ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

135日目 一部区間廃止予定の留萌本線に乗ってみた(5)

2015-11-11 22:45:13 | 道北
2015年9月19日(土)


留萌本線沿線の2市3町のうち、最後の訪問地となったのは留萌振興局の中心地・留萌市。
雨曇のような空ですし、日没も1時間半後に迫っておりますので、四の五の言っていないでまずは散策開始・・・。

駅前通り→
とは言いつつも、左側の「魚や」とある看板のお魚屋さんで、実家へのお土産選びでかなり時間を費やしてしまう。
送ったのはニシンやホタテなどなどで、千葉に帰ってきて私も食べましたがやっぱり美味かったわ。しかもムチャクチャ安かったし。もっと買えば良かった・・・。

留萌振興局
1市6町1村で構成される北海道西北部に位置する南北に長い地域を管轄。
かつての基幹産業であった農業や漁業、鉱業が枕を並べて落ちぶれたために人口も激減し、現在5万人程度と東京ドーム一杯分。しかも管内の全市町村が過疎地域の指定を受けているという凄まじさ。一体ドーなるんだろう、ここ?

振興局前の歩道橋は、留萌では「痛歩道橋」とされているらしいんですが・・・。
なんてことはない、「豊岬あゆみ」「千望みさき」という沿岸バスのイメージキャラクターが描かれている横断幕があるだけ。これで「痛」か・・・、ふざけているわ。

↓振興局の前の道路は「国道231号線」で西向き(海のある方向)に歩きます。

車は結構頻繁。反面たまに見かける人、それもジイさまバアさまばかり。

↓この「旭町3丁目交差点」を北方向に折れ、再び駅の近くへ。

ここらで増毛灯台にいたおっちゃんの見立て通り、本格的な雨降りとなります。

全く「萌」感のない建物→
せっかく「萌」という字をを売りにできる町なのだから、萌え系キャラとか少女とかのイベントを開催するのもありかなと。

ボロすぎる(笑)お宿→
夏限定のミツバチ(死語だな)の巣で、ライダーやチャリダーには超有名らしいです。
徒歩ダーでも泊まれそうだし、貧乏倹約汽車旅派も是非どうぞ。

↓「開運だるま通り」という商店街を通って、再び国道に向かいます。

このあたりは開運町という町名ですが、縁起のいい地名とは裏腹に廃れ感剥き出し。

↓この交差点で右に曲がり、再び国道へ。




「留萌十字街」交差点→
この先の黄金岬とは、夕陽に映し出された群来(ニシンの群)がきらきらと黄金色に輝きながら岸をめがけて押し寄せたことからの命名された岬で、あたかも「留萌の黄金時代」を思わせる名前。
夕日がとても綺麗らしく、今回それを見るのを密かな楽しみとしていたのですが・・・。早朝になら一度行ってはいるんですけどね。

(542)北海道留萌市役所
「る」から始まる珍しい地名。他にはリゾート地・留寿都(るすつ)と北見市の留辺蘂(るべしべ)(いずれも北海道)くらいしか思い当たらん。
地名はアイヌ語「ルルモッペ」が由来(「汐が奥深く入る川」という意味で市内を流れる留萌川を指す)で、明治になってから当初は「るもえ」と呼ばれていたようです。
江戸時代初期に「ルルモッペ場所」が開かれて以降はニシン漁で栄え、今でも水産業は基幹産業。
昭和40(1965)年の人口4万人をピークに右肩下がりの現在は2万2千人あまりで、今後も下がる一方の見通し。そこで市は25年後の「14,678人の人口維持」(これでも非常に寂しい数字ですが)を目指すべく「留萌市総合戦略」を策定しました。果たしてどうなることやら。

↓坂を下って留萌本線のガード下を潜り、港へ足を伸ばしてみます。



上の写真の廃線跡は「留萌鉄道築港線」。

↓留萌港




石倉倉庫群→
漁業基地としても、貿易港としての物流拠点基地としても、この地域にとっては重要な港。
たた、人はいないし暗闇が迫っているせいか、次第に心細くなる。

留萌の代表的な旨いもんはお寿司。しかもビックリするほど安いけど、雨脚は相変わらず強いし、早く旭川のホテルに戻ってゆっくりもしたい。

↓留萌鉄道築港線の廃線跡と留萌本線を横目に駅に戻りますか。


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135日目 一部区間廃止予定の留萌本線に乗ってみた(4)

2015-11-08 23:59:51 | 道北
2015年9月19日(土)


↓着くなり撮影会が始まった増毛(ましけ)駅です。



見てのとおり、車輪止めで線路がプッツリ途切れていて、終着駅という郷愁を感じられる駅。
昭和56(1981)年封切りの映画「駅 STATION」のロケ地でもあります。見た事はないけど。
5年前の5月の連休に初めて増毛駅に来たのですが、その時は夜7時頃でしたので既にあたりは真っ暗で、どういう所なのかよく分かりませんでした。なので、今回が実質初めて来たようなもの。ナルホド、こういう所だったのね。

駅前→
左側の建物は昭和8(1933)年築の「旅館富田屋(今は営業していません)」。最初に駅に来た時に目に入ったのがコレ。堂々たる佇まいに圧倒されたものです。
右側は「旧多田商店(昭和8年築)」で、今では駅前観光案内所となっております。かつては雑貨屋さんでしたが、「駅 STATION」では「風待食堂」として使われた建物。

折り返しまで50分ありますので、ざっと町の散策をします。

↓駅南側の小高い丘の上にあるのが「増毛灯台」。


↓ここからは留萌湾が一望できます。


たまたまいた現地の人と思しきおっちゃんが、ありがたい事に解説をしてくれる。
「遠くに見える平べったい島は天売島(てうりとう)、その奥にかすかにとんがっているのがあるでしょ?それは利尻富士。ここから160kmくらいかな。利尻富士はめったに見えんから、ラッキーじゃのぉ。」
一年にどれくらい見られるかと尋ねると、「数回しか見えん」。それは本当についてるわ!
写真ですか・・・。私のデジカメは利尻を捉えるほど高性能ではありませんです。スミマセン。
ただ、その次の言葉が・・・。
「天売と利尻の両方見えるということは天気は下り坂ということだ」。
今後の天気予報は知っていましたが、やっぱりそうなんですか・・・。すると言ってる傍から、パラパラ降り出してきた。おっちゃん、大当たり! でもすぐに止んでしまいましたが。
ところで、天売島隣の焼尻島(やぎしりとう)は見えなかったような気がするんだけど、どうだったかな?

さらに南に行くと「旧増毛小学校」→
昭和11(1936)年築の「戦前記都市型木造校舎の中では北海道内最古で最大」という。

(541)北海道増毛郡増毛町(ちょう)役場
今から250年以上も昔に漁場が開かれて以来、ニシン漁で繁栄を極めましたが、今では人口4,700人ほどの観光が主流といった感じの町。
「増毛」、読んで字の如く、オツムのお悩みの方の希望の地(?)として密かな人気だそうで、それにあやかってか、「増毛町の願い」というヘアローションもあるし。 効き目?知らん。
ただ、地名の由来はアイヌ語「マシケイ」、つまり「カモメの多い所」という意味なので何ら関係なし。
漁場にカモメの群れが集まることかららしいけど、そう言えば、ついこの間全焼してしまった青森県八戸市の蕪嶋(かぶしま)神社(昨年5月に行っております)でも、ウミネコが魚の群れのいる場所を教えてくれるとして大事にされてきたんだっけな。

役場のすぐ近くにある「増毛厳島神社」→
一見、ここも「増毛」に効果あるが如き神様に見えますが、京都嵐山に「御髪神社」というれっきとしたオツム用の神様があるので、ゆめゆめお間違えないよう。

↓低地に降りると、増毛の歴史を感じさせる建物を見ることができます。


↓明治15(1882)年創業・北海道最北の造り酒屋である「國稀酒造」


↓国指定重要文化財・旧商家丸一本間家(明治10~30年代築)


旅館増毛舘(昭和7年築)→

早晩ここには再び来ます。もっと性能のいいカメラを携えて(笑)。
その時、駅舎や駅構内はどうなっているでしょうか?

行きより乗客数が増えている感じ→

↓留萌駅に16時11分到着。





5年前、駅前の駐車場で車中泊したんだよなあ。懐かしいデス。JRさん、その節はすみませんでした。

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135日目 一部区間廃止予定の留萌本線に乗ってみた(3)

2015-11-07 01:07:40 | 道北
2015年9月19日(土)

朝起きる。んっ?! んっ?!
左脇腹から背中にかけてムチャクチャ痛い・・・。えっ?、何、この激痛は?
寝ている間に変な格好をして筋でも痛めたのかな? でもそんな痛みじゃないぞ?

しばらくしたら落ち着くかなと思って様子を見ていましたが、一向に痛みがひかない。
あまりの激痛に仰向けに寝てみたり、立ってみたり、胡座になって体を丸めてみたり、四つん這いになってみたり、それはそれはありとあらゆる格好をして一番楽な姿勢を探ってみるも、どれもこれも甲斐なし。おまけに冷や汗は出るわ、吐き気を催すわ・・・。
痛みはますます酷くなり、床でのたうちまわって、「痛いよ~痛いよ~」と泣き叫ぶ(コレ本当です)しかなくなる。

正体不明の激痛に不安と恐怖が否応なく我が身に押し寄せる。
一体どうなってしまったんだ俺? 癌にでもなったのか? もう、あの世に召されないといけないのか?
このまま逝ってしまったら、色々な人に迷惑かけるなあ・・・。
連載中のこのブログも「金色夜叉」のように中途半端な状態で終えないといけないのか?

いよいよ耐え切れず、フラつきながら近くのお医者さんへ。
病院に入るなり、末期的な客が来たという目で見られるし(笑)。
動くのもしんどい中、トイレで採尿したり、痛み止めの座薬を入れたり(自分で入れた)、レントゲンやCTスキャンを撮ったりなどして、グッタリしながら診断を待つ。
果たしてその結果は・・・?





尿管結石

病院から帰ってきてこれを調べてみたら、「三大激痛」の一つに数えられ「七転八倒の苦しみ」と表されているようです。まさにそうだわ!
女性でしか分かりませんが、結石と出産では、結石の方が痛かったという人もいるようだし。

原因はいろいろあるらしいですが、一番思い当たるのが「水分不足」。
普段からあまり水を飲まないので、実は以前から結石ができなければいいなとは思ってはいたんです。ただ、結石が溜まった時にはどうなるのかまでは知らなかったんで。

写真を見せてもらいながら、先生の診断結果を聞く。
「ほら、ここに石が一つある。でも米粒以下の大きさだ。もう峠は越したろう。じき石は出ていくだろうから、それまでのガマンだね。たいした症状じゃないから安心しなさい」
やれやれですよ、全く・・・。
でも、これほどまでに恐怖のどん底へと突き落としてくれた、たった一つのちっぽけな石、恐るべし

そんなこんなで午前中は仕事どころではなく、午後はかなり痛みも治まってきたけど「痛み疲れ」でのダメージがハンパなく、結局今日一日生ける屍状態。

とにかくこれになったら、地獄のような強烈な痛みですので、是非味わってみて健康にはくれぐれもご留意下さい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

前置きがやたら長くなりましたが、いよいよ留萌本線の留萌-増毛(ましけ)の廃止予定区間です。

留萌本線の現状と廃止理由についてはJR北海道のプレスリリースに詳細に載っています。
曰く、一日上下13本走らせて乗客は平均たったの39人! で、一列車あたり3人であるとか、
曰く、一昨年度の700万円の収入(そこらのサラリーマン並み(笑))に対して、25倍以上の経費を要し赤字は1億6千万円以上であるとか、
曰く、雪や大雨などでの土砂崩れに対する防災工事費は数十億円かかるとか。
これじゃあ、しょうがないな。というか、こんなんでよく生きながらえていたというのが正直な感想。

留萌駅を出た列車内→
20人はいますかね、近年の一日平均乗客数の半分をここでめでたくクリア!

さて、留萌から増毛までの間に、瀬越(せごし)、礼受(れうけ)、 阿分(あふん)、信砂(のぶしゃ)、舎熊(しゃぐま)、朱文別(しゅもんべつ)、箸別(はしべつ)の7駅があります。 全駅撮影しましたので、特別にお見せしましょう。

瀬越駅→

↓沿線にベッタリ並行する国道231号線、「日本海オロロンライン」と呼ばれる区間。

5年前ここを車で走りましたが夜間でした。こういう風景だったのね・・・。

礼受駅→

留萌からは海岸に沿って走ります→
家はそこそこあります。皆乗ってくれれば・・・。でもいずれ廃止される運命だったかな?
写真奥に見える山の先は厳しい断崖絶壁が続き、かつては船でしかたどり着けなかった陸の孤島「雄冬(おふゆ)集落」があります。

阿分駅→
タイミング良く忍者の如く現れた若者、ついでだ、このブログに登場させてあげよう。

信砂駅→

舎熊駅→

増毛の町が近づいてまいりました→

↓朱文別駅(左)と箸別駅
 

↓右手に増毛港を見て、増毛駅に到着。




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47日目 石狩川に沿って(2)~天塩上川郡

2013-06-13 22:44:54 | 道北
2013年5月4日(土)


北の果て、宗谷地方に向かう途中の剣淵(けんぶち)駅で下車。

駅の脇に盛られた雪山→
平地でこれだ、寒いわけですよ・・・

↓剣淵駅舎と駅前
 

(248)北海道上川郡(天塩)剣淵町役場
恒例の地名の由来ですが、アイヌ語の「ケネニペツ(ハンノキの多い川)」によるといいます。
明治35年に、最後の屯田兵が入植した町です。

以下、駅近辺の様子

商店街っぽい通り→

↓この~木、なんの木、気になる木
 

ポツンと建つ石碑→
辺りを見廻しても、神社本殿はおろか、境内っぽいものもない・・・
後で剣淵神社の所在を確認したところ、もっと遠い所にありました。
最初にここにあって、移転したのでしょうか、実に紛らわしい・・・

剣淵町絵本の館→
絵本を通じて親子が触れ合う事を目的とした剣淵町看板の施設。

北海道で既に先行上映され、そして近く全国的に公開される予定の映画「じんじん」は、この町や絵本の館が舞台となっています。
映画「じんじん」の公式サイトはこちら→http://www.jinjin-movie.com/
首都圏でも上映されたら、見に行かないとな~。

折角、北に向けた足は残念ながらすぐさま南に戻ります。

隣接する和寒(わっさむ)町へ。
わっさむ・・・いかにも北海道らしい地名です。
但し、地名は「アッサム(楡の木のそば)」というアイヌ語に由来していて、寒さとは関係ない。

和寒駅ホームから旭川方向を見る→

↓和寒駅と駅前
 

(249)北海道上川郡(天塩)和寒町役場

和寒神社→

↓町の商店街の様子




地獄鍋?→
実に興味をそそられる名前。
ご当地グルメかな?聞いた事ないな・・・
とっても気になったので調べてみましたが、詳しい事などはこっちを見て下さいな。
http://blog.livedoor.jp/wassamu001/archives/50662019.html
旨そうでねえか!
やっぱり現地へ行かないと、知らない名物ってあるもんですなぁ。
ここは是非、B-1グランプリなどに撃って出て、和寒の知名度を上げて欲しい。

駅に戻ったら、こんな事が起こっていた→
あ~あ~。やってくれたよ・・・
追突したのか?でも後ろがグシャリの車は辺りにはない。
それともどこかで自爆してしまったのか、真相はわからん。

↓和寒駅で稚内からやって来た特急・スーパー宗谷2号に乗ります。

特急は止まるけど、無人駅なのですよ、ここは。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ


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47日目 石狩川に沿って(1)~旭川

2013-06-11 23:27:30 | 道北
2013年5月4日(土)


朝、起きる。
ノドが痛い。しかも、やや熱っぽい・・・
のは、昨日。
一晩寝て、若干ノドは痛いけど、すっかり元気回復!
最近は体力面の低下を感じることもありましたが、いやいやまだまだ(と妙に変な自信を付ける)。

さて、この旭川市、言わずと知れた有名動物園がありますが、休日の今日は混んでいるでしょうから、とてもとても行ってられず、ジミ~に町の散策をします。

↓早朝の旭川市街


←レトロな建物が3軒並んでいます。

←軍艦島にありそうなある意味レトロな建物


今日も寒いのか・・・いい加減にしてくれ!
と、言いたいところですが、どうやら寒さにも適応し始めたのか、実は全然寒さを感じない(それとも鈍感になったか?)。
明治35(1902)年1月25日に、-41度!がここ旭川で観測されていますが、これは日本の観測された最低気温です。一体、どんな寒さなんだ!
因みにちょうどその頃に、あの忌まわしき八甲田雪中行軍遭難事件が起こっています。
北国は稀に見る寒さだったようです。

(247)北海道旭川市役所
人口35万人ほどで、北海道第2の都市。
それでも札幌市の人口の5分の1にも満たないです。
いかに札幌に人が集中しているか分かりますが、ある意味今の日本の縮図のようなここ北海道であります。
地名は、市内を流れる忠別(ちゅうべつ)川をアイヌ語で「チュプペツ(朝日の出る東の川)」と誤って訳したことによるらしいです。

話は変わりますが、我がルーツはこれまで何度も述べていますとおり、愛媛県です。
昔、我が家系の一部が愛媛から北海道開拓に行きまして、以来その一族は今現在、旭川に土着しています。
まぁ、血は繋がっても、遠い遠い遠い遠い血筋という、ほとんどの他人同然で、面識もないので、わざわざ名乗り出て訪ねるなどしませんが。

↓平和通り買物公園、それまでの自動車道を潰して、歩行者天国に変えた道路。








←いかにも貴金属製品を取り扱っている雰囲気の老舗店

←芸術品とは言え、青少年も歩くこの通りにこれはいかにと思うんですけど。



←だから、マズくない?
たるみをしっかり忠実に出しているのが、却って締まりのない銅像に見える。

動物園の他には旭川のシンボル・旭橋、ロマンティック街道といった見所もあるのですが、ここだけ時間をかけられないので、今回の旭川廻りはこれでやめます。

↓旭川駅南口、目の前は忠別川
 
このあたりは美瑛や富良野へ行く列車のホームがありましたが、最早その面影は全くありません。
かつては駅舎からやたら遠く、ひたすら歩いたのが嘘のようです。

8時8分発の名寄(なよろ)行き、各駅停車でスタート→

石狩川→

塩狩峠→

まずは剣淵(けんぶち)駅で下車→

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ


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