ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(1)

2017-01-29 13:48:31 | 山陰
平成28(2016)年9月16日(金)


このブログを見てくれている人(いるのか?)のほとんどが旅好きであろうから(多分)、既に周知の事と見做して詳しく述べる事はしませんが、来年3月末で引導を渡されるのが決まり、カウントダウンが始まったJR三江(さんこう)線。
↓その一番列車(5時44分発)に乗るべく、まだ夜が明けず真っ暗な三次(みよし)駅に来ました。

一番を逃すと次は4時間後までありません。
もとより三江線は列車本数が極めて少なく、二番列車でこの日の行動を起こすと非常に苦しくなるので、早起きは仕方なし。
切符は前日のうちに三次⇔江津(ごうつ)の往復(¥3,880)を買っておきました。

もし、廃止前までに乗ろうという方は、「ぶらり三江線WEB」を参考にして下さい。
三江線利用促進のため、三江線改良利用促進期成同盟会・三江線活性化協議会が立ち上げたHPだったのですが、残念ながら水泡に帰してしまいました。
でも廃止されてもそのHPは残してくれれば観光に大いに役立ちそう。

↓三江線を知らない人のために一応地図を載せときます(ぶらり三江線WEBより)。


5時半すぎ、単行気動車が入線→

↓発車して直ぐに中国一の大河・中国太郎「江の川(ごうのかわ)」沿いを走るようになります。
 
少しでもバランスを崩したら、それこそ川へ真っ逆さまになりそうなスリルある「際」を走るので、慎重に慎重に人の駆け足並みに?しか速度を出しません。
でもノロノロしているのは、線路上に落石があった場合、安全に止まれるようになんだとか。

この日は平日、しかも早朝の列車なので、他にこれに乗ろうという物好きはいないだろうと思いきや、やっぱり他に誰もいません。降りる予定の浜原駅までずっと一人なんだろうかねえ・・・?。

ところが何故か途中の船佐という周囲に何にもない駅から一人若者が乗ってきて、何でこんな所から?と思っていたのも束の間、驚くべき事に次のこれまた何にもない所木駅でさっさと降りてしまう。
どうやら冷やかし記念乗車であったようですが、その御仁はどこから湧いてきてどこへ消えていったのだろう?

乗ること45分、作木口(さくぎぐち)駅→
「ゆっくりのんびり旅」において初めての島根県入り。
邑智郡邑南町にある駅ですが、しばしば難読地名として登場する郡と町。
おおちぐん・おおなんちょう
でも右側に流れる川の対岸は広島県三次市。

↓一人ぼっちのなのは変わらないまま、同じく邑南町の口羽(くちば)駅に6時38分着。
 
私の乗った列車は30分程止まります。

せっかく通ったのに・・・→

せっかく応援しているのに・・・→
悲しいのぉ、哀しいのぉ。
因みに、横断幕右下に書かれている「江の川鉄道」とは三江線の愛称。
ところが皮肉にも公募による愛称が決定したちょうど一年後に廃止の正式表明となる。

せっかく長い間止まるので、町をふらついてみます。

↓口羽は江の川の支流である出羽川が、陸上トラックのように半円弧を描いているような中にある集落。
赤褐色屋根瓦が印象的な古い町並み。
 
江戸中期から盛んだった「たたら製鉄」は明治時代に衰退、そこで林業が基幹産業となる。

↓口羽駅から2つ目、鉄オタには超有名な宇都井(うづい)駅から見下ろす集落。

駅ホームの高さは日本一(地上20m)の、いわゆる「天空の駅」。
そしてよく言われる事ですが、エレベーターがないので、自力で116段の階段を上らなければなりませぬ。
一度でいいから下から見上げてみたいし、階段も上り下りしてみたいけど、そもそも廃止されたらここ、どうなるんだろう?

↓石見都賀・石見松原の両駅から一人ずつ乗ってきて、私も入れて3人の乗客となり、7時45分浜原駅に到着。

邑智郡美郷町(みさとちょう)にある駅。

↓私以外には下車する人はいなかったのですが、駅前は生徒が数人いてそこそこの賑わい。

でも誰一人鉄道は使わないんだな・・・。

↓ここらでは通学にはスクールバスが幅を利かせているようなので、三江線は必要ないらしい。


駅周辺を散策します。
桂根八幡宮→
14世紀末に創建された神様。
私の背後にも鳥居があります。つまり列車は二つの鳥居の間を通ります。

江の川の土手へ。
浜原大橋→

橋から見る下流方向→
ひときわ目立つ高い山は三瓶山(さんべさん)。標高1,126mの活火山。

土手に沿う街道の集落→
浜原は川舟の中継地として栄えたようですが、何となくですが雰囲気は感じられますなあ。

これより山を越えて、美郷町の中心をなす粕渕(かすぶち)地区へ歩いて行きます。

 

参考→

162日目 西日本一の巨大都市

2017-01-27 23:58:38 | 山陽
平成28(2016)年9月15日(木)


広島県に来たんだなあ、と実感する横断幕→

↓こんな横断幕が掲げられている備後庄原(びんごしょうばら)駅の周辺は、空き地だらけでスッカスカ。

スゴイ廃れっぷりだと思ったのですが・・・。

こういう事情でした→
3年後にはこのような駅周辺を目指すようですが、市役所HPにはこの事業の目的が載っています。
要約すると、「駅前を公共交通の乗換拠点にして、活気のある市街地を創り出す」。

ここ庄原市の地図を見ますと、やや距離を開けて駅を囲む感じで国道が通っていて、そこには例の如くロードサイト店が充実している模様。
現在は見廻しても歩行者がほとんどおらず、空洞化に拍車がかかっているようではあります。
事業が首尾よく完成して、果たしてそれらにも負けない魅力的な駅前になれるのか、興味のあるところ。

坂道となっている駅前からの道を登ると市役所に出ます。

(614)広島県庄原市役所
広島県東北部に位置する庄原市は、平成17年に昔の庄原市と周辺の6つの町が合併して成立し、「"げんき"と"やすらぎ"のさとやま文化都市」を標榜する都市。
特筆すべきは、1,246.49km2あるというやたら肥大化した面積。

自治体面積のランキングは完全に東日本の独壇場で、上から見ていくとようやく13番目に西日本が顔を出しますが、それが庄原市。
こんなにデカくても37,000人ほどしか住んでいないので、1km2あたり人口密度はわずか30人。
因みに第一位は岐阜県高山市(2,177.61km2)で、大阪府や香川県よりもデカい超ド級サイズで、ほぼ東京都並み。

役所の東には桜の名所「上野公園」があります→

↓広島と言えば厳島神社。だからか?ここにも厳島神社があったりします。

本家とは違い、ささやかな祠。

↓駅から役所を結ぶ坂道の西側にある、古くからの商店街。
 


そろそろ奥様方が晩御飯の材料を買いに行く時間のはずですが、誰もいません・・・。

庄原は河岸段丘の町。
なので地形的に、川沿いは低く、それを離れると高くなっていく傾向があります。
商店街近くから北の方向→
向こうに西城川が流れています。

商店街から西へ、坂を下って来た所→
交差点先には川が流れていて、それを越すと緩やかな登り坂になります。

↓その坂に面して「三日市(みっかいち)」という古い町並みがあります。
 

 
地名に「市」とあるとおり、古くから市が立っていましたが、当時ライバルであった隣の庄原とは商売の縄張り争いが絶えなかったとか。

↓18時2分発の列車に乗るべく、高校生しかいない駅ホームに。

ここ駅構内や車内は高校生のお天下で、大声出しても誰にも咎められることなくやりたい放題。
でも賑やかさは感じられるので、シ~~ンと静まり返った状態よりかはまだマシに思えなくもない。

30分乗って三次(みよし)駅へ→
この日から三次市に2連泊します。

カープ戦のテレビ中継を見ながら晩酌→
優勝決定直後だし、相手巨人に対して余裕の試合運びだったしで、周りは皆ご機嫌というか平和そのもの。

ところで、「こんな山ん中の町に来て刺身かよ!」とお思いでしょう。
ですがコレ、この地方の名物だったりします。その正体とは・・・?

わに

アリゲーターとかクロコダイルとかの類いが名物とは凄まじい食文化の地域だな、などと思ってはなりませぬ。
「ワニ」と言っても、「因幡の白兎」の神話でウサギの皮を剥いでしまったアヤツですな。
お味は普通に魚な感じでした(サメなんだから当たり前?)。でも筋が硬くて噛みきるの大変・・・。
名前のとおり、なかなか手ごわい相手でございました。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

162日目 日本一?空気輸送に徹する区間に乗ってみた

2017-01-24 23:58:09 | 山陽
平成28(2016)年9月15日(木)


今回は鉄分が異常に高くなってしまってますが、悪しからず。

↓バスを降りてからは、山陽と山陰を結ぶ大動脈・JR伯備(はくび)線の電車を乗り継いできましたが、ようやく岡山県新見(にいみ)市にある備中神代(びっちゅうこうじろ)駅に着きました。

JR芸備(げいび)線の列車に乗り換えるためですが、ここは分岐駅であることを全く感じさせない静かな山の中の田舎駅。

芸備線は起点駅は備中神代で、終点の広島駅までを結ぶ約160kmの路線。
起点を示す「0キロポスト」→
折れてそのまま放置されていて、いとあはれ。

新見駅からやってきた気動車→
乗客なんてほとんどいないだろう思っていましたが・・・
これが意外にも結構な客数で最後尾に立つのを余儀なくされる。
ま、写真を撮り易くなるからそれもいいけど。

この芸備線、広島に近い所はそれなりに利用者がいるものの、山間部では超閑散路線に化けます。
特にその途中の東城駅~備後落合駅の間は、クマか仙人しか住んでいなさそうな秘境を走る区間。
なので、一日上下僅かに6本!しか運行していないのも惨めですが、もっと凄まじいのは、

1日1kmあたり8人

しか乗っていないという、乗客数が少なくついに泣きが入ったJR北海道でさえも真っ青な区間でありまして・・・(「データで見るJR西日本(平成27年度)より」
備中神代~東城の87人も酷いけど、採算の取れるラインは8,000人/日あたりらしいので、もはや引導を渡されても仕方のない末期的状況にあるのは火を見るより明らかでございます。
全国にはこんな成績不良路線がゴロゴロしているので、再びローカル線大整理時代を迎えつつあるのでは?と思うワケです。

↓参考地図(地図の加工がド素人すぎてスミマセン)

真ん中上の「新見」という文字の左、3つの線が交わっている所が「備中神代駅」。
そこから左に伸びる線が「芸備線」。右の赤い矢印が「東城駅」、左の方が「備後落合駅」。

乗車から程なくして岡山県を出て広島県庄原(しょうばら)市に入ります。
↓ぽつぽつ降りていって、東城駅を出るといよいよ車内は閑古鳥のハズ。

一体何人が残るやら・・・。

ある種の期待はあっさり裏切られる→
20人程はいるでしょうかね。新鮮な空気が吸える普段とは違い?、空気が汚染され息苦しくなっています。
一日8人のノルマを余裕でクリア?したどころか、この日に限れば普段の4~5倍のもの乗客は見込めそう。平日なのにスゲーじゃん!
でも手放しで喜べないのです。ほとんどが団体客なのでありまして。
リタイアして悠々自適を満喫していそうな方ばかりでしょ?
やっぱり地元民がせっせと乗ってくれないと・・・ね。

↓線路が錆びていたら、あたかも廃線のような所を進みます。
 
車窓はいいです。
ここらは豪雪地帯。以前1回乗った事がありますが、その時はまさに真っ白になっていた時で、その風景もまたいいもんでした。

↓牛山隆信氏の言うところの秘境駅で、2016年度版ランキング第28位の内名(うちな)駅。

でも、駅前に家がデンと構えられていて秘境感は今一つ。

その家の窓からワンは我々を見守ってくれているし→

終点が近づいてきました→

備後落合駅、乗り換え時間は10分余り→
ある意味最強のターミナル駅。廃れっぷりがね・・・。

↓勿論過疎っている駅前。
 

駅そばにあった仕舞屋→
昔、夜行列車が走っていた頃、次の列車が出るまでの間、仮眠するために使われた旅館なのだという。

備後落合付近では、UMA「ヒバゴン」がいないかとずっと見まわしていたけど、いるワケないし・・・。
↓さらには、「日本のピラミッド」との異名を持つ葦嶽山(あしたけやま)を車窓から探すもどこか全く分からん・・・。

そもそも列車から見えるのかどうかも知らないけど。

備後庄原駅には15時24分に到着→

 

162日目 あっけない再会でした、鳥取県

2017-01-21 22:36:59 | 山陰
平成28(2016)年9月15日(木)


江尾(えび)駅からは瀬戸内海側に進み、根雨(ねう)駅へ→
全員といっていいくらい下車。
あたかもゲロして、胃が空っぽになった状態がごときの新見行き電車。

↓駅の目の前が学校?、楽でいいなと思いきや・・・。

↑(612)鳥取県日野郡日野町(ひのちょう)役場
でございます。
平成28年12月1日時点で、町の人口は偶然でも出来すぎの3,333人町のHPより)。

駅舎に飾ってあった看板→
夕方民放番組なんかでよく出てくる有名な神様!
その名の通り「全国で唯一の縁起の良い名前の神社(町HPの観光ガイド)」って事で、金運開運祈願に多くが参拝する神様。
話しのネタとして行ってみるのもよかったんですが、駅から4km程あるし・・・。歩くには遠すぎ、諦めました。

由来としまして、「鎌倉幕府によって配流された後醍醐天皇が隠岐島から脱出した際、天皇を奉じて船上山へと義兵を挙げた元弘の忠臣・金持景藤が必勝祈願をしたと伝えられています。(町HPの観光ガイド)」という。
確かに漢字は「金持」だけど、読みは?
実は「かねもち」じゃなくて「かもち」。
本当に「かねもちじんじゃ」だったら、これ以上ないスーパーゴッドになれたんだけどな・・・。

さて、根雨は日野町の中心集落。
江戸時代は鳥取藩領で、町を流れる日野川で砂鉄がよく採れたらしく、そのために「たたら製鉄」で大いに栄えた出雲街道の宿場町。
↓ですので、その名残りを感じさせてくれる建物が散見できます。
 
因みにこの道をずっと南に向かえば金持神社に辿り着けます。

大近藤家→
たたら製鉄で財をなした根雨の豪商。
ただ、大正期には輸入鉄によって「たたら」は戦前までには根絶やしになってしまったようです。

旧出店近藤(明治元(1868)年築)→
現在は日野町公舎(たたらの楽校根雨楽舎)で、近藤さんちの分家。

↓「水琴窟(すいきんくつ)」が街道沿いにいくつか置いてあります。

バケツから水を汲んで甕に流すと、しばらくして水の落下音が聞こてくるというもの。
ただ、街路の両端に流れている水路のせせらぎがジャマして(せせらぎはこれはこれで非常に心地よい)、音がよく聞き取れんのですよ・・・。

国道181号線を歩く→
秋になると越冬のため、日野川にやってくるようです。早速行ってみましょう。

ところが何とまあ、電車の轟音で喧しい場所に集うとな→

どれどれと、隙間から覗く→
まだ時期じゃないのは知っていたけどさ・・・。多い時は1,000羽いるのだと。
日野町の鳥、どころか鳥取県の鳥でもあるそうです、オシドリ。

国道から駅を見下ろす→

↓日野町を去って電車に揺られること20分程度で、宮崎県のような名前の日南町(にちなんちょう)にある生山(しょうやま)駅へ。


タモリのような顔した町キャラにしては珍しく全くかわいくない系→
日南町にたくさんいるという天然記念物「オオサンショウウオ」と「おっさん」がかけ合わさったという。

駅前の商店街→

↓役場は駅からやや離れているので、駅から町営バス(¥200)で行きます。

町に僅かながらお金を落として自己満足に浸る。

(613)鳥取県日野郡日南町(にちなんちょう)役場
ここも古来より「たたら製鉄」が盛んだった所。
日野郡3町では一番多い、それでも人口は約5,000人。ここも日野町もそうですが、人口流出に歯止めがかかりません。

今や人口減問題は全国に広がっていますが、私が中学生の頃、社会科で習う過疎化問題を抱える地域と言えば「中国山地」でお決まりであったのを思うと、隔世の感があります。
中国山地の人口減の理由は確か、基幹産業である和牛飼育・林業の不振だったような・・・すっかり忘れましたが。

↓「町内材をふんだんに使った、木の香あふれる(日南町HP)」と自画自賛の庁舎。


道の駅にちなん日野川の郷→
町内産の野菜なんかが買えたりとか、それらで作った食事ができるとか、よく地方で見られる道の駅の典型的なタイプ駅。

↓都合のいい戻りのバスがないので、日野川沿いを歩いて駅へ。


生山駅12時20分発の電車に乗ります。
石霞渓(せっかけい)→
石見川・印賀川の両岸に広がる渓谷。
春は桜やツツジ、初夏は新緑や藤、秋は紅葉、冬は雪景色が楽しめるんだとか。

もう少ししたら岡山県に突入し、今回は二度と鳥取県には戻りません。3年振りだというに・・・。
6時すぎに来て、出ていくのは12時半頃と僅か四半日滞在。
ゴメンよ、という感じで鳥取県にお別れします。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

161・162日目 バスに乗って中国へ

2017-01-14 23:51:11 | 山陰
平成28(2016)年9月14日(水)・15日(木)


・山陰はかなりのご無沙汰。おまけに「ゆっくりのんびり旅」での進捗状況も悪い上、島根県は未踏
・廃止が必至な情勢で、首筋がお寒い状態にあった未体験の三江(さんこう)線にも乗ってみたい(結局、昨年9月1日にクビとする届けの提出をJRは表明する)。
・広島東洋カープ(私は赤ヘル党)が快進撃だったため、きっと大いに沸いているであろう広島の街の様子を見ておきたい
・個人的にまだ行った事のない軍港・呉に行きたい
このような思惑から、元々は10月のJR「秋の乗り放題パス(秋パス)」の発売時期に実行を予定していた中国を巡る旅。

ルートも千葉→東京→(夜行バス)→江府(こうふ)・江尾(えび)→備中神代(びっちゅうこうじろ)→三次(みよし)→三江線往復→三次→広島→呉→福山→(新幹線)→千葉
と考えた後、はて?秋パスを使うのと、普通に乗車券を買うのとではどちらが安くなるのだろう?、と思い始め比較検討してみたら乗車券の方が安く、ならば10月にこだわる必要もなかろうと、この9月の三連休を絡めた時期に繰り上げました。

もしかしたら、広島に行った日に優勝なんてあったらいいな、ともう一つの楽しみができたのですが(広島に行く予定日にちょうどMazda Zoom-Zoom スタジアムでの試合が組まれておりました)、残念なるかな、9月10日に決まってしまいました・・・。

↓事前に買った切符。
 

↓そんなワケで、帰宅を急ぐサラリーマンが行き交う中、キャメル号・米子行きに乗るため20時すぎにJR浜松町駅に到着。
 
キャメル号は私が乗る米子行きの他に、鳥取・倉吉行き(始発は共に品川)もあります。
愛称は鳥取砂丘からの由来らしく、鳥取・倉吉行きにはいいと思うけど、米子行きには大いに違和感。
キタロー号とでもした方が利用者には馴染みやすいのではないかな?

バス乗り場は世界貿易センタービル別館→
停留所はあたかも地下にあるっぽいけど、実はビル1階。

定刻20時50分より5分程度遅れての出発→

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↓で、翌朝6時15分頃、道の駅奥大山が真ん前の江府(こうふ)ICバス停に到着。

降りたのは私一人だけ。
キャメル号、実は今回初めて乗ってみたのですが、3列シートでもやや窮屈だったのは仕方ない。
それよりも安い上に運行時間帯がとてもいいので、これかなり使える。
これまでは「サンライズ出雲」を使う事しか頭になかったけど、今後、山陰に行く時はキャメル号にするわ。

道の駅も掃除してくれている地元のおばちゃん以外、誰もいません。
ただ、そのおばちゃんがモップとかではなく素手でじかに雑巾を使って便器を拭いているのにはビックリ!
当たり前なんですが、このような公共施設の維持には誰かが汗を流してくれているんだよな、本当に感謝の極みです。

↓JR伯備(はくび)線と日野川に挟まれた国道181号線を2km程歩いて南下し、江府町の中心集落がある江尾(えび)駅周辺へ。
 

中世には江美と表記されたという江尾は江美城の城下で、江戸時代になると宿場として栄える。
↓日野往来の街並み。
 

お城はまだ残っているのか?→
と思いきや、あちこちでよく見られる模擬天守。

↓ヤキソバで有名な蒜山(ひるぜん)へと通じる街道の街並み。
 

(611)鳥取県日野郡江府町(こうふちょう)役場
人口は一昨年3月末で約3,200人。なので「3000人の楽しい町」を標榜しております。
でも、ここもご多分に漏れず年々人が減っているので、いつまで「3000人」を使っていられるんだろうかねえ?
「環境王国認定の町」でもあるのだと。知らないし・・・、「環境王国」。
よくよく調べてみたら、こんな素晴らしい取り組みはもっと世間にアピールしないといかん。

この町名は江尾+○府(府○)かと思っていました。
ところが町のHPによると、「町内を流れる日野川、俣野川、船谷川、小江尾川にちなみ「河川が合流し府(中心)となす」の意味で名付けられた」というなかなか凝ったもの。
でも、合成地名よりはマシかな。

役場付近から町を見下ろす→

江尾駅→

↓昔、こんな名前のタレントいたっけなあ。今はどうしているんだか・・・。

「江尾十七夜」とは、戦国時代に毛利氏に滅ぼされた江美城主・蜂塚氏を偲んで始まったといわれ、毎年8月17日に催されるお祭り。

↓限りなく高校生だけの電車で、8時4分に江尾駅を後にします。

吊り広告の「浅草まつり」って、あの「東京の」浅草のまつりです。
要は浅草の名産を地方のデパートなんかで売ろうという「おまつり」なんだけど、浅草というそれなりのブランドある者がわざわざ地方に出向いて販売しているのにちょっと驚き。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

160日目 たくさんの日本一が自慢の町・鴻巣

2017-01-12 23:55:21 | 南関東
平成28(2016)年9月8日(木)


この前日(9月7日)の午後6時頃になって、翌日(9月8日)急遽仕事で行くことが決まった埼玉県の川口市役所と鴻巣(こうのす)市役所。

普段の行いは悪くないハズなのに(?)、台風13号(8日未明には温帯低気圧に変わってしまったけど)が接近していてその影響で8日の関東は昼前後に大雨に見舞われ、場所によっては「滝のような」なんて脅しているかの如き予報になってるし・・・。
よりによってね。ホント相変わらず出掛け時の天候には恵まれないよなあ。

果たして当日早朝、ネットで埼玉の天気を見ると案の定大雨のようなので、しばらく様子見して出発は11時すぎに。
結果的に時折降られたけど、せいぜい噴霧器程度で、ちと最近の天気予報は大げさすぎるきらいがないでもない。

現地へは車を使います。
東関道→首都高・中央環状のルートを通り、渋滞情報で耳なじみの鹿浜橋ICで降りて川口市役所へ。
以前ここは来ているので、細かいことは省略。
ただ、今まで行ったほとんどの役所建物の様子は朧気ながらも脳みそから引き出せるのですが、川口市役所の場合は行くまで全く思い出せず。数多く行っていればそういうこともあろうわな。

そこを済ませて、続いて東北縦貫道と圏央道を使い、桶川加納ICで降りて鴻巣市役所へ。

(610)埼玉県鴻巣市役所
埼玉県の中央東寄りに位置する鴻巣市は、東京のベッドタウンの機能を持つ約12万人が住む町。
地名の由来は市のHPによると、「かつてこの地に无邪志国(むさしのくに)の国府が置かれたことから「国府の州」が「こうのす」と転じ、後に「鴻(こうのとり)伝説」から「鴻巣」の字を当てるようになったと伝えられています。」という。

↓なので、市役所には剥製が飾られているし、市のキャクターもコウノトリを雛を起用しております。
  
でも、市の形は蝶のようだったりする。
何といっても鴻巣市のセールスポインントは数多くある日本一

思いがけず早く事は済んだので、早速、目指せ日本一の開始。

まずは長閑な場所へ→
ここが日本一?というワケではありませんが(私の知る限り)。
「忍川」の看板でピンと来た方もいるかも知れません。

私は絶望的なくらい活動写真音痴であるため全く知らなかったのですが、近年上映されたらしい「のぼうの城」で出てきたというここ。

↓石田堤史跡公園
 
頃は天正18(1590)年、天下統一目前に迫った豊臣秀吉の小田原征伐。
石田三成が敵方の籠る忍城を水攻めした時に築いた約28kmに渡る堤の跡。

目の前を走る上越新幹線高架線の下に飾られた絵→
石田三成はここで手こずり、戦下手としてのレッテルを貼られる事になる。

次にようやく一つ目の日本一へ。
↓昭和59(1984)年に完成した荒川水管橋(全長1,100.95m)。

日本一長い水管橋です。

JR高崎線・鴻巣駅周辺へ→

日本一どころか、世界一までも持っております→
平成26年10月11日に打ち上げられた正四尺玉(464.826kg)が世界最大の打ち上げ花火として、ギネスブックの載ったといいます。
おまけに平成23年10月8日に打ち上げられた「鳳凰乱舞」では、約4分間に尺玉300発・三尺玉2発の計302発の尺玉以上の花火が上がり、1分あたり約75.5発は日本一に認定なんだとか。
さぞ壮観であったでござろう。

↓「ひな人形と花のまち」を高らかに宣言している鴻巣。

ひな祭りの時期になると駅前のショッピングモールで飾られる「ピラミッドひな壇」の高さは7.0mで、それも日本一。
やること豪快、鴻巣市。
花に関しては、今回行きませんでしたが、日本一大きなポピー畑があるのだという。

↓駅前にうろついていたこのお方は、見る人見る人を片っ端から声かけています。

撮影機材を下げているので、怪しいビデオの撮影?
でも、老若男女に声をかけているのでそうではありません。

「テレビ東京のアド街ック天国という番組で、今度、鴻巣のご当地グルメの特集やるのでその取材に来ているんですけど、ご協力お願いできませんか?」
と、私も呼び止められる。
ですが、「ここの市民じゃないのでねえ」と答えるしかない。
取材者は懸命に声をかけどもかけども、ほとんどの人に応じてもらえずかなり気の毒。
テレビ番組を作るって大変なのね、と実感した次第。

旧中仙道(県道164号線)→
「ひな人形のまち」だけあって、人形屋さん多し。

地名もズバリ「人形」だし(笑)→

鴻巣市産業観光館・ひなの里→
中では名産品の販売は勿論、多くの人形が飾られております。

ここも勿論一肌脱いであげてます→
放送までもうちょっと先だし、さっきの取材者はしばらく鴻巣詣でかな?

最後に行った場所→
向こう岸は吉見百穴で知られる吉見町。
川幅は2,537mあるというけど・・・。

肝心の水路はこれっぽち→
10m位?もうちょっとある?という程度にしか見えず、何ともインチキっぽい。

↓これに因んだ「川幅うどん(麺の幅は5cmを超えないと認められないらしい)」の乾麺を実家に買って帰ったのだけど・・・。

でも今日現在まだ食べていないんだとさ・・・orz。賞味期限大丈夫か?
「川幅」と名の付く食いもんは、ソバ、ラーメン、餃子、せんべい、ケーキなど様々あるらしく何でも作っちゃえ状態。
当然これらはテレビで取り上げられたとは思うけど。

なかなか味があって面白かった鴻巣観光はこれで終了、この日優勝が決まるかもしれないカープ戦を聞きながら帰宅(結局、優勝はお預け)。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

159日目 雪国の小京都を歩く

2017-01-09 14:01:18 | 甲信越
平成28(2016)年7月17日(日)


千曲市でやや時間を浪費してしまったので、予定していた長野市散策はあえなくボツ。
そこで、そのまま「雪国の小京都」だとか「信州の小京都」だとかの異名を持つ飯山市へ行って締めくくりたいと思います。

↓長野駅からは、千曲川に沿って田園風景の中を走っている、車窓が風光明媚だとの評判の飯山線に乗って飯山駅に17時すぎに到着。
  



↓駅舎は北陸新幹線延伸によって、以前あった場所から数百メートル南に移動して新築された真新しい立派な建物。


↓さて、ここで信州いいやま観光局というサイトのいいやまマップ(市街地)をご覧に入れたいと思います。

「小京都」を名乗っているとおり、街中にはお寺さんがたくさん。
ただ飯山市も急速な人口減に喘いでいて、もうすぐ大台割れ必至の現在約2万人。
檀家の争奪戦が激しくないのか、いずれ廃寺なんかがポツポツとでてくるのではと、余計な事も一方では考えてしまうのです。

お寺が多いという理由で飯山市は漠然と素朴な町のイメージを持っていたのですが、駅に降りるやいきなりお迎えしてくれたものに驚く。

駅を出て市街地に向かって左手、堂々、女神様ですよ!→

↓これはどういう感じでお立ちになられているかというと・・・。

リバティ島ならぬ、リバティ丘?の上にいらっしゃいます。

三菱っぽいロゴがあるので、建物はそれ系列の会社のとも思ったけど、よーく見ると下の二つが溶けているし(笑)。
では老人ホームかな?と思いつつも、千葉に帰って調べてみると、それは何と、本社を飯山市に置くスワロースキー(三菱とは関係ないらしい)というウインタースポーツ用品のメーカーの寮で、そんで、そのロゴはまさに燕だったんですな。
ふっ、なかなか味な事をやるわい・・・。

以前飯山駅があった所→
その面影なく一掃されております。

かなり目立っていた「飯山シャンツェ」→
よくこんな恐ろしい所を飛んでいるもんだよ・・・。

飯山城址らしき丘(違っていたらスマヌ)→
上杉謙信が築いた信州攻めの根城で、今では桜の名所。

信濃地方の伝統工芸品等の展示販売を行っている、展示試作館「奥信濃」に来てまたしても驚く。
なんじゃこりゃ?→
これも実際調べてみたら、本当に掛け値なしのド金ぴか雪隠らしい。
ただ、残念ながらここは17時までで、お目に掛かれなかったのみならず、使う事ができなかったのは非常に残念。

愛宕町雁木(がんぎ)通り、別名・仏壇通り→
雪国でよく見られる雁木(雪よけ屋根)が連なる通り。見ての通り仏壇屋さんの多い事多い事。
人口が減っているとは言うけど、そんなにこのお店の供給を賄えるほどお呼ばれになる数が多いのか?

そうそう、一応「寺の町」なのでいくつかお寺さんも載せておかないと・・・。
正受庵(しょうじゅあん)→
真田信繁(幸村)の兄である真田信之の子・道鏡慧端(どうきょうえたん)が終生を過ごした庵で、禅道場でもあったらしい。彼は臨済宗の再興者なんだとか。

↓後はこんな感じで載せるだけにしとく。
  
一番左の妙専寺、ここは明治45(1912)年に長野県で初めてスキー滑りがされたという。

高橋まゆみ人形館→
創作人形作家である高橋まゆみさんの作品が展示されているのですが、ここも17時まで。

↓日没も迫ってきましたので、後はうら寂しい商店街をゆっくり歩いて駅に戻ります。


(609)長野県飯山市役所
信濃と日本海を結ぶ北国街道の要所で、古くから海産物の集散地として栄える。
平成の大合併の頃、お隣の野沢温泉村と一緒になるつもりでいたようで、市名も長ったらしい「飯山野沢温泉市」と決まっていたらしいのですが・・・。

飯山は豪雪地帯でもあります。今月下旬から来月下旬まで「かまくら」が造られ、そこで名物の「のろし鍋」とやらを味わえるんだそうな。
幻想的な中で暖かい食事、いいじゃありませんか!


飯山駅からは19時25分発「はくたか574号」→
初めて乗る北陸新幹線。
以前の長野新幹線と呼ばれていた区間もこれまで乗ったことはなかったので、まさしく初乗車。

長野から乗ってきた学生は、荷物だけで3席まるまるがっつく→
空いていたからいいようなものの・・・。

↓東京駅に着いてしばらく新幹線を眺めていたら、レアな北海道新幹線車両がやってきましたよ。


 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

159日目 古代ロマンと蔵と温泉の町&杏と名月の里

2017-01-06 23:49:39 | 甲信越
平成28(2016)年7月17日(日)


↓屋代駅からレンタサイクルをシャカシャカ言わせてやってきたのは、駅から直線にして7、800m程の真東にありながら、その間に居座る山が邪魔をしてムダに大廻りさせられるハメとなる、森将軍塚古墳館と長野県立歴史館の二つの施設がある所。

元々ここは自転車を借りずとも這ってでも来る予定だった場所。

まずは古墳館の方から。
と思いきや、ハナっからここへは入るつもりはなく、ただただ古墳そのものを見に来ただけ。

森将軍塚古墳は今から約1600年前に造られた全長約100mの前方後円墳で、その規模は東日本最大級なんだとか。
その大きさに相応しく、「科野のクニ」を治めていた豪族の墓らしい。
どなたとは言いませんが、政界をウラから牛耳っている印象の某政党の闇将軍のような古墳名ですが、由来は「森地籍」にある「偉い人のお墓」という意味のようです。

ところがどうしたことか、古墳は標高500mの山に築かれております。
勿論、自力で登っていく甲斐性など持ち合わせておりませぬ。
↓よって、往復400円を投じて上まで運んでもらいます。


極めてキレイに整備されている古墳→
お察しのとおり復元物ですんで・・・。

高所だけに眺めは抜群。
長野市の方向→

↓真下には「あんずの里アグリパーク」と「あんずの里物産館」。

アグリパークでは、12~6月に苺狩りができるという。
それはいいとして、時期によっては長野県にしては違和感のある蜜柑狩りもできるとな。

ここをさらに東へ行くと「あんずの里」と呼ばれる一帯があって、4月には花見、6月下旬から7月中旬まで杏狩りが楽しめるそうです。

これは古墳館裏にある「科野のムラ」→
青々とした田畑に茅葺きの家と倉庫、日本ですなあ。

↓歴史館(¥500)では、長野県の歴史を学べます。


屋内で豪快に象も飼ってたり・・・→
勿論そんなハズもなく、頭をぎこちなく動かすだけのナウマンゾウ(長野県上水内郡信濃町にある野尻湖で骨が発見されましたからね)の模型。

↓駅へ戻り、今度は駅から西に伸びる駅前通りを走らせる。


(608)長野県千曲市役所
平成15年9月に更埴(こうしょく)市・戸倉町(とぐら)町・上山田町が合併してできた約6万人が住む町ですが、その数は年々ジリ貧傾向。

さらにさらに西へ行くと千曲橋→

鉄ファンでは超有名な姨捨(おばすて)の方向→
今まで上から見下ろすばかりだったけど、下から見上げるのもなかなかオツ。
「さらしな・姨捨名月の里」と呼ばれ棚田が広がっているそこは、松尾芭蕉らの多くの文人が訪れた月の名所。
是非一度、その棚田に映る月を見てみたいものです。

↓さてさて橋を渡ると、平成26年に重要伝統的建造物群保存地区として選定された稲荷山の集落があり、ここもお祭りのよう。



稲荷山は善光寺平最大の宿場町で、明治以降は生糸と絹織物によって北信濃最大の商いの町として栄える。

↓重厚感のある漆喰の白壁、なまこ壁、土蔵造りの商家が見られるので「蔵の町」を名乗っているのですが・・・。


↓格子戸のある町家や仕舞屋、さらには崩れそうな建物もあったりするなど実に多彩で、集落好きには楽しめる場所。






兎にも角にも、杏が名産、名所旧跡には古墳や集落、姨捨の棚田、心身を癒すと共に歓楽面も充実の大温泉地・戸倉上山田温泉(真田信繁の最初の領地らしい)があったりと、観光やお遊びは非常に充実の千曲市。
来ればきっとお気に召して戴けるんじゃないかな?

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

159日目 千曲川の流れに身をまかせ

2017-01-04 23:54:54 | 甲信越
平成28(2016)年7月17日(日)


明けましておめでとうございます。


何の前触れもなく突然の蒸発から5か月ほど。
すみません、私は何とか生きております・・・。

いやいや、それどころか9月14日~18日にはカープ優勝で沸き返る広島県を中心にふらついておりました。
そんでもって10月9日~11日には東北、年末年始は関西をほっつき歩いておりました。
ですんで一応、旅もしぶとく生存しております。

実はブログを書くのが億劫になり、パソコンのやり過ぎによる慢性的な左手首の腱鞘炎が酷く悪化し(私は左利きなのでマウスも左)、左肩も痛くなったしで(原因は加齢かもしれないけど)、ちょっとだけサボろうと休養しようと思っていたところ、ブログから解放された(訳ではないのだけど)居心地の良さにウットリしてしまい放置プレイライフを満喫していた次第。

でも中途半端なまま状態を維持している訳にもいかないので、せめて信州旅の続きくらいは昨年中に終わらせようと思いましたが、ついぞ新年になってしまいました。

そんなこんなで重い腰をようやく上げますたです、ハイ。
随分前の事なので記憶がかなり薄れているのが心配ではありますが・・・。

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↓10時頃、坂城(さかき)駅。




↓一応事前に町の観光名所を下調べしたものの、改めて観光案内を見てみる。



が、食指が動く新たな発見はない。

↓駅そばの、昔よく見た懐かしい塗装の電車の静態保存。

169系ってヤツらしいけど、私は車両の××系だとかには全く興味がないので、この手の話しは全然出ませんのであしからず。

↓(607)長野県埴科(はにしな)郡坂城町(まち)役場

人口15,000人程の、「刀匠の町」を標榜する町。

↓坂木宿ふるさと歴史館



かつては北国街道の宿場で、あの武田信玄を2度も負かした事のある武将・村上義清の居城地でもあります。
2度もやっつけた武将は彼だけ!というので、町の大英雄で、ささやかな自慢なんだそうな(未確認情報)。
でも中には入らず外から眺めるだけ。

鉄の展示館→
昔は「たたら製鉄炉」があったり、最近では有名な刀匠がいたり、鉄関連の企業が多く集まっていたりと、「鉄の町」とも言える坂城。
ここでは日本刀などが展示され、製鉄や鉄の加工技術の勉強もできます。

話しは変わりますが、私のじい様(故人)は徳川家康が使っていた刀を持っていたのですが、それを国に売るためにわざわざ愛媛の田舎から当時私が住んでいた埼玉に出てきた事がありました。
でも、何故かそれを一度も目の当たりにすることなく国の手に落ちてしまったので、今思うと非常に残念なことでござる。

↓町はお祭り?





実はこの日、お隣り千曲市の、温泉で有名な戸倉上山田温泉街で盛大なお祭りがあり、それに乗じたように見えるし、それに負けじとオラが街でも、というふうにも見える。
ただ、せっかくの晴れの舞台に見物人が誰一人もいない(町の人はこぞって戸倉上山田に出掛けてしまったのか?)のは実に寂しいものです。

↓さてさて、足の指にできた水膨れがあまりに痛くて全然歩く気にならないので、小一時間で坂城町を切り上げ、お祭りにも乱入することなく千曲市の屋代駅へ。


坂城駅でもしていましたが、屋代駅舎の中のベンチに座って安全ピンで水膨れの膿をせっせと出していた情けない姿を晒していたのは他でもない私でございます。

↓絆創膏を貼っての応急処置でも痛みはなかなか取れないので、秘密兵器の出番を仰ぎます。

駅に備えてあった有料レンタサイクル。
ただ、これのお蔭で行く予定のなかった稲荷山集落を廻れたのは不幸中の幸いでした。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→