平成29(2017)年5月1日(月)
飛行機・宿の手筈を整えてから「大隅半島 観光」と検索して地元の人による観光情報を得ようと考えたのですが、結果、佐多岬以外はこれと言って「何もない」と、けんもほろろな実に寂しすぎる声がほとんど。
「そんなにつまらない場所なのか」と少々大隅半島を選んだのを少々後悔したものでしたが。
でもここに限らず、探せば何かしらの見所はゴロゴロ出てくるものです。
佐多岬に来た事で南への進路を絶たれたので、北へ転進し、そのゴロゴロのうち見たいと思った所に道草しつつ肝付町(きもつきちょう)に向かいます。
まずは高台にある「パノラマパーク西原台」へ→
これまで錦江湾はわりかし低い所から見ていたので、少しは高い所から見渡そうと思って来た次第。
↓眺めは佐多岬と比べても遜色なし→
ただ、山道のクネクネした隘路を登らさねばならず、加えて案内標識が不親切なので、途中、この道でいいのか?と、不安になることしばしば。
それさえどうにかなればとびっきりの名所になれる(と思う)。
↓次に、この日佐多岬に次いで楽しみにしていた所へ行くべく、海岸部を離れ山の中へ。
お目当てはこの駐車場からもっと奥にあって1,200m離れています。
↓横に流れる川は綺麗だし、森林浴としてもいいけど、なかなか歩くのが難儀な道を約15分。
その行き着いた先には・・・。
「おっーー」と、私も含めて皆思わず声を上げる→
落差46m、幅60mの、コバルトブルー、エメラルドグリーンに煌く滝壺。
近年、大隅半島の人気スポットとして赤丸急上昇中という「雄川(おがわ)の滝」です。
美しいです、神秘的です、とにかく素晴らしいです。
話しでは聞いてはいましたが、まさに大隅半島の秘境を大いに感じられる絶景です。
昔は白い砂浜まで入れたそうですが、今では環境保全のために入れないのは残念。
以上は南大隅町、これより錦江町に入ります。
↓メエメエヤギさんが道端に繋がれていたので、少し相手してもらいます。
のんびりおっとり、モグモグ草を噛みながらニコニコした(ように見える)表情にとっても癒される。
花瀬(はなぜ)→
幅60m長さ2kmにわたって川床には石畳で敷かれていて、流れる水が白い波を立てるので、それを花に見立てて名付けられたといいます。
江戸時代、島津斉彬が癒しを求めて訪れた所なんだとか。
ここはオートキャンプやバンガローといったアウトドア用施設が充実しております。
トイレで用を足して手を洗おうとしたら・・・→
まさに「ナニコレ」な蛇口。
お腹のあたりめがけて水が出て来たらイヤだなと思いつつ捻ったら普通にお水は出てきましたけど、何の意味があるんだろうね?
錦江町もこれにて終わり、鹿屋市の吾平山上陵(あいらのやまのえのみささぎ)を見てから肝付町(きもつきちょう)に。
(654)鹿児島県肝属(きもつき)郡肝付町役場→
平成17年に高山町と内之浦町が合併して誕生し、約16,000人が暮らしている町。
役場は高山町の方にありますが、「肝付」という地名は元々は高山を本拠にしていた戦国大名の名前。
肝付氏は大隅国を支配し、一頃は島津氏をも凌ぐ力を持っていたという。
旧内之浦町には、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設・内之浦宇宙空間観測所があり、JAXAの施設がある自治体と「銀河連邦」を組んだり、種子島宇宙センターがある南種子町とは「宇宙兄弟」の関係があったりなどの、言わば「宇宙の町」。
散策するのは高山地区。
役場周辺には重厚感溢れる家が多い→
高山川の畔へ→
↓石碑が建っておりましたが、経年劣化のせいか文字が読みにくい。
辛うじて「寛文11(1671)年」という文字だけは分かりましたが、これが意味するところは・・・。
この近くには「岩渕上の隧道」があります→
そこにあった説明板を要約すると「高山郷の地頭に宮之城島津家第四代図書久通(ずしょひさみち)が任命され、寛文元(1661)年から寛文11年にかけて、高山用水路を完成させ高2,000石の開田をなしとげた。」とある。
つまりあの石碑は用水に関してのものなのでしょう。
水流が左の道路を潜るので、てっきりそこが隧道かと思いきや、実は右の金網越しの洞穴っぽくなっている所に素掘りの暗渠があり、それがまさに隧道。
用水の右側には「二階堂家住宅」があります→
↓文化7(1810)年築とされるこのお屋敷の最後の住まい人は、かの代議士・二階堂進センセイ。
二階堂家は古くからの名士で、元は鎌倉幕府の武家だったのが13世紀に薩摩警護のため中央より派遣されたのだという。
何故にパンダ?→
カッコしてあるのはこれまで行った所→
飛行機・宿の手筈を整えてから「大隅半島 観光」と検索して地元の人による観光情報を得ようと考えたのですが、結果、佐多岬以外はこれと言って「何もない」と、けんもほろろな実に寂しすぎる声がほとんど。
「そんなにつまらない場所なのか」と少々大隅半島を選んだのを少々後悔したものでしたが。
でもここに限らず、探せば何かしらの見所はゴロゴロ出てくるものです。
佐多岬に来た事で南への進路を絶たれたので、北へ転進し、そのゴロゴロのうち見たいと思った所に道草しつつ肝付町(きもつきちょう)に向かいます。
まずは高台にある「パノラマパーク西原台」へ→
これまで錦江湾はわりかし低い所から見ていたので、少しは高い所から見渡そうと思って来た次第。
↓眺めは佐多岬と比べても遜色なし→
ただ、山道のクネクネした隘路を登らさねばならず、加えて案内標識が不親切なので、途中、この道でいいのか?と、不安になることしばしば。
それさえどうにかなればとびっきりの名所になれる(と思う)。
↓次に、この日佐多岬に次いで楽しみにしていた所へ行くべく、海岸部を離れ山の中へ。
お目当てはこの駐車場からもっと奥にあって1,200m離れています。
↓横に流れる川は綺麗だし、森林浴としてもいいけど、なかなか歩くのが難儀な道を約15分。
その行き着いた先には・・・。
「おっーー」と、私も含めて皆思わず声を上げる→
落差46m、幅60mの、コバルトブルー、エメラルドグリーンに煌く滝壺。
近年、大隅半島の人気スポットとして赤丸急上昇中という「雄川(おがわ)の滝」です。
美しいです、神秘的です、とにかく素晴らしいです。
話しでは聞いてはいましたが、まさに大隅半島の秘境を大いに感じられる絶景です。
昔は白い砂浜まで入れたそうですが、今では環境保全のために入れないのは残念。
以上は南大隅町、これより錦江町に入ります。
↓メエメエヤギさんが道端に繋がれていたので、少し相手してもらいます。
のんびりおっとり、モグモグ草を噛みながらニコニコした(ように見える)表情にとっても癒される。
花瀬(はなぜ)→
幅60m長さ2kmにわたって川床には石畳で敷かれていて、流れる水が白い波を立てるので、それを花に見立てて名付けられたといいます。
江戸時代、島津斉彬が癒しを求めて訪れた所なんだとか。
ここはオートキャンプやバンガローといったアウトドア用施設が充実しております。
トイレで用を足して手を洗おうとしたら・・・→
まさに「ナニコレ」な蛇口。
お腹のあたりめがけて水が出て来たらイヤだなと思いつつ捻ったら普通にお水は出てきましたけど、何の意味があるんだろうね?
錦江町もこれにて終わり、鹿屋市の吾平山上陵(あいらのやまのえのみささぎ)を見てから肝付町(きもつきちょう)に。
(654)鹿児島県肝属(きもつき)郡肝付町役場→
平成17年に高山町と内之浦町が合併して誕生し、約16,000人が暮らしている町。
役場は高山町の方にありますが、「肝付」という地名は元々は高山を本拠にしていた戦国大名の名前。
肝付氏は大隅国を支配し、一頃は島津氏をも凌ぐ力を持っていたという。
旧内之浦町には、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設・内之浦宇宙空間観測所があり、JAXAの施設がある自治体と「銀河連邦」を組んだり、種子島宇宙センターがある南種子町とは「宇宙兄弟」の関係があったりなどの、言わば「宇宙の町」。
散策するのは高山地区。
役場周辺には重厚感溢れる家が多い→
高山川の畔へ→
↓石碑が建っておりましたが、経年劣化のせいか文字が読みにくい。
辛うじて「寛文11(1671)年」という文字だけは分かりましたが、これが意味するところは・・・。
この近くには「岩渕上の隧道」があります→
そこにあった説明板を要約すると「高山郷の地頭に宮之城島津家第四代図書久通(ずしょひさみち)が任命され、寛文元(1661)年から寛文11年にかけて、高山用水路を完成させ高2,000石の開田をなしとげた。」とある。
つまりあの石碑は用水に関してのものなのでしょう。
水流が左の道路を潜るので、てっきりそこが隧道かと思いきや、実は右の金網越しの洞穴っぽくなっている所に素掘りの暗渠があり、それがまさに隧道。
用水の右側には「二階堂家住宅」があります→
↓文化7(1810)年築とされるこのお屋敷の最後の住まい人は、かの代議士・二階堂進センセイ。
二階堂家は古くからの名士で、元は鎌倉幕府の武家だったのが13世紀に薩摩警護のため中央より派遣されたのだという。
何故にパンダ?→
カッコしてあるのはこれまで行った所→