ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

55日目 復興を祈る~飯舘

2013-08-31 01:15:22 | 南東北
2013年7月14日(日)


普段の投稿はわりとさっさと書き上げる事ができるのですが、今回は最初から何をどう書いていいのか分からず、しばらく途方に暮れていました。

それは、未来の見えづらい場所だったからなのかも知れません・・・

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「道の駅そうま」からは海と別れ、山間部の方に走ります。

↓県道268号線を走っている時に見つけた古民家



単なる民家と思いきや、何と郵便局でもあったとはブッたまげました!

↓飯舘(いいたて)村に入るといきなり現れる真野ダムと湖



「はやま湖」とも呼ばれ、釣りの名所らしいです。
さぞ、秋は紅葉で綺麗でしょう。

↓山を越えて下りてくると、荒れ果てた田畑と人気のない集落が姿を見せます。





村に入って人の姿を見たのは、草刈りしていたこのお方とその奥さんらしき人、宅配便の運転手さん3人だけ。

(292)福島県相馬郡飯舘村(むら)役場
この村は、東北地方太平洋沖地震での揺れによる被害は大したものではないようでしたが、原発事故によってとんでもない影響を受けてしまったことは皆さんご存知だと思います。

役場内での17時35分時点での放射線量→
1時間あたり0.59マイクロシーベルト。
えっ?こんなに低いの?というのが最初の感想。
役場周辺を入念に除染したからか?と穿った見方をしてしまいます。

未だに閉鎖が解除されない役場横にあるポスト→

役場は「伊丹沢地区」という場所にあり、「居住制限地域」に当たるので、一時帰宅だけができ、住むこと(宿泊)はできません。
でも、このお盆は家に泊まる事が認められたようです。

静まり返った役場近辺を歩いてみます。




自動車はごくたまに走る、パトロールのような事をしている人らしきがほんの数人歩いていただけというのに、役場前の「いいたて活性化センターいちばん館」の駐車場にはたくさんの車が止まっています。
これはどういう事なのであろう?

草ボーボーのグラウンド→

↓庭も道路も草が伸び放題


←珍しく単車が走り去る




これまで、多くの田舎に行きまして、人を見ない会わないというのは結構あったのですが、それでも人の生活の息吹は感じられました。
でもここは全くそれが感じられない!
廃墟ではなく、新しい立派な家が何軒も立ち並んでいるだけ、ある種、不気味な空間です。
この時間、家の掃除に来ていたらしきが一軒あったのみでした。

↓留守の家にいた犬。もしかしたら、避難所には連れていけないのかも知れない。

私を見てからずっと吠えていたのですが、私を威嚇しているというより、何だか悲痛な叫びに感じて、いたたまれなくなりました(涙)。

↓県道12号線の様子



お店は閉店したままの状態になっています。

果たして以前のような姿をいつになったら取り戻せるのか、津波被災地以上に難しい問題である事を、短い時間しかいなかったのに偉そうですが、実際に来てみて改めて痛感させられました。
そして、私、というより、我々は、飯舘村の為に一体何をすればいいのだろう?

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55日目 復興を祈る~宮城・福島県沿岸部

2013-08-28 23:50:29 | 南東北
2013年7月14日(日)


七ヶ浜町からは、ひたすら沿岸部を南下します。
ということは、ずっと被災地を見ながらの運転になります。

これまでも被災地の写真を載せてきましたし、今回もほとんどがそれです。
正直、亡くなった方のご遺族や被災した方の事を思うとどうなのかなとも思いましたが、震災から2年あまり経って、世間的(私も含めてですが)に震災や被災地への関心が徐々に薄れてきている気がしまして、これではいけないのでは?と思い、載せるに至った次第です。

多賀城市内→
この辺の津波の浸水高を示す看板があります。
ワンボックスカーくらいの高さです。

↓仙台市宮城野区七北田(ななきた)川右岸の河口付近






↓多くの犠牲者が出た仙台市若林区荒浜地区



一面更地となったかつての住宅地に、一軒だけ家が残っていました。


私も「再生を心から願う」ばかりです。

荒浜小学校→
よく見ると1階部分は壊れたように見えます。

↓仙台市と名取市の境を流れる名取川の「閖上(ゆりあげ)大橋」の左岸側

震災当日の夕方にNHKで、川を遡上し建物や田畑を呑み込んでいく津波の様子が映し出されていましたが、まさにここです。
対岸には大被害を受けた名取市閖上地区があります。

河口方向、えぐられた堤防は修復中→

上の写真の反対側(上流方向)→

閖上から先を走って少し驚いたのは、津波浸水域にもかかわらず、新築住宅がちらほら建っていたことですかね。

亘理(わたり)町に入ると、パラパラ雨が降ってきました。
この付近から相馬あたりまで、これまたマスコミに取り上げられる事が比較的少ないので、七ヶ浜町と同様、もっとスポットを当てて下さい。

浜吉田地区(宮城県亘理町)→

そのうちゲリラ豪雨に見舞われます→
雨脚が弱まったと思ったら、すぐに激しい雨になるの繰り返しで、視界が悪く、加えて「復興支援地図」がないので、どこらへんを走っているのかさっぱり分からず、全くのお手上げ状態になります・・・

↓道路の状態もあちらこちら悪い中、被災した家屋や家の基礎部分を横目に走ります。






↓津波で壊滅した中浜墓地跡に、震災犠牲者を慰霊するために徳本寺というお寺さんが建立した「千年塔」(宮城県山元町)

後ろの建物は中浜小学校

宮城・福島の県境付近で内陸部に進むように迂回させられる→
どうやら沿岸部は車が通れないようです。

国道6号線にある「道の駅そうま」(福島県相馬市)で休憩です→

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55日目 復興を祈る~七ヶ浜

2013-08-26 23:36:59 | 南東北
2013年7月14日(日)


それまで小さく東西をクネクネしながら南下していたのを、いきなり東にずずっと大きく進路を変えます。
しかも、多賀城(たがじょう)市・塩竈(しおがま)市をブチ抜いて、沿岸部の七ヶ浜町に行きます。

(291)宮城県宮城郡七ヶ浜町(まち)役場
消防の訓練中?休日にもかかわらずお疲れ様です。
人口2万人ほどの町で、東北地方で一番面積の小さい市町村だそうです。

さて、この辺りから「復興支援地図」を忘れたことの不便さがジワジワと効いてくる
↓仕方ないので、役場近くにあった案内図を写して、それを頼りにしますわ。


東宮浜港→
釣り人がたくさん来ていて、長閑な時間が流れています。

「多聞山(たもんざん)展望広場公園」という所の駐車場に来ました→
この多聞山にある毘沙門堂から見る眺望は「松島四大観」の一つに数えられています。
松島はもはや詳しくは説明しませんが、「日本三景」の一つです。

毘沙門堂→

↓そこからの松島の眺め
 
左写真の手前右の小さい島は「地蔵島」、その奥は「馬放(まはなし)島 」
さらに右後方の島は「浦戸桂島」とその周辺の島々。

さすがは「松島四大観」の一つだけある!いい眺めでございます。

↓カモメかウミネコか、たくさんの鳥を引き連れた遊覧船が目の前を通り過ぎます。



天気もいいし、海も穏やかで、さぞかし気持ちのいい島巡りでしょうな。

↓一転、多聞山の下とその周辺は津波で被災した場所です。






海岸に沿って走ります。

吉田浜→

↓吉田浜の集落







こちらも大きな被害で言葉がありません。

菖蒲田浜辺りだったかな?→

七ヶ浜農協跡地だったような?→

被害の程度からか、知名度の問題なのか、被災時や被災後、復興の状況などについて石巻や気仙沼などに比べると、マスコミにあまり取り上げられなかったここ七ヶ浜町です。
でも、津波によって大きな被害を受けたのは同じなので、もっとここにもスポットを当ててもらって、今後の復興を後押ししてもらいたいものです。

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55日目 宮城・福島、蛇走行(4)~黒川郡・泉区

2013-08-25 23:52:33 | 南東北
2013年7月14日(日)


道の駅おおさと→

一晩過ごしたここから約1キロ離れた役場に、目覚ましを兼ねて歩いて行きます。

「道の駅」の前の道路→
しっかし、雨が降って厄介だな~

(289)宮城県黒川郡大郷町(ちょう)役場

これから車の運転が始まります。
まずは道の駅からそう遠くない所に「支倉常長メモリアルパーク」というのがあり、ちょっと興味があるのでそこへ車を走らせます。

支倉常長像→
支倉常長とは伊達政宗の家来で、政宗の命を受け、フランシスコ会の宣教師と共に太平洋経由でヨーロッパへ行き、ローマ法皇に謁見し通商を求めましたが失敗し、すごすごと帰国。
さらに不幸な事に、帰国時には幕府が鎖国政策に舵を切り、キリシタン禁教令を出していましたので、持ち帰った品々は息子の代で伊達藩に没収され、彼の功績は闇に葬り去られてしまいます。

この奥を行ったところにお墓があります→
が、行きません。
えっ、ナゼ?

入口の写真→
またまたコイツのお出ましですよ・・・
昔の著名人のお墓と言われているものは得てして何箇所もある場合が多く、この支倉常長も例外ではないようです。

次はこちら。

(290)宮城県黒川郡富谷町(まち)役場
今年、町制50年を迎えたこのおめでたい町は仙台市のベットタウンとして人口が急増、3年後に市制移行を目指しています。

↓その勢いをまざまざと見せ付けるバカデカい役場庁舎前の芝生広場(右側にもずっと広がっています)

今まで見た役所・役場の中では、敷地面積の広さは断トツでしょう、きっと。

リモコン飛行機で興じていても、気兼ねなくできますなぁ→

中央の山は「笹倉山(507メートル)」→
見にくくなっていますが、左の霞がかった山は仙台市民なら誰でも知っている「泉ヶ岳(1172メートル)」。

富谷町を出て、いよいよ仙台市に入ります。

〔20〕宮城県仙台市泉区役所

役場前の通り→
昔、我が家が仙台に住んでいた頃、泉区(当時は泉市といっていた)に家を買おうという話しが進んでいまして、いよいよ契約寸前といったときに父の東京転勤が決まり、その話しはオシャカになったばかりか、急な引越しで大わらわになったといった事がありました。ホント、あの時はバタバタしていたな~。

イミフな日本語→
本当に役人の言葉は分かりづらいのぉ。
車は自由に出入りができ、しかも、ロハで駐車できましたので(参院選投票の為の措置?)、逆に考えたとして、「駐車場を無料開放している」という事を言いたいのでしょうか?
でも、そうだとしても「ご了承願います」とはこれいかに?

区役所の近くにある仙台市営地下鉄の「泉中央駅」へ。

駅につながるペデストリアンデッキ→

↓偶然にも「泉中央まつり(いず・ちゅう祭)」の開催日で、行った時はまだ準備の真っ最中。
 その祭りとは、ストリートパフォーマンスなんだそうですが、でも興味ないです、悪いけど・・・








泉中央駅→
私が仙台にいた頃はまだ地下鉄建設計画が発表されたばかりで、「未来予想図」的な絵を見て、未来の仙台を想像するしかなかった訳ですが、こうして実物を見ているとまさに隔世の感があります。

何と!駅前に「白い鳩」が!→
これは幸運がやって来る前兆か!、な?

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54日目 宮城・福島、蛇走行(3)~黒川郡

2013-08-19 23:54:36 | 南東北
2013年7月13日(土)


前回に引続いて、サクッと流します。

(287)宮城県黒川郡大衡(おおひら)村(むら)役場

以下は役場の周囲です。

もうすぐ大台!→

↓こういうのを作っているから政治家・役人は叩かれてしまうのだと、よく分かる道路


←左の白い建物が役場です。

上の写真の右手にある「昭和万葉の森」入口→
ここのHPによると、「万葉集で詠まれている植物を通じて、歴史・文化・自然・科学等の学びの森として、また森林浴による健康の増進」が目的だそうです。

(288)宮城県黒川郡大和(たいわ)町(ちょう)役場

天皇寺(てんのうじ)→

住宅街から右に上だけチラリと見える某ホテルチェーン店→
実はこの日、オープンしたてほやほや。
ラジオでせっせと宣伝していましたし、今現在もしてますな~。
オープン記念価格として大幅割引でもしていれば泊まろうかなと、出発前に調べてみたところ、がっちり通常価格
ハァ~、初日くらい大出血サービスしたらどうなんだ!

↓商店街





人通りがとほんどないので、暗くなると余計に寂しく見える。

珍しいタイプの信号機→
歩行者は赤か青か見上げなければわからないけど、そもそも交通法規を守っている歩行者がいるのか疑わしいところ。

役所の近くへ戻ってきました。

で、会場は一体どこなんだべ??→

日がとうとう落ちたので、風呂に行きます。

とみや大清水ゆっぽ→
次の日訪問予定の富谷町にあるスーパー銭湯。
大和町のコンビニの兄ちゃんに教えてもらいました。

ノンアルコールではねぇ、どうも気分が盛り上がらない・・・→

この日の宿泊地は大郷(おおさと)町にある「道の駅おおさと」→

~おまけ~
道の駅での過ごし方
1 暗い中ラジオを聞きながら、しんみりとビールを飲む(ホント、クライよなぁ・・・)
2 歯磨き洗顔などして、寝る用意をする
3 NHK・ラジオ深夜便テーマソング「THE CHANCE YOU TAKE」を聴いて癒され、後ろのシートに横になって眠りにつく

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54日目 宮城・福島、蛇走行(2)~栗原・加美

2013-08-18 00:55:41 | 南東北
2013年7月13日(土)


伊豆沼と目と鼻の先にある、栗原市の「内沼」→
伊豆沼・内沼ともにラムサール条約湿地登録されています。


仲間とシベリアへ行きはぐれた?いやいや、日本の方が居心地がいい?
などと、意地悪く勝手に想像するけれども、実は電線に引っかかるなどして脚や翼を傷めて、飛び立てられない白鳥がいるという。もし、写真の白鳥がそうなら皆で大事に見守っていかなければならない。

(284)宮城県栗原市役所

細倉マインパークという鉱山跡のテーマパークがあり、時間があれば行こうかなと思っていましたが、時刻は既に15時半。是が非でも行きたい場所でもないですし、後々の行程も考えて、そこへ行くのはやめました。

市役所のある築館(つきだて)地区の中心部を軽く散策します。

歩道橋から国道4号線を北方向に見る→

商店街→
休日なのでお店も休業しているのかどうか分かりませんが、それを差し引いても、活気は全く感じられません。
地方の小売の商店街はこんなのばかりで、見ていて実に忍びない。

↓昔はきっと名士の家だったに違いない
 
立派な門構えで広い庭なのですが、植物は伸び放題でさながらお化け屋敷と成り果てています。
きっと虫が大発生して、ご近所さんは迷惑この上ないだろう。

↓何らかの雰囲気を感じさせる道路



しかも沿道には薬師堂もあるし神社もある。
自宅に帰ってからよくよく調べてみると、この道は旧奥州街道で、この築館は宿場であったという。
なるほど、だから何かを感じ取った訳だ。
相変わらず、下調べが全くなっていませんです・・・

↓その道をさらに進むと、こんなものがあり、「何、これ?」と近寄ってみる。
 
よくよく見ると、武徳○(←?、何て書いてあったか忘れた)の石碑の後ろにバラックがあり、草木に呑みこまれようとしている。

さて、栗原市以降の自治体は、特にこれといった名所もないので、役場とその周辺を散歩して次へ移動するをしばらく繰り返します。

(285)宮城県加美(かみ)郡加美町(まち)役場

↓商店街





人影もほとんど見当たらず、それ以上に圧倒的に車の往来の方が大賑やかな商店街で、ある衣料品店から、何故か高校野球の「栄冠は君に輝く」がこれでもかと繰り返し繰り返し大音量で鳴り響いている。どう見ても時期早すぎだろう(投稿している今現在はピッタリだけど)。このような音楽で、果たして客寄せパンダとなり得るだろうか?

寂しい表通りにさらに輪をかけてうらぶれた裏通り→

(286)宮城県加美郡色麻(しかま)町(ちょう)役場

近くの神社→

何だこれ?→


風車を示す標識は初めて見ました(笑)
尤も、見て欲しいほどのものに値するかどうかの判断は皆さんにお任せしますが。

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54日目 宮城・福島、蛇走行(1)~登米

2013-08-15 23:25:58 | 南東北
2013年7月13日(土)


国道45号線を海岸線に沿って南下、気仙沼市本吉地区より国道346号線を進み、登米(とめ)市にやって参りました。

登米市は、平成17年4月に登米(とよま)町、迫町(はさま)町など9つの町が合併してできた市。
ところで、登米の呼び方には「とめ」と「とよま」の2通りあります。
これって、一体、どういう事??

元々は「とよま」であったのが、明治になり登米県が置かれた際に、これではよその人は読めないであろうという事で、県名を「とめ」にしてしまったという。
やがて、登米県は様々な県名を経て最終的には宮城県に統合されたのですが、登米郡を設置した時にそれは「とめ」として残りました。
以上は、後でも出てきます「水沢県庁記念館」という所で説明の受け売りですが・・・
つまり、合併前の登米町は「宮城県登米(とめ)郡登米(とよま)町」といったややこしいものだったんですね・・・

さて、この登米(とよま)地区は、別名「みやぎの明治村」と呼ばれるように、明治時代の雰囲気を味わえる町並があります。
時間に限りがあり、何でもかんでも見たい訳ではないので、興味を持った建物を見学するに留めます。

観光の拠点となる「とよま観光物産センター遠山之里」→
ここからスタートします。

↓教育資料館(国指定重要文化財)





明治21(1888)年に建てられた旧登米高等尋常小学校の校舎で、「みやぎの明治村」の一番の観光の目玉。
中で昔の教材などが展示され、教育の歴史を学べます。


一部、修繕中。ここの事務員さんによると、一昨年の大地震の揺れで、校舎はガタガタになり見るも無残な状態に成り果ててしまったといいます。実はハシゴの後ろで工事をしている真っ最中。

水沢県庁記念館(市重要文化財)→
明治5年築、でも県庁として使われたのは明治8年まででした。

↓武家屋敷通り

「明治村」を名乗りながら、ちゃっかり江戸時代のものもあったりする(笑)


手でちょこっと押せば今にも倒壊しそうな・・・

↓警察資料館(県重要文化財)



明治22年に建てられた旧登米警察署庁舎です。


中に入れるので、ちょこっと入って、捕まった気分を味わってみる。ん~、やっぱりあまり居心地は良くない。もちろん本物には入りたくないね、絶対。

↓蔵づくり商店街




登米(とよま)大橋(川は「北上川」)→

「とよま観光物産センター遠山之里」に戻り、食堂に入ります。

↓油麩(あぶらふ)丼(\650)

登米のご当地グルメです。
親子丼の肉が麩に変わったもののような感じ、ただし食べ応えが今一つ。
豚肉がちょっぴり入っていましたが、もう少しあった方がいいような気が。

さて、市役所は迫地区にあります。なので、進路は西へ。

(283)宮城県登米(とめ)市役所

↓白鳥の越冬地で有名な「伊豆沼」



ほとりの草むらにいたもの。拡大すれば何か分かります。

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54日目 復興を祈る~気仙沼・内湾地区

2013-08-14 22:58:46 | 南東北
2013年7月13日(土)


最後に「内湾・海の道遊歩エリア 港まち恋人スクエア」と呼ばれる一角を歩いてみます。

「ホテル望洋」近くの「五十鈴神社」がある丘→
左にチラリと見えるのは「浮見海道」という海上の遊歩道ですが、現在は通れません。

↓上の丘を西に少し歩いた所から見える気仙沼「内湾」
 

気仙沼湾の港ふれあい公園→
フェリーが見えますが、それに乗れば大島へ渡れます。

↓その真向かいにある、現在修復中の国登録文化財・老舗蔵元「男山本店」

1・2階部分は流され、3階以上が残っただけの全壊だったらしいです。
震災前のこのあたりは、昭和の薫りがするレトロな雰囲気を醸し出した街並みだったといいます。それが一瞬にして失われ、つくづく残念でなりません。

ひしゃげてしまったままの「港町ブルース歌碑」→

↓桟橋が傾いて一部が海中に浸かったまま・・・






↓復興屋台村気仙沼横丁
 
気仙沼は日本屈指の漁港で、カツオやサンマなどが多く水揚げされ、そして何と言ってもサメで、フカヒレは名物として定着しています。
さて、ここで海鮮ものを食べようと思ったのですが、まだ開店準備中・・・残念至極、無念なり。
今年いっぱいで閉鎖される予定みたいなので、ここで食べたかったな・・・
でも、開店までここで時間を食う訳にはいかない。

屋台村の横にある「冷蔵庫創業の地」の碑→

↓一番街商店街




↓南町紫市場
 

↓内湾商店街





下の修繕中の建物は、国登録文化財の「武山米店」

「お魚いちば」に入ります→
この中にある「港町レストラン鮮」で食事をすることにします。
さて、海鮮もの・・・ん?「気仙沼ちゃんぽん」?
聞いた事ないけどな・・・
新たなご当地グルメかな?

結局、注文してしまった(\850)→
入っている魚介類の種類は多く、汁も海鮮風味のなかなかの一品。

内湾は結構観光客も来ていて、それなりの賑わいはありましたが、街の復興としてはまだまだの感。
ましてや南気仙沼・鹿折地区はガレキが片付いただけにしか見えず、これからどうするのであろう?
でも気仙沼は絶対復興する筈だと確信しつつ、ここを後にします。

至るところで見る看板→

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54日目 復興を祈る~気仙沼

2013-08-12 23:21:45 | 南東北
2013年7月13日(土)


お暑うございますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
前回のブログから若干日が開きましたが、これまでマメに投稿していたのに突然ビミョーに間が開くということは、そうです、お察しのとおり、このクソ暑い中凝りもせずどこかへ出掛けていたのです・・・
自分でも、馬鹿やっているよ、とは重々承知しておりますが(苦笑)。
それはまたいずれ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、「道の駅大谷海岸」で車中泊して、早朝5時半に目が覚めました。

道の駅大谷海岸→
この道の駅は、列車の駅が併設され、日本一海水浴場に近い駅として有名でした。

↓という事は、被災した訳でありまして・・・


←手を合わせました

気仙沼市の中心部に向かって車を走らせます。

まずは南気仙沼地区に立ち寄ります。
この辺りは市の中心地でした。

JR気仙沼線の南気仙沼駅前→

詳細な地図がなかったので、駅を探すのに苦労しましたわ・・・
ところで、気仙沼線はぅん年も前に乗ってはいるのですが、やっぱり全く記憶にない。

その逆側、ホームの方→

↓駅ホーム
←気仙沼駅方向

←その逆方向

駅前の歌碑→
「砂の上に わが恋人の 名をかけば  波のよせきて かげもとどめず」
明治33(1900)年に落合直文という人が作ったせつない歌。
彼は「恋人」という言葉を初めて世間に広めたといいます。
と、知ったような事を書いていますが、最初これを見た時、震災で大事な人を失った悲しみを誰かが歌ったものを、こうして石碑にしたものだと思ってしまいました。

↓こうして残っている建物は、これからどうするのであろう?








市内観光案内図を貰いに気仙沼駅へ行きます。

駅近くの通り→

気仙沼駅→

気仙沼駅は市中心から離れた高台にあるので、津波の被害を免れています。

(282)宮城県気仙沼市役所

市役所前にあるビル→

次に向かったのは鹿折(ししおり)地区。

↓第18共徳丸が座礁しています。



やっぱりデカイですわ・・・
解体するか保存するかで、市と船主とで対立していましたが、この程正式に解体する事で決まりました。
そう決まる前からこれはいずれ解体されるであろうと思い、見るなら今しかないなと考え、旅先を徳島から急遽、東北に変えた理由の一つでもあります。

鹿折唐桑(ししおりからくわ)駅から→

↓「ホテル望洋」の前の道路から



「You Tube」で、気仙沼湾があっという間に大津波に呑まれる凄まじい様子の動画を見た事がありますが、どうやらここから撮影されたみたい。

まだもう少し気仙沼に留まります。

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53日目 復興を祈る~陸前高田

2013-08-07 23:39:22 | 北東北
2013年7月12日(金)


忘れる事のできない、あの日。
テレビに映し出された衝撃的な光景の数々。
各地の状況が伝えられる中で、私が一番ショックを受けた言葉が、「岩手県陸前高田市は津波でほぼ壊滅状態」という総務省消防庁の発表でした。
このご時世に「町が壊滅する」なんてあるのかと。

あれから2年4ヶ月・・・
その陸前高田市に来ました。

旧市街地をざっと見渡したのですが、去年来た時とほとんど変わっていないなというのが第一印象。
残念ながら復興を感じられるものは何一つありませんでした。
竹駒駅から旧市街地に向かう途中に、新しいお店やら建物が集中して建っている箇所があって、復興が進んでいると感じる事ができた唯一の場所でした。

さて、「奇跡の一本松」を見る人のために設けられた駐車場に車を止め、そこから約500メートル離れている松を見に行きます。

が、しかし・・・
↓折からの雨で歩道はぬかるんでいて、歩くのに非常に難儀しました。

ここまでお金をかけられないんだろうな、きっと。
仕方ない・・・

↓去年はガレキ(木材などに混じって服の切れ端や日用雑貨など人の生活が感じられるものもたくさんあり、この言葉を使うのはどうかなとも思いますが)が大量に積み上げられている山を尻目に、同じくぬかるみになっていたここを突っ切って歩いて来ました。


↓ゲートが閉じられていて、近くへは行かれず。




←橋から左の方向を見る

以下、行った所です。

↓道の駅高田松原



ここだけは時間が止っているかのような感覚になります。

←建物の前にある追悼施設

この近くにあった「キャピタルホテル1000」は既に解体されていました。

↓陸前高田駅
←大船渡方向

←竹駒方向

駅前通り→

道の駅の追悼施設に貼ってあった写真→
ここに写真のような街があったのがウソみたいな現在の状況です。

市役所や多くの犠牲者が出た市民会館があった場所も、とうとう更地になってしまいました。
←旧市役所の跡地
←その真向かい

↓去年はまだそれなりに建物は残っていましたが、そのほとんどは解体されてしまったので、上の写真にある建物がやたら目立っていました。

建物上の青い部分、津波到達の高さを示すものだそうです。

すでに時刻は19時近く。
今度来る時は、だいぶ復興したなと思える状態になっていて欲しい、そう思いながら陸前高田を後にし、宮城県に向けて走ります。

気仙沼市の「道の駅大谷(おおや)海岸」にやって参りました→
この日はここで車中泊です。
海鳴りがゴーゴー大きい中、眠りにつきますzzz

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53日目 別天地の涼しさ岩手(5)~気仙地区

2013-08-06 23:36:11 | 北東北
2013年7月12日(金)


遠野を出て、国道340号線で南下します。

JR釜石線・平倉駅近くの踏み切り→

住田(すみた)町に到着しました。

(280)岩手県気仙郡住田町(ちょう)役場
人口6千人ほど、昭和30(1955)年に世田米(せたまい)町・上有住(かみありす)村・下有住村が合併して成立した町で、役場は世田米地区にあります。
この町の西方にある種山高原は眺めがいいらしいです。

少しだけ町を散策します。

↓昭和橋



「せうわばし」の表記が、この橋の古さを物語っています(昭和6年竣工)。
実際に車がすれ違いができない狭さ。
なので、一台が渡っていると、それが渡りきるまで待っていないといけない有様です。
川は「気仙川」。長さは約45キロで、このまま陸前高田の広田湾に注ぎます。

橋からの眺め→←上流側
ここから約100メートル先には鮎釣りで人気の場所があるそうです。

↓左岸側には古い建物が多いです。
 

商店街→

20分ほど住田町に滞在して、17時頃に出発。
そのまま国道340号線を気仙川に沿って走ります→

いよいよ東日本大震災の被災地に入って行きます。

ところで、この旅に出るにあたって私はある重要なものを持ってくるのを忘れてしまいました(最悪)。
それがないとどうにもならないかと言われれば、必ずしもそうではないのですが、あるとないのとではそれはそれは雲泥の差であります。

それは何か?
↓被災地を廻るのに欠かせないもの(これは自宅で撮った)

浸水域が一目で分かるし、私はカーナビを付けおらず(カーナビが嫌いで地図を見てあちこち行くのが好き)、大まかな地図しかないので、特に市街地は被災前の町の状態も含めて詳細に大きく載っているこの地図は、とても有り難いものなのです。
まあ、これから行く陸前高田ならば昨年の3月にも来ており、道路はおおまかに覚えているので何とかなるかなという気もしますが・・・

↓JR大船渡線の竹駒駅
←陸前高田の方向

←上の写真とは逆方向
この駅は海から約4キロの所にあるのですが、津波はここからさらに2キロ程内陸部まで浸水しました。

駅前のガソリンスタンドの2階には「津波到達点」が示されています→

(281)岩手県陸前高田市役所
見てのとおり仮庁舎で、旧役所から内陸よりの高台に設置されています。
役所前の道路は人や車の往来が激しく、かなり錯綜していました。

↓役所に併設されているBRT(バス高速輸送システム)の仮設駅と観光案内所

17時過ぎているというのにラッキーな事に観光案内所が開いていましたので、そこで市内の案内図を貰う。
これは助かった!

↓次に「奇跡の一本松」の駐車場に来ました。
 
チラリと見えます「奇跡の一本松」、去年来た時にも見ましたけど、その時は既に枯れていたとはいえ、一応本物だったんですよねぇ。
でも、今あるものはレプリカ
観光案内所で地図を貰ったときに、確か「奇跡の一本松保存募金」と書いてあったハコにお金を入れたのですが、「保存」という表現に違和感が。
「維持管理募金」ではないんじゃないのかなぁ?
ま、どうでもいいけど・・・。

↓今夏限定でこの翌日(7月13日)より開業するBRTの「奇跡の一本松駅」

ラジオで言っていたのですが、これはこの日に設置工事がされました。
なので、造りたてホヤホヤです。

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53日目 別天地の涼しさ岩手(4)~遠野

2013-08-04 15:49:00 | 北東北
2013年7月12日(金)


遠野市、以前から来てみたかった所(列車で通り過ぎた事はありますが)。
柳田國男の説話集「遠野物語」の舞台で、これぞまさに日本と言うべき里山の自然や民話的な世界の広がる町。
そんな「日本のふるさと」ともいうべき町を廻ってみたいと思います。

南部曲り家千葉家(国重要文化財)→
200年前に建てられた南部曲り家です。
「曲り家」とは、L字型の家の事で、母屋と馬小屋を直角に繋げた家。
映画「遠野物語」の撮影にも使われました。

←左部分が馬小屋、右部分が住居です



↓続いて「続石」と「五百羅漢」に行ってみる。
 
「続石」とは「遠野物語」91話に出てくる奇石で、かの弁慶が持ち上げて作ったといわれ、「五百羅漢」とは、大飢饉の際、お坊さんが犠牲者の冥福の為に花崗岩に500もの羅漢像を彫ったもの。

ところが、両方とも入口に来ただけで退散・・・

というのも、これを見てヘタる→
相変わらず度胸のない私であった・・・

↓卯子酉様(うねどりさま)
 
これは女性が大喜びする縁結びの神様。
祠に置いてある赤い布(100円)に願い事を書いて、左手だけで木に結べれば、縁結びのご利益が得られるという。

そこで、私もガラにもなくやってみる。
幸い?私は左ききなので、さほど苦労なく結わえられました、これで縁が結ばれる!
さて、何を書いたかというと・・・
「仕事がいっぱい来ますように」、つまりだ、仕事の縁を祈願した訳です。
これもある意味縁結びであろうから、問題ないんじゃないかな?
いや、やっぱり違う?
色気のない話しで、スミマセンです・・・

↓風車がシンボルの「道の駅遠野風の丘」
 

(279)岩手県遠野市役所

伝承園・カッパ淵駐車場にやって来ました→

隣は伝承園→
昔のこの地方の農家の暮らしぶりを再現した博物館

でも、私が見たいのはこれではなく、もう片方で、駐車場から少し離れた所にあります。

常堅寺→
この裏手にあります。

↓カッパ淵
 
カッパについての民話が多い遠野を象徴する場所です。

↓うん、本当にカッパが出てきそうな風景
 
左の写真に釣竿が垂れているのが見えます。
ここでカッパ釣りができるんですね。
ですが、この日は残念ながらカッパは姿を見せてくれませんでした(笑)



以上のこれらを見て、遠野観光はこれにて終了です。
市町村巡りというお題目がある以上、ここだけ時間を費やす訳にはいかない。
というより、遠野はほんの2~3時間いただけではとてもとても見切れず、最低でも2日はないとね・・・
遠野市立博物館・遠野ふるさと村その他数多くの観光施設や駅周辺の城下町の名残りの残る佇まいも見たいし、遠野市は「どぶろく特区の許可」を受けているので、どぶろくも味わいたい、「遠野ジンギスカン」や伝統食「ひっつみ」を食べながら、ね。
そして今度は晴れた日に来て、レンタサイクルに乗りながら「河童のクゥと夏休み」に出てくるのような情景に触れ、童心に帰ってみたいもんです。

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53日目 別天地の涼しさ岩手(3)~一関から遠野へ

2013-08-03 23:56:16 | 北東北
2013年7月12日(金)


幽玄洞を10時過ぎに出て、またまた2時間ほど運転に費やします。
目指す地は民話の里・遠野。

↓小さな集落や山の中をひたすらひたすら・・・





車の中ではNHKラジオを付けていたのですが(当然東京中心の放送が多くなる)、この日も関東から西は焼け死にしそうな暑さらしく、一様に「あっちぃ、あっちぃ。カンベンしてくれ・・・」と悲鳴を上げているような感じで各地の中継などをしている。
まぁ、前日まで私もその中で過ごしていたのでどういう様子か分かるのですが、いざこのような気温の中にいるとピンとこないというか、とても違和感を覚えます、不思議なもんですな。
そして半袖でいても全く寒さを感じないのも、これまた不思議なところ。

県道8号線を走っている途中で見つけたもの→
この新旧並んでいる鳥居はどういうことであろう?
それに肝心の社殿は?
ついでにこの辺りを見廻しましたが、何だかあまりいい雰囲気を感じない。
それは、写真の左にある標語の看板の小学校名 「人首」 という薄気味悪そうな地名に関係があるのか?
とっても興味を持ったので、千葉に帰ってから調べてみる。
まず、読み方。
何と「ひとかべ」というようです。
絶対読めないよな~。
八つ墓村を連想したくなるような不気味さです・・・

さらに伝承がある事も分かりました。
今から1200年前、征夷大将軍・坂上田村麻呂の率いる朝廷軍がここを攻めに来たの時の事。
蝦夷(えみし)の総帥アテルイが惨殺されて以後、その子である人首丸は山に立て籠もって僅か20人(!)で抗戦をしましたが、味方はどんどん減っていき、いよいよ手勢が3人となり、最後の決死の斬り込みを敢行、人首丸は捉えられ斬首されました。
その抗戦は4年間も続いたといいます。
人首丸は15歳位のかなりの美少年だったようで、現在でもお墓は手厚く供養されているということです。

それにしても2基の鳥居、標語の通り、我々には見えない神の手でつなぎあって、支えあっているようにも見える(笑)。

人首小学校付近→

「日本昔話」に地主として出てきそうな家→

田瀬湖というダム湖の畔に来ました。

いかにも小さな集落の郵便局って感じ→

↓田瀬湖と田瀬ダム


←ダムの上



ようやく遠野市の「道の駅みやもり」に到着→

↓ここは何といっても「めがね橋」が間近に見られるのが売りです。



橋をJR釜石線が走っています。
宮沢賢治はこの橋をモデルに「銀河鉄道の夜」を書いたといいます。
金土日曜の夜になるとライトアップされるらしいですよ。
芝の所が「恋人の聖地」、真っ昼間には「聖地」というには全く程遠い感じですが、夜にライトアップされればガラリと雰囲気が変わるんだろうな。
それと「奇体な石」とは何ぞや?

これの事ですが、みなさんはどのように見えますか?→
向こう岸にあるものをアップして撮ったので、本当はもっと小さく見えます。

一応、解説も載せておきましょう→

↓道の駅にある「レストラン銀河亭」の「どばそば」(\750)

山のように大盛りのそばというので注文してみましたけど、物足りない量しかなかったな・・・
これは並盛りであるよ、私にとっては。
この周辺はわさびの産地で、なるほど丸ごとのわさびが付いてきた。
わさびソフト(\250)というのも売っているのですが、残念ながらわさびが大の苦手でございます、私は・・・

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53日目 別天地の涼しさ岩手(2)~一関

2013-08-01 23:44:04 | 北東北
2013年7月12日(金)


一関中心街を軽く散歩してみます。

一ノ関駅→
市名は「一関」なのに、なんで駅は「ノ」が入っているんだろう?
個人的には「ノ」入りの方がしっくりくる。

駅前通り→

商店街→

商店街で見つけた飲み屋→
ツギハギだらけ、しかも原付バイクが上に置かれていて、思わず見入ってしまう。
これだけ目立つと、全く「秘密基地」ではないな(笑)
でも、入りたくなるような、入ったら楽しそうな感じのするお店ですな。

↓世嬉の一・酒の民俗文化博物館の「ご試飲直売所(左)」と「徳蔵」
 
この博物館では大正時代の酒蔵を活用し、酒造りの道具の一部を展示したり、酒造りを紹介したりしているそうです。
その酒蔵は、東北一の規模らしく、左の方のチラリと写る赤いポストの辺りから見えるのですが、写真に収めるのを忘れてしまった・・・

↓旧沼田家武家住宅
 

↓日本キリスト教団一関協会
 

磐井(いわい)川の土手に上がる→

市街地を出て、北東の方向に車を走らせ、やってきたのは猊鼻渓(げいびけい)。

JR大船渡線が砂鉄川を跨いでいます→
先程行っていたのは「げびけい」、こちらは「げびけい」。
近くにありながら、非常に紛らわしすぎる!
日本百景の一つである猊鼻渓では、2キロに渡って高さ100メートルの絶壁に、奇奇怪怪な形をした岩々を舟下りで楽しめるという。
乗ってみてみたいんですけどね~、90分もかかるというし、第一こんな天気だし、今一つ乗る気になりません。

↓ならばと、天気には全く左右されない猊鼻渓の近くにある幽玄洞へ



昭和55(1980)年に発見された日本最古の鍾乳洞。
3億5000年前は水深50メートルの海底であったらしく、ウミユリ・三葉虫などといった当時の化石が見られます。

いよいよ入りまーす→
なぜ、入口をこんなに立派にしているんだか・・・

↓どんどん下へ



それでも、しょっちゅう頭をぶつけてしまう・・・

↓以下こんな感じです。

泉は真ん中下よりの、モスグリーン色をした部分だったと思うんですが・・・
よく覚えていない(汗)





幽玄洞を見終えたのが10時。
ちょっと一関で時間を浪費しすぎたかも・・・
さて、次はどこへ行こうかな?

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