2015年9月19日(土)
留萌本線沿線の2市3町のうち、最後の訪問地となったのは留萌振興局の中心地・留萌市。
雨曇のような空ですし、日没も1時間半後に迫っておりますので、四の五の言っていないでまずは散策開始・・・。
駅前通り→
とは言いつつも、左側の「魚や」とある看板のお魚屋さんで、実家へのお土産選びでかなり時間を費やしてしまう。
送ったのはニシンやホタテなどなどで、千葉に帰ってきて私も食べましたがやっぱり美味かったわ。しかもムチャクチャ安かったし。もっと買えば良かった・・・。
留萌振興局→
1市6町1村で構成される北海道西北部に位置する南北に長い地域を管轄。
かつての基幹産業であった農業や漁業、鉱業が枕を並べて落ちぶれたために人口も激減し、現在5万人程度と東京ドーム一杯分。しかも管内の全市町村が過疎地域の指定を受けているという凄まじさ。一体ドーなるんだろう、ここ?
振興局前の歩道橋は、留萌では「痛歩道橋」とされているらしいんですが・・・。
なんてことはない、「豊岬あゆみ」「千望みさき」という沿岸バスのイメージキャラクターが描かれている横断幕があるだけ。これで「痛」か・・・、ふざけているわ。
↓振興局の前の道路は「国道231号線」で西向き(海のある方向)に歩きます。

車は結構頻繁。反面たまに見かける人、それもジイさまバアさまばかり。
↓この「旭町3丁目交差点」を北方向に折れ、再び駅の近くへ。

ここらで増毛灯台にいたおっちゃんの見立て通り、本格的な雨降りとなります。
全く「萌」感のない建物→
せっかく「萌」という字をを売りにできる町なのだから、萌え系キャラとか少女とかのイベントを開催するのもありかなと。
ボロすぎる(笑)お宿→
夏限定のミツバチ(死語だな)の巣で、ライダーやチャリダーには超有名らしいです。
徒歩ダーでも泊まれそうだし、貧乏倹約汽車旅派も是非どうぞ。
↓「開運だるま通り」という商店街を通って、再び国道に向かいます。

このあたりは開運町という町名ですが、縁起のいい地名とは裏腹に廃れ感剥き出し。
↓この交差点で右に曲がり、再び国道へ。


「留萌十字街」交差点→
この先の黄金岬とは、夕陽に映し出された群来(ニシンの群)がきらきらと黄金色に輝きながら岸をめがけて押し寄せたことからの命名された岬で、あたかも「留萌の黄金時代」を思わせる名前。
夕日がとても綺麗らしく、今回それを見るのを密かな楽しみとしていたのですが・・・。早朝になら一度行ってはいるんですけどね。
(542)北海道留萌市役所→
「る」から始まる珍しい地名。他にはリゾート地・留寿都(るすつ)と北見市の留辺蘂(るべしべ)(いずれも北海道)くらいしか思い当たらん。
地名はアイヌ語「ルルモッペ」が由来(「汐が奥深く入る川」という意味で市内を流れる留萌川を指す)で、明治になってから当初は「るもえ」と呼ばれていたようです。
江戸時代初期に「ルルモッペ場所」が開かれて以降はニシン漁で栄え、今でも水産業は基幹産業。
昭和40(1965)年の人口4万人をピークに右肩下がりの現在は2万2千人あまりで、今後も下がる一方の見通し。そこで市は25年後の「14,678人の人口維持」(これでも非常に寂しい数字ですが)を目指すべく「留萌市総合戦略」を策定しました。果たしてどうなることやら。
↓坂を下って留萌本線のガード下を潜り、港へ足を伸ばしてみます。


上の写真の廃線跡は「留萌鉄道築港線」。
↓留萌港


石倉倉庫群→
漁業基地としても、貿易港としての物流拠点基地としても、この地域にとっては重要な港。
たた、人はいないし暗闇が迫っているせいか、次第に心細くなる。
留萌の代表的な旨いもんはお寿司。しかもビックリするほど安いけど、雨脚は相変わらず強いし、早く旭川のホテルに戻ってゆっくりもしたい。
↓留萌鉄道築港線の廃線跡と留萌本線を横目に駅に戻りますか。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
留萌本線沿線の2市3町のうち、最後の訪問地となったのは留萌振興局の中心地・留萌市。
雨曇のような空ですし、日没も1時間半後に迫っておりますので、四の五の言っていないでまずは散策開始・・・。
駅前通り→

とは言いつつも、左側の「魚や」とある看板のお魚屋さんで、実家へのお土産選びでかなり時間を費やしてしまう。
送ったのはニシンやホタテなどなどで、千葉に帰ってきて私も食べましたがやっぱり美味かったわ。しかもムチャクチャ安かったし。もっと買えば良かった・・・。
留萌振興局→

1市6町1村で構成される北海道西北部に位置する南北に長い地域を管轄。
かつての基幹産業であった農業や漁業、鉱業が枕を並べて落ちぶれたために人口も激減し、現在5万人程度と東京ドーム一杯分。しかも管内の全市町村が過疎地域の指定を受けているという凄まじさ。一体ドーなるんだろう、ここ?
振興局前の歩道橋は、留萌では「痛歩道橋」とされているらしいんですが・・・。
なんてことはない、「豊岬あゆみ」「千望みさき」という沿岸バスのイメージキャラクターが描かれている横断幕があるだけ。これで「痛」か・・・、ふざけているわ。
↓振興局の前の道路は「国道231号線」で西向き(海のある方向)に歩きます。

車は結構頻繁。反面たまに見かける人、それもジイさまバアさまばかり。
↓この「旭町3丁目交差点」を北方向に折れ、再び駅の近くへ。

ここらで増毛灯台にいたおっちゃんの見立て通り、本格的な雨降りとなります。
全く「萌」感のない建物→

せっかく「萌」という字をを売りにできる町なのだから、萌え系キャラとか少女とかのイベントを開催するのもありかなと。
ボロすぎる(笑)お宿→

夏限定のミツバチ(死語だな)の巣で、ライダーやチャリダーには超有名らしいです。
徒歩ダーでも泊まれそうだし、
↓「開運だるま通り」という商店街を通って、再び国道に向かいます。

このあたりは開運町という町名ですが、縁起のいい地名とは裏腹に廃れ感剥き出し。
↓この交差点で右に曲がり、再び国道へ。


「留萌十字街」交差点→

この先の黄金岬とは、夕陽に映し出された群来(ニシンの群)がきらきらと黄金色に輝きながら岸をめがけて押し寄せたことからの命名された岬で、あたかも「留萌の黄金時代」を思わせる名前。
夕日がとても綺麗らしく、今回それを見るのを密かな楽しみとしていたのですが・・・。早朝になら一度行ってはいるんですけどね。
(542)北海道留萌市役所→

「る」から始まる珍しい地名。他にはリゾート地・留寿都(るすつ)と北見市の留辺蘂(るべしべ)(いずれも北海道)くらいしか思い当たらん。
地名はアイヌ語「ルルモッペ」が由来(「汐が奥深く入る川」という意味で市内を流れる留萌川を指す)で、明治になってから当初は「るもえ」と呼ばれていたようです。
江戸時代初期に「ルルモッペ場所」が開かれて以降はニシン漁で栄え、今でも水産業は基幹産業。
昭和40(1965)年の人口4万人をピークに右肩下がりの現在は2万2千人あまりで、今後も下がる一方の見通し。そこで市は25年後の「14,678人の人口維持」(これでも非常に寂しい数字ですが)を目指すべく「留萌市総合戦略」を策定しました。果たしてどうなることやら。
↓坂を下って留萌本線のガード下を潜り、港へ足を伸ばしてみます。


上の写真の廃線跡は「留萌鉄道築港線」。
↓留萌港


石倉倉庫群→

漁業基地としても、貿易港としての物流拠点基地としても、この地域にとっては重要な港。
たた、人はいないし暗闇が迫っているせいか、次第に心細くなる。
留萌の代表的な旨いもんはお寿司。しかもビックリするほど安いけど、雨脚は相変わらず強いし、早く旭川のホテルに戻ってゆっくりもしたい。
↓留萌鉄道築港線の廃線跡と留萌本線を横目に駅に戻りますか。



参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
