ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

120日目 アヤツをツマミに金色のアレが呑みたい!

2015-05-31 23:58:42 | 南四国
2015年5月2日(土)


17時頃、牟岐町(むぎちょう)の牟岐駅に来ました。車をここに止めて軽く散策します。

牟岐駅→
すんごい田舎な駅ですが、これでも特別急行列車の終着始発駅だったりする。

南国ムード漂う駅前→

この駅前の通りをまっすぐ歩くと、牟岐川の牟岐中央橋。

上流側→

下流側→

この先河口側に見える大川橋へ。

橋からは島が見えます→
出羽島(てばじま)といい、ここには私の大好きな古い鄙びた集落があります(気がつかなかったけど、カメラのレンズが汚れているし・・・)。散策絵地図を見ていると是非行ってみたい! のですが・・・。

ありゃりゃ、島への最終便が行ってもーた・・・→
仮にこれに乗れたとしても、この日の島から牟岐に戻る便はもうないけど。

漁船がひしめく牟岐港→
牟岐町は沿岸・遠洋漁業の基地。

↓ここからちょっと東に行ったところの古牟岐(ふるむぎ)港では、ちょうどこんな催しが開かれていたりします。

牟岐笑海族団(むぎわらかいぞくだん)HPより
アワビもいいのですが、今年は何と、サソリ!が食べられるとな!!
サソリは精力増強にいいらしく、そろそろ旅疲れし始めた私にとって持ってこいなのですが、もう終わってるし・・・。
私はまだ食べたことはないのですが、胴体部分は苦いようです。
古牟岐港近くには、「モラスコむぎ」という貝の博物館があります。

(496)徳島県海部(かいふ)郡牟岐町役場
「あわ(阿波)」の「むぎ(牟岐)」ですか・・・。「あわ(泡)」と「むぎ(麦)」、あわあわむぎむぎ・・・。
実はこんな事ばかりで頭の中はグールグルしております。しかも一杯やるのにうってつけの暑さ。想像するだけで涎が出てそう。
ただし・・・。車での旅の大いなる瑕疵でございます。
牟岐町は漁業の他にも農業も盛んなようですが、人口は右肩下がりで減り続け、今では約4,800人。

役場前の道路→
左の屋号、何と読むのだろう?
と思ったけど、特に頓智を効かせたものでもなかった、フツーに「丸京」でした。

↓小学校の前に建っている安政年間と戦後直後の地震による津波の碑

安政の時は、高さ10mの津波が3度押し寄せ、約40名が溺死したといい、戦後の時は50余名が亡くなったという。最高潮位を示す標識は戦後のもの。
これらの有難い先人の教えは、今世紀前半にも起こる確率が高いとされる南海トラフ巨大地震発生時に生かされるといいのですが。
どうしても災難が起こっても自分だけは大丈夫だと思ってしまうからなあ。
確か、今年の2月の初めにここらで大きな地震があったような・・・。

↓後は適当に街中を見て廻って駅に戻ります。






国道55号線をさらに南下。
この旧道に松坂隧道(まつさかずいどう)という国内最古のコンクリート製道路トンネルがあったのですが見忘れる。
泡麦で頭がいっぱいだったから(苦笑)。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

120日目 うぇるかむ、かめ

2015-05-27 23:27:32 | 南四国
2015年5月2日(土)


ロープウェイ・椿泊(つばきどまり)と並んで、この日のもう一つのお目当て、美波町(みなみちょう)・日和佐地区にやってまいりました。
NHKの朝ドラの影響で(新幹線のせいもあるけど)オバさまご婦人達はこぞって能登半島に目を向けておりますが、5年程前ならばこちらが世間の耳目を集めておりまして。
そう、ここは「ウェルかめ」の舞台。
ただ、私はそれを全く見ていなかったので、今回紹介する所はドラマのどの箇所で出てきたなどの話しはできませんが・・・。

(495)徳島県海部(かいふ)郡美波町役場
平成18年に、日和佐町(ひわさちょう)と由岐町(ゆきちょう)が合併してできた町。
全く個性のない町名に変わってしまったのは何とも残念。

役場前の道を500m程歩いて海へ(暑くて、しんどい・・・)。

↓まずは何はともあれここに入らないと話しになりません。


↓ですが、その前に正面の大浜海岸を満喫してから。



言うことなしです、この景色。

この海岸はこういった海岸です→
上陸したのがまだ一頭というのが、少々寂しい。

↓それでは、博物館「カレッタ」へ



外の入口にも、館内の入口のお出迎えは当然これら。外のでっかいカメは実は公衆電話。
「カレッタ」とはアカウミガメの学名、世界でも珍しいウミガメの博物館。

カメの生態や進化などを学べます→

でも、生きているのを見ている方が断然オモロイ。

元気な子ガメ→
何を考えているのか、他を押しのけてムダにアピール。

下から泳いでいる姿が見られます→

何故だか、ニモもいたりする→
そして、主役そっちのけでここに一番多くの人が集まっていたりする

カレッタでは、飼育されている海亀としては世界最長寿(昭和25(1950)年生)の亀がいるというんですが、どれだったかわからず・・・。

次に街を散策してみます→
やっぱり残っている昔ながらの風情。

前世紀初めのお風呂屋さん→
しかもこれは世界遺産ならぬ、世遺産(認定第1号)。

日和佐川に架かる厄除け橋→

河口の方向→
川、漁船、山、おまけにお城もあるいい眺め。お城は日和佐城といい、昭和53(1978)年に天守閣として復元されたもの。

↓反対側では、水蜘蛛の術の練習、ではなく最近流行りのスタンドアップパドルボードに勤しんでおります。


橋を渡ってすぐ右手には商店街→
遠く見えるは23番札所・薬王寺。次のお寺さんまでの距離は実に70数キロ。

↓国道55号線沿いにある「道の駅日和佐」とJR日和佐駅



それぞれの駅は隣接していますが、行き来は跨線橋を渡るのでやや面倒。

最後にお城へ行ってみます。が、入口に来たとたん、事務員さんがカギを掛け始める。
「すみませ~~ん、閉館なんです~~」 ああ、そうですか・・・。まだ、4時なんだけどな。
GWの書き入れ時、日没時間もまだまだ先なこの時期なんだから、少しくらい融通効かせてもねぇ。
よく調べていなかった私が悪いんだけどさ。

由岐(ゆき)駅にて→
美波町はカメだけじゃありません! 僕たちを食いに見に来てね!

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120日目 阿南の名物喫茶店と海辺の鄙びた集落

2015-05-25 23:54:18 | 南四国
2015年5月2日(土)


今回の旅では訪問市町村としてはカウントはならないのですが、車でないとなかなか行きづらい、阿南(あなん)市のある集落を何が何でも見たくて行ってみることにしました。

阿南市の南部には深く切り込んだ入り江があって、南側の岬は蒲生田(かもだ)岬といい、北側は何という岬というのか分からないのですが、目的地はその北側の岬近くにある集落。

地図でいうと↑の先の所→

↓そこを目指して国道55号線を走らせていると、右手に一見廃墟?(写真ではあまり廃墟に見えないけど)のような、だけど雰囲気のある面白い建物を見つけます。

とても気になったので車を止めて、何じゃこりゃあ~!?とばかり、しばらくその建物の周りをうろついてましたが(あたかも不審者)、ちょうどその横でノラ仕事をしていたオバちゃんがいたので、「この廃墟、なんですか?」と聞いてみる。

そしたら開口一番、「いいところに目をつけたね~」と言われ、私が??の状態でいると、「喫茶店でな、雑誌なんかでもよう紹介されよって、関西からもわざわざ来よる人多いんよ」と言う。しかも中は、ご主人お手製の椅子、机、彫り物なんかで溢れているらしい。

そういう事ならば話しのネタとして入ってみる→

カレーライスを戴き、お金を払う時に、私はてっきり他の何かに使われていた建物を引き継いで商売しているものだと思っていましたので、ここは前は何に使われていた建物だったのか聞いてみたら、想像しえなかった驚愕の回答が。
何と、建物までもお手製!

中は撮影しちゃいかんと言われたので、内部の写真はありませんが、どんな喫茶店か詳しく知りたい方は「阿南 大菩薩峠」で検索してみてください。

思いがけず時間をロスしてしまいましたが、お目当ての集落へ。
前から車がやってきたらどのようにすれ違えばいいか困るような細い道が延々と続くらしいので、適当な場所に止めて歩く事にします。

やってきたのは椿泊(つばきどまり)。
戦国時代・江戸時代には水軍の拠点として栄え、今では延縄、底引き、建網、定置網、海士、一本釣りなど多くの種類の漁法が行われ、県内有数の水揚げ量を誇るようです。

↓集落の様子









昔からの道をそのまま使用しているんですな。
しかもほぼ直角の曲がる箇所もあって、そこそこ大きな車、特に宅配便のトラックなんかは曲がるのに非常に難儀しておりました。

欄干はそれぞれ個性的な彫り→
窓際には手すりが付いているなど、一軒一軒見ていて楽しい。

漁港→

昔の堤防の上に新しい岸壁が載っかっています→
こんな低い堤防じゃ、高潮なんかが来たら、あっさり水没しそうだけど。

佐田神社→

石段を登っての眺めはとってもいいです→
「椿泊のだらだらまつり」といって、毎年9月になると豊漁を祈願する秋季例大祭が開催され、山車の練や神輿の海渡御・船団の海上パレードが行われるんだと。

ここに来るまでゆうに30分。さらに奥に続いており、一体終点までどれくらいかかるのか見当がつかないので、ここで引き返す事にします。

↓車での移動中、ラジオではしきりにこの宣伝をしておりました(椿泊漁業協同組合HPより)。

明後日(5月4日)かいな・・・、残念。
ぎょぎょ!で有名なお魚に超詳しい某タレント名誉博士殿が紛れ込んでいそうなお祭り(笑)。

海岸線に沿ってはいるものの、狭くクネクネした山道(県道26号線)を進むと・・・。

↓お隣、美波町(みなみちょう)の人口100人程の集落・伊座利(いざり)



ここは山と海に囲まれたいわゆる「陸の孤島」。
この集落を紹介したのは、千葉に帰ってすぐの今月6日、にっぽん紀行「クロにいの船~徳島 美波町伊座利~」というNHKの番組でここが紹介されていたから。
たったそれだけの事なんですが、私にとって実にタイムリーな番組だったので、妙に嬉しかったですねぇ。

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120日目 なりきりお遍路で、西日本一ロープウェイ空中散歩

2015-05-23 00:59:56 | 南四国
2015年5月2日(土)


那賀町(なかちょう)の「道の駅鷲の里」へ来た目的。それは・・・。

ズバリ、これ!→
ここのはショボイそんじょそこらのロープウェイとは違い、セールスポイントがこんなにいっぱい。
乗らない訳にはいかないじゃないですか!

道の駅にある「鷲の里観光物産センター」→
この奥にロープウェイ乗り場が併設されています。
赤い橋はその名も「開運橋」。渡ったので運が開けるといいけど・・・。

↓入ってみると、おちゃらけた格好のゆるキャラ(名前は知らん)がお出迎えしてくれます。


鷲の里駅→
毎時0分・20分・40分と割に頻繁に出ていて、終点・太龍寺駅まで10分程。

最後尾に張り付いて、イザ、出発!→
ガイドさん付き。平成4年に開業し、全長は2,775m、高低差は442m。ハコはなぜか半端な定員101人なのですが、そんなにも多くの人を積み込める気が全くしない。仮に満員の時に乗った場合、ヒモが切れやしないかヒヤヒヤするんじゃないかと。

スカスカになっている床があります→
こえ~ぞ。

グングン登ります→
素晴らしい壮大な眺め!
那賀川もいいけど、家並み、そして田んぼが美しい。稲で青々としている時期ならもっといいんだろうなあ。
というか、よくぞこんなロープウェイを造ったもんだよ。

世界最大級・1号支柱を通過→
ちっぽけにしか見えません。カメラ技術が下手くそでスミマセン・・・。

この山にはオオカミが住んでいるという噂がありまして・・・。

タイミングよく、ほらっ!→
実はこれらは銅像。
ここ山犬ヶ嶽には、今から1,200年ほど前にはたくさんのオオカミの群れがいたそうで、舎心ヶ嶽という場所で修行していた、各地に超人的なエピソードを残すスーパー和尚・空海(弘法大師)もオオカミの遠吠えを聞いたといいます。オオカミの遠吠えとは一体どんなのだろ?普通のイヌと変わらんのかな?

2号支柱を通過→

ここが舎心ヶ嶽で、独り寂しく空海が修行中→
こんな所で100日も修行したとな。ようできたもんだわ。

山頂駅とも呼ばれる太龍寺駅に到着→

この階段を登ると太龍寺の本堂→
21番札所・太龍寺は標高618mの太龍寺山頂近くにあって、西の高野とも呼ばれています。
ただ、高野山のようなド派手な建物は見受けられませんでしたが。
今じゃ、文明の利器でここへ来るのは楽だけど、昔はさぞ難儀な事だったでしょう。索道、有り難や。
そして、お寺さんは那賀町ではなく阿南(あなん)市にあったりする。
延暦12(793)年、空海が舎心ヶ嶽の上で修行し、その後、桓武天皇の命により堂塔が建立されて空海が虚空蔵菩薩像などを造像して安置して開創。

お寺さんには全く興味はなく、しかもここは真言宗なので我が家の宗派とは違うのですが(ただ、母方の宗派は真言宗だったりする)、折角来たのだし、多くのお遍路さんに紛れてサクッと観て廻る。

本堂→
嘉永5(1852)年に建立されたもの。

因みにロープウェイ料金は往復2,470円(私はJAF会員証を見せたので100円引き)。
ちょっとお高い気もしますが、実際乗ってみるとそれくらい払っても全く損した気がしない楽しい乗り物でございました。超オススメ!

山から下りてきてからは、毎度お馴染みここ。

(494)徳島県那賀郡那賀町役場
平成17年に3町2村が合併して成立した町で、やたら面積は大きく、徳島県の約6分の1を占めます。
役場は旧鷲敷(わじき)町に設置されたのですが、所在字名は和食という所。
「わしょく」ではありません、「わじき」です。2通りの漢字表記があってややこしい。
前日編でも那賀町は登場しています。「剣山スーパー林道」や「大釜の滝」などがそうです。

役場からちょっと離れた所にあるコンビニ→
覚えていらっしゃるでしょうか?
昨年8月、台風11・12号によってこの町が水没してしまい、ニュースなどで大きく報道されていた事を。
お店の人にその事を聞いてみたら、天井まで水に浸かってしまったという。
でも今じゃそんな事があったなんて微塵も感じさせなかったけどね。

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120日目 地名の成り立ちとは奥深いもんだ

2015-05-20 23:39:47 | 南四国
2015年5月2日(土)


早朝の「道の駅ひなの里かつうら」→
6時半頃すぎから始動です。

(493)徳島県勝浦郡勝浦町(ちょう)役場
「勝浦」と聞くと、関東の人なら千葉県の勝浦市となるでしょう。カツオや朝市、タンタンメンで知られてます。
一方の関西はというと、和歌山県の超有名観光地・那智勝浦町。
それぞれお互い遠く離れた同じ勝浦、一説によると元々は徳島・勝浦の住民が黒潮に乗って和歌山・千葉に移住したといいます。
そう言えば徳島の旧国名は「阿波」、千葉県南端の旧国名も「安房」。同じ「あわあわ」ですしねぇ。
ただ、東西漁師町の本家本元の知名度のなさが悲しい。

町を流れる勝浦川左岸にあたる西側の商店街へ行ってみます。

勝浦川の横瀬橋→
この三角のお山がよく目立ちますが、何という山名か知りません。どなたか教えて下さいな。

橋からの眺め→

↓JAの敷地に来ると、たくさん飾られている「五月人形」に出会う。



「武者人形祭り」というお祭り絶賛開催中(注、今年は4月19日から5月6日までで既に終了)。
ここ勝浦町では「ビッグひな祭り」という一大イベントが行われます(今年は2月22日から4月5日まで)が、女の子のお祭りだけやるというのも男女平等のこの平成の世に反していると思ったのか、ガス抜き的にやっている感のあるお祭り。
というのも、規模といい、開催期間といい、男物はささやかなもんです。
これが逆だったら、差別しているなどと女の人から難癖つけてきそうだけど。
先に述べた3つの勝浦は同じ地名なためか、結束力も強く?、それぞれでビッグなひな祭り(名称はそれぞれ違いますが)を開催します。これも最初に開催したのは徳島の勝浦から。
因みに道の駅の写真の「よってネ市」の看板の後ろにある建物が、ひな祭りの会場・人形文化交流館。

商店街をブラブラします→

↓各家々の軒先にこんな感じで五月人形が飾られています。


↓車に乗り、昔の趣きが感じられる「道の駅」近くの旧道へ。


↓ここは20番札所・鶴林寺へ向かう遍路道でもあります。


↓この遍路道を進み、山を越えて阿南(あなん)市に入ると、那賀川(なかがわ)のほとりに来ます。ここを河口側に向かって少し走らせると、バス停名にもなっているこういう集落に着きます。

十八女?!
ちとエロティックな感じのするこの地名、字面だけ見れば、18歳のピチピチした女性がいっぱいいる所?それとも女の人が18人しかいない所?と考えてしまう。
まあ、田舎なんで、どちらかと言うと18人しかいないのが当たっているかもしれないけど。
そもそも、一体どう読むんだろう?

さかり

言い得て妙な地名。「鬼も十八 番茶も出花」と言うしな。実際この年齢になるとサカってくるし

どうしてこのような奇妙な地名ができたかというと、ある伝説によれば、元々「坂里(さかり)」と呼ばれていたこの地に、幼き女帝・安徳天皇が都落ちしてきたという。
安徳天皇とは壇ノ浦の戦いで僅か8歳で亡くなったあの天皇です。
ある庄屋さんがお姫様(安徳天皇)をかくまっていものの、僅か18歳で亡くなってしまったのだという。
この伝説から「十八女」という字名にしたらしいです。
あれっ、関門海峡にて8歳でお亡くなりになったんじゃないの? なんですけど、あくまで伝説なので・・・。

そもそもここに来た用件は?
地名に惹かれ、何となくやって来ただけです。結局、私を怪しげに見ていた相当昔、いや遥か昔に18歳だった男の人一人に会っただけでしたが・・・。

十八女大橋から見る那賀川→
清流四国一と、国の某お役所のお墨付きを得ている那賀川。日本三大清流の一つ・四万十川なんか目じゃありません。さすが四国一、綺麗すぎ!

今度は逆に川を山方向に遡ります。

↓那賀町(なかちょう)の「道の駅鷲の里」には8時20分すぎに到着。


ここでのお目当てがあるのですが、それは次回にて。

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119日目 面白きかな、阿波の秘境の道

2015-05-17 00:40:59 | 南四国
2015年5月1日(金)


神山町「川又地区」で国道438号線から分岐する国道193号線を山をグングン登りながら南下します。
この道路、しばらくすると国道193号線は消滅し、途中で県道253号線に名前を変え、さらにそのまま進むと再び国道193号線がゾンビのように復活するというワケわからん道路。
そして、その国道・県道の実態たるや・・・。

いわゆる酷道ですな→

俗に言う険道だね、こりゃ→
ガードレールは所々ひしゃげているし、路面には小石がそこらじゅうに散乱。ま、至って普通の山奥の道路ですけど。
左の滝は「氷生ケ滝(ひしょうがたき)」といい、「鹿舞(かま)ダキ山(1330m)から湧き出した清らかな水は、いつも枯れることなく厳冬期には、美しい氷瀑が現れます」と案内板に書かれています。

当然眺めはグンバツ→
というか、見下ろすとその高さゆえ恐すぎです、ハイ。

神山町から那賀町(なかちょう)に入ってすぐに、剣山スーパー林道と交差します。
剣山スーパー林道とは、上勝町(かみかつちょう)と那賀町を結ぶ日本最長の林道で、その長さ87.7km。大部分が未舗装なため、オフローダーの聖地と言われているそうな。
実はここを通って上勝町に行くことを非常に楽しみにしておりました。
ワクワクしながら分岐点に来てみると・・・。

ええ~~~っ!!(この世の終わりのような悲鳴)→
ガックリなんてものじゃなし
台風でこうなってしまったらしい。

林道は一旦県道253号線と同じ道を辿り、ちょっと先で再び分岐します。

もう一つの分岐点に行ってみると・・・→
どうやら林道はズタズタに分断されているようで、もはや燐道と化しております。
それにしても、通行止めの看板がくどすぎる上に、徐行を促す看板あるわ、日本最強獣に遭遇する危険も忠告してくれているしで、怖すぎるこの道。
それでも是非我こそはという方、よくよくコレで情報を確認してから訪問して下さい。
ところで、木沢村は平成17年に他の町村と合併して那賀町となってしまったのに、そんなに長い間通行止めなの?

仕方ないので、県道253号線→国道193号線をそのまま進んで、途中から県道16号線に入って上勝町に行く事にします。

国道193号線沿いにある「大釜の滝」→
案内板には「落差20m、淵の深さ15mあり多くの伝説が残されている。中でも釜の形をしている滝壺の底には大蛇が住むという話が今に伝えられている。」とある、日本の滝百選にも選ばれている神秘的な滝。

滝の近くにあるものを見て、思わず仰け反る→
素掘りのまま!!(大笑)。念のためもう一度言っておきますが、ここ国道です。

隧道と言うより洞窟といった方が的を射てるかも→
怖いです、コーティングしていないだけで、崩落しやしないかヒヤヒヤです(私小心者ゆえ)。

県道16号線との分岐点です→
・・・。見てのとおり、特にコメントなし。

看板にあった迂回路を通って県道へ。
それでその迂回路ときたら、やたら勾配がきつく、エンジン唸りっぱなし。

下からここを駆け上がってきたからねぇ→

県道16号線も険道に相応しく、やたら狭くクネクネしており、更には沿道に人の集落などないどころか、家一軒すらない山奥を走る。獣たちの集落はあるかもしれないけど。

やっと峠のトンネル(これを抜けると上勝町)→
そもそもこんな所を歩くとか、チャリを漕ぐとかなんていう物好きは想像できませんが?
それどころかこれまで車一台すらすれ違っていないし。笑わせてくれるわ、阿波の道

落石に注意せねば→
といってもどう注意すればいいのか分からんが。多分通らないのが一番よろしいんだろうけど・・・。

↓上勝町の八重地地区





もはや限界を楽に通り越してしまった感のある限界集落。
もっと暗くなったら、白い衣装を羽織った脚のないオンナの人が出てきそう。
実はここは、「にほんの里100選」に選ばれている所でして、特に棚田が美しいようです。

(492)徳島県勝浦郡上勝町役場
よく知られているのは「葉っぱビジネス」。
とは言ってもこれで人口減の歯止めになっているワケでもなく(今年5月時点で約1,700人)、これからどうすんでしょうかねぇ。まあ、上勝町に限った話しではないんだけど。

↓この日は、お隣勝浦町の「道の駅ひなの里かつうら」にて車中泊。


阿波の秘境、テラグッドでした!

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119日目 IT企業が続々進出する過疎の町

2015-05-14 23:38:30 | 南四国
2015年5月1日(金)


突然ですが、話しはここからです。

(491)徳島県名西(みょうざい)郡神山町役場
町のHPによれば、今年5月現在の人口は6千人に少し足らない程度の、今の日本ではちっとも珍しくない、過疎に「超」を付ける資格十分(と思われる)の人口が激減している町。
なので、誇れるものといったら豊かな自然に、「すだち」生産量日本一くらいなもん。

いやいや、どっこい、それだけで引き下がるような神山町ではありません

IT企業が来るわ来るわで押すな押すなの大盛況?の異常事態 ウハウハ状態(とはちょっと大袈裟かもしれないが)のようなのです。
これはマスコミでもしばしば取り上げられており(実際に私も、この状況を取り上げたテレビ番組を見たことがあります)、例えばネット上でも、「徳島の過疎地にIT企業のオフィスが集結してるらしい」てな具合。

↓そんな神山町の中心をなす商店街をブラブラしてみます。





昔ながらの古い建物がよく残っていて、いい雰囲気の佇まいの街ですが、ITのカオリは微塵も感じさせない。

↓ふと、よ~く見ると、古い建物にぽっかりと出入口らしき空間があったりする。

不法侵入かも知れないけど、好奇心が勝りくぐってみると・・・。

えんがわオフィス
これ、会社ですか? どこか能舞台っぽい・・・。
件のIT会社の一つですがHPを見てみると、働き場というよりも遊び場・社交場にしか見えん(失敬!)。
あ、そうそう、この会社の出入口は別に広くきちんとしたものがありますんで。

↓次に、雨乞の滝(あまごいのたき)に行きましょか!

もちろん歩きじゃなく、車でです。
全く知られていませんが(私も知らんかった!)、邪馬台国・四国説というのがあるようで、卑弥呼の居城とされているのがこの町にある「高根悲願寺」というらしい。
それは山奥にある雨乞の滝のさらに奥というから、この説は嘘っぱちとは私は思っていますが、まあ、歴史のロマンとしてはそういう説もありかなと。

滝に行く前についでにここも宣伝しておきましょ→
道の駅・温泉の里神山。ただ、道の駅の名前には「温泉」とは付いているものの、駅敷地内にはそれはなく、近くに温泉施設があります。くれぐれも騙されないように。その温泉は全国でも有数の塩水温泉という。

↓町でよく見られる棚田か建物の石垣は何とも言えない美しさ。


滝入口→
ここから700mを約20分かけて登るんだと・・・。
それにしても入口に架かる橋は、いつ崩落してもおかしくない程朽ち果てていてボロっちい。

いつまで「高根谷川」と判読できるかねえ~→

きっつい坂をエンヤコラと→
角度が45度くらいあるんじゃないか、そんな急坂。

うん、ボク頑張るよ!→

↓やっと。やれやれ・・・。
  
左が雄滝で、右が雌滝。汗かいた体にひんやり漂う空気が心地よい。
日本の滝百選の一つで、かつてこの地の農民が干ばつの際に、ここで蓑笠を着て鐘・太鼓を打ち鳴らして雨乞いを行ったことに由来するという。

以下は国道438号線をさらに東に行った神山町「川又地区」です。

国道とは思えない隘路と打ち捨てられた民家→

↓かと思うと、古き頃の佇まいを今に残す商店街があったりもする。


阿波の山奥、ベリーグッドじゃ!

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

119日目 とんだ迷惑?の村と戦前の定期船が未だ就航中の山あいの集落

2015-05-12 00:00:03 | 南四国
2015年5月1日(金)


松茂町を出て徳島市沿岸部を走ります。
徳島市も鳴門市と同様、普通なら立ち寄るべき場所とは思いますけど、あっさりオサラバします。

せめて眉山(びざん)だけでも・・・→
標高290m。「眉の如 雲居に見ゆる阿波の山 かけてこぐ舟 泊知らずも」と万葉集で詠まれたことから名付けられたと言われる徳島市の山。
わざわざ見ようとしなくても、イヤでも右の視界に入ってくるんだけどね。

小松島市から内陸部に進路を変えます。

阿波らしい長閑な風景になってまいりました→

んで、ここに到着。

↓(490)徳島県名東(みょうどう)郡佐那河内村(さなごうちそん)役場

一見、昨年世間を騒がせた某偽作曲家「佐○河内」氏に見えてしまう村(大笑)。
もちろん、村と彼とは全く関係ないようです。
というか、この村名と似ているということで少しはマスコミに取り上げられたようなので、ちょっとばかりは知名度アップしたかもしれず、寧ろあの件は村にとっては良かった事なのかも!?。
人口数は右肩下がりで昨年7月時点で約2,600人。

↓村自体はその作曲家の腹とは真逆で、実に澄んで清らかな所





心洗われるなあ(住めと言われたらムリだが)。

村の特産は「すだち」や超高級苺「ももいちご」→
特に「ももいちご」はこの村だけでしか栽培されていない超レアもの。
関東では馴染みがないですが、関西ではそこそこ有名みたい。

↓その「ももいちご」を摘みながら、せっせと婚活に励んでおくれなまし。

開催日迫ってます。が、募集期間はこの前日(4月30日)で終わっていたりします。悪しからず。

↓なんていう神社か知らないけど、ここで旅の安全祈願


次にお隣の神山町(かみやまちょう)へ行き、最初に町中心部を散策したのですが、それは次回お伝えすることとして、中心部の後に行った神山町の阿川(あがわ)地区を今回は紹介します。

早春になると梅の花に囲まれるというこの地区には、もう一つの顔があります。

国道438号線での町民の盛大なる出迎え→
じゃない・・・。案山子のお出迎え。

県道20号線沿いの鮎喰川(あくいがわ)→
吉野川の支流。心洗われる景色ばかり見ていると、洗われるべき心がなくなるぜよ!

集落に近づくとまたもお出迎え→
このとおり、阿川地区は「案山子の里」。私はそれをわざわざ見に来た訳でありますが。
因みに標識の下の人は案山子じゃなく、寧ろここでは珍しい存在の?本物の御人でございます。

↓このおまわりさんは仕事で失敗し、懲罰で立たされているようだ(笑)。


↓過疎った集落ですが、案山子があるだけで多少は賑やか(そう)に見える。


他にも飾ってある所はあるのかもしれないですけど、この程度を見て次へ行きます。

上の写真の右側に見える看板。拡大すると・・・→
「徳島繁榮組汽舩部」とやらが、徳島市・中洲港(今の県庁の川向いらしい)から毎晩9時に阪神方面行き定期船を出しているとの宣伝広告。
この会社は今でもあるのかと思い、Wikipediaで調べてみたら、大正12(1923)年には既に存在していたようで、大東亜戦争中の経済統制によってある会社に呑み込まれてあえなく消滅した模様。
つまり、これは戦前からあって、平成の世になっても放置されているせっせとタダ働きしている看板。 面白いものを発見しましたわ!
「縣市ノ爲 乗ツテ下サイ 積ンデ下サイ」という懇願ぶり、「自動車又ハ鉄道連絡ノオ客様ハ徳島駅前待合所ヨリ汽舩のりばマデ自動車ニテ無料デオ送リシマス」との素晴らしいサービス精神。 泣けるぜ(笑)。
まさか今でも「上方に行くきん、9時の船に乗ろうかのお」なんて言っている人は爺さま婆さまはいないよな・・・。

それにしても素朴でノンビリとした阿波の山里、グッドすぎるわ

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行った所

119日目 さあ行こう、あの島へ!

2015-05-11 00:24:00 | 南四国
2015年5月1日(金)


↓一眠りしてすっかり夜が明けた西宮名塩(にしのみやなじお)SA

5時35分に出発。

↓淡路PA(兵庫県淡路市)、6時14分着・6時25分発。
 
ここに寄るつもりはなかったのですが、観覧車が目に入ったのでついついってところ。

明石海峡大橋が丸見え→
モヤモヤっているけど。

そう、今回の目的地は淡路島。
じゃあなく、いやいやもっと先、私の生まれ故郷でありながら、これまで1回しか訪問せずかなり冷たい扱いをしてきた(一昨年夏に行くつもりでおりましたが、猛烈な暑さ故、涼しい岩手へ行ってしまった)四国島であります。淡路島は今回はその名のとおり、単に阿波国へ行く通り路でしかありません。

↓淡路島南PA(兵庫県南あわじ市)、7時4分着・10時1分発。

西宮名塩SAでの仮眠程度ではやはり無理があったようで、猛烈な睡魔がやってきたのでまた寝ます。
起きるとムチャクチャ暑い! 長袖シャツを着ていたのですが熱中症になりそうですわ・・・。なのでTシャツに着替えます。
GWは天候が良さげなだけではなく暑そうとの予報だったので、多くのTシャツを持ってきており、そのへんの準備はぬかりなし(車旅は鉄道旅と違っていくらでも荷物を積み込めますからね~)。

↓長かった高速道路に別れを告げた場所は鳴門IC(徳島県鳴門市)。

2年半ぶりの我が故郷・四国に上陸でございます。

普通ならば鳴門の渦潮を見るやらするのでしょうけど、橋からチラチラながらですが見えたし、一度観潮船に乗ったこともあるしで、今回は鳴門市観光はせず、そのまま松茂町(まつしげちょう)に入り、まずは、樫野倶楽部へ来てみました。

↓趣きがあって落ち着いた感じの建物と庭園



建物は大正年間に建てられたもので、今では結婚式場。

↓樫野倶楽部に隣接している「ハレルヤ」の工場直営店舗「ハレルヤスイーツキッチン」

「ハレルヤ」は徳島銘菓で有名な「金長まんじゅう」を製造しており、ここではその製造工程も見学できます。

(注)この日は5月1日であります→

↓朝のオヤツとして、珍しく甘い物を買ってみる。美味。


(489)徳島県板野郡松茂町役場
面積は小さいながらも、徳島市のベッドタウンとして人口が増えている町(約1万5千人)。町のHPによれば、「吉野川河口の三角州として形成された低地で、干拓によって新田開発がなされ土地が造成されました。その際、堤を築き多くの松が植栽されました」のが地名の由来。

役場のそばを流れる旧吉野川→
その名のとおり、元々は日本三大暴れ川である四国三郎・吉野川のかつての本流。
今では絶好の釣り場であるとの事。

徳島空港(愛称・徳島阿波おどり空港)→
海上自衛隊徳島航空基地の飛行場と共用しております。
右にJAL456便11時45分発の羽田行きが止まっています。

月見ヶ丘海浜公園にも寄ってみる。

この南側には海水浴場があります→
もちろん海水浴をしに来た訳じゃないけれど、海水浴ができるわ、この暑さなら。
ここは空港に近いので、飛行機がよく見えるし、轟音もよく聞こえます。
自衛隊のヘリも離発着しておりました。

↓ナイスタイミングで羽田行きが離陸していった。




海上自衛隊の門→
この辺をウロウロして怪しい輩と間違われても困るので、撮影だけしてさっさと立ち去ります。

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行った所

118・119日目 初めて第二東海自動車道を運転してみた

2015-05-07 23:56:55 | 目的地へ(から)移動
2015年4月30日(木)・5月1日(金)


ゴールデンウイークの旅から帰ってまいりました。
(恐らく)長きにわたるかと思いますが、その報告をしとうござります。

当日は平日でしたので勿論仕事をしていたのですが、さっさと切り上げて16時あたりには出発したかったところ、周りの環境がそうはさせてくれず、結局出発は17時半すぎに。

今回は久々愛車での旅でございます。
昔のようにゴールデンウイークでも使える周遊券も売っていないし、指定券やら宿の予約が面倒だしで、今後この時期は車での旅にしていくつもり(去年も車でしたが)。

さてさて、国道14号線上の幕張ICで京葉道路に入り、以後はウンザリするくらい長~い有料道路とのお付き合いとなります。
具体的な行き先ですか?それは次回に・・・。

そのまま首都高速道路7号小松川線に。
これは今年2月に高架線の塗装工事中に火災となり、通行止め(特に下り線はしばらくの間)となっていた路線。

両国JCTで6号向島線と合流し、都心環状線→3号渋谷線→東名高速道路を進みます。

東京・箱崎あたりだったかな?→
渋滞で止まる。

渋谷付近→
もっとひどい渋滞でちっとも進まん・・・。

ようやく19時20分頃に東京料金所を通過し、海老名SA(神奈川県海老名市)で休止。

↓海老名SA、19時39分着・20時21分発



全国最多の利用者を誇るサービスエリア。
ただ、私は東名高速を使っていても滅多にここに寄らないので、車を止めたのは記憶にないほど久しぶり。

御殿場JCTで新東名高速道路に入ってみましょ。
初めてのこの道路ですが、実際運転してみると最近できた高速道路とあって、規格がゆったりとしていて、非常に走りやすい。
なので、思いっきりぶっ飛ばせばいいものを(法的な事は別として、走る面だけからの観点ならば時速150kmくらいで走っても全く問題なさそう)、何故かゆっくりゆっくりの80km程度で走り通す。

↓静岡SA(静岡県静岡市葵区)、21時58分着・22時27分発



中は商店街のよう(笑)。

再び東名高速に戻り、伊勢湾岸自動車道→東名阪自動車道→新名神高速道路→名神高速道路→京滋バイパス→名神高速道路→中国縦貫自動車道を相変わらずゆっくり走ります。

↓美合(みあい)PA(愛知県岡崎市)、23時59分着・0時37分発


↓草津PA(滋賀県草津市)、2時18分着・2時48分発



モテナイ草津? 何じゃそりゃ?と思ったら「モテナ」でありました。
どうやら相当疲れてきたみたいです・・・。 

西宮名塩SA(兵庫県西宮市)、3時45分着→
千葉から約10時間、550km。
さすがに眠くなってきました。なので、ここらで一眠りさせて貰いますわ。zzz・・・。

それはそうと、今回をどのカテゴリーにするか困ったぞ。
仕方ないので、一番長い距離を走った中部にでもしておくか・・・。

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