ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

113日目 2015年の歩き初めは多久市

2015-03-30 23:30:30 | 九州北部
平成27(2015)年1月1日(木)


ようやくこのブログも今年に入りました。3か月前の事を思い出すのは大変(汗)。

2015年の幕開けは、強烈な冬型の気圧配置により日本海側を中心に広い範囲で大雪に見舞われたのでございました。
今は桜満開、春爛漫で心ウキウキの季節になったというのに、お正月の時など覚えとるか!ですよね・・・。
九州北部ですら、多いところで20センチの積雪予想でありました。

そんなタイミング悪の時期でありましたので、千葉に帰ったのは翌2日でしたが、極寒とたまにですけど強烈に吹きすさぶ風雪との戦いの2日間となってしまいました。
というか、前日から酷い寒さでしたので、3日間ずっと極寒修行をしていた訳であります(好きで苦難の状況に自らを追い込んでいるかのように見えますが、決してМではございませんので)。

夜明け頃にちいと降り積もった佐賀市内です→

↓佐賀駅からは唐津線という、佐賀と唐津を結ぶローカル線に乗りまして、中多久駅にて降ります。


駅前通りを身を縮こませてテクテク歩きます→
元旦から、寒い街を意味なく?(でもないけど)フラついているのは自分くらいなもんだろうね。

(476)佐賀県多久市役所
平成27年の第1号訪問地でございます。
人口は2万人くらいの、かつては炭鉱で栄えた町。
その証しとなる遺構がいくつか残っておりますので、後で紹介します。

↓西へ西へ、市中心部に向かって歩きます。

多久市に来て、初めて会った人です(笑)

素敵すぎるバラック→
中を探検してみたいけど、突如の崩壊が怖い・・・。

背後に見える山は、女山。別名・船山(標高695m)→
佐賀藩と唐津藩の境界の山で、手前左の山はボタ山。

↓多久駅東側にある市中心部の商店街に参りました。


こちらは駅の西側商店街→

駅東側にある三菱古賀山炭鉱のホッパー→
ホッパーとは、鉱石などを貯めておく貯蔵槽。
三菱古賀山炭鉱とは:明治23(1890)年に三菱が古賀山炭鉱を譲り受け、最盛期には従業員1000名、年間最大出炭量53トンを誇ったものの、昭和43(1968)年1月に閉山。

事務所なんかに使われたらしき建物→
ホッパーの裏にあり、噂レベルですが、日本で初めて三菱製エレベーターが設置されたらしい。
古い写真を見ると、近くにシックナー(鉱石を選り分ける装置)跡もあるのですが、今もあるかどうかは知りません。

竪坑櫓→
中多久駅のお隣(多久駅とは反対側、佐賀寄り)の東多久駅近くにある遺構。

昨年10月の九州旅行でもいくつかの炭鉱跡に行きましたが、やっぱり九州を訪れたならこれを見ないとね。
男のロマンを感じさせてくれる、この素晴らしき遺構たちに乾杯!(女性にはこの感覚、分からんだろうが)。

多久駅→

駅構内にあったもの→
多久聖廟は、学問の神様である儒学の祖・孔子を祀る廟。
でも、桜サクも過ぎ去った今のこの時期に、合格祈願の神様を紹介してもらっても・・・。
何でもっと早く教えてくれないんだと、不幸にも来年チャレンジの機会を与えられてしまった?人に怒られそうだ(スマン)。来年はいい思いができるよう、是非行ってみてね。

↓九州で気温1度を経験するとは夢にも思わなかったでござるよ。


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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

112日目 寒風吹きつける杵島郡へ

2015-03-29 00:30:10 | 九州北部
2014年12月31日(水)


メチャ寒い上に、武雄では雷雨に見舞われ、ご難というか試練続きに見舞われた大晦日。

15時16分、大町駅に到着→
ここで密かに楽しみしていたB級グルメがありまして・・・。

駅ホームでも宣伝しております→
知名度はB級どころかC級・D級レベルかもしれませんけど、旨そうではありませんか!
心配はただ一つ、お店が開いているかどうかだけ。

駅前の国道34号線を東に向かいます→

ボタ山わんぱく公園(手前の山の上)→
2年前にできたボタ山を利用した健康的なお遊び処で、とりわけ「草スキー場」が人気らしいです。
ただ、本当にスキーをするのではなく、ソリで滑るらしい。 
ボタ山があるって事は昔この辺には炭鉱があった訳でして、その名も杵島(きしま)炭鉱。
かなり大きな炭鉱だったらしい。

おおまちまちおおまち?→
くどいというか奇妙な地名。読み方は「おおまちちょうおおまち」。

(474)佐賀県杵島郡大町町役場

↓役場前には長崎街道が通っているので、街道散策しながら駅方向へ。

古街道の雰囲気はそれなりに感じられます。
さらに進むと商店が軒を連ねるようになるのですが、それはそれは廃れっぷりがハンパなく、気の毒なほどボロ屋が多く建ち並んでおりまして・・・。

大町たろめん屋さん→
やっている雰囲気、まるでなし。
ま、99.999パーセントこうだろうなとは思っていましたが・・・(なので、落胆はあまりなし)。

↓鉄の人たちには知名度抜群の肥前山口駅へ。



昔から長崎と佐世保の分岐点という交通の要衝だったことに加え、10年ほど前、某2世タレントがJRの一番長い切符で稚内からこの駅まで挑んだNHKの企画番組がありましたしね。
でもそういう切符の終点駅としてはあまりふさわしくないような気が。
中間駅ではなく、やっぱり行き止まりの駅じゃないとね。

↓駅正面のお山。竹が冷たい強烈な風で大きく揺れている。

すぐ電車に飛び乗り、この日の宿泊予定地の佐賀へ行ってしまおうか我が心も揺れる。
気温は11度となっていますが、1.1度の間違いじゃないかと思えるくらい寒いんで・・・。

↓この町の長崎街道は、道端の碑以外は古きを感じさせる雰囲気全くなし。


(475)佐賀県杵島郡江北町(こうほくまち)役場
町名が全く個性的でないので、いっそ知名度ある肥前山口を町名にした方がいいように思うんですけどね。
それに改称したとしても地域振興となる保証はないけど。

↓廃れてボロボロになった元飲み屋らしきが連なる駅東側


↓趣味悪いけど、夜逃げした(と思われる)お店の中を覗いてみる。

3年前にこの町に立ち寄った際にも覗いたお店ですが、しっかりと中も外も維持?されていました。

↓南側は煌びやか、今を象徴するロードサイトのお店の数々。

これを見ていると、古くからの駅前商店街の起死回生は・・・ないね。

寒風で体が冷え、さらに冷え切った2つの町並みを見て心底冷え冷えしてしまったので、佐賀駅を降りてからは脇目も振らずホテルへ行き、まずはヌクヌクしないと!

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112日目 湯でなく水でずぶ濡れ武雄温泉

2015-03-27 00:17:08 | 九州北部
2014年12月31日(水)


お次は武雄(たけお)市の散策です。
ここは何といっても、風土記にも登場するくらいの歴史を誇る武雄温泉でしょう。
そのシンボルである国の重要文化財・楼門は是非見ておかないと!

武雄温泉駅南口→
以前この駅を通った時は、まだ地上駅で高架工事中でした。立派な駅になったもんだ。

まずは駅の南口側の方の散策から。
と思ったら、いきなり大雨。傘がないので、しばらく駅で足止め。
傘は旅の必需品だろ?それくらい持ってきていないのか?と突っ込まれそうですが。
実は佐世保のホテルに置いてきてしまったのです。
それに気づいたのは、パラパラ雨に遭遇した西有田駅にて。困った時に限って不幸は降りかかるもんですなあ。
日頃の行いは品行方正、いいハズなんだけどな・・・(勝手な思い込み)。

ただ、すぐに止んだので歩き始めますが、いつまた降り出してもおかしくない空模様。
実際、この後は降ったり止んだりの繰り返しで、しかも途中からは雷鳴まで轟く有り様。
コンビニで傘を買えばいいのだけど、何だかくやしい。たかだか数百円なんですけど(変な所で意地っ張り)。
ただ、コートにはフードが付いており、それで凌げるかなと。病み上がりのわりに楽観的(すぎ)

塚崎の大楠→
佐賀県第3位の巨木。
昭和38(1963)年の落雷で木の上部分がなくなり、空洞ができてしまったという。
なるほど、どことなく断末魔の叫びが如き姿をしているような。

筑波山のような形の山→
御船山。この反対側は春は桜・つつじ・藤、秋は紅葉で綺麗らしい。
桜はもう咲いているんかな?

↓武雄神社




神社裏手奥にある「武雄の大楠」→
柵があるので近寄れません。なので小さく見えますが、樹高30m・幹周り20mの、県内第2位、全国的に見ても第6位の巨木。

こちらも中は空洞→
中の広さは12畳。祠があるので、神聖なカホリを醸し出しております。
この大楠は武雄のパワースポットとして、近年注目度はなまる急上昇中。

この神社近くには、最近マスコミでよく登場するようになった市の図書館があります。
どうせ閉まっているんだろ、と思いきや、この年迫った時期でもやっており、というより年中無休。
ツタヤがある、スタバがあるで、入ってしまったら最後、もうそこを離れられなくなりそうなので、泣く泣くやめておく。

(473)佐賀県武雄市役所
人口は約5万人。
神社を出てから大雨に祟られたので、電車高架線の下でしばらく雨宿り。

いよいよ開湯から1300年の武雄温泉へ。

役所から通じるこの通りを右に折れる→

武雄温泉のシンボル・竜宮城を象った楼門→
大正4(1915)年に建築されたので今年100歳!設計は辰野金吾氏。
んっ?、辰野金吾・・・。どっかで聞いたような・・・。
昨年同じく100歳を迎えた東京駅を設計したあのお方でございます。
和から洋から、何でもござれの氏はスゲー。因みに氏は佐賀県出身。

武雄温泉新館(奥の建物)→
雨宿りで時間を食ったので、入浴は断念。

温泉前の歓楽街→
手前の自動車の左横には、『まちなか案内所「がばい」』があります。
あの婆様で全国的に知られるようになった佐賀弁「がばい」。ただ、この言葉の意味は「とても」というらしいから、『「とても」ばあちゃん・まちなか案内所「とても」』・・・、意味がわからん。

雷鳴が鳴り響き始めたので、土砂降りにでもなったら面倒だし、まだ降っていないうちに駅に戻る事にしたのですが。

↓長崎街道



間に合いませんでした。それどころか、駅が近づくにつれ段々雨脚が酷くなり、びしょびしょの濡れ鼠に。
ああ、お天道様は何て意地悪・・・。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

112日目 まったり有田散歩

2015-03-24 22:53:30 | 九州北部
2014年12月31日(水)


来年はめでたい400周年の磁器・有田焼。
そんな記念すべき年を刻々と迎える有田町の様子をお届けします。

さて、佐賀・長崎両県には陶磁器の町が多く、あたかも「焼き物銀座」の様相を呈しております。
前回の三川内・波佐見に今回の有田。さらには伊万里・唐津といった具合。

頃は太閤秀吉の時代。朝鮮の役で、時の佐賀藩主は多くの現地の陶工を連れ帰り(拉○ったなんて事はないよね?)、そのうちの一人が元和2(1616)年に有田泉山で白磁鉱を発見し、それ以降磁器を作るようになっていったという。だから400年。
佐賀藩は奥義中の奥義をむざむざと他所に漏らしてなるものかとばかり、磁器の製造法を守るべく積み出しを伊万里港だけにしたため、有田焼を含めこの辺りで作られた焼き物は、伊万里焼と呼ばれるようになったという。
1か月あまりもすれば世間はGWに突入しますが、ここ有田はまたとない書き入れ時を迎えます。
有田陶器市。昔この辺を旅行している際に一度遭遇した事がありましたが、それはそれは町中賑やかそのもの。

↓有田駅と駅前




「創ギャラリーおおた」というお店→
ここの名物は幟のご当地グルメ。
駅弁にもなっていまして、かの有名な大食い女性タレントが全国の駅弁の中で1位に選んだシロモノ。ある意味食の達人が厳選したものだから間違いない!
気になる方は、ココをクリックしてね。
わたしゃ、上に載っかっている黄色いものが超苦手なので用なく、器も興味なし・・・。

県道35号線を東に向かって歩きます→
招いても招いても来ざるどころか通らぬ客・・・。あはれ。

川沿いのウラ道→
京都の鴨川納涼床みたいにすれば、もしかしたらいい商売になるかと思ったんだけど。
かなりムリがあるでしょうか?

↓踏切を越すと、焼き物以外の有田の顔が見え始めます。


↓有田内山重要伝統的建造物群保存地区







江戸後期~昭和初期の和洋風建物がたくさん見られます、うんざりするほど。
しかも、これでもかっ、とばかり焼き物屋さんが軒を連ねます。
文政11(1828)年にやってきた台風と大火事のダブルパンチにより町は壊滅、今ある建物はほとんどがそれ以降のもの。

有田館→
世界でもここでしか見られない「磁器製のカラクリ人形」があります。
「世界唯一」とか「日本唯一」とか、そんな冠が付いていると無性に見たくなるのが人情。ですが、ああ無情。

↓表通りがこうなら、裏通りもまた趣きがあって素敵
 

宮内庁御用達・辻精磁社の「トンバイ塀」→
有田の一つの顔でもあるこれ。登り窯を壊したときの煉瓦で造った塀。
あっちこっちで見られます。
宮内庁御用達は他に香蘭社・深川製磁の二社があります。

せっせと歩きに歩いて上有田駅へ→
これまた風情のある駅舎。
はたまた電車に乗りまして、東へ東へ、牛歩並みに千葉に近づいて行きます。

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112日目 人が歩けば焼き物に当たる

2015-03-22 13:45:26 | 九州北部
2014年12月31日(水)


↓2014年の最終日を迎えました(ブログもやっとここまで来ました、やれやれです・・・)。

千葉を出てからは、比較的暖かい日が続いていましたが、この日から冬らしい厳しい寒さに見舞われるとの予報。
風邪もなんとか騙し騙し治しに持っていったのですが、ここでぶり返すと元も子もないので用心しないといけません。

↓佐世保駅7時37分発の電車で、4つ先の同じく佐世保市の三川内(みかわち)駅へ。



ひっそり佇む駅舎。
「○かん」が出没する雰囲気が全く感じられない所ですが、その反面、いざ不幸にも遭遇したらどうにもならないような場所にも思えます。

波佐見町(はさみちょう)へ行くバスが来るまで時間があるので、駅周辺をブラブラして時間を潰します。

駅前にある玉泉窯(ぎょくせんがま)という窯元→
三川内焼が売りの地区。「透かし彫り」は400年も続く技法らしい。

遠くからでも目立つ窯元の煙突→

その下はというと、→
失敗作?の捨て場、というより墓場。 
納得のいくモノができるまで、裏ではこんなにムダが出来てしまうという事なんですかね・・・。
商売とは大変なものだねー。

一面霜降り状態→
それだけ夜中は寒かったし、まだ朝も早いので寒い。

波佐見町役場前バス停にて下車→
乗車したバスは佐世保からやってきたものなので、これを佐世保から使えば30分だけホテルでゆっくりできたんですけど・・・。
今回の旅は千葉⇔佐世保の往復乗車券を買っていまして、この日からは復路分を使うので、せっかくなので電車を使おうというケチな魂胆。

(471)長崎県東彼杵(ひがしそのぎ)郡波佐見町役場
ここも陶磁器・波佐見焼の産地。

↓バスを降りた通りにこれの看板が出ていたので、名前が気になったのもあって来てみる。

ちょっとオネエ系なカオリのする屋号「ほほほのほ」。「ホホホのオネエさん」がホウキを持って、「お出かけですか~?」などと声をかけてくるんじゃないかと勝手に妄想(ちょっぴり期待?も)していた私でございます。
大正時代築の建物で生活雑貨品を売っている「古民家生活ギャラリー」。

少し折り返しのバスが来るまで少し時間があります。
何か面白いものはないかと旧道を歩いてみます→

↓一応ありました・・・。



旧道の裏通りにひっそり佇む波佐見街道(波佐見を軸に四方に延びる往還)の宿場町。
ま、見るべきはこれだけでした・・・(寂)。

長崎県の町巡りはこれにて終了、続いて佐賀県に入ります。

↓有田駅に行き、前々日に乗った松浦鉄道で西有田駅へ。

左の建物が駅舎。

(472)佐賀県西松浦郡有田町(ありたちょう)役場
人口約2万人の、超有名な有田焼の産地。
後ほど、しばらく町中心部を散策するのですが、その様子は次回にて。

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行った所
 

111日目 佐世保の夕暮れと夜

2015-03-19 23:53:03 | 九州北部
2014年12月30日(火)


相生橋停留所から乗ったバスは、唸りを上げ、息も絶え絶え山を登ります。

こんな急斜面ですからね、エンジンも辛いよ→

17時前、弓張岳(ゆみはりだけ)山頂にある展望台に到着。
弓張岳は標高は364mで、ここは佐世保市街地・佐世保湾・九十九島が一望できる絶好のビュースポット。

この階段を上がるとパーッと視界が開けます→

↓上に行くと、一匹の目付きの悪そうなニャーが行く手を阻むかのように立ちふさがる。


ガン付けられているかと思い、頭を押さえつけて虐t・・・→
これがやたら人懐っこく、くっ付いて離れない。
普段ネコには全くモテないので、最初は私も喜んで頭をナデナデするなど相手していましたけど、何かおかしい・・・。
どうやらコヤツは食いもんをねだっているようだ
実は食いかけのアンパンを持っていたのですが、でもむやみに餌付けするのもねえ・・・。
結局、やりませんでした。ボク、ケチすぎ。

↓まだ日が落ちる前の佐世保市街


アメリカの戦艦もこぞって年末休み突入?→

九十九島を望める展望台→
もう既に人が鈴なり。
でも、少しずつ間に入り込んでいって自分のスペースを確保する。

↓終の日の入り一日前も、もう間近。


↓あっけなくお日様がお隠れになる。

因みにこの日の長崎の日没は、17時半ちょっと前。
水平線に夕日が落ちる様子を皆が期待していたのですが、海上に漂うモヤの中に消えた瞬間、あ~あのため息。
そしたら、とりあえず最低見るべきは見たとばかり、他の人は一斉に退散。
一方の私と言えば、寒さがますますきつくなる中、バスが発車する18時すぎまで待たねばなりません。
人生は忍耐に辛抱の連続ですな。

やっと暗くなりました。

佐世保と言えば、その6 (と言うほど有名とは言い難いけど・・・)

夜景
「高い所から街を見れば、どこも綺麗でしょ」という難癖はナシね。

以下は夜の市街地の姿でございます。

四ヶ町商店街の島瀬公園→

夜店公園通り→
多くの飲んだくれが闊歩していて賑やか。

四ヶ町商店街の入口(28日撮影)→

駅近くの国道35号線(28日撮影)→
真ん中に浮かぶトンガリは、三浦町カトリック教会聖心天主堂。

長いこと居座った佐世保市も翌日でお別れです。名残惜しや。

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111日目 様々な顔がある町・佐世保

2015-03-17 23:59:47 | 九州北部
2014年12月30日(火)


↓湾の入口が狭く湾内部が南北に長いが故に、天然の良港と呼ばれる佐世保港に戻ってきました。

右には「させぼ5番街」という商業施設があります。
前々日にここで船を降りた時、あれっ、港は以前こんなんだったっけ?と思いましたが、なるほど、この施設は一昨年(平成25年)にできたばかりなんだってさ。

この日の後の予定は佐世保市街に繰り出すのみにします(元々そうする予定で、船酔いは関係はない)。

↓駅の東口側、国道35号線を北西方向に歩くと、すぐ目に付く「三浦町カトリック教会」。

昭和6(1931)年に建てられ、戦争中は空襲の目標となるため、黒く塗られていたという。
でもその甲斐あってか、何とか焼失を回避。神のご加護、偉大すぎる。
夜の姿はなかなか綺麗。

そのまま国道を進み、歩道橋を上がる。
道路の左右にあるのが「京町通り」という商店街→

防空壕跡を利用したお店が連なる「とんねる横丁」→
佐世保と言えば、その1
まずは、看板にあるとおり超有名ご当地グルメ「佐世保バーガー」。
ただ、私はハンバーガーが嫌いなので、当ブログでは登場しません。あしからず。

↓戸尾市場街
 
大正時代からの庶民の台所。正月を間近にして、買い出しに来る人で大賑わい。

佐世保と言えば、その2
日本一元気な商店街
「四ヶ町商店街」と「三ヶ町商店街」からなる、屋根続きの一直線のアーケードとしては長さ日本一(約1キロ)の「さるくシティ4○3」。

↓元気日本一面目躍如の人の多さ



ホント、どの地方の商店街もこうあって欲しいですな。

それと気付いたのですが、街中では自転車に乗っている人がほとんどいない。とにかく、感心するほど皆よく歩いていますわ。
平地部分が少なく坂が多いので、自転車が使いにくいんでしょうな。
だから自然と商店街を歩くようになるんですかね?

アーケードの終わり部分は「国際通り」→

佐世保と言えば、その3
海軍の町。明治初期は一寒村に過ぎなかった佐世保は、海軍佐世保鎮守府が置かれてから一気に発展。
今現在でも、以下のとおりの状態でございます。

↓国際通りを写真の方向に進むとある「海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)」

旧日本海軍・海上自衛隊などの歴史を学べる史料館で、純白の帆をイメージした建物。
でも、閉館でございます・・・。

史料館近くの「佐世保中央IC」→
右奥には、高速道路に隠れていますが、「海上自衛隊佐世保地方総監部」が、左にはチラリと「自衛隊佐世保病院」が写っています。さらに奥には超有名提督に由来する「ニミッツパーク」や「米海軍佐世保基地」があります。

佐世保川に沿って上流方向に歩くと、ひっそり静まり返った官庁街。

(470)長崎県佐世保市役所
佐世保と言えば、その4
中世ヨーロッパを再現した有名な「ハウステンボス」がありますが、私は全く興味がないので、きっと未来永劫行かないでしょう。

佐世保と言えば、その5
九十九島(くじゅうくしま)、昭和30(1955)年に指定を受けた西海国立公園の一部。
佐世保から平戸の近くまでの海域に連なる200余りの島々で、数はさすがに日本三景・松島に負けるけど、島の密集度は日本一というほど、島でゴチャゴチャしている箇所。

その一部を見るために、ここからバスに乗ります→
どこから見るかというと、4.4キロ先の所です!

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

111日目 再びの五島列島、中通島へ(2)

2015-03-14 23:55:00 | 九州北部
2014年12月30日(火)


今や恒例行事となった春の寝台列車の定期走行廃止に加え、今年は北陸新幹線の延伸も手伝って、木曜日あたりから鉄道の話題でマスコミが大騒ぎです。
こういう狂想曲もきっと来年でいよいよ完結編を迎えるんでしょうなあ。
実は、私はそのビッグネーム2本とも北陸新幹線の既営業区間にも乗ったことがなかった(ない)んですが、そのせいか廃止・延伸ともに特段の深い感慨はなく・・・。
振り返るに、昔は列車の廃止がマスコミに取り上げられるなんてほとんどなかったけど、大阪-青森間を走っていた特急白鳥の廃止の時が初めてだったかなあ?
でも、それもこれも、以前から存在していた今でいう「葬式鉄」と呼ばれる輩の、ある種の暴徒化的行動がマスコミを呼んでしまったきらいがあるように思うんだけど。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

有川からバスに乗りまして、青方へ→
右の白い建物は、西肥バスの青方バスセンター。
ここは中通島が合併で新上五島町(しんかみごとうちょう)となる以前に存在していた上五島町に属していた地区。
ちなみに他に合併した町は、有川町・若松町・新魚目町(しんうおのめちょう)・奈良尾町。

↓バスセンターの目の前にある「メル・カピィあおかた」

「メル」はスペイン語で市場を意味する「メルカード」から、「カピィ」は旧上五島町に伝わる河童伝説による町のマスコットキャラクターに因んでいるとの事。

過疎化が進んでお手上げの「カピィ(と思われる)」が目印→
どうせ、地場産の海産物や野菜、特産品なんかが売っているお店なんだろうとお思いでしょう。実際そのとおり。

ここは前々日船から眺めた町で、その際に寄港した青方の中心部からやや離れた1.2kmほどの場所にある青方港まで歩いてみることにします。

海沿いを走る国道384号線をテクテク・・・→

沖の方を見る→
洋上石油備蓄基地は今日も健在(当たり前)。
船で基地に行けて見学もできるらしいけど、要予約の上、ある程度の人数でないとダメとの事・・・。

フェリーターミナル→

中心部に戻ります。
青方の漁港が丸見え→

国道384号線の商店街→
車の交通量は意外に多く、帰省で普段よりも増えてはいるのでしょうけど、それを考慮しても多い。離島のイメージを覆すかのような驚き。
表通りは青方は有川に比べると通行人があり、中心部は思っていたよりも賑やかな感じでした。これも帰省シーズンだから?

その裏通り→

そのさらに裏の裏通り→
さすがに裏ともなると人はいないけど、昔ながらの建物が密集する趣きのある集落。

再び国道384号線へ出ますが、有川に戻るタイミングのいいバスがないし、乗る船が出るまでかなり時間があるので、歩いて有川に行くことにします。
とは言っても、5.5kmくらいあるし、いきなり険しい山を登らないといけない(汗)。

(469)長崎県南松浦郡新上五島町役場
さきほど賑やかと書きましたが、実は島の人口はグングン減っていているのが実情。
この40年で半分に減った(現在2万1千人ほど)というから事態は相当深刻に思われます。
確かにたまに来るには非常に魅力的な所だとは思いますが、住むとなるとなあ。

その険しい山登りの坂道から青方を振り返る→

峠に来ました→
ここから旧・新魚目町。しかし、何とも言えないネーミングの旧町名。

↓町の様子



ここも廃れた印象を感じさせない町でした。

「七目」という地区だったかな?そこからの海→
美しい景色を見ながらプラプラ歩くのも悪くないね。

有川に戻ってきてからの事は前回に書いたとおり。

じゃあね、中通島→
恐れていた帰りの船揺れ負けは、意識過剰だったせいもあり、やっぱり起こってしまいました。
でも、島ではスーパーやら薬局やらを見かけたのに、酔い止めの薬を買おうという考えが全く沸かなかったのは、ホントバカだよねー(タラウマとなったんじゃなかったっけ?)。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

111日目 再びの五島列島、中通島へ(1)

2015-03-11 23:53:26 | 九州北部
2014年12月30日(火)


もうあれから4年なのですね。ホント、月日の流れるのは早いです。
毎年被災地へ行って、僅かですがお金を落としてきましたが、今年は行けるかなあ?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この日は、前々日に船からその姿だけを見るに留めた、約2万人が暮らしている中通島(なかどおりじま)に行くことにします。

ここで軽く島の説明を。
位置はここ→

今では島ごと長崎県南松浦郡新上五島町(しんかみごとうちょう)に属していますが、平成16年の合併までは5つの町に分かれていました。
面積は約170平方キロで、北海道・本州・四国・九州を含めると国内では23番目の大きさ。
海に囲まれているので、当然水産業が基幹産業なのですが、耕地が少ないながらも、麦や芋の栽培・牧牛・養豚が盛んとの事。
この中通島を中心とした、これら地域は「上五島」と呼ばれています。

↓さてさて、佐世保港を7時半に出る五島産業汽船の高速船「ありかわ1号」有川港行きで出発です。

片道4,120円とややお高めの感ですが、遠い離島まで1時間半の速達で運んでくれるのだからしゃーない。
客は10人ほど。私は船体後方の雑魚寝部屋に陣取ります。

↓佐世保湾内は猛スピードながらも比較的穏やかな進行


↓ところが、大海原に出るとどうだ・・・。



この日はそこそこ波がうねっておりまして・・・。

当然、揺れに揺れる! しかもたまに波を滑降台代わりにジャンプしているし(笑)。
ここが陸地なら、クロカンしている状態。

初めは、なかなかない経験なので、子供の如く「おおー、すげー」と大喜びしながら外を見ていたのですが、次第に飽きて横になります。となると、うねりに従った船の縦揺れを体全体で目一杯感じる以外、する事がありません。

やがて・・・ → ん? ちょっとマズイ状況になりつつあるかも・・・。

そして・・・ → かなりヤバくかい?

ついには・・・ → やっぱりヤバイ!!(実際、怪しい汗が吹き出ている)あと何分かかるんだ? 
           う゛っ、まだ半分か・・・。1分、1秒がやたら長げーし。耐えろ俺!

いよいよ、ムリ。もうダメかも!!!
と思った瞬間、揺れがかなり緩みました(恐らくうねった所を脱したのかと)。港まであと20分程度くらいの所だったでしょうか、このままだったら何とかなるかも・・・。

↓周りの人たちに不快な思いをさせるような事態は免れましたが、フラフラな状態で上五島の玄関口・有川港に上陸。


船の揺れには強いと過信していて、甘く見ていたのが失敗の元でありまして、これで完全にトラウマとなってしまったと思われ(というか、確信)。
これから高速船に乗る時は、酔い止め薬を飲んでおいた方が良さそうでござる。

有川港多目的ターミナル鯨賓館の中→
賓館の間違いではありません。上五島は捕鯨が盛んだった地域で、そこからもじったもの。
左にある大きくて黒いのは坂本竜馬像。彼と島の関係については、コチラを参照して下さい。

ここで鯨の事が学べます→

こちら島の看板娘→
「ゆるキャラ」よりは目立たないものの、それでも割とあちこちでよく見かける所謂「萌えキャラ」。
ちなみにここのご当地ゆるキャラは「みことちゃん」といいます。

ターミナルを外から→

↓港近くの有川名店街



人はあまり見かけなかったので、やっぱり離島の集落はこんなもんかね、と思ったものですが。

~別の地区に行って、再び戻ってきました~

大川に架かる「有川大橋」より→
上流の方向、左が有川名店街。

ターミナル近くにある「海童神社」→
3年連続で6月17日に海での溺死が起こったので、事故防止のために元和6(1620)年に、当時離れ小島だったここに石祠を建立し、海童神を奉祀したのが発端とされる神社。
この神社の最大の特徴は、何といっても普段よく見られる鳥居の後ろの「ハ」の字の形をしたもの。これも鳥居だそうで、素材はナガスクジラの顎骨

島の英雄、横綱・佐田の山→

鯨見山(くじらみやま)→
手前にあるは「五島うどんの里」。
「幻のうどん」と呼ばれた細くて食べやすい五島うどん。「日本三大うどん」の一つとされているようですが、讃岐・稲庭はほぼ確定、残り一つの座をあちこちが争っていのが実際の状況らしいです。
さて、食事できるお店はどこもやっていません・・・。有川港ターミナル内のうどん屋さんも同じ。
すするのを楽しみにしていたんですけど、仕方ないので佐世保で乾麺を買って千葉に帰ることにしました。

↓山からの眺め

素晴らしいの一言に尽きる!!

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110日目 伊万里の超絶鉄板スポット

2015-03-09 23:57:40 | 九州北部
2014年12月29日(月)


楠久(くすく)という、現地の人以外はだれーーーも知らないであろう駅で降りた理由。それは・・・。
単なる気まぐれでございます(うそ)。
今や佐賀県・伊万里(いまり)市の超有名スポットとなっている某所へ行くからでして・・・。

伊万里市と言えば、大抵の人は陶磁器で思い浮かべるのでしょうし、それが普通でございます。
ただ、私は焼き物には全く興味なく、鍋島藩御用窯が置かれた「秘窯の里・大川内山」は全然行くつもりはありません。

駅からは国道204号線方向を目指しまして、歩くこと10分程度。

由緒ありげな建物→

入口の白い蔵から入ると・・・→
たくさんの展示品やら、真ん中のテーブルにはお酒やら・・・。
ここは「松浦一酒造」という、正徳6(1716)年創業の老舗作り酒屋。ナルホド、酒を飲みに来たのですな?
それも勿論ありますが、それだけじゃありません!

正面奥に近づいて行きますと・・・
なんじゃこの得体の知れないものは!?
ミイラでございます(それは見れば分かる)。その正体は、カッパ!
でも、畏れ多くもここでは水神様として大切におまつりされているのであります。
この造り酒屋さんやミイラの詳細について興味ある方は松浦一酒造のHPをご覧下さいませ。

もちろんロハでいろいろなお酒の試飲させて貰いました。申し訳ないので、甘酒2本を買って親に送りました。
酒屋の人に、カッパはモノホンかであるか野暮なことを聞こうかと思いましたけど、ホンマもんと思っていた方がロマンがあっていいではないか、と考え直したのでやめました。

松浦鉄道の伊万里駅に着きました→

↓駅南側で見つけた、いかなるコンセプトで建てたのか知りたい、変わった形の家


(468)佐賀県伊万里市役所
江戸時代は陶磁器の積み出しで栄えた町で、昨年、市制から還暦を迎えました。
人口は5万6千人あまり。全国的にはさほど有名ではない感じですが、「牛(もちろん食べる方)」が特産。

ロイヤルチェスター伊万里→
やたら目立つ建物。教会ではありません。男にとっては、ホンネでは大金を落としたくない所。

跨線橋から見るJRの伊万里駅→
とてもこじんまりとした簡素な駅ホーム。

中心街の方へ。

デパート「伊万里玉屋」前→

↓伊万里川に平行する商店街



昔ながらの建物が多く見られます。
3年前の大晦日にも伊万里に来まして、ちょっとだけ市街地巡りしましたが、その時とちっとも変わらない寂れ感。

いい味出している「日の本石鹸代理店」の看板→
「日の本石鹸」は今もあるんかいな?と思って調べてみましたが・・・。わからんでした。

伊万里川の相生橋→
欄干にこれを載っけないと伊万里の名が廃る(から陶磁器を載せたのかどうだか分かりませんが)。

橋・東側より→
左側の山は伊万里城跡。

↓橋の近くの佐賀銀行・東側壁面にある「古伊万里からくり時計」

季節ごとに異なるカリヨンが聞ける、万里音(まりおん)と呼ばれているカラクリ時計。

駅前通り→
煌びやかなイルミネーション鑑賞しながら駅に戻り、この日の活動は終了でございます。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

110日目 海のギャングの生まれた町

2015-03-04 22:28:04 | 九州北部
2014年12月29日(月)


明日、というか、あと1時間半もすれば、不肖私めの誕生日でございます。
昨年は銀座でお祝いしてもらいましたけど、今年はどうかなあ?
思うに、一年経つのは実に早いもんですなあ(シミジミ)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

たびら平戸口駅から再び列車に揺られ、40分ほどかかる松浦駅を目指します。

電源開発松浦火力発電所と黒潮湾→
隣にある九州電力松浦発電所と併せ、日本でも最大級の火力発電所。

海の駅松浦海のふるさと館→
平成17年にオープン。海に近いので海産物が買えるのは分かるのですが、それ以外にメロンの最高品種のアールスメロンも特産品。

松浦駅→

↓駅から少し歩いた所にある駅前通りと国道204号線との交差点

この国道とそれに通じる路地に商店が立ち並んでいます。

↓交差点から西側の界隈
  
風になびく千切れてボロボロの懸垂幕があはれ。

↓住んでいそうだし、お店もやっていそうだけど・・・。傾いているよな?、大丈夫なんかいな?


↓品数は充実のしもた屋。意外とマニアが大ヨダレ垂らしそうなお宝あるかも。




東側はさらに輪をかけての寂れっぷり→

上の写真奥に見える標識の交差点にある看板→
知りませんでしたが、サバも日本一であるといいます。
青魚には目がない私にとっては非常に魅力的な町でありますなあ。

(467)長崎県松浦市役所
平戸の時にも触れた源平合戦や蒙古襲来時に活躍した松浦(まつら)党の発祥地がここ。
そして明治時代には石炭採掘で繁栄するも、戦後には衰退。

さて、ここ松浦市観光は車がどうしても不可欠。
伊万里湾に浮かぶ、元寇の折りの元軍の終焉地と云われる鷹島(場所は下の地図を見てね)では、最近元軍の船底が見つかった我が国初の海底国史跡「鷹島神崎遺跡」がありますし、モンゴル遊牧民の生活を味わえる「鷹島モンゴル村」があります。
同じく福島には「日本の棚田百選」の一つ、土谷(どや)棚田があり、田植えの頃の黄昏時がとっても素晴らしいらしい。
「どや」だけに、どや!って感じの風景なんだろうな、きっと。
そういう訳で、今回はトコトコ歩きによる市街地巡りで松浦市は終わりにします。

志佐川の「庄野橋」下流側→

橋より市街地を見る→
歩いている人に稀にしか会わなくても、走っている車はイヤでも絶対に会える。
地方へ行くと、これが寧ろ当たり前の光景。なんとも嘆かわしいことではないか・・・。

↓また列車に乗り、伊万里湾を眺めながら佐賀県に突入。


伊万里市の楠久(くすく)駅→
こんな田舎駅に降りて、ドーすんだ? とうとう血迷ったかワレ・・・!?。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

110日目 タイミング最悪、エキゾチックフィランド平戸(2)

2015-03-01 23:56:50 | 九州北部
2014年12月29日(月)


聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂(正式には、平戸ザビエル教会という)の前を通りますので、中に入ってみましょう。ただ、私はクリスチャンではないので、単に建物鑑賞するだけ。

昭和6(1931)年に建設された教会堂→

↓ちょっとの咳払いですら憚られる様な、静かで厳かな教会の中

見学の心得に、「脱帽し、喫煙・飲食などはダメ」とありましたが、撮影禁止とはなかったハズ・・・。ミサの時は、当然マズイんだろうけど。
入るや否や、私の脳内では「主よ人の望みの喜びよ」が渦巻き始めましたので、ここに立ったとたん思わず「アーメン」と唱えそうになりましたが(笑)。

山はこれまでで、下に降ります。

樹齢数百年といわれる大ソテツ→

↓写真奥の階段を登ると、松浦史料博物館があります。

ここは元々明治26(1893)年に松浦氏の邸宅として建てられたものを、昭和30(1955)年に)博物館として開館したもの。旧藩主松浦家に伝わる秘蔵品を数多く展示しているというので、これは是非観覧しないと・・・。
なんですが、入館できるのは12月29日~1月1日以外であるのを知ったのは、階段の下にあった休館を知らせる看板を見てであったのを白状しないといけませぬ。

↓近くには「平戸温泉うで湯・あし湯」があります。

珍しい「うで湯」。でも興味ないのでいつものとおりパス。

↓さっきまでふらついていた商店街に通じる「浦の町商店街」を歩きます。

観光客が大喜びしそうなお店が建ち並んでおります。

↓その中で見つけた、ちゃんぽん屋さん。
   
ちゃんぽんの発祥は長崎市の「四海樓(しかいろう)」 というお店ですが、具が野菜は別として、他は海鮮系だけのを最初にやり始めたのがここって事なんでしょう。
ちょうどお昼時でもありますし、それならばと敬意を表して、大地震が来たら倒壊しないか心配だけど、入る事にします。

注文したのはもちろんコレ→
具のこのボリューム! め、麺が見えん・・・。海鮮ものは、定番のイカ・エビなどの他、アサリと何とサザエが入っていたりする。お味もとっても美味でございました。
あごだしラーメンは食べられなかったけど、これにありつけられたし余は満足じゃ。

話しのついでですが、昨年の「ふるさと納税額」の日本一はここ平戸市で、1万円以上納税すれば、地元で捕れた魚介類などが貰えるという、大盤振る舞いのしすぎじゃないかと思える位のオマケ付き。

麺をすすっていると、関西から来たという客とお店の人との会話が聞こえてくる。
今の経営者は2年前から営業という。「海鮮チャンポン」発祥店はウソかい?と思ったのですが、お店自体はかなり以前からやっていたらしい。
そしてお店の人は、「せっかく平戸に来てもらったのに、資料館もお城もやってなくて申し訳ないねぇ」と恐縮している。全くだぜ。

「親が死んでも食休み」がモットーの吾輩ですが、時間も迫っているので腹ごなしに蘭の薫りプンプン(植物じゃない)の場所を散策。

オランダ塀→
後で登場しますが、オランダ商館の目隠しとして作られたという。

オランダ商館で使用された井戸→

オランダ埠頭→
左の建物が「平戸オランダ商館1639年築造倉庫」。寛永16年に完成した我が国初の西洋式石造建造物ですが、寛永18年に幕府の命により商館は取り壊されてしまいました。今あるのは4年前に復元されたもの。
中には入れるんですが(有料)、あまり興味なし。興味ない施設がオープンとは誠に皮肉なり。

平戸城、丸見えー→
美しいな。
かの作家・司馬遼太郎氏が、「景観の中の城として 日本で最も美しいのは平戸城だと思う。」 と仰せになっていて、それがどこからの景観か分からないけど、納得の風景。

商館の前にある「常燈の鼻」→
オランダ船入港時の目印となった灯台。

平戸観光もとうとう終わりを迎えました。

平戸桟橋バス停を13時頃発ちます→

ことごとく失敗した平戸、再訪はケテー的。でも、そうじゃなくても何度も訪れたくなる町であります。が、問題は次回がいつになるかということだけ。

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