ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

179日目 しぶしししぶしちょうしぶし、というしぶ~い町

2017-08-29 23:53:20 | 九州南部
平成29(2017)年5月2日(火)


今回の旅において鹿児島県最後の訪問地へ。
そこは鹿児島のトリを飾るに相応しい、話しのネタには全く事欠かない志布志(しぶし)市。

(657)鹿児島県志布志市役所
平成18年に曽於(そお)郡の志布志町・松山町・有明町が合併してできた市で、人口は約32,000。
昔は日向国に属していたために宮崎県だったこともあります。

主な産業は、中・南部に広がるシラス台地でのサツマイモや茶などの畑作、豚・牛などの畜産。
海にも面しているので漁業も行われていますが、意外なのは養鰻業。
1年前、市のPR動画が物議を醸し、配信停止に追い込まれたのはまだ記憶に新しいところ。

ところで、この庁舎のある場所と言うと・・・→
何と、見渡す限り畑が続く山の中。
それ自体驚きなのですが、堂々貫録充分すぎる立派な役所建物であるのにもさらにビックリなのです。
あたかも、車を運転しない人は来るな!と言わんばかり。

ここは志布志市、なので旧志布志町役場なのかと思いきや、実は旧有明町役場だったりする。
その旧有明町ですが、どう見たって有明海に面してはいません。
志布志湾が別名、有明湾と呼ばれている事によるそうです。

役所は有明町に取られても市の中心をなすのは、後で触れますが、港町として栄えた旧志布志町。
さぞ志布志地区の人達は不便極まりなかろう・・・。

でも、大丈夫!
志布志地区の中心部には役所の支所がありますんで。
ただ、これが曰く付きのもので・・・。

志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所
看板は区切りの所で隙間があるのでそれほどでもないけど、これをくっつけてみると目がチカチカします。

仮名にすると「しぶしししぶしちょうしぶしのしぶししやくしょしぶしししょ」。早口言葉にも使えそう。
ついでですが、wikipediaの「志布志町志布志」の冒頭と地理欄は笑えるくらいスゴイ事になっています。

支所の背後は高台になっております。
上から見る志布志中心部→
江戸時代は大坂や琉球などとの貿易で発展した港町で、それは「志布志千軒の町」と呼ばれたほどだったようです。
奥に伸びる道路は「駅前通り」。

志布志の東西を国道220号線が横切っていまして、まずはその北側、古くから開けた地区を廻って見ます。

支所のある辺りは、昭和が残る商店街→

↓港町を彷彿とさせる雰囲気漂う街並み→

  

大正6(1917)年築の洋館まで残っていたりします→

志布志の東を流れる前川に架かる志布志橋から北側を見る→
今回は行きませんでしたが、奥には武家屋敷地区があります。

橋の南側→

川に面している「津口番所跡」→
廻船・貿易船の積荷の取締りを行っていた所。

次に国道の南側へ。
↓見た目はボロけど、そこがまたいい、昭和の飲み屋。
 

片や、ちょっぴり都会感のある「郵便局前交差点」近く→

全然銀座っぽくないけど、銀座街→
志布志は人はそれほど多くないけど、飲み屋の充実ぶりには目を見張るものがあります。

↓JR日南線の志布志駅。
 
今でこそ行き止まりの寂しい駅ですが、かつては大隅線・志布志線も乗り入れていた鉄道の要衝。
というか、今でも生き残っているのが奇跡的な感じの駅。
ポツンと止まっている気動車もどこかしら儚げ。

駅前→
目の前の交差点にかつての駅舎とホームがあったようで、その交差点を左右に伸びる道が高台からの写真でも触れた「駅前通り」。

駅前をまっすぐ行くと「志布志鉄道記念公園」があります→

↓志布志港
 
重要港湾に指定され、長距離フェリーや貨物船が入港する海陸交通の要衝。

奄美大島から船に揺られてこの港に降り立ったのが6年前。
その船は那覇発東京行きの旅客船でしたが、その航路は今では鬼籍入りし貨物船のみ運航。

因みにその旅では、奄美大島へは那覇から船で渡ったのですが、その船は某隣国の会社に売られた後、名前を変えて就航していたものの3年前にあえなく沈没。その国では大騒動となったあの事故です。
僅か6年でも、その間の変わりようたるや、ア然とするばかり。

それはそれとして、長距離の船旅では暇を持て余しますので、知らない人と話しをするようになることが多く、それは船旅の醍醐味の一つのような気がして、とても楽しいものです。
長時間乗る船旅からずいぶん遠ざかっているので、ちょっと恋しくなってきている今日この頃。

 



カッコしてあるのはこれまで行った所→

179日目 大隅半島から日南海岸へ向かう

2017-08-24 22:35:20 | 九州南部
平成29(2017)年5月2日(火)


5日間に及ぶ南九州旅のド真ん中3日目は、大隅半島を脱出して日南海岸を北上、宮崎市に宿泊します。
この日は通る道通る道に観光地が目白押し。

志布志(しぶし)・飫肥(おび)・油津の街を歩きたいし、
鵜戸・青島の両神社にも行きたいし、
鬼の洗濯板、都井岬では馬、サンメッセ日南にあるモアイ像も見たい。
一方で、これだけ全部をたった一日で嘗め尽くすのは到底ムリな事もがってん承知の助ではあるんですが、果たしてどこまでガメられるんでしょうか。

この日も夜の明けぬうちに起きて、5時半に出発。さようなら国分。
ですが、3年半ぶりに来た霧島市
折角なのでほんの少しだけ登場させましょ。
国分駅→

↓大隅国分城址(別名、国分御屋形・舞鶴城)の復元された「朱門」。

島津義久が日常生活をすべく築いた館造りのお城。

こんな程度の紹介で、これで本当にさよなら(もう一度くらいは列車で通るかも知れないけど)、そして一気に曽於(そお)市入り。

(656)鹿児島県曽於市役所
平成17年に曽於郡の3つの町が合併してできた市で、人口は約37,000人。
山林が市の面積の約6割、耕地が約3分の1が占め、基幹産業は畜産、畑作といった農牧業。
中でも和牛子牛・肉用牛の生産と頭数は全国でもトップレベル。
それを象徴する像が役所入口にあります→
「新春運だめしくじ」のような名前のこの「宝春」号は、鹿児島県の和牛改良に大きく貢献した牡牛で、2万頭を超える2世を誕生させたのだそう。
お勤め、楽しかった大変だったろうね。

外国人が見たら曽於市=スーシ、ですね→
日本人はどちらかというと「そーし」の方が言いやすいわね。

市役所があるのは合併前の旧・末吉町→
誰が見るのか、役所敷地内にある錆びた観光案内図。

地名の読み方は「すえきち」ではありません、「すえよし」です。
「末吉」でどうしても思い出すのは、私が高校2年の時の担任の先生。
ズバリこの苗字で、鹿児島県出身と言っていたから、ひょっとしたらこの町の出だったかも知れません。

その先生は、九州男児らしくかなりの熱血漢で、おまけに体育の担当だったから怖いのなんの。
私はいわゆる遅刻の常習犯だったので、罰として竹刀で思いっきり尻を叩かれる事しばしば。
今なら体罰だの何だので問題になりかねないのですが、当時は叩かれるのは当たり前(?)、親も「お前(私)が悪い」の一言であっさり終わり。

怖かったのは確かでしたが、同じ怒るにしても叩くにしても生徒に対する愛情のようなものが感じられたので、私はその先生は好きだったし、皆そうだったんじゃないかな。

今もお元気でしょうか?、そんな事を考えつつ末吉を歩いてみます。
旧・末吉駅(恐らく待合室)→
また出たか、大隅線。
もううんざりかもしれませんが、これは大隅線廃止から2週間後に廃止された国鉄・志布志線の駅。
写真右奥には「末吉鉄道記念館」が見えます。

↓どうにか辛うじて「都城・鹿児島方面のりば」の文字が残っています。

道路脇にはホームだったと思しき部分が、ほんのちょっぴり頭を出しています。

末吉鉄道記念館→ 
敷地脇には車輪やレール、信号機があったりします。

↓記念館前にある、スナックばかりが入っているボロッちい建物。

いい味を醸し出しているこの建物ですが、よく見ると1軒だけラーメン屋さんがありました。
酒の後の〆に良さげですが、気になったのが「鬼追いラーメン」。
ニンニクたっぷりの「お臭いラーメン」ではないよなあ。
学生ラーメンってのも激安すぎ。

カニのオブジェ→
ある洋食居酒屋さんの前にあるものです。

末吉の商店街→

こちらはお茶屋さん→
なかなかアピール熱心な末吉のお店たちでした。

↓こちらは完全にお休みモードだけど、思いっきり平日なんだよね。


↓次に、見渡す限り畑ばかりの長閑な所にやって来ました。

ここに一体ナニがあるんだろうね。

 



カッコしてあるのはこれまで行った所→

178日目 GW大隅半島ドライブ~大崎町に行って2日目終了

2017-08-19 23:38:24 | 九州南部
平成29(2017)年5月1日(月)


もう少しだけ肝付町の続き。
四十九所(しじゅうくしょ)神社→

この鳥居の前の参道→
未舗装路面の保護協力を求められているにもかかわらず堂々と車を停めているし・・・(車程度なら問題ない?)。

「やぶさめ馬道」とあるとおり、ここで流鏑馬が行われるのはすぐに分かります。
その流鏑馬ですが、毎年10月第の第3日曜日に行われる900年近い歴史と伝統を誇る五穀豊穣を祈願する神事で、それに合わせて「高山(こうやま)やぶさめ祭り」が開催されます。
射る人は町内の男子中学2年生で、約330mの馬場を3回駆け抜け、合計9本の矢を放つんだとか。

馬に乗りながら的を射るなんて超人のやるが如き世界に見えるかも知れませんが、私は高校時代に弓道をやっていたので矢を放つ感覚は分かります。
あとはポニー程度の馬に乗って、馬が歩いての流鏑馬だったら、なんとか自分でもできそうな気がする(笑)。
尤も矢の行き先は矢に聞いてくれ、だとは思いますが。

↓てなワケで、肝付町(というより高山地区)は「やぶさめ押し」の町。
 
今年は10月15日になるんですかね。

↓やっぱり肝付町のゆるキャラも流鏑馬をモチーフにしてます。
 
「はやぶさめくん(左)」と「いて丸」。
一方で「宇宙の町」も標榜しているし、小惑星探査機「はやぶさ」が町内の内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられたのもあって、そこはしっかりと宇宙っぽいものに仕立てています。
でも、同じようなもの2つも作ってドーするんだろ?

町の商店街→

↓昔の国鉄大隅線・大隈高山駅跡である「高山鉄道記念公園」にちょっと顔を出して、この日最後の訪問地・大崎町(ちょう)へ向かいます。


 

↓国道220号線を走って大崎町に入ってすぐ、広大な敷地の中に巨大な廃墟らしきが否が応でも目に入ったので、思わず入る。
 
レストランあり、宿泊施設もある結婚式場で、今から6~7年位前に閉鎖した模様。
昔の口コミなんかを見ると評判は良かったようなので、なんでこうなったんでしょうね?

↓ここで式を挙げた人たちが今の草の生え放題で劣化が進む建物を見たらどう思うんだろう。

それはそれとして、もっと月日が進めば、とっても素晴らしい廃墟になれるのでは?と大いに期待したい。

(655)鹿児島県曽於(そお)郡大崎町役場
人口は約13,500人の、見た目フツーの地方の町っぽいですが、意外にもアピールポイントが充実している町。

「食材の宝庫の町」
一例を挙げると、ブロイラーの産出額は日本一(平成27年度)。

「スポーツの町」
プロ野球選手を多く輩出。
例えば、赤ヘル党ならやっぱりこの人だな、お立ち台で「鹿児島のじいちゃん、ばあちゃん、俺やったよ!」がお決まりのあの選手。

「環境に優しい町」
資源ごみのリサイクル率で日本一の栄誉に輝いていた事あり。

などなど。

ついでに、平成27年度には「ふるさと納税額」が町村の部で全国1位(全国でも4位)になったそうで(いわゆる「お返し」がかなり充実しているようではあるけども・・・)、そのうち「ふるさと納税の町」なんてのも増えていたりしてね。

役場前道路の商店街→

ここを奥へと向かって歩くと、こんな交差点があります→

国鉄大隅線の駅があった所の今→
ここでは跡かたなく葬り去られ、交差点名だけがその名残りを留めています。

道の駅くにの松原おおさき→
敷地内にある「あすぱる大崎」にはレストランや温泉、宿泊施設があり、レジャーに好都合の道の駅。
コンビニ・スーパーも近くにあるので、車中泊にも持って来いです。

近くには、白砂青松100選に選ばれた「くにの松原」がありますが、そろそろ日が落ちるので行かずにここで打ち止め。
因みに明日(8月20日)は「第13回くにの松原ビーチスポーツフェスタ」が行われます。
種目は、ビーチバレーとビーチフットサルだけみたいですが、特に大荒れの天候にでもならない限り決行のようですから奮ってご観戦下さいナ。

道の駅のシンボルはコレ→
見合って見合って・・・。

 



カッコしてあるのはこれまで行った所→

178日目 GW大隅半島ドライブ~肝付町へ向かう道すがら

2017-08-13 23:53:39 | 九州南部
平成29(2017)年5月1日(月)


飛行機・宿の手筈を整えてから「大隅半島 観光」と検索して地元の人による観光情報を得ようと考えたのですが、結果、佐多岬以外はこれと言って「何もない」と、けんもほろろな実に寂しすぎる声がほとんど。

「そんなにつまらない場所なのか」と少々大隅半島を選んだのを少々後悔したものでしたが
でもここに限らず、探せば何かしらの見所はゴロゴロ出てくるものです。

佐多岬に来た事で南への進路を絶たれたので、北へ転進し、そのゴロゴロのうち見たいと思った所に道草しつつ肝付町(きもつきちょう)に向かいます。

まずは高台にある「パノラマパーク西原台」へ→
これまで錦江湾はわりかし低い所から見ていたので、少しは高い所から見渡そうと思って来た次第。

↓眺めは佐多岬と比べても遜色なし→


ただ、山道のクネクネした隘路を登らさねばならず、加えて案内標識が不親切なので、途中、この道でいいのか?と、不安になることしばしば。
それさえどうにかなればとびっきりの名所になれる(と思う)。

↓次に、この日佐多岬に次いで楽しみにしていた所へ行くべく、海岸部を離れ山の中へ。

お目当てはこの駐車場からもっと奥にあって1,200m離れています。

↓横に流れる川は綺麗だし、森林浴としてもいいけど、なかなか歩くのが難儀な道を約15分。


その行き着いた先には・・・。
「おっーー」と、私も含めて皆思わず声を上げる→
落差46m、幅60mの、コバルトブルー、エメラルドグリーンに煌く滝壺。
近年、大隅半島の人気スポットとして赤丸急上昇中という「雄川(おがわ)の滝」です。

美しいです、神秘的です、とにかく素晴らしいです。
話しでは聞いてはいましたが、まさに大隅半島の秘境を大いに感じられる絶景です。
昔は白い砂浜まで入れたそうですが、今では環境保全のために入れないのは残念。

以上は南大隅町、これより錦江町に入ります。

↓メエメエヤギさんが道端に繋がれていたので、少し相手してもらいます。

のんびりおっとり、モグモグ草を噛みながらニコニコした(ように見える)表情にとっても癒される。

花瀬(はなぜ)→
幅60m長さ2kmにわたって川床には石畳で敷かれていて、流れる水が白い波を立てるので、それを花に見立てて名付けられたといいます。
江戸時代、島津斉彬が癒しを求めて訪れた所なんだとか。
ここはオートキャンプやバンガローといったアウトドア用施設が充実しております。

トイレで用を足して手を洗おうとしたら・・・→
まさに「ナニコレ」な蛇口。
お腹のあたりめがけて水が出て来たらイヤだなと思いつつ捻ったら普通にお水は出てきましたけど、何の意味があるんだろうね?

錦江町もこれにて終わり、鹿屋市の吾平山上陵(あいらのやまのえのみささぎ)を見てから肝付町(きもつきちょう)に。

(654)鹿児島県肝属(きもつき)郡肝付町役場
平成17年に高山町と内之浦町が合併して誕生し、約16,000人が暮らしている町。
役場は高山町の方にありますが、「肝付」という地名は元々は高山を本拠にしていた戦国大名の名前。
肝付氏は大隅国を支配し、一頃は島津氏をも凌ぐ力を持っていたという。

旧内之浦町には、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設・内之浦宇宙空間観測所があり、JAXAの施設がある自治体と「銀河連邦」を組んだり、種子島宇宙センターがある南種子町とは「宇宙兄弟」の関係があったりなどの、言わば「宇宙の町」。

散策するのは高山地区。
役場周辺には重厚感溢れる家が多い→ 

高山川の畔へ→

↓石碑が建っておりましたが、経年劣化のせいか文字が読みにくい。

辛うじて「寛文11(1671)年」という文字だけは分かりましたが、これが意味するところは・・・。

この近くには「岩渕上の隧道」があります→
そこにあった説明板を要約すると「高山郷の地頭に宮之城島津家第四代図書久通(ずしょひさみち)が任命され、寛文元(1661)年から寛文11年にかけて、高山用水路を完成させ高2,000石の開田をなしとげた。」とある。
つまりあの石碑は用水に関してのものなのでしょう。

水流が左の道路を潜るので、てっきりそこが隧道かと思いきや、実は右の金網越しの洞穴っぽくなっている所に素掘りの暗渠があり、それがまさに隧道。

用水の右側には「二階堂家住宅」があります→

↓文化7(1810)年築とされるこのお屋敷の最後の住まい人は、かの代議士・二階堂進センセイ。

二階堂家は古くからの名士で、元は鎌倉幕府の武家だったのが13世紀に薩摩警護のため中央より派遣されたのだという。

何故にパンダ?→

 



カッコしてあるのはこれまで行った所→

178日目 GW大隅半島ドライブ~佐多岬に立つ

2017-08-11 23:54:31 | 九州南部
平成29(2017)年5月1日(月)


南大隅町役場を出て、一気に大隅半島最南端・佐多(さた)岬を目指したいところですが、一か所行きたい神社がありました。
諏訪神社→
二基並列鳥居の珍しい神様。
対になっているという理由で、縁結びにご利益があるんだとか。
お参りする時には左の鳥居から入って、右の鳥居から出るんだそう。
ならば逆にやったら?そしたら縁切りにいいんだろうかね?

しかしまあ、車が邪魔すぎ。
誰か分からんけど、よく考えて止めて欲しいんだな、これが。

お蔭で写真がかなり汚い絵になってしまったと、かなり憤慨しながらさらに南へ。
佐多岬の第1ゲート→
半島突端まできたんだなあ、との実感じわり。

↓ここで話しを分かりやすくするために、参考までに佐多岬付近の地図を載せておきます(南大隅町役場のHPより)。


↓恐らく上の地図の「第2ゲート展望公園入口」に当たる駐車場。

これより先、一般車は通せんぼとなるので、さらに奥に行きたい人はシャトルバスに乗り換えるか歩かなければなりません。

↓私は「さらに奥に行きたい人」で、歩く気ゼロなので、他に選択肢はありません。


海を見渡せる高台でちょっと停車→
ここで運転手による佐多岬についてのアナウンスが入ります。

「さたでい号」が見えます→
この近辺の海域は「佐多岬海中公園」として日本で初めて海中公園に指定され、この半潜水型水中展望船に乗れば海中散策できます。2,000円かかりますが。

↓バスに乗る事約5分、「北緯31度線展望広場」に到着。

外国では上海やカイロ、アメリカ・ニューオーリンズといったあたりと同じ緯度。
でもあまりピンとこないので、関東人的視点でいくと八丈島よりももっと南。
そう考えると随分南に来たもんだ。

この高さ4.7mあるモニュメントは昨年9月にできたばかりのもの。
町は佐多岬へ観光客を多く呼び込むため、県や国などと連携して総額約30億円をかけて、展望台や遊歩道、駐車場などの整備を進めています(来年9月完了予定)。

歩いて「トンネル入口駐車場」へ→
このとおり絶賛工事中でして、一般車は入れません。
故にバスに乗り換えないといけなかったワケです。

↓当時はこんな状態でしたが、7月27日に完成したようです

この駐車場より先は、写真右に見えるトンネルを潜った向こうの御崎神社までしか行けませんが、岬を眺めるとなるとここまで。

眺め、とってもとってもよろし→
本土(離島を除いた北海道・本州・四国・九州)の端っこはこれで3つ目クリア。
残るは西の「神崎鼻(こうざきはな・長崎県佐世保市)」のみ。

佐多岬灯台→
灯台のある場所とはあたかも地続きに見えますが、海で隔てられていまして、大輪島という島にあります。
日本でも古い部類の灯台で、イギリス人の設計で明治4(1871)年に完成、昭和20(1945)年の空襲で焼失し、今あるのは昭和25年に復旧したもの。

ガイドさんがいたので、いろいろと解説してくれるのはありがたい。
普段は波は荒いけど、この日のように穏やかなのは珍しいこと。
かすかにしか見えなかったのですが、左手には見える島は種子島、右手のは竹島、噴煙立ち上る硫黄島(島根・東京のではもちろんありませぬ)、などなど。

工事中の「展望所」→

沖にはのんびりと船→

眺めはいい、天気もよく穏やかとくれば、ずっとでもいたいくらいでしたが、そうもいかず、御崎神社に行ってここを去ります。
御崎神社→
創建はナント和銅元(708)年というから相当由緒のある神様で、ここも縁結びの御利益があるとか。

↓参道にはソテツが跨り、まさにジャングルの中にいるかのような。


返す返すも残念無念でござる→
実はここに来る前から工事をしていて車を乗り換えないといけないだとか、展望所まで辿り着けないなど規制がやかましいのは知っていました。
であれば、工事は来年終わるのだし、それまで待てば良かったのに、とお思いになるでしょう。

要は飛行機やホテルを予約した時には工事している事を全く知らず、その後でこれが分かったのです。
でも予約してしまった以上、後には引けません。
結果、こんな無様な事になったワケですが、でも考えようによっては工事中という、レアな時?に来られたとも言えるし、そう思えば慰めにもならないけど、少しは納得できるかなと。

↓さて、遥か遠く宗谷岬へ向かうとするか(到達は何年後かな?)


 


178日目 GW大隅半島ドライブ~本土最南端を目指そう

2017-08-07 23:52:12 | 九州南部
平成29(2017)年5月1日(月)


霧島市・国分を宿泊地とした大ポカが為に夜が明けないうちに出発しないといけなくなり、ムチャクチャ眠くて大いに涙目でございます。
さて、九州上陸2日目一番の楽しみは大隅半島の突先である佐多(さた)岬で、それを見た後は適当にウロチョロと寄り道しながら国分に戻ります。

↓朝の垂水市と鹿屋市での事は前に書いたとおりで、国分から約2時間かけてやっとこさ錦江町(きんこうちょう)に突入。


この町での最初の訪問地は「神川大滝公園」。
「大滝」と名前にあるくらいだから、どんだけ豪快な瀑布が見られるのかな?と大いに楽しみ。
駐車場からすぐ近く、早速、滝が現れました→
高さは確かにそこそこある。けど、「大滝」にしてはちっぽけすぎやしないか?

ありました、大物が奥に→
高さ25m、幅30mの、かなり豪快な神川大滝。

↓遥か頭上には高さ68m、長さ130mというつり橋「虹の吊橋・大滝橋」があります。

高い所は大の苦手ではありますが、せっかく来たのに上がらないのも・・・という事で上がります。

滝を上から見るなんてそうはないぞ→
眺めが素晴らしい。
だけど、へっぴり腰気味なので、心の底から素晴らしいと感動している余裕がありませぬ。

錦江町を流れる神ノ川には「神川七滝」と言われる大小7つの滝があってこれが最大のもの。
ん?最初の滝は何ですか?ですが、あれは「小滝」。

「公園」とあるとおり、ここは子供向けの遊び場もあったり、茶屋でソーメン流しを楽しめたりと、一大レジャー施設になっています。

町中心部へ。
(652)鹿児島県肝属(きもつき)郡錦江町役場

↓大根占港(左)があったり、大根占バス停があったりと、錦江町の中心部は「大根占」という地区。
 
その名のとおり、大根を使った占いが盛んな地域のようです。
んで、その大根占いとは一体どのような占い?
さては、横に切った模様で占うんだろうか?或いは苦味とか。

実は「大根・占」ではなく「大・根占」と区切ります。つまり「おおねじめ」という地名で占いとは関係なさそう。
なので大根にも縁がないと思いきや、切り干し大根の産地だったりするんだとか。

錦江町は平成17年に大根占町と田代町が合併して成立した、基幹産業が農業の町。
合併した当時は1万人いたみたいですが、今では8,000人を割り込んでしまっています。
それでも町のHPには町長さんの志しは高く「小さな町から日本へ、世界へ情報を発信できる町、日本一住みやすい町」を目指すと宣言しております。

↓大根占バス停の近く(バス停の写真の赤い鐘楼のようなものの下、電柱に一部隠れています)にはこういったものがありました。

「敵艦見ゆ」
皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」
本日天気晴朗なれども波高し
日露戦争での作戦命令暗号、命令電報、各地での勝利、ニュースなど、すべてここ大根占電信局発、受信であったという。

次にお隣、南大隅町の根占地区へ。

(653)鹿児島県肝属郡南大隅町(ちょう)役場
ここも平成17年に根占町と佐多町が合併してできた町。
人口も錦江町と同じくらいの約7,600人。
どうせなら大根占町と田代町とも一緒になればいいのにと思うのですが、一部仲の悪い町があってうまくいかなかったようです。

町のマスコットキャラクター→

↓役場敷地ウラには仁王様の墓場のようなものがあったりする。

木々で鬱蒼としているし、かなり不気味。

役場のお隣には図書館の入口看板→
これには驚いた!1~3番目はどこかは知らないけど、こんな田舎でこれは大いに威張れるな!

雄川(おがわ)に架かる根占大橋から河口部を望む→
向こうに見えるは薩摩半島、砂蒸し風呂で有名な指宿(いぶすき)市。

橋の右手にはコンビニがあります→
大隅半島最南端のコンビニで、釣り餌までも売っていたりする。
さらに南へ向かう人でコンビニズブズブの人は、ここで調達しておかないと後々困るハメになる。

左手には根占港→
対岸の山川港とを結ぶ「フェリーなんきゅう」が発着していて、ちょうど山川からの一番船が入港。

着くや否や慌ただしく山川に向けて出港→

「西郷どん」が西南戦争直前まで滞在していた木賃宿→

個人的には、根占大橋から見た海、川、山がとても綺麗で、とても印象に残る風景でした。

 



カッコしてあるのはこれまで行った所→

177日目 GW大隅半島ドライブ~鹿屋・東串良

2017-08-06 16:04:11 | 九州南部
平成29(2017)年4月30日(日)


地元の人に「ダメだ」とダメ出しされてしまった鹿屋。
その真偽を確かめるべく中心部へ。

市役所・鹿屋市鉄道記念館より北方向→
右手には中心部へ行く県道68号線があり、そこをひたすら歩いてみます。

アーケード街→
人もいないけど、日曜日だからか開いているお店がほとんどないんだな、これが。

↓通りに面していたであろう建物もかなり取り壊された結果、アーケードと言えば暗いのが相場ですが、採光がバツグンによくなったのでかなり明るいです。


↓邪魔者がいないのをいい事に、ハトが自分の物だとばかり屋根を住処にしてしまっています。

動物というのは実にしたたかですなあ。

北田交差点北方向の国道504号線→
手前の空き地には昔市役所があったようです。奥の建物は「リナシティかのや」という商業施設。
ここらがまさに鹿屋の中心部たるべき所のようですが、やっぱり人がいません。

「リナシティかのや」のウラ→
鹿屋川を利用してこれだけの憩いの場を造ったにも関わらず賑わいがありません。
尤も立派なハコがあっても人が来てくれないのはここだけに限った事ではないのですが・・・。

↓北田交差点西方向の国道269号線に面する商店街も寂しい感じ。


↓国道504号線の西側に並行するウラ通りっぽい「水神横丁」。
 
車バイクの一台や二台止めていても、誰も迷惑しないと思うけど(そういう問題じゃないか)。
歩いてみて思い出したのは、ケンシロウのあの常套句。
鹿屋市鉄道記念館のおっちゃんの言葉はあながちウソでもない感じ。

鹿屋川の東側に沿う歓楽街「新天街通り」→

↓こんなにたくさんお店が集まっているのだから、飲み屋だけは大繁盛していそうな。

思うに鹿屋以外に周辺で遊べる町はなさそうだし、みんなここに寄って来るんでしょうね。

日没までにちょびっと時間があるので、もう一か所欲張ります。
郊外の道路にはロードサイト店はかなりの充実ぶり→
郊外のロードサイト店が廃れ、街中が賑わうという先祖返りする日はやってくるんだろうか?

↓(651)鹿児島県肝属(きもつき)郡東串良町(ひがしくしらちょう)


この町はこんな町→
人口は6,700人ほど。
串良郷と称された地域が明治22(1889)年にが東西に分かれ、東串良村として成立しその後町制施行。
一方の西は後に串良町となり、今では鹿屋市となる。
海岸部の肝属川(きもつきがわ、鹿屋市内では鹿屋川と呼ばれています)河口は、江戸時代、米の積み出しや琉球・唐との貿易で栄えたようです。
町の産業は、チリメンなどの水産業、ピーマン・キュウリなどの促成栽培、二期作されているお米など。

垣根の立派な家が多い役場前の道→

↓時間があれば国の史跡である唐仁(とうじん)古墳群へ行ってみようかと思ってましたが、ムリなので国鉄大隅線・旧東串良駅に行ってみます。

Wikipediaの串良駅の項目には「隣の東串良駅との間は600mしかなく、列車に乗り遅れても走って追いかければ間に合ったというエピソードが知られている」とあり、それにはウケました。
いかに国鉄の列車が鈍くて重かったが分かる話し。

東串良駅近くの商店街→

↓ひょっとして廃駅の屋根を再利用した?かの如き懐かしさいっぱいの待合所の屋根。


真っ暗になり、宿泊先である霧島市の国分駅近くのホテルに向かって初日は終了。
ホテルに向かう途中、ふと気づく。
「あれっ?何で鹿屋で宿を予約しなかったんだろう?」
鹿屋でも探したかもしれないけど気に入ったのがなかったのか、はたまた何も考えずに適当に国分のホテルに決めてしまったのか、予約時の事を当時も思い出せませんでしたが、勿論今でもそう。
ムダにくたびれ儲けばかりしている、ホントしょうもない私です・・・。

 



カッコしてあるのはこれまで行った所→

177・178日目 GW大隅半島ドライブ~鹿屋

2017-08-02 23:52:28 | 九州南部
平成29(2017)年4月30日(日)・5月1日(月)


(注)特に断りがなければ、4月30日での出来事になります。

「鹿児島県は何故か坂を上った所によくいるから」
鹿児島空港のレンタカー屋さんに念入りに口酸っぱく注意されたのがこれ。

ナニがいるかって?
いらないってのに青い紙切れを押し渡し?してくれるあのお方たち。
ですので、これまで比較的おとなしめに(特に坂は)走っていましたが、全くお目にかかれず「言うほどの事ないじゃん」と思い始めた矢先・・・。

↓坂を上り切って、垂水(たるみず)市と鹿屋(かのや)市との境にある、この変わった名前の交差点に来たらこっそり口を開けて待っていたりする。

近くにはその名もまさに「まさかり海水浴場」があり、遠浅で波は静か、対岸には薩摩半島・開聞岳、右手には桜島が望めて、現地ではよく知られた海水浴場なんだそう。

ところで何で「まさかり」なのじゃ?
この海岸は昔から砂鉄が採れたので刀剣を作っていたらしいとの事ですが、「まさかり」もよく作られていたんでしょうか?よう分かりません。

さらに南へ走り、荒平天神(あらひらてんじん)へ→
海に突き出た岩山の上に神社が建立されていて、祀られている神様は「天神」とありますとおり、学問の神様・菅原道真公。
夕暮れ時の景色は特にいいらしい。

この映画を見た方は、是非思い出してみて下さい→

勿論登ってみます→
階段は急すぎ。おまけに祠のある頂上は狭い上に、人で大渋滞中。
一応見たは見たのですが、撮影は憚られる状態だったので断念。

↓翌日(5月1日)にも寄ったのでした(というより通りがかった)。

人もいなかったのだから、この時にまた登って祠を写せばよかったのだけど、面倒くさかったのでやめた。

次、海上自衛隊鹿屋航空基地→
着いたのは16時半頃でしたが、人・車がゾロゾロ門から出てくる。
そして来るまでは知らなかったけど、何らかの催しがあったことがすぐに分かりました。

私のお目当てはこの史料館だったワケですが・・・→
イベントがあるのは知らなかったとは言え、何とも間の悪い事。

史料館は閉館が17時であるのは知っていたので、「どうかなあー、入れっかな?」と思いつつ入口へ。
タッチの差でした・・・→
それでも明日(5月1日)も鹿屋を通る予定だったので、明日来ればいいかと、その時はお気楽にしか考えていなかったのですが・・・。

入口で佇んでいると屋外にいた事務員の人がツカツカとやってきて「お客さん、もう終わったよ!」。
そんな事百も承知ですが、でも、ちょうどいいのでしばし話し相手になってもらう。
「今日は何の催しなんですか?(分かってはいたけど一応聞いてみる)」
「んー、飛行機が飛んだりのショーみたいなもの」
「明日もやるんですか?(これは知らなかったのでマジメに聞いた)」
「昨日今日だけ・・・」
ホント、間が悪すぎ(苦笑)。
しばらくいろいろと話ししてから「明日必ず史料館に来ますよ」と言って、その場を立ち去る。

敷地内には特攻隊の慰霊碑があります→
鹿屋には旧海軍航空部隊の特攻隊の最大の出撃基地がありました。
特攻隊に関しての知名度は同じ鹿児島の知覧(ちらん)の方が圧倒的に高いですが(知覧は陸軍)、でも、陸海軍を区別する必要はありません。どちらも日本のために戦ってくれた英霊たちなので。
特攻で亡くなった全ての方に向けて手を合わせる。

↓史料館の1階に海上自衛隊関連、2階には特攻隊を始めとする旧海軍航空基地時代関連の展示があって、屋外には海上自衛隊で使用された航空機などが置かれています。
 

町中心部へ。
(650)鹿児島県鹿屋市役所
大隅半島の中心部に位置し、この辺りの行政・経済・産業の核となる都市。
でも昔はカヤが密生していた原野の状態だったらしく、それが地名の由来になっているらしいです。
実際、市中心に近い所の道路沿いこそそれなりにロードサイト店が広がっていますが、一歩離れると畑や牧場が広がる長閑な風景に出会えます。
特産は黒豚、黒毛和牛、ブロイラー、芋など。

この町には鉄道が走っていませんが、人口は10万人余りいたりします。
これだけの規模の人がいながら鉄道がないなんて、こんな都市なかなかお目にかかれません。

↓ところが昔は列車が走っていまして、今の市役所がある所は、元々は垂水市の時にも紹介した国鉄大隅線の鹿屋駅の跡地で、庁舎の横(上の写真の左側)には「鹿屋市鉄道記念館」があります。
 
ここも16時半で閉館は知っていたけど、建物の周囲をウロウロしていると、またしてここの事務員さんがお出まし。
「いや~~、すみませんねぇ、終わりです」
「明日また来ますから」
明日は休み
間の悪さは最早神レベルの域に達しつつあるような(大苦笑)。

私は大隅線には乗った事ないのですが、走っていた当時の事を聞くとやっぱりガラガラだったそうな。
そして「鹿屋は廃れる一方だ、ダメだ」と呟いた言葉がとても哀しく切ない。

この後は市街地をブラブラしたのですが、それは次回にて。
↓5月1日についてですが、荒平天神を見た後は、あちこち見て廻ってから再び鹿屋市入りし、吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ)に行ったので、それについてここで触れておきます。


↓中はきちんと手入れされていて、参道には木がそそり立ち、川のせせらぎと鳥の鳴き声しか聞こえなさそうな厳かな雰囲気。
 

↓それもそのハズ、ここは神武天皇の両親のお墓とされています。

鹿児島県内にある神武天皇の曽祖父・祖父・父三代の陵墓である神代三山陵(かみよさんりょう)の一つ。
しかも、全国でも珍しい岩屋のお墓なんだそう。

雰囲気はあたかも伊勢神宮内宮。故に「小伊勢」とも呼ばれているそうです。
ところが私が行った時はちょうど掃除の真っ最中、一人掃除機が「ウィーーーーン」と静寂を切り裂く大きな音を響かせていて神聖な雰囲気も台無し。

さて、海上自衛隊鹿屋航空基地史料館ですが、あちこち行き過ぎたので見学する時間がなくなってしまいました。
事務員さん、約束を反故にしてしまい、すみませぬ。

 



カッコしてあるのはこれまで行った所→