ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

138日目 9月の大型連休旅・終章

2015-12-15 23:59:28 | 北東北
2015年9月22日(火)


14時半頃、盛岡駅到着。
東北新幹線の改札→
そろそろ帰省先から帰る客で混み始めそうな頃ですが、まだそんな気配はなし。

在来線ホームへの跨線橋→
人っ子一人いません。気味悪すぎ。

東北新幹線が終点だった頃ですら在来線ホームは列車が発着する以外はひっそり閑散とした印象を持っていましたが、途中駅になってからは一層過疎化が進行している感じ。
列車本数に比べて明らかにホームの数が多すぎる。

ホームに降りたら少しは人がいたけど→
それでもひっそり感満載。

これより盛岡市南にあるベットタウンである2町を廻りますが、今まで経験だと「ベッドタウン」なる所は街巡りにはあまり魅力的でないケースが多く(特に駅周辺は)、結果的にはここもそれでありました。

矢幅(やはば)駅→
今年7月にここであたら若い一つの命が失われました。その報道を聞くにつけ、可哀そうでやるせない思いを抱かずにはいられなかった人もきっと多かったでしょう。冥福を祈り手を合わせる。

岩手のシンボル・岩手山(2,038m)→
盛岡から見ると富士山のように見える事から「岩手富士」とも呼ばれている火山。
たまたまだとは思いますが、本家富士山同様300年程マグマ噴火なし。

健康になろうとするのはいい事→
だけど、1日平均の塩分摂取量が男女ともに全国堂々第1位の岩手県。まずはそこからだな。

駅東側→
再開発中らしく、道路も大掛かりな拡張工事中。

一方の駅西側は駅付近こそ再開発したばかりの感はあるけど、ちょっと奥に進むと旧態然の町並み。

↓敢えてしているのか分からないけど、ズーズー弁丸出し看板。


↓あたかも歯の治療に来るのが楽しそうな錯覚に陥りそうだ。


↓(551)岩手県紫波(しわ)郡矢巾町(やはばちょう)役場

これで幾つ目の紹介なんだろう、町名(矢巾)と駅名(矢幅)の表記が違うケース。
人口は増加傾向の約27,000人で、財政力指数も県内第3位(平成22年)と、岩手県でも恵まれた町。
今ではベッドタウンの町の感ある矢巾町ですが、元々は稲作が盛んな地域。
弘仁3(812)年に征夷大将軍文室綿麻呂により築かれた、蝦夷征伐の最前線基地となった律令制度最後の柵城である徳丹(とくたん)城の跡があります。

紫波中央駅(盛岡方向)→

↓出口は西側だけ



平成10年3月に開業した新しい駅で、平成13年に駅舎が完成。
地方自治体や地域住民らの要望で開設されたいわゆる請願駅で、寄付金を集めて建設したという。
JRにしてみたら利用客も増え、「町所有」の駅なので券売機のショバ代だけで維持管理費を払わなくていいからね、いい事ずくめ。

↓駅前には「オガールプロジェクト(詳しくはここのサイト参照)」に基づく施設があります。


↓「10の民間テナント(飲食・物販・医療・教育系)と、紫波町が運営する情報交流館(図書館・地域交流センター)で構成される『官民複合施設』」オガールプラザ


↓「オガール地区の中央に位置する、紫波町のシンボルとなる空間 来街者を迎え入れる庭園ラウンジのような屋外空間」オガール広場

こうした種の街づくりは、これからの日本には有効なのかも知れません。紫波町のこの取り組み、成功して他の自治体が倣うようになるといいけど。

(552)岩手県紫波郡紫波町(ちょう)役場
人口は34,000人近くある盛岡のベッドタウンである一方で、もち米・そば・フルーツ栽培などが盛んな農業の町。
それにしても、年を食えば食うほど(特に女の人は)あまり好きになれなくなる地名かもなあ。
古くは「斯波郡」と書いていたものが、天正年間まで治めていた斯波氏の最後の当主、詮直(あきなお)が「今日よりは紫波と名付けん。この川の石にうつ波紫に似て」の句を詠んだことにより「紫波郡」になったというようです。

駅東側にも街が広がっているようですが、大回りしてJRの線路の下を潜って行かなければならないし、それ以上にクタクタでその気が全く起こらず。
先に紫波町を「農業の町」と書きましたが、駅東側には国道4号線が通っているので、恐らく例のロードサイト店と住宅が並んでいるだけの町並みと勝手に想像して、北海道~東北と続いた旅を強制終了。

一ノ関駅から新幹線に乗って帰ります→

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

138日目 青い森鉄道・いわて銀河鉄道で南下

2015-12-10 23:43:28 | 北東北
2015年9月22日(火)


青森から東京までの間は地道にコツコツ町を拾っていきます。

乗り継いだ八戸駅にて→
ずらりと並ぶ「B-1グランプリ」の出展団体の幟。
八戸市に隣接していないけど、今年は同じ青森県の十和田市で10月3・4日に開催され、千葉県勝浦市の「勝浦タンタンメン」が優勝。ただ来年はやらずに再来年までお預けなんだとさ。

この日2つ目の訪問地は南部町(なんぶちょう)。
下車駅は苫米地(とまべち)駅→
そう言えば、一頃騒がれた広島東洋カープのピッチャー・苫米地は今何をやっているのだろう?
この町とは全然関係なくどうでもいい事なんですけど。

初めて聞く村名ですが・・・?→
「青森なんぶの達者村」というNPO法人のサイトによれば、「豊かな自然と新鮮な農産物、達者に暮らす住民たち―。地元の人や自然、文化などを生かして訪れる人たちとの交流を通して「日本一おもしろい村」を目指しています。」との事。
ですが、県レベルと比較するのも申し訳ないけど、「うどん県」「温泉県」などのように全国に売り出せるようなパンチの効いた名称ではなく地味すぎ。でも、町巡りは期待できる?、のかな?

国道104号線に出る→
早速「ぼんらくさ」という何だか分からんものがお目見え。これが「おもしろい」ものの一つなのか?
よくよく見たら逆から読めばいいだけでした。なんだ・・・。町の特産のなんだろうな。
奥に一際目立つ山は「名久井岳」。山の下にある橋は馬淵川の「福田大橋」。

福田大橋から眺める→
心洗われる。

↓渡ってしばらく進むと、由緒有りげな民家が見える。

戦前は軍用馬を育てていた豪農「田中家住宅」(国登録有形文化財)。一般公開されていません。

「おもしろい」ものは特にないし、普通に田舎です。
↓が、高台の方に都市近郊を思わせる団地が突如現れる。非常に違和感あり。


↓(549)青森県三戸(さんのへ)郡南部町役場

南部藩発祥の地。もっと遡ればそのルーツは以前行ったことのある山梨県南部町
平成18年にそれまでの南部町・名川町・福地村が新設合併してできた約2万人が住む町ですが、名前を引き継いだ感のある南部は合併前は「まち」だったのが、合併後は「ちょう」となった変わり種。

役所近くの「ふれあい橋」より→
奥には先ほど渡った「福田大橋」が見えます。

駅近くの集落→

結局、駅を起点に反時計回りに適当に散歩しただけですが、特に「おもしろい」ものも見つけられず。
でもまあ、町のホンの一部だけしか歩いていないのだし、町住民からすれば「そんな程度でお前はこの町の何が分かったと言うんだ!」とお叱りを受ける事必定、もっと多くを廻ればいろいろな発見があるのだろう(ということにしておく)。

↓再び電車に乗り、岩手県に突入して最初の駅。

「きんいち」じゃなかったんだ、ここ・・・。

一戸(いちのへ)駅、お昼頃着→

↓一戸は奥州街道の宿場であったせいか、その名残りを感じさせる町並み。








別の意味での古いものも多く見られる。
役に立たない案内図→

40年以上も前に放映された仮面ライダーV3→
いつから店内に誘導する係に落ちぶれたのだろう?

朽ち果てた昔は宿らしき建物→

↓萬代舘
 
明治42(1909)年に人形芝居小屋として創業し、今では映画館。

萬代舘の前→
味のある仕舞屋が残っております。

一戸町から南隣の岩手町までの間、奥州街道の往時の姿を留めている区間があるそうです。

(550)岩手県二戸郡一戸町役場
古くからの馬産地で、酪農や木材加工、リンゴ選果などの農林業が主な町の産業。
1~9まで続く「戸」の付いた市町村巡り、これで残りは2、3、5となりました(元々「四戸」という自治体はない)。

さて、駅から歩いて行けなくもないのですが、微妙に遠くにある町の観光名所・国指定史跡「御所野(ごしょの)遺跡」を取り上げないワケにはいきません。
それは縄文時代の集落遺跡で、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つとして(その他の有名な遺跡の一例として三内丸山遺跡があります)世界遺産登録を目指しております。
でも、あまりあれやこれやと登録されてしまうのもなあ・・・。混雑して行きにくくなるし。

やっぱり登録になって欲しいかな(駅にて)→

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行った所
 

137・138日目 乗り納め「はまなす」で本州へ

2015-12-07 23:59:19 | 北東北
2015年9月21日(月)・22日(火)


先月は尿管結石を4度も(!)やり、今日は歯の下にできた病巣の除去のために抜歯してまた戻すという2時間もかかった治療で歯が激痛です。このところ痛い思いばかりで全く冴えないわたくしめでございます。

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↓風呂屋(すすきのにあらず!)で気分良くなり、その余勢を駆って札幌駅まで歩いてきました。


JRでの「最後の定期急行列車」であるとか、「最後の定期客車列車」だとか(「最後のブルートレインでもある(?)」)、とにかく「最後の」との枕詞の付く事の多い列車「はまなす」青森行き。
この列車、来年3月の北海道新幹線開業前に「カシオペア」などと共に廃止される予定でして、留萌本線に乗ってみたのと同様、ちょうど良い機会なのでここも。それに安く本州に渡れるしで一挙両得。

↓そうした事情につき、駅に来るや撮りテツが右往左往でとっても賑やか。



乗る車両は座席指定席。乗車1か月前の発券日は仕事の都合で「10時打ち」に間に合わず、「11時半打ち」となってしまったのですが、よく取れたもんですよ。おかげで自由席に長時間並ぶ必要がなくなり、風呂を優雅に満喫できたのです。
そんな風前の灯の急行「はまなす」ですが、乗っていても特に深い感慨はなく、これまでの疲れもあったせいかすぐに寝てしまう。

↓それでも1時間あまり停車する函館ではゴゾゴゾ起き出す。



テールマークがうまく写らなかったのが悲しい。

テツ子さん(らしき)もガンバってるよ!→

函館ではホームをウロつくのみならず、改札を出て駅舎内をブラブラしたりする。本当は改札を出ると急行券は無効となるのだけど、そこは函館の駅員さんは黙認してくれているよう。ナイスサービスだよ!

定刻6時19分、青森駅到着。周囲は慌ただしく乗り換え。

↓非常に分かりづらくかえって混乱を招きそうなラベル貼り貼り看板。

北海道新幹線開業後はどうするんですかねえ?
不要となる「白鳥」部分は黄色い無地のモノを上からまた貼り付けて、見た目が一層汚いモノになるんでしょうか?

これが(恐らく)「はまなす」を生で見る最後→
またねえ、ではなく永遠にサヨナラ・・・多分。

青森からはただひたすら東京に向かって南下するだけ。

↓青い森鉄道の快速電車に30分乗って平内町(ひらないまち)の小湊駅で下車。




駅周辺の商店街→

「小湊」2文字でいいんじゃない?→
恐らく「(平内町)大字小湊字小湊」という意味だと思うんだけど。でもクドイ。

洗髪の極意とはこうだ!→

↓駅東側を流れる小湊川「大橋」より山側方向。


(548)青森県東津軽郡平内町役場
最初ここらが「津軽」に当たるを知って驚いた記憶があります。てっきり津軽とは青森市から西側部分と思っていたので。
東北地方にはアイヌ語からなる地名が多くあって、平内はアイヌ語の「ピラ・ナイ」からとされているようで、「ピラ」は山と山の間(崖)、「ナイ」は河川の意味、つまり山と山の間の川が流れる土地ということなのだと。
稲作と養殖ホタテが町の基幹産業。特に養殖ホタテの発祥地であり生産量は日本一。
陸奥湾にボコッと突き出た夏泊(なつどまり)半島は自生ツバキの北限地で、半島東付け根の浅所(あさどころ)海岸は特別天然記念物「小湊のハクチョウおよびその渡来地」だそうで、これからが本格的シーズン。

町一番の古いお寺さん「東福寺」→
開創は天正11(1583)年の老舗ですが、商売にも精を出さないとお寺運営も芳しくないらしい。

黒石藩代官所のあった「平内町歴史民俗資料館」の敷地内には町出身のお偉い方の碑があります。
↓高橋竹山さんとは、津軽三味線名人位というお方。


↓畑井新喜司さんは「ミミズ博士」との異名のある生物学博士。


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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

83・84日目 南部の南部ぶち抜き(4)~岩手郡

2014-07-13 23:29:29 | 北東北
2014年5月5日(日)・5月6日(月)


今まで触れてはいませんでしたが、実はこの日が東北ドライブの実質最終日。
後は岩手郡の葛巻町(くずまきまち)と岩手町に行って終わりになります。

葛巻町役場に16時20分頃到着。

(388)岩手県岩手郡葛巻町役場
町のHPによると、人口約7千人で、キャッチフレーズは「北緯40度ミルクとワインとクリーンエネルギーのまち 」。

役場裏手に流れる一級河川、馬淵川→
音は川のせせらぎのみの、ひっそり静かな所。

↓田舎にしては、やったら長~い国道281号線沿いの商店街。



昔はそれなりに賑わっていた(であろう)雰囲気のある商店街。

まちの駅くずまき→
産地直売施設であるのと同時に、建物に「JRハウスくずまき」とあるように町のバスの拠点。

その敷地内にある看板→
いつからあるのか、建物が前に建てられて最早その用をなしていない年季の入ったボロボロの案内板。
地方で結構多く見られるこうした朽ち果てた様を見るたび、ちょっぴり切なくなる。

そのまま国道281号線を走って、岩手町役場には17時50分頃到着。

(389)岩手県岩手郡岩手町(まち)役場
庭にもあるとおり、彫刻に力を入れているという町で、人口約1万4千人。

↓なので、役場のすぐ近くにある「道の駅石神の丘」には彫刻美術館が併設されています。



既に閉館しているけど、はなっから興味なし。

ここから市街地がよく見渡せるます→
左にあるは「いわて沼宮内駅」。

↓という訳でちょいとばかり「いわて沼宮内駅」を冷やかしに。


↓新幹線が止まるとは思えない駅前。



さもありなん、何てたって一日の新幹線の乗車人数が100人に届かないのだから。しかも全国の新幹線駅で最低の数というオマケ付き。
でももうすぐ北海道新幹線が開業し、もっとローカルな駅ができるので、その不名誉から脱出できる(はず)、ヽ(^o^)丿。
因みにこの駅に乗り入れているIGRいわて銀河鉄道の方は約1,000人。
目の前の小さい川は、あの北上川です。

いよいよ名残惜しくも千葉に向けて帰る時がやって来てしまいました。
後ろ髪を引かれる思いで18時51分に駅を出発し、国道4号線を南下。

↓19時23分、滝沢IC(岩手県滝沢市)から東北縦貫自動車道に乗って、行きとは逆ルートで帰りますよ。


↓長者原(ちょうじゃはら)SA(宮城県大崎市)、20時59分着・21時51分発。

ほぼ満杯、その大部分が首都圏ナンバー。一応Uターンラッシュの最中ではあるのですが、難なく帰れそうな時間帯を選んだので、渋滞にどっぷり嵌る事態は避けられそう。
そんな中、首都圏NO.1のひきこもり(だと思っている)・千葉ナンバーはやっぱり全く見かけないね~(笑)。

仙台を過ぎたあたりから、強烈な暴風に見舞われる。
よく煽られるので、注意して運転しないと・・・。
さらに神経を集中しないとならなくなり、その結果心身ともに大いに消耗。疲れた体には堪えるわ。

↓安達太良SA(福島県本宮市)、23時35分着・1時57分発。

軽く夜食を食べて、仮眠をね、ちょっと。

↓目力が異様に強い仁王立ちのウルトラセブン。

ちょっと不気味だ・・・。

↓友部SA(茨城県笠間市)、3時51分着・4時23分発。

もうちょい!

6時2分、行きと同じく雨の中を無事に帰還。

おつかれさん!→
都合2,256キロの長旅はようやくここに完結!
長い事お付き合い戴き、ありがとうございました。

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

83日目 南部の南部ぶち抜き(3)~九戸郡

2014-07-12 23:49:59 | 北東北
2014年5月5日(日)


↓階上(はしかみ)町で今回予定していた青森県の全ての市町村訪問は終わり、舞台は岩手県に変わります。


これから廻る岩手県の町村は、普通の人は余程の事がなければまず足を踏み入れることのないであろう所。
そういう場所ゆえ?これといって行きたくなるような観光名所はなく、従いまして街中の様子を淡々と紹介するだけ。
投稿している私としても全く張り合いがなく、そういう訳で今回と次回はハッキリ言ってつまらないものに成り下がるので、せっかくお越しになられた方には申し訳ないけど、テキトーに見て、或いは見ないで他のブログに行ってしまわれてよろし。

「道の駅はしかみ」を13時15分に出て、県道42号線・国道340号線を通って、ぴったり1時間かけて軽米町(かるまいまち)に。

(386)岩手県九戸(くのへ)郡軽米町役場
「かるい+まい」といった訓読み+音読み(遠い昔習ったいわゆる湯桶読みってヤツ)の地名。違和感あり・・・。
ただ単に「カルマイ」という地名に適当に漢字を当てはめただけかも知れないけど。
人口は1万人前後くらい。

荒町商店街→

仲町商店街→
どこ見ても誰もいません。
寂しすぎる商店街・・・。

↓町中心部に流れる「雪谷川(ゆきやがわ)」


街中で見かけた古い赤煉瓦倉庫?→

↓町の生活文化博物館
 
商家の土蔵と旧役場の赤煉瓦書庫。
明治から昭和初期の町の生活に関する資料が展示されているとの事。

まちかど煉瓦館→
自販機じゃますぎ・・・。
実は密かに軽米町は赤煉瓦の町。至る所に赤煉瓦の建物などがあるようで。

30分弱ブラブラして、次の九戸村には15時すぎに到着。

(387)岩手県九戸郡九戸村(むら)役場
人口は6千人程度。

↓村を南北に流れる「瀬月内川(せつきないがわ)」

のどかだな~。

↓「伊保内(いぼない)商店街」と呼ばれている国道340号線






街の駅「まさざね館」→
平成23年7月にオープンした地元特産品販売所。
「まさざね」とは、村のシンボルキャラクターになっている九戸政實という戦国武将。
彼は城に立て籠もって、相手となった豊臣軍の10分の1以下の兵力で互角以上の戦いをしたものの、最後は策略にはまり、斬首されてしまったといいます。
ほらっ、青や緑の垂れ幕にも描かれているでしょ。でも悲しいかな、キャラクターとしたわりにはあまりにも知名度がない・・・。

適当に歩いて、16時ちょっと前にここを後にします。

町を出てすぐの所→
あ~あ、惨めな姿を晒しているよ~、お気の毒に。

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

83日目 南部の南部ぶち抜き(2)~種差海岸・階上

2014-07-05 01:16:56 | 北東北
2014年5月5日(日)


蕪島(かぶしま)から南東に延びる海岸を「種差(たねさし)海岸」といいます。
かの司馬遼太郎氏は 『陸奥のみち』という作品の中で、「どこかの天体から人がきて地球の美しさを教えてやらねばならないはめになったとき、一番にこの種差海岸に案内してやろうとおもったりした。」とここを紹介しています(Wikipediaより)。
砂浜や奇岩が見られる磯が続く12キロに及ぶ海岸線で、昨年、三陸復興国立公園に編入されました。

さて、その種差海岸巡りの始まり始まり~。

↓10時に蕪島を出まして、ここは走りだしてすぐの所。

何だろうね?荒波にでも遭ったら呑み込まれそうな、この趣きのある建物は?
その時は遠くから見ただけでしたが、千葉に帰ってから調べてみる。

「小舟渡」という、海を眺めながら海の幸を堪能できる食事処らしい。
穏やかで美しい海を見ながらの食事は最高なんだろうけど、たまたま行った時が大荒れだったということもあり得る。

↓お店のHP(http://www.kofunato.co.jp/)より

これは怖すぎ!
こんな中で落ち着いてゆっくり食事ができる度胸のあるヤツはなかなかいそうにないな。
でも、品書きを見るととっても旨そう。いい掘り出し物を見つけた!
また八戸へ行く時の楽しみが一つできた~。

↓そのまま沿岸を走ってやってきたのは「葦毛崎(あしげざき)展望台」

チェスのルークみたいな展望台。
大東亜戦争中には海軍通信部隊基地の防空電波探知機が設置されていたという。
なるほど、どことなく軍事的なかおりがしますな。
「葦毛」とあるように、馬に因んで名付けられたと言われ、実際に八戸一帯は古くからの馬産地であったといいます。
近くには競馬好きなら知名度のある「タイヘイ牧場」があります。

展望台からの眺め→

下を覗き込む→
こえ~

別の角度から→

↓「日本の灯台50選」にも選ばれている「鮫角(さめかど)灯台」も見えます。


中須賀(なかすか)→
展望台から続く遊歩道を通れば、植物の鑑賞も楽しめます。

白浜海水浴場→
「快水浴場百選」に選ばれている2.3キロ続く、いわゆる「鳴砂の浜」。

↓種差天然芝生地



種差海岸の紹介といったら、まず間違いなく登場する元放牧地。
ここで遊んだり、ボーッとしたり、いい場所だなー。

これで種差海岸巡りは終わりです。
曇ってはいましたが、まずは来られたことに満足。でもやっぱり晴れていないと・・・。
2年前に来た時も曇りだったし、晴れの「エイリアンにお見せできるような美しい風景」に早く会いたいなあ。

八戸市を去り、隣接している階上(はしかみ)町に入ります。

大蛇漁港の集落→
津波の被害に遭ったようで、基礎だけが残っている建物跡が見受けられます。

ここから内陸部に進路を向けますので、今回の旅では長く見続けた海とはお別れ。

JR八戸線・階上駅→
2年前に来た時はローカルな造りの古い建物だったのですが、今は違う駅舎になっていました。
その日は、折りしも八戸線が久慈(くじ)駅まで復旧した日でした。

しばらくすると撮りテツっぽい人たちが集まってくる。なんなんだ?
こんな列車が通り過ぎていく→
この列車が何だか分からないけど、行ってしまった後は素早く皆去ってしまい、日常のひっそりした風景に戻る。

駅前の商店街→

↓ここ駅周辺はそこそこ高い所にあるんですけどね・・・。


↓(385)青森県三戸(さんのへ)郡階上町(ちょう)役場


「道の駅はしかみ」で昼食→

↓「階上早生(はしかみわせ)」という品種の蕎麦を使用しているという、「ざるそば(大盛り・\1000)」を注文。

ここではソバの実演販売をしており、ソバは町の特産との事なのでかなり期待していたのですが・・・。
正直、特においしいとは思いませんでした、申し訳ないけど。

「麦もち田楽」で口直し→

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

83日目 南部の南部ぶち抜き(1)~八戸

2014-07-02 23:17:38 | 北東北
2014年5月5日(月)


6時半頃に「道の駅ろくのへ」を出発、旧・七百駅に寄ってから、五戸町を通って八戸市へ。
私は青森県の市町村では八戸が一番のお気に入りなので、朝からハイテンション。

7時半に八戸駅東口側に→
新幹線が通る前の、あのボロいローカルチックな駅の頃を考えると随分立派になったよなぁ。

が、駅前通りは相変わらずショボい→
市街地はもっと遠くに離れていて、元々ここは郊外(尻内という。かつて八戸駅は尻内駅といった)だから仕方ない。
このブログで行った似た感じの都市と言えば、宇部(山口県)が思いつくなあ。

では、その八戸の中心街に。
と、その前にその道すがらにある「根城(ねじょう)跡」に寄るため、八戸市博物館の駐車場に車を止めます。

根城跡の中→
日本百名城の一つ、建武元(1334)年に南部師行(なんぶもろゆき)によって築かれ、寛永4(1627)年に廃止。南部氏は以前行ったことのある山梨県南部町出身の御家人。

木橋を渡ると、本丸→
いろいろと建物がありますが、全部復原されたもの。

鍛冶工房の中→

馬屋→
馬は本物、ではなく模型。

主殿→
まだ開館1時間前でしたが、受付の女性が「掃除中だけど、それでもいいなら見てもいいよ」と主殿の中に入れてくれました(入場料250円)。ぅぅ、優しいなあ。

↓正月11日の儀式の様子が再現されている広間

一杯の盃より金をくれ。

繁華街へ→
「中合三春屋店」前あたり。先に見える「さくら野百貨店」を左に曲がると市役所。

(384)青森県八戸市役所
人口約23万人。四を除く一から九まで続く「戸(へ)」の町の親玉的存在(四戸もかつてあったらしいけど)。毎年「戸のサミット」を開催して情報交換などをしているとの事。
日本有数の漁業の町であるとともに、工業が発達した都市。
ご当地グルメ「せんべい汁」はあまりにも有名ですが、他にも「いちご煮」「ひっつみ」などおいしいものいっぱい。
夜に来たならば、8つある「横丁めぐり」でもするのですが、こればかりは今回はできない。
ならば、朝市という手があるのですが、この日はやっているかどうかわからないし、そもそも全く興味なし。

本八戸駅→
繁華街の最寄りの駅だけど、ちっぽけ。
ショボい町並みの駅周辺・立派な駅のある尻内とは対照的。

工業地域へ→
震災から1年後に来た時には廃船がごっそりあったけど、さすがにもう撤去されている。

↓だけど、道はガタガタ、草はボーボーで埃っぽい。

これは2年前と変わらず。だけど、元々震災前からこうだったのかも知れないけど。
もちろんここは浸水域。

↓八太郎(はったろう)大橋・八戸大橋を渡って、漁港の方へ。

震災の当日、津波で水浸しになったこのあたりの様子がNHKで中継されていました。

鮫駅前→
大口を開けている獲物を待っている?鮫がユーモラス(笑)。

お次は最近パワースポットとして、人気がうなぎのぼりの蕪島(かぶしま)に9時半着。
島の上には弁財天を祀る蕪嶋神社があります(「嶋」の字は誤字ではありません)。
昔はまさに島だったようですが、埋め立てで地続きに。

↓さあ、雨は降っていませんが、これを持っていかないと。

なぜ?

↓商売繁盛、漁業安全の守り神として昔から信仰のある神社


近寄ってもどこ吹く風→
今は抱卵時期、3万羽が飛び交っているので、いわゆる「うみねこ爆弾」、つまりフンよけに傘は必需品。
でも現地では漁場を教えてくれる、とってもありがたい存在だそう。
そうそう、それをモチーフにした「八戸うみねこバクダン」なるお菓子が売られており、取り出し口はお尻にあるというなかなか凝った一品。

↓金運もそうですが、縁結びのご利益もあるという。

なので、アベックや女性だらけですよ。場違いだったか・・・
島を3週廻って参拝する「運開き巡り」というのがあるのですが、鳥だらけの中なのでそういう気が全く起こらず。


この蕪島も震災で高さ3分の1ほどが水に浸かってしまい、周辺には建物の基礎だけが残っている跡なども確認できるのですが、そうした中、ウミネコはその日は朝から一羽も神社にいなかったという。
恐るべし、動物の予知能力!

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

82日目 まさかり半島ひた走り(13)~おいらせ・六戸

2014-07-01 00:52:36 | 北東北
2014年5月4日(日)


三沢を経由して、おいらせ町に入りました。
長く付き合っていた下北半島を去って、何となく下界に下りて来た気分。

国道338号線を走っていると、ん?ガンダムがうじゃうじゃいるぞ・・・。何なんだ?
寄ってみよう。





当然、車を止めてカメラを向ける人多し→
道路から目立ちますしね、ついつい見てみたくなってしまうわなぁ。
難を言えば国道の道幅が狭く、路肩に止めると通行の妨げになってしまうことか(かく言う私もその悪行をしてしまいました、スミマセン・・・)。
お台場のガンダムより小さいのは仕方ないけど、それでも個人でここまで凝れるとは立派すぎます、いや~素晴らしい。
しかし、実際ガンダムカットとはどういうカットなのだろう?
ガンダムの頭そっくりにされちゃうのかね・・・。それはイヤだな。

さ、ここで一気にワープ!

↓アメリカ・ニューヨークへ来ちゃいました?

いやいや、お台場?

↓そんな訳なく、ここは、おいらせ町の「いちょう公園」

本家本元の4分の1の大きさで、高さは台座を含めて約20メートル。
おいらせ町(建てた平成2年当時は百石(ももいし)町)がニューヨークと同じ北緯40度40分だからというので、大きさも「4」にこだわったとの事。

↓公園から歩いてすぐの所にある「長寿日本一のいちょう」



樹齢1100年以上で、安産の守り神とされています。
高さは31.6メートルで、周囲は16メートル。
でっ、でっけー。ただ、長寿だけあって、くたびれ感も半端ない。

(382)青森県上北郡おいらせ町(ちょう)役場
平成18年に下田町・百石町と合併して成立。
町名は町を流れる奥入瀬(おいらせ)川に由来しているのは当然ですが、それは山奥の渓流のイメージが強く、どうもこの名前には違和感ありあり(個人的な感想です)。

「道の駅ろくのへ」18時15分に到着→
本日の宿泊地はここ。
同業者が続々やって来る。早めに着いておいて良かった・・・。
日が落ちないうちに町を見て廻ろう。

↓(383)青森県上北郡六戸町(ろくのへまち)役場

人口約1万人の町。元々下田町・百石町と合併する予定だったのが、途中で離脱してしまう。

役場前の道路→

↓町の商店街





ひっそり、寂しすぎる・・・。
道の駅に寝泊りする人の数の方が多いんじゃないか?(そんな訳ない)
上の写真右にチラリと見える「宝温泉」、町を見て廻った後に入りに行きましたが入湯料金\210という安さ!
外装も内装もお世辞にも綺麗とはいえず、いかにも町の銭湯って感じですが、正真正銘の温泉のよう。
ただ、入った時には番台に誰もおらず、風呂から上がってしばらくしてノコノコと無愛想なおばちゃんがやってきたというノンキなもの。
しかもこんなに安いし、余計なお世話かも知れないけど、これからやっていけるのか、そちらの方が非常に気になる。

↓こちらは翌朝に行った、2年前に廃止された十和田観光電鉄の旧「七百(しちひゃく)駅」

右に流れている川は、人工河川「稲生(いなおい)川」。
不毛地帯だったこの地域に水を引こうと、江戸末期から開削が始まり、およそ110年かけて完成したといいます。

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82日目 まさかり半島ひた走り(12)~六ヶ所

2014-06-29 01:44:59 | 北東北
2014年5月4日(日)


↓13時頃に物見崎を出て、猛烈な強風の中、国道338号線を六ヶ所(ろっかしょ)村の中心部へ向かってまっしぐら。


道路からやけに目立つ、何屋さん?→

13時半に六ヶ所村役場に到着。

(381)青森県上北郡六ヶ所村(むら)役場
人口約1万人。村名は、明治22(1989)年に6つの集落を寄せて成立したことに由来。
エネルギー関連施設を多く抱えているので、財政は豊かな村のよう。

元々は石油化学コンビナートや製鉄工場を大々的に整備する計画だったのが、その後のオイルショックで石油備蓄基地のみの完成で終わってしまう。
それが原子力関連施設進出に取って代わり、昭和59(1984)年に電気事業連合会が、青森県に下北半島でのそれら設置を要請し、六ヶ所村はそれを受け入れ、ウラン濃縮工場・低レベル放射性廃棄物埋設センター・高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターと次々に操業を開始し、再処理工場が目下試験段階で、それらを日本原燃という会社が担っています。
ま、簡単に言えば六ヶ所村はいわゆる「核のゴミ」の一時保管場所?という事ですが、事実上ゴミ捨て場といった方が正しい表現なのかも知れません。
ついでに言えば、六ヶ所村を含め、東通原発や大間原発(建設中)などといい下北半島には原子力関連施設がとても多いのです。

さて、相変わらずの強風に加え、乾燥が甚だしいのですが、付近を歩いてみましょう。

役場前の通り(国道338号線)→

↓南の方に行くと、尾駮(おぶち)沼があります。









面積3.7平方キロメートル、周囲13.5キロ、水深4メートルの沼で、看板にあるとおり、野鳥の楽園。
ただ、その時にいた鳥はよく見られる珍しくも何ともないのばかり。

↓住宅街にはアパートが目立つ。



エネルギー関連会社などに従事している人が多いんでしょう。

↓役場から5キロほど離れた「六ヶ所原燃PRセンター」へ。

ここは原子燃料リサイクル事業を文字通りPRするための施設(無料で入れます)。

↓日本原燃広報キャラクター「ツカッテモ・ツカエルくん」

薬屋にでもいそうなキャラ(笑)。

展望室からは風力発電もよく見えます→

↓展示物を見て廻りましたが、私にはまるで??の世界






超苦手な分野で全く理解不能につき、一通り見てさっさと出ます。

鷹架(たかほこ)沼→
このあたりは先に出てきた尾駮沼も含めて、潟湖(せきこ・湾が砂州によって外海から隔てられ湖沼化した地形。wikipediaより)と呼ばれる沼が多いのですが、いちいち全部は廻りませんので、あしからず。

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82日目 まさかり半島ひた走り(11)~東通

2014-06-27 23:53:28 | 北東北
2014年5月4日(日)


↓津軽海峡に別れを告げてからは、太平洋沿岸をひたすら南下することになります。


東通村の、とある集落→
絶対読めないよな~。
そもそも「袰」なんて字すら知らなかったわけだし・・・。
ただ、青森や岩手にはこの字を使った地名がかなり多いようです。

青い海が眩しい漁港→
ここは尻労という地区。しりろう?
これまた絶対読めない「しつかり」。

猿ヶ森という地区にある「ヒバ埋没林」へ→

その入り口近くにある見事な建物→
ペシャンコ寸前の、萱葺きの珍しい廃墟。屋根にはどういうわけだかタイヤがいっぱい。

↓林の奥深くへ。



その埋没林ってどれ??
ようわからんし、つまらんので、すぐにこの場を去る。

下田代牧場→
尻屋崎で寒立馬(かんだちめ)を腹いっぱい見たばかりですが、また馬を眺めて癒してもらおう。

小田野沢漁港へ→

風が強く、砂が舞う浜に出ます→

北の方→
何てことない砂浜。
でもここは、我がブログで何回か触れたことのある日本一大きい「猿ヶ森砂丘」。
その広さ、有名な鳥取砂丘のなんと30倍!
小田野沢はその砂丘の南端部になります。
猿ヶ森砂丘?そんなの聞いたことないよ・・・、という方がほとんどでしょう。

それもそのはず、→
拡大してみると、物々しい建物らしきが確認できます。
これは実弾弾道試験場として使われている「防衛省下北試験場」でして、砂丘のほぼ丸ごとそんな重要な軍事施設であるため、当然一般人は入ることができません。
なので、ガイドブックに載っていないのは勿論、さっきの廃墟近くにたまたまいた郵便屋さんに「猿ヶ森砂丘の看板なんかはどこかにありませんかね~?」と聞いてみたところ、「砂丘は聞いたことはあるけど」と言うだけで、ほとんど??と現地の人ですらもこんなありさま。

↓物見崎と白糠(しらぬか)灯台(物見崎灯台)





六ヶ所村との境にある岬で、海岸のここらで見られる奇岩を「タタミ岩」というらしいです。
ま、とにかく険しい断崖絶壁から見る青い太平洋と白の灯台が美しすぎ!

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82日目 まさかり半島ひた走り(10)~尻屋崎

2014-06-20 22:32:14 | 北東北
2014年5月4日(日)


気持ちのいい、ごがつばれの朝です。
これから前日のリベンジで尻屋崎(しりやざき)へ行くわけですが、まずはウォーミングアップとして軽く散歩。

持ち腐れの感が否めない広っぱ→
道の駅にでもすればいいのに、と思うのは私だけ?

↓この下は「ふるさと広場」として憩いの場になっています。


さあ、出発!

↓樹海の中、快適な道路を気持ちよくドライブですよ。


なぜか内陸部に停泊中の船→

三菱マテリアルの工場→

↓さあ、尻屋埼灯台が見えてきましたよ!(大間と同じく「埼」は誤字ではありません)


8時ちょっと前、ゥン年振りの尻屋崎にやってきました。
ここは霧がよく発生するらしく、別名・難破岬と呼ばれる程の難所といいます。

明治9(1874)年に建てられた東北初の洋式灯台→
レンガ造りのものとしては日本一の高さ。

灯台より望む大海原→

右手の方→

門の方→

↓俗化した感じの大間崎より、はるかにこっちの方がいいなぁ、さい果て感たっぷりです。




前回は晩秋に来たので誰もおらず何ともいえない寂しさを感じましたが、今回は晴れていて、しかも人出も多いので、とっても明るい観光地となっています。

↓せっせと海草を摘んでいる家族がいました。


↓採ってはいいのかいけないのか知らないけど、どんなものかちょっとだけ(もし採ってはいけないのならスミマセン)。

何という海草なんだろう?食べてみると、コリコリして旨い旨い。
採ってもいいものなら、いくらでも採って食べちゃうんだけどな。

ところで、至る所に馬糞が落ちています。
ということは、この場に馬が放牧されるわけですが、この時には一頭すらおらず、残念。
なので、尻屋崎のゲートがある所へ。

寒立馬(かんだちめ)→
南部馬の血を引く粗食や寒さに強い農耕馬。
一時9頭までその数を減らしたらしいのですが、その後の保護活動によって30まで増えたという。
名前に「寒」という字を使っているくらいだから、真冬の雪の中に佇む姿を見てみたいなあ。

↓賑やかな団体の邪魔者がいなくなったのでゆっくりと撮影。

撮影慣れしているのか?、堂々とした食みっぷり。

別の敷地にて→

↓お食事タイムです。



というか、いつも草を食んでいるから、ごちそうタイムか・・・。

尻屋岬港→
津軽海峡とはこれでお別れです、残念ですが。
また会う日まで、さようなら。

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81日目 まさかり半島ひた走り(9)~東通

2014-06-19 01:17:29 | 北東北
2014年5月3日(土)


西の大間崎へ行ったので、となると東の突端・尻屋崎(しりやざき)を知らんぷりするわけにはいかない。
が、しか~しです。行ってみると思わぬ落とし穴が・・・。

↓むつ市の大畑地区に入るや、桜並木がお出迎え。



これがまあ、延々と続くんですわ。
「来さまい大畑桜ロード」といい、7.6キロにわたって、1400本のソメイヨシノが並んでいます。この間をひたすら行ったり来たり桜を愛でながらドライブするのも意外と悪くないかも。

16時すぎ、大畑地区の中心部へ。

旧大畑駅→
国鉄の駅であったのが後に下北交通の駅として使われ、平成13年に廃止、現在はバス案内所。

今は昔→
その座を下北駅に譲っています。

↓国道279号線を離れ、県道を進みます。





あたりは原野・雑木林ばかり。ただ、道路自体はよく整備されているのでとても走りやすい。

↓そんな田舎の中、尻屋崎間近という所で突如デンと現れる三菱マテリアルのバカでかい工場。

この地域の、辺鄙なのどかな雰囲気とは、いささか不釣合いな巨大施設。
工場萌えの人には萌え萌えになること、うけあい。

ところで、車と全くすれ違わない。
尻屋崎はそんなにマイナーな場所なのかなと訝しがっていましたが・・・。

↓げ!閉まっているんだけど・・・。

時刻にして18時。確かにガイドブックには「開放時間7時から16時45分、それ以外はゲート閉鎖」としっかり書いてあるよ・・・。全く気にしていませんでした。
なるほどね、道理ですれ違う車がないわけだ。

↓ゲート近くで寒立馬(かんだちめ)が放牧されていたので眺める。


↓私が一人寂しくいて不憫に思ったのか(苦笑)、こっちに一頭近づいてきてくれた。

う~~ん、かわいくていいヤツだ(涙)。
また翌日も来るのでよろしくね。

津軽海峡の夕暮れ→
綺麗だなぁ、ちょっと得した気分。

↓(380)青森県下北郡東通村(ひがしどおりむら)役場

変わった面白い形の建物。左が役場で、右の丸いのが交流センター。
これを見る限り、超リッチな自治体に思えます。
なぜなら、東通原発というのがあって、それ関連のお金が湯水の如く流れているのでしょう。
かつては貧困に喘いでいたというまさに閑村・寒村で、この立派な庁舎が建つ前はむつ市に役場を置いていたという有り様。

↓それが今ではこう。



役場付近は立派なハコが多く建ち並ぶなどきれいに整備されているので、田舎にポツンと小洒落た感じの場所があるのも奇異な雰囲気ですが、人が全くおらず非常に不気味な空間をさらけ出しています。
村の人口は7千人くらいと、以前に比べると減る一方で、いくらこういうものにお金をかけても人口減にはちっとも効果がないのは何とも皮肉なことです。

↓さて、本日の宿泊地は役場前のでっかい広場。

下北半島は道の駅に恵まれておらず、この近辺には一箇所もない。
最初どうしようかと、或いは横浜まで行こうか思案していましたが、いい所がありましたよ!
しかも近くにはトイレ・飲み物の自販機も備え付けられている暖房の効いた豪勢なバス待合所のような建物もあるし。
ただ、役場周辺にスーパーはおろか、コンビニ・商店の1軒すらないので、むつ市に買い出しに行きましたけどね。

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81日目 まさかり半島ひた走り(8)~風間浦

2014-06-16 23:22:19 | 北東北
2014年5月3日(土)


本州北のてっぺん・大間からは国道279号線(別名・むつはまなすライン)を南東に向かって走ります。
この国道、起点は函館で、大間までの間は海の上を通っている、わりとあちこちで見受けられるいわゆる「海上国道」(もちろん車は走れないけど)。

大間から数キロでお隣・風間浦(かざまうら)村に入ります。

蛇浦地区→

↓この地区には「布海苔発祥の地」の碑があります。

布海苔は風間浦村の特産品。2月上旬から3月下旬の間、「布海苔採り体験ツアー」が開催され、極寒の中せっせと布海苔が採れるわけですが、海苔に目がない私には案外魅力的なツアー。

易国間(いこくま)地区へ。

易国間川(上流方向)→

この横には役場。

(379)青森県下北郡風間浦村(むら)役場
人口2千人あまりの、本州最北の村。
(註)村は「むら」「そん」の両方の呼び方があり、今回からどっち読みか分かるようにするようにします。町も同じです(「まち」か「ちょう」か)。過去寄稿した分には順次加えていきます。

この地区のメイン的な通り→

↓下風呂(しもふろ)地区の大湯通り



康正年間(1455~1457年)の地図には「湯本」として記されている歴史のある温泉、その名も下風呂温泉があります。
今までの閑散とした地区に比べ、温泉街ということもあり、比較的活気が感じられる所。

↓2つ上の写真の右折している車があるあたりを左に折れて、坂を登った所からの眺望。


↓その登った所には「海峡メモリアルロード」があります。



温泉場ということで、しっかり足湯も用意されています。


これは完成しなかった大間線の遺構を利用した遊歩道。
大間線とは、戦前、軍事的理由により今のむつ市から大間町まで建設していた鉄道で、路盤のかなりの部分はできていたようですが(実際、車で走っていると至る所で路盤や高架線などを見ることができました)、戦局の悪化により中断、その後はそのまま放置されていました。

「海峡いさりび公園」にある「二見岩」→
左の岩にのっかっている恵比寿神社は、島根県・美保神社の分霊の許可を得て鎮座させたといいます。右の岩はアシカとかオットセイとかのように見える。

↓大湯通りからちょっと奥に引っ込んだ所にあったもの。防空壕跡?


入って階段を登ると、→

↓車を止めた公民館前に出てきます(上の写真の建物は、写真右のマイクロバスに隠れている建物がそれ)

どうやらこれは駅に出入りするためのものであるらしく、鉄道ができていれば、ここは「下風呂駅」だったんでしょう。

風間浦村の3地区を紹介しましたが、この村名はこの地区の合成地名だそうです(下呂・易国・蛇)。

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81日目 まさかり半島ひた走り(7)~大間

2014-06-14 22:59:18 | 北東北
2014年5月3日(土)


いよいよ我が身は本州の最果ての町・大間町に突入です。
となると、まずはさておき目指す地はあそこ。

↓NHK朝ドラのロケ地



私はこのドラマは見ていないので何とも思いませんが、熱を上げていた方はこの写真を見てしばし思い出に耽って下さい。

↓近づいてきましたよ。



大間崎より本州最北端という案内の方が特別な所へ向かっているって感じがしますなあ。

12時45分、ごった返す駐車場に到着、いよいよその場所へ。

↓「マグロの一本釣り」で有名な大間、お昼時も重なりどのお店も行列。


さぁ、左のレストハウスの奥へ→

↓とうとう来ました!

恐山へ行った際にも書きましたが、以前、友人と下北半島へ来た時にここまでも足を伸ばしました。ところが、来た時にはとっくに日は落ち真っ暗で、あたりが全く分からん状態だったので、今回が実質初めて来たと言ってもいいかもしれない。


訪れる人は多く、それらを目当てに商売するお店も所狭しと並んでいるので、最果て、しかも北の最果て=寂しく暗いといった持たれがちなイメージは全くないですね。

みなモニュメントを撮ると、ノルマ完了とばかり去ってしまう。
けど、入れ替わり立ち代り撮影しているので、なかなか邪魔の入らない撮影が難しい。

一瞬だけ人が引けた→

このモニュメントの前というと、→
本州最北端のお店と、しもた屋・バラックが勢揃い。

↓毘沙ノ鼻(びしゃのはな)・佐多岬はまだ到達していないなぁ。

いつかきっと・・・。

↓大間崎から600メートル沖合いにある「弁天島」

島に建つ白黒の縞の建物は「大間埼灯台(「埼」の字は誤って打ったのではありません)」。
かすんではいますが、北海道・渡島連峰が見えます。北海道までの距離、僅か17.5キロ。

↓つぶ貝の串焼きで舌鼓を打っていると、漁師もしているという店のおばちゃんが「こいば見せてあげる」と言って目の前に持ってきたマグロのヒレと釣り糸・針。

ヒレは硬く、釣り糸・針は頑丈そのもの。
200キロを超える本マグロは一匹1億5千万円!することもあるんだと。7月末から1月中旬が漁期だそうです。

さて、大間町の中心部へ行きます。

マグロ一本釣りの館→
40年前に漁師さんが大物のマグロを釣り上げ、それでこの家を建てたのだという。

商店が立ち並ぶ通り→

大間港→
警戒船?何の?
ひょっとして津軽海峡は密かに支那やロシアからの脅威に晒されているのか?
調べてみてビックリしました。
てっきり津軽海峡の全部が日本の領海だと思っていましたが、何と海峡の真ん中は公海で、よその国が艦隊を組んで通っても、潜水艦が潜ったまま進んでも、上空を軍用機が飛んでいくのも自由らしい。こんな状態で国防は大丈夫なのかな?
ま、この警戒船は小さいし、きっと密漁者退治のものなんでしょうけど。

↓港に沿ったこの道は「青空通り」と名付けられています。


稲荷神社の方を見る→

この先に役場があります。

(378)青森県下北郡大間町(まち)役場
ボ、ボロっちい・・・。とても町の顔としてふさわしくない老朽化甚だしいボロボロの建物。
そこそこ知名度のある自治体でこんなにみすぼらしいのは初めてだ(笑)。
建設中の大間原発の交付金をこっちに廻せなかったのかなあ?

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81日目 まさかり半島ひた走り(6)~仏ヶ浦

2014-06-11 23:42:19 | 北東北
2014年5月3日(土)


今回は仏ヶ浦へ行った事を書きたいと思います。

↓佐井港9時発のこの観光船「サテライト号」に乗ります。

前回触れたとおり、山から降りれば仏ヶ浦へ行けたのですが、そこをあえて観光船に乗ったのは、海から下北半島の海岸線を見たかったからです。

港を出たらグングン速度を上げる。
時速約50キロというから海の上では相当の快速。よって揺れる揺れる・・・。

願掛岩→
これまた前回述べましたとおり、縁結びの岩。
ただ、男女が抱き合っているように見えるかどうかのご判断は皆様にお任せしますが。

沖合いに浮かぶ「大漁岩」→
別名、オヨ岩。「およ」とは現地で大漁を意味する方言らしいです。
その名の通りその付近は好漁場との事。
この海域ではイルカの群れを見られ、時には船と併走することもあるらしいのですが、この時は残念。

9時半、仏ヶ浦に上陸→
仏ヶ浦、別の名を「仏宇多・仏宇陀(ほとけうた、ほとけうだ)」。
奇怪な形をした岩々が2キロにわたって続く景勝地で、国の名勝・天然記念物になっております。
長~い、それこそ長~~~~い年月をかけて荒波や風雪によって作られた、自然の神秘・偉大さが感じられる芸術品。
まさに「神の業 鬼の手創り 仏宇陀 人の世為らぬ 処なりけり(文人・大町風月が詠む)」。

ではでは、自然が作り出した極楽浄土をご紹介します。

まずは前回も載せた遠景から→

船員さんがガイドも務めます→

五百羅漢→

↓極楽浜
←右端の岩は「天蓋岩」
←屏風岩

屏風岩を拡大すると、→
左の岩の上は鷹のように見えます、とガイドさんは言ってました。
う~ん、確かに・・・。

↓でっかい岩々が聳え立ちます。



これら、一枚の岩らしいですよ!

右の岩々は「蓮華岩」→

波にさらわれないようにね→

仏ヶ浦に30分滞在して、佐井港には10時半に戻ってまいりました。

↓折り返しの便にこんなに行列を為していました。

私が乗った便は20人位だったかな、混雑しないうちに乗ってしまって良かった・・・。

↓村巡りし終えて、アルサス2階の「食事処まんじゅうや」へ(写真奥のお店)。


大漁丼(およどん)を注文(¥1500)→
まずは朝捕れたてという佐井村名物のウニを一口。

食べた時の気分はこう→

今回の旅行で色々な所を廻りましたが、一番印象的だった所は何を隠そう、ここ佐井村でした。敢えて言うなら下北半島は今後二度と行けなくても、佐井村だけは行きたい、そんな感じ。
海の幸といい、景色といい佐井村は最高、いや、「佐井こー」!

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