ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

71日目 春を先取り・薩摩半島(1)~指宿

2014-02-26 23:33:27 | 九州南部
2013年12月31日(火)


平成25年の最終日は、やや観光色の強い一日となります。

鹿児島中央駅桜島口(東口)→
ここが出来てそんなにたってないでしょう、もう老朽化?

7時51分発、指宿枕崎(いぶすきまくらざき)線の快速「なのはな」号で出発します。

霞む桜島→
鹿児島に来ると決まってモヤっていて、ハッキリクッキリとした姿を一度として見たことなし・・・。

↓住宅地の中を抜けると、錦江(きんこう)湾沿岸を走ります。


二月田(にがつでん)駅で下車→

駅前→

この駅から役所を経由して指宿駅まで歩きますが、それでも少し時間が余りそうなので、揖宿(いぶすき)神社へ。
今更ながら旅の安全祈願です。
それまで多くの神社のそば、もっと言えば神社自体にも行っていましたが、全く祈願の事は頭から吹っ飛んでおりまして、「今頃、ノコノコと!」と神様はご立腹か呆れているか・・・。

揖宿神社→
慶雲3(706)年に創建されたという由緒ある神社。

「随神門」の2体対峙しているうちの「吽(うん)神様」?→
神様というより兵の大将のような感じ。しかも旗色が悪そうな感じの(笑)。
、いけんすればよかか・・」

片や「阿(あ)神様」→
こちらは余裕しゃくしゃく、不敵な笑み。「っはははっ!よかよか」

勅使殿→
後ろに拝殿、さらにその後ろは本殿。
朱色と屋根の緑色の調和がとても美しい。

細い路地や畑の中を通って市役所付近にやってまいりました→
ワシントンヤシ?の街路樹がいかにも南国って感じ。
奥に見える山は魚見岳、絶景ビューポイントらしいです。

(346)鹿児島県指宿市役所
砂むし風呂で有名な温泉地。
地名の由来の一つの説として、元々、湯豊宿(ゆほすき)と呼ばれていたところ、天智(てんじ)天皇が行幸した際に、従者が「近くに湯豊宿(ゆほすき)というのがあります」と指を差して天皇に教えたという故事から「指宿」と字が当たられ、「ゆほすき」が「いぶすき」に転訛していったというみたいです。

役所前の道路を真っ直ぐ進めば指宿駅に行けます→

南の果てに見るすごく違和感のある看板→

もうすぐ駅→

駅に来ました→

駅前にある足湯→

↓浦島太郎と亀の目が異様にデカく、ビックリしているよう。



陰に追いやられてしまった「姉妹駅記念 日本最北端稚内駅から 1974年10月20日 指宿駅」石碑。
別に見なくてもいいよと言わんばかりの扱い。それぞれ別会社になったから?

隣の山川駅へ行きます。

私の乗る方はとても寂しい→
隣のホーム(鹿児島方面)とは好対照。

↓山川駅
 
右の写真の「JR」の文字はなんだか取ってつけたよう。
というもの、今では「日本の最南端の有人駅」ではないからね。

駅前バス停から指宿駅方向を見る→
ポカポカ暖かくていい景色、最高です!

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70日目 ぐるり霧島連峰(3)~霧島・姶良

2014-02-25 00:36:08 | 九州南部
2013年12月30日(月)


隼人(はやと)駅で日豊(にっぽう)本線に乗り換えて国分(こくぶ)駅へ。

隼人駅→
竹に覆われた駅。右の赤と青の暖簾の部分はトイレですが、あたかも風呂の入口のよう。
駅名の左の○+マークは島津氏の家紋。

↓国分駅舎(東口)と駅前




ここ国分はそのコースから外れているようですけどね・・・→
それにしてもお龍は、絵にあるような格好で出掛けたんでしょうか?
もしそうなら、これではなかなか遅々として進まず、さぞ龍馬はイライラしたであろう。

(344)鹿児島県霧島市役所
平成17年に国分市・隼人町・霧島町・福山町・溝辺町・横川町・牧園町が合併し成立、人口は約13万人。
前日から霧島連峰の周囲を廻ってきましたが、その連峰一帯は「自然の多様性とそれを育む火山活動」をテーマにしたという「霧島ジオパーク」として日本ジオパークに認定されています。

↓山形屋の横のペットボトルで作られた工作物

これは何と、イルミネーションであるといいます。暗くなるとどう輝くんでしょうねぇ。
右のグラスも相まってオシャレな雰囲気がする場所。

 

県道60号線→
国分の繁華街っぽいです。

中心街の外れにある大隅国分寺跡→
奈良時代末期から平安時代初期に建立されたお寺さん跡。
だだっ広い中に、ポツンと何やらある。

↓そのポツンとあるもの→
左の案内板によれば、寺の再興を祈願して建てられた「石造層塔」。


「仁王像」は首がなくなっているし・・・。
これを造った人や像自身も、後世こんな惨めな姿で晒されるようになるとは思ってもみなかったでしょう。
しかもこの敷地、史跡であるのに関わらず駐車場として使われているぞんざいな扱われよう。

↓国分寺近くに廃止された大隅線跡があるというらしいので来てみました。

大隅線とは国分と志布志(しぶし)駅を結んでいた路線で、今では幅の広い道路になっています。

県道60号線との交差点→

第一工業大学の中の道路を通って国分駅に滑り込みます→

これは国分駅北西側にある大隅国府跡→
なんと民家の敷地内に石碑があるし(笑)。

鹿児島方面の電車に乗り、帖佐(ちょうさ)駅へ。

帖佐駅の跨線橋から見える桜島→
噴煙が上がっている?
よう分からんけど、とにかくこれを見るとね、鹿児島に来た気がしますね。

↓帖佐駅と駅前通り



奥が駅。

(345)鹿児島県姶良(あいら)市役所
平成21年に姶良町・加治木町・蒲生町が合併してできた市で、人口約7万5千人。

加治木地区にはそこそこ見所があるようですが、もう暗くなってきましたし、それよりも疲労困憊につき適当に市街地をブラブラ歩いて脱出。

鹿児島中央駅へ(西口)→

この日は鹿児島市に宿泊です。
鹿児島ラーメンを楽しみにしていましたが、ホテルに着くや否やタヒる。
そして起きたらだいぶ遅くなっていたので、結局ありつく事ができず・・・。

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70日目 ぐるり霧島連峰(2)~湧水

2014-02-22 00:50:39 | 九州南部
2013年12月30日(月)


乗った列車が吉松駅で13分停まっている間、今では珍しい駅弁の立ち売りのオッチャンがあっちウロウロこっちウロウロ「誰か買ってくれよ~」という顔して頑張っているので、ついつい買ってしまう。そろそろお昼時だからというのもあるんですけどね。

吉都(きっと)線から肥薩(ひさつ)線のハイライトである「矢岳(やたけ)越え」に向かう「しんぺい2号」に乗り換える乗客がほとんどで、それもリュックを背負った人ばかり(つまり乗っていたのはほとんど鉄オタ?)でしたが、私はそのまま乗りとおすのでそちらに目もくれません。

何も考えず弁当を開けてしまった。
 
中身は何てことのない典型的な幕の内弁当(\630)ですが、値段のわりに結構充実している感じ。
さて、食べている途中で「次に降りる駅はどれくらいで着くんだっけ?」と、ふと思い出す。予定表を見ると降りる栗野駅は吉松駅の隣で僅か10分で着いてしまう・・・ゲッ!。
慌ててかきこむハメになる。

栗野駅12時8分着。
駅南側の真ん前には「丸池公園」があります。
んで、いきなりコイツらのお出迎え。

見ていると思わず微笑ましくなるクマの親子→

↓他、いろいろ






↓こちらは「丸池」



「霧島山麓丸池湧水」として日本名水百選になっています。
名は「丸」ですが形は三日月の形のよう。
1日あたり約6万トンも湧き出ていて、生活用水としても使われています。

のんびりするのに打ってつけのこんな素晴らしい場所があるのが最初から分かっていれば、慌てて列車の中で弁当を食べることもなかったのに・・・。

汲んで持ち帰ってもいいとあるので、ちょいと失敬→
空のペットボトルは必ず携行しています。夜行列車・自動車泊する際の朝晩の歯磨きに特に威力を発揮します。
地下40メートルから湧き出るミネラル分の多いお水で、水質は硬度46の軟水、PHは7.3。

川の起点なんて、そうそう見る機会はないぞ→

↓展望台から




丸池湧水煉瓦暗渠→
明治36(1903)年に完成し、長さ67.4メートル。
近代化産業遺産に登録されています。

駅から南西方向にある山野線と肥薩線の分岐地点(栗野駅方向)→
山野線とは、かつて水俣(みなまた)駅までを結んでいた路線。

↓ちょっとばかり辿ってみましょう。



県道55号線と交差しその先も廃線跡は続くのですが、これ以上の深追いはしません。
後はさようなら。

九州縦貫自動車道・栗野ICへ向かう道路の入口→

(343)鹿児島県姶良(あいら)郡湧水町(ちょう)役場
平成17年に栗野町と吉松町が合併して成立。丸池の他にも竹中池という水が湧き出る場所があり、町名もズバリそれから。

栗野駅前(北側)→
再開発中なのか櫛の歯が欠けたような状態で、ポツリポツリと建物が建っています。

14時9分発の列車で栗野駅を後に。

大隅横川駅→
嘉例川(かれいがわ)駅とともに日本で一番古い木造駅舎(嘉例川駅の写真は省略)。

戦時中、機銃掃射を受けたという痕→
こんなのにうっかり遭遇したら、きっと恐怖で生きた心地しないでしょう。
平和のありがたみを感じます。

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70日目 ぐるり霧島連峰(1)~えびの

2014-02-17 23:50:27 | 九州南部
2013年12月30日(月)


跨線橋建設中の都城駅から前日と同じく吉都(きっと)線でスタート!

谷頭(たにがしら)駅にて→
え?!吉都線って電化されているの?

8時49分、えびの駅に到着。

駅からの風景→
霧島連山が望めます。実に長閑だな~。

↓駅舎


 
古い懐かしい感じの趣きのある駅舎。
石碑にあるとおり、映画のロケとしてこの駅が使われ、終戦前後の駅を再現しそのままの状態で保存されているとの事。映画の中では「霧野駅」として登場したみたいです。

駅舎内→
早朝から何故か女のコが一心不乱、一所懸命書き物をしている。
何を書いているのか聞いてみようかなと思いましたが(ナンパではない)、あたかも
今は忙しい、声をかけるな、近寄るな!
オーラを発していた(ように見えた)ので、町を散策して戻ってきてまだいたらという事で。

えびの駅周辺の加久藤(かくとう)と呼ばれる地区を散策します。
駅も元々は加久藤駅でありました。

駅から続くこの一本道を進みます→
いや~、こういう中を歩くのも心洗われるなぁ。

何でしょうか、これ?→
縁起の良い鳳凰を模しているのかな?
所変わればいろいろな風習や文化が見られる、嗚呼楽しからずや。

池島川を渡る→
奥に見えるのは吉都線。

無人の野菜直売所→
日本ならではの売り方ですな、きっと。外国ならばこんな事はありえないでしょう。
大抵の日本人なら決して盗まないであろう点で、我々日本人のモラルの高さを誇れる光景と言えますよね。
この3体並んでいる何だかよく分からん人形が持っている茶碗にお金を置けばいいのかな?
でも、買いません、スミマセン。

木崎原(きざきばる)古戦場跡→
島津義弘と伊東義祐との間で元亀3(1572)年に起こった戦い。
ここで勝った島津氏は南九州平定に大きく前進、逆に伊東氏は衰退していったので、この戦いは「南九州の関ヶ原の戦い」と呼ばれているようです。

島津義弘が腰掛けたという石→
上の方はちょん切れていますが、左は戦死者を供養するために島津氏が建立した六地蔵塔。

国道268号線に向かいます。

この集落の神様でござろうか→

建築業の社長さんが建てたというお城→
とても本格的で桜も植えられているし、お花見シーズンはかなりありかも。
何百年後には文化財的価値ありと認められますかね?

川内(せんだい)川にかかる橋→

その橋の袂→
田の神さあ」ってこれか!
ようやく疑問が氷解し、すっきり。さっきの野菜売りの所にあったのは神様だったのね(失礼)。
でも前日の三股町の田んぼの中にこんなのなかったぞ・・・?どういうことだ??

千葉に帰ってきてから、宮崎駅で奪ってきた「えびの市」のガイドブックを何気に見ていると、「田の神さあ」の解説が載っていたりする(旅行中よく見ていなかった・・・)。
様々なタイプのものがあり、神様型・地蔵型・農民型などある一方で、石を神様に見立てている場合もあるよう。
きっと三股町で見つけられなかったという事は、石のタイプで気が付かなかったのかな?

むつ市(青森県)・いわき市(福島県)についで日本で3番目の平仮名市名・えびの市。長らくこの3市で「ひらがな3兄弟」として君臨していましたが、平成の大合併で大増殖し、その価値?は埋没。
私は市町村名ともなれば表記・音ともにそれなりの貫禄が必要だと思いますので、平仮市町村名はあまり感心しません。

↓急に腹痛を起こし始めたので、慌てて「道の駅えびの」に駆け込む。


(342)宮崎県えびの市役所
人口は約2万人。じわじわと減っているので、2万人割れは時間の問題。

素晴らしい廃屋見っけ→

でも覗くとちょっと切ない気分に→

駅に戻ったら、例の女のコはいませんでした、残念!

吉松駅へ→

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69日目 くまそ国の旅の始まり(3)~西諸県地区

2014-02-15 23:46:24 | 九州南部
2013年12月29日(日)


都城駅から14時14分発の吉都(きっと)線の列車に乗ります。

↓この路線、全通して100年ということでこんな幟をよく目にしました(都城駅にて)。

非常におめでたい事ですが、果たして次の100年は「きっと」来るのか?というくらい、今は利用客数がとっても芳しくないご様子。

アノ手コノ手の増収作戦、さりげなく進行中→
もう締め切りは過ぎてますけどね。

車窓から見える山々を眺めながら小林駅に到着。

ホームから見える何山?→

小林駅→

駅前のイルミネーション→
夜はさぞ綺麗でしょうが、昼間は電線がやや目障り。

この小林市はそれなりに見る所はあるようですが、そのほとんどは車がないと行けないようなのばかり・・・。
従いまして、駅周辺を散策してここは終わらせます。

駅から真っ直ぐ伸びる通り(二番街商店街)→
奥が駅方向。
右にある建物は元々スーパーが入っていたのですが、倒産してしもた屋になっている。それが街中を一層寂しいものにさせています。

(340)宮崎県小林市役所

役所内の魚を飼育している水槽→
ま、よくある鯉か金魚でござろう。

と思ったら。

何と!チョウザメでござった→
世界三大珍味のキャビアはこの魚の卵の塩漬け。
これ何回か食べた事ありますが、本当に珍味なの?と首を傾げるくらいおいしくない。
私の舌がおかしいのか?
魚肉が美味とあるので、キャビアはどうでもいいけど今度そちらの方を是非味わってみたいな。
それはそれとして、「キャビア・チョウザメ」と言ったら「宮崎県小林!」と誰でも連想できるようになるといいね。

国道221号線に出てきました。ここは中小商店が並んでいて、市の中心街を形成していますが、他の地方の町と同様に人はあまり歩いておらず、その一方で車は絶えず走っています。

↓西郷どんは西南戦争での敗走途中、ここにあった民家に身を隠したでごわす。

でも今は一面駐車場でごわす。
その奥は築130年の古民家を改装し、4年前にオープンしたお食事処の入口でごわす。

赤松通り商店街→
やっぱりひっそり。

その名のとおり、井戸端会議をする場所?→

飲み屋街へ→
小林市は人口5万人ほどの市ですが、それにしては飲み屋がとても充実しているどころか、大杉
さすが、一人当たりの年間酒の消費量日本一(2010年)の県であります。
飲み屋が多くないと宮崎県民は宮崎では暮らしていけないようです。

都城方面に戻り、2つ隣の高原(たかはる)駅へ→
この駅のある高原町は、「天孫降臨伝説の地」であり、初代天皇である「神武天皇御降誕の地」でもある、神話の薫り・神様の力溢れる町。

↓という訳で駅にはこんなものが。



ついこの間の紀元節の日に、記念すべき第1回が執り行われた(と思う)お祭り。
今回のブログをその日に合わせて作成すれば良かったと今更ながら気が付く・・・。
下の写真のポスターに狭野(さの)神社、皇子原(おうじばる)神社の文字が見えます。
神武天皇は皇子原で生まれ、幼名は狭野命といったようです。

(341)宮崎県西諸県(にしもろかた)郡高原町(ちょう)役場

ところでこの西諸県郡、前回登場した三股町がある北諸県郡より北にあるのに東・西諸県郡があるのって何か不自然じゃないでしょうか?
最初は単に諸県郡だったのが宮崎県と鹿児島県に分かれ、北諸県郡が宮崎県、南諸県郡が鹿児島県となり、その北諸県郡の北部が東西諸県郡それぞれ独立したいきさつがあるようです。

↓確かにお年寄りは大事にしないといけませんが、車はほとんどない道路にこんな標識必要かと思ったりする。


↓町の総合運動公園

いや~、広いですね。
町民全員がここに集まっても余裕しゃくしゃく?


民家のすぐ下まで削られているし。よくこの家の人はこれを承諾したものだなあ。大雨でも降ったらヒヤヒヤものではないでしょうか?

田畑の中の道を通って駅に戻ります→
この時17時45分。やっぱり日が落ちるのが遅いなあ。感覚的に千葉よりも一時間くらい遅い感じ。

イルミネーションがひっそりと輝き始めていました→

千葉を出て最初のホテルでの宿泊は都城市でした。

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69日目 くまそ国の旅の始まり(2)~三股・都城

2014-02-11 15:14:10 | 九州南部
2013年12月29日(日)


↓宮崎から西部に向かう途中の「青井岳(あおいだけ)」駅

列車行き違いのため少々停車。
牛山隆信氏によるところの秘境駅ランキング第122位の駅。
ランキングに出るだけあって、駅前(写真の左側)には民家が数軒あるのみ。
というか、よくこんな所(失礼!)に住めるなあというのが率直な感想。

三股(みまた)駅→
駅名標には「た」と「え」の間に「ん」が入っています。
この「ん」はこの辺の方言で「の」を意味するらしい。つまり「みまたんえき」で「三股の駅」となるよう。
「みまたん」か・・・。ご当地ゆるきゃらの名前にピッタリな感じだけど。もっとも、この町を挙げてこれを使っているようで。

駅の隣の三股町物産館「よかもんや」→
良かもの屋ってことか・・・。

この駅前通りを真っ直ぐ歩いていくと役場→

(338)宮崎県北諸県(きたもろかた)郡三股町(ちょう)役場

まだ時間が多少あるのでブラブラ散策。

なんてこと無い田んぼの中→
実は駅前の町の案内板によると、ここら辺に「田の神さあ」というのがあるように表示されている。
でも、つぶさに探してみても神様っぽいものは全く見つからない。
「田の神さあ」って、一体何さあ?(でも、翌日正体が判明する)

町から目立って見える山→
地図を持って来てはいますが、何山と言うのか全くわからず、聞こうにも誰~も歩いていないので、結局分からずじまい。
坂本龍馬が「日本最初の新婚旅行」の際に訪れた「高千穂峰」かなと勝手に推測(間違っていたらどなたかご指摘下さい)。

この狩り残しはどういう意味があるのだろう?→

何だか疑問ばかりが残る三股町でございました。
再び西都城行きの電車に乗りまして、そのまま終点へ。

西都城駅の駅名標→
左下の駅名が削られている・・・。
昭和62(1987)年に廃止された志布志(しぶし)線という路線の、次の駅であります。

高架線から左下に降りていくのが旧志布志線らしい→

西都城駅→

駅前の通りをそのまま道なりに歩くと国道10号線と交差し、それを右に。

その途中の古美術屋→
どう見てもガラクタにしか見えないんですが・・・。
ま、店外に出しているものは盗まれてもいいようなシロモノなのでしょう、きっと。

(339)宮崎県都城市役所
宮崎県第2の都市で、人口約17万人。

役所前の通り→
クスノキの並木となっています

近くのファミマで一服→
南九州限定販売の「メガスパイシーチキン」。
「メガ」だけあって確かに大きいのですが、撮り方が下手っぴで普通サイズにしか見えなくなった・・・。

珍しい和風門付きマンション→

都城島津邸→
都城は「島津氏」発祥の地で、ここはその名の通り、その「お殿様んお館」。
この敷地内には「都城島津伝承館」があり、島津さんちの歴史史料が展示されています。が、休館中。
なのですが・・・。

この生垣の隙間から入ろうと思えば入れる!→
お粗末そのもの、薩摩77万石の大大名のお屋敷にしては(笑)。

都城駅に向かって歩くと、何やら見えてくる!

神柱(かんばしら)宮の大鳥居→
で、デカイ!

高さ25メートル、昭和54(1979)年に建立。
熊野本宮大社の大鳥居(約34メートル)にもド肝を抜かれましたが、それより劣るもののなかなか圧巻。
もっともこちらの建立当時は日本一だったといいます。

↓神柱公園




ご利益あるの?→
この売り場もご多分に漏れず「当たりました」の貼り紙。
その「当たり」もロトなどの数字選択式だけで、これはその数字を決めた人の手柄なので、売り場は単に購入先としてたまたま選ばれただけを宣伝するのは甚だおかしい。高額当選の普通の宝くじが売られていたのとはわけが違う。

都城駅→
都城市の駅の母屋はここなんでしょうけど、隣の西都城駅よりかなり見劣りする。

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69日目 くまそ国の旅の始まり(1)~宮崎

2014-02-08 23:41:24 | 九州南部
2013年12月29日(日)


外は首都圏にしては異常な大雪に加えて強烈な暴風なのでどこ出掛ける気にもならず(ま、冬は家篭りが多いですけど・・・)、こういう時は溜まりに溜まった仕事を少しでも片付けるに限りますがな(飲みに誘われましたが断りました。付き合いの悪いヤツと思われても構わん!)。やっと一段落つきましたので、始まったばかりのソチ五輪でも見ながらブログの作成ですよ。
ところが作成中にアンテナがおかしくなったか、電波の状態が悪くなったらしく、テレビ画面は砂嵐状態に。いよいよブログに専念するしかなくなりました(苦笑)。


7時前に起きまして、さ~っと一風呂浴びて甲板へ。

この日の日の出時刻は7時14分→
船から見る朝日は格別、とってもいいものじゃ。

シーガイアを横目に→

凪いだ海をゆっくりと港に滑り込みます→

定刻より15分ほど早い、8時半前に宮崎港到着、
筑紫島に上陸でい!
前年に続いて船にて上陸、こうなったら九州へは毎回船で行く事にしようか(笑)。

おおさかエクスプレス→
今年秋からはこの航路は大阪⇔宮崎から神戸⇔宮崎に変わります。
なので、船名はこのままという訳には行くまい。

宮崎フェリーターミナル→

↓バスにて宮崎駅へ



右にチラリと写っていますが、クリスマスっぽいのまだ飾っているよ・・・。

とりあえずは南宮崎駅へ行き、そこからブラブラ市内を散策しながら宮崎駅に戻るというようにしたいと思います。

南宮崎駅前→
ここを右側(北の方角)に向かって歩きます。

すると大淀川の「大淀大橋」に辿り着きます→

轟音を響かせて橋を渡る電車→
私のとってもお気に入りの光景。

↓かわっぺりを歩いてみましょう

この左岸一帯は橘公園と呼ばれています。


川面で水鳥が羽を休めている姿を見ていると、とっても癒されるよな~。
ここでは平和という言葉しか思い浮かびません。

(337)宮崎県宮崎市役所

宮崎県庁
某タレント知事時代はとっても賑わったであろうこの場所も、今はひっそり(時期的にも当たり前だけど)。

橘通りを北方向に見る→

脇道に入ると、昭和30年代的な商店街を見つける→
「青空」とあるけど、真っ暗で薄気味悪い。
でも廃墟好きな私にはとっても魅かれる場所。
入って見てみたいんですけど今回はここに時間を費やせない。今度来る時まで是非残っていて欲しいなぁ。

バージニアビーチ広場→
ここも以前は「青空市場」だったらしいです。
何故「バージニアビーチ」なのか?
宮崎とバージニアビーチとの姉妹都市締結10周年を記念して名づけられたみたい。お役人が付けたのか、無難に収めたセンスのないセンス。

西橘通り→
きっと今頃はキャンプを張っている野球選手で大賑わいと思われ。

この通りにある運動選手ばかりの手形→

一番街アーケード→
この通りは「若草通りアーケード→広島通り」と名を変えて駅前に向かっていきます。

↓橘通りと高千穂通りとの交差点の宮崎駅方向



宮崎市の中心部。ちょっと東京っぽい。

交差点から大淀川方向の橘通り→

若草通りアーケード→

宮崎駅に戻ってきました→
以前登場しましたが、帯広駅と同じようにホームごとに改札が分かれています。
写真にある10時48分発の西都城行きで、いざ乗り鉄開始とな。

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68日目 2013年四度目の関西(3)~柏原・西成

2014-02-06 00:14:37 | 近畿(大阪・兵庫)
2013年12月28日(土)


奈良県とはオサラバしまして、大阪府に入ります。

柏原(かしわら)市のJR関西線高井田駅で降ります。
役所はこの駅と次の柏原駅の中間にあるので、市内散策という意味で両駅間を歩いてみようと思ったのが一つ、さらに高井田駅のすぐそばに国指定史跡「高井田横穴墓群 」というのがあり、何故だかやたら気になったのもありました。

高井田駅南口→

目の前は大和川が流れています→

↓さて、西国では柏原市にしかないという横穴群とやらを見に行ってみましょう。


ところが・・・。


↑そこかしこに穴ぼこが点在するだけの、ちっとも面白味のない史跡でありました。
埼玉県の吉見百穴のようなもの期待していた自分が大バカでした・・・。

こうなったら、さっさと役所へ行ってまえ!という訳で脇目も振らずひたすら歩きます。

確か近鉄線のガード下→
こういうのを見せつけられるとと通りたくなる・・・。
しかもそうした方が近道っぽいし。
でも、私道を通るのは良くないよな・・・。
しばらく葛藤し、結局ゴメンナサイ!という結論に(結果的に近道でも何でもなかったというのはヒミツです)。

↓ドラマを見ていないので分かりませんが、「安堂ロイド」と関係あるの?安堂駅(ここが役所の最寄駅)


築留二番樋→
明治40年頃に樋門で、国の登録有形文化財。川は長瀬川。

(336)大阪府柏原市役所

役所前の道路(国道25号線)→
このすぐ近くに大和川と石川との合流地点があります。

柏原駅から15時50分発の関西線に再び乗り、通天閣のすぐそばの新今宮駅を経由して、南海電鉄の天下茶屋(てんがちゃや)駅に16時16分に到着し、下車。
ドリーム号が遅延しなければ八尾市にも行ける筈だったんですけど・・・。

奥に見える天下茶屋駅西口前のデイリーカナート→

その敷地内にこんなものが→

その足でこちらへ。

〔23〕大阪府大阪市西成区役所
よくテレビでナマポ受給の様子が映し出される役所。
さらに日雇い労働の街として、これまたしばしば登場する「あいりん地区」もこの西成区にあり、区の北部、新今宮駅の南側にそれは位置しています。

区役所の東南方向に「天下茶屋跡」があります→
豊臣秀吉が住吉大社参拝などへの往来時によく使ったお茶屋さん。
建物自体は空襲で焼けてしまったみたいです。

さぁ、もう日も暮れるし、後はホテルでゆっくりするだけ。
と思いきや・・・。
これでは夏の旅(千葉→{ながら}→京都→{奈良線}→木津→{片町線}→鶴橋→新今宮→{南海}→堺泊)と大して行程が変わりないではないか?

実は今回の旅の主菜はいよいよこれからで、これまでは言わば、前菜といったところ。
ではではどうなるのか?

国道26号線を南にテクテク・・・→

国道から200メートル余りにわたって伸びる商店街→

↓大阪市営地下鉄四つ橋線・玉出(たまで)駅からバスに乗ります。


やって来たのは大阪南港「かもめ埠頭」(大阪市住之江区)。
「埠頭」という事は、そうです、これから船に乗ります。
目的地はひむかの国・宮崎

フェリーターミナル→
風が強くて、さみ~の何の・・・。

待合室→
乗船手続きの窓口はテンヤワンヤ。

すわ、おおさかエキスプレスに乗船でござい!→

↓船内を一通りウロウロして、出航時間が迫ってきたので、甲板に出てみます。


↓ジャンジャン、ジャンジャン、とドラは聞こえませんでしたが、18時45分すぎ出帆。


クソ寒い中、港の関係者が手を振ってお見送り→
船ならではのこういう光景はいつ見てもいいよな~。
本当にご苦労様です。

↓大阪よ、さらば!



約14時間の船旅が幕を開けます。
しっかし、風が強烈すぎ、さみ~。
そそくさと船内に戻り、ゆっくりと晩酌でございます(他にやる事ないし)。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
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68日目 2013年四度目の関西(2)~法隆寺

2014-02-03 01:34:02 | 近畿(奈良・和歌山)
2013年12月28日(土)


続いて、郡山駅から2つ隣の法隆寺駅へ。
ここ法隆寺駅は安堵(あんど)町、斑鳩(いかるが)町の2つの町を両脇に抱えたような駅、私のような旅をしている者にとっては誠においしい所。
まずは先に安堵町に行きます。

↓駅ではパゴちゃん(斑鳩町のマスコットキャラクター)と、せんとくんがお出迎え。

せんとくんを初めて見た時はとても不気味に思ったものでしたが、次第に慣れてきた感があり。あばたもえくぼ、という事か(そこまでかわいいとは全然思っていないけど)。

法隆寺駅南口→
駅もがっちりお寺風。

富雄(とみお)川を渡る→
かつては「富小川(とみのおがわ)」と呼ばれ、安堵町内で大和川に注ぎます。

↓川を背に田んぼの中を歩くと、その先には住宅街が広がります。


↓その住宅街の一角に「極楽寺」というお寺さんがあります。

587年、聖徳太子によって建立されたという名刹で、水子供養で有名らしいです。

境内をちょっと覗いてみましょう(私には水子はいない筈?なので、本来は大して用事はないのだけれど・・・)。

↓仏様が晒し首にされているようで、あまり気分のいいものではない。


広島大仏→
元々は原爆の犠牲者を弔うために、原爆ドーム近くのお寺さんに安置されていたものが、昭和30(1955)年に現在の広島市佐伯区のお寺さんに移転されて以降何故か行方不明になり、それから何と50余年後!の平成23年5月になってこれがその仏様と分かったという摩訶不思議なお話し。
こういう事もあるんだね~。
今の住職さんのじいさまが古美術商より譲り受けたみたいですが、そもそも由緒ある仏様を売り買いする自体罰当りな事に感じるんですが・・・。その業界では至って普通の事なんでしょうか?

このお寺さんにはこれ以外にも貴重な仏像・書物が多いようです。

極楽寺の近くにある「富本憲吉記念館」→
富本憲吉氏とは人間国宝に認定された陶芸家で、この町出身のお方。

一見これ神社?というような八王子神社→
あるサイトには、ここは「心霊スポット」として載っていましたが、そう思われても不思議ではない、雰囲気はいいとはお世辞にも言えない場所。

(334)奈良県生駒(いこま)郡安堵町(ちょう)役場

↓役場前の道路を西に進むと斑鳩町に入ります。

ところが斑鳩町に来たとたん、それまで晴れていたのが急に曇ってきて、寒風ビュービュー吹きつけ始め、それまでの穏やかで暖かい天候がウソのような状態になる。
さすがはとっても安堵できた安堵町!、名は体をあらわすとはよく言ったものだ。

さてさて、一転厳しい状況に見舞われた斑鳩町、ここには駅名にもなっている超有名な法隆寺があります。
その法隆寺は法起寺とともに、その建造物から構成されている「法隆寺地域の仏教建造物」が、世界文化遺産として登録されています(しかも、姫路城とともに日本最初の登録というオマケつき)。
学校でさんざん習いましたが、飛鳥時代の姿を今に伝える世界最古の木造建築物。
ですが、これまで私は法隆寺を見た記憶が無く(もしかしたら高校の修学旅行で来ているかも知れないのですが)、この場にせっかく来ていながら、世界遺産のキモとなる法隆寺を見ずに去るのは失礼かと思い、それだけ見ることにします。

向かう途中にあった田んぼ→
ここのお百姓さんは、かなり色好きなようです。
やっぱりお好みの顔しか使っていないのかな?
でも「へのへのもへじ」ばかりでなく、たまにはこういう案山子もいいね。
そのセンスたるや、あなよろし!

安堵町役場から40分かかってようやく法隆寺に着きました。やれやれ・・・。

南大門→

こちら「西院伽藍(さいいんがらん)」→
目の前は「中門」、背後にあるのは「五重塔」で、中に入るにはお金を払わないといけません。東院伽藍の分も合わせて\1000。

以下、国宝級の建物を適当にピックアップ。

左は「金堂(こんどう)」→
金堂にはお寺さんのご本尊を安置されています。

大講堂→
中は写真撮影ダメなり・・・。

次に「東院伽藍」へ。

夢殿(ゆめどの)→

伝法堂(でんぽうどう)→

鐘楼(しょうろう)→
一々解説は面倒になってきたので、詳しい事は皆様でお調べ下さい(手抜きも手抜き、いい加減だよな~)。

後は「大宝蔵院(だいほうぞういん)」で、これまた大学受験で渋々覚えるハメになった「百済観音像(くだらかんのんぞう)」や「玉虫厨子(たまむしのずし)」などの実物を見てお寺を後にします。

(335)奈良県生駒郡斑鳩町(ちょう)役場
役場もどことなく寺務所っぽい。

役場前の商店街を抜けて駅に戻ります。→

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
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