ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

97日目 真夏の美濃攻め(4)~各務原・坂祝

2014-10-29 23:35:06 | 東海
2014年8月22日(金)


養老駅からは桑名の方へは向かわず、大垣駅へ戻り、岐阜駅でJR高山線に乗り、難読地名の2市町訪問をします。

まずは各務原(かがみがはら)市へ。
14時前、那加(なか)駅で下車。とにかく日差しがキツくてあちぃ~、体力が瞬殺される・・・

目の前は名古屋鉄道が横切る駅前→

↓上の写真の「止まれ」の標識がある交差点を横切る道路

一体どっちがホントなの?

↓旧中山道であった、今は「なか21モール」という商店街を歩きます。


↓新境川を越えて市民公園に来ると、急に空が暗くなりゴロゴロ言い始める。やっぱり来よったか・・・。


毎年9月上旬に開催されるお祭り→
西暦と同じ数のカレーライスが無料配布されるという、想像しただけでヨダレが出てくるような羨ましいお祭り。「各務原カレー」というご当地グルメがある訳ではないらしい。

突如、目の前に恐竜現る!→
那珂交番の前に飾ってあるティラノサウルス、名づけて「ナッシー」とな。
交通事故皆「無」を目指してのこの名前ですが、「何だアレ?」と運転中に一瞬脇見をして事故を誘発しそうな。

(428)岐阜県各務原市役所
どうしたら「かがみがはら=各務原」となるのか甚だ不可思議。
市のHPによると、人口は約15万人の、「音楽の街」「本の街」「スポーツの街」と、欲張りすぎでないかい?という位の文化面の充実を謳っています。
さらにはキムチが名産のようですが、私はキムチが大嫌いなのでどうでもいいです。

たまに上空でビックリする爆音が響き渡ります。航空自衛隊岐阜基地があるからか、とにかく爆弾でも落ちたのかという位ムチャクチャすごい音。市役所の横の通りの名もズバリ「飛行場通り」。

↓いよいよ雲が怪しさを増し、冷たい風が強く吹き付けてきました。相当ヤバい状況になってきた。

もっと広い範囲を散策するつもりでしたが、諦めて急いで駅に戻ろう。

再び駅前通り→
行きは反対側を歩いていたので、気がつきませんでした。いつまで不便なままにしておくつもりか、なかなかガンコなお店。ま、それなりの事情があるんでしょうが・・・。

やっぱり降ってきました→
次第に雨風が強くなり、雷鳴が近くでバカでかい音で轟いている。

反対側は晴れているんだけどな・・・→

乗る予定の列車ですが、駅アナウンス「15時24分発の普通列車白川口行きは20分程度遅れて岐阜駅を発車・・・(後の方がよく聞き取れない)」
その20分後。
「15時24分発の普通列車白川口行きは長森・那珂間の踏切点検のため、遅れていましたが、長森駅を発車・・・モゴモゴ(全く聞き取れない)」
さらにしばらく待つ。
「15時24分発の普通列車白川口行きは長森・那珂間の踏切点検のため、モゴモゴ・・・(全く聞き取れない)」
ハイハイ、もう分かったからさ・・・。知りたいのはいつ来るかなんだけど!

↓岐阜側では踏切の手前で列車が止まっています。

踏切点検とはあの踏切の事らしいです・・・。しかし、よ~く見ると特急列車だったりする。何なんだよ!

↓当然特急は止まらず、普通列車は定刻から1時間してやっときた。

ゲリラ豪雨程度で踏切がおかしくなるとは、リニア中央新幹線建設のため、JR東海は他への設備投資をケチっているかの如し(怒)。それはともかく、高山線に乗るたびいつも大遅延するので、よくよく私はこの路線とは相性が悪いらしい。
因みに市役所入口に、この日19時より市役所前で「盆踊り」が開かれるとの立て看板がありましたが、果たして行われたんでしょうか?

やっとこそさ坂祝(さかほぎ)駅に到着→

国道21号線→
旧中山道で、その横を木曽川が流れています。ここは長閑な感じの町。

この公園で堤防に上がってみます→

↓そこからの眺め

ここは「日本ライン」と呼ばれている所。岐阜県・美濃加茂市から愛知県・犬山市まで「日本ライン川下り」という船による遊覧が楽しめます。

↓上の写真は小さくて見にくいけど、岩の名前は駅前にあったこの看板をご参照下さい。


(429)岐阜県加茂郡坂祝町役場
猿啄城(さるばみじょう)というこの町を一望できるビュースポットがあるのですが、列車さえ遅れなければ登ったのに・・・。

後は適当に町をブラブラ。

玄関先にあった消防用ポンプ車?→
全国あちこちでこういう古いのを飾ってあるのを見ます。
それだけ、有り難い存在のものだったようです。

拾って帰りたい衝動に駆られる→

坂祝駅から乗った列車は定刻より2時間も遅れていました。高山線のダイヤは完全に末期的状況に陥ったようです。ショボすぎ。しかも都会のラッシュ並みの混雑ぶり・・・。

この日は岐阜県可児(かに)市で宿泊。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→

97日目 真夏の美濃攻め(3)~養老公園

2014-10-24 23:31:07 | 東海
2014年8月22日(金)


養老町には、この町観光の大看板である「養老公園」があります。
この公園は養老山の麓にあり、東西1800メートル・南北600メートルある広大なもの。
公園に「滝谷」という川が流れていまして、それに沿って山に向かいますと、「養老の滝」という居酒屋滝に辿り着きます。

この滝は、水がお酒になっていた親孝行な息子・源丞内(げんじょうない)の伝説がありまして、「まんが日本昔ばなし 」でもやっていたし誰でも知っているはず。
と思いきや、私の周りでは呑み屋は知りこそすれ、滝やその昔ばなしはほとんど知られていない(私の周囲だけ?)。寧ろ、房総半島の山奥の養老渓谷にある滝をイメージするらしい・・・。
仕方ないと言えば仕方ない。

↓さて、10時すぎ、美濃高田駅の隣の養老駅で下車。

たくさんの瓢箪がブーラブラ。
瓢箪といえば豊臣秀吉。確かに一夜城で有名な墨俣城は近くだけど、この町とはほとんど関係なさそう。

駅名標も瓢箪柄→

優しい表情の源丞内がお出迎え→

駅前をみてビックリ。何もない・・・。
実は駅前にレジャー施設が広がっていたものと勝手に想像してもんだから。

↓という訳で、エンヤコラ坂を登って公園へ。つ、つらい・・・。


養老ランド→
見ての通り、遊園地なのですが、平日とは言え、夏休み真っ只中でも人っ子一人おらず。そんな中で大きなボリュームの音楽だけは鳴り響く様は寂しすぎる。

楽市楽座という所で休憩→

↓アマゴの甘露煮がのった「天命そば(\700)」を戴きます。


楽市楽座から見下ろすと、→
一面緑だけのゴルフ場にいるかのようないい眺め。

天命反転地→
平成7年にできた、養老公園HP曰く「平衡感覚や遠近感に揺さぶりをかける構造になった」芸術作品だそう。13のスポットがあり、それぞれに名前が付いているのですが、写真のは何というんでしょ?

さて、川沿いの散策路を遡ってみましょう。

養老にも「渡月橋」があります→

↓滝に近づくにつれ坂もキツくなります。




やれやれ、ようやく滝の下に→

ふ~、やっと着いた→
高さ32メートル、幅4メートルの、日本の滝百選の一つ。
奈良時代、女性の元正天皇は、美濃に「万病を癒す薬の水」があるとの話しを受けて、この滝に行幸。飲んでみると「お肌がスベスベになったし、痛いところもすっかり治っちゃった!」とお喜びになり、「この水は老いを養う若返りの水に違いないわ」と年号を養老に改元したという、このいかにも女性ならではのエピソードが、続日本紀(しょくにほんぎ)という歴史書に実際に載っているようです。
確かめたかったのですが、我が家にある続日本紀は後篇部分、その話しは前篇に記載されているので、今度図書館行って見てみます・・・。

改元されたのは西暦717年で、3年後の2017年、「養老改元1300年祭」が開催されるようです。
果たして、どのようなお祭りになるのやら。

↓水しぶきがすごく、清涼感たっぷり。
 
マイナスイオンを思いっきり浴びちゃお!

菊水霊泉→
「日本の名水百選」に選ばれた名水中の名水。
ただ、湧いているのはこの上にある養老神社境内で、水がお酒になっていたのはそこだと言われています。
飲めば若返ると天皇も宣わっているし、ならば携行していたペットボトルになみなみ注いで戴きます。ありがたや。
残念ながら昔話しみたいに水が酒になってはいませんでしたが、果て、どれくらい若返ったんだろうかな?数日分?それとも数秒分?

この日の15時から「養老流しソーメン試食会」があるようですが、そんなにも待てず、それにお子様向けの催しだろうから、次に向けてここを去ります。

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97日目 真夏の美濃攻め(2)~養老鉄道沿線

2014-10-22 23:24:03 | 東海
2014年8月22日(金)


↓養老鉄道の終点、揖斐川町(いびがわちょう)の揖斐駅に8時前に到着。

平日なのでこれからお勤めの人が多い中、こちらは趣味の道楽。何となく申し訳ない気分。

↓町の中心部は駅から少し離れているので、「揖斐川コミュニティバス」を使います。


↓町名の由来となった、まさに「揖斐川」(岡島橋より)

堰っぽく見える建造物、やっぱり「岡島頭首工」という可動堰なのですが、前島橋という橋でもあります。

これは帰りのバスにて→
橋は岡島橋。
簗(やな)とは魚を捕る仕掛け。揖斐川には鮎を捕まえる簗場が多く、鮎は町の名物。
「○○簗」とあるのは鮎料理を味わえるお食事処で、鮎の塩焼きが大好物の私にとっては魅力的な誘惑の幟。

↓(426)岐阜県揖斐(いび)郡揖斐川町役場


今年は来月(11月)9日開催→
我こそは、という方、今年はとっくに締め切っているので来年ですね。
毎年中々の著名人がゲストなどで来るようです。それだけでもという方は是非お出かけあれ。

↓役場そばを通る国道303号線から417号線をブラついて、再びバスで駅に戻ります。








大垣市の金生山(きんしょうざん)鉱山→
標高217メートルの我が国屈指の石灰石鉱山。山から見る夜景は結構綺麗みたいです。
ただ、山容は見るも無残な姿に成り果てて・・・。

大垣で桑名行きの電車に乗り換えます

↓養老鉄道沿線には多くの自転車道があるらしく、電車に自転車を載せてもいいようです。

このおねえさんにはカメラマンらしきが同行していたので、雑誌か何かの撮影っぽい。
こういう人と一緒にサイクリングできたらいいよなあ、なんて妄想考えにずっと耽っていたバカで情けない私。

↓美濃高田駅に9時半頃到着。


(427)岐阜県養老郡養老町(ちょう)役場
垂れ幕にあるとおり、今年の11月3日で還暦を迎える養老町。

↓ここ高田は養老町の中心部



九里半街道という古道がこの地区を通り、交通の要衝として発展したせいか、今現在でも由緒ありげな古い建物が目立ち、昔ながらの商店街が続いています。


この家横のトンネル?を潜るとどうなっているのか、かなり気になりましたが、とてもそんな度胸はなく・・・。

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96・97日目 真夏の美濃攻め(1)~養老鉄道沿線

2014-10-20 23:33:08 | 東海
2014年8月21日(木)・22日(金)


今夏の旅第3弾は、私のお気に入りの都道府県の一つ・岐阜巡りです。

↓んでもって、出発はいつもの如く「ムーンライトながら」。

まあ、相変わらずというか、もはや付き物となったというか、今回は若者の集団が夜遅くまで大声でくっちゃべっての安眠妨害。
ホント、夜行列車の相乗り客には恵まれないでござんす・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

早朝の大垣駅では恒例の運動会→
どう見てもいつもは緩慢そうなメタボな感じの人も、この時ばかりはやたら機敏になるのだから可笑しくなる。

さて、私はといいますと、ここでJRをしばらく離れまして、平成19年までは近鉄だったという(それをつい最近知りました・・・)養老鉄道にしばらくお世話になります。

養老鉄道・大垣駅→

6時19分、広神戸駅に到着→

↓(424)岐阜県安八(あんぱち)郡神戸町(ごうどちょう)役場

読みは「こうべ」ではありません。町章はズバリ「神」。後光が差しているような建物。

↓役場でも、街中でも町民総出で?ラジオ体操

健康的で見ていても気持ちの良くなる清々しい朝です。
私も乱入して一緒に体操したい気分でしたが、それはやはり気が引けるので、せっせと歩いて健康増進に努めます。

日吉神社大鳥居と御旅所(右)→

んで、鳥居の所にある池?は何でしょ?→
最初は道路が陥没して水が溜まってそのまま放置しているのかなと思いましたが、石垣もあるしそういう訳でもなさそう。

日吉神社に入ってみます→
弘仁8(817)年、最澄によって創建。もちろん安全祈願をここで。

参道→

三重塔→
2つ上の写真の右にちらりとある狛犬は、三重塔とともに国の重要文化財らしいです。

さて、この神戸町では毎年5月3・4日に「神戸山王まつり」という例大祭が行われます。
この祭りは、近江国の日吉神社の分霊を祀ったのを事の起こりとしているという。
近江国、つまり今の滋賀県。滋賀県といえば琵琶湖。あの大鳥居の前の水溜りは何と琵琶湖をなぞらえた湖、ではなく川!だったのですね~。
「神戸山王まつり」では、松明の照らされた中を男たちが神社拝殿から神輿を担いで、この川を渡る「朝渡り」と呼ばれる勇壮な「神戸の火祭り」があるようで。
一度見てみたい・・・。

↓次に広神戸駅から2つ目の池野駅で下車し、少し歩いてみます。


↓何となく「美濃」って感じの(と思うのは私だけ?)長閑な町


↓割とあちこちに散在するこの町の「閻魔堂」


廃神社?→
あまり見ないけど、一種独特の雰囲気を醸し出す廃神社。
何だか悪運が付きそうなので、ここはくぐりません。

北池野駅の南側→

↓(425)岐阜県揖斐(いび)郡池田町(ちょう)役場

Wikipediaを見ると、『町ぐるみで「ゴキブリ追放運動」を行い、町からゴキブリが消えたというエピソードで知られている。』とある。
ゴキを消し去るなんてウソみたいな話しですが、何を使ってもどうにもならんとお手上げのお方がいらっしゃれば、最後の頼みとして池田町役場に聞いてみて下さいな。

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95日目 台風11号接近中の関西(3)~大阪

2014-10-18 23:53:37 | 近畿(大阪・兵庫)
2014年8月9日(土)


↓JR大阪環状線の弁天町駅から2つ隣の福島区・野田駅へ。


まずは駅周辺を歩いてみます。
大阪の都心にありながら、レトロな雰囲気がちらほら感じられるところ。

土留めのようなレンガの壁→

奥の家なんかは立派な塀で囲まれている→
かなりのお金持ちのお屋敷のカホリ。

明治時代に建てられた長屋らしいです→
大阪でも珍しく、空襲でも焼けずに済んだといいます。
手前から2軒目にある赤い電球は産院を示すとの事。

ついでに廃れ感たっぷりのレトロな?看板→

〔34〕大阪府大阪市福島区役所

区役所から少し歩いて大開公園→
「道」とある石碑は、経営の神様との異名を持つあのお方、「松下幸之助創業の地記念碑」。

公園から100メートル余り離れた学校裏にある案内板→
この反対側で、松下氏は借家の地下を工場に改造して、パナソニックの前身である松下電気器具製作所を設立しました。今では普通の一軒家がそこにあります。

野田阪神本通商店街→

花火大会、やるのかなぁ?→
まさにこの当日だった訳ですが・・・。結局、翌日の順延日も含めて中止
開催を当てにしていたコンビニの悲惨な様子があるブログに載っていました。お気の毒なんだけど、つい笑ってしまう・・・。

↓海老江駅からJR東西線で御幣島(みてじま)駅へ。

御幣島とは、昔、淀川などによって運ばれた土砂が堆積して形成された「難波八十島(なにわのやそじま)」の一つ。この島の由来は、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮半島南部を征伐から帰ってきた際に、この地で住吉神を祀り、その時に御幣(お供え物)を献上したからといいます。

駅出口のコンビニで一休み→
おにぎりもタイガース仕様(日本シリーズ出場決定、よかったね!)。
関東では焼き海苔がほとんどなので、味付け海苔が大いに使われている関西のおにぎりが羨ましい。

〔35〕大阪府大阪市西淀川区役所

大野川緑陰道路→
その名のとおり、大野川が流れていたらしいですが、汚染により昭和47(1972)年に埋められてしまったといいます。
ここを進むと江崎記念館に行けます。そう、あのグリコの創業者の記念館。ただ予約をしないと見学できず・・・。おまけにとうとう雨も降り出してきてしまいました。

実は、傘を鶴橋駅のソバ屋で置き忘れてしまっているので、このままウロウロするのはイヤすぎる。
なんとも中途半端な最終日になってしまいましたが、再び鶴橋駅に行き傘を取り戻してから東京に帰ることにします。

17時半頃、新大阪駅にやって来ました→

四国はかなり台風の影響を受けているよう→
帰省する人もいるだろうし、これは痛すぎる。

↓汗まみれになった顔を洗ったり服を着替えたり(ちょっとしたエチケットとしてね)、新幹線で飲み食いするものをあれやこれや選んだり、お土産物を買ったりしてから、18時半発の「のぞみ138号」に。

プワ~~ン♪

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95日目 台風11号接近中の関西(2)~大阪

2014-10-17 23:49:02 | 近畿(大阪・兵庫)
2014年8月9日(土)


前編の終わりでJR関西線・郡山駅でさも困った事態に陥ったように書きましたが、実はそれほど深刻ではありません。なぜなら近鉄線への振替輸送が始まっているからです。

大雨の中、近鉄郡山駅まで歩くのはしんどいなあと思いつつ、かと言っていつ電車が動くのか全く見当がつかないので、JRに見切りを付ける事にしました。
なので、予定していた王寺町・三郷町(さんごうちょう)・八尾市訪問は敢え無く露と消える。

駅改札→
困った人多数(含む私)。

振替輸送の案内→
考えてみると、振替輸送は初めての経験でした。
でも、台風が来たかのような雨風なので、外に出るのも勇気がいるんだよな~。

踏切でも困った事態に→
遮断機が降りたままなので、渡れない車で溢れ返っている。
開けてあげればいいのに・・・。緊急車両でも来たらどうするんだろ?

しばらく駅の出口で雨宿りしていましたが、一向に雨脚は衰えそうにないので、諦めて駅前の道を歩きだしたところ、プワ~~ンという高らかな音。

ああ゛っ、やられたっ!→
でも、再びどこかの駅で立ち往生する可能性は高く、そうなった場合で、近くに別の私鉄(近鉄しかないのですが)がないようなところだったら、いやいやもっと最悪の場合、駅ではない所でも止まるかもしれないので、やっぱりここで近鉄に乗り換えて正解(だと思いたい)。

しかし、ほんの8か月半前に訪れた町を再び歩くハメになるとは思いもよらなかった!
因みにその時の事は、コチラから
でも、土地勘はまだ鮮明に残っているので、お蔭でうろたえる事なく近鉄の駅に行けるのは不幸中の幸い。

↓せっかくなので、前回入らなかった大和郡山市役所前にある「本家菊屋本店」で、豊臣秀吉が大絶賛したという「御城之口餅(おしろのくちもち)」を味わおう。


ホッと一息→
これで\300。
お店の人によると、関西線はよく弱音を吐いて止まってしまうらしいです。
だから、客を近鉄に取られてしまうのだな。

近鉄郡山駅→

振替票→

西大寺で乗り換えて、12時20分、大阪・鶴橋駅に到着。

鶴橋駅の鶴橋庵でお昼→
「にしんそば」(\400)、うす味でおいしい。

今後は大阪環状線外回りに乗って、それ沿いの町の散策をすることにします。

まずは大正駅へ→
大阪環状線からでしか見たことなかった京セラドーム大阪を間近に見たいがために大正駅に降りただけですが・・・。

↓この日は阪神対広島15回戦が行われるとあって、球場前は湿気熱気ムンムン。

赤ヘル党の私とあっては試合を見たい気は山々でありましたが。
それはさておき、ドームとはいえ試合をやるとはいうことは、台風がやって来るのはまだ先らしい。
こちら大阪は曇ってはいますが、雨は全く降っていません。
奈良の大雨は一体何だったんだろう?

近くのイオンは客でごった返しています→
野球観戦の人も多いのですが、台風に備えて買い込んでおこうという人たちが多し。

大阪ドーム千代崎港より→
目の前の川は「木津川」、橋の手前で「道頓堀川」と合流。

弁天町駅へ→

交通科学博物館→
お休み・・・。ではなく、何とこの4月で閉館でありました。残念・・・。

仮囲いの隙間から屋外展示を覗いてみます→

駅そばのやたら目立つノッポなビル→
オーク200・1番街という、オフィス・ホテルなどが入ったビルらしいです。

〔33〕大阪府大阪市港区役所
この区にある日本で最大級の水族館「海遊館」や二番目に低い山「天保山」はいずれね。

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95日目 台風11号接近中の関西(1)~奈良

2014-10-08 23:48:47 | 近畿(奈良・和歌山)
2014年8月9日(土)


「今年最強」と謳われた台風18号が去って、ホッとしたのも束の間、はたまた今度は「猛烈な」台風19号が日本上陸を窺っているようで、目下、頭を抱えている私であります。
フィリピン沖で900ヘクトパスカルというから、今度は本当にヤバくないかい?
いや~困った困った、せっかくの3連休にやって来るとは・・・。


さてさて、話しは今年8月初旬の関西旅行へ戻します。
旅行中の懸念でありましたそれまで亀のようにノンビリ進んでいた台風11号が、いよいよ日本列島間近という所まで来まして、そのせいでこの9日は全国的に大雨に見舞われた日でありました。

私が泊まったここ奈良市では、起きた時から既に風は強く、雨もかなり降っていましたので、恒例の早朝散歩をどうしようか迷っておりました。

この日は奈良市で観光するつもりは元々なかったのですが、たった一つだけ絶対に見ておきたい場所がありました。
なので、やめておけばいいのにノコノコと出かけてしまいます。

↓早朝6時の国道369号線(大宮通り)



この通りを西へ。

(423)奈良県奈良市役所
言わずと知れた奈良県の県庁所在地。市のHPを見ると人口は約36万人。

イトーヨーカドー奈良店→

↓ここは昔、「長屋王」の屋敷があったとする案内がありました。

長屋王? ああ左大臣長屋王の事か・・・。謀反有りとの理由で藤原氏に邸宅を囲まれ・・・などと、昔、高校日本史で習った事を思い出してみる。
そして、ここでお亡くなりになったのね。

さて、見ておきたかったものとは・・・?

これ、平城宮跡→
和銅3(710)年から延暦3(784)年までの日本の都とされた平城京(その間あちこち遷都したことはあったけど)。東西4.2キロ、南北4.7キロという広さ。
その中にあって平城宮は天皇のお住まい、役人が執務を行っていた場所。

朱雀門(すざくもん)→
幅75メートルの朱雀大路の北方に建つ高さ22メートル、間口25メートルの南側の正門。
平成10年に復原。

ホテルを出た時もかなりの雨降りでしたが、ここに来るまでにさらに強さを増しておりまして・・・。

小川のようになっています→
とてもとても中に入れたものじゃないわ・・・。
平城宮跡内を見て廻りたかったのですけど、仕方ない、これを見てホテルに引き返します。

↓国道24号線との「二条大路南一丁目」交差点

水しぶきが凄まじい。水上カーレースを見ているようです(笑)。

いやはや大失敗でした。ガイドブックは濡れて紙がくっついて捲れなくなり、ズボンはベタベタ、靴はグッチョグチョ・・・。
ガイドブックやズボンはどうでもいいのですが、靴は当然すぐ乾くはずもなく、結局この日はこの気持ち悪い状態のままで行動するハメとなってしまう。

天候が天候なのでチェックアウトする気も失せ、ホテルで時間の限りグダグダするも、当然いつまでもここにいられるハズもなく、意を決してJR奈良駅へ。
前の2日間は「青春18きっぷ」を使っていましたが、この日は大阪経由千葉までの乗車券を買い、王寺駅へ向かいます。

奈良駅9時53分で出発!→
の予定が発車間際になって、大和川の水位が上がったとのことで、急な運転見合わせ。

10時ちょうどに電車は億劫そうに動き出しまして、最初の駅・郡山に停車。

郡山到着15分後→
動きません
風もかなり強く、駅名標もユラユラ揺れています。
川増水によるしばらくの様子見で、運転再開の見通しが全く立たないという。
さあ、どうする?!

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参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→

94日目 2日がかりの和歌山線走破(6)~紀の川市・岩出

2014-10-06 23:51:59 | 近畿(奈良・和歌山)
2014年8月8日(金)


「紀ノ川沿いにはそれほど見たい行きたい所もない」というくだりで前編をスタートさせました。
が、特に興味があるわけではないですが、話しのネタとして関西では比較的知られているらしい紀の川市・粉河寺(こかわでら)へ行ってみます。

15時、粉河駅に到着→

駅前→
可愛らしい坊主がお出迎え。童男大士(童男行者)像。
以下、wikipediaにると、
「紀伊国の猟師・大伴孔子古は宝亀元年(770年)のある日、山中に不思議な光を発する場所を見つけて、そこに小さな庵を営んだ。これが粉河寺の始まりという。
その後のある日、孔子古の家に一人の童子(童男行者)が訪ねて来て、一晩泊めてくれと言う。童子は宿を借りたお礼にと言って、7日かけて千手観音の像を刻んだ。
8日目の朝、孔子古が見てみると童子の姿はなく、金色の千手観音の像だけがあった。孔子古は殺生をやめて観音を信仰するようになったとのことである。」
つまりは、この童は千住千眼観世音が御姿を変えられたものということです。

粉河とんまか通り→
お寺さんへ続く門前町の雰囲気が漂う参道。
ただ、道路の拡張によって古い建物はずいぶんなくなったという。

宝永4年(1707)建立の「大門」→

大門の前にある「大神宮」→
ここには樹齢1000年余の御神木があります(右の木)。
「御神木に触れてパワーを頂いて下さい」との立札があり、ならばとしばらく触れてみる。
たちまち蚊の大群に襲われ、寧ろパワーを吸い取られてしまった(笑)。

中門→

本堂→
粉河寺は西国三十三箇所観音霊場第三番札所。
現在あるものは享保5(1720)年に再建されたもの。
近くで作業をしていた坊主に「ここは何宗か」聞いてみたら、聞いたことのない「粉河なんとか宗」だと。どうやら天台宗から独立したものであるらしい。

↓その古い伝統のある建物に全く不釣合いな幟だこと。


こんなもんかな、とお寺さんを出ましたが、結局話しのネタになるようなものはなかったなぁ・・・。

(421)和歌山県紀の川市役所
最寄駅は粉河駅の2つ隣、打田駅。

さて、次にこの日のラスト、岩出市へ。

↓岩出駅と駅前通り




(422)和歌山県岩出市役所
平成18年に市制を敷いたばかり。
市のHPの人口統計を見ると53000余人で、しかも少しずつ増加している和歌山県では珍しい自治体。

岩出駅から一つ和歌山寄りの船戸駅まで歩いて行きます。

紀ノ川のほとりにある「大宮神社」→
和銅5(712)年創建。
毎年10月の第1土曜日に行われる(つまり、おととい!)「よみさし祭」は多くの人で賑わうらしいです。

↓紀ノ川(岩出橋より)
←上流方向

←下流方向

船戸駅からは17時50分発の電車に乗りましたが、かなり暗くなってきました。
この日の和歌山市の日没は18時54分。
それまでにかなり時間があるので、普通は明るいはずなのですが。
そう、近年の夏の夕方の恒例になりつつあるアノ魔の手が忍び寄る気配・・・。

そんなこんなで18時すぎに和歌山駅に→
やっと、王寺からの87.5キロを乗り切りましたよ・・・。疲れたわい。
やっぱり雨が降り出しました。この時はさほどでもなかったのですが、30分もするとバケツをひっくり返したような雨に進化。

和歌山と言えば、やっぱりラーメンでしょ→
駅ビル「MIO」の地下街にある「丸美商店」の中華そば(\680)。
豚骨と鶏ガラでじっくり20時間煮込んだ、このお店ご自慢の一品。
確かに旨い
ラーメンのスープで煮込んだという「おでん」も気になったけど、それは今度和歌山に来た時の楽しみに取っておこう。

連泊で予約していたホテルへ戻るため、天王寺経由で奈良へ。

参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→
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94日目 2日がかりの和歌山線走破(5)~橋本・かつらぎ

2014-10-04 23:58:57 | 近畿(奈良・和歌山)
2014年8月8日(金)


丸2年ぶりに和歌山県にやってまいりました。
ですが、この紀ノ川沿いにはそれほど見たい行きたい所もないので、町を適当に散策して予定していた残り4つを締めくくる事にします。
まずは橋本市へ。

橋本駅、12時すぎ着→

↓これを見た瞬間、この両方のギャップに思わず吹き出してしまう。

万葉の歌碑という高尚なものの価値がガタ落ちしているような気がするんだけど。
それに楳図かずお氏は五條市育ちらしいけど、隣町だから構わんということか。
どうも橋本市は細かいことはあまり気にしない自治体のようです。

駅前の廃れた商店街→

↓低地に降りると、さらに酷い商店街が現れるのも五條市と同じ(笑)。


この橋本市、高台に駅があり、川沿いの低地に国道が通っていて、そちらの方は現代的な町の様子であるのは、五條市と似た感構造。
県は違えど、そこはやっぱりお隣さん同士だけのことはある。

国道24号線→

紀ノ川→
大台ケ原から発して、和歌山市で海に注ぐ全長約140キロの川。

(419)和歌山県橋本市役所
昔から交通の要衝で、近世初期に応其(おうご)上人がここに橋を架けたからここは、橋本。
極めて単純明快(笑)。

役所敷地にはこういう記念碑があります→
右のレリーフは橋本出身の前畑秀子氏。「前畑、がんばれ、がんばれ」のあのお方。
今年は彼女の生誕100周年というので、記念展だの何だの催してくれているそうな。
金メダリストとなると、いつまでたっても世間からの待遇が格別ですねえ。やっぱり2位じゃダメなんです!
因みに左のお方も橋本出身の水泳金メダリストの古川勝氏。この方は前畑氏によって完全に隠れた存在となっている感があり、ちとお気の毒。

↓内陸部の旧・大和街道を通って駅に戻ります。



確かに古道の雰囲気は充分に感じ取れた道でした。

続いて、橋本から5つ目の大谷駅へ→

ここはさらに輪をかけて田舎→
手前の信号は旧大和街道との交差点、さらに奥では国道24号線とのT字路。

↓(420)和歌山県伊都(いと)郡かつらぎ町(ちょう)役場

フルーツが特産。町名は和泉(いずみ)山脈の葛城山から。
前日にも奈良県葛城市に行きましたが、すぐ近くではあるものの、その「葛城」とは違う意味の和歌山「葛城」。
大阪と奈良の境の金剛山地にも葛城山があり、奈良のはそちらが由来なんでしょう、でも紛らわしい。

ここからは降りた大谷駅に戻らず、橋本方向の妙寺(みょうじ)駅まで歩くことにします。

↓紀ノ川のほとりにある「かつらぎ公園」に来ました。


上流方向→
橋は「三谷橋」。

↓かつらぎ公園の横の公園にはでっかい仏様がいらっしゃいます。

平和祈念像。高さ18メートル、昭和59(1984)年に完成。

妙寺駅→
この駅は、かつらぎ町にある世界遺産「丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)」の下車駅として盛んに宣伝していましたが、そもそもこの町に世界遺産があったとは全く知りませんでした、不覚。

参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→

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94日目 2日がかりの和歌山線走破(4)~五條

2014-10-02 22:31:50 | 近畿(奈良・和歌山)
2014年8月8日(金)


前日に続きまして、ひたすら和歌山線沿線の市と町を訪問します。

↓五条駅と駅前の通り



駅は五ですが、この駅があるのは五市。
音は同じでも、市町村名と駅名の漢字表記が違うのを紹介するのはこれで一体いくつ目だろう。

まだこの日は夏の甲子園は始まっていません。台風接近のため次の日の開幕が2日順延したんでしたな。
強豪校で有名な智辯学園が五條市にあったとはこの日初めて知ったわ。てっきり奈良市にあるのかと思ってました。8月15日に登場し、これまた強豪校の高知・明徳義塾と対戦し、4-10で完敗。

↓駅前の通りを少し進んだところから、見下ろす。

坂下の横切る道路は国道24号線。
2年前のGW、日が暮れ真っ暗な中を自家用車で五条駅に立ち寄りましたが、うん、確かにこの坂を登りました、すっかり忘れていたなあ。

この通りの脇に伸びる「商栄会商店街」→
ちっとも「栄」えていないね・・・。
さあ、地方再生なるか、安倍さん!

この商店街は「商励会通り商店街」に繋がり、国道方向に下って行きます。
そして、国道を挟んでさらに商店街は伸びています。

かつてはここはアーケードになっていたらしい→
察するに、さぞ近寄りがたい薄気味悪い商店街だったことだろう。

(418)奈良県五條市役所
平成の大合併で全国でも指折りのイビツな形となった市。
江戸時代、五條は天領で、市役所のあるこの場所に代官所があったといいます。
文久3(1863)年、朝廷内の尊皇攘夷派集団・天誅組は倒幕のため代官所を急襲、天領を奪い朝廷に差し出すつもりでいたところ、朝廷内で尊皇攘夷派が一掃されてしまい、天誅組は一転「反乱軍」にされてしまう。
その後天誅組は何とか抵抗していたものの、結局壊滅。ただ、尊皇攘夷派による初の反幕府武装蜂起が五條で起こったことで、五條市は「明治維新発祥の地」として吹聴しております。
近くには櫻井寺というお寺さんがありまして、そこは天誅組の本陣があったところ。

栗山家住宅→
慶長12(1607)年!築の建築年代がはっきりしている民家では日本最古。しかも人が住んでいるという。
築年がはっきりしないものでは、神戸市の箱木家住宅というのが日本最古の民家らしいです(室町時代築と推定)。

さあ、いよいよ五條観光の主菜です。

↓五條新町



平成22年に伝統的建造物群保存地区に選定された、かつての紀州街道の宿場町。
ならば、電線電柱をのけちまえ!と思うんですが。

大正時代築というやたら目立つお店→
ばあさま一人でのんびりと商売していたお餅屋さん。

売り物はこれだけ→
でも笑うなかれ!全部手作りの、添加物を一切使わない心のこもった一品。
左から普通のお餅、あん餅、揚げ餅だったか?(忘れた)
私は、あん餅を2つ(合計\200)を購入(油は控えないといけない年頃なので・・・汗)。

↓ネコは客が来ても横たわっていてピクリとも動こうともしないし(苦笑)。


↓さらに歩いて行くと、この界隈に相応しくない巨大なコンクリートの高架線が見えてくる。


五新線鉄道跡→
五条駅と和歌山県・新宮駅を結ぶ鉄道で、昭和14(1939)年に建設が開始され、日の目を見ることなく昭和57(1982)年に工事は中止。
というか、こんな地方でそんな頃まで工事が為されていたこと自体が驚きである。

高い所から、これまで歩いてきた道を写す→

大和二見駅から電車でガタゴト開始→

駅前のしもた屋→
♪どなたか買って(借りて)下さいナ(涙)

参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→

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