2016年5月6日(金)
県道68号線の山ん中を突き進み、宝塚市を経由して猪名川町(いながわちょう)へ。
道の駅いながわ→
旨い蕎麦が食べられるというので立ち寄ってみたワケなんですが・・・。
見事な肩透かしじゃ→
連休の谷間だし、サービスを提供する側も休んでおかないと過労死まっしぐらだから仕方ない・・・。
石像となっている「いなぼう」とは、この町のマスコットキャラクター。
猪の子どもの「うりぼう」をモデルとして、猪名川の「いな」と、うりぼうの「ぼう」で「いなぼう」。
斜め向かいにあるコンビニで一服し、再び街中に向かって走らせます。
高さ30mの岩壁「屏風岩」→
(593)兵庫県川辺郡猪名川町役場→
川辺郡に属するたった一人ぼっちの自治体。昔は宝塚だとか尼崎だとかの方まで広がっていたのに・・・。
↓見てのとおり、猪の一頭や二頭が出てきてもちっともおかしくない田舎。
ですが、役場から東北方向約2.5kmの川西市との境に駅があり、そこへは行かなかったのですが、もしかしたら駅周辺は普通に街っぽいのかもしれません。
なので人口も31,000余人と、なかなか多いです。
町の歴史は古く、役場HPによると「その昔、東大寺大仏鋳造の際に、銅を献じたと伝えられている多田銀銅山を中心にひらけ、その名が示すように多田源氏ゆかりの地として武家文化の栄えた所」とあります。
↓役場の横に古い立派な茅葺きの豪邸が佇んでいたので潜入を試みます。
↓静思館(せいしかん)
冨田熊作さんという町の大富豪が総工費約10万円(当時は中谷村といったらしいですが、村の予算の倍以上!)を費やして、昭和7(1932)年から3年をかけて建てられ、昭和59年に町が譲り受ける。
入館無料。その名のとおり、心静かにしばし思いを巡らすには持って来いの場所で、この日のような雨の日は特にいいかも知れない。
猪名川町の名所といったら、何といっても町のHPでも触れた鉱山の、その跡地。
今年3月10日に国史跡に指定されたばかりのほやほやで、もちろん無視する訳ありません。
↓猪名川町銀山という地名の場所にある「悠久の館」。
ここは資料館にもなっていて、鉱山についての様々な展示物を見ることができます。
多田銀銅山とは、今の兵庫県・大阪府に跨る東西20km、南北25kmのムチャクチャ広い鉱山で、10世紀の終わり頃から本格的に採掘され、それは昭和48(1973)年まで続く。
そして特に品質のいい銀が取れたのが、ここ猪名川町銀山地区。
豊臣秀吉は直轄鉱山としたので、今でも秀吉ゆかりの間歩(まぶ・坑道のこと)が残っています。
そして何といっても、日本最大の埋蔵金伝説の地。
秀頼の将来を案じて秀吉が4億5千万両を分散埋蔵したとされてる、夢のまた夢の地でもあります。
その裏手にある「代官所跡」→
↓悠久広場にある、明治時代に操業された「堀家精錬所」跡地。
↓アテなく埋蔵金を探しに、さらに山奥へと続く道を行きます。
銀山の最盛期には「銀山数三千軒」と言われるほどの賑わいを見せていたようですが、でも今では見る影もない、空き家ばかりの落ちぶれた集落。
金山彦神社は鉱山の神様→
さらにここから先にも史跡はあるようだけど、車一台通るのがやっとの細道。
この先、車を反転させられるスペースがあるかどうか怪しいのでここで引き返します。
雨さえ降っていなければ、ハイキングがてら埋蔵金探しに行ったのだが。
いつか本格的に探しに来てやる。待ってろよ、埋蔵金!
ただ、クマが怖いけど(いるかどうか知らない)。
長~いお付き合いだった兵庫県はこれにて(ずっと兵庫も飽きた)。じゃあね。
というワケで大阪府に乗り込みます。
↓軽くうどんか何かを食べようと思って来てみた「道の駅能勢(のせ)」。
能勢、お前もか! ここも絶賛閉店中・・・。
↓(594)大阪府豊能(とよの)郡能勢町(ちょう)町役場
地図をご覧になると分かるのですが、大阪府の北部には兵庫県と京都府の間をムリクリ割り込んだいったような場所があります。そこにあるのがここ能勢町。
↓とても大阪府とは思えない田舎町。
東京で言えば奥多摩のような所か?
町のHP内では、「町全体が田園と自然のギャラリーのようなものです」と言い切っているのだから、掛け値なしの田舎です。でも人口は1万人もいたりする。
長時間滞在は無用なので、さっさとお隣の町へ向かいます。
能勢町・猪の子峠手前の府道4号線→
実はこの道路、4年前に走った事があって、再びこうしてまた通るとはその時には正直思いもしませんでした。
その時に一部未舗装部分があってビックリしたのですが、あれからちっとも整備が進んでいません。
横は崖だったりする→
でもそんなに怖くありません。それよりも・・・。
対向車来るなよ!
↓参考・カッコしてあるのはこれまで行った所
県道68号線の山ん中を突き進み、宝塚市を経由して猪名川町(いながわちょう)へ。
道の駅いながわ→
旨い蕎麦が食べられるというので立ち寄ってみたワケなんですが・・・。
見事な肩透かしじゃ→
連休の谷間だし、サービスを提供する側も休んでおかないと過労死まっしぐらだから仕方ない・・・。
石像となっている「いなぼう」とは、この町のマスコットキャラクター。
猪の子どもの「うりぼう」をモデルとして、猪名川の「いな」と、うりぼうの「ぼう」で「いなぼう」。
斜め向かいにあるコンビニで一服し、再び街中に向かって走らせます。
高さ30mの岩壁「屏風岩」→
(593)兵庫県川辺郡猪名川町役場→
川辺郡に属するたった一人ぼっちの自治体。昔は宝塚だとか尼崎だとかの方まで広がっていたのに・・・。
↓見てのとおり、猪の一頭や二頭が出てきてもちっともおかしくない田舎。
ですが、役場から東北方向約2.5kmの川西市との境に駅があり、そこへは行かなかったのですが、もしかしたら駅周辺は普通に街っぽいのかもしれません。
なので人口も31,000余人と、なかなか多いです。
町の歴史は古く、役場HPによると「その昔、東大寺大仏鋳造の際に、銅を献じたと伝えられている多田銀銅山を中心にひらけ、その名が示すように多田源氏ゆかりの地として武家文化の栄えた所」とあります。
↓役場の横に古い立派な茅葺きの豪邸が佇んでいたので潜入を試みます。
↓静思館(せいしかん)
冨田熊作さんという町の大富豪が総工費約10万円(当時は中谷村といったらしいですが、村の予算の倍以上!)を費やして、昭和7(1932)年から3年をかけて建てられ、昭和59年に町が譲り受ける。
入館無料。その名のとおり、心静かにしばし思いを巡らすには持って来いの場所で、この日のような雨の日は特にいいかも知れない。
猪名川町の名所といったら、何といっても町のHPでも触れた鉱山の、その跡地。
今年3月10日に国史跡に指定されたばかりのほやほやで、もちろん無視する訳ありません。
↓猪名川町銀山という地名の場所にある「悠久の館」。
ここは資料館にもなっていて、鉱山についての様々な展示物を見ることができます。
多田銀銅山とは、今の兵庫県・大阪府に跨る東西20km、南北25kmのムチャクチャ広い鉱山で、10世紀の終わり頃から本格的に採掘され、それは昭和48(1973)年まで続く。
そして特に品質のいい銀が取れたのが、ここ猪名川町銀山地区。
豊臣秀吉は直轄鉱山としたので、今でも秀吉ゆかりの間歩(まぶ・坑道のこと)が残っています。
そして何といっても、日本最大の埋蔵金伝説の地。
秀頼の将来を案じて秀吉が4億5千万両を分散埋蔵したとされてる、夢のまた夢の地でもあります。
その裏手にある「代官所跡」→
↓悠久広場にある、明治時代に操業された「堀家精錬所」跡地。
↓
銀山の最盛期には「銀山数三千軒」と言われるほどの賑わいを見せていたようですが、でも今では見る影もない、空き家ばかりの落ちぶれた集落。
金山彦神社は鉱山の神様→
さらにここから先にも史跡はあるようだけど、車一台通るのがやっとの細道。
この先、車を反転させられるスペースがあるかどうか怪しいのでここで引き返します。
いつか本格的に探しに来てやる。待ってろよ、埋蔵金!
ただ、クマが怖いけど(いるかどうか知らない)。
長~いお付き合いだった兵庫県はこれにて(ずっと兵庫も飽きた)。じゃあね。
というワケで大阪府に乗り込みます。
↓軽くうどんか何かを食べようと思って来てみた「道の駅能勢(のせ)」。
能勢、お前もか! ここも絶賛閉店中・・・。
↓(594)大阪府豊能(とよの)郡能勢町(ちょう)町役場
地図をご覧になると分かるのですが、大阪府の北部には兵庫県と京都府の間をムリクリ割り込んだいったような場所があります。そこにあるのがここ能勢町。
↓とても大阪府とは思えない田舎町。
東京で言えば奥多摩のような所か?
町のHP内では、「町全体が田園と自然のギャラリーのようなものです」と言い切っているのだから、掛け値なしの田舎です。でも人口は1万人もいたりする。
長時間滞在は無用なので、さっさとお隣の町へ向かいます。
能勢町・猪の子峠手前の府道4号線→
実はこの道路、4年前に走った事があって、再びこうしてまた通るとはその時には正直思いもしませんでした。
その時に一部未舗装部分があってビックリしたのですが、あれからちっとも整備が進んでいません。
横は崖だったりする→
でもそんなに怖くありません。それよりも・・・。
対向車来るなよ!
↓参考・カッコしてあるのはこれまで行った所
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