくりのんびり回ってます。

駅舎の中もだけど、これを眺めていると何となく心が落ち着くわ。

駅周辺の昔ながらの商店街→

(486)栃木県芳賀(はが)郡益子町(ましこまち)役場

↓この地域には、門の上にガマを載せている家を多く目にします。

しかも両方の門ではなく、片方だけしか載っていません。意味は分からんけど。

↓駅を東へ東へ歩くと、「城内坂(じょうないざか)交差点」に着きます。

この交差点からは文字どおり坂になってまして、道の両側には焼き物のお店や食事処などが建ち並んでおります。
観光地の入口っぽい感じの所です。
左にある茅葺き屋根の家は藍染工房。

坂を登ってみましょう。

↓多くあったお店の中でひときわ目に付いたもの
  

何かの撮影中をこっそり撮影→

坂のてっぺんの左手にある「益子焼窯元共販センター」→
約400軒の益子焼窯元のうちの約270軒の商品を販売するという、あたかも焼き物のデパートっぽい所。
陶芸体験もOK。

日本一という大タヌキに接近→
大きいタヌキにも小さいのにも下半身の突起物は必ず付いておりまして・・・(巨大な物もぶら下がっているようにも見えるし。やたらデカイぞ・・・)。どうやら益子のタヌキは皆オスのようです。
♪ たんたんたぬきの○○○○はー 風もないのに ぶーらぶら
思わず歌いたくなったけど、恥ずかしくて(周りに人も多かったのもあるけど、歌詞がね・・・)やめた。
でもそういう人多いかも(笑)。代わりに口笛吹いたけど。

ここの食の名物はこれ!→
歩きづめで疲労度満タンなので一個(\100)買ってみる。その時は疲れていたからか、やたら甘く感じましたが、家にお土産として買ったものをもう一度食べてみたら、意外とアッサリしたやさしい甘さ。家の人には「うまいうまい」と大好評でございました。
因みに、同じ名前の某ポイントカードへのポイントが付くサービスはありませんでした(当たり前ですが)。

同じ敷地にあるお蕎麦屋さんにも入る→
コシがあって美味なお蕎麦でございました。

もうすぐ開催されます!→

オマケ→

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117日目 歩けば歩くほど味の出る町・真岡

2015-04-24 23:57:57 | 北関東
2015年4月18日(土)


SLをダラダラと見ていないで、さっさと真岡(もおか)の市街地に向かったのは大正解でした。

↓城山公園近くの行屋川(ぎょうやがわ)に架かる橋に立ちます。

その名のとおり、16世紀末に廃止となった真岡城があった所。
手前の石像は、木綿のまち・真岡をアピールするために作られた「福姫舞ちゃん」。
市街地中心部一帯はかつては沼や沢で覆われていて、水鳥たちの生息地であったという。
鶴も飛来してきたので「ツルの舞う丘」、つまり「舞丘(まいおか)」と呼ぶようになり、それが今の「もおか」へ、らしい。「舞ちゃん」はそれに因んで名付けられたもの。

視線を右に→
一輪すら残っていません。5月2日まで「真岡の一万本桜まつり」というお祭りが開催されるようなのですが・・・どういうことだろ?

反対の南側→
落ち着いた雰囲気のいい景色。左の宿、右のお寺さんもいい味出しているし。やっぱり2週間前に来るべきでしたね。サクラが綺麗でとっても風光明媚ないい景色になっていたんだろうなあ思うとかなり口惜しい。

↓しばらく川沿いを北の方角に向かって歩いてから、市役所の方へと向かうその途中、突如飲み屋街が出現します。





これがまた一言では表現できない素晴らしい佇まい。
息しているんだかどうなんだかも分からない、場末的な、猥雑な、うらぶれた、などなど色々な形容詞が思いつきそうな飲み屋が建ち並んでいる「門前あかり横丁」。恐らく昔は遊里だったんじゃないか、そんな雰囲気が漂っています。

門前というからには当然寺社がある訳でして、上の写真奥にある「長蓮寺」というお寺さんが「門前あかり横丁」の由来となったらしいです。
そのお寺さんには日本一のものがあるというので是非見に行ってみましょう。

お堂にはカギがかかって入れず外から覗く→
そこにはギョロッとした目の、高さ3.45mの「日本一の半跏(はんか)像弁財天様」。
お寺さんのHPによれば、それは「音楽・言葉を啓示し、智慧・教育・子孫を授け、農業・工業・商業・商売繁盛をつかさどり、疫病・災厄を退けると云われる」という有り難き神様。

(485)栃木県真岡市役所
江戸時代は天領であった真岡。そして有名なのは木綿。
市のHPでは「かつては、「真岡」といえば、そのまま木綿の代表名詞として通用した時期がありました。丈夫で質が良く、絹のような肌ざわりの真岡木綿は絶大な人気を得て、江戸時代の文化・文政・天保年間には年間38万反を生産し、隆盛を極めました。当時、江戸の問屋はこぞって真岡木綿を求め、木綿の仕入高の約8割が真岡木綿であったという記録があります。」というほど。
ところで、町で見られるローマ字表記を見ると「Moka」となっています。これで「もおか」とは強引というか、かなり苦しい。一方で真岡駅は国鉄時代は「もうか」だったりする。本当は「もーか」が正しいのかも知れない(勝手な推測)。

長蓮寺の隣にあるのが「久保記念観光文化交流館」→
「明治・大正期の貴重な建造物群をリノベーション」した昨年10月にオープンしたてホヤホヤの市内観光と文化の拠点施設。

この目の前には「真岡木綿会館」→
機織りなどを見る事ができたり、体験もできる施設。

↓歩くこと20分、次にやってきたのは「大前(おおさき)神社」

ここにはどうしても見たかったのがあるのだ!

またしても日本一えびす様→
高さ20mで日本一はいいけど、ハリボテっぽく、まがい物のようにも見え、長蓮寺の弁財天様と比べてみても有り難味の全く感じられない神様。ただ、神社自体は「宝くじがあたる神社」として有名らしいんですけど。

↓神社の近くの一面菜の花畑で、列車を撮影するのに絶好の場所。

返す返すもサクラが咲いていないのが残念(しつこい)。

「リス」とあるけど、他にもいろいろな動物がいる施設→
動物と遊ぶのは嫌いじゃないけど、いい歳した大人が一人で戯れるのもね・・・。

北真岡駅へ向かう途中→
シダレザクラが満開。ソメイヨシノだけじゃない他の種類の桜があちこちで5月まで見られるんでしょう。だから「真岡の一万本桜まつり」を長い事やっているですな。ただし、コンクリートで固めた川はいただけない。

初めて訪れた真岡でしたが、とってもいい町でした。一日散策する所としてかなりオススメです!
そう言えば、小学生の時の担任に真岡出身の「螺良(つぶら)」という珍しい名字の先生がいたな、なんてことをふと思い出しつつ、次の目的地へ行きます。

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117日目 今春も「ときわ路パス」を使った日帰り旅

2015-04-22 00:25:24 | 北関東
2015年4月18日(土)


元々は今月4日に予定していたこの旅、いろいろな事情により延期が続き、2週間遅れてようやく日の目を見ることになりました。

標題の通り、今回使う切符の名前にも使われている「ときわ」、つまり「常磐」は、旧国名の陸国(ひたちのくに・茨城県のかなりの部分)と城国(いわきのくに・福島県浜通り)を指します。
ならば茨城県を廻るんですな?とお思いでしょう。ですが、今回の主戦場は「ときわ」とは全然関係のない栃木県であります。
しかも、JR東日本の企画切符でありながら、全くJR線に乗らないという何だか変チュクリンな事になってしまいました。
因みに「ときわ路パス」について → JR東日本のHP

さてさて、稲毛駅4時51分発の総武線各駅停車で出発、東武野田線経由で常磐(じょうばん)線の取手(とりで)駅へ行き、「ときわ路パス」を購入。

駅跨線橋から見えた「天空に浮かぶマンションと木々」→
手前に流れている利根川から湧き上がるモヤのせいで、こんな幻想的な?景色に。なかなかいいかも。

関東鉄道常総線に乗り込み、7時半頃下妻(しもつま)駅にて下車。
「ときわ」の名の付く切符を使うのだから茨城県の町を全く訪れないのもどうかと思い、選んだのがここ下妻市。
実は昨年12月20日、親の故郷が下妻という船橋市在住の知人からの仕事の依頼で、その人と一緒に下妻に行ったばかりでございましてね、ちょっとばかり親近感があったのもありましたし。
もっとも、その時の「下妻に何か名所はないか」との私の問いには、「ない」の一言であっさり片付けられてしまいましたが(苦笑)。

駅舎構内にて→
鉄道会社、痛いくらい必死(笑)
そもそもこんな恥ずかしくて罰ゲームっぽいの、誰が応募するのかねえ?
きっと大多数の男はこういう感覚なんだろうけど、女性はこんな形の式は大喜びなのかな?
いずれにしても、永遠に理解不能な企画でございます。

駅南側の踏切から→

(484)茨城県下妻市役所
鬼怒川水運の終着地点であったため、物資の中継地として繁栄したものの、鉄道の開通により衰退。
市のHPによれば、この地方の歴史は古いらしく、約1万年前から人が住んでいたようです。
「しもつま」の地名が初めて文献に登場したのは承平5(935)年の『和名抄』であるとの事。人口は4万3千人ほど。

↓役所近くの多賀谷城跡公園内にある「多賀谷城本丸跡」

室町時代に元々は結城氏の重臣であった多賀谷氏によって築城されたお城。
ちっぽけな城だなあ、と内心バカにしていましたが、後で調べてみると、やたら城郭の広いお城であったという。

再び駅へ戻ります。

↓まだお目覚めになっていない感アリアリの駅前から伸びる商店街



下妻に限らずこの地域には東北地方太平洋沖地震で被災し、そのままシートを屋根に被せただけで凌いでいる家を多く目にします。



↓商店街をそのまままっすぐ歩くと、「砂沼(さぬま)」という周囲6キロの沼にたどり着きます。

案内板には「江戸時代中期頃の新田開発施策の推進により、一度干拓され新田となるが、その後深刻な水不足が続いた。干拓から60年後、周辺の農民による砂沼復活の願いが聞き入れられ、再びため池となる。」という珍しい沼。

9時半頃の電車に乗ります。

同じく下妻市の騰波ノ江(とばのえ)駅にて→
横断幕の「鉄道模型運転会」とやらは毎月第三土・日曜に開催されます。んっ!? まさに今日じゃないか!!
ですが、「運転会」に参加しない人の為にオイラ達の「運会」をお見せするぜ!と言わんばかりワンコ3匹が元気にホームの端から端まで駆け抜ける。模型の運転よりこっちを見ている方がよっぽど楽しいわ。微笑ましく、カワイすぎ!
ただ、先頭のワンコよ、頭が入らずゴメン・・・。

下館駅からはSLが売りの真岡(もおか)鐵道に乗ります。

ディーゼル機関車に引かれ下館に向けて回送中→

栃木県・真岡駅には10時すぎに到着→
駅舎・駅周辺はSLずくしでございまして・・・。

↓駅横にあるSLキューロク館とその中


 
10時半からこの客車の先に止まっている機関車がチマチマ動くようですが、興味がないので町中に向かいます。

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115・116日目 養老渓谷への便乗旅

2015-04-20 00:48:16 | 南関東
2015年3月20日(金)・21日(土)


九州から帰ってきてからはずっと冬篭りをしておりまして、春になっても何だかんだで安定したヒッキー生活を営んでいたところ、仕事での取引のある会社社長より社員旅行の誘いを受けました。
とは言ってもその社長は中学の同級生でありましてね、「お前メンバーに入っているから」と、誘いではなく、実質選択の余地のない連行(拉致?)。
しかも、社員旅行とは聞こえはいいけど、実際には場所を宿に変えただけの飲み会です。

ところがですね、平日の金曜夕方宿に集合?いくらなんでもそれはちょっとムチャクチャすぎますわ、社長・・・(呆れ)。
仕方ないので、なんとか3時で仕事を切り上げ車を飛ばして宿に急行。
他の人たちは先に1時には千葉を出て、私の出発時間の頃には早々と到着予定ですぐ宴会を始めるんだと。
あな恐ろしや。

さて、宴会会場は房総の奥座敷・養老渓谷。

養老渓谷温泉街(千葉県市原市)→
奥に見える赤い橋は観音橋といい、ここのシンボル的な橋。これを渡ってさらに奥に行くと養老山立國寺があります。
そこには石橋山の戦い(今の神奈川県小田原市・治承4(1180)年)で平家方に敗北した源頼朝が命からがら房総半島に落ち延び、その時に捲土重来を期して奉ったと言われる出世観音が鎮座しています。
その効果はてきめんだったようで、続々と頼朝に東国武士が参集して以降、平家滅亡に追い込み、鎌倉に幕府を開いたのはご承知のとおり。

↓この先をちょっと行くと宿



大多喜町(おおたきまち)の滝見苑です。→ホームページ

部屋からの眺め→
ここから滝が見えるらしいんですが・・・。見えませんよ? 

露天風呂付き大浴場→
昭和57(1982)年の改築工事中に地下400mから噴き出たという温泉。
養老温泉のお湯と言えば、黒くてヌメリのある一見タール水な感じなのですが、ここは無色透明の至ってフツーのお湯。

夕餉→
既に皆(私以外)かなり飲み食いしており、あまり食が進まない者もあり。勿体無いのお。
挙句の果てには夜遅くなって腹減ったなどと言い出す始末。
山奥なので近くには気の利いたコンビニなどあろうハズもない。アホやがな

朝です→
みんな○んでおります。いかにすさみきった夜を過ごしたか、お分かりかと。

宿の真下にある「粟又の滝」→
川に降りないと、上からじゃ全く分かりません。こういう仕掛けだったのね!

「道の駅・たけゆらの里おおたき」へ→
隣にいちご狩りのできる農園(高梨いちご農園)があります。

↓じゃあ行ってみよっか!
  
意気込んで食べてもせいぜい20個程度がいいとこ。
ただ、苺に目がない参加メンバーがおりまして、ここのを全部食べ尽くすんじゃないかという勢いで貪り食っておりました。数時間前に朝をしっかり食べていたというのに、別腹だけは超ド級の大きさだったようだ。

いすみ鉄道・大多喜駅へ→

駅前通りのこの先を行くと「城下町通り」に交差します→
大多喜はかつては城下町だったので、その面影を残す古い町並みが今でも見られる、別名「房総の小江戸」。
私は町並み散策したかったのですが、他の人たちは全く興味なさそうなので諦める。
ましてや、徳川家康の側近中の側近、いわゆる徳川四天王の一人・本多忠勝の居城であった大多喜城も行かず。
復元物だから別にいいけど。

駅前にある「天然ガス記念館」→
大多喜は古くから天然ガスの開発が行われてきた地域で、「天然ガス井戸発祥の地」でもあるらしい。
因みに千葉県を中心として南関東は、日本最大の水溶性天然ガス田なんだとか。

↓同じく駅前の「観光センター」
  
大多喜観光はここにお任せあれ。

(483)千葉県夷隅(いすみ)郡大多喜町役場
この建物は、日本建築学会賞・ユネスコアジア太平洋遺産賞を受けた価値あるものらしい(私は素人につきその素晴らしさが全く分からん・・・)。
なぜ古い町並みは見ずにここだけはきっちり見たのかと言うと・・・。
実は同級生は建築士なので役場建物を見たかったらしく、趣味で役場へ行っている私と利害が一致したワケ。

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114日目 福岡市近郊で道草を貪りながら帰京

2015-04-16 00:43:15 | 九州北部
2015年1月2日(木)


↓かの日本書紀に、「筑紫に、大堤を築き水を貯へ、名けて水城と曰ふ。」と記載された7世紀中頃に築かれた大野城市にある特別史跡「水城(みずき)」の跡です。

国防のために築かれたこのお城、気の遠くなるような昔にしばし思いを馳せる。JR水城駅のホームからでも見られます。

その水城駅にて→
千葉県船橋市の非公認ゆるキャラは遥か西までも進出。その勢いたるや留まる所を知らず最早全国区。
非公認ゆえ、やりたい放題やっているのがかえっていいらしい。やっぱりこういうものは規制規制でうるさい行政が絡むべきではない、よき見本。

平成元年に開業した春日駅→
この駅を拠点に春日市と大野城市を歩いてみます。
福岡市のベッドタウン的なこの両市、特に見たい所はないので(水城以外)、さっさと適当に廻って切り上げます。

駅から眺めた様子→
線路(左側にあるけど、写ってない)に沿った通りを「あんどん通り」といい、ここには役所関連のハコものが建ち並んでいます。

(481)福岡県春日市役所
人口11万2千人あまり。
この市についてはWikipediaによると、魏志倭人伝などに出てくる「奴国(なこく)」はここ春日市にあったらしい。へえ~。

お隣大野城市へ。

高架工事中の西鉄の踏切を過ぎると市役所はすぐ→

(482)福岡県大野城市役所
人口は10万人にちょっと足りない程度。
市名となっている「大野城」は水城同様、国防のため同時期に築かれた日本でも古い方の山城。
ですが、ちと遠い・・・。またこの近辺に来た時にでも寄ってみようかと思っています。

県道11号線→
左には見飽きた・行き飽きた「イオン」。でもそこに入って、つまみを調達しようと。
ただ、売っている物は首都圏のと大して変わり映えがなく(当たり前かもしれないけど)、品を選んでいても全く面白くない。

同じく高架中の西鉄春日原(かすがばる)駅→
JR春日駅は目と鼻の先。

都会度は古くからあるコチラの駅の周辺の圧勝→

続いて、博多の一つ手前の竹下駅で下車→

↓駅は福岡市博多区にありますが、真ん前を流れる那珂川(写真は博多方向)を越えると南区。


↓そのまま真っ直ぐ進み、交差する国道356号線(日赤通り)沿いの役所へ。


〔39〕福岡県福岡市南区役所
多くの有名人を輩出している区。それよりも南区にあった100円ラーメンで知られた「勝龍軒」が昨年の今頃閉店してしまったのは甚だ残念であります。

ついでに最寄りの西鉄・大橋駅へ→
竹下駅周辺に比べると、大人と子供の背比べくらいの賑わいの差。

長かった九州町巡りはようやく終了したので、新幹線に乗って一気に東京に帰ります。
さて、これまで新幹線で博多から東京まで乗り通す際はグリーン車でしかありませんでしたが、今回はあらかじめどの列車に乗るか決めておらず、どうせグリーン車はどれも満員だろうと思ってましたので、初めて普通車(自由席)で帰ってみようと思います。腰が持つかどうかが心配だけど。

さ、席取り合戦に出陣!→
客の整理誘導案内などをしていた姉ちゃん、翌日にもこんな感じでテレビ出演していたわ。
乗った列車は博多16時5分発、のぞみ48号。

我等が赤ヘル党の聖地は雪で霞んでいます→
ドベに沈んで存在感マイナスの、今の霞んでいるチーム状況のようだなorz。
広島到着時点で既に約7分遅れ。関ヶ原付近というの超大物も控えているのでさらなる遅延、決定的。
ただし、つまみ・酒は仮に列車ホテルという事態になっても問題ないくらい買い込んでいるので、ノープロブレム。

↓熱海を過ぎて異常を知らせるボタンが押された(誰だ!)ので、緊急停止したなどハプニングもあったけど、約20分程度の遅れで済んだ21時35分頃東京駅に到着。

関ヶ原は大した事なかったのは幸い。でもやっぱり腰がメリメリいってます・・・。
立ち客がイッパイだし、隣客にも気兼ねしてしまい出歩くこともできず(私は進行方向右側に座りたがるが故、3列席の窓側に座ってしまったのだ)、5時間半ずっと座り詰めだったからな・・・(出すべきものは何とか持った)。やっぱり博多からの普通車はキツイ。今度乗るんなら閑散期にするわ・・・。

このせいで脚がエコノミークラス症候群になったらしく、加えて数日は寒い中を歩き回っていたし、疲労も相当溜まったしで、程なくして肉離れ的症状に見舞われたのは、今年2回目のブログに記した通りでございます。

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114日目 やっとテンパイの日を迎える

2015-04-12 00:21:07 | 九州北部
2015年1月2日(金)


長い長ーい年末年始旅のブログも、ようやくよ・お・や・く最終日を迎えました。

宿泊した佐賀市のお隣には有名な吉野ヶ里遺跡があり、お正月から開いているとの事ですが、これはムシして一気に福岡県に入ります。

↓最初の下車駅は、筑紫野(ちくしの)市の天拝山(てんぱいざん)駅。


↓さらに300m程東に歩いて西鉄・朝倉街道駅近くの「西鉄朝倉街道バスセンター」へ。

バスセンターの前は道は県道112号線。
これが駅名にもなっている所謂「朝倉街道」で、この街道は昨年10月に行った日田市まで延びていました。

これよりバスに乗り、筑前町へ行きます。

下車バス停→

↓筑前町の幹線道路である国道386号線を肩をすぼめながら歩きます。



雪まみれになりまがら歩いている物好きは私一人くらいさ。
車の乗っている人たちの「こんな中を歩いているなんぞ、頭おかしいんじゃないか」的冷たい視線が痛すぎる。

(479)福岡県朝倉郡筑前町(まち)役場
平成17年に三輪町と夜須(やす)町が合併してできた町で、人口は約3万人。
全国に多く見られる安易に旧国名を名乗った自治体。
こんな田舎町が堂々と国名を町名にするのもどうかと思うし、第一、走っていた車は「久留米」ナンバーばかり。そもそも久留米は筑国じゃないか!

特に見所はないし、(寒いし、)さっさとここは去ります。

誰が作ったか雪だるま?→
ようこんなの作れるくらいの雪をかき集めたもんだね。

さっき「特に見所はない」と書きましたが、実は真っ赤なウソ→
かつて東洋一と謳われた旧陸軍大刀洗飛行場。その跡地に建つ施設の事で、大東亜戦争の資料が多数展示されているという。
ただ、遠く離れた太刀洗駅近くにあるので今回はパスしますが、いずれここは是が非でも行かないといけません。甘木鉄道に乗った時に必ず寄るつもりでおります。

引き返したバスでそのままJR二日市駅へ。

↓狭い駅舎に駅前



さらには太宰府へ参拝しに行く人たちも加わり、駅前は人車バスで溢れ、あたかも味噌も糞も一緒のような相当錯綜した状態になっていたのを何となく喜んで見ていた私であります。

(480)福岡県筑紫野市役所
「筑紫野」という地名が使われて60年経つにもかかわらず、中心となる駅が「二日市」なので、「筑紫野」という地名がどうもピンときません。
遠く離れた所に住んでいる私でさえそう思うし、近隣に住んでいる人でもそう思っている人は多いと思われ。
最近人口は10万人超えをしたらしいです。

↓福岡の奥座敷・二日市温泉



奈良時代に発見された歴史ある温泉。

温泉の西側を通っている九州縦貫自動車道を横切って、山の方へ行ってみます。

天拝山歴史自然公園にやってきました→
「天神さま」こと菅原道真公が天拝山に登った道を整備して名付けられた道が「天神さまの径」。所々に道真公が詠んだ歌の碑があるみたいです。

↓武蔵寺



奈良時代創建の九州最古のお寺さん。

ところで、肝心の天拝山とやらはこれかな? →
よう分からんので、特に目立っていたこの山(モヤっている一番上の部分)だという事にしておこう。
昔は「天判山」だったらしいのが、道真公が天を仰いで無実を訴えたことに因み、今の名で呼ばれるようになったらしい。

山から名付けられているのは分かる・・・→
ただ、どう見ても雀荘にこそ相応しい屋号だよなー。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

113日目 輝ける佐賀を歩いてみよう

2015-04-09 23:49:04 | 九州北部
2015年1月1日(木)


↓長崎街道をそれ、これまた古い雰囲気漂う道で中心部に戻ります。

いきなりドンと鳥居が置かれていますが、辺りを見回しても神社らしきがはありません。

??のまま歩くと、もう一つ鳥居がありまして→

↓この先にある「與賀(よか)神社」という、欽明天皇の時代(6世紀)に創建されたらしき由緒ある神社。

なるほどね、歩いてきた道は恐らく参道だったんだろうと推測。

佐賀城西濠→
こんな見てると寂しくなる。ぼっちはやっぱり寂しいよー、でも気軽だけど。

↓期待はしていなかったけど、佐賀城本丸歴史館の入口ふに来てみたら・・・、

何とラッキーな! 左に写っている看板を見ると、お正月早々から開いているし、18時まで見られるし。しかも入館無料だよ!




平成16年に復元された佐賀城本丸御殿の一部を復元した建物の中で、せっせと佐賀の勉強(今じゃ忘れてしまったけど・・・)。 

棚路(たなじ)→
水際まで降りられるように作られた階段や足場。佐賀では結構多く見られるらしい。
前回のブログで市内の水路はドブばかりとさんざん悪口を言いましたが、ここは一応綺麗(に見える)。
佐賀の名誉のために言うと、街中を離れた所に流れる水路はドブっていうほど汚くはなかったです。言いすぎました、ゴメンよ、佐賀。

佐賀県庁

日も落ちたので、後はイルミネーションを見る以外、する事がありません。
欲を言えば「さがレトロ館」やら「微古館」やら、その他多数ある歴史的価値ある建物やら、ちと遠いけど世界遺産にならんとしている三重津海軍所も見たかったけどな。
翌日は早々と佐賀を去る予定だし、見られずじまいになるのだけど仕方ない。

イルミネーションの前に、ちょっとだけ佐賀のある種名所?へ→
どーってことない中華料理屋さん。ですが、ある有名女性タレントのご実家。
私がこのお店の前を通りかかったら、外出から帰ってきたらしいこの家の人達がそそくさと入ってしまう。正月早々変なミーハーが来たかと思われたかも(苦笑)。
ひょっとしたらその中にタレントさんもいたかもね。でも暗かったのでよく分からんかったとです。
そんで、そのタレントさんとは誰ぞや? 知りたい方は「佐賀 光楽園」でググってね(ヤホーでもいいよ)。

2014サガ・ライトファンタジー→
昨年10月29日から今年1月12日まで大々的に執り行なわれた、26回目を数えるという、わりと伝統のある催し。
コンセプトは「~さが(SAGA)に恋しよう~」。でも、イルミネーションを見なくたってとっくに佐賀に恋しているさ!








廻って見ての感想。
イルミネーションはやっぱりクリスマスまででしょ?。それを過ぎてのものは興ざめしますな。
多くの人が見に来ていればまだいい。でも、だれーもいない中でピカピカ輝いている様は、かえって虚しく感じます。ダラダラとやりさえすればいいってもんじゃないぞ。と思ふ。ムダに電気使わんでもいいし。

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113日目 佐賀でいろいろな「さが」し物

2015-04-05 23:56:16 | 九州北部
2015年1月1日(木)


昨日は関東の某近所へちょっくら出かけようと思っていました。
桜が咲いている週末はこの土日でおしまいだろうから、花を見ながらのプチ旅もいいなと。
ところが、花曇りで肌寒いし、体調も悪く鼻風邪気味。しかも職場の机の上は、仕事の書類の大山・・・。
来週出掛けますわ。桜を愛でながらの旅は一年先送りって事で。

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この日の残りは佐賀市内の散策でノルマは完了。

15時ちょっと前の佐賀駅前にて→
本当はもっと早く戻ってきて、市内の多くのものを見たかったのではあるんだけど。
夜のイルミネーションは次回に。

(478)佐賀県佐賀市役所
ご存知、九州でもジミ~な存在・佐賀県の県庁所在地。
江戸時代は鍋島氏の城下町として栄え、明治22(1889)年に市制。

佐賀市には水路がたくさん見られます→
水路と言えば聞こえはよく、写真では鳥もいるけど、その実はドブがほとんど。
ボウフラ大量生産装置と化しているように見えるし、臭いは? 特に夏なんかは痒そう・臭いそう佐賀市。

↓飲食店の多い歓楽街



佐賀市徘徊は2度目。前回も正月で、この日同様涙が出そうになるくらいひっそりしたので、さすが九州最弱県庁所在地なだけあるわ。

綺麗な姉ちゃんが呼び込みをしていたら入っていたな(ウソ)→

↓ここもひっそり中心部のアーケード





白山名店街はシュガーロードこと昔の長崎街道。
もちろん、路面を舐めても甘くありません。もちろん舐めておりませんよ。

これよりしばらく長崎街道を西へ向かって歩いてみます。

恵比須さまをあちこちで見られます→
その数日本一だと。

お伊勢さま佐賀出張所たる所→
全国でもここだけという伊勢神宮の分霊を勘定できた「伊勢神社」。
なので、九州にいる人たちはわざわざ遠く三重に行かんでもお伊勢さまのご利益を得られるわけだ。
でも、日本人なら本物へは一回は行こう。

伊勢神社内の肥前狛犬→
よく見かける強面なものではなく、ちっぽけでずんぐりむっくりの愛嬌あるもの。

築地(ついじ)反射炉跡→
今は小学校敷地となっている、佐賀藩主の命により作られた日本初の洋式反射炉跡。
反射炉とは鉄製大砲の鋳造に不可欠な金属溶解炉で、ここで初めて鋼鉄製の大砲ができたという。
因みに国産初の蒸気機関車を製造したのも佐賀藩というから(但し、模型レベルの大きさですが)、佐賀って凄かったんだ!(今はパッとしないけど) 
後ほど佐賀城本丸歴史館の展示物を見ましたが、佐賀藩は国内でも最先端の技術を持っていたのが窺い知れます。

↓それにしても、カノン砲の復元がここに載っかっているらしいんだけど・・・。

ねえし。某国の窃盗団が持って行っちゃった・・・ってことじゃないと思いたい。

お正月から選挙活動してるし・・・→
佐賀県知事選挙です。「何でまたこんな時に」と内心大笑いしたものでしたが。
実は注目度大の選挙で(知らんかった)、その結果はマスコミでも相当騒がれました。

のこぎり型家並み→
保身のため、家のカギの部分に身を隠して外敵を防ぐためにこうしたというけど、そんなんなら、ここだけじゃなく街中全てこうした方がよかったんでね?(城下町都市機能について無知につき、極めて素人的発想)

そろそろ落日間近。
廃れっぷりもかえって面白い見所となっている佐賀市散策が楽しくて楽しくて、いくら時間があっても足らんとです。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

113日目 小京都・小城の元日

2015-04-02 23:19:55 | 九州北部
2015年1月1日(木)


↓多久市の東隣にある小城(おぎ)市・小城駅に来ました。

大正6(1917)年築。「男はつらいよ」のロケでも使われたらしいけど、ハテ?何作目だろう?(寅さんは全部見たんけどな・・・思い出せん。)

平成17年に小城町・牛津町・芦刈町・三日月町が合併して小城市となりましたが、旧小城町は小京都と呼ばれる地域。そんな京都のような薫り漂う町の元日の様子をお届けします。

駅前通り→

↓今はきっと見頃を迎えているんだろう、桜の名所として知られる小城公園

17世紀中頃の小城藩初代藩主の鍋島元茂と2代目藩主直能が造営した庭園。
小城藩とは佐賀藩の一組織でありながら、大名並みの扱いを受けていた藩。

公園内の心字池→
その名のとおり「心」という字を象った池。

同じく岡山神社→
ボチボチ出動、初詣で。11時頃ですし。

↓鈴で鈴なりの、沖縄ぶどうのようになっている「鈴成の木」

鈴の入ったお守りを買い、自宅のしかるべき場所にそれを掲げ、お願い事が成就するようにひたすら祈る。そして成就したなら鈴を取り出して、ここに掛けるんだと。

↓昭和13(1938)年築の国登録有形文化財「レーテル小城教会」

れっきとした建物のそばに堂々と書かれた落書き。ようこんな事ができるなと恐れ入谷の鬼子母神だわ。木に青だから、青木という人が書いた?

造り酒屋が多く見られる須賀神社に向かう道→
時々横殴りの強烈な吹雪に見舞われます。
雨が心配で一応ホテルで傘を借りてはきたけど、吹雪じゃ差しようがない。というか差さない方が楽。
結局雨は一滴も振らず、余計な荷物になってしまいました・・・。

須賀(すか)神社→
名前はスカだけど、小城では岡山神社より格上なのか、こっちの方が詣で客が多いです。
153段あるという階段を昇れば、いい眺めを満喫できるのだろうけど、寒くてそんな気が起こりません。
この神社の先には千葉氏という豪族の居城であった千葉城跡があります。この千葉さんとは、かつて私の住んでいる千葉を本拠にしていた豪族で、その一人が千葉から小城にやってきて土着したというのです。遠く佐賀と千葉市とで実は深い関わりがあったなんて何か不思議。

太閤さんもお掛けになった石→
座ってみたかったけど、石が冷たそうだし、○゛になっても困る・・・。

神社の前にある「羊羹資料館(村岡総本舗)」→
小城と言ったら羊羹。至る所で羊羹屋さんが見られ、小城だけで20数軒もあるらしい。
江戸時代、長崎で輸入された当時貴重品であった砂糖は、長崎街道を通って各地に運ばれましたが、街道近くに位置する小城ではこの砂糖を使って羊羹を作る文化が根付いたという。
因みに長崎街道は「シュガーロード」と呼ばれるけど、名前ほど洒落た感じが全くない道(私が通った部分のみだけの感想ですが)。

小城にはもう一つ、佐賀弁の「混ぜんば(混ぜて、という意味)」から名付けられた、ご当地グルメ「マジェンバ」というのがあります。
麺と小城の食材に特製のタレを混ぜて食べる料理で、是非食べてみたいと思い調べてみたところ、私の大嫌いなマヨとかチーズとかがのっていて、しかも女性受けしそうなサラダ風なものばかり。イラネ。

↓昔ながらの町家が残る町並みを見ながら、




農道を通って、→

吹雪の中、国道203号線の旧三日月町地区に→

(477)佐賀県小城市役所

そして、佐賀市の久保田駅へ→
たまたま列車の間隔が開いた時間帯に来てしまい、苦痛以外何者でもない長~い40分をここで過ごす。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→