平成29(2017)年1月1日(日祝)
いよいよ年末年始旅もフィナーレ。
その掉尾を飾るに相応しい場所が(というか、結果的にそうなってしまっただけなんですが)、以前から歩いてみたかった旧東海道・浜名湖のほとり。
外がよう見えん・・・→
砂塵を身にまとった電車が相当の確率で走っているような気がするJR東海。
この時期です、東海道新幹線のお掃除が先決のようで。
降りたのはムダに広いホームの弁天島駅→
横では新幹線がビュンビュン飛ばしていて見てて楽しい。
だけど、全部同じ車両というのは面白くない。
駅からを東に歩くと浜名湖の弁天橋。
橋の北側、弁天大橋と東海道線と新幹線→
水面に映える赤い色がとてもいい。
↓弁天橋南側
鳥居のある弁天島と舞阪漁港
水が鮮やかでとても眩しく、寄ってみてよかったなと思える風景が広がってます。
元々淡水湖であった浜名湖は、明応7(1498)年の大地震による津波によって湖と海を隔てていた地面の部分が決壊してしまって以降、約4kmを「今切の渡し」という渡し船で行き来するようになる。
wikipediaより拝借→
奥に架かる浜名大橋下がキレキレになってしまった所。
その渡し船が出ていたのが、東海道30番目の宿場町であった舞阪。
今でこそ舞阪と表記されていますが、以前は舞坂。
変わった理由は大阪と同じ。
↓舞坂宿には3ヶ所の渡船場があり、そのうち主に大名や幕府公用役人が利用のがこの北雁木
雁木とは階段状になっている船着場のこと。
一般的には「がんぎ」と読むも舞坂では「がんげ」と呼ばれています。
石垣が白いのと汚いのとでクッキリ分かれていますが、白い方は昭和28(1953)年の台風によって崩れたのを積み直した部分。
北雁木の南にある本雁木→
最も多く利用された雁木で、お武家さん用。
一番南側には荷役・庶民向けの渡荷場跡(とうかば)があります。
奥に続くは旧東海道。これをさらに東に向けて歩きましょう。
脇本陣→
見附石垣→
舞坂宿の東はずれにある見張所。
松並木→
慶長9(1604)年、徳川家康の命により街道を整備し黒松を植えたのに始まり、正徳2(1712)年には見付石垣から馬郡までの道の両側にあった堤約920mに1,420本の立木があったという。
堤を崩して現在のような両側に歩道が付けられたのは昭和13(1938)年。
馬郡の交差点で東海道から外れて北に向かい、線路の北側に出ます。
スッポンの養殖池らしきの多いこと多いこと→
↓よし!初夢では見てはいないけど、実物を見たぞ。こりゃ縁起がいいハズ・・・?。
宇佐見橋の東側から見る湖→
橋を渡ると、以前は雄踏町(ゆうとうちょう)と呼ばれた地区に入ります。
中村家住宅→
貞享5(1688)年頃築とされる建物。
もちろんお休みで入れませんので、塀の上から盗み撮り。
〔54〕静岡県浜松市西区役所→
10年以上も前から、浜名湖畔にある舘山寺(かんざんじ)温泉で白焼きうなぎを満喫したいという願望があるのですが、いつになったら叶うのやら。
西区役所の前には「とびっこ公園」→
元気があっていいのお、子供たちは。
それにしても、自分が小さい頃には必ず上がっていた凧が全く見えないのは残念な事です。
弁天島駅からずっと歩き詰めでとてもくたびれました。
↓でも幸い?近くにイオンモール浜松志都呂があり、そこからバスで舞阪駅へ。
そしてひたすら東へ東へ・・・。
本当はですね、磐田市への訪問も予定にあったのを白状しておきます。
初動がユルユルだったのに加え、舞阪でのんびりしすぎてしまった私の大ちょんぼでございます。
しかも2日続けての連ちゃんで・・・。
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
いよいよ年末年始旅もフィナーレ。
その掉尾を飾るに相応しい場所が(というか、結果的にそうなってしまっただけなんですが)、以前から歩いてみたかった旧東海道・浜名湖のほとり。
外がよう見えん・・・→
砂塵を身にまとった電車が相当の確率で走っているような気がするJR東海。
この時期です、東海道新幹線のお掃除が先決のようで。
降りたのはムダに広いホームの弁天島駅→
横では新幹線がビュンビュン飛ばしていて見てて楽しい。
だけど、全部同じ車両というのは面白くない。
駅からを東に歩くと浜名湖の弁天橋。
橋の北側、弁天大橋と東海道線と新幹線→
水面に映える赤い色がとてもいい。
↓弁天橋南側
鳥居のある弁天島と舞阪漁港
水が鮮やかでとても眩しく、寄ってみてよかったなと思える風景が広がってます。
元々淡水湖であった浜名湖は、明応7(1498)年の大地震による津波によって湖と海を隔てていた地面の部分が決壊してしまって以降、約4kmを「今切の渡し」という渡し船で行き来するようになる。
wikipediaより拝借→
奥に架かる浜名大橋下がキレキレになってしまった所。
その渡し船が出ていたのが、東海道30番目の宿場町であった舞阪。
今でこそ舞阪と表記されていますが、以前は舞坂。
変わった理由は大阪と同じ。
↓舞坂宿には3ヶ所の渡船場があり、そのうち主に大名や幕府公用役人が利用のがこの北雁木
雁木とは階段状になっている船着場のこと。
一般的には「がんぎ」と読むも舞坂では「がんげ」と呼ばれています。
石垣が白いのと汚いのとでクッキリ分かれていますが、白い方は昭和28(1953)年の台風によって崩れたのを積み直した部分。
北雁木の南にある本雁木→
最も多く利用された雁木で、お武家さん用。
一番南側には荷役・庶民向けの渡荷場跡(とうかば)があります。
奥に続くは旧東海道。これをさらに東に向けて歩きましょう。
脇本陣→
見附石垣→
舞坂宿の東はずれにある見張所。
松並木→
慶長9(1604)年、徳川家康の命により街道を整備し黒松を植えたのに始まり、正徳2(1712)年には見付石垣から馬郡までの道の両側にあった堤約920mに1,420本の立木があったという。
堤を崩して現在のような両側に歩道が付けられたのは昭和13(1938)年。
馬郡の交差点で東海道から外れて北に向かい、線路の北側に出ます。
スッポンの養殖池らしきの多いこと多いこと→
↓よし!初夢では見てはいないけど、実物を見たぞ。こりゃ縁起がいいハズ・・・?。
宇佐見橋の東側から見る湖→
橋を渡ると、以前は雄踏町(ゆうとうちょう)と呼ばれた地区に入ります。
中村家住宅→
貞享5(1688)年頃築とされる建物。
もちろんお休みで入れませんので、塀の上から盗み撮り。
〔54〕静岡県浜松市西区役所→
10年以上も前から、浜名湖畔にある舘山寺(かんざんじ)温泉で白焼きうなぎを満喫したいという願望があるのですが、いつになったら叶うのやら。
西区役所の前には「とびっこ公園」→
元気があっていいのお、子供たちは。
それにしても、自分が小さい頃には必ず上がっていた凧が全く見えないのは残念な事です。
弁天島駅からずっと歩き詰めでとてもくたびれました。
↓でも幸い?近くにイオンモール浜松志都呂があり、そこからバスで舞阪駅へ。
そしてひたすら東へ東へ・・・。
本当はですね、磐田市への訪問も予定にあったのを白状しておきます。
初動がユルユルだったのに加え、舞阪でのんびりしすぎてしまった私の大ちょんぼでございます。
しかも2日続けての連ちゃんで・・・。
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→