ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

181日目 くまへ行くモン!再び(2)

2017-09-23 23:31:36 | 九州中部
平成29(2017)年5月4日(木祝)


クマはいないらしいけど、くまもと(熊本)県くま(球磨)巡り。
雨は熊本県に入るとすっかり止みました。終わり間際になって晴れてくるとはな・・・(愚痴)。

湯前から国道388号線で北東へ向かい、水上村へ。
関東人なら無条件に「みなかみ」ですが、ここは特に捻りもない「みずかみむら」。

(667)熊本県球磨郡水上村役場
ここも3年半前に挑むつもりだったのですが、バスが年末休みで断念した場所。
村全体の約90%が山林で、人口約2,300人。

↓役場は人吉盆地の「キワ」にあるので、目の前にはグルグル廻る「奥球磨ループ橋」があって、これで国道は山へ登ります。


↓ついでに役場がある場所も村の「キワ」にあって、ループ橋自体は湯前町。
水上村の飛び地があって、しかもぴったり中学校の敷地になっています。
なんでこんな不自然な状態になっているんだろう?

橋の上から見下ろす→
流れている川は日本三大急流で有名な球磨川で、源流も水上村。
ここは急流の冠を付ける程の流れではないけど。

↓市房ダム


 
ダムから東側はいわゆるダム湖になっており、遠くでは噴水が立っています。

早速そこの物産館水の上の市場へ→

行ったら既に終わってもーた・・・→

でも、お金を払えば見られるし、下へも降りられます→
たった¥500ではあるんですが遠目から見たし、ま、いいか。とケチる。
因みに噴水の高さは80mだとか。
レストランもあり、春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色を愛でながら食事ができます。
なかなかのロケーション。

水の上の市場を引き返し、ちと遠いけど多良木町(たらぎまち)・あさぎり町・相良村(さがらむら)を経由して、五木村(いつきむら)を目指します。

その途中の生善院(水上村)→
別名「猫寺」だけあって、やっぱり狛猫になってます。

↓ネコはそれほど好きではないけど(私はイヌ派)、ネタのため寄ってみました。


 
お堂の飾りとなっている厳ついモノは、最初見た時はサルかな?と思ったんですが、体はしっかりとネコっぽいけど、顔は金剛力士かな?どうにも気色悪い。

観音堂→
国の重要文化財で、人吉藩化け猫騒動(というのがあったらしい)に因んだお堂。

↓これも国の重要文化財ですが、多良木町の青蓮寺(しょうれんじ)阿弥陀堂。

茅葺き屋根のあまりの立派なのに惹かれて、しばらく車から眺めていたお寺さん。
どういう由来の寺かその時は分かりませんでしたが、後で調べてみたら、永仁3(1295)年に創建された上相良氏代々の菩提寺でした。
道理で堂々とした佇まいなワケです。

相良氏とは、源頼朝の命により遠江国・相良荘からやって来て、その後700年もの間、人吉盆地周辺を治めた氏族。
人吉の相良氏を「下相良氏」、多良木の方を「上相良氏」と区別しているようです。
相良荘は今の静岡県牧之原市ですが、確かにこの辺り相良という地名がありましたわ。

相良村で川辺川左岸側に沿った国道445号線に入り北上します。
↓ところが国道は一部通行止めとなっていて、右岸側の旧道?に迂回させられます。

でも今月(9月)末で全通するようです。

川辺川(上流方向)→

五木村に入る→
西米良村に負けず劣らずの秘境だわ。

実はここ、今ではすっかり忘れ去られた感がありますが、一頃世間を賑わした舞台であります。

東の八ッ場(やんば)、西の川辺

そうです、川辺川ダム建設予定地、というか建設予定地だった所?。
というのも、ダムで利益を受けられる筈の下流域の猛烈な反対により、平成21年に建設が中止されたにも関わらず、事業はまだ廃止されていないのだという。言わばまだ残り火がくすぶっている状態。
お上の事だ、密かにウチワで扇いでいたり油をチョロチョロと注いでいたりしているかも。
一方、東は粛々と建設中。

子守唄で有名な五木村の市街地に到着→

 



カッコしてあるのはこれまで行った所→

104日目 北部九州・史跡巡り(11)~日田

2015-01-15 23:30:13 | 九州中部
2014年10月11日(土)


日田市観光案内所で貰った「日田町歩きマップ」の冒頭にはこう書かれています。
「自然豊かな山々に囲まれた日田盆地。
ここはかつて、政治・経済・文化において九州の中心をなしたと言われる。
歴史的に、豪商達が活躍し、文化人・書家・画家等の往来が盛んで、町人文化の繁栄があった。
栄華を極めたまちの名残が今も随所に光る。
晩秋から春先にかけて、朝霧で包まれるまちの様子は独特で、「湖底から生まれた水のまち」と言われるような神秘的な光景を作り出す。
今も昔も、自然、人情、歴史が、日田の全てを優しく包み込む。」と。
朝霧こそ見られずでしたが、町を廻ってみて、まさにそうだなと思えるいい所でした。

そんな日田巡りはまずは豆田町(まめだまち)から。

上町(うわまち)通り→

↓御幸通り
 

両通りを結ぶ道→
江戸時代の町並みが残り、現在ではそれを活かした商店街となっている重要伝統的建造物群保存地区。でも、商店街といっても観光客向けの店ばかりですが。

日本丸館(にほんがんかん)→
安政2(1855)年創業の薬屋さん。

天領日田資料館→
この日は観光客は多く来ているのですが、誰も顔抜きパネルで写真撮影してくれてません。寂しすぎる。

草野本家→
資料館の隣にある国指定重要文化財。
主に製蠟を行なう傍ら、酒造り、庄屋などをしたといい、現存しているもっとも古い建物は享保10(1725)年築。ただ、年4回しか見せてくれないらしい。

咸宜園(かんぎえん)・秋風庵→
江戸時代の儒学者・廣瀬淡窓が開いた私塾。
誰でもいらっしゃいと、開けっぴろげのオールカマーだったので、5000人が学んだ日本最大級の規模。
門下生には、有名どころでは高野長英や大村益次郎らがいるという。へえ~。

17時が迫っているので、自転車を返しに急いで駅に戻ります。

駅近くの商店街→

↓右に目をやると、「ふるさと日田大屋台村」というのが開催されておりまして・・・。

この屋台村は、日田のグルメを大結集させた10月11日から3日間行われたイベント。
実は日田に来て、これが開催されているのを知ったのですが、運の無いことに16時で終わり。つまり日田に着いた時点で実質「明日おいで」の状態。
よ~~く下調べをしておけば・・・。或いは東峰村に行かなければ・・・。
日田には、ご当地グルメの「日田やきそば」を始め、鰻・うどんなどいろいろ美味しそうなグルメがあるのですが、せめて「やきそば」だけでもここを去るまでどこかでありつきたいと思っていたワケですが・・・。

駅前通りを歩いて隈町(くままち)へ→

ドンキなんて目じゃない商品陳列のお店→
というか、入るのでさえ難儀に見える。

三隈川(みくまがわ)の河畔に来て、私は思わず「おお~」と声を上げてしまいました。
川というより湖っぽい光景、これは美しい!

沈み橋→
右は「亀山(きざん)公園」。

橋から上流を見る→
左側の建物は日田温泉のホテル。

三隈川公園より一望→

カタカタ、屋形船→
船では鵜飼いと夕飯が楽しめるらしいです。
夜になると、恐らく明かりを灯したたくさんの屋形船がここを埋め尽くすであろう光景を想像してみて欲しい。

ホント、安らぎとくれたし、感動したわ→
またここでもカッパ。

ただ、列車の出る時間の関係で夜景を見られなかったのが口惜しい。
さらに不幸なことに、駅近くには「日田やきそば」屋さんがないではないか!(「日田やきそば」ではない単なるやきそば屋さんはそこそこあるんだけど)
心残りだけが募る日田、絶対また来ると誓ってションボリ福岡に戻ります。

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103日目 北部九州・史跡巡り(6)~長洲

2014-12-25 23:55:23 | 九州中部
2014年10月10日(金)


もう日も暮れようとしていますが、欲張ってもう一箇所。
ただ、行ったところで何もできませんけど。

長洲(ながす)町の長洲駅→

この町の売りは金魚。江戸時代から養殖が盛んなようで、駅や街中でも金魚だらけ。
「金魚の館」という施設もあり、そこでは世界中の珍しい金魚が見られるみたいです。

ホームにあるオブジェ→
これは琉金がモデル。

これは「オランダシシガシラ」→
初めて聞いた種。

ゆるキャラもこれで文句なし→
でも全然可愛くない。

乗合タクシーまでもです→

駅の跨線橋からは雲仙が丸見え~→
「島原大変肥後迷惑」が起こったのもよく分かりますなあ。
港からは島原半島へ行くフェリーも運航されています。

駅前通り→

街中を流れる「浦川」→

(446)熊本県玉名郡長洲町役場
Wikipediaによれば、この町は累積赤字で相当苦しいらしい。
その要因となったのは、大規模な下水道事業で、畑ばかりの場所にまでしっかり整備したそうな。さらには、調子に乗りすぎて、処理した下水の水質をアピールせんがために先に触れた「金魚の館」を建設したといいます。ホンマかいな・・・。

役場に来るや否や、12日開催予定の町民体育祭は台風接近のため中止とのアナウンスが流れる。
延期はなさそうで、楽しみにしていた方にはお気の毒ですが、安全上仕方ないですね。
台風接近となればイベントはあっさり中止になるのに、後々住民の懐を痛めかねない赤字を垂れ流す大規模事業はなかなか歯止めがかからないお役所。

因みに我が千葉市にも「長洲」という地名がありますが、こちらは「ながず」と濁ります。
どうでもいいことだけど・・・。

どっぷり暮れた街中→
駅を降りてたった20分でこの暗さ。陽の落ちる速度が日増しにアップし始める頃です。

↓鹿児島本線を北上し、福岡市に戻ってきました。

地下鉄・赤坂駅で下車。ホテルは大濠公園の近くですけど、何故ここに?

↓お目当ては、これ! 秀ちゃんラーメン。



私の行きつけのラーメン屋で昔働いていた兄チャンが、ここのラーメンを大絶賛していたから行ってみたかったのです。
どれどれ、どんくらいおいしいか楽しみだゾ!
でしたが・・・、旨みが今一つ物足りないような・・・(あくまで個人的な感想です)。

今年のブログはこれで終了です。続きは来年に。ご愛読、ありがとうございました。
それでは皆様、良いお年を!

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74日目 さらば!筑紫島(3)~宇城・宇土

2014-04-17 23:48:25 | 九州中部
2014年1月3日(金)


韓国で沈没した船、かつて日本で運航されていたといいます。
鹿児島-那覇を結んでいた「フェリーなみのうえ」がそれ。
驚きました
というのも、3年前の5月4日に那覇から奄美大島・名瀬(なぜ)までこの船に乗ったからです。
当時は旅行へ行ってもほとんど写真は撮らなかったのですが、その船の画像があるかな?と思って探してみましたら、奇跡的に那覇港を出港する船尾だけを写しておりました・・・。



さて、年末年始の旅行のシメは宇城(うき)市、宇土(うと)市。
それぞれ松橋(まつばせ)駅と宇土駅で下車し、駅周辺の散策をします。

松橋駅→

不知火(しらぬい)とは、横綱の土俵入りの型ではなく、漁火が光の異常屈折によって起こる現象で、海が燃えていたり、火の玉が海をさまよっていたりしているように見えるらしいです。
一度でいいから見てみたいものです。

何で「まつばせ」と読ませるかは、ウィキペディアを参照して下さいな。

駅前→
奥にあるのが駅。赤色の歩道はクッション性があって歩きやすい。

このまま続く商店街を進みます→

その途中で見た崩れている用水路→

セクハラを受けそうな美容室(笑)→
寧ろ、大胆にもこのような店名にした経営者に感服する。

(362)熊本県宇城市役所
5つの町が平成17年に合併し成立、人口約6万人の市。

宇土駅→

駅を南方向へ伸びる道(県道297号線)を進みます→

道路にせり出しているし・・・→
崩れたときに人や車が通っていたらどうするのかねー。

JR三角(みすみ)線の踏み切り→

踏み切り付近から「本町通り商店街」に入ります→

↓船場川の船場橋



宇土はかつては城下町。そんな雰囲気を感じさせる場所。

(363)熊本県宇土市役所

宇土市には長部田海床路(ながべたかいしょうろ) という、満潮時に水没してしまい電柱だけが海の中を並ぶ光景を見られる道路があります。これは是が非でも見たく、いずれ天草へ行く時にと考えています。

やれやれ、やっと千葉に帰ります。
さて、これまでの私であれば、誰に何と言われようとも熊本から延々6時間かけて東京まで新幹線で帰ったでしょう。
ですが何故だか今回に限ってハナっから新幹線で帰るという考えは全く起こらず、嫌いだし怖いし、何が何でも意地でも避けたい筈なのに、でも何の躊躇いもなく、ようやく本ブログ初のお目見え・飛行機を予約しました(どうしてこうしたのか、後で理由が判明しました)。

熊本駅からJR豊肥(ほうひ)本線の電車に乗り、肥後大津駅で降ります。

肥後大津駅からは空港ライナー(無料)→
リムジンっぽいバスで運行されているものと想像しておりましたが、最初これを見た時は思わずのけぞってしまいました・・・。
ま、よく考えてみたら、ロハなんだからそんな立派なものを使うわけないよな(苦笑)。

熊本空港(熊本県上益城(かみましき)郡益城町)→
愛称ばやりの最近の空港。ここも例外ではなく、「阿蘇くまもと空港」と名付けられています。

空港内→

↓屋上から




↓搭乗までの間、「うまか軒」の熊本ラーメン(\700・当時)を戴きます。

九州旅の打ち上げは、勿論これ。
まさにうまか!熊本空港へお立ち寄りの際は是非ご賞味あれ。

乗ったのは「ANA650便」→

羽田空港へは22時15分到着。は、速い

浜松町駅にて→
新幹線、止まっています。
そう、この日は記憶も新しい有楽町駅そばのビル火災、あれがあった日です。
早朝の出火にもかかわらず、夜遅くになってもダイヤは大混乱しているらしく、恐らく飛行機を選んだのは第六感、虫の知らせだったんですね~(我ながらスゲ~感だと改めて思う)。
総武線快速に乗っていたら名古屋帰りの知人に会ったのですが、お手上げの状態で「こだま」でどうにかこうにか帰ってきたのだと、疲れきった表情で話しをしておりました。
ま、新幹線でも結果的に特急料金なしで東京に帰れた筈ですから、どっちに乗っても得した気分になったのかも。

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74日目 さらば!筑紫島(2)~球磨・氷川

2014-04-15 23:53:17 | 九州中部
2014年1月3日(金)


前日に引き続き、八代(やつしろ)駅からJR肥薩(ひさつ)線に乗って、球磨(くま)川沿いを上っていきます。

↓前回では触れませんでしたが、所々で川(というか道路)の復旧工事をしています。

球磨川は相当の暴れ川みたいなので、こんな事はしょっちゅうなのかも知れない。

1時間程度の乗車で、一勝地(いっしょうち)駅に12時頃到着。

一勝地駅→

↓ここは縁起のいい駅名なので、受験や勝負の願掛けスポットとなっています。

30数年前に駅の入場券を贈ったある高校野球部が夏の甲子園で活躍したことをきっかけに、一勝地駅が脚光を浴びたといいます。
「必勝お守り記念入場券」という切符は平日のみの販売。

↓駅は明治41(1908)年に開業しその後に焼失、大正3(1914)年に今の駅舎に建替え。

電灯も趣きを感じます。

↓ゆるキャラは勝利や合格などの種に程遠いゆる過ぎるキャラ。

名前も冴えない上に、頭に「まき○゛○」が乗っかっていっているみたいだし(笑)。

駅正面から→
山の中腹に役場があります。

川では奇怪な形をした岩を楽しめます

この岩はモグラのよう→

球磨橋より下流側→

山の上に役場があるという訳で、当然坂はむちゃくちゃきっつい!

その途中からの眺め(上流方向)→

(360)熊本県球磨郡球磨村(むら)役場

↓いい眺めじゃ。




これは球磨川に注ぐ中園川→

一勝地駅の隣は、球泉洞(きゅうせんどう)という駅。
読んで字の如くそういう鍾乳洞があり、これは今度ここへ来る時の楽しみにとっておきます。

八代駅からは鹿児島本線の電車で有佐(ありさ)駅へ。

右側に有佐駅→
ありさ、ありさ・・・。
ん~、実にいい名前(笑)。

この駅自体は八代市にあるのですが、すぐに氷川(ひかわ)町に入ります。

この橋の向こうが氷川町→
川の名前は氷川。

橋を越えたとたん、田舎の度合いが増す。

↓うるさく吠える犬を写そうとしたら、一転ポーズを決めてくれた(笑)

サービス精神旺盛でなかなか愛嬌のあるかわいいヤツ。

↓田園風景の中を。




↓熊本県はいぐさの大生産地で、畳表の生産量は国内の95パーセントを占めるらしいです。
特に南部を中心に栽培されているよう。


↓行きたくなるような看板だけど・・・、ちょうど腹減ってきたし。

人はもちろん、車もあまり走っておらず、費用対効果はどうなんでしょ?

(361)熊本県八代郡氷川町(ちょう)役場

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74日目 さらば!筑紫島(1)~八代

2014-04-14 23:35:30 | 九州中部

2014年1月3日(金)


今日、仕事で大失敗をやらかしてしもうた!
その事でずっと悶々としていますが、ジタバタしてもどうしようもなく、ブログでも作成して気を紛らわすしかない・・・。


長かった年末年始の関西・九州旅行もようやくこの日で終了(ブログも長いことかかったけど)になります。

まずは手始めに八代(やつしろ)市の散策です。
と、その前に前日飲みに街中に繰り出しておりましたので、その時の写真を。

旭中央通りの某ホテル前→

↓本町(ほんまち)アーケードとその周辺





この近辺は飲食店が多く、正月とは思えないほど賑わっておりました。

さて朝。
泊まったホテルは東横INN新八代駅前で、従いまして口開けは新八代駅周辺を。

こんなド田舎にある新幹線の駅→
あたかも秘境駅に認定されそうです。が、向こう側は住宅が多く建っていますんでそれはなし。

八代よかとこ物産館→

↓それに隣接しているの「松中信彦スポーツミュージアム」

八代出身・現役唯一の三冠王(最近見ないけど、一応今シーズン5試合出場も快音未だなし)。
私はパ・リーグはタカ派なんですが、開館していないのもありますけど、やっぱり旬はとうの昔です、あまり興味が沸きません。引退して何年後かしたら見たくなる施設かも。

八代駅→
熊本県第二の都市の駅にしては寂しすぎるの一言(駅前も寂しい感じ)。
市街地は駅から離れています。

旭中央通り→

アーケード近くに来ました→

ふと見つけた願掛けの「水かけ不動さん」→
最初は河童の方に目がいったのですけどね(笑)。
水をかけてお不動様の後ろにある炎が消えてしまったら、元も子もないんじゃないでしょうか?(笑)

↓「西武ライオンズ」ということは、だいぶ前からこれはあるってことですね。

因みに秋山監督は隣の氷川町出身。

(359)熊本県八代市役所
人口約13万人、平成の大合併でやたら面積が巨大化してしまいました。

↓八代城址



江戸時代の一国一城体制の中、熊本藩は熊本と八代の2つの城を持つことが認められていました。ま、それには様々な理由があったようですが。
今は公園として開放されています。

道路を挟んで城址の向かいにある松井神社→

↓松濱軒(しょうひんけん)



細川氏の家老・松井直之が母のために建てた茶屋です。
↓市のHPより抜粋
『古くからの砂浜堤防内の沼地を取り込み、球磨川から導水して庭園とした立地で、浜堤には松林が連なり、八代海・宇土半島・さらには雲仙を望む雄大な眺望の庭園でした。
現在では都市化が進み雄大な眺望をのぞむことはできませんが、大名庭園として変化に富んだ景色を構成しており江戸時代初期の形状をよく今に伝えています。』
お休みなので、その庭園ですら見られません・・・。

前川に架かる新前川橋→
橋からの風景を撮っていたら、たまたまお巡りさんが歩いている所でした。

お巡りさん、つかつかやってきて「何でこちら(お巡りさんの方)にカメラを向けていた!」と詰問される。
私「橋からの風景を撮っていて、たまたまそちらに向いてしまっただけですよ・・・」と焦る。


入水事故があったのか、何らかの事件があったのか全く分からないけど、警察が現場検証らしきをしている。
タイミング悪すぎ・・・
変に疑いを持たれてもイヤなので、足早にその場を立ち去る。

この橋の袂に「河童渡来の碑」とやらがあるらしいです。
仁徳天皇の御世、支那からこの場所に河童9千匹の大集団がやって来て、八代に住み着いたといいます。ところが、その河童があちらこちらでいたずらが酷く、怒った加藤清正は九州中の猿に河童を攻めさせました。これには河童もお手上げだったようで、九州各地に移り住むようになったとの伝承があるようです。

↓700メートルほどある本町アーケードを通り抜けて急いで八代駅へ。


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73日目 くまへ行くモン!(3)~球磨郡

2014-04-13 00:10:51 | 九州中部
2014年1月2日(木)


「くまがわ鉄道」の終点・湯前(ゆのまえ)駅に13時20分到着。

↓駅と駅前






何てこった!→
実は、折り返しの列車の15時37発に乗るまでの間、13時42分のバスを使ってお隣の水上(みずかみ)村へ行くつもりでしたが、下調べが甘かった・・・。

思いがけず2時間もの空き時間ができてしまったので、どうしようか途方にくれる。

暇つぶしの格好の施設も休みだし・・・→
駅の近くには「湯前まんが美術館」というのもあり、漫画を売りにしたような町です。
仕方ないので、コンビニに行って一服しますが、以前も書いたと思いますが、外出したら長時間一箇所でじっとできない性格なので、また駅に戻ってきても列車まで1時間以上ある・・・。

↓再び駅の中
 
面白そうなこの神社に行ってみようか。
徒歩20分とあるし。
途中役場を経由しても余裕で行って帰ってこられるな、という考えであったのですが・・・。

その途中→
パチンコ屋にでもした方がふさわしい名前の美容室だ。

(357)熊本県球磨(くま)郡湯前町(まち)役場
「湯」とついているので、有名な温泉でもあるのかと思いきや、そういう訳でもなさそう。
これから行こうとしている神社の近くに、ゆのまえ温泉「湯楽里(ゆらり)」という入浴その他いろいろと楽しめるレジャー施設があるくらい。

住宅街に入ってきました→

↓そこでのあばら家
 
うつぶせに横たわっている人形が物悲しい・・・。

↓案内表示板に従って歩きます。
 
お、世界一だと?!どれどれ、見てみたいな。



ところが・・・。
この時点ですでに駅から40分たった15時。
役場を経由したとはいえ、これは遠すぎやしないか?
歩けど歩けど水車も神社もありそうな雰囲気が全くないし、人に聞こうにも誰~もいない。
しかも案内表示は全くの不親切で「あと何キロ/メートル」との記載がなく、おまけに地図は持っていない(駅にあった案内図を頭に入れている程度)ので、今どこを歩いているのか全く分からない。
乗る予定の列車まであと30分しかなくなり、これはダメだと観念し、急いで駅に戻ります。
何の為に行ったんだか・・・。

後で地図を見てみたら駅から余裕で3キロはありました。
駅の案内の「徒歩」は恐らく「駆け足」の記載ミスであったようだ(怒)。
もう、二度と湯前町に来るもんか!と思いましたが、水上村その他周辺の村を残しているので、それは無理そう・・・。

散々な目に遭った後は、この日の最終訪問地・多良木(たらぎ)は駅へは、15時45分に到着。

多良木駅→

ここでは駅周辺を散策するだけにします。

多良木えびす温泉センター→
疲れたので、一風呂でも浴びたところですが。

ブルートレインたらぎ→
かつての寝台特急「富士・はやぶさ」に使われていた客車を利用したホテル。
「富士」も「はやぶさ」も乗ったことありますけど、その時の車両かどうかは分かりません・・・。

多良木えびす物産館→
最初から開いているのを期待していないから(笑)。

えびす広場・交流館石倉→
昭和10年頃に農協倉庫として建築されたもので、今では様々なイベントに利用されている模様。国の登録有形文化財でもあります。

商店街→

(358)熊本県球磨郡多良木町(まち)役場
人口1万人ほどの町。

人吉駅に戻ってきました。

↓八代(やつしろ)から乗った列車もそうでしたが、八代帰りもこれ。


前日より宿泊の八代のホテルに戻ってまいりました。

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73日目 くまへ行くモン!(2)~球磨郡

2014-04-12 00:06:32 | 九州中部
2014年1月2日(木)


国鉄やJR時代は湯前(ゆのまえ)線といっていた「くまがわ鉄道」を使って、この沿線の町を訪ねてみたいと思います。
使う切符はこの鉄道の「1日フリー乗車券(\1000・当時)」です。

「くまがわ鉄道」は僅か25キロほどしかないのに、その間に4つも町を連ねているので、乗ったり降りたり落ち着かない訪問となりそう・・・。

人吉駅10時20分発の列車に乗って、すぐの10時35分に最初の目的地到着。

一武(いちぶ)駅→

駅前から果てしなく?続く道→
まずはこの道を歩いて行かねばなりません。
人はともかく、車でさえほとんどすれ違うこともない長閑な中をのんびりブラブラ・・・。

↓養牛場があったのでデジカメを向けたら、物珍しそうに牛が一斉に寄ってくる。

愛嬌があったので、ずっと観察していたかったのですが、そういう訳にいかないので歩きます。

国道219号線との交差点→

(355)熊本県球磨郡錦町(まち)役場
人口1万1千人ほどの、「剣豪とフルーツの里」を標榜する町。
剣豪については後で触れることとしまして、梨や桃などがここの特産品だそうです。

少し離れたところにある「道の駅錦」→

お休みじゃ・・・→
私もそうでしたが、来る人来る人皆がっかり。

↓ここに隣接している広大な「錦くらんど公園」



剣を交えている子供の後ろで後ろで偉そうにしているのは、丸目蔵人佐(まるめくらんどのすけ)。
戦国時代の頃の剣豪で、錦町で晩年を過ごしたらしいです。

次は「あさぎり町」の訪問ですが、予定ではその中心駅の「あさぎり駅」で降りようと思っていたところ、その手前に「おかどめ幸福」という駅があるを知り、名前がちょっと気になったのでそこで下車。

おかどめ幸福駅→

↓「愛国から幸福ゆき」の切符をパクったような看板


これは駅舎の向かい側にあったもの→

↓駅のすぐ近くには、駅名の由来となった幸福神社の別名を持つ「岡留熊野座神社」があります。

何故「幸福」なのか?
頃は蒙古が襲来していた時期、この地域の領主様が国の保安を祈るために建立したからで、つまり「難を留めて幸せを祈る神社」という事らしい。

折角なので、行ってみましょう→
建立した甲斐あって、まさに神風が吹いて蒙古を撃退できたのだから、有難い神様でございます。

さて、線路に沿って歩きます→

再び国道219号線→

ちょっと立ち寄ったコンビニで売っていた「沖縄ドーナツ」→
何が沖縄なのだろう?普通のドーナツと代わり映えしないんだけどな・・・。

↓あさぎり駅近辺の商店街




(356)熊本県球磨郡あさぎり町(ちょう)役場
秋から春にかけて発生するこの地域の名物である朝霧を名乗ってしまった町。
あさぎり町の中心部は平成の大合併前は免田町(めんだまち)といっていました。
最近、袴田事件の再審が決定されましたが、そのニュースを聞いて真っ先に頭に浮かんだのは免田事件という冤罪事件でした。

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73日目 くまへ行くモン!(1)~人吉

2014-04-08 23:02:04 | 九州中部
2014年1月2日(木)


この日の予定は熊本県南部の球磨(くま)地方の市と町の訪問です。

↓八代駅から肥薩(ひさつ)線に乗り、列車は球磨川に沿って進みます。

朝モヤが「いらっしゃい!」と待ち構えております。

さあ突入!→

霧を脱出→
さすがは日本3大急流というような流れですな。

↓9時10分、極悪人がいなさそうな町(笑)の人吉(ひとよし)市・人吉駅到着。


これはホームに置いてあったもの→
この地方の遊び道具です。

駅前にある「からくり時計」→
次に作動するのは10時ちょうど。その様子を見てみたいのですが、その時までに戻れるかどうか微妙・・・。何せ行きたい所が目白押しなので。

駅前通り→

この通りを真っ直ぐ行き、球磨川の手前で右に折れると、近年、観光スポットとして注目度うなぎのぼり(と現地のガイドブックにあった)の国宝「青井阿蘇神社」へ。

神社前にある「蓮池」→
池と蓮っていいよなぁ~。

上の写真の赤い橋より→
鳥居の後ろにあるのは「楼門」。

こちら拝殿→
お正月2日目とあって、まだまだ初詣でする人多し。

御朱印売り場に女性が群がる→
だいぶ前に御朱印集めに熱心な「御朱印ガール」とやらが増えているとテレビで見ましたが、それは本当のよう。
それにしても、集めに勤しむ女性がたとえオバさんでも「ガール」として括られるんでしょうかね?

駅前通りに戻り、球磨川に架かる人吉橋を渡って、別名・幽霊寺の異名を持つ永国寺へ。

人吉橋から下流方向→

ここのお寺さんの目玉は、珍しい幽霊の掛け軸→

これがそれ→
初代の和尚さんが描いたという掛け軸。

絵のモデルとなった?幽霊が夜な夜な現れたという池→
明るいので分かりませんが、夜見ると不気味な場所なのかも。
また、西南戦争時の約1ヶ月間、西郷さんはここに本陣を置いていました。

武家蔵→
この門はお城から移築されたもの。奥に家老のお屋敷があります。

お屋敷からまっすぐ行った所にある大手橋の上より→
ここは胸川に架かる橋。右の塀は平成5年に復元された「長塀(ながへい)」、奥の橋(大橋)の所で胸川は球磨川と合流します。

大手橋の目の前には市役所。

(354)熊本県人吉市役所
鎌倉時代から相良氏の城下町として発展した町で、人口は約3万5千人。
情緒溢れる小京都・人吉の地名の由来は「舎」という字が分解されたものらしく、「舎」とは宿を差します。
熊本と鹿児島の中間地点として、宿屋がいっぱいあったのでしょう。

市役所横の広場→
山に見えるは日本百名城の一つ、人吉城址。
登りたいけど、時間がない・・・。
おまけに乗る予定の列車の発車時間が迫ってきたので、駆け足で駅に戻ります。

↓大橋からの眺め




商店街を走って走って→

人吉駅の隣にある、くま川鉄道の人吉温泉駅→
焦って戻ってきたら、今度は女性の集団が切符を買うのにマゴマゴしているので、さらにイライラが増す。

駅から見える穴ぼこ→

人吉には今回は僅か1時間あまりしかいられませんでしたが、本当はここはもっと時間を費やすべき町なので、次回来る時は是非ゆっくり観光したいですね~。

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72日目 肥薩おれんじ鉄道に揺られて(5)~葦北郡

2014-04-06 00:08:31 | 九州中部
2014年1月1日(水)


水俣の後は葦北(あしきた)郡の2町を訪ねて八代(やつしろ)市で宿泊となります。

津奈木(つなぎ)駅→

駅前には孝女・千代の像があります→

↓駅前は国道3号線が走っていまして、それを西の方向、つまり海の方へ歩きます。


↓名前は知らないけど、津奈木川にかかる橋
  

↓ネコがいたので写したら、ソッポ向かれてしまった(苦笑)。


(352)熊本県葦北郡津奈木町(まち)役場

↓「重盤岩眼鏡橋(ちょうはんがんめがねばし)」を見に行きます。

嘉永2(1849)年に掛けられたというこの橋、長さは18メートルの幅4.5メートル、岩永三平という人が作ったと言われています。

ところで、橋の由来となった重磐岩が見つからない。
国旗が翻っているらしいのですが、どこにも見えず、疲れていて視力もだいぶ悪化しているようです・・・。

↓歩いて東京へ行こうと気迫のある方は是非こちらへお進み下さい。


この近くにある町営温泉「四季彩」→
ただし前日この日とお休み。

熊本に入るとコヤツばかりで食傷気味→

次に佐敷(さしき)駅へ→

(353)熊本県葦北郡芦北町(まち)役場
人口約18,000人の町。駅から南へ行った所にあります。

佐敷川と湯浦川(ゆのうら) が河口で合流しています。

魚釣りには持って来いの、長閑な雰囲気のいい感じの場所。

ところが・・・。

上空はカラスの大群によって占拠されてしまっています→
しかもカーカーうるさいし・・・。

上空どころか砂洲(さす)も→

川を跨ぐ電線も→

烏にジャックされてしまった佐敷(笑)。

そんな中、寂しく孤軍奮闘?→

佐敷駅から見える「佐敷城址」?→
山にあるのがそれだと思うんですが。間違っていたらご指摘下さい。

↓駅から見えた真っ赤な祠が気になったので行ってみます。

小川が目の前を遮ってこれ以上進めません。
暗い中映える赤が、遠野で見た卯子酉神社を思い出します。

列車内にて→
一人定員を減らしているモン!だけど、クッションが効いて寄りかかるにはいいモン!

19時すぎ、新八代駅に到着です→

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72日目 肥薩おれんじ鉄道に揺られて(4)~水俣

2014-04-05 01:59:03 | 九州中部
2014年1月1日(水)


丸2日間いた鹿児島県を去って、わが身は肥後の国・熊本県入り、水俣(みなまた)駅に14時少し前に到着し下車します。

気になるご様子→
実は水俣駅の一つ手前の袋駅で、それまで何ともなかったのに、何の前触れもなく突如運転手さんがトイレの回路部分?をガチャガチャといじくり始めてから車内に香ばしいかおりでたちまち充満、皆一様に眉をひそめる。一体どうしたというのだろう?ひょっとして嫌がらせか??(そんな訳ではないと思うけど)
幸い?、私は一つの区間で済んだのですが、これから乗る人、これからも乗り通す人は気の毒で仕方ない。

水俣駅→
駅の佇まいはまさに地方都市っぽいのんびりした感じ。

亀もお出迎え→
長閑な感じの駅前ですが、水俣と言えばご存知、公害による負のイメージをいまだに背負った町。

↓その象徴は駅前にドンと構えています。
 

水俣病に関連する施設を見学したかったのですが、あいにく休館。
なので、駅付近の散策に留めます。

↓駅を背にして右手に伸びる「桜商店街」を歩きます。







この商店街はそのまま桜井町商店街→旭町商店街と名を変えて国道3号線に合流します。

その合流地点の近くにあるエムズシティ→

ここの上にあるレストランで遅~い昼食。

↓水俣の看板グルメ、野菜と魚介類ぎっしりの「水俣チャンポン(\480)」
 
これを食べたかったので、ずっと食べずにいた訳なんですけどね。
屋上で菜園とは、なかなかの力の入れ様。
感想ですか?ちょっと塩辛かったかな~。でも、おいしかったですよ!

レストランから見る光景→
山に囲まれた自然の美しい水俣。つくづく公害が恨めしい・・・。

エムズシティから数百メートルの所に「徳富蘇峰・蘆花の生家」があるので行ってみます。

かの二人はここでお生まれ→
ところが写真にありますとおり、建物前に車がデンと置いてあって、はっきり言って撮影の邪魔。
どいてくれないかな~、と思って車に近づくと、何と千葉ナンバーである。
水遣りをしていたおっさん(車のそばに写っている)に聞いてみると、車の持ち主はその人で、以前千葉市(私の住んでいる隣の区)に住んでいたけど最近退職して故郷の水俣に帰ってきたと言う。
ここの館長がお正月休みを取っていて、植物に水遣りをしないと枯れてしまうので、今は代わりに面倒を見ているとの事。
しばらくそのおっさんと千葉の話しをする。勿論私の住んでいる字名まで知っていました。
それにしても、まさかな~、こんな所で千葉ナンバーが見られるとはなあ~(ちょっと感激)。
ところで、ここは昨年の大河ドラマの影響で入館者がいつもより多かったらしいです。

仲之町通り→
飲み屋が多い通り。

水俣川の新水俣橋に来ました→

河口側→

橋を渡ると市役所があります。

(351)熊本県水俣市役所

役所の敷地には「蘇峰記念館」があります→

右岸側の堤防を上流側にむかって歩きます→

交差する道を右に曲がって橋を渡ると肥薩おれんじ鉄道の踏み切りに出ます。

線路に沿って伸びる道→
この2日前に湧水町・栗野という町で旧山野線の廃線跡を紹介しましたが、ここもその廃線跡で、今は「日本一長~い運動場」として整備されています。
ま、単なる自転車歩行者専用道路なんだけどね。

ではでは、その起点に行ってみましょう。

全長13キロ→

通行危険と言いながら、ほぼ野放し状態→

ここが起点→
全体の13分の1でしか運動しませんでしたが、でも疲れたわい・・・。

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36日目 元日の風景 その5~中津

2013-03-10 00:47:04 | 九州中部
2013年1月1日(火)


次に参りましたるは大分県の北西部にある中津市。


↓中津駅の「日本一長い鱧(ハモ)の椅子」

長すぎてさ(10メートル位)、全体を写すのに柱が邪魔してしまったではないか(怒)!
鱧は鰻の仲間。この椅子を作ったのは、日本一長い鱧がここで釣れたということではないらしい。

駅西口→
もう、来年の大河ドラマの宣伝ですよ。
「軍師官兵衛」といっても、たいていの人は知らないでしょう。
黒田孝高(よしたか)というここ中津のかつてのお殿様の事で、豊臣秀吉に仕えていました。
最近の大河ドラマはネタが尽きたのか、著名人に仕えた人だとか、奥さんだとかを主人公にしたものばかりのような気がする。

中津駅に降り立つのは2回目ですが、前回はここからバスで新日本三景の一つ、耶馬溪(やばけい)に行きました。
その時は宮崎からの夜行列車で朝5時頃に到着、2時間半待ってバスに乗って行くつもりでしたが、それは平日のダイヤであって、実際はその日は休日でダイヤが違っており、さらに1時間の合計3時間半待つハメになったという苦い思い出があります。

↓何となく名所・旧跡が多そうな感じのする案内板

実際、耶馬溪は勿論、中津城や福沢諭吉旧居など見所は多いです。

(191)大分県中津市役所
何はともあれ、まずここに。

今回は耶馬溪には行きませんが、中津城と福沢諭吉旧居くらいは歩いて行ける距離なので、前回も見てはいますが、行かない訳にはいきません。
ところが、歩いていると以前には気がつかなかった中津の実情らしきを垣間見ることになってしまいました。

寿通り商店街→
寂れたを通り越して、何と表現すればいいのか、廃墟マニア垂涎の的となりそうな商店街に出会います。

↓その中




写真では音のない世界に感じるかもしれませんが、実は何とかお客を呼ぼうとしている為か、大音響で音楽を流していまして、不気味ですが、商店街の思いが痛いほど伝わってきて泣けてもきます。

↓その他、気にいった建物



 
 

中津の変な所ばかりお見せすると苦情が来そうなので、以下、看板たる観光地を・・・。

中津城→
日本三大水城の一つ。残りはついおととい行ったばかりの今治城と同じ四国の高松城。
いずれもお堀に海水が引き込まれています。

お堀のアヒル→
「アフラック」と鳴いていた、そんなわけは勿論ありません。

中津城公式マスコット「おっくん」→

↓城内に神社がありまして、初詣客が行列をなしています。


神楽が舞われていました→

お城の中は開放されていましたが、結構人が出入りしていて、しかも駅のロッカーに荷物を置いてくればよかったものを、担いで来てしまったので、上るのはしんどいし邪魔になるだろうと思いやめました。

福沢諭吉旧居の前の通り→

↓福沢諭吉旧居



ここは神社ではありませんが、心の中で祝詞っぽく唱える。
「掛けまくも畏き中津の大先生、我が巾着に絶えずおいで給へ・・・」

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36日目 元日の風景 その4~別府

2013-03-08 21:34:45 | 九州中部
2013年1月1日(火)

別府、説明不要の超有名温泉地。
でも、私はこの町を歩くのは初めてで、まあ個人的には今日の一番の楽しみというところでしょうか。

↓観光客は誰も見向きもしない西口を出ます。


いきなりの坂(青山通り)を登り、別府公園のところで右折して真っ直ぐ行きますと、富士見通りという坂と交差するので、そこを左折すると市役所があります。

別府公園→

(190)大分県別府市役所

次に海の方へ歩みを進めます。

その途中にあった温泉→
俗化し、ややもすると商業主義化した、やたら人の多い温泉は悪いとは言いませんが、一見バラックのような、うっかりすると見過ごしてしまいそうで鄙びたこういう共同浴場って、とっても情緒がありそうで良くないですか?
開いていないのが返す返すも非常に残念です。
尤も、臼杵で思いがけない時間を使ってしまったので、元々入れないのですが・・・

的ケ浜公園に来ました→

南の方向→
逆側→

↓あちこち銅像があります


「かるめん」と言うより「ぶさめん」に成り果てています。

別府タワーを仰ぎ見る→
東京タワーよりも古く、昭和32(1957)年に建設された高さ100メートルのテレビ塔です。

中に入ります→

↓展望台からの眺め



窓ガラスはとてもチャチで薄っぺらく、写してはいませんが、所々ヒビが入っていて、かなりの老朽化をうかがわせます。
いかにも昭和的なタワーでした。

竹瓦温泉→ 
別府八湯の一つ。竹葺きの屋根だったのを、改装して瓦葺にしたことに因んで名づけられたといいます。


この建物のあるあたり、実は風俗街の中にありまして、私は格好の標的になったらしく、わずかに営業しているお店のポン引きから、「寄って行かんばい?」と、声をかけられ通しでございました・・・
そんなに熱心に営業してくれるのなら、それに応えてやるべきだったか(苦笑)。

別府駅東口→


↑このオッサン、天国から舞い降りたというイメージ像らしいのですが、観光客を諸手を挙げて歓迎している意味もあるんでしょうかね・・・
う~ん、見ようによってはア○ナイお方にも見えなくはない。
オッサンと書きましたが、別府に多大な貢献をした、とってもお偉い方らしいです。
右は「手湯」。

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36日目 元旦の風景 その3~津久見

2013-03-07 23:35:01 | 九州中部
2013年1月1日(火)


しょっぱなから予定が狂ってのスタートですが、次の訪問地は予定した通りのお隣津久見市です。

速吸瀬戸(はやすいのせと)→

津久見駅ホーム→
みかんのベンチが鮮やかに映える

やたら長いホーム(大分方向)→
15両を誇る総武線快速も持て余しそうな長さです

南口を出て市役所へ。

(189)大分県津久見市役所

↓駅に戻ると、仮面ライダーアマゾンみたいな列車がやってきた。


今度は北口へ→

凛とした威厳のある姿の大友宗麟さんが迎える→

駅前通り→

ここはあまり時間をかけられないので、駅前商店街だけ見て廻ることにします。

昭和通り商店街→
本町通り商店街→
正月早々、郵便屋さんはつらいよ、といったところ。

堂々とした佇まいのしもた屋→


右の建物に寄りかかって、楽チンしている左の建物。
果たして、右の建物はいつまでガマンしてくれるんでしょうかねぇ。

ひっそりと固まっている飲み屋→

駅前の食堂→
両方とも入りたくなる感じのお店です。閉まっているのがつくづく残念です・・・

まだ、オネンネにある感じの町。さぞかし昨晩は大いに飲み食いしたのでしょう。

ところで、この津久見市、人口が順調に減少していまして、とうとう2万人を切ってしまいました。
全国の市の中でも下から15位前後という有り様です。
帰宅してから役所のHPの観光情報のうち、「たのしむ情報」の一覧を見ようとクリックしたら、ナント、
「Object not found!
  うんたらかんたら・・・・」
となるではないか!
全くやる気が感じられず、行政の方からせめて観光でも足がかりにして町おこしでもしないとまずかろうに、これではジリ貧に歯止めがかからないであろう。

津久見からは臼杵の方へ逆に戻り、そのまま大分駅へ行きます。

大分駅→
1年半前に大分市巡りをしていますので、今回はスルー、そのまま別府方面に向かう電車に乗り込みます。

別府湾→
別府の町が目前。

別府駅到着→
これらの山、何という名前か分かりませんが、雲があたかも噴煙のように見え、大温泉地別府に相応しい風景となっています。

という訳で、次の訪問地は別府になります。

正月から賑わいのある駅改札口→

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36日目 元旦の風景 その2~臼杵

2013-03-06 00:31:13 | 九州中部
2013年1月1日(火)


ムチャクチャ寒いのですが、頑張って市内をうろついてみます。

市役所近くに臼杵(うすき)城址があります。
臼杵城はキリシタン大名、大友宗麟が築きました。
築城当時は四方を海に囲まれていたといいます。

本丸跡の東端から→
正面の島は津久見島といい、別名、おにぎり島。
こんなのを見ていると腹減ってくるではないか(怒)!

ようやく明るくなってきました。
初日の出が見られるかな~?と思いきや、姿かたちも見えず。
同じく初日の出を見に来ていたらしき一人のじいさまもガッカリしていました。

本丸跡→

天守台跡→
臼杵護国神社→
毎年初詣を全くしないのですが、今年は宗旨替え、ここで初詣を済ませます。
境内の池は氷が張っていました。

下から見たお城→
正面上に見える門は、大門櫓。右は畳櫓。


続いて市街地を歩きます。

稲葉家下屋敷→
建てられたのは明治時代ですが、住んでいたお方は旧藩主。

↓飲み屋が立ち並んでいる通り



つまりは私にとっては、臼杵ではここが一番旨いということになるんでござんすか・・・。

↓石敢當


とっても有り難い石の隣の、何だかビミョーな形をした石は何だろう(笑)?
これは敢えて触れないほうがいい?(笑笑)
右の民家には鏝絵(こてえ)が飾ってあります。
とんかち、いやいや、打ち出の小槌っぽいの持っているから大黒様みたい。
ここはひょっとしたら、ムチャクチャ凄いパワースポットなのかもね。

↓八町大路、歴史を感じさせる商店街です



←創業は慶長5(1600)年の「かぎや」さん

↓二王座歴史の道→
 
昔の町並みが残るこの道には、白壁の商家や寺院が建ち並んでいます。

港町商店街→



床屋さんのようです。
髪を刈るのが早いんでしょうか?
ちょっと中を覗いてみたところ、営業しているようでした・・・
謹賀新年の張り紙もあるし。


なんと!市内局番がない!ま、しもた屋みたいだから実害はないだろう。

この商店街の方が、由緒ある通りより楽しかったです、個人的には。

この他、臼杵には国宝・臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)というのがあるのですが、そこは駅から遠く、断念せざるを得ませんでした。
しかし、臼杵はお宝がぎっしり詰まったような面白くていい町でした。

臼杵駅→

買った切符は、「初乗り!お年玉乗り放題きっぷ(\2,000)」。
JR九州内の普通列車1日乗り放題です。

駅ホームにあるベンチと臼杵磨崖仏の頭


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