ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

173日目 浜名湖東の旧東海道を満喫して締めくくる

2017-06-13 23:57:53 | 東海
平成29(2017)年1月1日(日祝)


いよいよ年末年始旅もフィナーレ。
その掉尾を飾るに相応しい場所が(というか、結果的にそうなってしまっただけなんですが)、以前から歩いてみたかった旧東海道・浜名湖のほとり。

外がよう見えん・・・→
砂塵を身にまとった電車が相当の確率で走っているような気がするJR東海。
この時期です、東海道新幹線のお掃除が先決のようで。

降りたのはムダに広いホームの弁天島駅→
横では新幹線がビュンビュン飛ばしていて見てて楽しい。
だけど、全部同じ車両というのは面白くない。

駅からを東に歩くと浜名湖の弁天橋。
橋の北側、弁天大橋と東海道線と新幹線→
水面に映える赤い色がとてもいい。

↓弁天橋南側
 
鳥居のある弁天島と舞阪漁港
水が鮮やかでとても眩しく、寄ってみてよかったなと思える風景が広がってます。

元々淡水湖であった浜名湖は、明応7(1498)年の大地震による津波によって湖と海を隔てていた地面の部分が決壊してしまって以降、約4kmを「今切の渡し」という渡し船で行き来するようになる。
wikipediaより拝借→
奥に架かる浜名大橋下がキレキレになってしまった所。

その渡し船が出ていたのが、東海道30番目の宿場町であった舞阪。
今でこそ舞と表記されていますが、以前は舞
変わった理由は大阪と同じ。

↓舞坂宿には3ヶ所の渡船場があり、そのうち主に大名や幕府公用役人が利用のがこの北雁木
 
雁木とは階段状になっている船着場のこと。
一般的には「がんぎ」と読むも舞坂では「がんげ」と呼ばれています。
石垣が白いのと汚いのとでクッキリ分かれていますが、白い方は昭和28(1953)年の台風によって崩れたのを積み直した部分。

北雁木の南にある本雁木→
最も多く利用された雁木で、お武家さん用。
一番南側には荷役・庶民向けの渡荷場跡(とうかば)があります。
奥に続くは旧東海道。これをさらに東に向けて歩きましょう。

脇本陣→

見附石垣→
舞坂宿の東はずれにある見張所。

松並木→
慶長9(1604)年、徳川家康の命により街道を整備し黒松を植えたのに始まり、正徳2(1712)年には見付石垣から馬郡までの道の両側にあった堤約920mに1,420本の立木があったという。
堤を崩して現在のような両側に歩道が付けられたのは昭和13(1938)年。

馬郡の交差点で東海道から外れて北に向かい、線路の北側に出ます。
スッポンの養殖池らしきの多いこと多いこと→

↓よし!初夢では見てはいないけど、実物を見たぞ。こりゃ縁起がいいハズ・・・?。


宇佐見橋の東側から見る湖→
橋を渡ると、以前は雄踏町(ゆうとうちょう)と呼ばれた地区に入ります。

中村家住宅→
貞享5(1688)年頃築とされる建物。
もちろんお休みで入れませんので、塀の上から盗み撮り。

〔54〕静岡県浜松市西区役所
10年以上も前から、浜名湖畔にある舘山寺(かんざんじ)温泉で白焼きうなぎを満喫したいという願望があるのですが、いつになったら叶うのやら。

西区役所の前には「とびっこ公園」→
元気があっていいのお、子供たちは。
それにしても、自分が小さい頃には必ず上がっていた凧が全く見えないのは残念な事です。

弁天島駅からずっと歩き詰めでとてもくたびれました。
↓でも幸い?近くにイオンモール浜松志都呂があり、そこからバスで舞阪駅へ。
 
そしてひたすら東へ東へ・・・。

本当はですね、磐田市への訪問も予定にあったのを白状しておきます。
初動がユルユルだったのに加え、舞阪でのんびりしすぎてしまった私の大ちょんぼでございます。
しかも2日続けての連ちゃんで・・・。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

173日目 チャリで巡る元日の安城市 

2017-06-09 23:36:50 | 東海
平成29(2017)年1月1日(日祝)


お正月を迎えました。
元旦くらいは少しのんびりしようよ、との油断があったかどうか分からなけど、寝坊してしまい起きたのがいつもよりもかなり遅い7時半頃。
しかも出立支度も相当にユルフンだったので、活動開始時間が私にしては異例の10時になってしまう。
いくら何でも遅すぎです(反省)。

宿泊地が安城市でしたので、平成29年の口開けもそのままの流れを引き継いで安城巡りに。
↓JR安城駅と駅前通り。
 
普段なら人通りは多いと思いますが、さすがにこの時ですらまだ街は眠りに落ちたまま。

ですが、駅の駐輪場はお正月もクソもないようで・・・→
そのお蔭で中にある貸しチャリ屋もやっているので、誰も使わないだろうから是非使わせて貰います。
おまけに無料だし。

でもこれら全部は行けないけどね→

(642)愛知県安城市役所
明治14(1881)年に明治用水を引かれて以降、果樹・野菜・養豚・養鶏などの多角的農業を行った事により、昭和初期まで「日本デンマーク」と称される程の農業地域となたものの、戦時中に強制的にイモとかに替えられてしまったおかげで、すっかり農業が衰退してしまったようです。
戦後は自動車関連・機械工業が進出し、人口も急増し現在では約187,000人。

さて、安城と言えば・・・。
↓まずは市民が「日本三大七夕」の一つであると、死んでも譲らないらしい昭和29(1954)年に始まった「安城七夕まつり」があります。

今年(平成29年)は8月4~6日開催。
さて、石碑の前に「ぬーぼー」と突っ立っているゆるキャラは、平成21年に登場した安城七夕公式キャラクターである願いごとの精「きーぼー」。
七夕と言えば願い事。願い事とはつまりは希望だからだそうな。

↓駅周辺には「南吉ウォールペイント」という壁画があちこちにあります。
 
安城高等女学校の教師で、童話作家でもあった新美南吉(にいみなんきち)という人の売り込みを積極果敢に図っています。

オブジェ「南吉語らいの椅子」→

モニュメント「南吉回想の窓」→
みんなの知っている有名な作品としては「ごんぎつね」があります。

安城市には他に、バーベキューや地ビールなんかが楽しめるという「日本デンマーク」をもじったと思われる「デンパーク」が気になりますが、お正月はやっておりません。

市役所横の安城神社→
初詣客は今一つ。
なのでさっさと去ってしまったのですが、本殿右には全国でも七夕神社を名乗るのはここだけという「安城七夕神社」があるのを後で知りました。

↓南明治八幡社
 
こちらはどうだ、安城神社のすぐ東にあるこちらの神様には大勢の人、人、そして車。
安城神社との差は一体・・・。全く分かりません。

↓「なんでワシがこんな事せにゃいかんのじゃ・・・」とボヤきまくりだったおっちゃん。

自ら交通整理を買って出ていましたが、案外楽しそうだったので、実はこういうの好きなのだろう。
かなり手慣れた感じだったので、昔工事現場で旗でも振っていたかな?

せっかく無料チャリを借りたので、せめて一か所遠い所の名所へ行ってみましょう。
名鉄西尾線・南安城駅の高架を潜る→

↓安祥城址公園と大乗寺。
 
安城は昔は安祥、安静、安詳などと表記されていたようです。
永享12(1440)年に築城された天守を持たない平山城で、大乗寺に本丸があったという。
ま、何てことなかったな。というワケですぐ駅に戻ります。
おっと、鈴木さんの秘密基地を発見!→
なワケないし。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

140日目 伊豆半島の果てに来たけれど・・・

2016-01-10 23:49:53 | 東海
2015年10月11日(日)


松崎町の岩科学校を見学した後は、脇目も振らず国道136号線を南に進むだけ。

ところが南伊豆町(みなみいずちょう)に入って、奇妙な看板に遭遇。
↓この看板の行き着く先は承知してはいるんだけど、「歓迎」とあるので呼ばれてみる。


↓そしてここが道路の終着点・波勝(はがち)海岸の波勝崎苑

この海岸には高さ260mの赤壁や千貫門があるなどの奇勝地でもあるのですが、波勝崎苑のある大窪浜は野猿が多く戯れる、いわば「サルの楽園」となっております。
肥田与平さんという人が昭和20年代後半から苦労して餌付けを始めたのが発端らしい。

どれどれ今年の主役はいるかな?→

いたいた!→
でもじっとしてくれないので、なかなかカメラに捉えにくい、憎いヤツら。

結局、私はこれを見ただけで波勝崎苑には入らず、全く歓迎せ「ザル」客だったワケです。

「夕日ヶ丘休憩所」からの眺め→
よ~く見ると眼下に集落があります。「伊浜」という集落ですが、遥か下にあるものですから周りの人々は口々に「あそこへはどうやって行くんだろうね?」と不思議がっている。実は私もそうでしたが。
そこは全国でも有数のマーガレットの産地であるため、国道136号線は別名「マーガレットライン」と呼ばれております。

子浦集落→

妻良(めら)集落の港→
いわゆる天然の良港で、帆船時代は風待ち港として賑わった集落。
良い妻か・・・、そんな人が多そうな(気がする)素晴らしい地名ですが、それはともかく、たった2文字のしごく平凡な感じの「めら」、実は論文の題材にもなりそうな奥深い地名でもあります。
和歌山県田辺市にも千葉県館山市にも「めら」という集落がありまして(田辺市・目良、館山市・布良)、元は紀伊の人が伊豆・安房に流れ着いて住み着いたという説があり、離れていても四国・徳島を含めた紀伊半島・伊豆半島・房総半島との目に見えぬ繋がりを改めて感じるのです。

↓伊豆半島最南端・石廊崎(いろうざき)に程近い、奥石廊の「アイアイ(愛逢)岬」。

伊豆半島が「ジオパーク」である事を実感できる断崖絶壁は壮観。
目のいい人なら大根島という島にいる野生のサルを見ることができるらしい。
♪ アイアイ(アイアイ)アイアイ(アイアイ) おさるさんだよ~
でも見えるのはアイアイではなく、普通のおサルさんね。

さて、今回是が非でも行きたかったの場所の一つとして石廊崎があったのですが、来てみて驚愕の事実が判明する(単に私がよく調べていなかっただけなのだが)。

車で行けるのはこの漁港まで→
実は私はてっきり車でいわゆる「最南端」に行けると思っていたのだ。
その「最南端」にあるのが灯台や縁結びに効果があるという「石室(いろう)神社」などですが、ここから山を登って片道30分程度歩かなければならないらしい。往復すると優に1時間か・・・。

見所の多い伊豆の事、あちこちウロついているうちにかなり時間を浪費してしまい、ここに着いたのが16時半すぎ。
灯台を往復して戻ってきたら18時近くで、その頃には日もどっぷり落ちているだろう。
そうなると南伊豆町のクリアもできなくなるな・・・(真っ暗になってからの庁舎撮影はその市区町村をクリアした事にしない自己ルールのため)。

↓山登りしながら思案投げ首した末、南伊豆町クリア>最南端到達とする。


最南端は早晩再び来るであろう伊豆半島再訪問の際の楽しみとするしかない。
選択はどうであれ、日没が近づいているのは事実で急ぎ町中心部へ。

(555)静岡県賀茂郡南伊豆町役場
昭和30(1955)年に6つの村が合併してできた、約8,700人が暮らす町。
役場は町の中心集落である賀茂地区にあり、この近辺には下賀茂温泉があります。

役場近くの商店街→

↓これまた役所近くの、温泉熱を利用した「下賀茂熱帯植物園」。

かつては観光バスが列をなし、押すな押すなの大盛況の時代もあったというのですが、一昨年9月21日で52年の歴史にピリオドを打ち閉園。
と思いきや、その後は無料で開放しているようです。閉園したんじゃないの?と思ったら、植物販売・リース以外の観光分野が終了という意味らしいです。

青野川(上流方向)→
河畔の至る所から温泉が湧き出るという「下賀茂温泉」。
向こうに見える橋の袂には、薬草の露天風呂を楽しめる「下賀茂温泉 銀の湯会館(橋の左側に写っている屋根がそれらしい)」があるのですが、今年3月まで改修のためお休み中。

さすが掘れば温泉の場所だけあります→
蒸気の沸き出る音だけが虚しく鳴り響く「温泉付き売地」。

道の駅「下賀茂温泉 湯の花」→
足湯・手湯があるので明るければきっと賑わっているのでしょうが、この時間でこの暗さ、最早ほとんど人がおらず薄気味悪い空間と化しております。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

140日目 堂ヶ島洞くつめぐり遊覧船

2016-01-07 23:53:20 | 東海
2015年10月11日(日)


このブログでも幾度か取り上げたことのある「ジオパーク」(例、室戸)。
そして伊豆半島全体が「日本ジオパーク」に認定されているのはご存知でしょうか?
そもそも「ジオパーク」とは何ぞや?ですが、地層・岩石・火山・断層などの自然遺産と人間との関わりを学べる公園で、「世界ジオパーク」と「日本ジオパーク」の2種類があります(因みに室戸は世界ジオパーク)。

約2000万年前に、今の硫黄島付近のフィリピン海プレートの上にできた海底火山群が北へ移動し、本州とぶつかってできた半島が当の伊豆半島。
そして両者が接して盛り上がった部分がいわゆる「天下の険」の箱根で、ちょうど、インドがユーラシア大陸にぶつかってヒマラヤ山脈ができたのと同じ構図。

さて、私が行った西伊豆町・堂ヶ島は、波・風の浸食で露出した海底火山の噴出物による地層が見られ、「伊豆半島ジオパーク」のセールポイントの一つ。

↓曇っていても3連休の威力はバツグンで、満車状態の無料駐車場。

右の建物は堂ヶ島を「こよなく愛する」という加山雄三氏のミュージアム。

↓それは1階がレストラン、2階はショッピングゾーンで3階はミュージアム。

1階・2階はそこそこの人の入りも、若大将肝いり(?)のミュージアムは有料のためか、あまり人が入って行った印象はなし・・・。寂しからずや。

↓お昼時なので「海鮮しらすまん(\350)」でちょっぴり腹を満たす。

具にしらすは不向きな気が。かなりあっさりなので、しらすに醤油を少し垂らして食べた方がいいかも。
しかも生地がやたらブ厚いし・・・。

↓せっかくここに来たのだからこれに乗らんと!


というワケで乗り込みます→
連れがなくたった一人で乗船するは私だけでしたが、ナニか?

↓コースはこれだけの種類があります。

私が乗ったのは緑色のお手軽コース(\1200)。
実はこの日は沖がそこそこ荒れておりまして、運行されていたのは「洞くつめぐり」と「堂ヶ島クルーズ」だけ(だったと思う)。

↓リアス式海岸の岩肌と、本家・松島には遥かに島の数は及ばないけど、点在する島々を楽しめる「伊豆の松島」。






このコースのハイライトは、昭和10(1935)年に国の天然記念物に指定された天窓洞(てんそうどう)。
いよいよ入るでござる!→

↓天井がすっぽりと抜け落ちた穴から射し込む光の加減によって海の色が変わってくるらしい。

そしてその光が降り注ぐ様は「天使が降りてくるような美しさ」と表現されるよう。まあ、上の写真はガイドブックに載っているような「神秘的な青色」の海や「天使」の陽射しのものとは程遠いけど、撮影した人が下手クソ天候が曇りだったからと言い訳しときます。

下船後は岬を巡る遊歩道へ行ってみる→
人がたくさん乗っかっている向こうのツルツル肌の岩は「亀岩」。しかもかなり大きな声でワーワー騒いでいる。
昔はそういう連中と言ったらセイガクで鉄板だったのだけど、最近は大陸からの人たちも要素の一部として加わりました。
果たしてこの岩に乗っかっていたのは、ありがたい事に爆発的な量の家電などを買い漁って、日本経済に大貢献して下さってくれている方々でございます。

↓左は「三四郎島」といい、見る角度によって三つにも四つにも見える事から名付けられた島。

干潮時に海が割れて地続きになる現象を「トンボロ」といい、ちょっと筋っぽくなっているのがそれ。

アップしてみましょう→
ただし、「10月から2月の日中は、瀬が現れるほどに潮は引きませんので、渡ることはできません」(西伊豆観光ガイドより)」なのだと。どのみち渡れなかったワケです。

天窓洞を上から眺める→
船を待っていましたが、穴からエンジンの轟音が聞こえるだけで姿を現さず。つまらん。
何か投げつけてやろうと思って、手ぐすね引いて待っていたのに・・・(ウソです)。

↓しらすまん程度では当然腹は満たされないので、お昼を戴く。

西伊豆町の市街地でご当地グルメメニューを見て(前編参照)食べたいと思っていたのがコレ、「塩かつおうどん(\650)」。すすってビックリ! これは美味すぎ!! ヤバイです、ドつぼにハマったわ。

そんなこんなしているうちに、沖の波がさらに高くなったようで遊覧船は運行見合わせとなる。
もっとも、この日この後にここを訪れた人達は、天窓洞を下から見上げられたかどうかなんて知ったこっちゃないけど。

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140日目 伊豆で最古の小学校と心地よい潮騒の音

2016-01-05 22:20:31 | 東海
2015年10月11日(日)


明けましておめでとうございます。

年末年始は仕事納めの28日夜に旅立ち、元日に帰ってまいりました。
残り2日間の正月休みは、食べて飲んで食べて食べて飲んで食べて寝て食べて飲んで食べて・・・(以下、延々続く)。
本当はそうしていたかったのですが、誰がくれたかは知りませんが、風邪なるお年玉をどこかで頂戴してしまったようで暴飲暴食・食っちゃ寝に耐えうる体ではなくなってしまいました。
というワケで、出だしは良くはない新年となりましたが、どうぞよろしくお願いします。
早速ですが、昨年の積み残しをさっさと始末したいと思います。

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松崎町中心街のなまこを堪能(食べたワケではないですよ)した後の動きは、西伊豆町(にしいずちょう)の中心街→「伊豆の松島」と呼ばれる堂ヶ島(西伊豆町)と行って、再び松崎町へ戻って国指定重要文化財・岩科(いわしな)学校を見学、そしてさらに南の突先へgoあるのみでした。
ですが、前回の松崎ブラブラの流れを引き継いで、今回はまずは岩科学校をはじめとする松崎町の残り、そして西伊豆町中心部、次回に堂ヶ島と話しを進めていきます。

岩科学校→
甲府・睦沢学校、松本・開智学校などに次ぐ明治13(1880)年に完成した古い学校。
しっかりきっちりなまこ壁を取り入れた社寺風建築とバルコニーなどの洋風建築が融合した校舎が特徴。入場料は300円。

↓旧小学校には鉄板の校長室と授業風景再現



そしてお決まりの、偉そうな感じの威厳のある校長先生と子守する児童。

↓2階には何と学校のくせに立派な日本間の客室があったりする。

漆喰鏝絵の名工・入江長八によって施された「千羽鶴」が美しい・・・。ハズなのですが実際は部屋の中は暗くてよう分からんでした。

学校周辺をウロつく。
松崎町は用水路が避難地らしい→
そんなワケないけど、竜巻が来た場合には、もしかしたらここが避難場所になりうるかも?

↓国道136号線の松崎中心部から南側には、彫刻21体が並んでいます。

最初はそれなりに見て運転するも(チラ見程度ですが)、そのうちにどうでもよくなり路傍の石と化す。

雲見温泉→
私がここを通った翌日、「海賊料理まつり」という催しがあったのをNHKの夜7時のニュースを見て知りました。やはり一日ずらすべきでした。しかも思いっきり晴れていたし。

松崎町はこれでおしまい、次は西伊豆にある西伊豆という町です。

(554)静岡県賀茂郡西伊豆町役場
賀茂村とそれまで存在していた西伊豆町が平成17年に合併して新しい西伊豆町となり、今では8,600人程が住んでおります。
先に触れました堂ヶ島や、夕日を浴びると黄金色に染まるという黄金崎(前日は曇りだったので見に行っても意味なかったので行かなかった)などの観光名所があり、さらには「夕陽日本一宣言」をしたほど夕陽の美しさを売りにする町。

お決まりの街散策→

西伊豆のご当地グルメの品々→
ほぉ、美味そうだなと見ていたら、タイミング悪くよく店の旦那が出てきて「入りな」と言う。
ところがまだ10時すぎで正直あまりお腹が空いていない。
「お昼になったら来ますよ」と言ったものの、結局この店に入りませんでした。ウソ言ってゴメン、旦那。

↓海岸近い集落には松がたくさん生えていて、しかもどれもこれもやたら背の高い。


↓大浜海水浴場
 
ザバーン、ザバーンと鳴り響く潮騒の音をいつまでも聞いていたくなる砂浜。
右の写真は「な」で切れていますが、「なぎさの湯」という浴場。

↓ちょうどお掃除真っ最中。
 
お疲れ様です。そして、ありがとう。

↓海水浴場の北側に歩を進めると「安城(あじょう)岬公園遊歩道」というのがありまして。



全長3キロもあり、しかも山を登っていく非常に難儀な遊歩道。ただ、堂ヶ島と富士山の絶景が見られるというご褒美が付いてくるそうな(晴れという条件も必要と考えられるが)。

足湯のご褒美もあります→
遊歩道を歩かなくても足湯には入れますけどね。

安城岬の先端にある「亀甲岩」→

ではでは、「伊豆の松島」とやらを見に行きましょうか!

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

140日目 ナマコで埋め尽くされた明治の薫り漂う町 

2015-12-26 23:59:02 | 東海
2015年10月11日(日)


今週火曜日に、ある税理士と先日の南房総に誘ってくれた中学の悪友と3人で飲んだ時の事。
税理士が突然「いい節税方法があるんだよ」と言い始める。
私「ふるさと納税くらいしか思いつかないなあ・・・」
税理士「それ、それ!」
私「ふるさと納税は知ってますけど、オマケが付いてくる以外知らんのです。何がいいんですか?」
税理士「まず、2,000円を超えた部分は控除となる、それとやっぱりオマケ」
私「納税したらその分余計に住民税を払う事になるんじゃ?」
税理士「いやいや、納税された役所から住んでいる役所に通知されて、納めた分が住民税から引かれるんだ」
私「全国あちこち趣味で行ってましてね、オマケは別にどうでもいいんですけど、肩入れしたくなるような地方の市町村が多いんですよ。」
税理士「納税したい市町村をたくさん知っているなんて羨ましい。ふるさと納税の本来あるべき姿だ」
私「でももう年末だし、間に合わないよなあ・・・」
税理士「クレジット払いができる所もあるから」

実際、ふるさと納税を考えた事があったのも事実(納税はしていないけど)で、今年行った中で「肩入れしたくなった」自治体の例として、高知県・馬路村北海道・歌志内市なんかがありまして。
税理士の話しを聞いてあまり損もなさそうだし、目下納税市町村をピックアップ中。
千葉市には悪いけどホンのちょっぴり泣いてもらうわ。

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↓一晩過ごした松崎町(まつざきちょう)・「道の駅・花の三聖苑伊豆松崎」のシンボル・花時計。

直径11m。駅名の由来となった「三聖」とは、江戸~明治時代に活躍した町出身の三人のお偉いさんの事。敷地内には町の歴史を物語る古い建物が移設されております。

市街地に行きイオンにて駐車し、昨晩から降り続く雨の中を散策開始。
↓イオン近くにある那賀川に架かる「宮の前橋」

橋にはその町の特徴や売りとなるものが描かれたり施されたりする事が多く、ここ松崎町の売りがこれを見れば分かるというもの。

(553)静岡県賀茂郡松崎町役場
史跡・古刹が多く、なまこ壁があちこちに点在する落ち着いた街並みが特徴の町。
なので映画・ドラマのロケ地として使われることもしばしば。
私はドラマ音痴の中の音痴なので全く知らないけど、例として「世界の中心で、愛をさけぶ」なんてものがあるようです。
温泉も多い「花とロマンの里」松崎町、人口約7,000人。

明治商家中瀬邸→
明治20(1887)年に呉服商家として建てられ、昭和63(1988)年に町が買い取ったもの。

なまこ壁とは、平らな瓦を壁に張りつけ、目地の部分は漆喰を盛り上げた形に塗ったもので、保温・防湿・防虫、火災・盗難防止に作られ、たくさんのお金と労力を要するらしい。
そもそもこれらがどうして「まなこ」壁と呼ばれるのか? 海にいる海鼠(ナマコ)と関係あるのか?
まさに由来は海鼠からで、姿かたちが似ているからだというのですが・・・。

↓では、論より証拠、Wikipediaからその海鼠にご登場願おう(閲覧注意)。

う~~ん、似ていますか? これじゃ名前の由来が全く分からんよなあ。
どうやら壁の漆喰目地の盛り上がった部分が、海鼠に似ているところからなのだと。

中瀬邸の横から商店が連なる→
左の建物は「広瀬邸」。二度と開きそうにない店入口上にある表記となまこ壁の古い建物が全くマッチしていない様がまたいい。

食の名物はこういうのがあります→
海に近いのに、海系のものはないんだな、これが。

商店街を一通り歩いたら海の方へ→
夏は海水浴客で賑わうという松崎海岸。

↓松崎港

カツオ・マグロなどの遠洋漁業根拠地となる港で、客船の発着はなし。右の神社は瀬崎神社


港の山側。ここで那賀川(左)と岩科川(右)が合流します。

那賀川の左岸側へ向かいます→
右の建物は「依田邸」。

↓町で一番厚いなまこ壁のある「伊豆文邸」
 
明治43年築の元呉服商で、現在は無料の休憩所となっており、庭には足湯もあります。
ちと休憩しようと入るも、中からラジオ(写真のこのボロい骨董的なもの)の音が聞こえており、事務員でもいるものと思ってましたが誰もおらず。非常に気味が悪い空間でありました。

↓伊豆文邸の正面は、天然掛け流し温泉旅館「山光荘」


町の観光情報はここで→

そのお隣は「近藤邸」→
東京帝大薬学主任教授で、アルカロイド研究に大きな足跡を残したという近藤平三郎博士の生家。
薬問屋を営んでいたそうで、やっぱりお金持ちの家はそれ相当の教育ができるんだな。盛んに言われている教育格差は今に始まった事ではなく・・・。

↓近藤邸の横は、町のシンボルともいうべき「なまこ壁通り」。

奥の赤で目立つお寺さんは「浄泉寺」。

これを奥に進んで行くと・・・→
垣根にこっそり置いてあった、外で用を足しているような(息んでいるようにも見える)この像、もうちょっと堂々と飾っていてもいいと思うけど。なまこばかりもつまらないのでオマケ。

那賀川の「ときわ大橋」→
分かりづらいですが、桜・燕が漆喰で描かれております。そして奥にあるのが最初に紹介した中瀬邸。

江戸末期の漆喰細工の名人と謳われた入江長八に関する「長八記念館」というのもあるのだけど、そこは申し訳ないけどパス。
でも、いいですね、松崎町。伊豆でシッポリと古えを味わいという方にはオススメです!
次にちょっと離れた町のもう一つの看板名所に行ったのですが、それは次回。

さて、今年のブログはこれにて終了です。
どうもありがとうございました、また来年お目にかかりましょう。
良いお年を。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

139日目 西伊豆の日露友好の地を訪れる 

2015-12-23 23:59:32 | 東海
2015年10月10日(土)


今でこそ沼津市に呑み込まれてしまいましたが、かつて伊豆半島の北西部に「戸田」と書いて「へだ」と呼ばれる村がありました。
私は以前からこの村の存在を知っておりまして、どんな所だろうとかなり興味を持っておりました。
ただ、えらい田舎の廃れた村でつまらない所かな、なんて勝手に想像していたのも事実ですが。

そんな戸田を目前にした「出逢い岬」で一旦停車。そこからの景色を見る。そして私はあっと驚く。
面白い地形、だけど美しい→
天然の良港「戸田港」とヒョロヒョロと海に突き出た砂嘴「御浜岬」。
それまでは戸田をちょっと小バカにしていたのが、ガラリと印象が変わった一瞬。
これは町巡りも期待できそう。

早速、御浜岬へ。
↓そこには「戸田造船郷土資料博物館・駿河湾深海生物館」があります。

ここのサイトによれば「幕末にロシア人と戸田の船大工の協力によって建造された、日本初の本格的洋式帆船「ヘダ号」の造船資料や日露友好の歴史を紹介しています。また、併設の駿河湾深海生物館では、約300種の珍しい深海魚の剥製や標本を展示」している博物館。

話しは幕末時代に遡ります。
ロシア皇帝・ニコライ一世に日本との国交樹立交渉の命を受けたプチャーチンは、「ディアナ号」で来日する。
そして幕府の指示で静岡県・下田でそれは始まったのですが、不幸な事に嘉永7(1854)年に発生した安政東海大地震による津波で「ディアナ号」は大破し、船体の修理のために戸田へ向かうも、強風と大波により戸田港を見る事なく駿河湾であえなく沈没。
「ヘダ号」とは、プチャーチンの帰国のために建造した100tの帆船で、僅か3ヶ月で完成させたのみならず、船大工の優れた技術・道具はロシア人を驚かせたといいます。

時間にして16時を少し回っていましたが、折角なので閉館(17時)まで見てみる事にします。
ただ、写真は「駿河湾深海生物館」しか許されませんでしたので、あしからず。

↓「ディアナ号の碇」は博物館入口横にあるのでこれは取り放題です。


↓「駿河湾深海生物館」内の写真は持ち腐れとなるくらい撮りました。


世界最大のカニ「タカアシガニ」→
脚を広げると何と3m!

↓オスが惨めすぎる「ミツクリエナガチョウチンアンコウ」。


生きた化石「ラブカ」→

↓名前に「サケ(鮭)」とあるけど、どう見てもサケではない。

これが釣れると鮭もたくさん獲れるらしく、だから「鮭頭」なんだとか。体長2.9m。

ところでこの戸田には、駿河湾で獲れる深海魚を料理して提供するお店がとても多いのです(私はそれにありつけなかったけど)。

岬の先っぽ→

御浜海岸より戸田市街の方→

戸田の中心街もブラついてみる。

↓戸田港





看板にある美しい夕日を見てみたかった・・・。

↓大通り(県道17号線)



上の通路で繋がっているこの立派なホテルは今では仕舞屋となっていて、ここだけ薄気味悪い空気が漂っています。





鄙びていてのどかな戸田、とってもいいじゃないですか!
表通りもですが、裏通りの民家が軒を連ねる佇まいもなかなか趣きがありました。
それに深海魚は美味しいんだろうし(ただ、お値段がちと高そうでしたが)、岬散策もいいし、港周辺には温泉もある。
ちょっとした骨休めに絶好の場所と思います。穴場だわ、ここ!

↓でも、ここには泊まらずさらに南の松崎町まで行き、「道の駅・花の三聖苑伊豆松崎」内の「かじかの湯」で汗を流してそのまま車中泊。



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133日目 豊橋までは適当に道草して帰京す

2015-10-20 23:33:38 | 東海
2015年8月8日(土)


鈴鹿の後は名古屋を経て豊橋まで行き、そこから新幹線で東京に帰る予定です。
とりあえず、急いで関西線を脱出します。「急いで」を強調したのにはワケがありまして・・・。

列車に乗るのは大好きなのですが、何故だか乗っていて妙に苦痛を覚える区間が3つあります。
山陰線の京都-綾部間と片町線・京橋-木津間と、ここ関西線の名古屋-亀山間。
最初に乗った時にえらい目にあったんかなあ?、その初乗車の時は全然覚えていないのだけど。

名古屋には15時すぎ到着。ただ、このまま東京まっしぐらする気は毛頭なく、ポケットサイズの愛知県の地図をめくって、散策できそうな町を適当に選ぶ。てなワケで名古屋市南区と刈谷市に決定。

名古屋からの各駅停車は超満員。そして目的地の笠寺駅でも多くがドッと降りてホームは人が溢れて超危険な状態。
↓かなり時間が経ってだいぶ引けてきたけど、ホームも階段も狭すぎ。車掌さんは恐らくイライラが溜まっているものと思われ。

ここはこんなに乗降客多かったっけ?

そういう事か・・・→
この歌の団体は知っているけど、構成員は誰一人知らないのみならず、最近の歌手や俳優・女優、お笑いなどはさっぱり分からん程の芸能界音痴なので、当然関心なし
日本ガイシホールという所で17時から開演ですが、まだ一時間も前。そんな早う行って何すんだ?

東口駅前→
頭上には名古屋高速が通っています。

〔42〕愛知県名古屋市南区役所
区のHPによると、人口は13万6千人と名古屋市の約6%をが住んでおり、面積は7番目の大きさ。中西部は近世から新田開発された所で、現在は多くの工場が立ち並んでいて名古屋工業地域の一部を形成。

駅南側の跨線橋からしばし列車を眺める→
でも、新幹線とオレンジ帯の銀色電車と貨物列車ばっかりでバラエティに乏しい。瞬く間に飽きる。

駅西口からまだ人がドヤドヤやってくる→

そして、ここに吸い込まれていく→

刈谷駅→

駅構内にあった観光案内図を見てみたけど、駅周辺にはたいしたものなさそう。
↓どーしよっかな、と思いながら北口に出ると「観光案内所」があるではないか!

上に座っているのは天文2(1533)年生まれという、今年齢は実に482の「かつなりくん」。

とりあえず中に入ってましたが、案内所というより物産店のような感じで今イチ。
そもそもこれって誰に対して作った施設なんだろう?地元の人が利用するとも思えないし。私のようなよそ者へのPRが主目的の施設なんだとしたら、こんな所に置かずに駅構内に置いた方がよほどPRできるチャンスがちょっぴりは増えると思うんだけど。
全く繁盛していているようには見えず気の毒になったので、ちっとも珍しくはないけど地元のお煎餅をお土産として買ったわ。

↓駅北口左手には、飲み屋街が広がっています。


さらに奥へと進むと、怪しい雰囲気になる→

↓やっぱり・・・。明るいうちからド派手な、ムフフなお店多し。
  
もっとお金をたくさん持って来ればよかったな。

↓東海道線の南側は、普通のお店や大型店舗があって至って健全な感じの雰囲気。


でも再開発中なのか、スカスカな所もある→

↓昭和レトロを感じさせる建物は残してくれないかなあ。


(534)愛知県刈谷市役所
三河国と尾張国との境をなす、まさに境川のほとりに、水野忠政が天保4(1833)年に亀城を築いてから発達し(刈谷は三河に属する)、戦前にはトヨタ系列の工場を誘致して以降、工業都市として栄えることとなる。因みにトヨタ自動車の源流である豊田自動織機は刈谷市にあったりします。
そんな訳で、役所のデカさを見て分かるように、財政力指数も平成24年時点で全国第25位という左団扇な約15万人住んでいる都市。

駅の南側→

ひっそり豊橋駅を独り占め~→

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133日目 世界に冠たる競技施設を有するも・・・ 

2015-10-16 23:52:15 | 東海
2015年8月8日(土)


少しだけ津市の続きです。

↓中心部から北に歩く事しばし、川にぶつかります。

あの川は何川というんですか? あのうがわ(安濃川)と言います。

↓国道23号線の安濃川・塔世橋(とうせばし)から市中心部への南方向


三重県庁
明治初期に安濃津(あのつ)県と度会(わたらい)県の2つに統合された後、安濃津県庁が津から四日市(よっかいち)に移転した際に四日市のある三重郡から県名を採用し三重県となり、さらに三重県と度会県が合併して今の三重県となったワケですが、県庁もまた津に戻ってきたので、その時に本来なら安濃津県をゾンビの如く復活すべきをそのまま放置。
でも、三重の方が言いやすいし、書くのも楽。グッノージョブだよ、当時のお上!
現在、四日市は三重県一のマンモス都市ですし、津と四日市の両方の面目を保った格好なので、結果オーライ(?)。

津駅→
JRと近鉄・伊勢鉄道が同居している駅なんですが、県庁所在地の玄関口にしてはショボすぎの感は否めません。

JRのホームから→
鉄道会社の利用者数ですが、比べるまでもなく近鉄の圧勝。というか、JRの方は人っ子一人いません。
何でウチを使ってくれないんだろう、駅名標も「」と不思議がっているかのよう(笑)。
尤も、JRの前身である国鉄の、この周辺に対する無気力経営が一番悪いのだし、その大いなる負の遺産を丸ごと引き継いだJRは寧ろ気の毒というべきか。

津駅からは伊勢鉄道に乗って、名古屋方向に戻ります。

↓やがてその姿を現す超有名施設(ピンボケでスミマセン)

昭和37(1962)年に自動車会社ホンダによって建設された国内初の本格的サーキット場。
そんな世界に通じる超有名施設がある都市が次の目的地でして、どんな大都会が私を待っているのだろう・・・楽しみ楽しみ。

鈴鹿(すずか)駅に下車→
降りた方のホームはともかく、反対側は気味が悪いほど閑散としてます。

ホームから見る駅前→
? すごくショボくない?

↓確かにここは「駅」なので間違ってはいないんだけど(大笑)。

元々あったであろう「鈴」「鹿」という文字を復元できないくらい伊勢鉄道は貧しいのかと思ったのですが(かつては国鉄線でしたが、実際超赤字路線という理由で切り捨てられている)、案外稼ぎは悪くないみたいです。

(533)三重県鈴鹿市役所
駅前からの写真でも分かるように、圧倒的存在感を誇っている庁舎。さすが、世界のSUZUKA!
三重県では、四日市市・津市に次いで3番目に人口の多い都市で約20万人。

↓ここは旧伊勢街道→




神戸(かんべ)と呼ばれる古い建物が多く見られる地区で、かつては城下町・宿場町として栄えた所。

近鉄・鈴鹿市駅→

↓伊勢鉄道のよりはマシですが、ここの駅前もショボい。


↓駅に近い商店街→


パッとしません。
鈴鹿市はこれといった強力な中心部的な街がない上に市街地が分散しているようなので、こんな中途半端な感じになってしまった模様。

ショボいを連発して恐縮ですが、華やかなサーキット場があるを以て抱くかっこいいイメージと、実際来てみての印象との甚だしいギャップが意外というか驚きだし、反面新鮮でもあるし、実はそこが鈴鹿の一番の魅力(?)なのかも知れないです。

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133日目 皆が知っている日本一短い都市

2015-10-08 23:58:09 | 東海
2015年8月8日(土)


前日で「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を使い切ったので、次の旅のお伴に選んだのは、JR東海が出している「青空フリーパス(\2570)」。

↓名古屋駅8時37分発「快速みえ1号」で出発し、目指すは津駅。


↓でも、津市の第一歩は近鉄の津新町駅。どういう事?

実は知らぬ間に意識不明となり、気が付いたのがちょうど津を出たところで、次の駅・松阪で近鉄に乗り換えたのです。

(532)三重県津市役所
短い市名として有名ですが、あくまで「市名」が短いのであって、「地名」としてはもっと短いものがあるという。それは千葉県の「旭市ロ1」で、「ロ」は「くち」ではなく、カタカナの方。
尤も、昔は安濃津(あのうつ、あのつ)と称されてました。
三重県の県庁所在地ですが、周りに有名な都市が点在しているせいか存在感にかなり乏しい印象。
ですが、安濃津は博多津・坊津と共に日本三津(さんしん)の一つとされた重要な港で、明治21(1888)21年に市制が公布された際にも、津はしっかりと市となった(その時には全国で市になれたのは僅かに36)程の歴史のある都市。
因みに垂れ幕の津商業は、めでたい初出場で、翌日(9日)に見事初戦突破を果たす。

市役所の東側には「津城跡」→
今は「お城公園」として市民の憩いの場となっております。

公園の真ん中→
左奥にどなたかいらっしゃいます。近づいてみますと・・・。

築城名人・藤堂高虎、その人ではないか!→
カッコいいぞ。
津城は織田信長の弟である織田信包(のぶかね)が天正8(1580)年(1580)に築城し、慶長13(1608)年に愛媛県・今治から入封した藤堂高虎が大改修。

丑寅三層櫓→
でも、復元物のニセモノですけど。

さらに東へ、国道23号線→
岩田川の岩田橋から北の方角を写す。
右に見えるは、津松菱(つまつびし)という市内唯一の百貨店で、ここらが津市の中心部。

視線を左に向ける→
前の上っ面を剥がされてしまった橋?がジャマ。川っぺりに建ち並ぶバラックっぽいの、とても素敵。

↓津松菱ウラのシナ国の人に占領されたっぽい街の中を歩く。


↓昔は伊勢街道であった上の道をさらにまっすぐ行くと、「だいたて商店街」の入口に。

「だいたて」とは、大門通りと立町通りの商店街を一まとめにした呼び方らしい。

↓右の「とらや本家」は、いちご大福発祥のお店

それにしてもひっそり商店街。とても県庁所在地の中心部とは思えん。土曜日なのに・・・。悲しすぎ。

さらにまっすぐ歩くと「津観音」→
日本三観音の一つ(残りは東京の浅草観音・名古屋市の大須観音。浅草観音とは浅草寺の事)に数えられる真言宗のお寺さん。

↓観音様すぐ横には、これまた一際目に付く廃れっぷりが超素敵なボロッボロの建物があります。




↓早速潜入開始→


少ない写真でお伝えするのは難しいのですが、中はゾクゾクするような昭和の香り溢れる素晴らしい姿が展開されており、しかもこの2階には集合住宅があり、ちゃんと人も住んでいるという驚きの昭和31(1956)年に建てられた掛け値なしの昭和遺産でありました。

「天寿」の天むす(\650)で一休み→
天むすと言えば名古屋が定番ですが、発祥はこのお店

今回初めて津市のホンの一部を廻ってみましたが、実はもっともっと散策しがいのある町なんじゃないかと感じました。何てったて歴史がありますからね。いつか一日かけてもっといろいろな所を歩きまわってみたい、そう思わせる町でした。

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132日目 意外だったとても美しい町並みの羽島市・竹鼻

2015-10-06 23:55:22 | 東海
2015年8月7日(金)


この日の最後の訪問地は羽島市。
羽島と書いてピンとこなくても、「岐阜」を頭にくっつければ分かる人もいるのでは?
そんなやや存在感の薄い感ある羽島市の中心部は竹鼻(たけはな)といい、昔は城下町で、さらには水運によって物資が集まる地であって、江戸時代は市場町・織物業として栄えた所。
尾張国であったのが木曽川の水路が変わった事で美濃国になり、現在見られる古い建物は濃尾地震以降に建てられたものが多いの点は笠松町と同じ。

笠松から乗った竹鼻線・竹鼻駅で下車→

↓駅前の通りを300mほどまっすぐ歩いて、右折すると昭和橋に来ます。

逆川に架かる橋ですが、「古い町並み・竹鼻の入口」的感じの橋。

橋の南側→

↓昭和橋のすぐ北側には平成橋というのがあり、その道をまっすぐ行くとゆるい感じの仏様の木像がたくさん立っております。

円空という竹鼻生まれとされる江戸時代初期の修行僧から名前を取った「円空ロード」。
洪水で母親を亡くし、その供養のために出家して北は北海道、南は三重・滋賀を行脚し、その間に12万体の仏像を彫刻したとされてます。

↓羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館

全国的にも珍しい公立の映画資料館。
毎月第2土曜日に、映写機を使って古い映画が見られる「映画のつどい」が開催されます。
建物はお城っぽいですが、それもそのはず、入口には「竹鼻城本丸城址碑」があり(ただし、ここに本丸があったとされる確証はないらしいですが)、お城は慶長5(1600)年に関ヶ原の合戦の前に行われた合戦であえなく炎上。

南の方を歩くと「格子戸の通り」→
趣きのある古民家が多く見られます。

↓竹鼻商店街→


左は「千代菊酒造」という元文3(1738)年から続く老舗の酒屋。

整然としていて美しい町並みとあちらこちらで見かける古い建物。とってもいい町じゃないですか! ただ、観光客っぽい人が誰一人としていないのは甚だ残念です。
しかも現地の人もいないし・・・。
時間にして17時頃なので、そろそろ買い物客がいてもよさそうだけど。
暑かったからなあ、まだ家に引き篭っているんでしょう。もっとも仕舞屋ばかりだったから買い物できる店も少ないけど。

↓お客さん見ないしな、そうなるわな。分かります分かります。


↓確かにデパートを名乗っているだけあります。品数だけは豊富。

いらんモンばかりだけど。

↓もっといい名前のシールは考えられなかったのかなあ?

と、思っていたら羽島はナマズの町だそうで、今月24日(土)・25日(日)は「なまず祭り」が開催され、ここ竹鼻商店街では夜に灯篭アートの演出があるそうな。是非、ご参加あれ!

以上、苦戦気味の地元商店街からのレポートでした。

(531)岐阜県羽島市役所
羽島という地名は昔からありそうな感じですが、明治29(1896)年に羽栗郡と中島郡が合体しての際に両郡は合併して羽島郡となった新しい地名。
今では前述の新幹線に加え、中央自動車道(名神高速)も通り、岐阜市・大垣市の玄関口的な都市のわりに開発が今一つの感が拭えません。

↓市役所から羽島市役所前駅へ歩いている途中にあった「青山スクエア」

泉があるので飲めるのかどうなのか悩んでいたところ、ちょうど役所の人がチャリに乗って通りかかったので、聞いてみたら「ちょっと分からないんですが・・・」。
これ、オタクらの造った施設ですが? しょうもないのお・・・。
結局、後に来た現地の人によれば「みんな平気で飲んでいるよ」というので有り難く戴きます。
羽島は地下水が豊富な土地柄のようです。

公園隣には「佐吉大仏」があります。
↓大仏と言っても、奈良や鎌倉を想像されても困りますけど。

「美濃の聖人」永田佐吉翁が寛延3(1750)年に建立した、高さ5mほどの青銅造りの大仏様。

蓮子お姉さまもここを訪れたようです→

そうこうしているうちに空がゴロゴロ言い出す。この時期恒例のアレです。急いで駅に行かねば。

羽島市役所前駅(岐阜方向に写す)→
あちらこちらで雷鳴が轟き、稲妻も光っていましたが、特にこの方向でのが凄く、なんとか稲光の瞬間を写そうとしたけど難しいね。
電車はびしょ濡れでやってきたので、岐阜市の方は雨は相当凄いようです。

↓新幹線・岐阜羽島駅の目の前の新羽島駅へ行ってみた。


瞬く間にこうなってしまう→
真っ黒で怪しい雲の上には明るい光が差していて、これが美しい。
夏の空はコロコロといろいろな表情を見せてくれて、そこがまたいいんだよな~。

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132日目 ここから芦毛の怪物は羽ばたいて行った

2015-10-03 23:48:00 | 東海
2015年8月7日(金)


↓岐南(ぎなん)駅の名古屋寄りのお隣・笠松駅で下車。休む暇がありませんデス。・・・。

ここでハプニング。突然自動改札が「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を通さなくなってしまいました。
切符を財布に入れていたのですが、その財布をズボンの尻ポケットにしまいこんでいたせいで蒸れて磁気がおかしくなったようです。
この後いくつか駅を乗り降りしましたが、中には無人駅もありその度ごとにインターホンでやり取りして、改札を開けてもらうハメに。みっともないったらありゃしない。

駅降りるや否や、木曽川の堤を登ります→
奈良津堤(ならづつつみ)という、2kmに渡って桜が植えられている名所。

そしてそこから見下ろしたその先にはコレ→
人馬ともにJRA中央競馬の草刈り場となってきた(いる)コレですよ!

↓この超有名国民的アイドルホースはここ笠松出身

オグリキャップその他有力馬を中央に取られ、最近まで活躍したアンカツ騎手も取られ、でもそのせいか、中央競馬ファンにも案外知名度ある競馬場。

オグリが走り始めた頃は、馬券は買わないけど、レース自体は時折見ていた程度の私でしたが、「怪物」の見出しでスポーツ新聞にオグリがデカデカと載っていたのをたまたま見て知ったのが最初。
4歳クラシック戦線に出られなかったオグリが、秋の天皇賞で古馬相手にどんな走りをするか注目されつつあった時期だったように思う。

思えばあの頃から数年間が、私の見た中では世間的に一番競馬が盛り上がった時期だったような気がするなあ。今じゃ全く見ませんが、車のリアガラスの所にはよくオグリのぬいぐるみが積まれていましたし。
オグリが引退した翌年に私が一番熱を上げたトウカイテイオーが出現し、ついに馬券に手を染め始めたのであります。最近は昔に逆戻りで全く買っていませんけどね。

↓スタンド・馬場に出てみる。



内馬場には畑、田んぼ、そして何と墓地まであるという。
ガラス張りでお洒落な感じのスタンドがある一方で、昭和的というか、地方競馬的なボロっちいスタンドもあり対照的。

せっかく来たのだし、ちょうど開催日だし、1レースだけやってみましょう。
とは言っても、競馬新聞をこれだけの為に買うのもイヤだし、知識もないので、日付だけを頼りに適当に買ってみる。

↓平成27年8月7日だから、2・7・8の連複の組み合わせ。

見るからに貧乏臭い馬券で、申し訳ないですが・・・。

第8レース、スタート!→

↓ホームストレッチを砂煙を舞い上げながらドタバタ走り抜け、向こう正面を廻って第4コーナーから直線に差し掛かる。さあ、こっから!
 

ゴール!→
どうなん!?

結果→
わりと堅いレースだったのね。ワイドにしておけばよかったか・・・(苦笑)
まあ、笠松競馬場は10年前に廃止の方針騒ぎがあったくらいだし、その後儲かってウハウハとも聞いたことないしで、恐らく今も収支はよろしくはないでしょう。
なので、入場料\100も合わせて、ちょいとばかり寄付したものと思えば大したことはない(負け惜しみ)。

後はお決まりの町散策。

競馬場近くの奈良津堤上にはこういう神社があります。
魂生大明神(こんせいだいみょうじん)→
名前からして力が漲っているような神社。

当然、御神体はこれじゃ→
リアルすぎ!!(笑)
因みに町の散策ガイドブックには、「昔、ある郡代が娘の縁談がないのを心配して、わざわざ奥州から長さ1メートル余りの男根の形をした大きな石を取り寄せたと伝えられていることから、縁結びの神様として親しまれています。」とあります。そしてめでたく嫁ぐことができたのかどうかまでは分かりませんが。でも、親のもの凄い執念が伝わるお話し。

有り難く撫でさせてもらいます→
撫でていて気が付く。まずここを参拝してから、バクチを挑めばよかったな、と。失敗した、順番間違えた・・・。

(530)岐阜県羽島郡笠松町(ちょう)役場
岐南町と同じく、岐阜と愛知の県境にある町ですが、双方に押しつぶされたような東西に細長い形をし、岐阜県庁が置かれていた時期もあった町。
古くから交通軍事の要衝で、木曽川の湊として発展。明治になって東海道線建設の話しになると、水運業者の生活に関わるためか東海道線の通るのを頑なに拒んだため町が衰退するも、綿織物生産で復活を遂げる。

古い建物をあちらこちらで見かけます→
明治24(1891)年の濃尾地震で多くの建物が倒壊・類焼したのに加え、悪いことは重なるものでその5年後には大洪水に見舞われる。
今見られるもののほとんどはその後に建てられたものらしいです。

商店街→
この通りの、とあるお家に「隕石」を保管されているので是非見たく、どこの家なのか近所のチャリ屋のおっちゃんに聞いてみたら、それは滅多に見せては貰えんとの事でした。
「笠松隕石」として、町のHPにせっかく紹介されているのに残念ですな・・・。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

132日目 尾張は終わりにして美濃に潜入

2015-09-30 23:09:33 | 東海
2015年8月7日(金)


JR・私鉄のどちらでも行ける町は原則、私鉄を使っている際にはその町には降りないようにしているのですが、次の弥富(やとみ)市はその建前に背いて訪れた町。
津島駅からは名鉄・尾西(びさい)線の終点である弥富駅まですぐというのもありますが、後にも先にも尾西線は今回一回限りだろうから乗っちゃおうかな、というのが第一の理由。

↓「日本で一番低い駅は?」といった類の鉄道クイズでは、必ずと言っていいほど答えの候補の一つとして挙がりそうな駅。

地上駅はこの弥富駅ですが(近鉄の弥富駅の方が低いという説もあり)、じゃあ、地下の駅となると、条件反射的にパッと頭に思い浮かぶのが東京の総武線・馬喰町(ばくろちょう)駅。
いつの頃の話しだ?と、鉄に馬鹿にされそうな回答デスガ・・・。廃止されてしまいましたが、青函トンネルにあった吉岡海底駅と出てこないあたりが、恥ずかしながら年代を感じさせてしまう(かも)。
言い訳させてもらうと、小さい頃見ていた鉄道本には決まって馬喰町駅と書かれてましたし、馬喰町駅に「日本一低い駅」のスタンプが置いてあって、実際押しに行ったことがあるしで、それで完璧にオツムに染み付いてしまっておりまして・・・。
ところが、馬喰町駅の深さが修正された結果、京葉線の東京駅の方が低く、もっと言うなら、同じく東京の地下鉄大江戸線・六本木駅はもっと下の-42m。
地上で40mといったらマンションの10階位の高さはありそうだから、そんな地中奥深くにまで人工物があるなんて何とも凄まじい話しであります。地下まで高層都市・東京、恐るべし。

↓駅に降りていきなりのこれだから、一瞬で「弥富は廃れた町」というイメージが出来上がってしまう。


↓でも近鉄の駅の方に続く道を見ると、そんな町じゃなさそう(?)事にとりあえずホッとする。


日本一低い所にある未確認地上駅→
ここまで歩きましたが、どっちが高いか低いか分かりませぬ。
が、2つ上の写真を見ると向こう側が若干低くなっている気もしないでもない。

(528)愛知県弥富市役所
人口は約45,000人の、稲作・野菜作りが盛んな町ですが、誇るべきは日本で唯一の白文鳥生産地。
市のサブキャラクターには白文鳥が使われております。じゃあ、メインキャラクターとなると?

ボクたちなのです→

↓弥富は金魚の一大産地で、養殖用の池が多くあります。


↓用水路という名のドブにはコヤツらも養殖されているに等しい状態でウジャウジャおります。

誰が飼っている訳でもないにもかかわらず、誰の力も借りずとも、自分たちの力でその数を順調に増やしているよう。

伊勢湾台風とはそんなに恐ろしい台風だったのか・・・→
因みに南海トラフ地震が起こった場合の弥富市の最大津波高予想も4m。

↓国道1号線を三重県方向に歩いて、そのまま県境越えしてやろうと思ってましたが・・・。


木曽川真横に流れる筏川→
よくぞこんな川岸すれすれに住めるもんだと、感心するばかり・・・。

木曽川に架かる尾張大橋は目の前です。
橋の袂にある昔ながらの建物→
酒屋さんだったらしい。

むうし東海道?→
一見「う」のような字は「か」でして、「可」という字の変体仮名。
それはともかく、昔の東海道は熱田から桑名まで海を船で渡っていたんじゃなかったけ?

↓広~い木曽川を眺めているうち、徒歩による三重県上陸は億劫になる。


尾西線を折り返し、一宮駅より名古屋本線に乗り、今度こそ木曽川を越えて超お気に入りの岐阜県入り。

↓岐南(ぎなん)駅と駅前の通り




↓駅のすぐ近くのお湯処が「おいで、おいで」と私を呼んでいるかのよう(に見えてしまう)。

汗だくだから、一風呂浴びてサッパリしたいところですが・・・。
きっと風呂の後のビヤタイムへの突入は避けられそうになく、そのままズブズブになるのは火を見るより明らか。なので、駅前の通りを東へひたすら歩きます。

右手に八剣(やつるぎ)神社があるあたり→
JR東海道線が走っておりますがこれが案外クセ者で、東(写真で言えば、電車の走っている左側)から伸びる神社参道をぶった切っていて、行く手を遮っております。おまけにその参道には踏切なんてものがなく、よってわざわざ写真向こうに見える踏切まで大廻りしないといけない・・・。疲労度さらにアップ。

↓(529)岐阜県羽島郡岐南町(ちょう)役場

岐阜県と愛知県との境に豆粒のように存在する、まさに岐阜市の南に位置するちっぽけな町。
小さくても存在できるということは、リッチな町なんでしょう。
そして、写真後ろのお古の建物はお役御免とし、その代わりに手前のオサレな形の真っ白な庁舎は、訪れた僅か4日前の8月3日から業務を開始したばかりの、超できたてほやほや!
昔は木曽川は町の北側を流れていたのですが、洪水で南側を流れるようになったので、それまで尾張国に属していたのが美濃国に所属替えとなったといいます。

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行った所
 

132日目 前日に続き愛知県西部へ

2015-09-28 23:58:31 | 東海
2015年8月7日(金)


↓この日の出だしも前日午後と同じ経路で、名鉄名古屋本線→津島線直通の急行電車で津島駅に9時すぎ到着。


前日の名古屋の最高気温は34℃近くでしたが、曇りがちだったこともあり、暑さが続く中にあっては比較的涼しく感じられた(ような)日でしたが、この日は朝から天気が超良くて辟易するような暑さ、最高気温も40℃に達しようかという、私のようなイヤでも炎天下を歩かざるを得ない旅をしているものにとってはウルトラスーパーハードな日でした。
でも、大枚を叩いてわざわざ名古屋までやってきたので、予定はこなさないと・・・(貧乏性に軍配、涙)。

まずはこちらから。
(527)愛知県津島市役所
何はさておき、「尾張津島秋まつり」は今週末ですよ!
「昭和22年3月、県下9番目の市として誕生しました。津島神社の門前町として、また交通・経済の要衝である湊町として、(市のHPより抜粋)」江戸時代は綿織物産地で、明治以降は毛織物の産地として繁栄しましたが、戦後は取り残された感のある町。
人口は約65,000人で増加の一途でしたが、ここ近年は頭打ちどころかやや減り気味。

↓ただ、こちらの方は順調に(?)下がっております。

ところで肝心の防ぎ方とは? それが分かればこうにはならないワケでして・・・。
前日の愛西市のそうでしたが、ここらの堤防が決壊したら、逃げ場の確保がそもそも難しそうだし下手すると土左衛門になりかねません。くわばら、くわばら・・・。

↓駅から津島神社までまっすぐ伸びる約1kmを「天王通」といい、そこには商店街が立ち並んでおります。




津島市のゆるキャラです→

やがて、津島街道(別名・上街道)との交差点へ。そのあたりを本町(ほんまち)といい、この街道沿いには古い町並みが残っています。
津島街道とは、清須(きよす)市・新川橋と津島神社参道を結んでいた道でして、その道筋は今の名鉄津島線に沿った感じで、私が前日に木田駅から七宝駅までを歩いた道でもあります。

まずは天王通北側の上街道に入ります→

↓観光交流センター(愛称・まつりの館 津島屋)

ここは昭和4(1929)年築のかつての津島信用金庫本店。
今は観光の拠点ですが、やっぱりこういうのは駅付近に置くべきでしょう。こんな所に構えたって誰も来ませんよ。案の定、中には客は誰一人おらず、ガイドのおっちゃんも暇そうでした。
私はあまりの暑さに参り、一時の涼を求めてここに逃げ込んだしみったれなので、あまり偉そうな事は言えませんが。

↓毎年7月第4土曜日と翌日に行われる「尾張津島天王祭」でお目見えする巻藁舟の提灯

600年の伝統を誇り、後でも出てきますが津島神社のお祭り(どんなお祭りかは、提灯下の写真をどうぞ)で、かの織田信長も楽しんだと言われる、「日本三大川まつり」の一つ。

清正公社(せいこうこうしゃ)→
戦国武将・加藤清正が少年時代に鬼の面を被って盗人を追い払ったという逸話の残る神社。
この経験があったからか(?)、朝鮮で虎を退治するくらいお茶の子さいさいだったワケです。

津島神社→
1450年以上の歴史を誇り、全国に3000余あるとされる「天王社」の総本社。
織田信長が氏神様として崇敬し、豊臣秀吉は鳥居奥の楼門(ろうもん・国の重要文化財)を寄進したと伝えられております。

堀田家住宅→
門が閉じられていて入れませんでしたが、門の上に腕を伸ばして中を撮影。その際、強烈な熱を持った門の上の鉄板に腕が触れて、火傷してしまったのを白状しておきます・・・。
江戸中期に建てられた町屋建築で、国指定文化財。

↓天王川公園



どう見ても川というより池にしか見えませんが、川をせき止めてできたらしく、実際「丸池」というようです。お旅所は、祭礼時に津島神社の御神体が鎮座される神聖な場所。

↓再び上街道の天王通南側へ。





天王通や上街道の脇道なんかにも古いお寺やらなんか多くあり、歴史好き、寺社仏閣好き、古い町並み好きにはとても楽しめる町としてかなりオススメ、津島市です。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

131日目 愛知県西部へ進路変更

2015-09-26 23:58:27 | 東海
2015年8月6日(木)


知多半島巡りは常滑で打ち止め、次の主戦場は愛知県西部の海部(あま)地域。
そしてこの日は、そのうちでも比較的地味な印象の、全国町巡りというお題目がなければこれっぽっちも行く気にならない2つの市を廻って終わりにします。
というワケで、名古屋市内に予約をしたホテルに入り、一息ついた後に再び名鉄名古屋駅へ。

↓名鉄名古屋本線の下りに乗り、須ヶ口(すかぐち)駅で津島線に乗り換え、下車したのはあま市の木田駅。


↓駅西横に伸びる、ネーミングが意味不明だった「オレンジ通り」


↓通り沿いで見つけた、鞄屋とたこ焼き屋と妙な組み合わせの兼業屋さん

商売たるもの、いろいろな事をやっていかないと大変なのですね。

(525)愛知県あま市役所
あま市はいわゆる「平成の大合併」の中でも比較的遅い合併で、海部郡の美和町(みわちょう)・七宝(しっぽうちょう)町・甚目寺町(じもくじちょう)の3つの町による組み合わせ。
ところで、「あま」と言っても「じぇじぇじぇ・・・」とは全く関係なく、呼び方は違えど、「海部」と名のついた地域は全国的に見ても結構あるので(実際今年5月に徳島県海部町に行っております)、海に近ければこう呼ばれる必然性はどこでもあったのでしょう。
関係ないことですが、海に潜るいわゆる「あま」は女の人だけがやっているイメージですが、男の人がやるケースもありまして同じく「あま」と呼ばれるらしいです。

思わず吹き出してしまった張り広告→
役所前の呑み喰い処屋さんですが、要は女の人に来て貰いたく、サービス精神旺盛を訴えているようですが、こんなにボロボロとなっても放置しているくらいなのだから、肝心の「女子会」をやって貰えていないのではないかと推測。

↓津島線の北を並行する道を歩いて七宝駅へ向かいます。


これはナニを意味するんだろう?→
ここは通学路につき運転注意のドライバー向けなのか、或いは児童に向けてパンツが見えるくらい元気に登校しなさいという意味なのか。
それにしても、こういう手の看板は何故か女の子のパンツが見えているものが多い気がするのは気のせいかな。

七宝駅→
七宝と言えば、焼き物で有名な七宝焼きなのですが、駅周辺は焼き物の「や」の字のかけらも感じられません。中心部は駅から離れているらしいので、もしかしたらそちらへ行けば焼き物屋さんが見られるかもしれないです。
因みに旧七宝町の地名の由来を最近知ったのですが、七宝焼きという技法がまずありきで(古代エジプトが発祥のようです)、それがこの地域は盛んであったことから町名にと便乗してしまったというしたたかな町。

駅入口にあった看板→
そう言えば、ずいぶん昔に「利家とまつ」なんて大河ドラマがあったな。

↓次に尾西(びさい)線の愛西(あいさい)市・日比野駅へ。

Wikipediaによれば、全国でもわりと見かける人名が由来の駅。

ここらはいわゆる海抜ゼロメートル地帯→
昔より幾多の水害に見舞われているであろうこの地域、この間の常総市の水害を目の当たりにして他人事に思えなかった住民も多かったのではないでしょうか。

↓駅前は住宅街ですが、少し歩くと田んぼが一面に広がります。そんな長閑な愛西市。


(526)愛知県愛西市役所
ここも海部郡佐屋町(さやちょう)・佐織町(さおりちょう)・立田村(たつたむら)・八開村(はちかいむら)が合併してできた市ですが、市名はまさに愛知県の西にあるからというのは分かるのですが、よく言えば無難、その一方で全く個性が感じられず。

↓養老山地の方に目を向けると、お日様は山の向こうに行ってしまいました。


↓ひっそり佐屋中心部を歩いて佐屋駅に行き、名古屋に戻りましょうか。




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