平成29(2017)年5月3日(水祝)
この日自らに課した訪問自治体のノルマ数は6。
前半は観光に精を出したのもあり、だいぶ時間が押してきたので残り3箇所である木城町(きじょうちょう)、川南町(かわみなみちょう)高鍋町(たかなべちょう)を一気に片付けます。
まずは木城町。
地図を見て気になったのが、石河内(いしかわうち)地区にある「日向新しき村」。
これ何ぞや?ってワケで山奥に向かいます。
とりあえず車を止められそうな「郷の駅石河内」へ→
入ってみて知ったのですが、ここではそば打ち体験ができ、そばも食べられます。
閉店は早すぎるな、15時。
そして私が着いたのは15時半・・・。
恐らく「あ~あ」と諦めの悪い表情でお店の前で私はボーゼンと佇んでいたのでしょう、たまたま散歩していた近所のおっちゃんが、まだ食べられるか店に聞いてみようかと親切に言って貰えましたが、さすがにお店の人に悪いので丁重にお断りする。
「日向新しき村」とは町のHPによると、「大正7年(1918年)に、文豪・武者小路実篤とその同志によって、「お互いが人間らしく生き、むつみ合い、そしてお互いの個性を尊重し、他人を傷つけることなく、しかも天命を全うすることができる」理想郷を目指し、戦国時代の山城「石城」跡に開村されました。(中略)昭和13年のダム建設により水田が水没することとなり、埼玉県毛呂山町に新設された「新しき村」に大半の住民が移住しました。現在は2家族3人が暮らし」ているのだと。
ちっとも新しくなく、寧ろ「日向古き村」が実態として合っているのだけどね。
開村当時は、新しき種類・タイプの村って意味だったのかな?
いいじゃないですか、ユートピア。
私が年を取ったら、「村の理想」の如き余生を送りたいと思っていたので、最期の地は決まりました、木城町毛呂山町(笑)。
↓石河内展望台へ。
「村」が丸見えというのですが、川(小丸川)に挟まれた丘っぽい場所がそれのようです。
↓(663)宮崎県児湯(こゆ)郡木城町役場
小丸川のほとりにある役場。
「きじょう」などと地名にしては違和感のある音だと思ったら、やはり「椎木」と「高城」の2村が合併したできた地名なんだそう。
人口は約5,200人。
町には目立った産業はなさそうですが、たくさんのダムを抱えているせいか、平成26年度の財政力指数は宮崎県トップで、全国で見ても44位とかなりのお金持ち。
↓半年と経たないうちに死亡事故が起きちゃったんで、更新する気を喪失してしまったんでしょうかね?
↓町役場の北側の高台には、高城址があるので行ってみます。
雨だし夕方だし誰もおらず、とても寂しく静寂が支配する場所。
そんな中、いきなり城から、
ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ
と鼓膜が破れんばかりの大音量が鳴り響いたので、ビックリ仰天する。
不審者と(実は人の目がないのをいい事に、近くで立ち○○○をしてしまった)見做されてしまったか?!
時はちょうど午後5時。
何てことない、それを知らせるサイレンでした。
次、川南町。
(664)宮崎県児湯郡川南町役場→
「森林と農用地が総面積のそれぞれ約40%を占め、温暖な気候と豊かな自然の中で、全国有数の食糧生産基地となっています」とは町のHP。人口は約15,700。
戦前は軍用地。
大東亜戦争中、蘭印各地で落下傘部隊が活躍しましたが、川南町は「落下傘部隊の発祥の地」で記念碑もあります(行かなかったけど)。
この地で訓練を重ねた部隊を扱った映画の主題歌が、かの軍歌「空の神兵」。
千葉県習志野陸上自衛隊第1空挺団のテーマソングでもあります。
戦後には入植開拓されるようになる。
そこで、旧農林省発行の「戦後開拓史」には国営大規模開拓事業が成功したとして青森県十和田市、福島県矢吹町と並んで「三大開拓地」とされています。
畜産が盛ん故、7年前の口蹄疫の時に大被害を受けてしまいました(そんな事もあったなと、すっかり忘れてました・・・)。
川南合衆国って何じゃ?→
全都道府県出身の開拓者が集まっているから、こう呼ばれているらしい。
役場近くの商店街→
川南町には変わった地名があります。
私はずいぶん昔からそれを知っていたので、どういう所か気になったのですが・・・。
↓コレ。
由来は湧き水の音。
参勤交代での大名一行がトロトロと湧き出る水を「トロトロの水」と呼び、それが「トロントロンの水」になったとされる説、西南戦争で敗走する西郷ドン軍が、この湧き水の音を「タランタラン」と聞こえた事によるという説があるらしいです。
肝心のその湧き水は何処じゃ・・・?。
探してみましたが、分からんかったとです。
因みに商店街も「トロントロン商店街」と呼ばれてます。
次の次、高鍋町。
↓まずは、ポコポコと盛り上がった小さな丘がたくさんある町北部の丘へ。
↓持田古墳群で、5世紀から6世紀にかけて造られ、全部で85基あり国指定史跡となっています。
↓これら持田古墳群の霊を慰めるために開山されたのが、珍スポットとして上位に持ってきても恥ずかしくない「高鍋大師」。
岩岡保吉というお方が刻んだ石像数ナント700体以上、中には7mを超える大物もあります。
夕方だし、カラスの恰好のネグラになっているようだし、おまけに像が像だけに非常に不気味で、怪しい雰囲気を放っております。
↓いかついものばかりだけど、エロチックなものもちゃっかりあったりする。
↓国道10号線、小丸川に架かる高鍋大橋の袂に奇妙な時計があります。
町が「時間励行日本一」を目指し、そのシンボルとして昭和62(1987)年に建設された、日本一の高さ(11.7m)を誇るソーラー時計。
(665)宮崎県児湯郡高鍋町役場→
古くは財部(たからべ)、豊臣秀吉の九州統一後は秋月氏3万石の城下町となり、延宝4(1676)年に高鍋と改称される。
江戸時代より商業が盛んな土地柄でしたが、教育にも熱心であったようで、偉人を多く輩出。
「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成けり」で有名なロボコン、いやいや、かの上杉鷹山は高鍋藩秋月氏の次男だそうな。
城下町らしく、お堀→
藩の家老屋敷・黒水家住宅→
商店街→
商業で栄えた高鍋ですが、さすがにアカンようやね。
カッコしてあるのはこれまで行った所→
この日自らに課した訪問自治体のノルマ数は6。
前半は観光に精を出したのもあり、だいぶ時間が押してきたので残り3箇所である木城町(きじょうちょう)、川南町(かわみなみちょう)高鍋町(たかなべちょう)を一気に片付けます。
まずは木城町。
地図を見て気になったのが、石河内(いしかわうち)地区にある「日向新しき村」。
これ何ぞや?ってワケで山奥に向かいます。
とりあえず車を止められそうな「郷の駅石河内」へ→
入ってみて知ったのですが、ここではそば打ち体験ができ、そばも食べられます。
閉店は早すぎるな、15時。
そして私が着いたのは15時半・・・。
恐らく「あ~あ」と諦めの悪い表情でお店の前で私はボーゼンと佇んでいたのでしょう、たまたま散歩していた近所のおっちゃんが、まだ食べられるか店に聞いてみようかと親切に言って貰えましたが、さすがにお店の人に悪いので丁重にお断りする。
「日向新しき村」とは町のHPによると、「大正7年(1918年)に、文豪・武者小路実篤とその同志によって、「お互いが人間らしく生き、むつみ合い、そしてお互いの個性を尊重し、他人を傷つけることなく、しかも天命を全うすることができる」理想郷を目指し、戦国時代の山城「石城」跡に開村されました。(中略)昭和13年のダム建設により水田が水没することとなり、埼玉県毛呂山町に新設された「新しき村」に大半の住民が移住しました。現在は2家族3人が暮らし」ているのだと。
ちっとも新しくなく、寧ろ「日向古き村」が実態として合っているのだけどね。
開村当時は、新しき種類・タイプの村って意味だったのかな?
いいじゃないですか、ユートピア。
私が年を取ったら、「村の理想」の如き余生を送りたいと思っていたので、最期の地は決まりました、
↓石河内展望台へ。
「村」が丸見えというのですが、川(小丸川)に挟まれた丘っぽい場所がそれのようです。
↓(663)宮崎県児湯(こゆ)郡木城町役場
小丸川のほとりにある役場。
「きじょう」などと地名にしては違和感のある音だと思ったら、やはり「椎木」と「高城」の2村が合併したできた地名なんだそう。
人口は約5,200人。
町には目立った産業はなさそうですが、たくさんのダムを抱えているせいか、平成26年度の財政力指数は宮崎県トップで、全国で見ても44位とかなりのお金持ち。
↓半年と経たないうちに死亡事故が起きちゃったんで、更新する気を喪失してしまったんでしょうかね?
↓町役場の北側の高台には、高城址があるので行ってみます。
雨だし夕方だし誰もおらず、とても寂しく静寂が支配する場所。
そんな中、いきなり城から、
ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ
と鼓膜が破れんばかりの大音量が鳴り響いたので、ビックリ仰天する。
不審者と(実は人の目がないのをいい事に、近くで立ち○○○をしてしまった)見做されてしまったか?!
時はちょうど午後5時。
何てことない、それを知らせるサイレンでした。
次、川南町。
(664)宮崎県児湯郡川南町役場→
「森林と農用地が総面積のそれぞれ約40%を占め、温暖な気候と豊かな自然の中で、全国有数の食糧生産基地となっています」とは町のHP。人口は約15,700。
戦前は軍用地。
大東亜戦争中、蘭印各地で落下傘部隊が活躍しましたが、川南町は「落下傘部隊の発祥の地」で記念碑もあります(行かなかったけど)。
この地で訓練を重ねた部隊を扱った映画の主題歌が、かの軍歌「空の神兵」。
千葉県習志野陸上自衛隊第1空挺団のテーマソングでもあります。
戦後には入植開拓されるようになる。
そこで、旧農林省発行の「戦後開拓史」には国営大規模開拓事業が成功したとして青森県十和田市、福島県矢吹町と並んで「三大開拓地」とされています。
畜産が盛ん故、7年前の口蹄疫の時に大被害を受けてしまいました(そんな事もあったなと、すっかり忘れてました・・・)。
川南合衆国って何じゃ?→
全都道府県出身の開拓者が集まっているから、こう呼ばれているらしい。
役場近くの商店街→
川南町には変わった地名があります。
私はずいぶん昔からそれを知っていたので、どういう所か気になったのですが・・・。
↓コレ。
由来は湧き水の音。
参勤交代での大名一行がトロトロと湧き出る水を「トロトロの水」と呼び、それが「トロントロンの水」になったとされる説、西南戦争で敗走する西郷ドン軍が、この湧き水の音を「タランタラン」と聞こえた事によるという説があるらしいです。
肝心のその湧き水は何処じゃ・・・?。
探してみましたが、分からんかったとです。
因みに商店街も「トロントロン商店街」と呼ばれてます。
次の次、高鍋町。
↓まずは、ポコポコと盛り上がった小さな丘がたくさんある町北部の丘へ。
↓持田古墳群で、5世紀から6世紀にかけて造られ、全部で85基あり国指定史跡となっています。
↓これら持田古墳群の霊を慰めるために開山されたのが、珍スポットとして上位に持ってきても恥ずかしくない「高鍋大師」。
岩岡保吉というお方が刻んだ石像数ナント700体以上、中には7mを超える大物もあります。
夕方だし、カラスの恰好のネグラになっているようだし、おまけに像が像だけに非常に不気味で、怪しい雰囲気を放っております。
↓いかついものばかりだけど、エロチックなものもちゃっかりあったりする。
↓国道10号線、小丸川に架かる高鍋大橋の袂に奇妙な時計があります。
町が「時間励行日本一」を目指し、そのシンボルとして昭和62(1987)年に建設された、日本一の高さ(11.7m)を誇るソーラー時計。
(665)宮崎県児湯郡高鍋町役場→
古くは財部(たからべ)、豊臣秀吉の九州統一後は秋月氏3万石の城下町となり、延宝4(1676)年に高鍋と改称される。
江戸時代より商業が盛んな土地柄でしたが、教育にも熱心であったようで、偉人を多く輩出。
「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成けり」で有名なロボコン、いやいや、かの上杉鷹山は高鍋藩秋月氏の次男だそうな。
城下町らしく、お堀→
藩の家老屋敷・黒水家住宅→
商店街→
商業で栄えた高鍋ですが、さすがにアカンようやね。
カッコしてあるのはこれまで行った所→
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます